神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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38「もしかして……迷子?」

 Side:由希(ゆき)

 

 

 考え事をしながら海辺を散歩していたら、いつの間にか夜になっていた。周囲を包む闇は慊人(あきと)を連想する。

 

――やぁ……由希。相変わらず1人ぼっちなの? 寂しい子だね。

 

 昼間、慊人と紅野(くれの)に会って動揺したけど、入学式の時のように陰鬱な過去を思い出して恐怖に囚われる事はなかった。

 

――いいかい、この世はまっ暗で君の一生もまっ暗なんだ。可能性も希望も無いんだから、君はまっ暗な道を生きてくんだから、“いつか救われる”なんて勘違いしないで。

 

 勘違いじゃないって信じたい。暗闇だけじゃないって信じたい。

 

 自分を守るために心を閉ざしていたせいで、最近まで忘れていたけど。俺は隔離されていた小さい頃、世界は暗闇(慊人)だけじゃないと知る事ができた。

 

 他人との関わり方が解らなかった俺に、友達になろうと言ってくれた小学校の同級生たち。

 心身共に追い詰められた俺が外に飛び出した先で、偶然出会った迷子の彼女。

 

 彼女たちの記憶から俺の存在が消えてしまっても、俺は誰かに必要とされた瞬間が確かにあった。だから、がんばって生きてみようと思ったけど。

 見出した小さな光は大きくて重たい暗闇に飲み込まれ、俺の弱い心は捩じれてしまった。希望は絶望へと堕ち、憧憬は嫉みへと歪んだ。

 

――カッコ悪いね、由希。前向きに生きようとする君の姿は痛いよね、すごく。

 

 他人と深く関わる事を拒絶して、自分の殻に閉じ籠った俺が再び光に向かって歩こうとする姿は、慊人から見れば痛々しく見えるのかもしれない。

 だけど、雨に打たれても陽はまた昇るように。痛みにどれほど打ちのめされても、優しさは降り続いていたんだ。

 

 あの日から、ずっと。

 

 

 

「……本田(ほんだ)さん? どうしたの? そんな処で」

 

 林のほとりで、本田さんが木の幹に両手を突いて項垂れていた。俺が声をかけると、勢いよく振り向いた彼女は小走りで近寄ってくる。

 

「由希く……っ。良かったです、会えたですっ」

 

 安堵の涙を浮かべる本田さんを見て、ボンボンの髪飾りをつけた迷子の少女を思い出した。

 

「あ……っ。もしかして……迷子?」

「え!? あ……えと、その……由希君はここに……何故……」

「俺? 俺は散歩してたんだよ。考え事しながら歩いていたら、こんな時間になっちゃった。……帰ろうか」

 

 暗いので足許に注意するように本田さんに忠告してから、別荘へと引き返す。その途中、何やら興奮した様子の彼女が俺の服の袖を軽く引っ張ってくる。

 

「由希君、流れ星ですよ……っ。あっ、見てて下さい、きっと……あっ、ほら、またっ。見えました……!?」

 

 雲1つない夜空に光の筋が尾を引きながら、瞬きするより速く流れる。本物の流れ星なんて初めて見た。

 

「きれいでしたね……っ」

 

 確かに綺麗だった。だけど、そう思えるのは俺の隣に本田さんがいるからで。そもそも本田さんがいなければ、ほんの一瞬で消えてしまう光に気付けなかっただろう。

 

「……本当は理解(わか)っていたのかもしれない、頭の隅で。蓋を開けたらどうなるのか。どうしなくちゃいけないのか。どうしていくべきなのか。……それは、とても単純なことで。単純だからこそ、難しいのかもしれない……」

「……蓋を……開けたのですか……?」

「……慊人のおかげでね」

 

――僕は知ってる、僕にはわかるよ。君が何を欲しがって、何を求めているのか。本田(とおる)に。……君は、君はさ、彼女に。

 

 慊人にはっきり言われる前に、俺はとっくに気付いていた。あの夜、本当の姿になった(きょう)を追いかけていった本田さんの後ろ姿を見た時に。

 俺にとって本田さんは“異性”である前に、弱音を全て受け入れて甘えさせてくれる“お母さん”みたいな存在だと。

 

