神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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20「嫌われたくなかったんですよ」

 ゴールデンウィークの最終日は、朝から雨が降っていた。

 僕は紅葉(もみじ)の家に遊びに行って別荘での出来事を話しつつ、(うさぎ)憑きの従弟と2人でドイツの有名なボードゲームのガイスターに興じた。

 青い印のついた良いお化けのコマと、赤い印のついた悪いお化けのコマを、ルールに則って盤上で動かして遊ぶ。チェスよりルールは簡単で難しくないけど、相手に揺さぶりをかける盤外戦術が物を言う面白いゲームだ。

 

「そういや紅葉、最近ヴァイオリンの練習をしてないな」

「うん。ずっとついていた先生のトコもやめちゃったから」

 

 あっさりと告げられた言葉に驚いて、「は?」と間抜けな声を出してしまう。

 紅葉のヴァイオリンの腕前はただの習い事の域を超えており、有名な指導者の先生にプロの道を目指すように何度も勧められたらしい。

 大勢の人が集まるコンクール会場で、兎に変身してしまうと隠蔽しきれないという理由で、紅葉はプロになるための登竜門に挑む事さえできないけど。それでも紅葉は腐らず、ヴァイオリンを楽しく弾いていたはずだ。

 

「……なんで辞めたんだ?」

「モモも同じ先生について、ヴァイオリンを習い始めたんだ。だからパパは、ボクにヴァイオリンをやめてほしいんだと思う……本音は」

 

 草摩(そうま)の「外」で紅葉の両親と暮らしているモモちゃんは、紅葉が自分の実兄である事を知らない。紅葉の父親の聡嗣(そうし)おじさんが、意図的に教えていないからだ。

 

 紅葉と対面したモモちゃんが「紅葉とママは似ているね」と言い出して、それを紅葉の母親のマルグリットおばさんが聞いたらフラッシュバックを引き起こして、隠蔽術に綻びが生じるんじゃないか。

 聡嗣おじさんはそう考え、妻が再び錯乱状態に陥る事態を恐れているのだろう。

 僕からしてみれば、慎重になりすぎているように思える。兄さんがマルグリットおばさんに隠蔽術の重ねがけを厳重に施したから、彼女が卯憑きの息子を思い出す事はない。

 

 大体モモちゃんと紅葉の接近を嫌がるなら、モモちゃんに他のヴァイオリン指導者を勧めればいい話だろう。

 紅葉はヴァイオリン弾きになる夢を叶えるため、小さい頃から努力してきたんだぞ。物の怪憑きである限り叶う事がない夢だけど、それでも諦めずに練習を重ねていたのに。

 聡嗣おじさんを非難する言葉が出そうになったけど、ぐっと堪えた。

 家族の事情は親子や兄弟でさえ、把握しきれない事柄がある。不用意な発言をして、紅葉を傷つけるような事はしたくない。

 

「ヴァイオリンはこっそり続けろよ。本田(ほんだ)さんも聞きたがると思うし」

「そうかな? トールはどんな曲が好きなんだろ」

「別荘に向かうバスの中でカラオケをした時、本田さんは『翼をく○さい』と『君を○せて』と『見上げて○らん夜の星を』を歌っていたよ」

「いいなぁ、ボクもトールと一緒に歌いた……」

 

 紅葉の言葉を遮るように、僕の携帯電話から着信音が鳴り響いた。画面には“楽羅(かぐら)姉”と表示されている。

 

『建ちゃん、大変っ! さっちゃんが……さっちゃんがいなくなっちゃったの!』

 

 動揺する楽羅姉の話では、杞紗(きさ)は行先を告げる書き置きを残さずに家を出たようだ。しかも(とら)憑きの従妹は、ここ数日食事を拒否しているから弱って変身してしまう恐れがあるという。

 

 楽羅姉との通話を終えた僕は紅葉に向かって、杞紗が家出して行方不明になったと話す。

 紅葉は驚愕と悲痛を浮かべたが、すぐに顔を引き締めて「ボクもキサを捜すよ!」と言った。

 

「皆で手分けして捜そう。紅葉は春に連絡を取ってくれ。春は迷子になる可能性があるから、携帯電話を必ず持って出るように釘を刺して」

「わかった」

 

