安心してください、遅れた理由はただのスランプです。
「コイツは、逃げずにここで仕留める」
ようやく合流を果たした女魔術師達に対し、魔法剣士は確固たる決意 ――――― そして殺意を込めて、《
新米戦士や見習聖女の言う通り、逃げるという選択肢が最も正しい。出口はすぐそこで、
だが、その提案を彼は蹴った。周囲の皆が驚いているが、魔法剣士自身内心では驚いていた。何故自分はこんな事を言ったのか。何故どう考えても正しい提案を蹴ったのか。やるべき事は他にあるというのに。
この沼竜を相手に確実に勝てるから?否。仕留める算段はなくはないが、決して確実ではない。むしろ勝算は低いと思っている。
ここで逃がせば別の誰かが犠牲になるかもしれない?半々。確かにその心配はしているが、かと言って戦う必要は無い。むしろ戦わない方がいいと考えている。
沼竜に殺されかけた恨み?近くはあるが違う。確かに「よくも」という思いはあるが、危険を冒してまで晴らすほどではない。
なら自分を駆り立てるものはいったい何なのか。
(……ああ、これか)
突然ストン、と。胸の中心にしっくり来る理由が座り込む。この恐るべき敵に対して挑む理由。それはごく単純だ。
死そのものを畏怖するのはいい。殺されかけたことを怖がるのもいい。自分より強い相手を恐れるのもいい。
以前
だが沼竜という存在に対して恐怖を抱くのはよくない。コレを恐れるようになれば、いずれ似たようなものも恐れるようになる。そしてきっと心が萎え、立ち向かえなくなる。
そんな事はあってはならない。冒険者としてやっていく上で致命的な欠点となりかねない。
前回との違いはそこだ。自分が死にかけたのは同じだが、あの時は戦ったという事実が己を支え相手への恐怖を生まなかった。
だが今回は何も出来ず、ただ一方的に殺されかけた。まるで小鬼に蹂躙された哀れな犠牲者のように。だから、相手への恐怖が生まれたのだ。
この怪物が自分の中でそのような存在に成る前に、殺して恐怖を拭い去らねばならないのだ。
「どうしても反対だと言うなら ―――――」
「付き合うわよ。
「あたしも賛成。こんなの放っておけないし、やられっ放しはしゃくだからね!」
皆まで言わせず、女魔術師と女武道家が賛同の意を示す。新米戦士と見習聖女は何も言わなかったが、振り返って顔を見ると緊張した面持ちながら二人もハッキリと頷いた。
一党の同意は得た。なら後は目標に向かって全力を尽くすだけだ。
こちらが隊列を整えると同時に、沼竜もまた《聖撃》の
「AAAAAARRRRRRRIIIIIG!」
瞳に殺意を漲らせ、一際大きな声で沼竜が叫ぶ。生理的な反射で一瞬身がビクリと跳ねるが、魔法剣士の心は揺れない。
この巨大な蜥蜴を殺すために何をすべきか。何が出来るか。自分と仲間の手札を合わせ、どのような役を作れば目的が成せるか。ただそれだけが頭の中を占め、感情の揺れを押し込めてしまう。
とはいえ作れる役は限られている。見習聖女は《聖撃》を使ってしまい、新米戦士は盾を ――――― 魔法剣士のせいで ――――― 失ってしまっている。そして彼らと組んでまだ日が浅い。複雑な連携は無理だろう。
ならばいつもの三人で勝負し、それでも足りない場合補ってもらう方向でいくべきだ。加えて言うなら、敵の方が強いのだから出し惜しみ無しに。
沼竜が驚くほどの速さで、地を這い接近してくる。だがこちらの方が速い。向こうは全身を動かす必要があるが ―――――
こっちが動かすのは、指先と頭。そして口だけなのだから。
「《
「AAARRRIGGG!?」
広刃の剣の柄に仕込んだ触媒に触れ、《
女魔術師の《
「油だ!」
「了解!」
魔法剣士が指示を出す前から既に油の入った瓶を取り出していた女武道家が、大きく振りかぶり沼竜の背中目掛け瓶を投げつける。
剣すら弾く硬い表皮は、瓶の破片如きでは傷一つつかない。だが構わない。油は大きく広がって糸と皮に付着した。
「焼け!」
「《
「AAAAAARRRRRRRRRIIIIIIIGGGGG!?」
女魔術師の持つ杖の先端から流星の如く撃ち出された《
その炎はバチバチと弾けるような音を上げながら沼竜の全身を包み、皮膚を焼きその中身……肉を焦がしていく。
生物にとって ――――― それこそ本物の竜のような例外を除けば ――――― 火とは致命的な弱点だ。硬いとか柔らかいとかで防げるものではない。
そしていかに生命力が高くとも、燃えてしまえば死は免れない。故にこの怪物相手にも有効な手のはずだ。そう魔法剣士は考えた。
その考え自体は間違っていなかった。油で燃える炎は地を転がったところでそう簡単には消えず、よしんば消せてもまだ彼らには火も燃料もある。
もう一度焼けば、死に至らずとも戦闘に致命的な支障をきたす痛痒を負う。そうすれば正面からやりあっても勝てる。
