レディースファッション店は、当然ながら女性客だらけ。しかも陳列されている夏物の服に水着が加わっているせいか、男を寄せ付けないA.T.フィールドが展開されているように見える。
「なあっ。おまえら、ビキニとワンピース、どっちが好みだ!?」
店内にいる
店の外で待機していた僕は、心の中で(聞かないでください!)と懇願する。気まずそうな顔で黙り込む
「なぁってば、おいっ。こっち来て協力しろよっ」
おへそが見えるショート丈の開襟シャツに、タイトなロングスカートを合わせた格好の魚谷さんが店の外に出てきた。
「ごめん、店内に入るのは無理。僕は本田さんにはフリル付きのビキニが似合うと思う」
「店には入れねぇのに具体的な意見が出るなんて、リンゴ頭はむっつりスケベだな」
正直に答えたのに、この仕打ち。魚谷さんは声を抑えずに言い放ったから、店内にいる
「王子ときょんはどう思う?」
「……俺に振らないで」
「
由希と夾は回答を避けたので、僕は死なば諸共とばかりに食らいつく。
「逃げるな。おまえらも答えろ。そして共にむっつりの汚名をかぶるのだ」
「むっつりだろうがオープンだろうが、男は全員スケベなんだから気にすンなよ。べっつに、下着の好みを聞いている訳でもねぇんだしよォ」
魚谷さんの明け透けすぎる言い方に、僕と由希と夾は揃って顔が赤くなった。レディースファッション店の前で羞恥プレイを受けるなんて、今日は厄日か。
「おめーはもうちっと恥じらいを持てや! 頼むからっ」
「わーかったよっ。ンじゃ色! 透に似合う色ぐらいは思いつくだろ!?」
由希は「青……?」と答え、夾は「オレンジ?」と答え、僕は「白かな」と答えた。見事にバラバラだ。
「青だぁ……? てめぇ、あいつのどこ見てそんな寒々しい色思いつくんだ」
「おまえこそオレンジなんてよく言えるよ……そんなバカ色、どこぞのバカの色じゃないか」
対抗意識を燃やした由希と夾が、睨み合って言い争いを始めた。それはいつもの事だけど、場所が悪い。
青いデニムスカートやオレンジ色のTシャツを品定めしていた女性客が、商品を棚に戻している。
「2人とも、営業妨害になるから言い争いはやめろよ」
僕が仲裁に入ったけど、お互いの姿しか目に入っていない夾と由希は口論を止めない。
青推しの由希とオレンジ推しの夾の仁義なき口喧嘩に、「ピンク……」と静かな声が割って入る。
「透君にはピ・ン・クよ……それ以外の何色が似合うというのかしら……似合うけれど……もう一度勉強して出直してらっしゃい……」
キャップスリーブの漆黒のロングワンピースを身に纏い、二の腕まで覆う黒い手袋をつけた花島さんは、背景に『ゴゴゴゴゴゴ』と描き込まれていそうな威圧感を放っていた。
気圧された由希と夾は、即座に口を閉ざす。
「そうだなっ。透にはピンクだなっ」
「もう決まってんなら聞くなよ!」
夾が抗議すると、魚谷さんは「一応意見を聞いてみたって事で」とあっさり流す。
「透にはピンクって
本田さんのお父さんは白が似合う人なのか。サラッとしていたという言葉から想像するに、淡白な人だったのかな。
ちなみに僕が本田さんに似合う色として白を挙げたのは、本田さんは清純なイメージがあるからだ。
綾兄と
せっかく本田さんにドレスを着せたなら、由希の初来店も兼ねて記念撮影すればよかったのに。僕が電話を通してそう言ったら、綾兄はこんな発言をしていた。
『ボクとした事がっ! 由希のロマン記念日の制定に浮かれて、記念撮影を忘れてしまったよっ! 由希に会ったら何時でも記念撮影できるように、これからは常にカメラを持ち歩く事にしようっ』
会う度に写真を撮られたら由希は嫌がるんじゃないかと僕は忠告したけど、綾兄は『弟の成長を記録するのも兄の務めっ!』とか言って、すっかりその気になっていた。
なんというか、由希ガンバ。
「魚谷さんも花島さんも、本当に……本田さんが大好きだね」
由希が出し抜けに言うと、魚谷さんは感慨深い笑みを浮かべて「おうよっ」と答える。
「前に言ったけど救われたトコあるし、何よりあたしがこうしてカタギの世界で笑ってられんのも、透がいてくれたからだしなっ」