 親の愛情を得られなかったから、本田さんに“母親の愛情”を求めていたんだ。

 

 自分がそんな気持ちを抱いているなんて恥ずかしくて認めたくなくて、気付かなかった事にするためにきつく蓋をした。

 そうしないと自己卑下につられて、憎悪とか嫌悪といった汚い感情までもが溢れてしまいそうだったから。

 

 だけど、前に一歩踏み出す勇気を本田さんからもらえたおかげで、俺は苦手にしていた事を少しずつ克服しようと努力し始めた。

 その甲斐あってか、以前のようにドロドロした感情に飲み込まれない自分になれたと思う。

 俺の気持ちを全て話す事はまだできないけど、蓋を開ける事はできたから。今言える事だけでも、君に伝える。

 

「ありがとう、いつも俺の話を聞いてくれて。ありがとう、俺の弱さをいつも受け止めてくれて」

 

 迷子の君(本田さん)に出会ったのは、俺が小学2年生の時。

 当時の俺は初めてできた“ともだち”の記憶が隠蔽されてしまって、建視(けんし)と夾に剥き出しの敵意をぶつけられて、精神的に参っていた。

 弱った心に追い討ちをかけるように、気管支の発作を拗らせてしまった。

 

――死んじゃうの? 由希。……つまんないね。

 

 慊人にそう言われて、幼い俺の心のどこかが弾けて飛んだ。

 

 諦めの悪かった俺はただがむしゃらに動きたくなって、当時いつも着ていた和服から洋服に着替え、夾の帽子を被って変装した。

 夾の帽子は、本人から貰った訳でも借りた訳でもない。学校帰りに強い風が吹いて、この青い帽子が俺の処に飛んできた。

 俺は帽子を渡そうとしたけど、夾は俺を睨んで帽子を受け取らずに立ち去った。それ以降、返す事もできなくて手元に置いていたのだ。

 

 そして俺は“ともだち”から教えてもらったヒミツの入口を通って、草摩(そうま)の「外」に出た。

 息が苦しくなっても走り続けて知らない街に入り込み、あるアパートの前に辿り着くと。2名の警察官と、オレンジ色に染めた長い髪の女性が道路に立って話をしていた。

 

――お母さん、早朝ですからもう少し静かに……。

――できるわきゃねーだろっ。こちとら大事な1人娘が行方不明なんだぞ!!!

 

 俺の両親は、息子が発作で苦しんでいても1度も見舞いに来ないで旅行を楽しむような人達だ。あの女性みたいに泣きながら取り乱して、子どもを心配する“お母さん”もいるんだなと思った。

 

 オレンジ色の髪の女性は、行方不明になった娘の特徴として「かわいいボンボンつけて」と言った。俺はそれを聞いて、ここに来る途中でボンボンの髪飾りをつけた女の子をちらっと見かけた事を思い出した。

 

 来た道を引き返しながら捜すと、奥まった路地で蹲って泣いているボンボンの髪飾りをつけた女の子を発見。この子の母親に知らせに行こうとしたら、女の子が泣きながら俺についてきた。

 “ともだち”の女の子に抱きつかれて変身してしまった事を思い出し、近づかれるのはまずいなと思っていたら、ボンボンの髪飾りをつけた女の子が転んだ。

 俺は思わず足を止めたけど、助け起こす事もできず。額を擦り剥いた女の子は涙を流しながらも立ち上がって、俺を見失わないように一生懸命走ってついてきた。

 

 今、あの子の世界は自分に託されている。迷子にならないように、自分を頼っている。必要としてくれている。

 そう思ったら温かい気持ちが込み上げてきて、息切れしていてもそんなに苦しさは感じなかった。

 

 俺は女の子をアパートまで送り届け、夾の帽子を彼女の頭に被せてその場から立ち去った。

 帽子の本来の持ち主は夾だけど、ネズミ()に触られたものはいらないとか言われそうだから、あげちゃってもいいかなって。

 それに形に残るものを渡しておけば、迷子になった彼女が俺との出会いを忘れないでいてくれるかもしれないという、小狡い考えもあった。

 ……そんな事を考えていた癖に、俺は彼女との奇跡のような出会いを忘れてしまったのだから、どうしようもない。

 

――大切な思い出ですからっ。助けてもらったこと、本当に嬉しかったですから……っ。

 

 遠い日の思い出を忘れないでいてくれて、ありがとう。迷子の君を救えたこと、とても嬉しかった。

 俺はつまらない人間だと慊人に散々教え込まれてきたけど、あの日は、あの瞬間だけは君に必要としてもらえた。

 それがどれほど嬉しかったかなんて、わからないだろ?

