神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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初めまして。再アニメ化に乗っかって、フルバの二次小説を書いてみました。
いきなり申し訳ありませんが、今回の話には嘔吐表現と残酷な描写が出てきます。苦手な方、お食事中の方はご注意を。


高校1年生編
01「おいてっちゃヤダ!」


 僕が小さい頃、実兄のはとりは色んな話を読み聞かせてくれた。桃太郎、金太郎、一寸法師、北風と太陽、花咲かじいさん、おおきなかぶ等々。

 中でも1番印象に残ったのは、十二支の昔話だ。僕が生まれた草摩(そうま)家は十二支と因縁がある家系だから、当然と言えば当然なんだけど。

 

「昔々、神様が動物達に告げた。『明日、私が開く宴会に招待しよう。決して遅れないように』と」

「おくれたらタイヘンだね。あきと、おこるとこわいよ」

建視(けんし)が思うほど慊人(あきと)は怖くない。建視の中にいる物の怪が、必要以上に怖がっているだけだ」

「にいさんはとしうえだから、あきとはコワくないっていえるんだよ」

 

 不満そうに唇を尖らせた僕に、兄さんは「そうかもしれないが、俺が言った事も覚えておけ」と言い聞かせた。そして話を続ける。

 

「神様の招待を受けた動物達はとても喜び、自分が1番に宴会の会場に到着するのだと張り切った。ところが、昼間から寝ていた猫は神様の言葉を途中からしか聞いておらず、いつ宴会が開かれるか知らなかった」

「ネコはえんかいにでちゃダメじゃないの?」

 

 周囲の大人達が「猫憑きは仲間外れにされて当然」と話しているのを聞いた事があったから、僕は純粋に疑問を投げかけた。

 兄さんは悲しそうに目を伏せて、「……昔話では招かれていたんだ」と答える。

 

「宴会に行きたいと思った猫は、近所に住む鼠に宴会が開かれる日を聞きに行った。知恵の回る鼠は競争相手を減らすため、宴会の日は明後日だと嘘を吐いた」

「ゆきはウソつきだ」

「昔話の鼠と由希(ゆき)は別物だ」

 

 注意を促した兄さんは、少し躊躇いながら続きを話す。

 

「宴会の当日に鼠は牛の背に乗り、宴会の会場の前でヒラリと飛び降りて1番に到着した」

「はつはるにのってイチバンになるなんて、ゆきはずるい」

「別物だと言っただろう。由希は建視と同い年の従弟なんだから、仲良くしてやれ」

「……ネズミは“とくべつ”だから、なかよくできないよ」

 

 十二支の頂点に座す(ねずみ)憑きは、十二支の中で1番偉くて1番神様に近い存在だと称賛される。

 僕と同い年の従弟(由希)が特別扱いされている事も、気に入らなかったけど。草摩の主治医だった僕の父さんが、気管支が弱い由希を気にかけて頻繁に診察している事が何より気に食わなかった。

 父さんは僕を疎んでいたから尚更。

 

 幼い僕の不機嫌の原因を察したのか、兄さんは宥めるように僕の頭をくしゃりと撫でる。両親に愛されなくても、兄さんが僕を慈しんでくれるから充分だった。

 小さかった頃の僕にとって……いや、成長した今でも僕にとって兄さんは、心の中で物凄く大きなウェイトを占める大切な存在だ。

 

「鼠の次は、牛・虎・兎・竜・蛇・馬・羊・猿・鳥・犬・猪という順番で到着した」

「にいさんは、ごばんめだね」

 

 真面目な兄さんは「正確に言うと俺ではなく、俺の中にいる物の怪だ」と訂正を入れる。

 

「12匹の動物が集った宴会の最中に、神様は『私の力を見せてあげよう』と言い、宴会で使われた盃に命を吹き込んだ。すると、盃は人の言葉を話す付喪神(つくもがみ)となった」

「おれのなかにいるヤツ?」

「そうだ。盃の付喪神を見た動物達は驚き、神様は凄いと褒め称えた」

「あきともおなじコトできる?」

「できない。……慊人は盃に命を吹き込めないと、他の人に言うなよ」

 

 兄さんは真剣な顔で釘を刺してきたから、僕は「わかった」と良い子のお返事をした。

 

