「いつまでも、シーちゃん家にいる訳にはいかない……んだよね。これからどうするのかなぁ、キサ……」
僕と紅葉と春と
「今頃考えてんじゃないの。根がマジメな分、考えなくてもいい事も考えそうだけど……だからこそ、あそこまで自分を追い詰めちゃったんだろうけど」
春の言葉を受けて、由希が「あと……母親もね」と呟いた。
何気なく紅葉に視線を移すと、
僕が話題を変えようとした矢先、本田さんが「紅葉君」と呼びかける。
「杞紗さんのお母さんは大丈夫ですよ。昨日、お電話を頂いたのですよ……」
「……それってキサのMutti(ママ)、キサのこと想っているって事……だよね? じゃなきゃ、デンワなんてしない……よね」
「はいっ」
「……っ、そうだよね!」
自身の事のように喜ぶ卯憑きの従弟を見て、紅葉の心はまっすぐだと改めて思った。
いつだったか僕は、紅葉に直接聞いた事がある。自分の子供を愛さなかった母親をどうして愛せるんだ、と。
今にして思えば無神経な質問だったけど、紅葉は嫌な顔をせずに答えてくれた。
――ボクは、ちゃんと思い出を背負って生きていきたいから。たとえば、それが悲しい思い出でも。ボクを痛めつけるだけの思い出でも。いっそ、忘れたいって願いたくなる思い出でも。
兄さんは紅葉の母親のマルグリットおばさんに隠蔽術を施す際、「本当に忘れてしまっていいんですか。後悔しないんですか」と確認を取った。
歪んだ泣き笑いを浮かべたマルグリットおばさんは、「私の人生最大の後悔は、あの『生き物』を自分の体から出した事よ」と言い放ったのだ。
兄さんとマルグリットおばさんの会話をこっそり立ち聞きしていた僕は、その時近くにいた幼い紅葉の澄んだ瞳が絶望に沈んでいた事を知っている。
僕は実の母親から惨い言葉を投げつけられた事はないから、想像するしかないけど。紅葉と同じ経験をしたら母親の無慈悲な発言のみならず、母親の存在自体も忘れてしまいたいと願うだろう。
けれど、紅葉は忘れなかった。自分を切り捨てた恨みは忘れない、といった負の意思は欠片もない。
母親に愛されなかった残酷な現実を背負っていくと、前向きに決意していた。
――ちゃんと背負って逃げないでがんばれば、がんばっていればいつか……いつかそんな思い出に負けないボクになれるって、信じているから。信じて……いたいから。
辛い思い出を投げ出さずに背負って前に進む紅葉は、とても眩しく思える。
僕は母さんに対する罪悪感や母方の祖父母からの糾弾に耐えかねて、母さんへの情を切り捨ててしまったから。
「……それにしても何が『理由』で、イジメられているのかな」
由希が疑問を投げかけると、春はそっぽを向いて「……なんだったっけ」と呟いた。
春は細かい事にこだわらない奴だから、外的要因とか気にしないんだよな。そんな事を思いながら、僕は説明するために口を開く。
「
僕も小学生の頃、柄の悪い上級生に何度か絡まれた事がある。
相手にしなかったのが気に食わなかったのか、僕の私物を隠すようになったから、残留思念を読む力を使って犯人を特定して弱みを握って、二度とふざけた真似ができないように釘を刺しておいた。
任務や風呂やトイレ以外で手袋を外すなっていう、
勝手に力を使用した事がバレたら厳罰を食らうけど、バレなかったから無問題さ!