沼竜に火を消す手段がなければ、の話だが。
「AAAARRRRIGAAAAA!」
「あっ……!」
「まずっ……!」
女魔術師と女武道家が思わず声をあげる。魔法剣士もまた、内心で小さく叫んでいた。
沼竜は通路を転がり ――――― そのまま、水路へと落ちて……いや、水の中へ逃げて行った、というべきか。
いずれにせよ、水の中へと入られれば火は消えてしまう。普段の水量ならまだしも、雨で水量が増したこの状況では確実に消してしまえるだろう。
予測して然るべきだったのだが、常とは程遠い精神状態だったためか。あるいはこの手法に対する過信があったのか。とにかく魔法剣士の頭からはそれが抜け落ちていた。
「こ、これ不味くないか!?」
「水の中に入られちゃったら……!」
「落ち着け。大丈夫だ」
慌てふためく新米戦士と見習聖女に、「問題ない」といった態度で言い放つ。我ながらよくもまあ平気で嘘を言えるものだ、と
策などありはしない。正直に言えば魔法剣士もどうすればいいか分からない。だがそれを仮にも頭目である自分が表に出してしまえば、一党全体がどうにもならなくなってしまう。
二人をなだめ落ち着かせる言葉を発し、それを同時に自分自身へと言い聞かせる。大丈夫だと。いざとなれば出口はすぐなのだし、逃げ出せると。それにまだ策はあると。
「そうね、少なくとも逃げるだけなら何とかなるわ」
「大丈夫!彼が何とかなるって言うなら、絶対に何とかなる!」
嘘八百を並べ立てる魔法剣士を肯定するかのように、女魔術師と女武道家が声をあげる。
本当に信用してくれているのか、あるいは嘘だと気付いていながら肯定してくれているのか。前者ならば申し訳なく、後者ならさらに申し訳ない。
いずれにせよ、彼女らの言葉に新米戦士達は落ち着きを取り戻したようだった。ひとまず
そうしている最中、魔法剣士はふと頭の中で何かが閃くのを感じた。それは策、といった類のものではなく、単なる言葉遊びだった。
水路の中に沈んで逃げた沼竜を確実に仕留める。そんな妙案は浮かばない。
沈んで、逃げた。案は、浮かばない。
沈んだ。浮かばない。
沈めて、浮かばせない。
「……これだな」
誰にも聞こえないほど小さい声で、しかし自分でも驚くほどの自信を込めて彼はそう呟いた。
―――――
上顎の痛みと身体を焼かれる熱さ。その二つに悶え苦しみながら、
こんなはずではなかった。大きな五匹の餌を一方的に食べるだけのつもりだった。一度逃がした時はガッカリしたが、二度目に見かけた時は今度こそ逃がさず食べるつもりだった。
自分は奴らよりずっと大きい。ずっと力が強い。ずっと鋭い歯と、ずっと固い鱗を持っている。自分は食べる側で、向こうは食べられる側のはずだった。
一度目の時だってそうだった。ちょっと尻尾で殴ってやったら、雄のうちの一匹は吹き飛んで動かなくなった。どいつもこいつもその程度の生物のはずだった。
目が痛くなる何かを投げて来たりはしたけれど、奴らはその間に逃げる事しか出来ない。だから自分が気をつけさえすれば食えるはずだったのだ。
ところがそうではなかった。尻尾で殴り飛ばしてやった雄は自分の動きを止める糸を持っていた。
そいつとは別の雄はうろちょろして尻尾を避けたし、三匹の雌の中で一番肉付きの悪い雌は光って痺れる何かを飛ばしてきた。
それも痛かったが、一番肉付きのいい雌は火を飛ばしてきた。二回もだ。全身がヒリヒリと痛むし、鱗が一部剥げ落ちてしまった。
中くらいの雌は鳥みたいに高く飛んで自分を踏みつけてきた。鱗があるから大丈夫なはずが、何故だか衝撃が鱗を突き抜けて肉に響いた。
どいつもこいつも餌だったはずなのに、自分を脅かしてきた。ここまでされて、沼竜はようやく気付いた。奴らは『餌』ではなく『敵』だったのだ。
しかし連中が弱い事には変わりない。一度噛みついてやれば。そのまま身体を捻ってやれば。あっさり腕や足をもぎ取れるはずだ。
いや、噛みついて水に引きずり込むだけでいい。そうすれば連中はまともに動けないはずだ。そうすれば今まで食べてきた獲物と同じだ。
敵を逃がすつもりはない。全員水の中に引きずり込んで食ってやる。そう決意しながら、沼竜は水路の底へと潜って行き ―――――
潜っているのではなく、沈んでいる事に気付いた。
おかしい。何故だ。何故沈む。何故泳げない。手足を動かしているのに何故浮かない。
底に辿り着いても浮き上がる事は出来ず、床を蹴っても水面へと上がって行く事が出来いない。今まで出来ていた、これからも出来るはずだった事が出来ない。何故だ。
――――― 沼竜とは、強い生物である。下水の汚毒に侵される事も無く、全身を焼かれても命に別状もなく、もし腕や足を切り落とされたとて平気で動けるほどに。
