修学旅行の日程と行き先が決まった。
日程は、10月11日から14日までの3泊4日。行き先は、1000年を超える歴史と文化を誇る京都・奈良だ。
中学校の修学旅行で京都方面に行ったクラスメイトの何名かは、がっくりしていた。京都と奈良は神社仏閣がたくさんあるから、1回の旅行じゃ全部見て回れないと思うけど。
僕は京都と奈良は初めて訪れるから、今から楽しみで仕方ない。それ以外にも楽しみな要素があるけどね!
「今日のホームルームは、修学旅行のグループ決めをしてもらう」
黒板の前に置かれた教卓に腰掛けた
「グループ行動は強制じゃないが、集合時間に間に合うようにグループの中で決まり事をしっかり作っておけよ。旅先で迷子が続出すると面倒だからな」
「先生、本音が出てるよーっ」
「何十人もの学生のお守りをする身になってみろ」
ついにこの時がきたか。僕は
何としてでも、
野望をたぎらせているのは僕だけにあらず。クラスの女子の大半が、
狙われている事に勘付いたのか、由希の表情に焦りが見受けられる。
由希も、本田さん達のグループに入りたいと思っていそうだけど。
僕が由希と
修学旅行中は勝負を仕掛けてくる女の子が続出しそうな予感がするから、抱きつかれて変身してしまう危険性は普段より高い。
万が一の際に助け合うため、物の怪憑き同士で行動を共にしていた方が合理的なのだが、由希と夾は自分で何とかするとか言い張りそうだ。
「おーい。王子とリンゴ頭、ちょっとこっち来い」
呼びかけてきた魚谷さんの席の近くには、本田さんと花島さんが既に集まっている。
僕はいそいそと席を立った。由希は一瞬嫌そうな表情を浮かべたけど、諦め顔になって立ち上がる。
「そんじゃ、この6人でグループ行動をするって事で」
魚谷さんは、後ろの席に座る夾の肩をガシッと掴みながら宣言した。漫画を読んでいた夾は、「はぁっ!?」と驚きの声を上げる。
それと同時に、女子達の悲鳴がそこかしこで上がった。鳶に油揚げをさらわれたも同然だからな。
でも、僕は声を大にしてお礼を言いたい! 魚谷さん、どうもありがとう! 貴女のおかげで、花島さんと一緒にグループ行動するという悲願が叶うよ……!
「ざっけんな! クソ由希と一緒に行動するなんざ、俺はぜってぇゴメンだかんな!」
「俺だって、バカとグループ行動するのは御免だよ」
不満をありありと浮かべた由希が、条件反射のように言い返した。
険悪な2人を楽しそうに眺める魚谷さん。『京都・奈良うまい店百選』というガイドブックを熟読中の花島さん。おろおろしながら、夾と由希の口喧嘩の仲裁を試みる本田さん。
うむ、実に個性的なグループだ。
「気に食わない奴と行動を共にするのも、社会勉強の内だぞ」
僕が言い聞かせると、由希と夾は同時に僕を睨みつけた。おまえも気に食わないんだよ、という2人の心の声が聞こえる。
他のクラスメイトのグループ決めはすんなり済んだようで、繭子先生はホームルームの終了を告げて教室から立ち去った。
「俺は本田さん達とグループ行動する事に不満はないよ。生徒会の方に顔を出さないといけないから、ちょっと抜けるね」
「由希君っ、新しい生徒会のメンバーの方とはお会いできましたか?」
本田さんの問いかけに、由希は困惑気味に「……ううん、まだなんだ」と答える。
「生徒会の新メンバーは大体決まっているらしいんだけど、
「竹井会長が新メンバーを公表しないのは、メンバーの中に女の子がいたら、嫉妬に駆られた由希のファンが辞退しろと脅すかもしれないと危ぶんだからじゃないか?」
僕があり得そうな事態を想定すると、由希は呆れ顔で「俺のファンなんていないって、前にも言っただろ」と反論した。
「わかってねーなぁ、王子は」
「由希は純粋培養された、天然無自覚王子サマだから」
「……っ! 時間だからもう行くよ」
由希がプリプリ怒りながら教室から出て行った後、僕らはグループ行動で回りたい場所を挙げていく。
「1日目は嵐山に行くんだよね。世界遺産に登録された天龍寺を見てみたいな」
「あたしは渡月橋を渡ってみてぇな。つか、嵐山に到着するのは昼前だから、昼飯なに食うか決めといた方が良くね?」
「私は湯豆腐が食べたいわ……」
花島さんが食べたいと言ったからという理由を抜きにしても、京都の名物料理の1つである湯豆腐は食べたい。僕が賛成すると、魚谷さんと本田さんも同意した。
「夾も湯豆腐でいいか?」
「勝手に決めろ」
グループ行動の面子に不満がある夾は、そっぽを向いて投げやりに答えた。ふーん、勝手に決めていいんだ。