「俺も相当言われてきた」
「春はそう言ってくる奴を、端からブラックになって殴り飛ばしていたじゃないか……」
「
溜息を吐いた春の言葉を聞いて、本田さんが「え゛!?」と驚きの声を上げる。
小学・中学時代の夾は今より尖っていたけど、髪や目の色をちょっとからかわれた程度じゃキレたりしない。
当時の夾がブチ切れたのは、考えの足りない同級生に「三者面談の時に来ていたおまえの保護者は、オレンジ色の髪じゃなかったな。おまえって貰われっ子じゃねぇの?」とか言われたせいだ。
「でもね……キサもがんばったんだって。この色は仕方ないんだよって。そしたら今度は皆から、無視されるようになっちゃったんだって。でね。そうやって無視するのに、キサが何か言うとクスクス笑うんだって」
杞紗が通う女子中はお嬢様学校だからか、私物を隠すとか机に落書きするといった低俗な嫌がらせはしなかったようだが、物証が残らない陰湿な嫌がらせを仕掛けたようだ。
「ボク……クラスでそういうのってされた事ないの。だから想像するしかできないけど、想像してみたの。ボクが何か言う度にクスクス笑われたら、どんな気持ちになるだろうって。それは……それはとっても……かなしい気持ちなの……」
杞紗を害した輩に対する怒りや敵意より、杞紗の悲しみに同調した紅葉と本田さんは泣きだしてしまった。僕はハンカチを取り出して、紅葉の頬を伝う涙を拭く。
由希は自分のハンカチを本田さんに貸そうとしたけど、本田さんは自分のハンカチで顔を拭っている。僕が生温かい視線で『ドンマイ』と伝えたら、由希に睨まれちゃったよ。
その時、チャイムの音が響いた。
「由希。今日、俺、先生ン家行く。杞紗見たいし、渡すモンもあるし」
春の言葉を聞いた由希が、「渡す物?」と言って首を傾げた。
「手紙。杞紗の担任からのヤツ来てた。多分ヘドが出る内容……」
杞紗がクラスメイト全員に無視されていた事に、気付けなかった担任が寄越した手紙か。
「その手紙、杞紗に見せない方がいいんじゃないか?」
僕が黒山羊さん方式を提案してみたら、春は「んー……」と考え込んだ。
「俺も見せない方がいいと思うけど、リン経由で渡してほしいって頼まれた手紙だから」
杞紗が通う女子中とリン姉が通う女子高は姉妹校だから、杞紗の担任は横の繋がりを利用したのだろう。
郵送で手紙を送る方法もあるのにそれをしなかったのは、杞紗の従姉であるリン姉に、自分は担任としてやれる事はやっていますよとアピールするためか?
担任の自己保身が透けて見える手紙を今すぐ握り潰してやりたいが、手紙の仲介を依頼されたリン姉の責任問題になりかねない。
自分の事しか考えてない大人の思惑に乗るのはリン姉も不本意だったろうけど、自分の手紙が杞紗に届かなかったと知った担任が不快感を抱いて、学業復帰した杞紗に非協力的な態度を取るかもしれないからな。
夕方5時頃。担任の手紙を杞紗に届けに行った春から、電話がかかってきた。
『杞紗がしゃべった……』
「本当か!? まさか担任の手紙が酷すぎて、悲鳴を上げたんじゃ……」
『手紙は予想以上のヘドだったけど、由希が杞紗の気持ちに寄り添った言葉をかけたんだ』
由希は自分も話さなくなった時があると、杞紗に打ち明けたのだろうか。
「由希の奴、変わったな。やっぱり本田さんの影響力は大きいな」
『……
「楽羅姉にも同じような事言われたよ」
中学時代の僕は、エン・ユキの特別顧問として由希の動向を注視していたけど、積極的に由希と関わろうとしなかった。
というか、由希が分厚い心の壁を作っていたから、親しくなりたいと思えなかったんだが。
『お互いをもっとよく知りあえば、もっと仲良くなれるかも……』
「僕と由希が、本当の意味で仲良くするのは無理だよ。由希は僕が本田さんの私物から残留思念を読むんじゃないかって、常に疑っているからね」
『建視は好き好んで残留思念を読んでいる訳じゃないって、由希なら解ってくれるよ』
僕の心情を由希に理解してほしいと思わないけど、春は仲良くなってほしいと望んでいるようだから、余計な事は言わないでおこう。
その日の夜の11時半過ぎ、ぐれ兄の家に居候していた杞紗が
『キサ、明日からガッコーに行くって!』
「えっ? 急すぎないか?」
『心配なら、ケンもキサの見送りに行こうよ!』
見送りには行きたいけど、気掛かりな事があるんだよな。
僕はここ最近、
燈路が杞紗の見送りに行くなら、僕は遠慮した方がいいかも。
「燈路も見送りに行くのか?」
『……声をかけたけど、ヒロは行かないって』
紅葉の落胆した声を聞いて、僕は溜息を吐く。
「杞紗の復学は、以前の距離感を取り戻す絶好のチャンスなのに。このまま遠ざかっていたら、杞紗は燈路に嫌われたと誤解するんじゃないか?」
