僕を含む
昨日の慊人は春にベッタリだったけど、本日はまだ誰も呼び出されていない。
広間で待機するのに飽きたから、トイレに行く振りをして別荘の中を歩き回っていると、表玄関から外に出る
連れ戻すか? でも由希は華奢な見た目に反してべらぼうに強いから、僕1人じゃ太刀打ちできない。とりあえず由希の後をつけるか。
慊人の許可を得ずに外出するのはアウトだが、どこに行っていたと慊人に咎められたら、由希を追跡していたと言えばいい。
由希の数メートル先に、
恐らく由希は、本田さんや夾が慊人とエンカウントしないように見張っているのだろう。
林の中の散策路を歩く慊人と紅野兄から距離を置いて、由希が2人を追いかける。由希の後を僕が追う。尾行する人を尾行するって、スパイみたいだな。
海辺に近づいた所で、由希は慊人達とは違うルートを選んだ。
慊人と紅野兄は砂浜に続く散歩道に進み、由希は一段高い所に設けられた海岸道路に向かう。僕の尾行対象は由希なので、海岸道路に足を向けた。
アスファルトからの照り返しでジリジリ肌を焼く暑さを感じながら歩いていると、閑散とした小さな砂浜に2つの人影を見つけた。オレンジ頭の夾と、白い帽子を被った本田さんだ。
……まずいな。このままだと、本田さんと夾のいる場所に慊人が辿り着くかも。
夾か本田さんのどちらかが携帯電話を持っていれば、慊人の接近を知らせる事ができるけど、2人とも持ってないし。
って! 本田さんと夾が高波をかぶっちゃったよ。全身ずぶ濡れになった夾が海に向かって、「海、てめぇ!! 殺すぞ!?」とか凄んでいる。
ドラマや漫画で海に向かって「海のバカヤロー!」と叫ぶシーンは見た事あるけど、海を恫喝する奴って初めて見たよ……。
本田さんとじゃれている夾を遠巻きに眺めていた慊人は、来た道を引き返していく。よかった、エンカウントは回避されたな。
と、その時、由希が遠ざかる慊人とは別の方向を見る。
由希の視線を追うと、ミニワンピースとブーツで装った黒髪ロングの女性が散歩道に立っていた。背格好からしてリン姉によく似ている。
「……
おっと、由希に気付かれちゃったZE★
「やぁ。由希も息抜きに散歩していたのか?」
「白々しい。建視は俺をずっと尾行していただろ。それより、あそこにいるのはリンだよな?」
「多分ね。リン姉は1人で来たのかな?」
僕と由希が小声で話している間に、
リン姉は背中の大怪我は塞がったけど、体はまだ本調子じゃない。
由希もリン姉が気掛かりだったようで、僕と由希は長い黒髪を靡かせて歩く従姉を追跡した。
林の中でリン姉と思しき女性を見失ってしまったけど、方角的に母屋の別荘に向かったはずだと見当を付ける。
母屋の別荘の庭続きになっている林の空き地に、全身真っ黒の成体の馬が体を横たえていた。その近くには本田さんもいる。
「リン!」
「あ、あれ? 由希君と建視さん……!?」
「本田さんがリン姉を見つけてくれたの?」
「いっ、いえ、あの、私も今さっきお会いして……っ」
僕と由希と本田さんは話しながら、馬形態になったリン姉の側にしゃがみ込む。
「彼女はリン……
「依鈴……さん?」
「変身するほど弱っているなら、兄さんを呼んだ方がいいな」
僕が携帯電話を取り出そうとした瞬間、リン姉が後ろ脚で僕を蹴ろうとしてきた。あっぶねぇ!
「誰も……呼ぶな……っ」
馬形態のリン姉が声を振り絞りつつ、立ち上がろうとした瞬間。
ボンッ!
