今回と次回はドラマCDの話です。
33「ナゲシそうめん!」
「ケン! Guten Morgen!(おはよう!)」
白い半袖のセーラー服と青いショートパンツを合わせた、改造制服姿の
今日、8月10日は登校日だから制服を着ているのはおかしくないけど、やってくる時間がおかしい。普段登校する時間より1時間も早いぞ。
「おはよう、紅葉。こんな早くにどうした?」
「早くガッコー行きたくて、待ちきれなくなっちゃった!」
多くの学生が、紅葉とは真逆の事を思っているよ。
「ドライバーさんを急かすのは気の毒だから、家に上がって待ってろよ」
「え~、待つのヤダなぁ……そうだっ! 学校まで走っていこうっと」
回れ右した紅葉のウサギリュックを掴んで、「待て」と制止する。
「道を歩いている女性にぶつかって、変身したらどうするんだ」
「ぶつかったりしないもーんっ」
「万が一って事があるだろ。お手伝いさんにアイスココアを作ってもらうから、それを飲んでいきなよ」
不満そうな顔をしていた紅葉は、アイスココアに釣られて家の中に入った。これでひと安心だ。
僕がお手伝いさんにアイスココアを頼むと、紅葉が気遣わしげに聞いてくる。
「ねぇ、ケン。今日の午後はニンム入っているの?」
「ううん、入らなかったよ」
「よかった。それじゃ、みんなと一緒に遊ぼっ!」
むしろこっちから遊びに誘おうと思っていたので、僕は二つ返事で了承した。
んで。僕と紅葉と春は定刻通りに送迎車に乗って、学校に向かった。
紅葉や春とは昇降口でお別れなのだが。紅葉は
「トールっ!」
「あっ、紅葉君!」
廊下の途中で、スクールバッグを持った本田さんと由希に出会った。
「トール、元気だったっ? ユキもー」
「はいっ、元気でした!」
「久しぶりだね、本田さん」
「お久しぶりです、
5日前に任務をこなしたから、本田さんの癒しオーラが染み渡る。安らぎに包まれて気分リフレッシュした僕は、本田さんの隣に立つ由希に視線を移す。
「由希も……会わない間に背が伸びたな」
「そりゃ、成長期だからな」
「僕だって伸び盛りだから、由希に負けてないぞ」
「建視がはとりに似ているのは顔と身長だけなんだから、頑張って伸びろよ」
こんのネズ公。久々に嫌味かましてくれるじゃないか。僕が臨戦態勢に入った時、少し遅れて歩いていた春が合流して由希に声をかける。
「由希……」
「あっ、
「……うん」
「春……いつもの調子なんだか、暑さでバテているのか解らないよ。もう少ししゃんとしなって」
「由希、春の母親みたいだな」
先程の仕返しも込めて僕が言ってやったら、濃灰色の目を吊り上げた由希が「バカな事言うな!」と怒鳴った。
「由希は俺の母親っていうより……前世で生き別れた姉妹ってカンジ」
なんで姉妹なんだ。せめて兄弟にしておけよ。由希も反応に困っているぞ。
「トール、トール、今日一緒に遊べる!?」
「ごめんなさい、今日は夕方からバイトがありまして……」
ありゃ残念。本田さんが一緒に遊べないとなると、花島さんが来る可能性は低いな。
「あー……そうなんだ。トール、タイヘン……久しぶりに会えたのにねー」
「それなら、お昼を一緒に食べるのはどう? 今日は午前中で終わるだろ?」
僕が代案を出すと、本田さんは嬉しそうに笑って「はい、食べましょう!」と賛成してくれた。
「やったー! あのね、ボクね、食べてみたいものがあるのっ。テレビでやってたの、流すのっ!」
紅葉の漠然とした発言を受け、本田さんは小首を傾げながら「流すの……?」と呟く。
「うん、えっとねっ。んー……な……ナゲシそうめん!」
「惜しい、紅葉。ナゴシそうめんだ」
「紅葉はともかく、建視は重度の夏休みボケか? 流し素麺だろ」
由希が冷ややかな目を僕に向けてきた。喧嘩腰だな。母親ネタを根に持ったのか?
