神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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13「杞紗が入院!?」

 花島(はなじま)さんの家で、焼肉パーティーを満喫した日の夜。

 僕が居間のソファに座って録画したアニメを観ていたら、暗い表情で帰宅した兄さんがぞっとするような報せを告げた。

 

杞紗(きさ)が入院!? 全治2週間の怪我って……杞紗は交通事故にでも遭ったのか?」

「いいや。……杞紗は慊人(あきと)に殴られたんだ」

 

 それを聞いた瞬間、僕の顔から血の気が引く。

 慊人に結婚の許可を乞いに行った兄さんと佳菜(かな)さんが、心身共にボロボロになって帰ってきた日を思い出してしまった。

 

建視(けんし)、大丈夫か?」

 

 兄さんが心配そうに声をかけてきたので、僕は「大丈夫」と答える。

 辛い記憶が蘇って動揺したけど、それは兄さんも同じだろう。いや、同じじゃない。佳菜さんとの思い出と、左目の視力をほぼ奪われた兄さんの方が心痛は深いはずだ。

 以前の僕は自分の事で手一杯だったけど、あれから成長したのだから兄さんを気遣える心の余裕を持ちたい。

 

「慊人はどうして、杞紗に暴力を振るったんだろう?」

 

 今年の春に中学1年生になる(とら)憑きの杞紗は、大人しい性格をしている。楽羅(かぐら)姉のように感情が昂って、当主の屋敷にある物をブチ壊して慊人の不興を買うような暴挙は絶対にしない。

 答えを後回しにした兄さんは僕の隣に腰掛け、トラウザーズのポケットからシガレットケースを取り出した。兄さんは鬱屈した気持ちを紛らわすように紫煙を燻らせてから、おもむろに話し出す。

 

燈路(ひろ)が慊人に会って、杞紗に好意を抱いていると打ち明けたんだ」

「な……んで、そんな無謀な真似を……」

 

 兄さんが左目を怪我した経緯を、知らない訳じゃないだろうに。

 ……いや、今年の春に小学6年生に進級する燈路は知らなかったのだろう。物の怪憑きの中で最年少の燈路に教えるのは酷だからと、情報が伏せられていたのかもしれない。

 

「燈路はまだ幼いから、()()を慊人に言ったらどうなるなんて考えもつかなかっただろうし、あえて口にしないと怖かったのかもしれない」

 

 僕は慊人に恋愛関係の話を振ってはいけないと心に刻まれているから、自分の想いを積極的に慊人に明かした燈路の考えが理解できない。

 というより、燈路のように想いが先走ってしまうほど強い恋情を抱いた事がないから、理解が及ばないと言った方が正しい。

 

 強い恋情か……僕には縁がない感情だな。

 

 緩やかに波打つ長い黒髪をなびかせる花島さんの姿が、脳裏に浮かんだけど。友愛と恋愛を取り違えるなと自分に言い聞かせて、思考を中断する。

 

 

 

 杞紗の心が幾らか落ち着いた頃にお見舞いに行こうと思い、27日に紅葉(もみじ)と一緒に杞紗が入院している病院に行く予定を入れたのだが。

 春休みに入って4日経った26日の夜、慊人の世話役の1人からメールが送られてきた。明日の午前中、残留思念を読む任務を行うという報せだ。

 

「……任務の前日に通達するのはやめてくれって、頼んだのに……」

 

 僕が任務を嫌がって逃げるかもしれないから、日取りを明らかにしないのか。あるいは任務が行われる日時を不明確にする事で、僕に心理的圧力をかけるのが目的か。

 草摩(そうま)の上層部は僕を抑えこむためなら手段を選ばないから、両方だろう。

 

 僕は紅葉にメールを送って、急な予定が入ったから杞紗のお見舞いに行けなくなったと知らせる。

 紅葉は任務が入った事を察したのか、『キサのお見舞いは別の日にしようね!』と返信してきた。

 慊人から暴行を受けた杞紗を前にしたら、大怪我を負った兄さんと重なってしまいそうなので、僕1人でお見舞いに行くのは精神的にキツイ。紅葉の心遣いを有難く受け取って、僕はスケジュールを立て直した。

 

 

 

▼△

 

 

 

 Side:はとり

 

 

 不安と焦燥感に駆られながら、任務に赴いた建視の帰りを待っていた。建視が正気を保った状態で戻ってきてくれる保証はないので、毎回生きた心地がしない。

 

 ようやく玄関でチャイムの音が聞こえた。

 俺は半ば駆け足で玄関へと向かう。廊下で俺と擦れ違った家政婦が驚いていたが、形振り構っていられない。

 

 玄関に入ってきた学ラン姿の建視を見た時、胸が潰れるような思いがした。

 生気が失せた顔は蒼白で、真紅の瞳は焦点が合っていない。立っているのも辛いのか、震えながら壁に手を突いている。

 俺は急いで建視に近寄ってローファーを脱がせてから、肩を貸して家の中に連れて行く。弟の部屋に入ってベッドの上に横たえてやると、建視がたどたどしい言葉を発する。

 

