百地希留耶は救われたい。   作:初登校です

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夢心地、笑顔、太陽はいつもそばに

どこまでも澄み切った青空と草原。遠くのほうにうっすらと塔のような見えるが、よく見えない。

人っ子一人いないこの空間に、あたしだけがいる。多忙な都会に、流されるままの日常からの解放を味わった時は清々した気分になる。でも、結局は孤独が心を蝕んでいくことは変わらず。

唐突に現れたソレは、ちっちゃな男の子だった。あどけない顔は直立不動でこちらを見つめている。

 

見つめている。

 

 

見つめている。

 

 

 

その目は、孔雀の羽根のようにソレを中心に広がって増えていく。目を瞑って涙を流す目も所々混じりながら。青々と広がっていた世界は、あっという間にソレに支配される。この空間に、あたしだけがいる。でもそれは終わろうとしているようだ。誰にも聞こえない悲鳴が、闇に吸い込まれる。

飲み込まれる刹那、懐かしい声が聞こえた気がした。

 

「―――」

 

 

 

 

意識が戻ってきたのを感じる。霞む視界が徐々にはっきりとしてくる。そして今のが夢だったことを理解した。寝汗でジメジメとした空間が不快感を加速させる。布団を出たわけじゃないのに、全身を寒気が襲う。せっかくの休みの始まりが台無しじゃない。二度寝でもしてやろうかと一瞬考えるが、もう一度寝たら、今度こそ目を覚まさなくなりそうで躊躇われる。

 

「――ごめーん!じゃあ今日は任せちゃうね、明日にゃまた連絡するから、うん、はーい」

 

電話が終わったようで、足音が近づいてきて部屋のドアが開けられる。

 

「おっ目ぇ覚めた?よかったぁ、希留耶(きるや)のおかげで休日出勤はなし!感謝感謝」

 

そう言いながらベッドにもぐりこんでくるママ。燦々とした笑顔と豊満な胸に包まれながら、ちょっと暑苦しさを感じ、それと同時にちょっと寒い。抵抗しようにも手足にうまく力が入らない。ああ、イヤでも自分が風邪を引いていることを実感する。まあ、あれだけ昨日雨に濡れてしまったらそうなるのも無理はないというか、自業自得というか。昨日の破滅願望のような行動といい、それに転じてアイツからむしりとってやろうとか画策していた場面がフラッシュバックする。恥ずかしくて消えてしまいたい...思わず顔を胸に埋める。

 

「...ったく、いつまでもそうしてたら冷えピタ張れないよ?」

 

 

「ん」

 

 

「ほんと、ママがいないといかんねこれは...うん」

 

 

眩しい微笑みが、目に焼き付いて離れない。...やられっぱなしが癪だったので、目の前のほっぺを手で包む。

目の前のはてな顔の口角を、親指で下げてやる。

 

 

「んー、やっふぁらぁああ!」

 

 

寝技を決めんとばかりに襲いかかってくる。いやもうやられる。やられた。最初にベッドに入ってきたときと同じように、胸の中に抱き寄せられぎゅーっと固められる、打つ手なし。と、そこに着信という救いの手が鳴り響く。と思ったのもつかの間、ママは携帯を取ると真顔で勝手に出てしまった。

 

「えっちょ」

 

 

「もしもし、希留耶の母です。どちらさまで」

 

 

「はあ、はあ、あ、あの...」

 

 

あ、アイツ...タイミングが悪いというかママが悪いというか。なんでかかなり息切らしてるし。あたしが出られたなら知り合いってことで話は変わってたかもだけど、こうなった以上ママの警戒が解けない限り話は打ち止めだろう。今アイツとあんまり話したい気分じゃないし、余計な口出しはしないでおこうか。

 

 

「あ、あの子の住所がわからないから電話をしました」

 

 

その言葉が発せられた瞬間、ママの目がどこか遠くを見つめている死んだ魚のようなものに見えてきた、気がする。あんなに笑顔だったのに。外面モード真顔バージョンの瞳には、不審者を通報しようとする意志だけが感じられた。どうしてこうなった。

