神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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35「2年以上経っているか」

 深く沈んでいた意識が覚醒する。

 自室のベッドの上で目覚めた僕は、棚付きのヘッドボードに置いた携帯電話を掴んだ。画面には『8月11日(水) 18:14』と表示されている。

 

 昼寝して寝過ぎたのか? いや、違う。あー、そうだ、思い出した。今日の午前中は任務が入ったんだっけ。

 慊人(あきと)と一緒に高級ホテルに行ってトイレで胃の中を空っぽにしてから、私服警官と対面した処で記憶が途切れている。

 凄惨な事件に関する残留思念を読んだけど自分の中では処理できず、例の如く慊人に頼み込んで兄さんに隠蔽術を施してもらったのだろう。

 

 終わった事を考えても仕方ない。

 軽くシャワーを浴びて服を着替えた後、喉の渇きを覚えたので台所に向かい、冷蔵庫に入っていた500mlペットボトル入りのスポーツドリンクを取って飲む。

 自室に引き返そうとしたら、廊下で白衣姿の兄さんと出くわした。兄さんは気遣わしげな面持ちで、僕を見つめてくる。

 

建視(けんし)、具合はどうだ?」

「……頭がぼーっとしている」

 

 僕は正直に答えた。

 何時だったか兄さんに心配をかけまいとして「何ともないよ」と答えたら、医師モードになった兄さんに見抜かれて叱られた事があるのだ。

 

「念のために診察するぞ」

 

 診察室を兼ねた客間に入った兄さんは、キャスター付きの事務椅子に腰掛けた。僕は丸椅子に座って、兄さんと向かい合う。

 

「自分の名前と誕生日と血液型は?」

草摩(そうま)建視、4月15日生まれ。大らかなO型」

「俺の名前と誕生日と血液型は?」

「草摩はとり、6月25日生まれ。真面目なA型」

 

 続けて、僕達の両親の名前と生年月日を訊かれた。この質問は、僕の記憶に欠損がないかどうか確認するためだ。

 対象者の潜在意識に外部から働きかける隠蔽術は、失敗すると他の記憶にも影響が出てしまうらしい。

 兄さんが隠蔽術を失敗したという話は聞いた事がないので、大丈夫だと思うけど。兄さんは慎重派だから、念には念を入れたいのだろう。

 

「頭痛はあるか?」

「ないよ」

「肩こりは?」

「ないよ」

 

 目眩、吐き気、手足の痺れ、動悸、息苦しさ、倦怠感など。兄さんは体の不調を1つ1つ尋ねてくる。

 まどろっこしく感じてしまうが、これは声の調子から患者の容体を診断する聞診を兼ねているらしい。

 聴診器をつけた兄さんは僕の胸の聴診を行って、心音や呼吸音を確認する。血圧と体温を測ったら診察は終了だ。

 

「疲れているのに引きとめて悪かったな。これをやる」

 

 兄さんはそう言って、机の引き出しから取り出した個包装された飴玉を差し出した。

 子供扱いされている気がしなくもなかったけど、兄さんの深い青の瞳には案じる色がずっと浮かんでいたので、飴玉を大人しく受け取る。

 

「ありがとう、兄さん」

 

 隠蔽術を施してくれた感謝も込めてお礼を言うと、兄さんは悲しみを堪えるように目を伏せてから言葉を返す。

 

「……気にするな」

 

 居間から出た僕は溜息を吐く。今回も兄さんに負担をかけてしまった。

 兄さんに迷惑をかけずに任務をこなせるようになりたいけど、凄惨な残留思念を読んで平然としていられるようになったら、人間をやめたも同然だと思う。

 僕の葛藤を上層部の連中が知れば、「盃に変身するおまえは人間じゃないだろう」とか言いそうだけど。

 

――建視は呪われたままで構わないっていうのか?

