「あ、そーだ。進路希望の紙、提出まだの奴、期末考査の前には出してくれよ? 夏休み明け、すぐに三者面談あるんだからな。保護者の方にもその旨、キチンと伝えておくように。以上」
4限の古文の授業終了後、黒板を消していた
進路希望の紙は提出済みだから問題ない。でも三者面談がなぁ。兄さんは僕の保護者としてちゃんと予定を空けてくれるけど、
僕が中学3年生だった頃、三者面談の当日に慊人が熱を出して兄さんが付きっ切りで看病しないといけなくなって、面談の日を変えてほしいと先生に頼んだ事がある。
繭子先生に迷惑をかけたくないから、面談当日に慊人が具合悪くならないように祈っておこう。
ドガラッショーン!!
突然、窓際の方から大きな音が響いた。何事かと思って見たら、
「昼メシだー、腹へったー、チクショー!!!」
「う、う、
すけっちが恐る恐る聞くと、お腹を押さえた魚谷さんは不機嫌丸出しで怒鳴る。
「腹がへってムカついてんだよ! 腹がへるとキゲンが悪くなんだよ! ネボウしたから朝メシ抜きなんだよ!」
「はぁ……それで何故に、きょんきょんの机を……」
「蹴りやすいからだ!」
僕の中のベスト・オブ・理不尽は慊人で揺るがないと思っていたけど、魚谷さんという強敵が出現した。魚谷さんがお腹を空かせた時に備えて、非常食を常に持っていた方がいいかもしれない。
「おい……っ。せいぜい女に生まれてきたことに感謝するんだな、ヤンキー……っ。てめえ男だったら瞬殺モンだ、クソ
「女に生まれてきたからこその行動に決まってんだろが。バーカ、ボーケ」
夾と魚谷さんは互いに胸倉を掴んで睨み合っている。拳と拳の語り合いに発展しなさそうだから、放っておいても大丈夫だろ。あー、お腹減った。
「
お弁当を持って誘ってきた
生徒会とクラス委員を掛け持ちしている
驚いた事に夾も付いてきている。夾の不本意そうな表情から察するに、本田さんの誘いを断りきれなかったのだろう。
「天気がいいから外で食べようぜ」
魚谷さんの提案を聞いて、僕は教室の後ろにあるロッカーを開ける。
プール付近の空き地に向かって、10人用サイズのレジャーシートを芝生の上に敷くと、本田さんが弾んだ声を上げる。
「あっ、モゲ太さんですねっ。可愛いです……っ」
由希と夾はレジャーシートにプリントされたモゲ太とアリのイラストを見て、現実逃避するような遠い目をしている。嫌なら座らなくてもいいんだぞ。
「
「はいっ」
「そうよね……困ったわ……私はまだなの……」
憂鬱そうに溜息を吐く花島さんもイイ……じゃなくて、僕の出番だ!