 僕は燈路(ひろ)の携帯に電話をかける。コール音が途切れて通話状態になった瞬間、冷静さを欠いた(ひつじ)憑きの従弟の声が受話口から響く。

 

『何の用っ!? 今は悠長に話をしている場合じゃないんだけど!?』

「杞紗が家出したんだろ? 僕達も捜すから、杞紗が行きそうな場所を教えてくれ」

 

 杞紗の名前を聞いて頭が冷えたのか。燈路は打って変わって弱々しい声で、心当たりのある場所を次々と挙げていった。

 

『……建兄に頼みがある』

「何だ?」

『杞紗が外で変身しちゃってその瞬間を誰かに見られたら、杞紗は絶対に傷つく……っ。杞紗がこれ以上傷つくのは、嫌なんだ。杞紗が変身する処を誰かに見られた場合、杞紗の記憶も隠蔽してってとり兄に頼んでよ……』

 

 燈路の必死な懇願は、聞いている僕の胸を痛切に抉った。

 

「……隠蔽術を行使するか否かの決定権は、慊人(あきと)にあるんだ」

 

 燈路の告白を聞いた慊人は杞紗に対する嫌悪を強めたから、僕が慊人に頼み込んでも杞紗の辛い記憶を隠蔽する許可は出さない。

 僕は任務で読み取った残留思念を抱えきれず、兄さんに隠蔽術を施してもらっているのに。罪悪感が心に重くのしかかった。

 

『そんな……っ。それじゃ杞紗は、杞紗は……っ』

「燈路、落ち着け。最悪の事態が起きる前に、杞紗を捜し出すんだ」

『落ち着いてなんかいられないよっ! 建兄は慊人に気に入られているんでしょ? 杞紗を気にかけてくれているなら、慊人に頼んでよ!』

 

 杞紗のために頼み事をしたら、また慊人が怒って杞紗に暴力を振るう可能性がある。燈路を落ち着かせるべく、嘘も方便で「頼んでみる」と答えた方がいいのか。

 だけど、危惧している事態が本当に起きてしまったら、慊人への依頼を実行に移さなくてはいけない。

 僕が迷っていると、燈路は何も言わずに電話を切った。燈路の中で、僕の株が大暴落したに違いない。

 

「ケン、ダイジョーブ?」

 

 春との連絡を終えた紅葉が、気遣わしげな視線を送ってきた。

 

「僕は平気だけど、燈路がかなり切羽詰まっている。早く杞紗を見つけないと……」

 

 まずは捜索場所の分担だ。

 紅葉は草摩の子供達が遊び場にしている高台の空き地。春は杞紗のお気に入りのカフェ。楽羅姉は杞紗がよく買い物に行くデパート。

 

 僕は草摩の専属ドライバーさんが運転する車に乗って、杞紗と燈路が通っていた図書館へと向かう。

 館内とその周辺をくまなく捜したが杞紗の姿は見当たらず、杞紗の変身後の姿である虎の幼獣も発見できなかった。

 

 次に向かったのは植物園だ。ここは小学生だった頃の杞紗が、仲良くしていた女友達と初めて遊びに行った思い出の場所らしい。

 

「すみません。ちょっとお尋ねしたい事があるのですが。今日、こういう子が入園しませんでしたか?」

 

 僕はバッグから取り出した杞紗の写真を掲げて、植物園の入口の受付係に尋ねた。

 受付係は首を横に振ってから、「そういえば15分程前に、同じ女の子の写真を持った女性が入園なさいました」と言う。

 

「その女性も女の子を捜していらっしゃるようでしたが、何と言いますか……虚ろで危なっかしいご様子でした」

 

 多分、杞紗の母親の沙良(さら)おばさんだ。沙良おばさんは、母娘で訪れたオルゴールの博物館を捜索中と聞いていたけど、植物園に移動したのか。

 植物園の受付係が杞紗を見かけていないのに沙良おばさんが入園したのは、虎に変身した杞紗が入口以外の場所から侵入した可能性を考慮したからだろう。

 

