神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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37「慊人が来やがったんだろ」

 みんな、こんにちは!

 突然だけど僕達は今、紅葉(もみじ)達が滞在する海辺の別荘に向かっている。海に行きたいとは思っていたけど、行ける事になった理由が理由だから素直に喜べないよ。

 車の助手席に座る僕は、大きめのバックミラーをちらりと見遣る。後部座席には3名の人物が並んで座っていた。

 

 真ん中を陣取っている人物は、黒のシャツを着て細身の黒いズボンを穿いた慊人(あきと)。慊人の左隣には、チャコールグレーのスーツを着込んだ兄さんが座っている。

 そして慊人の右隣に座るのは、灰色のシャツと黒のトラウザーズを合わせた装いの26歳の男性。赤茶の髪をさっぱり短く整え、感情を表に出さない赤茶の目を持つ彼は(とり)憑きの紅野(くれの)兄だ。

 

 今日になって慊人が別荘に行くと急に言い出したって聞いた時も驚いたけど、紅野兄が同行すると知った時は更に仰天した。

 慊人は紅野兄を大層気に入っているから、子供が宝物を大切に仕舞い込むように、酉憑きの従兄を人目から隠している。

 そんな紅野兄を外に連れ出すなんて、慊人は何を考えているのやら。それを言うなら、慊人を別荘に誘ったぐれ兄もだけど。……厄介事が起きそうな予感がする。

 

 

 

 1時間半近いドライブを経て、海が一望できる別荘に到着した。

 紅葉達が泊まっているのは“母屋”と呼ばれる1番大きい別荘で、僕達が泊まるのは“離れ”と呼ばれる2番目に大きい別荘だ。

 

 慊人の世話役のお局様がここにいたら、「草摩(そうま)の当主が滞在する母屋に、余所者の小娘が居座るなんて言語道断」とか騒いで、宿泊場所を強引に変えさせただろう。

 今回は、慊人の世話役は1人も付いてこなかったんだよな。

 慊人と慊人の世話役が何日も本家を留守にすると、慊人に叛意を抱く人達が勝手な事をする恐れがあるから、お局様達は監視役として残ったんだと思う。

 

建視(けんし)由希(ゆき)達をここに連れてこい」

「解った。……(きょう)本田(ほんだ)さんはどうするの?」

 

 確認のために僕が聞くと、指示を出した慊人は不快そうに眉を寄せた。

 

「わざわざ言わなきゃ判らないのか? 猫は集まりには不参加だ。あのブスは赤の他人だから、呼んでやる義理はない」

 

 僕は解ったと答えてから、紅葉達が宿泊している母屋へと徒歩で向かう。

 夏の午後の強い日差しとべたつく潮風を肌で感じ、寄せては返す波の音が一定間隔で聞こえてくるけど、懸念事項があるせいでいい旅夢気分に浸る事ができない。

 

 嫌な役目を任されたなぁ。

 慊人に殴られて大怪我を負った杞紗(きさ)は、慊人の急な到来を知ったら怯えるだろう。(とら)憑きの従妹が萎縮する姿を思い浮かべると、自然と足取りは重くなった。

 

 

 

 数分もしない内に紅葉達がいる母屋に着いてしまった。僕が玄関のチャイムを鳴らすと、色留袖を着たお手伝いさんが出迎える。

 離れに慊人が到着した事と、慊人の世話役が同伴していない事を告げると、お手伝いさんは慌てた様子で出て行った。

 管理人さんのおかげで別荘はいつでも使える状態に保たれていたけど、草摩の当主が来る事を前もって連絡しなかったからお手伝いさんが待機していなかったんだよな。

 

 人の気配を感じるリビングに向かうと、ソファに腰掛けた夾の近くに本田さんがいて、紅葉と杞紗と燈路(ひろ)は窓辺で昼寝をしていた。

 春は庭の木陰に寝転がっているけど、由希とぐれ兄の姿が見当たらない。

 

「本田さん、夾、久しぶりだね」

 

 玄関での会話が聞こえていたのか、夾は険しい眼差しを僕に向けた。

 

「あっ、建視さん、こんにちは……っ。建視さんも遊びにいらしたのですねっ」

 

 心から歓迎するように満面の笑みを広げる本田さんを見ると、僕のなけなしの良心が痛む。

 

「紅葉君たちはあちらの棟のお部屋を使われているのですが、お部屋が満室でして……。紅葉君か夾君か燈路さんと同室になりますが、よろしいでしょうか?」

「僕は離れに泊まる事になるから、部屋割りは気にしなくていいよ」

「離れ、ですか? 建視さんの他にも、どなたかお見えに……」

「慊人が来やがったんだろ」

 