 

 リン姉の言葉が不意に頭を過った。

 呪いを解く方法なんて本当にあるのだろうか。僕は、黒い絹の手袋をはめた右手を見つめながら考える。

 残留思念を読む力を使えば、記録に残らなかった古い史実を調べる事ができるけど。古美術品って高い確率で、エグい残留思念が残っているんだよな。

 古美術品に残る残留思念を通して残酷な場面を垣間見た記憶はないが、力の検証の最中に僕は何度か発狂しかけたらしいから、グロ注意な残留思念を読んじゃったんだと思う。

 

 力を使って呪いを解く方法を調べるのは無理っぽい。いや、本当の事を言えば無理じゃない。僕が本気で呪いを解きたいと思えば、発狂覚悟で力を使って史実を探るだろう。

 

 でも、僕はリン姉ほど必死にはなれない。

 リン姉には「呪いさえ無ければ」と言ったけど、僕と慊人と物の怪憑きの仲間達を無条件でつなぐ“絆”に愛着を抱く気持ちもある。

 それに、だ。僕と兄さんの呪いが同時に解ければいいけど、どちらかが解けなかったら、お互いに罪悪感を抱き続けるだろう。

 

 ……起きる可能性が限りなく低い仮定の話で、悩むのは止めだ。今の精神状態だと、ロクな考えが浮かばない。

 兄さんから貰ったグレープ味の飴玉を口の中に入れて、気持ちを切り替えてから自室に引き返した。

 

 

 

▼△

 

 

 

 8月13日の今日は任務が入らない。何故なら夏の大切な行事があるから。といってもコミケじゃない。迎え盆だ。

 くだらねぇ人間どもの行事なんか知ったこっちゃねぇ。遊び倒してやるぞシャハハハ!! ってな感じで調子乗っていると、保護者である兄さんまで親戚に白い目で見られてしまうから、家で大人しくご先祖様を迎える準備をしている。

 

 慊人が住む屋敷では、祭壇の四隅に葉のついた青竹を立て、竹の上部に縄を張った立派な盆棚を設けているのだが。我が家では、仏壇の前に真菰のゴザを敷いた小机を置き、その上に茄子やきゅうりの牛馬やお供え物を飾る簡易版の盆棚だ。

 

 僕は死後の世界否定派だから、きゅうりや茄子で馬や牛に見立てたものを作って、何の意味があるのかって毎年思っていた。

 ご先祖様が黄泉から戻ってくる時は急いでもらうために馬に乗り、別れを惜しみたいから牛に乗ってゆっくり帰ってもらう。という意味があるのは知っているけど。

 霊魂ってのが実在するとしたら、父さんと母さんは僕の顔を見たくないはずだから、黄泉から戻ってこない可能性が高いとか思ってしまう訳で。

 

 けれど、今年は少し違う思いでお盆を迎えていた。

 

「父さんと母さんって、どういう人だった?」

「……なんだ、藪から棒に」

 

 仏壇の上部に鬼灯を吊るしていた兄さんは、怪訝そうに眉を寄せた。

 父さんか母さんの月命日にこの質問をしようと思っていたけど、僕の中で両親の話題は地雷扱いになっていたから、話を持ちかけづらかったのだ。

 だけど、迎え盆の準備を兄さんと一緒にしている今なら、父さんと母さんの思い出話で多少心を揺さぶられても、それも供養の一環だと思えそうな気がする。

 お盆という行事は、死別を経験した生者が自分の心と向き合ったり、喪失感や哀しみを抱えた心のバランスを取ったりするために必要なのかもしれない。

 

魚谷(うおたに)さんが本田(ほんだ)さんに出会って、心の奥底では温かい家庭を求めていた事に気付いたって話を聞いて……兄さんが父さんと母さんを恋しがっていても、僕のせいで両親の話ができなかったんじゃないかって気付いたんだ」

 

 僕の内心の変化に余程驚いたのか。兄さんの深い青の瞳は見開かれ、口は半開きになった。

 気を取り直すように兄さんは目を伏せ、気持ちを整理するべく間を置いてから言葉を紡ぐ。

 

「俺が父さんと母さんの話をあまりしなかったのは、愛する者を喪った哀しみは自分で乗り越えるしかないと考えていたからだ。建視のせいではない」

 

 その言葉を聞いて、本田家の墓に笑顔で向かい合っていた本田さんの姿が思い浮かんだ。

 本田さんも両親を喪った哀しみを、1人で乗り越えようとしているのだろうか。それとも、大親友の花島(はなじま)さんや魚谷さんには辛い胸の内を明かしているのか。

 何となくだが、前者のような気がした。本田さんは、相手を悲しい気持ちにさせる事を良しとしないから。

 