小規模な爆発音と煙が上がった。リン姉が着ていた服は変身した際に破けたと思われるので、僕と由希はセルフであっち向いてホイをする。
「しっ、失礼します。あの、これをっ」
慌てた声を出した本田さんは近くの茂みに落ちていたシーツをリン姉に渡すと、干してある着替えを取ってきますと言って立ち去った。
「リン、無理するなよ。具合悪いんだろ? 大体……どうしてここに……」
「春に会いに来たのか?」
僕が
「うるさい……っ。アタシが何処で何しようが、アタシの勝手だ……っ」
リン姉は僕と由希を交互に睨みつけながら、脅すような口調で「いいか……」と告げる。
「アタシがここに居たこと……他の奴らに絶対言うな。……もし言ったら殺してやる……っ」
口止めをしてきた事から推察するに、リン姉は呪いを解く手がかりを捜しに来たようだ。慊人に近しいぐれ兄なら何か知っているかも、と踏んだのだろうか。
ぐれ兄に頼んだ処で、
「……“殺す”なんて、そんなの無理だってわかっているだろ……?」
おい、由希。気が立っているリン姉を挑発するな。僕の首が締まっているんだぞ。
「余裕ぶって……おまえなんか所詮、慊人の玩具だろ……っ」
うわ、きっつぅ。
着替えを持ってきた本田さんは、気遣わしげに由希を見遣った。
トラウマを抉る言葉をぶつけられて
リン姉も由希の反応を見て驚いたらしく、僕の襟から手を放した。と思ったら、リン姉は本田さんから着替えをひったくる。
「言うな……絶対に言うな……っ」
「あ、あの、待……っ、依鈴さん!!」
本田さんの制止に耳を貸さず、リン姉は下草の上に落ちていたブーツとバッグを拾うと走って立ち去った。
「行……行ってしまわれました……っ。足がお速いです……」
「リン姉は午だから、長距離走はお手の物だよ。体調が万全ならの話だけど」
「確かに、具合がお悪そうでした……大丈夫……なのでしょうか……」
体が弱っているからリン姉はまたどっかで倒れそうな予感がするけど、追いかけると逆効果っぽいからな。
「とりあえず……今日会った事は黙っていてあげよう。建視もいいな?」
「はいよ」
「リンを追いかけたいのも山々なんだけど……俺達ももう戻らないとマズイんだ。抜け出してきているから……」
由希が打ち明けると、本田さんは驚いたように「え!!」と声を上げる。
「……でも大丈夫。リンの事は俺に任せて」
由希は何やら自信ありげに話しているが、安請け合いしていいのか。心配そうな本田さんを、安心させるためのポーズかもしれないが。
「じゃあ……ごめん、バタバタして。今日も早く戻れるように……」
「由希君、建視さん。……待っていますね」
本田さんは普段の満開の笑みとは少し違う、控えめな微笑みを浮かべて見送りの挨拶を告げた。夾が残っているとはいえ、置き去りにされて寂しいんだろうな。
僕は後ろめたく思ったけど、由希は本田さんを見て嬉しそうに笑う。
「……ん。待ってて……」
え? なに? この微妙に甘酸っぱい雰囲気は。
一昨日の夜に由希と本田さんは2人で散歩に出かけたようだけど、恋愛イベントが起きて付き合い始めたのか? クソうらやまし……じゃなくて、慊人の目と鼻の先だってのに、勇気あるな。
でも、由希と本田さんが恋人同士になった証拠はまだ無いし。もうしばらく様子見をするか。
▼△
Side:夾
慊人が猫憑きの俺を呼び出した。
どうせロクな呼び出しじゃねぇ。クソ由希に勝つという賭けが上手くいってねぇ事を指摘されて、高校卒業したら幽閉だって釘を刺されるンだろう。
離れの別荘の一室で対面した慊人は俺が予想した事も口にしたが、俺が今まで見て見ぬ振りをしていた事を突きつけてきた。
胸糞悪い面会が終わっても、慊人に言われた言葉が頭にガンガン響いてやがる。
――誰かを好きになる資格があると思ってるのかよ。1番あの女を巻き込んでいるのは。
「わかってるよ……」
――おまえがいなくなるのが1番。
「わかってるよ!!」
いつだって俺は傷つけることばかりで。どうして
なのに、どうして俺は生きているんだろう。おめおめと、今も。
「――
母屋の別荘に戻ったら人の気配がなかった。自分の罪深さを思い知ったばかりだってのに、それでもあいつを捜してしまう。どうしてと思った瞬間、師匠の言葉が蘇る。
――……夾。待ちなさい、夾……。踏んでしまっては、可哀想だよ。
去年の5月から約4ヵ月間。師匠に連れられて山の中で過ごしながら、俺は闇の中で立ち止まっていた。
――……今さら……こんなちっぽけな花守ったって、しょうがねぇだろ……っ。
転んで打ち所が悪くて死なねぇかなと思ったが、泥まみれになっても俺はしぶとく生きてて。鈍く感じる痛みは、なんでおまえは生きているんだと責められているように思えた。
――他人の犠牲の上に、他人の命の上に成り立つ存在ってなんだよ……。これ以上ないくらいのものを奪っておいて、踏み躙っておいて。
――それでもおまえがそうして生きているのは、希望を捨てていないからだろう? この世に生きる総ての他人が、おまえを拒絶するわけではないことを知っているからだろう?
あの時の俺は、師匠の静かに諭す声が耳障りに聞こえた。
――知らない……そんなもの知らない……希望なんて……無い。
――あるさ。
――無い!!