 

「知らないだろ? いつだって救われていたのは、俺のほうだってこと」

 

――大変な事もたくさん……あると思いますが、けれど楽しい事もたくさん待っていて下さりそうな……そんな気持ちになりますね。

 

 温もりを。

 

――草摩君の優しさは、ロウソクみたいです。ポッと明かりがともるのです。そうすると、私は嬉しくてニッコリしたくなる。そんな優しさなのです。

 

 優しさを分けてくれた。

 

――記憶が消されちゃっても、またお友達になってくださいね。

 

 惜しむことなく、降り続ける。

 

「だから俺は……負けない。進んで行く、前へ。信じていける、きっと」

「……けれど、どうしてそんな……悲しそうになさるのですか……」

 

 問いかける彼女は、悲しそうな表情を浮かべている。いつも俺の心に寄り添ってくれる君は、あの空のように近くて遠い。

 俺は答える代わりに、本田さんの額にキスを落とした。

 君が愛しい。その気持ちに偽りはないけど。

 君を俺だけのものにしたい。俺にしかあげられないモノをあげたい。そんな激しい恋情に突き動かされた末の行動だったら、こんなに悲しい気持ちにならなかったのだろうか。

 

 

 

「あっ、トールとユキが帰ってきたっ! おかえりーっ!」

「……おかえりなさい」

「2人とも、こんな時間までどこに行っていたのさ?」

燈路(ひろ)、それを聞くのはヤボってもんだよ……」

 

 俺と本田さんが別荘に帰ると、紅葉(もみじ)杞紗(きさ)と燈路と春が玄関で出迎えてくれた。紅葉達も慊人に会ったのかな。後で春に聞こう。

 

「ただいま」

「ただいま帰りましたです……っ。遅くなって申し訳ありませんっ。皆さん、お夕飯は向こうで召し上がったのですか?」

 

 本田さんの発言を聞いて、紅葉達は離れの別荘に行って慊人に会ってきたのかと察した。

 

「ううん、食べてないよ。ボクもうお腹ペコペコーっ」

「あっ、これからパンケーキを焼きますよっ」

「やったぁ! ボク、パンケーキ大好きっ!」

「私も好き……お姉ちゃん……パンケーキ作るの……手伝うよ……」

「杞紗が手伝うなら、オレも手伝ってあげるよ」

 

 俺も本田さんの手伝いをしようと思ったけど、春に呼び止められた。

 

「由希、ちょっと面倒な事になった……」

 

 春が言うには、慊人の命令を受けて建視もこちらに泊まる事になったのだとか。しかも、慊人は本田さんに建視の力を教えろと指示したらしい。

 本田さんに注意を促すためと慊人は言ったようだけど、建視の力を使って本田さんが人に知られたくないと思っている事を暴くと、遠回しに脅しているとしか思えない。

 

「慊人の狙いは、本田さんや俺達にプレッシャーを与えて場の空気を悪くする事だろう。建視を必要以上に意識せず、普段通りに振る舞うのがベストだな」

 

 俺が考えを言葉に出すと、春がまじまじと俺を見つめてくる。

 

「由希……なんか変わった?」

「変わったかどうかは自分では判らないな。今まで気付かない振りをしていた事を、直視しただけだよ」

「ひと夏の経験が、由希を成長させた……」

「間違ってないけど、そういう言い方はやめろ」

 

 嬉しそうに微笑む春は、以前から俺を気遣ってくれている。

 俺は本当に、心配ばかりかけさせていたんだな。これからは自分の事だけにかまけるんじゃなく、春が困っている時に力になりたい。

 

 

 

▼△

 

 

 

 Side:建視

 

 

 みんなはパンケーキに何をかけて食べるだろうか。

 蜂蜜? メープルシロップ? バター? 生クリーム? ジャム? 粉砂糖? アイスクリーム? チョコレートクリーム? ピーナッツバター? ヨーグルト?