「花島さんが進学を希望するなら、僕が志望校に合わせた学習プランを立てるよ」
「リンゴ頭は大学受験するンだろ。花島の家庭教師をする余裕あンのか?」
「僕は高校を卒業した後は家の仕事の手伝いをするから、大学は受験しないんだ」
由希は察したのか、やや険しい顔になっている。将来的には由希も慊人の側近になるだろうけど、僕と由希の待遇は天と地ほども違う。
神様に1番近い存在である
僕は任務漬けの日々を送る羽目になるってのに。兄さんの負担を増やさないように、グロ耐性をつけとかなきゃな。
カップラーメンを食べていた魚谷さんは「ふーん」と言って流してから、本田さんの方を向く。
「ちなみに透の進路って、やっぱアレ?」
「えっと……やはり就職して……ちゃんと自活できるようになりたいですっ」
本田さんは高校を卒業したら、ぐれ兄の家から出ていくつもりなのか。まぁ、そうしてくれた方がいいな。夾の事もあるし。
「就職もいいけど、透にはお嫁さんになるって手もあるんだぞー?」
「へ!?」
「あら大変……じゃあ私、やっぱり大学に入ってより良い就職をした方がいいわよね……」
「おめーがもらってどうすんだ」
彼女達のやり取りを聞いて、僕は金槌で殴られたようなショックを受ける。
花島さんの本田さんに対する愛情は、女友達の域を超えていると思っていたけど、同性婚を望むほどだったとは……。
落ち着け、冷静になるんだ。花島さんがどこの馬の骨とも知れない男と結婚するより、本田さんと結ばれる方が良いと思わないか?! そうだな、その通りだ。
「そーじゃなくて、例えば王子ときょんのどっちかとかさぁ」
名指しされた由希と夾は、「は!?」と綺麗にハモった。こいつらバカだ。もっとマシな受け答えはあっただろうに。
本田さんラブの魚谷さんと花島さんは、威圧感を放ちながら立ち上がる。
「『は!?』ってなんだ。『は!?』ってのは、あ゛あ゛……!? まさか透じゃ不服とでも言う気じゃねぇだろうな、コラ……!!」
「そういう訳じゃないけど……っ」
「あら……じゃあ勝負する……?」
「勝手に話進めて勝手にケンカ売ってんじゃねぇよ!!」
戦闘態勢に入った親友達を止めるため、本田さんが「あっ、あの」と発言する。
「もしもお嫁さんになれたとしても、それはまだきっと先のお話ですよ……」
「ははっ。案外あたしが先に結婚したりしてなーっ」
「けっ。誰も欲しがんねぇよ……っ」
余計な事を口走った夾は、魚谷さんに殴られていた。
僕が小学生だった頃にぐれ兄が、「こういう場合は『紅野も鳴かずば撃たれまい』って言うんだよ」と教えてくれた時のインパクトが強くて、誤用の方が先に出てしまうんだ。
紅野も鳴かずば撃たれまいって言った時のぐれ兄は笑顔だったけど、黒灰色の目はちっとも笑っていなかった。ぐれ兄は慊人のお気に入りの紅野兄を、目の敵にしているのだろう。
僕も慊人との距離感に気を付けないと、ぐれ兄が本腰入れて敵対してきそうだ。ぐれ兄は僕のアキレスは兄さんだと知っているから、敵に回したくないんだよな。
「まっ、嫁はともかく、ちょっといいかなぁとか思う男にバイト先で会ったけどな」
魚谷さんの言葉を聞いて、本田さんと花島さんも驚いている。親友にも初めて打ち明ける話だったようだ。
「どんな
「んー……透みたいな奴だったかな」
「それはぜひ見てみたいわね……」
花島さんが男に興味を持った……だと……!?
これは由々しき事態だ。魚谷さんが本田さん似の男性と無事ゴールインできるように、全力でサポートしなければ。
▼△
7月12日に、期末テストが返却された。
今回の試験で合格点を取れば、心置きなく夏休みを満喫できる。赤点を取ると、夏休み中も学校に行って補習を受ける羽目になる。正に天国と地獄の分岐点……!