 

 

「あたしが助けてあげた人なのよソイツは、こほっこほっ」

 

 

いきなり大声を出そうとするとやはりこうなるか。でもこのままじゃ顔見知りを犯罪者にしかねないので、助け舟を出さざるを得なかった。第一印象不審者から、どうやったら元に戻せるかしら。

 

 

「ん、知り合いなの?この人」

 

 

ママが尋ねる。

 

 

「ん、まあ公園でちょっと助けたっていうか、たまたまだけどね」

 

 

そう答えると何故かじっと顔を見つめてくるママ。

 

 

「...ふーんそう、ならお兄さんちょっと迎えに行って来るわ」

 

 

「えっ」

 

 

そう言うとアイツに今いる場所を聞き出して、そこで待機するように言った。切り替えの早さと手際の良さに困惑する。それほど準備もせずに出かけられるようで、あたしの部屋から出るのも早かった。でも見てしまったのだ。去り際のあのニヤついた顔を。ああイヤだ。何を考えてるかわからないから、余計に恐怖を駆り立てる。まともな思考をしているのは自分だけなのではないかと思ってしまう。うちの周りには距離感がバグってる奴が多すぎるのは、多分間違ってない。あたしは籠絡されないから。風邪だからって正常な思考を保てないわけがない。

 

ひまだ。火照った頭と体が、周りの人間の異常性について考えることを拒む。それよりも出会ってからほとんど日もないヤツに、こんな無防備な姿を晒すことになりそうなことに焦る。空腹も相まって、この状況にイラついてくる。カーテンから差し込んでくる朝日が、鬱陶しいくらいに眩しかった。

 

ただいまー、と玄関から聞こえる推定9時。あー、これでご飯とかがなかったらアイツらぶっ殺すわ。とりあえず黙って様子を伺うことにする。布団で顔を半分隠して、見えるように目を出す。

 

 

「おかゆ作ってくるから、希留耶の部屋で待ってて岸くん」

 

 

変な気を使ってか、そう言ってママは行ってしまった。いや寧ろ気を使ってない。じゃなければ娘を男と二人きりにしようとは思わないはずだ。無害判定するのが早すぎやしないか、どんな心境の変化よ。

 

 

「希留耶っていうんだね、名前」

 

 

「え、ええそうですね...」

 

 

優樹(ゆうき)、よろしくね」

 

 

「はい...」

 

 

おかしい。おかしいですよこの空気。昨日名乗らなかったのが悪いんだけど、ここでそんなこと言う?普通。脳内に流れるのはいつかおばあちゃんから聞いたお見合い話の一端がこんな感じだったなあという回想。

 

それも一瞬で、現実に引き戻される。

 

 

「そういやなんでうちに来ようとしてたんですか?」

 

 

「希留耶ちゃんが暗闇に覆われる夢を見たんだ」

 

 

聞いたところ、どうやらあたしたちは同じ夢を見たらしい。それで心配して家を飛び出したんだと。なんとも無鉄砲な話だった。

 

 

「そんな後先考えないで...意味ないですよ、最初からあたしに聞いてください」

 

 

「そうだね、でもちゃんと会えた」

 

優男スマイルをぶつけられ、思わず目を逸らす。椅子に座って頬杖をついて見つめる、この不審者め。顔に似合わず逞しい二の腕が、長袖のTシャツを捲った所から見える、そしてその奥から見える鎖骨は汗で濡れていて、思わず目が吸い寄せられる。考えないようにしてたのに...うう〜、なんで自分だけが部屋に男女二人きりってことを意識しなくちゃなんないのよ!顔が熱くなっていくのを止められない。

 

 

「顔赤いよ、大丈夫?な、何かできることは...」

 

 

そうね、こいつにも同じ目に合ってもらおうかしら。

 

 

「アナタにもできる使命はありますよ。人間は、昔から肌を直接触れ合わせることで、マナを供給してきたとされています。こういった場合のおまじないのひとつに、おなかに手のひらを乗せ"の"の字を書くことで、満遍なくマナが行き渡るという言い伝えがあります」