 ここの捜索は沙良おばさんに任せて、別の場所を捜した方が効率はいいのだが。受付係の言葉が気になったので、僕は入園料を払って園内の捜索を開始する。

 小雨が降っていたけど園内は無人ではなく、傘をさしながら花や木々を眺める客の姿がぽつぽつと見受けられた。

 杞紗の名前を叫びながら捜し回ると他の客の迷惑になるので、僕は観賞する振りをしながらツツジの茂みを覗き込んで虎の幼獣を捜した。

 

「――紗、どこにいるの?」

 

 聞き覚えのある声が耳に届いた。そちらに向かうと、傘を片手に持った沙良おばさんがシャクヤクの茂みを掻き分けている。

 園内の植物に触らないでください、と注意喚起する立て看板は見なかったが、乱暴に触るとまずいかもしれない。

 

「沙良おばさん、手を止めて」

「杞紗、いい加減出てきて。お出かけするのを嫌がったのに、なんで家出するの。なんでお母さんが作ったご飯を食べないの」

 

 僕の呼びかけを無視した沙良おばさんは、独り言を呟きながら別のシャクヤクの茂みへと歩く。

 

「お母さんの事が嫌いなの? 十二支憑きとして産んだお母さんを恨んでいるの? ……私が悪いの? 杞紗がいじめられたのは、私のせいなの?」

 

 自らの精神を削るような独白を聞いて、自分を責め続けて心を病んだ佳菜(かな)さんの姿と重なった。沙良おばさんの精神状態を察した僕は、不吉な予感に囚われる。

 ピリリリリ、と着信音が唐突に鳴り響いて我に返った。僕はバッグから携帯電話を取り出す。

 

「春、どうした?」

『杞紗を見つけた。今、杞紗と一緒に先生の家にいる……』

「そうか、良かった……ところで、なんでぐれ兄の家にいるんだ?」

『変身した杞紗が、本田(ほんだ)さんの手を咬んだから……手当てが必要』

 

 どうして本田さんが、杞紗に咬まれる羽目になったのか。疑問に思ったけど、変身したという件の方が気になった。

 

「異性にぶつかって変身したんじゃ……」

『騒ぎになっていなかったから、それはないと思う。単に弱っただけみたい』

 

 それを聞いて僕は胸を撫で下ろす。

 杞紗が更なる心の傷を負わなかった事への安堵が大きいけど、慊人に頼み込む事態にならずに済んで安心した気持ちもある。保身に走った自分に嫌悪感を抱いたが、それは脇に置いておく。

 

 春との通話を終了した僕は、口を開きかけて躊躇った。危うい状態の沙良おばさんを、杞紗に対面させていいものか。

 だけど、杞紗が見つかった事を実の親に伏せておく訳にはいかない。

 

「……沙良おばさん、杞紗が見つかりました」

 

 さっきまで僕の言葉に反応しなかった沙良おばさんだが、杞紗の名前を聞くなり獲物を見つけた獣のような俊敏さでこちらに近づいてきた。

 

「杞紗はどこにいるの?」

「ぐれ兄の家です」

 

 娘の居所を知った沙良おばさんは、迷いのない足取りで植物園の出口へと走る。

 僕と沙良おばさんは別々の車に乗って、ぐれ兄の家に向かった。

 

 

 

 ぐれ兄の家に到着した頃には雨が止んでいたので、僕はバッグだけ持って車から降りた。

 

「杞紗さん!」

 

 家の裏手から本田さんの声が聞こえた。玄関に足を向けていた沙良おばさんは、声が聞こえた方向へと進路を変える。

 成り行きによっては、杞紗と沙良おばさんを引き離す必要があるかもしれない。そう考えた僕は沙良おばさんの後を追いかける。

 

「とりあえず、お家の中に入りませんか? 杞紗さん……っ」

 

 本田さんは、虎に変身した杞紗に右手を咬まれながら話しかけていた。その光景を見た僕は、指を咬まれながら迷子のキツネリスを宥めた風の谷の少女を連想してしまう。

 

「杞紗……お母さんよ。ねぇ、あなた何やっているの? 周りに迷惑ばっかりかけて何しているの? 何を考えているの? お母さん困らせて、楽しい?」

 