「おめぇはカタギか?」
「カタギじゃん」
カタギという言葉が当たり前のように出てくる時点で、カタギじゃない。僕はそう思ったけど、余計な事は言わないでおく。
僕達は店内に入らなかったのでどういう水着にしたのか不明だけど、買い物を終えた本田さん達が店から出てきた。
水着の代金は、僕と由希と夾とぐれ兄と花島さんと魚谷さんの6名で均等割りして、会計を済ませた魚谷さんに後でお金を渡す事になっている。
この場にいないぐれ兄が頭数に入っているのは、本田さんがスクール水着を愛用していると聞いたぐれ兄が居た堪れなくなって、新しい水着を買う案に大賛成したからだ。
「え……プッ、プレゼント……ですか!? そっ、そんな、あの、私はそんな」
サプライズで水着を渡すと、ちょうちん袖がついたワンピースを着た本田さんは目に見えて動揺した。
「いいからパッと受け取れや……」
「そうよ……日頃の感謝の気持ちですもの……」
「本田さんに受け取ってもらえると嬉しいな」
「受け取って、本田さん」
夾、花島さん、僕、由希が順番に声をかけた。水着が入ったショッピング袋を抱き締めた本田さんは、焦げ茶色の瞳を潤ませる。
「あ……ありがとうございます。大切に……大切にします……っ」
「透……っ」
「透君……」
魚谷さんと花島さんは、本田さんを挟むようにぎゅっと抱き合っている。何だろう、この拝みたくなる気持ちは……。
それから僕達はちょっと早めの昼食をとるため、蕎麦屋に入る。注文した料理が運ばれてくるまでの間、魚谷さんの過去話を聞く機会に恵まれた。
魚谷さんが暴走族に入っていた事は本人から聞いて知っていたが、まさか小学5年生で族デビューしたとは思わなかった。想像以上にバリバリの不良だったんだな。
人を殴る蹴るは当たり前。火を使って警察に追いかけられた事もあるそうだ。
それ以上の事もしていそうな感じだったが、魚谷さんは苦笑して「やらかした事全部言ったら、おまえらの耳腐らせちゃうな」と言葉を濁した。
自分が行った悪事をひけらかしたがる輩もいるが、魚谷さんはそういうタイプじゃないようだ。
「あたしはどうしようもないバカだったけどさ。すごく憧れている人がいたんだ。それが今日子さん」
男をさしおき、女だてらに特攻隊長。
荒れていた頃の魚谷さんが、本田さんと知り合うきっかけになったのは、レディースの先輩から教えられた現在の赤い蝶に関する情報。
結婚して本田という名字に変わった赤い蝶が近所に住んでいて、その娘が自分と同じ中学校に通っているかもしれないと聞き、魚谷さんは久々に中学校に行って、本田さんと偶然出会った。
「初めて会った時の透はノートを山ほど抱えて、あたしにぶつかってきてさ。透が腰を折って謝ろうとしたら、ノートがずざーっと雪崩みたいに廊下に落ちていって。あン時のあたしはドン引きしたけど、今見たら爆笑する自信がある」
昔の魚谷さんはノートが散らばって困惑する本田さんを無視しようとしたが、もたつく本田さんを見かねてノートを拾うのを手伝ったようだ。魚谷さんの人の良さが垣間見える。
ノートを集める際に本田さんの名前を聞き出した魚谷さんは、本田さんが赤い蝶の娘だと知って悔しさのあまり泣いたらしい。
赤い蝶の娘は自分と同じバリバリのヤンキー女だろうと予想していたのに、荒んだ雰囲気とは無縁のほんわかした本田さんを目の当たりにしたら、理想と現実の落差の激しさにショックを受けても無理はない。
「お待たせ致しました。ざるそばをご注文のお客様」
話の途中で、和服姿の女性店員が料理を運んできた。由希が小さく挙手をすると、店員は頬を赤らめて嬉しそうに配膳する。
程無くして魚谷さんが頼んだ冷製とろろそば、本田さんと花島さんが頼んだ月見そば、僕が頼んだ鴨せいろそば、夾が頼んだカツ丼が届いた。
「んで、透に『ぜひお母さんに会ってあげて下さい』って誘われて、あたしは透ン家に初めて行った訳よ」
今より尖っていた魚谷さんを初対面で家に招くなんて、本田さんは豪胆だ。いや、天然なのか。
本田さんの家に初訪問した魚谷さんは、非常にガッカリしたらしい。