 吐き捨てるように言った夾に対し、僕は「ついさっきね」と応じる。

 慊人の名前に反応したのか、昼寝をしていた3人が目覚めた。紅葉は眠そうに目を擦りながら質問してくる。

 

「んー……アキト、こっちに泊まるの?」

「慊人が泊まるのは離れの方だよ。寝起きのところ悪いけど、挨拶しに行かないと」

「……着替えた方がいいの?」

 

 燈路の問いかけに、僕は「そのままでいいよ」と答えた。

 草摩の当主に謁見する前に身形を整える事は礼儀として必要だけど、物の怪憑きの集合が遅れると慊人が機嫌を損ねるかもしれない。

 

「由希とぐれ兄はどこにいるんだ?」

 

 僕が投げかけた疑問に、室内に戻ってきた春が答える。

 

「由希は散歩。先生は知らない……」

 

 慊人は由希を名指ししていたから、連れて行かないと僕が叱責されそうだ。

 紅葉達が離れに到着した事を慊人に報告する際、由希を捜して連れてくると言い訳しないと。そんな事を考えていたら、夾が低い声で「おい」と呼びかけてくる。

 

「……まさか、(とおる)も挨拶に行かせるつもりなのか?」

「いいや、今回の集まりは十二支憑きだけだってさ。本田さん、ごめんね。この埋め合わせは必ずするから」

「え!? いえ、そんな、私は大丈夫ですので……はいっ」

 

 視界の端で、杞紗が安堵の息を吐くのが見えた。杞紗も本田さんを慊人と対面させたくないと思っているのだろう。僕も同じ思いだ。

 慊人の本田さんに対する敵意は、以前より増している。慊人と本田さんが再び鉢合わせした場合、慊人が本田さんに手を出さないとは限らない。

 本田さんが怪我を負うような事があったら、花島(はなじま)さんと魚谷(うおたに)さんに申し訳が立たないよ。最悪の事態が起きないようにするために、手を打っておくか。

 

「夾、ちょっといいか?」

 

 杞紗や本田さんの耳に入れたくない話をするので、僕は夾を呼んで庭に出た。

 

「もし夾が慊人と会った時、慊人が神経を逆撫でるような事を言ってきても、キレて喧嘩を売るような事は言わずに黙って耐えてほしい」

「――なんで、てめぇにそんな事言われなきゃいけねぇんだ」

「夾が反抗して慊人の怒りを買ったら、本田さんに矛先が向くかもしれないからだよ。慊人は夾本人を罰するより、本田さんを攻撃した方がより大きなダメージを与えられると勘付いている」

「ゲスが……っ!」

 

 僕を罵倒したのか、それとも慊人に向けて言ったのか。後者だとしたら本人の前で言うのは控えてほしいと思いながら、僕と夾はリビングに戻った。

 

「じゃあ、ボク達行くねっ」

「行ってきます……」

 

 紅葉と杞紗は本田さんに向かって、出かける挨拶をした。見送りの挨拶で応じた本田さんは、ソファに座り直した夾を見て問いかける。

 

「……夾君は行かないのですか?」

「“猫”はいつだって集まりには不参加なんだよ」

 

 夾がどうでもいい事のように言うと、本田さんは悲しそうな表情を浮かべた。

 

「……おい、そんな顔すんな。俺も慊人もお互いに、会いたいなんざ欠片も思っちゃいねぇんだからよ」

 

 困ったような顔をした夾が、言葉を付け加えた。

 本田さんは、夾と慊人が互いに会いたくないと思っている事に心を痛めるかもしれないが。夾と慊人が対面するとロクな事にならない予感がするから、出来る限り接触は避けてほしい。

 リビングにいる本田さんと夾に背を向けて、僕達は母屋の別荘を後にした。

 

 

 

 慊人がいる離れに向かう道中は、これから葬式に赴くかのように空気が重たかった。

 

「杞紗……大丈夫?」

 

 最後尾を歩く燈路が、隣にいる寅憑きの従姉を気遣う声が聞こえる。

 か細い声で「うん……」と答えた杞紗は、「だけど、どうして急に来たのかな……慊人さん」と疑問を口にした。

 

「お姉ちゃん……お姉ちゃんにひどい事……ぶったり……しないよね? ……それがとても不安なの……」

 

 不安がる杞紗に、燈路は慰めの言葉をかけない。かけてやれないと言った方が正しいか。

 春休みの事件を思い出して罪悪感に駆られているのか、燈路の表情も暗い。

 燈路の母親の五月(さつき)おばさんのおめでたが4日前に発覚したから、「燈路はお兄ちゃんになるのか」って言おうと思っていたけど、この重苦しい雰囲気じゃ切り出せないよ。