「宴会は朝まで楽しく行われ、神様と動物達はまた宴会を開こうと約束してから、それぞれの住まいへと帰った。猫が宴会の会場に着いた時は、盃の付喪神しか残っていなかった」

「おれ、おいていかれた!?」

「――昔話の盃の付喪神と建視は別物だ」

 

 草摩家は十二支と深い関わりがある家系だ。幼い僕でもそれは知っていたので、別物と言われても不安は拭いきれない。

 

「おいてっちゃヤダ!」

「俺は建視を置いていかないから、落ち着け」

「やくそく! ゆびきりして」

「……ああ、わかった」

 

 申し訳なさそうに指切りをした兄さんは、10歳差の兄弟だから自分が先に他界する可能性が高いと解っていたはずだ。

 それを告げられたら幼少期の僕は泣き喚いたと思うので、優しい嘘を吐いた兄さんを責めようなんて思わない。

 兄さんが語った十二支の昔話は草摩家独自の説話だと話さなかった事も、兄さんの優しさだろう。

 

 

 

「一般的に知られている十二支の昔話には、盃の付喪神は登場しないんだよ。猫でさえ出番があるのにね」

 

 幼い顔に嘲笑を浮かべた慊人にそう告げられ、僕は動揺した。昔話や草摩家の中で、散々な扱いを受けている猫以下の存在だと暗に言われたんだ。そりゃショックを受けた。

 それよりも兄さんが僕に情報を伏せていた事の方が、精神的な打撃は大きかった。当時の僕は、兄さんは猫以下の存在の僕を本当は嫌っているから、隠し事をしたんじゃないかと思ってしまった。

 足元が崩れるような絶望を味わった僕に救いの手を差し伸べるように、慊人はごく優しい声で言い聞かせる。

 

「『外』の世界に広まっている十二支の昔話は紛い物だ。僕達をつなぐ“絆”だけが本物。それをよく覚えておいて」

 

 脳裏に刻み込むように言い聞かせる慊人の言葉を、僕は疑う事なく受け入れた。

 父さんと母さんは実の息子である僕を拒絶したから、家族の絆は信用できない。

 物の怪憑き同士の“絆”を疑ったら、僕は兄さんと兄弟でいられなくなるような気がしたから、慊人の言葉をひたすら信じるしかなかった。

 

 

▼△

 

 

「おぇぇぇ……がはっ!」

 

 僕は高級ホテルの男子トイレの個室に籠って、リバースしていた。

 催吐剤を飲んで胃の中を空っぽにする作業は何度も行っているとはいえ、酸っぱいものが込みあげる感覚は慣れない。

 吐き出すものが胃液だけになったところで、トイレットペーパーで口元を拭って水を流して個室から出る。

 

 広々とした洗面台に向かうと、憔悴した高校1年生の男子が大きな鏡に映っていた。

 僕の目鼻立ちは日本人らしいあっさりとした涼しげな造形で、面立ち()()は兄のはとりにそっくりだとよく言われる。

 

 僕は着ていた黒の学ランを脱いで洗面台の隅に置き、ワイシャツの袖を捲って黒い絹の手袋を外す。

 センサー式の蛇口から出てくる水を両手で掬い、口の中を念入りに濯いでから口の周りを水で洗い流し、ポケットから取り出したハンカチで顔と手を拭く。

 

 短く切り揃えた真紅の髪が少し乱れていたので、鏡を見ながら手で軽く整える。鏡の中からこちらを見返す奥二重の目の虹彩は、鮮やかな赤だ。

 派手な髪色と目の色のせいで僕はヤンキーだとよく間違われるが、髪は地毛だしカラーコンタクトは使用していない。

 僕の赤髪赤目は物の怪に憑かれた証……という言い方をすると、漫画やライトノベルの影響を受けて自分設定を作り上げちゃったイタい奴みたいだが、事実なのだから仕方ない。

 

 草摩の人間は何百年も昔から、十二支と同じ物の怪に憑かれている。十二支以外の物の怪を身に宿す者が2人いるけど。

 1人は、十二支に入れなかった猫の物の怪に憑かれた者。もう1人は、盃の付喪神に憑かれた者――僕だ。

 盃の付喪神憑きも他の物の怪憑きと同じように、体が弱ったり異性に抱きつかれたりすると異形の姿に変身してしまう。“絆”でつながった仲間の異性と抱き合った場合は、何故か変身しないけど。