「愛する者を喪った哀しみって、1人で乗り越えられるものなの?」

「人によると思うが、俺は己の意思のみで喪失の哀しみを捻じ伏せる事はできなかった。俺が哀しみに暮れずに済んだのは、建視がいてくれたおかげだ」

「僕は兄さんの哀しみを癒すような事はしてないけど」

 

 むしろ、僕は兄さんに苦労をかけっぱなしだ。申し訳なさを覚える僕を慰めるように、兄さんは優しく苦笑する。

 

「建視は俺の側にいてくれたじゃないか。俺がネガティブな気持ちに飲み込まれそうになっても、建視に情けない姿を見せる訳にはいかないと自分を奮い立たせる事ができた」

「兄さんが情けない姿を見せても、僕は幻滅したりしないよ」

「そう言ってくれると助かるが、俺にも兄としての矜持があるからな」

 

 幼い燈路に心配をかけたくないから、任務で弱った僕の姿は燈路に見せたくないと思うのと、似たような心境かな。それでいくと、僕が未熟で頼りないから深刻な悩みを打ち明けられないって事になるけど。

 不満が顔に出てしまった僕の気を逸らすように、兄さんは軽く咳払いをする。

 

「建視は父さんや母さんと過ごした思い出がほとんど無いから、両親を恋しがる事も難しかっただろう。俺の主観で良ければ、父さんと母さんの話をしよう」

 

 父さんは隠蔽術を引き継いできた家の嫡男だったから、隠蔽術を施す際に心が揺らがないよう、自分にも他人にも厳しくするように心掛けていた事。

 母さんは自分が甘い顔を見せたら、記憶を隠蔽する父さんだけが悪者扱いされてしまうと考え、父さん以上に厳しくあろうとしていた事。

 

 隙が無い人だと思っていた父さんは実は物ぐさな人で、鼻をかんだティッシュをゴミ箱に捨てるのも面倒臭がって、白衣のポケットに入れて放置して母さんに叱られていたと聞いて、驚くと同時に父さんと兄さんの類似点を見出したり。

 僕の正体を受け入れられないほど繊細な人だと思っていた母さんは実は毒舌家で、ぐれ兄の母親と顔を合わせるたび、嫌味合戦を繰り広げていたと聞いて微妙な気持ちになったり。

 毎年お盆のお供え物の中にカニ缶と栗落雁があるから、それが両親の好物なのだろうと僕は勝手に見当をつけていたのだが。父さんはズワイガニ、母さんはモンブランが好物だったと聞いて、勘違いに気付いたり。

 

 兄さんが語ってくれた父さんと母さんの人物像やエピソードは、他人から聞いて知っていた事もあるけど、初耳の事もあった。

 両親に関する情報が増えたからといって、父さんと母さんを身近に感じるようになったという事はないけど。

 戸籍上の父母に当たる人物という認識止まりだった父さんと母さんは、血の通った人間だったのだと今更ながらに思った。

 

 

 

 その翌日の14日、ウサギを模った便箋に書かれた紅葉(もみじ)の手紙が届いた。

 

『Hallo Ken! ボクはトールとハルとユキとキョーと一緒に、ヒショの旅に出ているのよ! 海の近くにあるソーマの別荘の1つに泊まっているから、ケンも遊びにおいでよ!』

 

 手紙が入っていた封筒は消印が押されていなかった。別荘まで紅葉達を送っていった草摩の専属ドライバーさんが、手紙を預かって配達したのかな。

 メールで伝えれば時間と手間はかからなかったのに、何故わざわざ手紙で知らせたのか。紅葉の事だから特に深い思惑はなく、手紙を書きたい気分だったんだろう。

 

「海かぁ、いいなぁ」

 

 夏休みの間に入る任務の回数は、大体2~3回だ。今年は3回こなしたので任務はもう無いと思うけど、予定は未定だから別荘に行く事はできない。

 おのれ、草摩の上層部め。頭の中で藁人形に五寸釘を打ち込んでも不毛だから、建設的な案を考えよう。

 夏休み最後の日に任務が入らなければ、皆に声をかけて遊ぼうかな。うむ、我ながらナイスアイディアだ。

 

 

 

▼△

 

 

 

 Side:はとり

 

 

 俺が注文した本が今日届くと紫呉から連絡を受けたので、俺は車を走らせて白木(しらき)書房へと向かった。住宅街の中にある平屋建ての古書店の外観は、以前訪れた時と変わっていない。

 

――この間紹介した私の大親友の繭の実家は、古書店を営んでいるの。はとり好みの古書がたくさん置いてあるから、一度足を運んでみて?