 

 

空腹とゆでダコのような熱い頭が合わさって、もう完全に雰囲気で喋っていた。まあでもちゃんと伝わっていれば、後はコイツが恥ずかしがって置物みたく固まるのを待つだけだ。

 

 

「端的に言えば、おなかに"の"の字を書けばいいんだよね?」

 

 

「ええ...まあそうですけど」

 

 

「わかった。じゃあ布団めくるよ」

 

 

思考が鈍っている隙を突く一手は、あまりにも早く感じた。コイツが固まると思っていたものだから、声も出る間も無く布団とパジャマのお腹部分をめくられてしまった。でもここで動揺したら負けな気がする。実際におなかを触って、今の状況を意識してあたふたするのはアンタよ!

何故か人差し指を立てたそれを、胸とおへその間に向けて下ろし始めた。そしてそのままツツーっと"の"の字をぐるぐると書き出した。

 

 

「ふふっ...くくっ...」

 

 

あまりにもくすぐったくて、色気のない声を漏らしてしまった。

 

 

「大丈夫?寒かったりしない?」

 

 

「そういう問題じゃなくて、あたし手のひらって言いましたよね?あたしはあなたのおもちゃじゃないんですからね」

 

 

ああごめんね、と目の前の距離感バグ野郎は謝った。もう完全に女として見られてないんだなってわかってしまった。自分の今回の算段は、色気内蔵済みでなければ発揮せずに終わることを失念していたのだ。こんなひんそーなカラダで臨んだのがばかだった。意気消沈とともに、敗北の余韻を感じた。

 

そう思ったのもつかの間、今度は無言で手のひらがおなかに乗せられた。ゆっくりとていねいに、その固いてのひらは熱を広げていく。なんでこんなときに気を張り詰めてるんだろうと思わずため息をつく。時計の針とさする音だけが、部屋に広がる。とても心地よい空間に、心がじんわりと暖かくなっていった。

 

 

ぐぎゅるるるるるる...

 

 

...

 

 

「希留耶おまたせ〜、特製しらすと卵のおかゆだよ☆おや、仲睦まじいですねぬふっ」

 

 

「うるさい、おそーい!こほっこほっ」

 

 

狙いすましたかのようにそれまでの空気を壊しに来た笑顔のママは、アイツの目の前でお粥をあーんするという公開処刑を執行するのだった。

 

 

じゃあ何かあったら呼んでね、と部屋を出た嵐は、部屋にまた静けさを生んだ。

 

 

「...希留耶ちゃんにとって、僕は何?」

 

 

突然そんなことを尋ねてくる。

 

 

「...ペット?」

 

 

「え?」

 

 

「いや、だって昨日アナタは私が助けなかったら死んでたかもしれないじゃないですか」

 

 

違う、それはあたし。

 

 

「救われたアナタは忠誠を誓って、尽くさなければならないんですよ」

 

 

あたしは、主従や目的の為じゃないと、関係を築けない。無能で薄汚れた本性を晒してしまえば、主人に見放されあたしは全部失ってしまう。

口に出してしまった後悔の念が、視線を下げさせる。

 

 

「そうかもね...ありがとう」

 

 

目の前のペットは、あたしのくだらない理論を受け入れ、満面の笑みを見せる。ああ、そんな笑顔が羨ましい。じゃあね、と言ってあたしの頭を撫でると、部屋を出て行ってしまった。昼下がりの光がカーテンの隙間からチラチラと差してくる。

 

 

「...何がありがとうよ、意味わかんないし」

 

 

「...希留耶もそんな顔できるようになったのね」

 

 

気づけば部屋に入って来ていたママと、鏡のように微笑み合っていた。




翌日に風邪を移してないかが心配だったので、電話をしてみた。


「全然へーきだよ」


「そう、ならよかったです」


横からいるママを見ながら、なんとかとあほは風邪を引かないと結論付けたのだった。

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