 パンケーキの味わい方は人それぞれだけど、僕は敢えて言おう!

 

「僕はパンケーキを食べる時は、マーマイトを塗るって決めているんだ」

「まーまいと、ですか? それはどういったものなのでしょう?」

 

 首を傾げた本田さんに、僕は説明する。

 

「ビール造りの過程で出る酵母を主原料とした発酵食品だよ。イギリス版の味噌みたいな食べ物なんだ」

「外国のお味噌ですか……捜しますので、少々お待ち下さいっ」

 

 ごめんね、本田さん。この別荘にマーマイトは無いと思う。

 マーマイトは発祥の地であるイギリスでも、好きな人と嫌いな人が両極端に別れる癖のある発酵食品だ。草摩家の中でマーマイトが大好物という人は聞いた事がないから、別荘に常備されているとは思えない。

 

 見つからないと見越した探し物を本田さんに押しつけるのは後ろめたいので、僕もマーマイトを捜す。

 パンケーキを食べ終えた紅葉と杞紗と燈路も捜索に加わったけど、イギリス人のソウルフードと称される発酵食品は見つからない。そろそろ仕掛け時かと僕が思った、その時。

 

「建視。蜂蜜があるんだから、マーマイトにこだわる必要はないだろ」

 

 台所に顔を出した由希が投げかけた言葉は、僕にとって渡りに船だった。

 

「マーマイトにこだわる必要はないだと……? 由希、さては貴様、パンケーキには蜂蜜が1番派の回し者だな?」

「違う。建視はマーマイトにこだわりがあるのかもしれないけど、捜しても見つからないなら諦めろよ。食べ終わらないと後片付けができないだろ」

「それもそうだな……。本田さん、ちょっといいかな?」

 

 僕が呼び掛けると、台所の棚の中を探していた本田さんがこちらを向く。

 

「はいっ、なんでしょう?」

「今まで本田さんに言う機会がなかったから黙っていたけど、僕は物品に宿る人の残留思念を読み取る力を持っているんだ」

 

 僕の突然の告白に、台所にいた杞紗と燈路と由希に緊張が走る。紅葉は僕の思惑を察したらしく、特に身構えなかったけど。

 張り詰めた空気を感じ取ったのか、本田さんは戸惑ったように「あ、あのっ、えと、その……」と言葉を探す。

 

「建視さんの力につきましては、由希君から教えて頂きました……」

「そっか。知っているなら話は早いや。僕はこれから力を使って、この別荘にマーマイトがあるかどうか徹底的に調べようと思う!」

 

 なんちゃって。シリアスな雰囲気の中で本田さんに僕の力を教えると重たい空気を引き摺りそうだから、軽いノリで打ち明けるのが目的だ。

 目的は無事達成したから、僕の両手に封じられた邪神が暴れ出したから力は使えないとか言って誤魔化して、マーマイト捜しを打ち切ろうとしたのだが。

 

「建兄、本気!? 慊人の許可がないと力を使っちゃいけないんだろ? こんな馬鹿げた事で、慊人が許可を出す訳……っ」

 

 燈路は話している途中で何かに気付いたようにハッと息を吞んで、本田さんを見遣る。

 

「マーマイト捜しはただの口実で、そいつの残留思念を読むのが目的じゃ……」

「深読みしすぎだぞ、燈路」

「建視お兄ちゃん……」

 

 か細い声で僕を呼んだ杞紗の琥珀色の大きな瞳に、不安の色がありありと浮かんでいる。

 年少組を安心させるため、「嘘ぴょーん」と言って茶化そうかな。いや、駄目だ。茶化しきれなかった場合、物凄く気まずい雰囲気になりそうな予感がする。

 ……こうなったら、悪役に徹するしかないか。

 

「ふっふっふ……僕の強大な力が恐ろしいか、燈路よ……っ。だぁが、しかしィ!! こんな僕も本家に戻れば、上層部の良いように使われる組織の歯車さー!!!」

「モゲ太ネタで誤魔化そうとするなよ」

 

 燈路は呆れた口調と眼差しで、僕のMP(メンタルポイント)を削った。

 