師匠の忠告を無視した俺は、足元にあったタンポポを踏み潰して「無い……っ」と繰り返した。
――それでも……今は無くとも、必ずまた訪れる。どんなに抗おうと踏みつけようと、絶望は幾度となく襲いくるように、それと同じように希望もまた訪れる。繰り返し、繰り返し、必ず咲く。
ごめん、師匠。今ならわかるよ。わからないフリをしていただけで、知ってたんだ。
ホントは、知ってたよ。この世に拒絶があるように、手を差しのべてくれる
あの人に出会ったのは、俺が師匠に引き取られて間もなかった頃。素直に帰るにはまだ気が引けて、小学校の帰りに空き地に寄り道した時に話しかけられた。
――なんだ、おまえ。ガキのくせに、オレンジなんぞにしくさってからに。天然? ソレ、天然?
――なっ、なんだ、てめぇ。カンケーねぇだろ、なれなれしくすんなよ、ころすぞっ。
俺の乱暴な口調は、猫憑きを蔑む連中や学校の先生も眉をひそめる物だったが、あの人は何故か嬉しそうに笑った。
――あ゛っ。なんだ、こいつ、かわいくねぇ!! かわいー!!
――かっ、かわいいってなんだ、ババァ!! クソババァ!!
――こわっぱがなんか言った! なんか言った!! かーわーいー!!
俺が罵倒しても、あの人は喜ぶ一方で。当時の俺は、馬鹿にされていると思って怒った。
――そんなかわいーと、さらわれるぞ。お家、帰んなよ。おかーちゃんも心配して……。
――そんなモンいねぇ!! しんだ!!
――……おとーちゃんは。
――あんなヤツいらねぇ!! しね!! あいつだって、おれがしんだほうがいいって思ってんだ!!
親に向かって「死ね」なんて言うのは悪い事だと、小学生の俺でも知っていた。通りがかりのあの人も、こんな悪童に関わらない方がいいと判断して立ち去るかと思っていたのに。
あの人は俺の頭を撫でて、優しく声をかけてきた。
――そりゃあ……寂しいね。
その言葉の意味こそ、ガキだった頃の俺はまだわからなかったけど。
実の両親にも、蔑み見下す草摩の奴らにも否定されてきた自分の存在が、赤の他人に許されたような気がして。希望のような光に思えたんだ。
――あたし、職場がこの近くにあるんだ。またおいで、ジャリガキ。
それから俺は、あの人に度々会いに行った。あの人は色んな話をしてくれた。自分自身のこと、自分の旦那のこと。自分の娘のことも。
――今日はあんたに、いいモンみせたる。あたしの宝物。
あの人はそう言って、自分の娘の写真を見せてくれた。写真のあいつは今より幼かったけど、今と同じ見る人の心を和ます笑顔を広げていて。どんな声で笑ったりするんだろうかと思った。
いつだったかあの人が仕事で1晩、娘に留守番させなきゃいけなくて心配だって言うから、あの人と娘が住むアパートの様子を見に行った事がある。
1人で夕飯を食べていたあの子の背中は、寂しそうに見えてイヤだった。優しいあの人やあの子の過ごす日々は、倖せに守られていてほしかった。
子ども心に、さびしくあってほしくなかった。だから、ずっと気になっていた。今日はさびしくないだろうか。今日は笑っているだろうか。胸のどこかで何か咲いたみたいに。
だけど、そんな温かな気持ちを抱いていた日々は唐突に終わりを迎える。あの人の娘が行方不明になって、夕方になっても帰ってこなくなった事件が起きたんだ。
――おれが……おれが絶対みつけてくるから……っ。おまえは家で待ってろ! 絶対助ける、守ってみせる! 男の約束!!
俺はそう宣言したけど、結局果たせなかった。街中を走り回って捜したのに、見つからなくて。あの人の娘を見つけ出したのは、俺が1番嫌いな奴だった。
――あいつはヤな奴だ!! 悪い奴なんだ、おれが助けようって思ったのに……っ。
――
ガキだった頃の俺は、あの人が何を言おうとしているのか理解できなかった。今でも……いや、理解したくねぇというのが本音だ。
――おまえもあいつの味方すんのか……!? おれが悪いっていうのか!?
――違うよ。“味方”だの“いい”だの“悪い”だの、くだらない。そんなモンにこだわってちゃ、
あの人はちゃんとまっすぐ俺を見てくれていたのに、ガキだった頃の俺は「わけわかんねぇ」と言って、あの人を突き飛ばしてしまった。
――おまえなんか……おまえらなんか、もう知るかっ。
――ジャリ、“約束”ツケね!
