オールマイト「マイワイフは女子高生」 作:ワイフマン教授
志村奈々。彼女は強く、優しく、愛情深く、正義に生きた人だった。本当に立派なヒーローだった。しかし、灯台の下は暗いとは実によく言ったもので、彼女はOFA継承者として立派に戦った代わりに、自身にとって最も大切なものを守ることができなかった。
そしてそれはオールマイトにも言えることだった。
「私の妻の話だが、彼女は元々ヴィラン事件の被害者でね。一度は救出したものの、またヴィランに狙われる可能性のあった彼女を、私は仲間と共に一時匿っていた時期があった」
自分の妻には悪いと思いながらも、オールマイトは多少ぼかしながらそれを語る。
「そんな日々の中で、ある時、彼女が自衛のために個性を鍛えようと無茶な事をしているのを見つけて私はそれを止めたんだが…そしたら『常に一緒に居て守ってくれるわけじゃない癖に口出しをするな』と言われた」
「えっ……!?」
まだ緑谷少年に聞かせるべきでない情報も多く含んでいるため敢えて詳細は省いたが、実際はこんなさらりとした話ではなかった。
6年前…AFOとの闘いが続いていた頃のことだ。桃香はまだ11歳だった。
当時、多忙極めるオールマイトは、仕事の合間を縫って数日に1度程度の頻度で彼女を匿う場所を訪れ、彼女と食事を共にしたり、都合がつけば共に外出したりする生活をしていた。
そんなある日、普段とは違う時間に都合がついて、桃香を驚かせようと連絡もなしにこっそりセーフハウスを訪れたところ、キッチンから強い芳香が漂っていた。そして、そこには見られてはならないものを見られたという表情の桃香が居て、彼女の片手とシンクは鮮血に染まっていた。
オールマイトが問いただすと、個性を鍛えるために自傷をしていたという。
焦りと驚きのまま二度とそのような事をするなと叱責すると、桃香はそれを上回る剣幕で怒鳴り返してきた。
「僕だって好きでこんなことやってるわけじゃない。自分の身を守るために必要だと思ったからやってるんです」
「じゃあ、どう助けてくれるっていうんですか」
「僕が攫われて、個性を奪われて、殴られて、犯されて、ついに殺されそうになったころにようやくやってきて『助けて』くれるんですか」
「四六時中一緒にいて守ってくれるわけじゃないくせに、『大丈夫』とか軽々しく言うな!!!」
オールマイトはその時の事を未だに時折夢に見る。
彼女の身になってみれば当然のことだった。
彼女の個性はAFOにとって非常に有用なもので、彼女の存在が知れればAFO自らが襲撃をかけてくる可能性もあった。もしもそうなった時、それを止められるものはオールマイトだけだ。しかし、そのオールマイトがいつも傍には居ないのだ。
オールマイト達とて、AFOの動向やその他情報の監視には手を尽くしていたし、もしもの事があればいつでも駆けつけられるように最大限の心配りをしていた。だが、それが実際に命を脅かされている彼女にとって果たしてどれだけの慰めになっただろうか。
彼女はもしAFOに個性を奪われる瞬間が訪れたとしたら、その前に自ら死を選ぶつもりでいただろう。交流の中でオールマイトはそれを察していた。
当時、まだ小学生だった少女がそんな覚悟をしていたのだ。
怒鳴り返された直後、返す言葉を見出せなくて呆然と立ち尽くすオールマイトに、我に返った桃香は涙を流しながら縋りついてきた。
「ごめんなさい」と繰り返すその声をオールマイトは一生忘れないだろう。
今現在、時折オールマイトが桃香と暮らす家にサプライズ気味に唐突に帰宅することがあるのも、この時のことと無関係ではない。
「冷や水を浴びせられた気分だったよ。結局私達は彼女を救ってなどいなかったし現在進行形で守れてすらいなかったんだということを突き付けられた。彼女はヒーローに囲まれながらも不安の中に生きていて、自分で自分の身を守ろうとしていたんだ」
「で、でも、それは……!」
オールマイトが語ったことに対して緑谷少年は何かを言いかけた、しかし、結局言葉にできずに飲み込んだ。
オールマイトはそれを見てひとつ頷いた。他ならぬ緑谷少年にはそれを口にしてほしくなかった。
頑張っていたんだから仕方のない事だとか、たった一人を守るためにオールマイトを拘束することは合理的ではないとか、それらしい、まっとうな意見はいくらでもあるだろう。しかし、それらは「誰かを諦める」ことを肯定する言葉以外の何物でもない。