「うぐっ! 精神攻撃とはやるな、燈路……っ。今度は僕の番だ。いくぞ、トリプルターボチャージスワット!! ……に見せかけたくすぐり攻撃っ」

「やめろよ、建兄!」

 

 僕が燈路を捕獲してくすぐり攻撃を仕掛けていたら、春が台所にやってきた。

 

「離れに電話してお手伝いさんに聞いたら、地下貯蔵庫にマーマイトがあるかもって」

「春……気を利かせて電話してくれたのか」

 

 僕が言外に「余計な事しやがって」という意味を含ませると、春は「建視がマーマイトじゃないとダメって言うから……」と応じた。ぐぬぬ。

 

「地下貯蔵庫があるのですか!? スゴイです……っ。地下室に入るのは初めてですっ。なんだかドキドキしますねっ」

「じゃあ、Keller(地下貯蔵庫)のタンケンしよーっ!」

 

 紅葉が提案した探検に本田さんと杞紗が乗り気だから、マーマイトは捜さなくてもいいと言い出せなくなった。おい、由希。自業自得だろと言わんばかりの目で見るな。

 

 紅葉を先頭に、本田さん、杞紗、燈路、由希、春、僕、夾という順番で、玄関付近のドアから地下への階段を下りる。

 夾はマーマイト捜しに関与していなかったのに、春が告げ口したらしい。

 僕を睨みつけた夾は「透に余計な手間をかけた落とし前をつけさせてやる」と言って、マーマイト捜索隊に加わった。余計な手間じゃないもん。必要な手間だったもん!

 

 カビ臭い冷気が充満した地下貯蔵庫には野菜が入った段ボール箱や米袋が置かれ、壁には大きな棚が設置されていた。棚には大小様々な容器がずらりと並ぶ。

 多種多様な漬物が入った瓶。洋酒や日本酒や中国酒の瓶。日本茶や紅茶や中国茶の缶。乾物や燻製が入った瓶。唐辛子やドライハーブが入った容器。他にも色々。

 

「いろんなものがあるねーっ!」

「はい……っ。見ているだけで楽しい気分になりますねっ」

「マーマイトを捜すのが目的なんだから、忘れないでよ」

 

 忘れても構わなかったのに、ひーたんめ。

 

「紅葉。市販のマーマイトは、どういう見た目の容器に入っているんだ?」

 

 由希のヤロォ、余計な質問するんじゃねえよ。

 

「えーっとね、黄色いフタがついた黒いビンに入っているよ。ラベルにマーマイトって英語で……エム・エー・アール・エム・アイ・ティー・イーって、書いてあるのっ」

 

 もぉみぃじぃぃぃ! おまっ、僕がマーマイトを食べたがっていない事は解っているだろ。

 僕が恨みがましい視線を送ると、紅葉はにっこり笑って「Selber Schuld!(自業自得!)」と言った。夾の他にも、本田さんに余計な手間をかけた事を怒っている人がいたようだ。

 

「エム・エー・アール・エム……えと……」

「エム・エー・アール・エム・アイ・ティー・イーだよ。それくらい1発で覚えられない訳?」

「燈路ちゃん……」

「ちっ、違うよ、杞紗。オレはあいつを馬鹿にした訳じゃなくて……」

「誰が1番にマーマイトを見つけるか、競争だね……」

 

 春は舌禍を招いた燈路に助け舟を出したつもりだろうが、僕にとっては泥船だ。

 

「クソ鼠より先に見つけてやる」

「頑張れよ、バカ猫」

「バカって言うな!」

 

 みんなで探した結果、由希がマーマイトを発見してしまった。マーマイトが入った瓶を僕に差し出す由希は、見た事がないほど清々しい笑みを浮かべていやがる。

 

「くそありがとうよ……っ」

「どういたしまして」

 

 本田さんが焼いてくれたパンケーキをレンジで温め直し、黒いペースト状のマーマイトをパンケーキにうすーく塗って、いざ実食。

 マーマイトはまずいと評判だけど、飲み込めないほど酷い味じゃない。とはいえ、塩辛くて苦味が後を引くので、1口食べればもういいやと思う。

 由希が笑いながら“お残しは許しまへんでっ!”と無言で圧力をかけてきたから、完食したけどね!

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