 

「沈んじゃってる……そうだよね、前ブレなく来たものね、アキト」

「紅葉達にメールで知らせようとしたけど、みんなに伝えるなって慊人に言われたんだよ。それと誤解のないように言っとくけど、慊人を別荘に誘った犯人はぐれ兄だからな」

 

 楽しい避暑に水を差した元凶が僕だと思われたら困るので、身の潔白を訴えた。

 すると驚いたように目を丸くした紅葉が、「ケンがアキトを誘ったなんて誰も言ってないよっ。ケンはシンパイショーねっ」と言う。

 

「それはそーと、ユキも大丈夫かな。会って……」

「自分の心配をしろ……おまえ、慊人に好かれちゃいないんだから」

 

 春の忠告はもっともだ。

 慊人は紅葉を嫌悪している。(うさぎ)憑きの息子を切り捨てた母親を変わらず愛し、天真爛漫さを失わない紅葉が気に食わないのだろう。慊人は紅葉の笑い声が耳障りだと難癖付けて、紅葉を殴った事もある。

 紅葉は慊人に対する恐怖を感じさせない明るい声で、「ボクはヘーキっ、なれちゃったもーんっ」と答えた。

 

「あーあっ、でも早く終わらせて帰りたいなぁ~っ」

「それホント早すぎ……」

「にゃはは、だよね~。……でも早く帰りたいな……」

 

 紅葉は本田さんと夾を置き去りにせざるを得なかった事を、気にしているようだ。春は言葉に出してないけど、この場にいない由希を案じていると思う。

 慊人が乱入したら皆のテンションがだだ下がる事は火を見るよりも明らかなのに、ぐれ兄は一体何を考えて慊人をけしかけたんだか。

 

 

 

 離れの表玄関から入った紅葉達と別れて、僕は裏玄関へと向かう。

 できるだけ早く慊人に報告をしないといけないので、慊人がいると思われる奥の部屋に近い裏玄関から入ったのだ。

 僕の到着を待っていたかのように、兄さんが裏玄関で出迎えてくれた。

 

「紅葉達を連れて来たよ。由希は散歩に出ていたからいなかったけど。他の皆は表玄関から入っている」

「ご苦労。慊人への報告は俺がする。建視は広間で紅葉達と待っていろ」

「やぁ、けーくん。久しぶりだねぇ」

 

 行方不明だったぐれ兄は、先に離れに到着していたらしい。

 ぐれ兄のせいで皆落ち込んでいるぞ、どうやって落とし前を付けるつもりだ。そう言ってやりたいけど、ぐれ兄の口八丁で煙に巻かれるのがオチだ。

 僕は苛立ちを抑えながら、「久しぶり」と挨拶する。

 

「ところでぐれ兄、ここに来る途中で由希を見かけなかった?」

「僕は見てないけど、外に出た慊人さんが由希君に会ったって」

 

 紅葉の危惧が早々に現実のものになってしまった。由希が属する乙女座の今日の運勢は、12星座の中で最下位だったに違いない。

 

「それじゃ由希は今、慊人の処にいるの?」

「由希君は慊人さんと別れて、どこかに行ったみたいだよ。慊人さんは、『今頃どこかでシクシク泣いてるんじゃない?』とか言っていたから」

「泣く事ができるなら大丈夫だろ」

 

 由希が酷く落ち込んでも、入学式の時のように本田さんと一緒にいれば立ち直れるはずだ。

 ただし、中学3年生の時のように完全に心を閉ざした状態になってしまうと、本田さんでも手に負えなくなると思う。

 本田さんは周りを癒す雰囲気を持っているけど、専門的な知識を備えて経験を積んだ心理カウンセラーじゃない。普通の女子高生だ。心の闇や虚無に同調しすぎると、精神を病んでしまう恐れがある。

 

「けーくんってホント冷淡だよね」

「ぐれ兄には言われたくないよ」

 

 と、その時、兄さんから視線を感じた。

 僕が由希を気にかけなかった事を咎めると同時に、僕の冷淡さを憐れんでいるように思える。

 

 泣いているのが杞紗や燈路だったら、僕は心配するよ。でも、相手は僕と同い年の由希だ。

 兄さんは綾兄やぐれ兄がどこかで泣いていると聞いたら、捜しに行くのだろうか。……行きそうだな。僕は本物の優しさを持つ兄さんのようにはなれないよ。

 兄さんの眼差しから逃れるように、僕はそそくさと玄関の三和土でスニーカーを脱いだ。奥の部屋に向かう兄さんやぐれ兄と別れて、紅葉達が待機する広間へと足を向ける。

 