僕は平均95点を割った事がないから、分岐点に立つヒヤヒヤ感を味わった経験はないけど。前回の中間に引き続き、今回の期末でも総合点で由希に負けたので悔いを残す結果になってしまった。
由希は生徒会の引き継ぎ作業とかで忙しくしていたのに、勝てなかったから悔しさは倍増だ。次の中間では、由希にぎゃふんと言わせてやる。
それはさておき、花島さんと本田さんは全ての教科で合格点を取った。よかった、よかった。
花島さんはクーラーの無い教室で補習を受けたくないと言って、今までになく真剣に勉強に取り組んでいたからな。
普段もあれくらい真面目に勉強していれば……と思ったけど、言わなかった。花島さんが勉強できるようになったら、家庭教師の僕はお役御免になっちゃうからね。
7月14日に僕は再び1人で、リン姉のお見舞いに行った。
ベッドサイドテーブルに突っ伏したリン姉は、キャミソールにショートパンツという露出度の高い格好だ。
背中に負った10針以上縫う大怪我は一応塞がったとはいえ、無防備に剥き出しにしていて大丈夫なのかな。
服装以上に気になる点があるけど。床に散乱しているプラスチック製の食器や病院食とか。
食べたくないからって、食事を床にぶちまけるのはやめようよ。もったいないお化けが出るぞ。
それと下膳は自分でしてほしい。自力で動けない患者さん以外は、自分で食器を返却しているんだからさ。
注意してもリン姉は聞き入れようとしないので、必然的に見舞客が片付ける事になる。
下膳時間をとっくに過ぎた頃にナースセンターに食器を持って行くと、看護師さん達が迷惑そうな顔をするんだよね。病院はセルフサービス方式の料理店じゃないから、当然の反応だけど。
僕は見舞いの品として持ってきた果実型のカップに入ったゼリーセットを棚の上に置いて、顔を上げようとしないリン姉に声をかける。
「
食事を摂らないせいでリン姉は衰弱気味だから、入院期間は更に長引くかと思われたけど。問題行動を繰り返すリン姉に手を焼いた病院側が、自宅療養という名目の厄介払いをしようと決めたのかもしれない。
草摩系列の病院だからって、一族の者全てに対してVIP待遇する訳じゃない。草摩の上層部の者やその身内だったら、話は別かもしれないけど。世知辛いなぁ。
「建視は知っているんじゃないか?」
ベッドサイドテーブルに肘をついて顔を上げたリン姉は、射るような視線で僕を睨みつける。質問の意図が解らなくて、僕は「何を?」と聞き返した。
「
何百年も続いている呪いを解く方法? 本気で言っているのか? リン姉の表情は怖いくらい真剣だから、「新手のジョーク?」とか言ったらブン殴られそうだ。
「そんな方法……知らないよ」
声が少し裏返ってしまった。予想もしなかった事を聞かれて動揺したせいであって、嘘を吐いた訳じゃないからね!?
僕を観察していたリン姉は僕が本当の事を言っていると判断したのか、落胆したように表情を曇らせた。
「どうしてそんな事を聞くんだ?」
僕が問いかけると、解りきった事を聞くなと言わんばかりにリン姉は整った眉を顰める。
「建視は呪われたままで構わないっていうのか?」
「……呪いさえ無ければ、と思う時は多々あるよ」
精神的負担の大きい任務をこなす時とか。抱えきれない記憶を兄さんに隠蔽してもらう時とか。
学校や街中で、異性にぶつからないように神経を使う時とか。クソ暑い真夏に手袋をつけている時とか。他にもたくさんある。
「思うだけ? 呪いを解く方法を調べようとはしないの?」
「そもそも呪いを解こうと思った事すらないから、調べようとした事はないよ」
病院を何度も抜け出してどこに行っているのかと思っていたら、リン姉は呪いを解く方法を捜し回っていたようだ。
慊人は物の怪憑きとの“絆”を非常に重要視している。呪いを解こうとする者が十二支憑きから出たと慊人が知ったら、厳重な処罰を下すだろう。
僕が忠告しなくても、リン姉はその危険性に気付いているはずだ。でもリン姉は自分を大切にしない傾向があるから、無茶しそうな予感が……。
まさかとは思うけど。
「呪いを解く方法を捜している途中で、大怪我を負ったんじゃ……」
「違う。知らないなら、おまえに用はない。出て行け」
「床に落ちている食事と食器を片付けたらね」
洗面所に置いてある雑巾を取りに行こうとしたら、リン姉が鋭い声で「おい」と呼びとめてきた。
「アタシが呪いを解こうとしている事、他の奴らに絶対言うな。言ったら殺してやる……っ」
リン姉に内緒で春に話すのは……やめておこう。僕がバラしたとリン姉に知れたら、報復が怖い。
本気で僕の命を奪う凶行は流石にしないと思うけど、社会的に殺しに来るかもしれない。
僕は肩を竦めて「誰にも言わないよ」と答えてから、今度こそ雑巾を取りに行った。