その果てにあるものが、先代継承者の救われなかった息子や孫なのだ。
しかも。
「しかも、彼女の懸念は正しかった」
「えっ…!?」
「彼女を狙う可能性があるヴィランというのは、私にとって不倶戴天の敵とも言える凶悪なヴィランだった」
AFO…悪の帝王。
これも今の話の本筋とずれるためオールマイトは敢えて詳細には語らなかったが、緑谷少年にはいずれその存在とOFAとの関係も説明しなくてはならない、
「結局、私はそのヴィランを討ち果たしたんだが…最後の戦いの後も、奴は息を潜めて数年間生きながらえていたんだ。そしてその数年間のうちに奴は私の妻の存在を知ったらしい。たまたまそうしなかったというだけで、奴はその気になれば最後の力を振り絞って彼女を襲撃できたんだよ」
オールマイト自身も負傷を癒して過ごしていたその期間、常に桃香の周りに万全なフォローがあったわけではなかった。もしものことがあった時、彼女が頼りにできるものは己の鍛えた力だけだっただろう。
そして彼女の個性がAFOに渡ってしまえば、オールマイトの治療は中断し、AFOは復活する。彼女も生きては帰らなかっただろう。全てがおしまいだった。
「この事を私に教えてくれたのは、そのヴィランの後継者を名乗る男だった」
『志村転弧』…またの名を『死柄木弔』と名乗る男。
曰く、AFOは桃香を襲撃するという一か八かの賭けよりも、後継者を育てることを優先したという。
「そしてその男というのは…さっき話した、私の師匠の孫でもある」
「………」
緑谷少年は返事を返さなかった。
オールマイトがそちらをちらりと見ると、緑谷少年はこわばった表情のまま下を向いてわなわなと震えるばかりだった。あまりの情報量に、心の処理が追いつかないのだろう。
「彼が私にぶつけてきた言葉…一言一句違わず思い出せるよ」
オールマイトはそれを察しながら、敢えて話をつづけた。
これをもう一度語ることはオールマイトにとっても辛い事だ。だからこそ今、この機会に全て話しておきたかった。
半年前の、冬のある日の事だった。
突如現れた死柄木弔は、出会いがしらのたった一言でオールマイトを縛った。
『よう、平和の象徴。動くなよ。さもなければ俺の仲間が邉桃香をお前の思いもよらないような悪質な方法で徹底的に苦しめてから殺す』
最初、オールマイトは目の前に現れた白髪の男が親し気な口調で一体何を言っているのか理解できなかった。そして、理解が追いつくと戦慄した。
目の前の男は、邉桃香という少女の存在を知っていて、さらに彼女がオールマイトにとって格別の人質になり得ると知っている。
しかも、オールマイトの観察眼は、その男が自らに追随するほどの戦闘力を持っていることを見抜いた。
状況は最悪だったが、この段階ではまだ必死に逆転の手を探る気概をオールマイトは持っていた。
しかし、白髪の男…死柄木弔がAFOの後継者であると名乗り、自らの来歴を滔々と語りはじめると、オールマイトの心は自分でも驚くほど容易く折れた。
一通り語り終えた死柄木弔は、絶望の表情のまま立ち尽くしているオールマイトを見て、さも愉快そうに嘲笑いながら黒い靄の中に姿を消していった。
死柄木弔が去っていくのをただ見送った後、我に返ったオールマイトは必死にセーフハウスへと駆けた。幸いにも桃香はいつも通りの様子で、息せききってやってきたオールマイトを不思議そうな表情で迎えてくれた。
結果的には、あの日、死柄木弔はオールマイトと言葉を交わしただけだった。
だが、オールマイトは確信している。
死柄木弔がその気になれば彼が最初に言った事が実現しただろう。彼にはそれを為せるだけの力があった。
死柄木弔は去り際に言い放った。
『あんたらはこの国を守ったかもしれないけどな』
『肝心なものは一つも守れちゃいない』
それはオールマイトだけではなく、彼の祖母…志村奈々にも向けられた言葉であることは明らかだった。
『命だけじゃなく心も助けてこそ真のヒーローだと私は思う』……師の言葉だ。
その師の手から零れ落ちた者が、最悪のヴィランとなった。
オールマイトもまたそれと同じだった。
最も救うべき者を全く守れていなかった。失わずに済んだのは、ただ単に運が良かったからだ。
死柄木弔がもし桃香を害していたならば、オールマイトは純粋な心で彼を憎むことができただろう。
しかし、彼はそれをしなかった。