「それじゃ、夾はねぎの味噌焼きとニラをたっぷり入れた牡丹鍋*1で」
「湯豆腐って言っていたじゃねぇか!」
「自分の希望をちゃんと言わないと、夾が望まないものに決まっちゃうぞ」
「おめぇが俺の嫌いなモンを、わざと提案しているンだろが」
その時、教室の引き戸が開いて
「トールっ、ケンっ、ユキっ、キョー。大変、大変っ。大変なのー!!」
「こっちも大変なんだよ」
そう受け答えながら魚谷さんは、睨み合う僕と夾に向かって顎でしゃくる。
本田さんが事情を説明すると、紅葉は「ボクも一緒に行きた~いっ」と言い出した。
「自腹でなら、文句を言われないかもしれないわよ……」
「ジバラで行くー!!」
花島さん、紅葉に入れ知恵しないで。
「それより紅葉、何が大変なんだ?」
僕が話を逸らすために問いかけると、紅葉は思い出したと言うように「あ」と声を漏らす。
「そうなの、大変なの。ハルがブラックになって、クラスでスサマジく暴れてるのー」
あっちゃ~。春は最近沈んでいるように見えたけど、ブラックが降臨するほどの悩みを抱えていたのか。
僕だけじゃブラック春を鎮圧できないかもしれないので、夾に応援を要請した。
夾は面倒臭そうに顔をしかめたけど、了承してくれた。猫憑きの従弟にとって春は弟弟子でもあるから、放っておけないと思ったんだろう。
「わ、私もご一緒します!」
「危ないから本田さんは行かない方がいいよ」
「
僕と夾の制止を受けた本田さんは、しょぼんと項垂れた。可哀相だけど、暴れているブラック春に近づくのは本当に危険だ。
行くのは諦めて教室で待機してくれるかと思いきや。顔を上げた本田さんは、決意を秘めた面持ちになっている。
「
「見に行くだけなら構わねぇだろ。透が怪我しないように、あたしが体張って守るし」
「私も行くわ……
花島さんが本気を出す前に、全力で春を止めよう。冷や汗を浮かべた僕と夾は視線を交わし合い、共通の目的を掲げた。
「なんで、紅葉が本田さん達と一緒にいるんだ?」
1年生の教室がある校舎に向かう途中で、由希と出くわした。
「ブラックになったハルがクラスで大暴れしているから、みんなで止めに行くのよっ」
紅葉の説明を聞いた由希は頭を抱えた。
ブラック春の暴走より花島さんの制裁の方が危険度は高いけど、話がややこしくなるから言わないでおく。
春と紅葉が在籍する1‐Dの教室の近くには、人だかりができていた。由希が「道をあけて」と呼びかけると、人波がサッと2つに別れて道が現れる。モーセかよ。
「皆は……先生ももう少し、教室から離れていて下さい」
由希が指示を出すと、女子生徒だけでなく男子生徒や男性教師までもが頬を赤らめる。
プリ・ユキは女子生徒しか所属してないようだけど、由希を崇める男子生徒が集う地下組織があっても驚かないぞ。
「おい、春っ」
「あ゛あ゛……!?」
夾に呼びかけられた春は、ありったけの敵意を込めてガンを飛ばす。
教室の窓ガラスはほとんど割れ、机や椅子や教科書などが床に散乱している。これはひどい。
「おーおー、派手にやったなぁ」
どことなく楽しそうに言う魚谷さん。
由希は溜息を吐きながら、「なにやってんだよ、春……」と声をかける。
「暴れてんだよ、見てわかんねぇのかよ。止めてぇなら、息の根止める覚悟でかかってこいや……っ」
持っていた椅子を床に叩きつけた春は、手招きをしながら挑発してくる。
うーむ。予想以上に重症のブラックが降臨しているな。ぶん殴っても水をかけてもホワイト春に戻らない可能性があるから、念のためにアレを持ってくるか。
僕が考えをまとめている間に、半壊した教室に足を踏み入れた夾が春に声をかけている。
「ふざけた事ぶっこいてんじゃねぇぞ、春。てめぇが暴れっと、こっちも迷惑なんだよ」
「うっせぇ、バカ猫。てめぇは存在自体が迷惑なんだよ、バカ猫」
煽られた夾が戦闘モードに入りそうだ。由希が「挑発に乗るな、バカ」と窘めたから、夾の怒りは由希に向いて校内バトルは回避された。
紅葉と由希と魚谷さんに続いて、本田さんも教室に入ろうとしていたので、僕は「待って」と呼びとめる。
「本田さんに頼みたい事があるんだ」
「え、あ、はいっ。私にできる事なら何でもしますっ」
僕がバケツに水を汲んできてほしいと本田さんに頼んでいる間、由希はブラック春の説得を試みている。
「春……理由はわからないけど、学校で暴れるのはよせよ」
