1‐Dの教室から立ち去った
今日は文化祭だから、家庭科室や生物室なども室内部の展示用に使用されているはず。2人は人気のない屋上に向かったんじゃないかと見当をつけて、僕と兄さんは階段を上った。
予想は当たっていたようで、淡黄色の毛並みの兎を抱っこした本田さんを屋上で発見。ひと足先に駆けつけた
「このクソガキ、自分のした事わかってんのかっ」
「紅葉は反省しなきゃいけないけど、夾こそ自分のした事わかっているのか?」
言葉尻を捕らえた僕は、こう言ってやろうとした。夾が周囲の人に何も告げずに行方を晦ましたせいで、従姉弟たちが心配したんだぞ、と。
けれど、血相を変えた夾が詰め寄ってきて僕の胸倉を掴み上げたから、僕は言葉を続ける事ができなかった。
「おまえ、師匠の私物から残留思念を読んだのかっ!?」
「……読んでないよ」
夾は僕の胸倉から手を放したけど、オレンジ色の鋭い瞳に疑惑と恐怖を浮かべている。
他人に知られるとまずい事をやらかしたのか? 僕と兄さんに害が及ばなければ夾が何したって構わないけど、露骨な疑いの目を僕に向けるのはやめろ。兄さんが悲しむ。
気まずい沈黙が漂ったその時、
屋上にいた面々の様子がおかしい事に由希は気付いたようだが、それには触れずに「紅葉、気をつけなきゃだめだろ?」と注意した。
「紅葉は1週間の外出禁止だ。さあ、そろそろ帰るぞ」
兄さんが帰宅を促すと、兎形態の紅葉は「ボクまだトールとお話ししたい!」と主張する。屋台に登ってタダ食いした時点で、紅葉の強制送還は決定事項だ。
「由希と夾はそこに並べ」
兄さんに急かされて、由希と夾は怪訝そうにしながらも言う通りにした。
互いに不倶戴天の敵と見做しているあの2人が、普通に並んで立っている……だと!?
以前は顔を合わせるたびに、流血沙汰の喧嘩を繰り広げていたのに(規格外の強さを誇る由希は、血を流した事はなかったけど)随分と丸くなったものだ。
「俺の質問に簡潔に答えるんだ。1+1は!」
「「2?」」
巧みに誘導尋問した兄さんは、いつの間にか構えていたデジタルカメラのシャッターを切った。
由希と夾のツーショット写真なんて激レアだ。
僕はそんな事を考えながら、自分のバッグから財布と携帯電話を素早く取り出してチノパンのポケットに押し込んだ。兄さんや紅葉と別行動を取る事が予想されるから、必要最低限の物は持ってないとな。
「
淡々と話しながら、兄さんは本田さんから兎形態の紅葉を受け取って、「じゃあな」と告げた。
ツーショットを撮られた由希と夾は呆然としていたけど、夾が我に返って怒号を上げる。
「はーとーりー! 待て、くらぁ! そのカメラを渡しやがれぇ!」
「兄さん、パス」
兄さんが放り投げたデジタルカメラを、僕は黒い手袋をはめた手で掴む。
「アリーヴェデルチ、さよならだ」
僕はブチャラティの真似をして、素早く立ち去った。紅葉の衣類を詰め込んだバッグや3人分の靴が入ったビニール袋は屋上に置きっぱなしにしたけど、兄さんが回収してくれるだろう。
階段を駆け下りて人通りの少ない廊下に向かおうとした時、夾が切羽詰まった声で呼びとめてくる。
「
普段なら「やーなこった」と応じる処だけど、師範の私物から残留思念を読んだか否かを問い質すつもりだろうと察したので、僕は立ち止まって話を聞く体勢を取る。
僕の正面に立った夾は、追い詰められたような表情で口を開く。
「……師匠の私物から残留思念を読んだのかって俺が言った事、慊人に報告しないでくれ」
「誰が何を言ったかなんて、いちいち慊人に報告しないよ」
慊人に付き従って任務に赴く事があるせいか、僕は慊人のお気に入りだと思われている。それは認識していたけど、チクリ魔だと思われていたなんて軽く落ち込んだぞ。
報告しないって言ったのに、夾は未だに疑いの目を向けてくるし。相手が由希だったら放っておくけど、夾には負い目があるからフォローしておくか。
「仮に僕が慊人に命じられて師範の処に赴いたとしても、師範の私物から残留思念は読めないよ。武術の達人である師範の勘の鋭さは、常人離れしているからね。僕が師範の私物をこっそり漁ろうとしてもバレそうだ」
師範とは、夾の養父である
夾は師範の事は信頼しているのか、あからさまに安堵していた。会話が成立する状態になったようだから、今度は僕のターンだ!