 物置の陰に隠れる杞紗の前にしゃがみ込んだ沙良おばさんは、一方的に杞紗を問い詰めた。

 

「沙良おばさん、話は後にして杞紗の咬みつき攻撃をやめさせよう。本田さんが怪我している」

「あ、建視(けんし)さん……」

 

 僕は本田さんに向かって軽く手を挙げてから、後ろを振り返る。誰か近づいてきていると思ったら由希(ゆき)だった。

 

「なんでイジメにあっていた事言わなかったの? なんで家出なんかするの? どうして何も言わないの。……もう、つかれた……もう、イヤ……」

 

 顔から感情が抜け落ちた沙良おばさんは、全てを投げ出す言葉を零した。色々と限界を迎えてしまっている沙良おばさんを咎めても、事態は悪化する一方だ。

 杞紗を連れて、この場から離れよう。距離を置いて冷却期間を設ければ、冷静に話し合いができるかもしれない。

 (うま)憑きのリン姉の家族みたいに、親子関係が元通りにならない可能性に関しては考えたくなかった。僕が杞紗に近づいた時、本田さんが静かに言葉を紡ぐ。

 

「言えないです……『イジメられている』なんて、やっぱり言いづらいです。私も……言えなかったです……でも、しばらく経って知られてしまって」

 

 杞紗の心の傷に触れそうな話だけど、本田さんが杞紗を傷つけるような事を言うとは思えなかったので、僕も大人しく彼女の話に耳を傾ける。

 

「何やら私はバカみたいに謝ってしまって、何かとても情けなくて、イジメられるような自分が情けなく思えてきて。それをお母さんに知られたのが、恥ずかしくて。もし、そんな自分が嫌われたらどうしようと考えたら、怖くて」

 

 本田さんの話を聞いていたら、記憶の奥底に仕舞われていた出来事が思い浮かんだ。

 盃の付喪神憑きを忌避する草摩の「中」の人達は、同情に見せかけた蔑みの目を兄さんに向ける。

 僕だけが批判されるなら耐えられるけど、兄さんが貶められるのは我慢できない。悔しさと罪悪感に駆られた僕は、兄さんに謝った事がある。

 兄さんは僕の頭を撫でながら、「建視は何も悪くない」と言ってくれた。優しい兄さんに償うどころか、慰めてもらっている自分が情けなくて仕方なかった。

 

「だから、お母さんに『大丈夫だよ』って言ってもらえた時、とても安心したです。『恥ずかしくなんてない』って言ってもらえて、とても安心してまた泣いてしまったです」

 

 話しながら本田さんが浮かべる柔らかい笑みは、杞紗を安心させるための配慮だろう。虎の幼獣形態の杞紗は、今も本田さんの手を咬んでいるのに。

 自分の痛みを後回しにしてでも他者のために心を砕く本田さんの姿勢は、兄さんや佳菜(かな)さんと似通っている。本田さんの優しさは本物だから、杞紗の閉ざされた心に届くかもしれない。

 

「杞紗さんも……同じ気持ちなのかもです。……嫌われたくなかったんですよ。お母さんが大好きだから、言えなかったんですよ……」

 

 次の瞬間、小規模な爆発音と煙が生じて杞紗が少女の姿に戻る。一糸まとわぬ姿だったので、僕は着ていたジャケットを脱いで杞紗に掛けた。

 琥珀色の大きな瞳から涙を溢れさせた杞紗は、自分が咬んだ手にそっと触れてから本田さんに縋りつく。

 心身共に疲れ切って感情が摩耗していた沙良おばさんは、無言で泣いていた。

 問題が全て解決した訳じゃないけど、最悪の事態は免れたようだ。安堵した僕は胸を撫で下ろした。

 

 

 本田さんから服を借りて着替えた杞紗は、本田さんから離れようとしなかった。

 沙良おばさんは娘を無理やり連れて帰る事はせず、しばらく杞紗を居候させてほしいとぐれ兄に頼み込んだらしい。

 ぐれ兄は従妹の受け入れを快諾したので、杞紗も(いぬ)憑きの従兄の家に住む事になった。




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