「ハ……っ。心配性だな、由希姫は。暴れついでに変身されちゃ困んだろ? 共倒れだもんな」
ブラック春ぅぅぅ! 迂闊な発言するなよ。魚谷さんが怪訝そうに、「変身?」って呟いているじゃないか。
花島さんは本田さんと一緒に水汲みに行ったから、聞いてなかったようだ。
「違うよ。それだけを言っているんじゃない。もっと……」
「バカくせぇ……バカくせぇんだよっ。ビクビクしやがって……っ。そんなんなら、いっそ全部バレちまったほうが清々する!」
今まで春がブラック化した事は何度もあるけど、こんな事を言ったのは初めてかもしれない。
春が抱えている悩みは、十二支の呪いが関係している事柄なのか。あるいは、十二支憑きの誰かと何かあったのかも。
考察は後回しだ。決定的なボロが出る前に、ホワイト春に戻さないと。僕は廊下の一角に設置された消火器を取りに向かう。
火事でもないのに消化器を使用すると、兄さんが学校に召喚されてしまうのだが、春の暴走が激化して停学処分になってしまうよりマシだ。
「2年の草摩君、消火器を元あった場所に戻しなさい」
僕が消火器を持って1‐Dの教室に引き返そうとしたら、教師に注意された。
「完全にブチ切れた状態の春は、消火器を噴射しないと正気に戻らないんです。機動隊が消火器を用いて、暴徒を鎮圧するのと同じですよ」
「暴徒って……消火器は火災が起きた時のために設置されている。それ以外の目的で使用するのは、認めらr」
「このクソガキ、ぶっ倒したらぁ!」
「
夾と春の口喧嘩が、拳での語り合いに移行したようだ。僕は教師の制止を振り切り、消火器を持って騒動の現場に駆けつける。
1‐Dの教室には何故か繭子先生がいて、掴み合っていた春と夾の頭にバケツの水をぶっかけた。
「これで少しは頭冷えたか?」
「こンのエセ教師……っ。なんで俺まで」
「ミカン頭もガンガンに我失くしていただろうが」
「あー……スッキリした」
「そうかい。ンじゃ、スッキリついでに職員室までおいで」
ホワイトに戻った春に呼び出しをかけた繭子先生は、消化器を背中に隠して知らんぷりしようとした僕に向かって、「おまえもだ、草摩建視」と言った。繭子大先生様からは逃げられない……!
消火器を元の場所に戻して職員室に連行された僕は、繭子先生に叱られた。今回は注意に留めるけど、次に同じ事をやったら保護者に連絡するぞと釘を刺されちゃったよ。
繭子先生はくどくど説教するタイプじゃなかったので、1‐Dの担任に絞られている春より早く解放された。
僕が職員室から出ると、紅葉と本田さんと花島さんと魚谷さんと由希と夾が廊下に勢揃いしていた。魚谷さんが「早かったな」と声をかけてくる。
「僕は実害を出してないからね」
「消火器を持ち出すのは、明らかに問題行動だろ」
そう言いながら夾は僕を睨みつけてきた。もしかしてと思った僕は、猫憑きの従弟に問いかける。
「中学時代に重症のブラック春と殴り合っていた夾に、消火器を噴射した事を根に持っているのか?」
「ったりめぇだ。俺まで粉塗れにしやがって」
夾は被害者ぶっているけど、あの時の夾は怒りで我を忘れた王蟲状態になって、制止しようとした僕をぶん殴りやがったからな。
「おまえらも中学ではヤンチャしていたんだな」
「魚谷ほどじゃねぇよ」
「あたしは学校で暴れてねぇっての」
魚谷さんと夾が言い合う一方で、何やら考え込んでいた由希は紅葉に質問している。
「……一体何があって、あそこまで切れたブラックになっちゃったんだ?」
「ん~、ボクもずっと見ていた訳じゃないから。ハルはフツーにしていたハズなんだけど……でも……最近何かあったのかも。なんか……元気ないもん」
何となくだけど、春が沈んでいる原因はリン姉絡みじゃないかと思う。
リン姉は病院から繰り返し脱走したせいで、傷が開いて退院が遠のいたらしい。心配した春が安静にしてくれと強く言って、リン姉と揉めたのかもしれない。
「あ……潑春さんっ」
本田さんの声を聞いて、僕は思考を中断した。職員室から出てきた春に、紅葉が真っ先に声をかける。
「ハルっ、怒られちゃった!?」
「んー……親呼び出し。来るの待ってなきゃ……」
バイバイと告げて春は立ち去ろうとしたので、紅葉が「どこ行くの?」と聞いた。
「俺の母親……化粧だなんだで、来んのにどうせ1時間以上かかる……それまで時間つぶす」
精神的に不安定な春を1人にするのは危ういと思ったのか、由希が「俺が行く」と名乗り出て春を追いかけた。好意を寄せる由希になら、春は悩みを打ち明けるかもしれない。