 

 草摩家に伝わる古文書によれば、400年以上前に盃の付喪神憑きが初めて誕生した時、草摩一族は恐慌状態に陥ったらしい。

 十二支の昔話に登場しないモノが生まれるなんて、新たな災いが降りかかったのではないか。多種多様な器物の付喪神憑きが、続々誕生するのではないか。などと、誰もが恐れたようだ。

 当時の草摩家に生まれていた十二支憑きが、盃の付喪神憑きも“絆”でつながった仲間だと主張したおかげで、盃の付喪神憑きは物の怪憑きの一員として認められた。

 そして盃の付喪神が登場する草摩家独自の十二支の昔話が作られ、今に受け継がれている……って、僕は誰に向かって説明しているんだろう。現実逃避したいから、あれこれ考えちゃうのかな。

 

 気を取り直して手袋をはめて、ワイシャツの袖を直して学ランを着てトイレから出る。

 スラックスのポケットから、小さな筒状のピルケースを取り出す。口の中で溶けた口臭ケア用のサプリメントは爽やかなミントの風味がしたけど、気分まで爽快にはならなかった。

 

 

 

 僕は草摩家の当主がいるスイートルームに戻り、華美なシャンデリアが天井から下がる洋風の応接間へと向かう。

 

「遅いぞ、建視」

 

 ネイビースーツを着た線の細い人物が、苛立たしげな声を投げつけてきた。

 ショートボブに切り揃えた艶のある黒髪に、長い睫毛に縁取られた漆黒の目。すっと通った鼻筋に、淡く色付いた花弁のような唇。病弱と出不精が祟ったせいで青白い肌。

 浮世離れした中性的な美貌を持つ彼の貴人こそ、国内でも有数の名家として知られる草摩家の頂点に、19歳の若さで君臨する当主の慊人だ。

 

「ごめん、慊人」

「また吐いたな。外部の依頼を請け負うようになって3年近く経つのに、まだ慣れないのか?」

「……ごめん」

「建視はいずれ僕の側近になるんだから、慣れる努力をしろ。……説教は後回しだ。そこに座れ」

 

 どんなに頑張っても慣れないし、慣れてしまったら人として終わりだと思うけど、本音をぶっちゃけたら慊人に叱責されるのは目に見えている。

 僕はお口チャックして、レザーソファに腰掛ける慊人の隣に座った。

 

 慊人から指示を受けた護衛役が、応接間から出て行って数分後。見知らぬ2人の男を連れて戻ってきた。

 1人は50代後半で、もう1人は40代後半といった処か。2人ともスーツを着たビジネスマン風の出で立ちだけど、隙のない歩き方をしているから私服警官だろう。

 

「草摩の御当主様にお目にかかれて光栄です」

 

 挨拶と自己紹介をした私服警官は、今回の依頼について話し始めた。

 衆議院議員の娘が帰宅途中に何者かに刺殺された事件の捜査を行ったものの、3年経った今になっても依然として犯人の手掛かりは掴めていない。

 何としても犯人を見つけ出したい議員は、政財界で密かに囁かれる草摩家にまつわる噂を聞きつけて、交渉に交渉を重ねたらしい。

 その噂とは、草摩家の者が超能力を使って未解決事件を解決に導く手掛かりを得たという、オカルトじみた話だろう。

 

 物の怪憑きの存在は草摩家のトップシークレットの1つだから外部に漏れていないけど、物品に宿る人の残留思念を読む力を持つ僕が、警察の捜査に時折協力している事は口コミでひっそり広がっているようだ。

 

 残留思念を読む力というと、漫画や小説に出てくる接触感応能力(サイコメトリー)のようだけど、あらゆるものから残留思念を読み取れる訳じゃない。

 僕が読み取り可能な対象は、人が1年以上使った物品のみだ。

 この力は盃の付喪神憑きであるが故の副産物だから、付喪神となる条件を備えた物品しか残留思念を読み取れないのではないかと推測されている。

 まるで世の中に付喪神がたくさんいるような推測だけど、僕以外の付喪神って見た事ないよ。

 