「次に旅に出る時は、楽羅姉に行き先を知らせていけよ」
「はぁ? なんで楽羅に行き先を知らせなきゃいけねぇんだよ」
「夾が楽羅姉に何も言わずに姿を消したせいで、僕は夾の居場所を知りたがる楽羅姉にずーっと追いかけ回されたのさ……」
僕が遠い目になりながら苦労を語ると、夾の顔色が若干悪くなった。
夾の帰還を知った楽羅姉は、真っ先にぐれ兄の家に押しかけたらしいからな。楽羅姉の過剰な
「迷惑料として、夾と由希のツーショット写真をもらうよ。楽羅姉と春に渡しておくからな」
「てめえっ! カメラを寄越しやがれ!」
「ふはははは! 楽羅姉を回避し続けた僕の逃げ足を嘗めるなよ」
人混みに紛れてしまえば、夾は俊足を発揮できまい。そう考えた僕は、人通りの多い下の階へと向かった。
▼△
Side:由希
「カメラ、取り戻したのか?」
「うるせぇな、だめだったよ!」
1-Dの教室に先に戻っていた夾は、苛立たしげに答えた。
建視の身体能力は夾より劣っているけど、それを補って余りある抜け目なさを備えている。単純な夾は、軽くあしらわれたのだろう。
俺が追いかけても、建視を捕まえられたかどうか。建視は昔から俺を嫌っているから、意地になって逃げそうだ。
――由希って本当に嫌われ者なんだね。
脳裏に刻まれた慊人の言葉が蘇った。
駄目だ、思い出すな。俺は暗い記憶を心の奥底に封じ込めてから、本田さんに声をかける。
「話が飛ぶんだけど……はとりと建視の事。もしまた彼らと会う時があっても、2人きりになるのは避けた方がいい」
「え!? どうしてですか?」
「その……昔、俺の正体がバレた事があるって話をしたよね」
俺が小学2年生の頃、友達と一緒に遊んでいる最中に鼠に変身してしまった事がある。初めて友達ができた喜びに浮かれて、女の子に注意を払う事を失念した苦い過去。
「その時、皆の記憶を隠蔽したのが、あのはとりなんだ。はとりが悪い訳じゃないんだけど……用心してほしい」
当時の俺は泣きながら「おねがい、けさないで」と頼んだけど、はとりは俺の哀願を聞き入れなかった。
物の怪憑きにとって慊人の命令は絶対だから、はとりも逆らえなかったのだろう。頭では理解していたけど、俺は心のどこかではとりを責めていた。
そんな俺の負の感情を、建視は感じ取ったのか。慊人の屋敷で俺が建視と偶然鉢合わせた時、付喪神憑きの従兄は敵意を剥き出しにして叫んだ。
――じぶんだけがツライと思ったら、おおまちがいだぞ。おまえのドジのせいでインペイしなきゃいけなくなった、兄さんだってツライんだ。おれの兄さんにメイワクをかけるな!