「さっきのは紅葉のボケにかぶせたんだ。由希はお笑いの勉強をした方がいいぞ。
「目指してない……っ。それより流し素麺って、あの……?」
「あのねっ、すっごい長いツツにねっ、そうめん流してみんなで助けあうのーっ!」
ボーッとしていた春が、「……すくいあう」と訂正した。話を聞いていないようで、ちゃんと聞いていたらしい。
「それがね、すっごい楽しそうだったの。ボク、あれやったコトないのっ」
「紅葉、あれは一般家庭でできるものじゃ……」
由希の消極的な意見を遮って、僕が「できるだろ」と言い返した。
「いや、できないだろ。第一、道具が……」
「流す道具なら、手配すれば昼には届くと思うよ」
草摩の本家の力を借りると察した由希が、嫌そうに顔を顰めた。僕達だけで素麺を流す台を1から作るとなると、半日じゃ終わらないぞ。
「私もやった事ありませんので、ぜひやってみたいです……っ。私も以前テレビで観まして、とても楽しそうだと思っていたのですっ!」
「やったあ! 決まりね、決まりねっ! じゃあ、シーちゃん家を借りてみんなでやろう! ハルも一緒にやるでしょ?」
「……ああ、いいんじゃない」
春はそんなに乗り気じゃなさそうだ。リン姉と会う約束をしているのかな。それなら、先約があるって言うか。
「そうですね。では、
「あら……素麺を食べるの……?」
風鈴のように涼やかな声が聞こえた……と思ったら、花島さんがいつの間にか近くにいた。由希は驚いたのか、「がっ」と間抜けな声を上げている。
「はなちゃん、おはようございますっ」
「花島さん、久しぶり」
「おはよう、
花島さんが約3週間ぶりに僕の名前を呼んでくれた……! これだけで学校に来てよかったって思えるよ。
「夏はやっぱり素麺ね……でも、素麺は綺麗な水を使わないと駄目……喉越しが全然違うわ……カルキ臭いなんて以ての外……」
水にこだわるなんて花島さんは食通だな。お茶を点てるために良質な水を求めて方々歩き回って、料亭の岡星に辿り着いた稀代の茶人である
「つゆはできる事なら手作りが良いわ……もちろん、出汁はかつおだし……結局、あれが1番しっくりくると思うの……そしてよく冷やしたつゆと共に、同じく冷えた素麺を食べる……夏ならではの味覚よね……」
「花島さんは素麺が好きなんだね。よければ一緒に食べようよ」
僕が誘いをかけたら、花島さんは少し考えるようにして「そうね……」と呟く。
「それじゃ……ご馳走になろうかしら……」
「はいっ! ぜひぜひ、ご一緒しましょう……っ」
「楽しみにしているわ、透君……」
花島さんが教室に向かうと同時に、紅葉が「キョーも誘おうよっ!」と言い出す。
紅葉や春も一緒に2‐Dの教室に入ると、夾が自分の席に着いて漫画を読んでいた。
「キョー、あのねーっ! ガッコーが終わったら、みんなでナガシそうめんするのよーっ!」
「あー、もうっ。朝っぱらから耳元でギャーギャー騒ぐな、このガキ。おりゃ、今日は機嫌が悪ぃんだよっ」
「にゃはははっ、キョーはいつだってゴキゲン悪いじゃない」
「また由希に負けたの……?」
春に図星を衝かれたのか、言葉に詰まった夾は間を置いて「……うるせぇ」と言い返す。
「用があるならさっさと言え。素麺がなんだってんだ」
「あのですね。今日のお昼に皆さんで流し素麺をしようという事になったのですが、夾君もぜひぜひご一緒しませんか?」
本田さんから誘いを受けて幾らか機嫌が直ったのか、夾の険しい表情が少し和らいだ。
「ご一緒も何も……紫呉ン家でやるんだろ?」
「はいっ。まだ紫呉さんから、お許しは頂いてませんが……」
「だったら、必然的に俺もそこにいるって事じゃねぇか。いちいち聞くなよ」
「聞く必要はあると思うけど。帰宅した直後に『流し素麺をしようよ』って誘われたら、夾は『急に何言い出すんだ。こっちの都合もちったぁ考えろ』とか言って怒るだろ」
僕が猫憑きの従弟の口調を真似ながら指摘すると、夾は物凄く嫌そうな顔をした。
「……どうでもいいが、なんで流し素麺なんだよ。ああいう腹に溜まんねぇモン食って、意味あんのかよ。水っぽいだけじゃねぇか、流し素麺なんざ。なにが流し……」
夾は怪訝そうに眉を寄せて「流し?」と繰り返し、オレンジ色の目を驚きで見開きながら「流し!?」と再び同じ言葉を発した。
「流しって、あの流しの事か!?」
5回目も“流し”って言った。そんなに驚く事か?