 

 

 僕が広間に入って紅葉の隣に正座してから暫くして、足音が近づいてきた。

 襖が開いて、慊人が姿を現す。紅野兄は奥の部屋で待機しているのか、慊人に付き添っていない。

 

「いらっしゃい。来てくれてありがとう。すっごく嬉しいよ」

 

 表面上は愛想よく見える笑みを浮かべた慊人は、歓迎の言葉を投げかけた。

 

「……みんな、大好き」

 

 慊人は大好きと言いながら、自分に逆らえない物の怪憑きを見下している事が見て取れる嘲笑を浮かべた。

 僕は被虐体質じゃないので愉快な気分にはなれないけど、僕の胸の奥に潜む盃の付喪神は神様(慊人)から好きだと言われて歓喜している。

 自分とは異なる感情を抱く存在を強く意識する時、僕は“人間(ひと)”じゃないのだと実感させられる。

 僕達の表情が更に暗くなった事を確認した慊人は、満足そうに口の端を吊り上げた。

 

「みんなと話したいのは山々だけど、燈路に大事な話があるんだ。燈路以外は下がって」

 

 視界の端で、燈路と杞紗が恐怖で顔を強張らせる。慊人が機嫌を損ねる前に、紅葉が杞紗を促して立ち上がった。

 

「大丈夫かな……燈路ちゃん……」

 

 別室に移動するなり、杞紗が耐えかねたように不安を吐露した。

 

「燈路は賢いから上手く乗り切れるよ」

 

 僕が慰めの言葉をかけると、春もこれ以上暗い雰囲気にならないように軽口を叩く。

 

「口八丁な建視が太鼓判を押すくらいだから、燈路はきっと大丈夫……」

「微妙に貶された気がするんだけど」

「ケン、それってヒドイモーソーだよ」

「正しくは被害妄想だ。酷い妄想をするのはぐれ兄だから」

 

 雑談をして杞紗の不安を紛らわそうとしたけど、1時間経っても燈路は解放されなかったから、僕と紅葉と春にも不安が重くのしかかった。

 

 

 

 障子窓から夕日が差し込む頃、燈路がやってきた時は心から安堵した。長時間慊人に精神攻撃をされたせいか、(ひつじ)憑きの従弟はげっそり疲れ果てていたけど。

 

「燈路ちゃん……っ」

 

 大きな琥珀色の目に涙を浮かべた杞紗が駆け寄ったら、燈路の顔色は見る間に良くなった。恋の力ってスゴイ。

 

「慊人が皆を呼び戻せって」

 

 燈路が伝えた慊人の言葉に従って、僕達は再び広間へと向かう。

 片膝を立てて座っていた慊人は広間に入ってきた僕達を見て、「やぁ、みんな」と声をかける。

 

「今日の処はこれでお開きにしよう。明日も僕に会いに来てくれると嬉しいな」

 

 やけにあっさり解散の言葉を口にしたなと思っていたら、慊人は悪い事を企んでいますと言わんばかりの悪辣な笑みを浮かべる。

 

「建視も母屋に泊まっていいよ」

「え? 本当にいいの?」

 

 驚いた僕が思わず確認を取ると、慊人は苛立ったように視線を鋭くさせて「同じ事を2度言わせるな」と叱責する。

 

「ああ、それから……本田透さんに、建視の力を教えてあげなよ。彼女は物の怪憑きじゃないからね。建視と共同生活を送る上で、()()()()()が起きないように注意を促してあげないと」

 

 あくどい笑みを浮かべる慊人を見て、母屋の別荘に泊まる許可が出た理由を察した。慊人は僕を差し向けて、本田さんや紅葉達に精神的圧力をかけようと目論んでいるのだろう。

 本田さんから紅葉達を引き離した事だけでも、充分に精神的圧力になっていると思うけど。下手に意見すると慊人の怒りを買って、本田さんの私物から残留思念を読めと本当に命じられそうだから、僕は了解の返事をする。

 

 僕達は慊人に辞去の挨拶をして、広間を後にした。

 荷物を取りに行くために紅葉達と一旦別れようとしたら、思いつめた表情の杞紗が「建視お兄ちゃん」と呼びかけてくる。

 

「お願い……お姉ちゃんの残留思念を読まないで……」

 

 祈るように手を組んだ杞紗は、必死な面持ちで懇願してきた。

 この状況で「だが断る」と言えるほど、僕は冷酷非道じゃない。だからと言って、「本田さんの残留思念を絶対読まない」と安請け合いはできない。

 

「慊人は、本田さんの残留思念を読めなんて命令は出してないよ」

「でも命令が出たら、建兄はアイツの残留思念を読むんだろ?」

 

 燈路は相変わらず、言いにくい事をズバッと言うなぁ。物事を曖昧にしておくのが嫌なのかもしれんけど、時にはお茶を濁す事も必要だと思うのだよ。

 例えば今、僕が正直に「そうだよ」って答えた場合、高い確率で杞紗が泣くよ?