建視も夾と同じように俺を憎むと思っていたのに、いつの間にか露骨な敵意は向けられなくなっていた。
俺と建視は和解した訳じゃないから、付喪神憑きの従兄は今も俺に対して良い感情を抱いていないだろう。それなのにヘラヘラ笑いながら俺に接してくる建視は、腹に一物抱えた
建視は腹黒だけど人当たりがいいから、彼のまわりには自然に
「あ、の……草摩君?」
いけない、本田さんに心配をかけてしまった。俺は気を取り直して注意事項を話す。
「はとり以上に厄介なのは建視だ。あいつは……物品に宿る人の残留思念を読む力を持っている」
「ざんりゅうしねん、ですか? えと、それはどのようなものでしょう?」
「ごめん、解りづらかったね。建視は素手で他人の物に触れると、他人の記憶を知る事ができるんだ」
「あ……だから建視さんは、手袋をはめていらっしゃったのですね」
人が隠している事柄を暴く建視の力は草摩の中でも恐れられているから、打ち明けるのは少し躊躇ったんだけど。本田さんが気になったのは、建視の手袋か。
「建視は普段、手袋は外さない。でも慊人に……草摩の当主に命じられたら、建視は力を使って本田さんの弱みを探ろうとするかもしれない」
本田さんの顔に、驚愕と困惑が浮かんだ。
脅すような事は言いたくなかったけど、俺が常に本田さんの側にいて守れる保証はないので、用心してほしかった。
本田さんは物の怪憑きの俺達を気味悪がらずに受け入れてくれる優しい人だけど、他人を警戒する事をあまりしないから心配だ。
▼△
Side:建視
夾を撒いて模擬店を見て回っていたら、占い部屋が開かれている生徒指導室を発見した。電波とやらで本当に人の心を読めるとは思ってないけど、ちょっと気になるから入ってみよう。
「いらっしゃい……」
淡々とした声で出迎えた女子生徒は、妖しい美貌の持ち主だった。
とんがり帽子を被って襟付きの黒いマントを着ているから、彼女の神秘的な雰囲気が増している。占いと言えば魔女だから、それっぽい仮装をしているのだろうけど。
長い黒髪を三つ編みにして右肩に垂らした彼女は、僕をまっすぐ見つめてきた。
赤髪赤目という目立つ外見特徴を持つ僕を前にした女の子は大抵、好奇の目で見てくるんだけど、彼女の黒目がちな瞳からは感情が読み取れない。ぐれ兄のように自分の思惑を隠している訳じゃなく、彼女は茫洋として捉えどころがない。
接客に必要不可欠な愛想のあの字も見当たらない無表情も、占い部屋の魔女を演じる上でのキャラ作りだろうか。それとも素なのか。
僕はそんな事を考えながら、テレビアンテナのような物を持った女子生徒の対面に置かれた椅子に座る。あのアンテナ、何に使うんだろう。占いをするなら、水晶玉やタロットカードを使うんじゃないか?
それはさておき、何を占ってもらおうかな。電波で人の心を読めるのか、って単刀直入に聞いたら失礼だろうし。
「単刀直入に聞いても構わないわよ……」
「えっ……本当に僕の心を読んだのか?」
「電波で人の心は読めないわ……電波はいわば人間の思念のようなものよ……耳というよりも脳に直接響く言葉が、あたかも電波の如く……」
説明を受けたけど、意味が解らない。謎めいた言葉を並べ立てて己の神秘性を高めるのは、インチキ霊能力者がよく使う手法だ。
「疑うなら何か1つ、強く思い浮かべてみて……」
目の前にいる彼女が、僕から連想できないものがいいだろう。そう考えた僕は、兄さんの仕事着を頭に思い描く。
「白衣……」
言い当てられてギョッとする。いや、待て。今のは、まぐれだったかもしれない。
「もう1回頼んでいい?」
「いいわよ……」
僕はポルナレフのスタンドを思い浮かべた。女子には取っ付きにくい作品と言われているジョ○ョの知識があったとしても、僕がどのスタンドを選ぶかまでは解るまい。
「シルバーチャリオッツ……」
彼女の力は本物だ! 俄然、興味が湧いた。
「立ち入った事を聞くけど……そういう力を持っていると、大勢の人の中で生活するのが難しいんじゃないか?」
「力を制御できなかった頃は、外出するのが苦痛だったわ……聴きたくもない
僕も小さい頃、物に宿った残留思念を読む力の検証を行った際、地獄を見る羽目になった。