「そう、流すの……」
「そして、すくうのー!」
春と紅葉がテンポ良く受け答え、夾が呆れ顔で「おまえらなぁ……」と言った時。
「素麺にはワサビが良く合うと思うの……」
「うぉっほぅ?!」
足音を立てずに現れた花島さんに度肝を抜かれたのか、夾が奇声を上げた。
武道の心得がある者が人の気配を感じ取れないなんて、普通だったら駄目出しする処だけど。花島姉弟は忍者かと思いたくなるほど、気配を絶つのが上手いのだ。
「我が家ではワサビを入れるのが常識なの……ともすると単調な味になりがちな素麺を、ワサビを使うとアクセントがつくし、食欲も湧くわ……もちろん、ワサビはすりたて……香りが違うわ……チューブ入りのワサビなんて、以ての外よ……」
僕と兄さんが素麺を食べる時に用意する薬味は、ネギとおろし生姜とミョウガだけど、花島家はワサビにこだわっているのか。素麺の流し台の手配に加えて、生ワサビも頼んでおこう。
あ、そうだ。ぐれ兄にも電話しないと。
「という訳で、今日の昼は皆と一緒に流し素麺をしたいから、庭を貸してよ」
『けーくん、開口一番に「という訳で」とか言われても解らないって』
「ぐれ兄は作家なんだから察してよ」
『あのね、作家はエスパーじゃないのよ。まぁ、もみっちが流し素麺をやろうと提案して、由希君が道具がないとできないと反対して、けーくんが道具は手配すれば用意できると言って、透君がぜひやってみたいと鶴の一声を発して決まったんだろうケド』
お見通しじゃないかと僕が慄いている間も、ぐれ兄は滔々と語り続けている。
『かつおだしを利かせたおつゆに、あの白くて繊細な素麺を浸して食す。これこそが夏の醍醐味、流し素麺の醍醐味というもの。やっぱり夏は冷たい流し素麺だよね。そう、流し! ……流し? 流しってもしや、あの流し?」
4回目も“流し”って言った。そんなに驚く事か? ……さっきも同じようなやり取りをした気がする。
何はともあれ、
草摩温泉で研修中の
全校集会で校長先生の長い話を聞いた後に掃除をして、ホームルームで
学校に来なかった
杞紗からは『また今度誘ってね』と可愛らしい返事が届いたけど、燈路の返信には『デートの邪魔しないでよ』と抗議が記されていた。……べっ、別に羨ましくなんかないんだからねっ。
僕と本田さんと花島さん、由希と夾と紅葉と春の7名は、下校途中にスーパーに寄って素麺とペットボトル入りのジュースやお茶を買い、その足でぐれ兄の家へと向かう。
「なんで、ンな所に給水車が停まってやがんだ?」
ぐれ兄の家に続く石段の下に停車する給水車を見て、夾が疑問を口にした。
「花島さんがカルキ臭い水は素麺に適さないって言ったから、天然水を用意したんだよ」
僕が答えたら、本田さんが驚きで焦げ茶色の目を丸くした。花島さんは表情を変えずに、「水は大事よね……」と言っている。
彼女達の反応は納得できるけど、由希と夾が若干引いているのは何故だ。気になる女の子の要望に応える事ができないようじゃ、男が廃るぞ。
長い石段を登りきった時、「きょーくーん♡」と甘え声が聞こえた。ぐれ兄の家の玄関先で、楽羅姉が待ち受けている。
「やあ、楽羅姉。早かったね」
「建視、てめぇ! 楽羅を呼びやがったな!?」
「夾。恨むなら、楽羅姉が今日予定を入れていなかった不運を呪うがいい……」
僕が話している途中で、楽羅姉はロケットスタートをかけた。身の安全の確保を怠った夾は、楽羅姉によって敢無く捕獲される。
「きょぉぉくぅぅん!! せっかくの夏休みなのに中々会いに来れなくて、ごめんなのねェア!! 会いたかったァ~!! 会いたかったよォ!! 寂しかったァ!! わ・た・し・も寂しかったァ、ンだからっ!!」
チンピラのように巻き舌でしゃべりながら、楽羅姉は高速の連続パンチと延髄斬りを夾に浴びせる。