平和の象徴とは何か。ヒーローとは一体何なのか。死柄木弔はひたすらに、全存在をもってそれを問いかけていた。
そしてオールマイトはその問いに答えを返すことができなかった。
苦難の人生を歩んできたオールマイトをして、これほどの挫折は他に無かった。
こうしてオールマイトは、自らというヒーローが斜陽を迎えたことを明確に自覚した。
過去に思いを馳せていたオールマイトの耳に、潮騒の音が戻ってくる。
苦しい回想とは裏腹に、よく晴れた夏の海はこの上なく爽やかだった。
「死柄木弔が何を考えているのかは依然として分からないままだが、いずれにせよ、若く力を増していく彼にこれから老いる一方の私は抗しきれない。彼が師匠の孫だとか、そういう私の心情を抜きにしても、私にはもう死柄木弔を討つことができない」
「………」
「ヒーローとして恥ずべきことだが、私も戦いを次の世代に引き継がなければならない時が来てしまった。だから、私は後継者を探していたんだ」
オールマイトは隣で緑谷少年が身じろぎするのを感じた。
「…オールマイトは」
そして発せられた彼の言葉は、意外なものだった。
「後継者ができたから奥さんと結婚する踏ん切りがついたんですね」
「ああ」
躊躇うことなくオールマイトはそれを肯定した。
「彼女を守らなければならない。彼女を守りたい。その思いはずっと変わらない。死柄木弔との邂逅を経て、その思いは一層強く明確になった」
平和の象徴はここまでだ。しかし、残りの生涯をかけて今度こそたった一人守るべき人を守る。
いつ何時何者が来ようが、他の全てを放り出してでも絶対に桃香を守る。それが死柄木弔に対するオールマイトの最後の意地だ。
「でもな。ナンバーワンヒーローとか、平和の象徴とか、そういう立場から離れて改めてそう考えた時、私は彼女を愛していることに気付いたんだ」
ヒーローの権化であるオールマイトが他者に対して抱く認識は、「市民」か「仲間」か「敵」の三通りしか無かった。そうでなければならなかった。
だが、平和の象徴を引退することを考える中で、オールマイトは初めてその思考から解き放たれて物事を捉えることができた。そしてそれと同時に、オールマイトは彼女に対して格別の思いを抱いていることを自覚した。
はっきり言って、それは性愛ではなかった。
桃香は友人の忘れ形見で、オールマイトが救うことのできなかった人で、命を削るほどの傷を癒してくれた恩人だ。それでいて親子ほどの歳の差もあるのだから、ヒーローとしての立場が無かったとしても下心など向くはずもない。
しかし、彼女のひたむきで地に足のついた好意が、オールマイトの考えを変えさせた。
彼女の思いに応えてあげたいという気持ちと、彼女を一人の女性として愛することで自分もまたよろこびを得ることができるだろうというヒーローらしからぬ身勝手で打算的な確信。それらが結びついて、オールマイトは彼女を己の唯一の人にすることを選んだのだった。
ただ、これはどう飾り立てようとも、結局のところオールマイトが他の人を守ることを止めて彼女だけを守ることにしたという話に違いない。これを知れば世間はどういう感想を抱くだろうか。
オールマイトは緑谷少年を見やる。
「軽蔑したかな?」
「いえ」
即答だった。
ふいに目が合う。
濃い緑髪の少年。彼もまたオールマイトを見返していた。そしてその目は強い光を湛えていた。
それを見てオールマイトは、彼を後継者として指名したことが間違いではなかったことを確信し、魂が熱くなるような感覚を覚えた。
「緑谷少年」
オールマイトもまた強い思いを込めて、緑谷少年の目を見た。
「君は何かを守るために何かを捨てないでくれ。私が死柄木弔に提示することのできなかった答えを出してほしいんだ」
これこそがオールマイトが最も伝えたかった事だった。
オールマイトは最後まで桃香とその他大勢を天秤にかけることしかできなかった。先代もそうだ。
だが、今はオールマイト達が駆けた時代よりもずっと平和で、そしてOFAもオールマイトの代を経ることで大きく力を増している。
死柄木弔という不確定要素は居る。しかし、今だからこそ目指せるはずなのだ。
オールマイトの、その先を。
One For All(一人
緑谷少年は大きく頷いた。
だいぶ引っ張りましたが、主人公とオールマイトの過去はこれで3分の2くらい語ることが出来ました。
あと3分の1はまたいずれ…