「あきと……きょか、くれた」

「解った。よく耐えたな」

 

 俺は右手で建視の目元を覆って、精神を苛む記憶を隠蔽した。

 全身から力が抜けた建視は意識を失ったが、まだ気は抜けない。一定の期間を置いて隠蔽術の重ねがけを施さないと、フラッシュバックを起こす恐れがある。

 建視の精神の均衡は危ういバランスで保たれている。それは今に始まった事ではないが。

 

 建視は5歳頃から毎日のように慊人の屋敷に通って、物品に宿る人の残留思念を読む力の検証を強要された。

 由希(ゆき)が生まれるまで誕生しなかった(ねずみ)憑きとは違い、盃の付喪神憑きはこれまで何人も生まれている。

 その力の検証は既に行われているはずだが、先代の盃の付喪神憑きが生まれたのは、約200年前だった。

 江戸時代から現代に至るまで多種多様な物品が作り出されたので、残留思念を読み取れるものと読み取れないものを調べる必要がある。と、いうのが草摩の上層部の言い分だ。

 

 検証に用いられた物品の中には、おぞましい記憶が宿ったものがあったのだろう。建視は検証の最中に何度も発狂しかけた。

 俺は父さんに検証をやめさせてほしいと頼み込んだが、上層部の一員だった父さんは「草摩家の繁栄のために必要な事だ」と言って一顧だにしなかった。

 先代の当主が夭折した事を主治医として責任を感じていた父さんは、病弱な慊人を殊更大切にしていた。慊人の支持基盤を盤石にするためなら、幼い建視を使い勝手のいい道具に仕立てる事も厭わなかったのだろうか。

 

 ……俺が佳菜と建視を連れて草摩から出ていれば、建視は精神を蝕む任務を押しつけられずに済んだかもしれない。俺は愛する女性と一緒になれたかもしれない。

 仮定は幾つも思い浮かぶけれど、俺が慊人に逆らう強い意志を持てなかった時点で、明るい未来は閉ざされたのだから考えても詮無いことだ。

 

「……すまない」

 

 光に向かって進もうとしている建視を、草摩の闇から解放してやれない。次から次へと溢れてくる懺悔の念を押しとどめ、弟が着ている学ランを脱がせた。

 制服のままでは寝辛いだろうから、建視が寝巻きとして使っている浴衣に着替えさせる。建視の体が大きくなったと感じたが、今はそれが無性に悲しかった。

 

 

 

▼△

 

 

 

 Side:建視

 

 

 3月30日の午前中に僕と紅葉は杞紗を見舞うため、寅憑きの従妹が入院している草摩総合病院へと赴いた。

 1階の面会受付で手続きをしてから、エレベーターに乗って病棟に向かう。受付で言われた通り、ナースステーションに立ち寄って草摩杞紗に面会しにきた事を告げる。

 

 女性の看護師に教えてもらった杞紗の病室に向かう途中、(ひつじ)憑きの従弟と鉢合わせた。

 小学6年生になる燈路は背伸びしたいお年頃なのか、白のTシャツの上にオリーブグリーンの長袖のミリタリーシャツを羽織り、黒のハーフパンツを穿いたワイルドな装いをしている。

 毛先が跳ねた薄茶色の髪と吊り目がちな茶色の瞳も相俟って、小生意気そうな雰囲気を普段は纏っているのだが、今は見るからに意気消沈していた。

 

「あっ、ヒロだ! ヒロもキサのお見舞いに来たの?」

「……見れば判るだろ」

 

 口達者な燈路の鋭い弁舌は鳴りを潜め、言い返す声も弱々しい。聡い燈路は自分の発言が慊人の逆鱗に触れ、その怒りが杞紗に向かったと悟ったのだろう。

 

「燈路は杞紗に何を差し入れしたんだ?」

 

 杞紗の様子を聞くのは躊躇われたから、僕は当たり障りのない質問をした。

 燈路は僕が持っているバスケットタイプのフラワーアレンジメントをちらりと見てから、「花をあげたよ」と答える。

 

「あっちゃあ、燈路とかぶったな」

「いっぱい花があったほうが、キサは喜ぶよっ」

「花が大量にあると香りが鼻につくと思うぞ。いっその事、フラワーロックにすればよかったか」

 

 僕が冗談半分で言うと、紅葉が「フラワーロックって何?」と聞いてきた。

 

「サングラスをかけて楽器を持ったヒマワリの造花が、周囲の音に反応して踊るように動く玩具の名称だよ。……よく考えたら、フラワーロックは植木鉢の花だから駄目だな」

 

 紅葉が首を傾げて、「ウエキバチの花だと何でダメなの?」と疑問を投げかけた。

 