それきりだった。
裏切られたような寂しさ。助けられなかった恥ずかしさ。横取りされたような悔しさ。拗ねた気持ちがもう1度会うのを避けた。なんてガキ臭い事だと、今なら思えるけど。
……あれから新たな罪を重ねた俺の前で、それは咲いた。咲き続けてた。小さな、小さな花。ちっぽけな花。大切な、大切な、俺の。
砂浜で1人ぼっちで砂の城を作っていた透の後ろ姿は、何年も前に1人きりで留守番していた時みたいに、酷く頼りなさげで寂しがっているように見えた。
「透っ」
「……え、きょ……夾君!?」
俺が呼びかけると、透は驚いたようにビクリと体を震わせて後ろを振り返った。
おまえが呼ぶ時だけは、自分の名前も特別に響くような気がする。こんな馬鹿みたいなこと思うようになったのは、いつからだったろう。
いつから、こんなに好きでたまらなくなってたんだろう。
温かい気持ちとどす黒い罪悪感に胸が締め付けられていたら、透が立ち上がってこちらに近寄ってくる。
「どっ、どうされたのですか。随分お早いお帰り……あっ、お帰りではないですか!? 何か忘れ物……」
話している途中で透は俺の顔に目を止め、気遣わしげに手を伸ばす。
「夾君……頬……」
「ああ……ちょっとケンカをな」
慊人に一方的に殴られただけなんだが。
ケンカと聞いて「え゛!?」と仰天したような声を上げる透には、本当の事は話せねぇ。話す必要も感じねぇしな。
「ケ、ケ、ケンカとは、あっ、慊人さんと……ですか!?」
「もう来なくていいとさ」
「え゛え!!」
「いいんだ、別に。喜んでくれたおまえには悪いけど、呼ばれなくても気にしない」
慊人と賭けを始めた去年の9月頃は、何が何でもクソ由希に勝って、十二支の仲間に入ると息巻いていたけど。
「……てか、どーでもよくなった……かもな」
十二支の仲間に入れなくてもいい。俺は1人で生きて死ぬ。猫憑きとして生まれた時点で、そう決まっていた。
物の怪憑きの“血”の
俺が余計なあがきをすると、透を厄介事に巻き込んじまう。それだけは嫌だ。師匠は俺に諦めるなと言うかもしれねぇが、なんか吹っ切れて清々した気分なんだよ。
何か企んでやがる慊人から透を守るために、俺が犠牲になる。なんて恩着せがましい事は言わねぇ。てか言えねぇ。
本当は去年の5月の時点で、覚悟を決めとくべきだった。
償いって言うなら、俺のした事を透に全て打ち明けるべきなんだろうが、今はまだ告白できねぇ。俺が「外」で生きられる時間は1年と少しだから、透には笑っていてほしいと思っちまう。
透を見ると、なんか不思議そうな顔をして俺を見上げていた。
「なんだよ? 俺が帰ってきちゃ悪かったかよ?」
「え゛!? ちっ、ち、ち、違います。そんな、あの」
俺がわざと意地悪な事を言ってやったら、真に受けた透は慌てたように両腕を振って否定する。
必死な透の様子がおかしくて、思わず噴き出してから「嘘だよ、冗談」と告げた。
「……お帰りなさい……お帰りなさい、夾君……っ」
透は温かい笑みを広げて、出迎えの挨拶を言ってくれる。
「……おう、ただいま」
好きだよ。もう何も奪いたくない。踏み躙りたくない。二度と。
……どこかでずっと一緒にいてくれたらとか、望んだりもしてたけど。
――許さないから。
血溜まりに倒れたあの人は、確かにそう言った。最悪の形で再会した俺を、しっかりと見据えて。
――これ以上、
慊人に言われなくてもわかってる。
もう望まない。俺だけのものにしたいとか、そんなこと望まない。望まないから。お願いだ。せめて残る時間だけは、側に。
「あ……っ。そうです、夾君……っ。夕御飯は何がよろしいですか……!?」
石段を上っていた透が振り向いて、俺に聞いてきた。
「あー……魚」
「了解です!! 今日も腕を振る……うぅあっ」
あぶねぇな。足を滑らせた透の頭を手で押さえて、石段から転げ落ちるのを防ぐ。
「……おまえなぁ。腕振るわんでいいから、足元見て歩け……」
「は……はい。す、すみません……っ。あぶ、あぶ、危なかったです……ね……」
「ったく……しょーがねぇなぁ……」
透が持っていたバケツを受け取って、あいつの手を取る。俺の左手から伝わる透の温もりを感じて、側にいたいと強く思う。
遠く離れるその時までは、その瞬間までは。