 更に、だ。条件にあてはまる物品なら問題なく読み取れるという訳でもなく、慊人と物の怪憑きの残留思念は読めない。

 親しき仲にも礼儀ありって精神は、物の怪にもあるのかな? そんな配慮をする必要があるなら、僕も他の物の怪憑きみたいに動物と意思疎通できる力が欲しかったよ。

 

「これが事件当時、被害者女性が履いていた靴です」

 

 私服警官の1人が持っていたアルミ製のアタッシュケースを、大理石で出来たテーブルの上に置いて開ける。中には透明な証拠品袋に包まれた、ベージュ色のパンプスが入っていた。

 事件の遺留品は管轄の署内から持ち出しが禁じられているらしいけど、僕が捜査協力する場合は特例として認められたと聞いている。

 

「ここに触れて下さい」

 

 白い手袋をはめた私服警官は、証拠品袋から取り出したパンプスを指差す。パンプスの中敷きの土踏まず部分に、2センチ×2センチ程度の四角い枠の白いシールが貼られていた。

 物品から人の残留思念を読み取るには、素手で触れる必要がある。事件の遺留品に素手で触る事は警察官にも許されていないが、これも特例らしい。

 遺留品に付着していた指紋と僕が触れた跡を区別するため、警察の捜査に協力するようになった時、僕は両手の指紋を取られている。

 

 それはともかく、刺殺か……。事件当時の残留思念はかなりエグいだろうな。

 読みたくないけど、任務の報酬は前払いで僕の口座に振り込まれるからやらなきゃいかん。

 

 残留思念を読む任務をこなすと、草摩の本家から200万円の報酬が与えられる。高校1年生のクセにこんなに貰うのはチョイと許せんとコメントされそうだが、僕は自分の取り分が少ないと思う。

 草摩家の当主の慊人がたった200万円で動く訳がない。依頼主はウン千万円あるいは億単位の依頼料を、草摩家に納めているはずだ。

 僕が報酬に関する文句を言うと、ピンハネしている草摩の上層部に睨まれそうだから黙っているけど。

 

 深呼吸してから、僕は右手の手袋を外す。慊人の命令で僕は常に手袋をはめているけど、風呂と洗顔とトイレと任務の時は例外だ。

 僕は自分の意思で力のオンオフができないから、慊人に命令されなくても手袋をはめて生活せざるを得ないんだけど。

 

 指定された枠の内側に人差し指で触れた瞬間、女性の悲痛な叫び声が頭の中に直接響く。

 胸部を刺された苦痛、初対面の犯人に対する怯えと疑問と恨み、自分の命が失われる絶望と恐怖、愛しい人に会えなくなる悲哀──

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」

「……っ!? 君、大丈夫か? 私の声は聞こえているか? 返事はできるか?」

「痛いぃ! 苦しいぃ! 助けて助けて、痛い痛い痛いよ、誰か……お父さん、お母さん……っ!」

「御当主様、中止した方が良いのでは……?」

「それには及びません。僕が声をかければ意識を取り戻します。建視、気をしっかり保て」

 

 被害者の残留思念に呑まれかけたけど、慊人に呼びかけられて我に返る。正直に言えば、あのまま気絶したかった。

 刃物で刺された激痛が生々しく残っている。悲鳴を上げているのは僕の精神なのか、被害者の記憶なのか判別できない。

 

「あき、と……」

「僕は建視の側にいるよ。大丈夫、何も怖くないからね」

 

 慊人は宥めるように言い聞かせながら、僕の左手を握ってきた。

 この手をずっと握っていたい気持ちと、今すぐ手を振り払って逃げたい気持ちが僕の心の中でせめぎ合う。

 

「僕の役に立ってよ、建視。……役立たずはいらない」

 

 耳元で囁かれた瞬間、僕の胸の奥に潜む盃の付喪神が慟哭を上げる。

 

──役に立つから、何でもするから、お願いだから見捨てないで!