喧嘩が強くて漢気があって馴れ合いは嫌っていたという赤い蝶は、公道のど真ん中で娘に抱きつくような親バカになっていたからだ。
「勝手な話だけどな。勝手にヒーロー像を作り上げといて、本人に会ったら『こんな奴とは思わなかった』とか思うなんて。そんなん想像と違って当然なのに、勝手だよなぁ。今日子さんは……笑っていたけど」
失望した魚谷さんは中学校に行かなくなり、喧嘩に明け暮れる日々を送った。そんなある日、女子高生のヤンキー2人組に因縁を付けられ、魚谷さんは袋叩きに遭ってしまう。
魚谷さんは高校生のヤンキーから逃げていた途中で、買い物帰りの本田さんと鉢合わせた。
本田さんは魚谷さんが追われていると知るや否や、問答無用で魚谷さんの手を引いて走って本田家に匿ったらしい。おっとりした本田さんから想像できない男前なエピソードだ。
「あたしの母親はあたしが小1の時、他に男作って出て行った。父親は昔っから酒ばかり飲んでいて、娘の事なんか気にもしない。そういう家庭だったから、透ン家のあったかい雰囲気が居心地悪くてしょーがなかった」
魚谷さんが最初に本田家に訪問した時は、自分だけ除け者にされたような居心地の悪さを突き詰めるのが嫌で、苛立ち任せに本田母娘に暴言を吐いて出て行った。
だけど2度目に訪れた時、魚谷さんは居心地の悪さの正体に気付いたらしい。
「あたしは温かい家庭ってのを知らなかった。知っていたとしても、昔のあたしは『おまえなんか親じゃない』って平気な顔で言ったよ。だったら結局、優しい親を持ってようが持ってなかろうが何も違わない。一緒のはずだと思っていたけど……」
兄さんに慈しんでもらったおかげで、僕は温かい家庭がどういうものか知っていた。僕の弱音やとりとめのない話を兄さんは嫌な顔をせずに聞いてくれたし、僕が悪さをしたら兄さんに厳しく叱られた。
兄さんさえいれば、両親がいなくても寂しいなんて思わない。両親を不要と思うのは冷淡かもしれないけど、父さんと母さんも僕の事を拒絶したからお互い様だ。
その考えは今も変わらないけど、何か重要な事を見落としているような焦燥感にふと囚われた。
「帰りを待つ人や笑顔で迎えてくれる人が欲しいって、羨ましいって渇望する気持ちがあったんだ。ずっと前から心のどこかで寂しがっていたけど、強がってないと折れちまいそうだったから認められなかったんだよ」
強がってないと折れちまいそうだったという、魚谷さんの言葉には強く共感した。
僕は父さんと母さんに愛されなかった事を直視するのが怖くて、両親は必要ないと己に言い聞かせ続けてきたから。それは薄々気付いていたので、臆病な自分を目の当たりにしてもそんなに衝撃はないけど。
僕が打ちのめされた気分になっているのは、兄さんの気持ちを思いやれなかった事に今更ながら気付いたからだ。
両親を喪った哀しみを表に出さずに僕を育ててくれる兄さんは、父さんと母さんを恋しく思う時があるのかもしれない。
父さんと母さんの話をしたいと思っても、僕が両親を疎んでいるから思い出話すらできなくて、1人で寂しさを抱え込んでいるんじゃないか?
……兄さんを気遣える心の余裕を持つと決めたのに、大切な人の心の痛みに今まで気付けなかったなんて、自分の情けなさに腹が立つ。
兄さんに縋って甘えていた子供の頃から、僕の精神面はちっとも成長していない。僕は兄さんから与えられてばっかりで、兄さんの気持ちに寄り添おうとしていなかった。
家に帰ったら兄さんに、父さんと母さんの話をしてほしいと頼んでみるか。
でもなぁ。僕が唐突に両親の思い出話をせがんだら、兄さんは驚いて戸惑うだろう。あるいは、僕に何かあったのかと心配するかもしれない。
両親の月命日にそれとなく聞いた方が、兄さんの衝撃は少なく済みそうだ。
「……なーんて、こっぱずかしい青春語っちまったな。何にせよ、透ラブっ」
「ラブね……」
魚谷さんと花島さんは、再び本田さんを抱き締めた。眼福です、ありがとうございます。
蕎麦屋から出る前にヤンキー風の女子中学生3人に絡まれるアクシデントが起きたけど、買い物は無事に終わった。