あの苦しみは誰とも共有できないと思っていたけど、僕と似たような精神感応系の力を持つ子と出会えるとは夢にも思わなかったよ。
同志を得たような気分になった僕は身を乗り出す。女の子に抱きつかれたらまずいという警戒心は、頭の隅に追いやられていた。
「君は自分の意志で力を制御できるのか?」
「ええ、そうよ……」
「どうやって力を制御できるようになったんだ?」
「パッとしてシュッて感じ……」
彼女は感覚派のようだ。質問を変えて詳しい説明を求めようとした時、ピン・ポン・パン・ポーンとチャイム音が響く。
『1-Dの本田
アナウンスを聞いた彼女は、「大変……透君が呼び出されてしまったわ……」と呟いた。
「君は本田さんの友達?」
「そうよ……貴方は透君を知っているの?」
「うん。さっき1-Dの教室に行って、本田さんに会ったよ。僕は草摩建視。由希と夾の従兄だ」
「そう……道理で貴方から、草摩由希や草摩夾と同じ妙な電波を感じるのね……」
十二支に纏わる事柄は思い浮かべていなかったのに。僕は思わずギクッとしたけど動揺を押し殺し、余計な事は考えずに話を逸らす。
「一緒に談話室に行ってみようか?」
頷いた彼女は帽子とマントを脱いで、アンテナと一緒に机の上に置いた。
誘っておいて何だけど、占い部屋は放っておいていいのだろうか。僕がそう聞いたら、彼女は「文化祭はもうすぐ終わるから平気よ……」と言った。
「そういえば、占いの代金を払っていなかったね」
「私は占っていないからお代はいらないけど、そこの店の焼きそばが食べたいわ……」
僕は1-Dの女子達から貰った金券で、プラスチック製のフードパックに入った焼きそばを1つ買って彼女に渡す。
彼女は割り箸を割ると、廊下を歩きながら焼きそばを食べ始めた。後で食べると思っていたんだけど。余程お腹が減っていたのかな。
「デザートが欲しいわね……」
あっという間に焼きそばを完食した彼女は、甘味処の模擬店をじぃっと眺めている。僕は4串入りのみたらし団子を1パック買った。
これを差し出したら彼女は食べ歩きを再開しそうなので、みたらし団子が入ったフードパックを渡す前に質問する。
「君の名前は?」
「私は
花島さんはそれ以上話を続けようとせず、受け取ったみたらし団子を食べ始めた。
今まで接した事のないタイプだから、どう対応すればいいのか解らない。会話の糸口を見つける前に、目的地に到着してしまった。
談話室には放送で呼び出された本田さんの他に、元の姿に戻って服を着た紅葉と、一服中の兄さんの姿もあった。
そしてもう1人、1-Dで見かけた人工的な色合いの金髪と薄い眉が特徴的な女子生徒もいる。彼女が着用している制服のスカート丈は、一昔前のスケバンのように足首まで届く長さだ。
「花島も来たか。男連れたぁ、やるじゃねぇか」
気安い話しぶりから察するに、彼女は花島さんと本田さんの友達らしい。全くタイプの違う3人がどういう経緯で仲良くなったのか、ちっとも想像できないよ。
「いやね、ありさったら……彼は私の客よ……色々と買ってもらったの……」
「花島さん、その言い方は誤解を招くから……」
「ボク、知ってるよ! それってエンコーって言うんでしょ」
おい、やめろ。外見だけは小学生の紅葉が
僕が即座に「違う!」と否定すると、吸いかけの煙草を灰皿に押しつけた兄さんがボソッと呟く。
「俺の育て方が間違っていたのか?」
「兄さん……冗談に聞こえないボケはやめてくれ」
「はとりさんと建視さんは、ご兄弟だったのですか!?」
ぱあっと明るい笑みを広げた本田さんが、助け舟を出してくれた。僕はこれ幸いとそれに乗っかる。
「そうだよ。僕と兄さんの面立ちはよく似ているだろ?」
「はいっ! はとりさんと建視さんは、お2人ともカッコイイです!」
「トール、ボクは?」
「紅葉さんはお可愛らしいですよっ」
本田さんは年下の紅葉にも敬語を使っている。その話し方が癖になっているのかな。
不満そうに唇を尖らせた紅葉は、「ボクにもカッコイイって言ってよーっ」と駄々を捏ね始めた。それを見た兄さんが席を立つ。
「それでは、また会おう」
「Bis bald!(またね!)」
紅葉はともかく、兄さんは仕事で忙しいのに本田さんとまた会うつもりなのか? 後で兄さんから話を聞こう。僕は本田さん達に「じゃあね」と挨拶して、談話室を後にした。