 

 見る者の心を和ませる微笑みを浮かべる、佳菜(かな)の言葉が思い浮かんだ。感傷に浸りそうになったので、それを振り切るように店のドアを開ける。

 最初に俺の目に飛び込んできたのは、カウンターにもたれるように立っていた白木だった。久方ぶりに会う彼女は、切れ長の瞳を驚いたように見開いている。

 俺も驚いた。今は盆休みだから白木が実家に帰省していても不思議ではないが、彼女がこの店にいるとは思わなかった。

 

「……久しぶり、だな。2年ぶり……いや、2年以上経っているか……」

 

 挨拶をしながら、俺は書棚が並ぶ店内を見渡した。

 俺が白木書房に初めて訪れた時も、彼女が店番をしていたな。あの時のように、彼女のご両親は店に出られない事情があるのだろうか。流石にそこまで踏み込んで聞けないが。

 

「変わっていないな、この店は。……君も」

 

 腕組みをした白木の左手の薬指に指輪が嵌っていない事を確認して、最後の言葉を付け加える。

 白木の姓が変わっていない事は建視から聞いていたけれど、仕事の都合上で別姓にする夫婦がいるらしいからな。彼女が婚約もしくは結婚していた場合は祝いの言葉をかけようと思っていたが、その必要がなくて安堵した。

 ……俺は何故、安堵したんだ?

 

「はとり……君。そのスーツ姿、見てて暑い……相変わらずだ……」

 

 白木は再会の挨拶もせず、率直な意見を述べた。

 他に言う事はないのかと思ったが、白木の驚いた表情は思った事をそのまま告げたと物語っている。

 

「……悪かったな」

 

 思わず、ぶっきらぼうな口調で応じてしまった。

 数年振りに会う友人との会話はもっとこう、懐かしげに久闊を叙すものではないのか。しかも、白木は建視の担任になったんだぞ。

 白木と形式ばったやり取りをしたい訳ではないが、再会早々、2年以上のブランクが無かったような応酬をするのはどうなのか。

 考え込む俺を余所に、仰天したように目を見開いた白木は「あっ」と声を上げる。

 

「いや、ごめん。びっくりしちゃって……うわ、ホントびっくりした!! 白昼夢かと思った!! さっきまで紫呉(しぐれ)が居て、色々話したりしていたトコだったから……」

 

 白木は自分自身に「落ち着け」と言い聞かせながら、ぐるぐると歩き回っていた。

 俺は白木書房に数える程度しか赴いた事はなかったけれど、俺が来店するのはそんなに驚く事か?

 

「紫呉が代わりに取り寄せを頼んでいた本を、受け取りに来たんだが……」

「え!? あの本、はとり君の注文だったの!?」

「……? 紫呉(あいつ)は言っていなかったか?」

 

 硬直した白木を見るに、紫呉は俺の注文だと言わなかったようだ。

 

「いや……その本……明日にならないとこないんだよね……」

 

 俯いた彼女は、ドスの利いた低い声で答えた。

 何やら怒っているようだが……俺が注文した事を知らせなかった紫呉に、憤りを覚えているのだろう。

 本が届く日も間違えて伝えてきたし、まったく紫呉はいい加減だな。

 

「仕方ない。明日、また来る」

「いっ、いいよ、いいよっ。郵送するよっ。本家の住所わかっているし……忙しいんだろ? 相変わらず」

 

 夏の暑さに弱い慊人が連日のように体調不良を訴え、一族の者達が続々と夏バテを訴えるので忙しい。今日は無理やり用事を作って抜け出してきた。

 帰ったら慊人の世話役に文句を言われるだろうが、偶には外に出ないと息が詰まりそうになる。

 

「いや……いい、来る。……それじゃあ」

「はとり君っ」

 

 白木に呼び止められ、店の出入口に向かっていた俺は振り返る。

 彼女は言葉を探すように視線を彷徨わせてから、「……あ、あー……いや、明日……な」と言った。

 

「今日は突然、すまなかった」

 

 白木を動揺させてしまった詫びを告げてから、俺は店を後にした。

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