「根が付いている植木鉢の花は寝付くという言葉を連想させるから、お見舞いに持っていっちゃダメって花屋のお姉さんが言っていたんだ」

「でも、フラワーロックはオモチャなんだから根っこはナイでしょ。それならダイジョーブ!」

「ここは病院なんだから静かにしなよ。2人ともオレより年上のくせに、一般常識ってものを知らない訳? TPOを弁えてない訳? アンタ達と一緒にいるとオレまでマナーが悪い若者だと思われそうだから、オレはお先に失礼するよ。じゃあね」

 

 怒る事で燈路はいつもの調子を少し取り戻したようだ。燈路が溜め込みすぎないように、しばらく様子を見守った方がいいかもしれない。

 

 

 

 目当ての病室のドアを僕がノックして開ける。

 ベッドの上で上体を起こしていた杞紗は窓の外を眺めていたけど、訪れた僕達に気付いてゆっくりと振り向く。肩の上で切り揃えられた、茶色を帯びた黄色い髪がさらりと揺れる。

 前髪の両サイドの髪は長く伸ばして、フェイスラインに沿って垂らしているけど、顔に負った怪我を隠し切れていない。杞紗の左頬を大きなガーゼが覆い、目の下や首にあざや掠り傷が見受けられる。

 暴行を受けたショックがまだ尾を引いているのか、杞紗の琥珀色の瞳は虚ろだ。

 

 こんなになるまで痛めつけなくたって……。従妹の痛々しい姿を目にして、僕は絶句した。

 左目を負傷した兄さんや心を病んだ佳菜さんと重なったから、という理由だけじゃない。

 杞紗の愛らしくて小さな顔を狙って攻撃した、慊人の女性に対する激しい憎悪を感じ取って背筋が凍った。

 

「キサ、お見舞いに来たよ」

「身体の具合はどうだ?」

「……お兄ちゃん達、来てくれてありがとう。身体の具合はあんまり良くない……」

「ジュース持ってきたけど、飲むのツライ?」

「飲むのは大丈夫……紅葉お兄ちゃん、ありがとう。建視お兄ちゃんも、お花を持ってきてくれてありがとう……」

 

 顔の筋肉を動かすと傷に響くのか、杞紗は礼を言う途中で痛みに耐えるように眉を寄せた。これでは食事をするのも苦行だろう。

 

「さっき廊下でヒロと会ったよ。病院なんだから静かにって言われちゃったの」

「そういや燈路も花を持ってきたって聞いたけど、どこに飾ったんだ?」

「燈路ちゃんがくれたお花は、お母さんが花瓶に活けてくれているよ……」

 

 病室のドアが開いて、ピンクの八重咲きのトルコキキョウを活けた花瓶を持った女性が入ってきた。30代半ばのショートヘアの彼女は、杞紗の母親の沙良(さら)おばさんだ。

 

「……杞紗のお見舞いに来てくれたの? どうもありがとう」

 

 沙良おばさんは笑顔で応対したけど、疲労が浮かんでいた。看病疲れもあるだろうが、落ち度はない杞紗が殴られた事への怒りや、草摩の当主に抗議できない不満が溜まっているのだろう。

 長居すると沙良おばさんにも負担をかけてしまうので、僕と紅葉は挨拶もそこそこに病室を後にした。

 

「待って。建視君に聞きたい事があるの」

 

 思いつめた表情を浮かべた沙良おばさんに、廊下で呼び止められた。気を利かせた紅葉は、「1階の売店に行っているね」と告げて立ち去る。

 僕と沙良おばさんは病棟の休憩室に向かい、窓際のテーブルの席に向かい合って座った。沙良おばさんは自分達の他に誰もいない休憩室を見渡してから、おもむろに口を開く。

 

「建視君は慊人さんに近しいから、知っているんじゃないの? 今回、杞紗が暴力を振るわれた理由を……」

 

 物の怪憑きの子供を持つ母親は、過保護か育児放棄の2タイプに分かれる。前者である沙良おばさんに慊人が逆上した理由を馬鹿正直に話したら、燈路に仕返ししかねない。

 考えすぎかもしれないが、沙良おばさんの据わった目を見ていると不安になる。

 

「いいえ、知りません。お役に立てず申し訳ありません」

 

 沙良おばさんは探るように僕を見つめてから、「そう……」と呟いて席を立った。

 

 慊人が杞紗に暴力を振るった原因究明をしたがる沙良おばさんは、燈路にも同様の質問をするかもしれない。罪悪感に負けた燈路が、自分のせいだと告白したら……。

 遠ざかる沙良おばさんの危うげな背中を見送りながら、僕は漠然とした不安を抱いた。




杞紗の母親の名前は独自設定です。
穏やかではないラストになってしまいましたが、高校1年生編はこれでおしまいです。次回から高校2年生編が始まります。
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