 

 物の怪憑きの魂を統べる支配者(あるじ)の慊人に見捨てられる事は、物の怪憑きにとってこの世の終わりも同然に感じる。

 被害者の残留思念から伝わってきた死の恐怖を、あっという間に塗り替えた。

 

 僕の人としての自我は完全にグロッキー状態だったので、盃の付喪神の意志に従って僕の体が勝手に動く。震える右手で、遺留品のパンプスに再び触れる。

 またもや被害者の残留思念が頭の中に流れ込んできて、僕は反射的に手を引きそうになったけど、盃の付喪神が僕の弱った意思をねじ伏せた。

 事件当時の状況を細部まで確認させられる。刃物を持って狂笑を浮かべた犯人に刺された場面が見えた時は、胃液が逆流した。

 慊人の前で見苦しい姿を晒す訳にはいかないと盃の付喪神が主張したので、喉が勝手に胃液を飲み込んだ。

 

 必要な情報を収集し終えた頃には、フルマラソンをした後のように肩で息をしていた。僕は震える手でポケットからハンカチを取り出し、脂汗と涙と鼻水に塗れた顔を拭う。

 

「休憩にしよう。何か飲み物を用意するから、少し待っていてくれ」

 

 私服警官が気を使って提案してきた。

 

「――お気遣いなく。記憶が鮮明な内に……話した方がいいですから……」

 

 僕はもっともらしい言い訳をしたけど、早く家に帰りたい一心だった。

 犯人の人相と体型、おおよその身長と年齢、着ていた服を伝える。話している内に殺人現場の記憶が思い浮かび、再び吐き気を催す。

 スケッチブックを取り出した私服警官が素早く描き上げた絵を見て、僕が何箇所か訂正を入れて、犯人の似顔絵が完成した。

 

「捜査へのご協力に感謝致します」

「一刻も早い事件解決を願っています」

 

 私服警官と慊人のやり取りを、僕はどこか遠くに聞いた。

 被害者の苦悶と嘆きと怨嗟がまだ頭の中に残っていて、心の中がぐちゃぐちゃに掻き乱されている。

 

 僕は覚束ない足取りで高級ホテルから出て、草摩家の送迎車の後部座席に乗った。

 ここからが正念場だ。弱った自分を奮い立たせてから、僕の隣に座る慊人に頼み込む。

 

「慊人、今回の事件の残留思念は自分の中で処理し切れない。記憶を隠蔽する許可を出して……」

「またか。はとりの隠蔽術は、建視のためにある訳じゃないんだぞ。忙しいはとりに負担をかけているとは思わないのか?」

 

 嫌というほど思っている。僕が任務に赴くたび、兄さんは悲痛な顔で見送るから。

 だけど、殺された人の残留思念を実体験のように見ておきながら、平然としていられるほど強靭な心は持ち合わせていない。

 いっそのこと心が壊れて何も感じなくなってしまえばいいと思う時もあるけど、僕がそんな状態になったら兄さんは悲しみに押し潰されてしまうだろう。

 兄さんが心を病んでしまっても何も感じない抜け殻に成り果てるのは、死んでも御免だ。

 

「頼むよ、慊人……お願い……」

 

 僕は座席に両手をついて、頭を下げて懇願した。

 慊人は優越感を滲ませた声で、「顔を上げろ」と命じる。

 言われた通りにすると、慊人が深い闇を思わせる黒い瞳を嗜虐的に細めていた。

 

「建視は十二支の正式な仲間じゃないけど、その力は使える。それを理解しているのは僕だけだ。悲しい事に草摩の人間の多くは、建視を恐れているからね」

 

 慊人の言葉が呼び水になって、親戚から向けられた忌避の視線と敵意に満ちた言葉が脳裏に蘇る。

 

――残留思念を読むなんて、気味が悪い……。

――盃の付喪神憑きなんかを産んだせいで、私の娘は悲惨な最期を迎えた。

――先代の盃の付喪神憑きのように、あれも力を乱用するかもしれない。あれを野放しにせず、幽閉するべきだ。

 

 猫憑きみたいに幽閉されて一生を終えるなんて嫌だ。(きょう)、ごめん。僕は最低のクズ野郎だ。

 自己嫌悪と絶望に浸って項垂れていたら、僕の顎を持ち上げる手があった。誰の手、なんて確かめるまでもない。

 愉悦を含んだ薄笑いを浮かべた慊人が、僕を見下ろしている。

 

「建視はその命が尽きるまで、僕だけに全てを捧げて生きるんだ。……返事は?」

「……うん。ぼくは、あきとに、すべてをささげていきる」

「その言葉、絶対に違えるなよ」

 

 鋭い声で念を押した慊人は僕を抱きしめて、「はとりが建視に隠蔽術を施す事を許可してあげる」と言った。

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