故に彼らは術を知らない。使えない。必要としないから。世界の理を改竄するまでも無く、彼らは理の中で充分強いから。
だから今の状況が《
そしてそのまま、彼は水の中に沈み続けた。やがて身体だけでなく意識も沈んで行き ―――――
息をせずに生きていられる生物はいない、という理の通りになり。二度とその意識が浮かび上がる事はなかった。
―――――
やった、やったと。ジキヨシャと《幻想》は手を取り合って喜びます。駒達は力を合わせ、骰子の出目にも助けられ。無事に冒険をやり遂げたのです。
うまく行かず死んでしまったら悲しくて、うまく行って成功すれば大喜び。神様とはそういうものですから。
一方で《真実》は面白くなさそうです。《真実》としては運悪く格上の存在に遭遇してしまえば、死は突然に訪れる。そういう結果になると思っていたのです。
ですが骰子の出目は《真実》にだって変えられません。どんな出目が出るかは神様にだって分からず、出た出目は神様にだって変えられない。そういうものなのです。
それならば、と。《真実》は別の駒に手を伸ばします。
その名を聞けば誰もが震えあがる、悪名高い魔術師ならば。貴族や豪商との繋がりによって、至高神の天秤剣の前に連れて来られる事のない存在ならば。
幾多の冒険者が暗殺を試みても、誰一人成功せず今だ健在な実力者ならば。今のままでは充分とは言えないでしょう。
だからそれに相応しい駒にするつもりでした。それに、従えている僕もそれに合わせなければなりません。
ジキヨシャと《幻想》がはしゃいでいるうちに、そっと変えようとして ―――――
あっ、と《真実》は声を上げました。いつものように出目が悪かった……それも、よりによって完走直前で悪い出目を引いたアルティーエが転がって来たのです。
そしてアルティーエが勢いよく《真実》にぶつかったせいで、弄るつもりのなかった駒まで弄ってしまいました。
一瞬しまった、という顔を《真実》はしましたが、すぐに大笑い。えてしてこういう偶然に運命は左右される、というのが紛れも無く世の中の《真実》というものでしょう。
ジキヨシャと《幻想》も流石に気付いて「あーっ!」と叫びますが、もう手遅れです。なにせ《真実》にも何処を弄ったか分からなくなってしまったのですから。
この事がどのようにこの世界を変えていくのか、どんな
それは誰にも分かりません。神様にだって分からないのです。
とりあえず「ふーざーけーるーなー!」とか「ああああああああーッ!!(発狂)」とか叫んでいるアルティーエを強制的に元の卓に戻して再走させながら、ジキヨシャ達は卓を見直します。
この卓の駒ではない駒が紛れ込んだり、駒の位置があちこち変わっていたりしますがもうこれは直せません。
それに、何処にいようと。どんな駒であろうと。神々は愛しているのですから、必要以上に弄ろうとは思いません。《真実》だって、ほんのちょっとだけのつもりだったのですから。
それに、駒の配置が変わったって駒は懸命に生きて、死んでいくのです。それでいいではありませんか。
配置が変わったって、あの変な駒は相変わらずサイコロを振らせてくれませんけど。
なので神々は、このまま見守る事にしました。
Q.《真実》はいったい何を?
A.魔法剣士君達のレベル上昇に合わせて、火吹き山のデータをちょっと弄ろうとしただけです。GMがよくやる調整です。
Q.アルティーエは何故こんな事を?
A.延々再走させられ続けた挙句、ゴール寸前でガバって台無しになったら誰だって転がる。
なおワニは本当に腕や足を失っても失血死したりする事は珍しく、そのまま活動しても感染症にかからないぐらい生命力が強いそうです。
活動報告であげた診断結果の中で、どれが一番読みたいですか?(書くとは限らない)
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魔法剣士【綴られた手紙】
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令嬢【どうか、叶えて】
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女魔術師【君のワガママ】
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魔法剣士と令嬢【忘れてください】
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魔法剣士と女魔術師【貴方の為だけの】
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三人【騙し騙され愛し愛され】