 どうやって言い逃れようかと僕が悩んでいたら、紅葉が明るい声で「ダイジョーブ!!」と言う。

 

「ケンはトールと仲良いから、トールのザンリューシネンを読んだりしないよっ」

 

 これで僕が本田さんの残留思念を読んだら、紅葉の信頼と本田さんとの友情を裏切る事になる。

 紅葉はそこまで意識してないだろうけど……いや、そうでもないか。お子様な言動が目立つ卯憑きの従弟の内面は、結構したたかだ。

 

 紅葉と春は気付いているだろう。慊人の狙いは、僕達を疑心暗鬼に陥らせる事だと。

 

 杞紗と燈路が負の思考に囚われないようにするため、紅葉は敢えて明るく“仲間を信じよう”と訴えたけど。

 由希と夾は以前から僕に対して不信感を抱いていた事に加えて、本田さんに特別な想いを寄せているから、警戒心が先に立つんじゃないかな。

 

 

 

 表玄関に向かう紅葉達と別れて、自分の荷物を取りに行く。僕の荷物は、お手伝いさんが離れの別荘の中に運び込んだはず。

 寝室を手当たり次第に捜し回ろうとした矢先、廊下でぐれ兄と鉢合わせた。

 

「おや。けーくん、どしたの? こんな処をうろついて」

「僕の部屋がどこに割り振られたか知ってる?」

「階段を上って廊下左側の手前から2番目の部屋だよ」

「さんきゅー。ついでに、兄さんが今どこにいるか教えて」

「はーさんは、慊人さんの検診をしに行ったよ」

 

 慊人のご機嫌取りを兼ねた検診は、時間がかかる。検診の最中に僕が兄さんに話しかけると、兄さんを独占している慊人の機嫌が悪くなる可能性があるから、迂闊に乱入できない。

 母屋に行く事をメールで伝えようと思って、ジーンズのポケットから携帯電話を取り出すと。ぐれ兄が胡散臭い笑みを広げて、提案してくる。

 

「はーさんに伝言があるなら、僕が伝えてあげるよ」

 

 何か目論んでいそうなぐれ兄に、慊人の最新の命令を教えるのは躊躇われるんだよな。

 でも僕が母屋に泊まる事は、遅かれ早かれぐれ兄に露見するから今言っても大差ないか。

 

「それじゃ、検診が終わったら兄さんに伝えて。『僕は母屋に泊まる』って」

「――慊人さんは、けーくんが母屋に泊まる許可を出したのかい?」

「うん」

 

 すると、ぐれ兄は底の読めない黒灰色の目を細めて「へぇ、そうなんだ」と呟く。

 

「なるほどねぇ。けーくんがここにいると不測の事態が起きるかもしれないから、追い出したのかな」

 

 ぐれ兄の大きな独り言が気になるけど、その真意を尋ねない方がいい気がする。好奇心は猫をも殺す、という諺があるし。

 僕が立ち去ろうとしたら、ぐれ兄に「ねぇ、けーくん」と呼びとめられた。

 

「けーくんは慊人さんに命じられたら、透君の残留思念を本当に読むつもりかい? そんな事をしたら、(さき)ちゃんを敵に回す事になるよ?」

 

 花島さんに嫌われたくないと思う一方で、心の傷が浅い内に諦めた方が身のためだと逃げる気持ちもある。何を諦めるのかは自分でもよく解らない。

 正確には、突き詰めてしまうと自分の感情が制御できなくなりそうな予感がするから、解らない振りをしているのだけど。

 

「ぐれ兄が余計な事をしなければ、慊人は本田さんの残留思念を読めなんて命令は出さないよ」

「言ってくれるねぇ。けーくんにとっては余計な事でも、僕にとっては必要なコトなんだよ」

 

 意味深に笑ったぐれ兄は、クラゲのようにするりと立ち去る。

 なんか無駄に気疲れしたな。僕は気を取り直して、今度こそ荷物を取ってきて離れを後にした。

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