バーサーカー化した楽羅姉に、流し台を壊される事態を恐れて呼ぶかどうか迷ったけど、呼んでおいて正解だった。呼ばないを選択してそれが楽羅姉にバレたら、シメられていたな。
「こうしてっ!! やっとっ!! 来てっ!! やったぞオラァァァ!! ありがたく思えオラァァァァ!!」
楽羅姉はフィニッシュとばかりに、夾の両足を掴んでジャイアント・スイングを仕掛けた。ぶん投げられた夾は、「うわああああ!」と悲鳴を上げながら空高く舞っている。
あのまま落下するとやばいんじゃと危ぶんだが、「うぉらァ!! ラブ・キャーッチ!!」と叫んだ楽羅姉によって夾は無事に受け止められた。
夾は地面に体を叩きつけられずに済んだ代わりに、楽羅姉の万力のような抱擁を受けているから、無事とは言えないけど。
と、その時、恵君が玄関から出てきた。
「皆さん、こんにちは……外が騒がしかったけど、何かあったの……?」
「いいえ……特に何もなかったわ……」
普段通りの無表情で報告した花島さんに、由希は畏怖を込めた視線を送る。由希だって夾が楽羅姉にボコられた時、いつもの事だと流していただろ。
「すっごーい! なっがーいね!」
居間に面した庭に向かった紅葉が、歓声を上げた。
細めの竹を3本組んで紐でしっかり固定した足場が、緩やかな傾斜がつくように高さを変えて幾つも設置され、半分に割って節を取り除いた竹の流し台が足場の上に載っている。
そして紅葉の言う通り、素麺の流し台は予想以上に長かった。
台所の窓に面した裏庭から家をぐるりと半周して、途中で曲がり角が2ヶ所ほど設けられて、居間に面した表庭まで続いている。
「す、すごいです……っ! テレビで観た流し素麺と同じです……っ! このように立派な道具を、一体どなたが用意して下さったのでしょう……?」
「僕が1人で作ったんだよ、透君」
縁側に出てきたぐれ兄が、呼吸をするように嘘を吐いた。
本田さんと夾が、ジェイソンという熊がいると信じてしまった悲劇を繰り返さないためにも、ちゃんと訂正しておこう。
「本田さん、ぐれ兄の言う事は7割方嘘だから鵜呑みにしちゃ駄目だよ。この流し台はウチの庭師さん達が、僕の要望を受けて作ってくれたんだ」
「人聞きの悪い事言わないでよ、けーくん。僕は生まれてこの方、嘘なんか吐いた事がないのが自慢なんだから」
「早速、嘘を吐いているじゃないか」
笑顔で睨み合う僕とぐれ兄を余所に、紅葉がはしゃいだ声を上げる。
「ねーねーっ! 早くナガシそうめんしようよーっ!」
「あっ、そうですねっ! では早速、素麺をゆでますね……っ。つゆは僭越ながら、私が作らせて頂きますです」
「ホーントホント!? わはーい、やったぁ、楽しみーっ!」
「透君が作るつゆは絶品だから、私も楽しみだわ……」
お世辞でも何でもない事を示すように、花島さんは微笑みを浮かべている。続けて発言した恵君も、心なしか表情が柔らかい。
「母さんが作るめんつゆも美味しいけど、透さんが作るめんつゆは違った美味しさがあるからね……」
「素麺だけだと男の子は物足りないかもしれないと思って、かき揚げと鶏天を作って持ってきたよ。夾君には
楽羅姉に抱きつかれている夾は抵抗を諦めたのか、「……ああ」と力無い返事をした。
流し素麺に参加する面子が集まったので、手分けして準備に取り掛かる。
本田さんと楽羅姉は調理を担当。花島さんと恵君は、人数分のお椀や箸やグラスを出して縁側に運ぶ。
僕と紅葉と春と夾は給水車の長いホースを引っ張ってきて、流し台の1番高い所から水が流れるようにホースを足場に設置する。
由希はというと、自分の畑とプランターから葉ネギとシソとミョウガを取ってくると言っていた。
ぐれ兄は皆が働き始めた途端、「僕は残っている仕事を片付けなきゃ」とか言って、仕事場兼書斎に引っ込んだ。