『ボクもそう言ったけど、ヒロは聞く耳を持たないんだよ。……ヒロはキサの側で支えることができなかったから、キサに会うのがコワくなっちゃったのかも』
燈路が臆病になってしまう気持ちは解らなくもないけど、鳶に油揚げをさらわれる事態が起きないとも限らない。周囲の人間にせっつかれたら燈路は更に頑なになってしまいそうだし、どうすればいいものか。
翌日の朝。早めに家を出た僕と紅葉と春と杞紗は、途中で本田さんと合流して駅前まで一緒に歩いた。
杞紗も普段は送迎車に乗って学校に行くのだが、今日は見送り隊が付き添っているから、電車で通学する事にしたようだ。
「お姉ちゃん……お兄ちゃん達……お見送り、ありがとう……行ってきます……」
杞紗のか細い口調は、以前の朗らかさが無くなってしまった事を物語っていたけど。再び可愛らしい声で話してくれるようになったから、それで充分だ。
「杞紗さん、行ってらっしゃいです……っ!」
「キサっ、いってらっしゃーいっ!」
「いってら……」
「最後まで言えよ、春。まぁいいや。杞紗、行ってらっしゃい。何かあったら、すぐ僕に連絡するんだぞ」
杞紗を気に掛けていた由希が、見送りに来なかった事は意外だった。春の話では、由希は自分もやんなきゃいけない事があると言っていたらしい。
由希が杞紗より優先する事って何だろ。僕が抱いた疑問は、その日の内に解消された。
由希が次期生徒会長になる事が内定したという噂が流れ、由希がそれを肯定したのだ。
プリ・ユキのメンバーは歓喜に沸き、他の生徒達は「まともな生徒会長が誕生する」と一安心している。
まともではない現生徒会長こと
今度は引き継ぎという名目で、由希と話をしようと画策しているのかと思ったのだが。
「僕に何の用ですか、竹井会長」
非友好的な薄笑いを浮かべる僕に対し、竹井会長は若干引け腰になりながらも口を開く。
「君も既に聞き及んでいると思うが、由希君が生徒会長になる事を引き受けてくれたのだよ」
「よかったですね(棒読み)」
「ああ、全くもって喜ばしい!! 次期生徒会長に相応しい生徒は由希君しかいないと、僕が切々と訴えた熱意が由希君に通じたのだァ!!」
目立つのが嫌いな由希が生徒会長を引き受けたのは、いじめを仕掛けたクラスメイトに立ち向かう決意をした杞紗の影響を受けたからだろう。
竹井会長に追いかけ回されていた頃の由希は、うんざりした表情を隠さなかったのに、よくもまぁ自分に都合の良い解釈ができるものだ。
由希の信奉者は妄信的で独りよがりな者が多かったから、竹井会長も同じクチだろう。
「美麗かつ非凡な次期生徒会長が誕生した事を、喜んでばかりもいられない。由希君は完全無欠な逸材だが、彼の下につく者が怠惰で無能な者であったら、新しい生徒会は立ち行かなくなってしまうのだ……」
俯き加減で話していた竹井会長は勢いよく顔を上げて、「そこで、だ!!」と声を張り上げる。
近くを通りかかった男子生徒が、驚いてこっちを見た。なんか恥ずかしいな。廊下で話をするんじゃなかった。
「麗しき由希君と並んで立っても見劣りしない美貌を持ち、転入試験で全科目満点を叩き出す頭脳を誇り、転入して1週間足らずでファンクラブが発足した人気を博す草摩建視君に、由希君の右腕的存在となる副会長を務めてもらいたい!! 草摩建視君は中学時代に生徒会長を務めたと聞いているから、執務能力も問題なかろう!!」
生徒会役員に美貌って必要か? 外見の華やかさが受けて生徒会長になった綾兄という前例がいるから、否定しきれないけど。
それより気になるのは。
「僕の個人情報を調べたんですか?」
「ふっ……竹井家にも独自の調査部が存在するのだよ」
紅葉の制服に再び難癖をつけてきたら面倒だと思って竹井誠の個人情報を調べたら、竹井家は草摩家ほどではないが有名な資産家である事が判明した。
調査部云々は、竹井会長の妄言じゃないかもしれない。
草摩家は機密事項のセキュリティには特に力を入れているので、物の怪憑きに関する事柄は突き止めていないはずだ。
……さて、どうするかな。
兄さんは高校時代に副会長を務めていたから、副会長というポストには憧れがある。僕と由希が揃って生徒会に所属すれば、兄さん達の時代の再現みたいで愉快だ。
由希は不快に思いそうだけど。僕が生徒会に入ったら、由希は草摩の監視の目から逃れられないって悲観ぶりそうだ。
「申し訳ありませんが、お断りします」
「んなぁ!? なぜだい!? 由希君を側でサポートできる誰もが羨む役職なのだよ!?」
「僕は高校卒業後も由希と顔を合わせるので、由希を側でサポートする役職に魅力を感じません。やる気のある人に任せてください」
「高校卒業後も由希君と……っ。羨ましい……羨ましいぞぉーっ!!」
竹井会長は滂沱の涙を流しながら、雄叫びを上げている。これ以上付き合っていられなかったので、僕はそそくさと立ち去った。