神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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41「愛想を尽かされるわよ」

 僕と慊人(あきと)と兄さんと紅野(くれの)兄を乗せた車が、草摩(そうま)の本家に到着した頃には深夜2時を回っていた。

 自分の部屋のベッドで寝たいのは山々だが、これから慊人に付き添って当主の屋敷に行かないといけない。

 ちなみに今の僕が着ているのは、ポロシャツとジーンズだ。僕の荷物が入ったバッグは兄さんが持ってきてくれたから、途中で立ち寄ったサービスエリアのトイレの中で着替えたのさ。

 

「慊人さん……! お待ちしておりましたっ」

 

 荘厳な屋敷の玄関先で、慊人の世話役が待ちかねたように出迎えた。慊人は苛立ちを隠さずに、「あの女は?」と端的に問いかける。

 

「今は慊人さんのお部屋の近くにいます。恥知らずなあの女は自分の手の者達に命じて、慊人さんは草摩を捨てて出て行ったなどと嘘八百を言い触らして……っ」

 

 予想以上に面倒な事になっているな。さっさとケリをつけて寝ようと思っていたのに。帰りの車の中で寝る事はできなかったから、本気で眠いんだけど。

 僕が欠伸をこっそりかみ殺すと、最古参の世話役に見咎められて睨まれた。

 

 この60代半ばの世話役の女性は、前当主の草摩(あきら)にも仕えたお局様で、物の怪憑きは慊人のためだけに存在していると本気で思っている。

 お局様は昔から僕に対して、良い感情を抱いてない。先代の盃の付喪神憑きが力を乱用して草摩家を引っ掻き回したから、僕を警戒しているんだろう。

 草摩の「中」の人間に忌避される僕が、生まれてすみません的な態度を取ってない事も気に入らないと思っていそうだ。

 

「紅野は自分の部屋に戻れ。はとりと建視(けんし)は僕と一緒に来い」

 

 慊人が命令を下すと、紅野兄は無言で頷き、兄さんは「わかった」と答え、僕は「了解」と返事をする。

 僕と兄さんは同行させるのに、紅野兄は引っ込めるのか。これから相対するのは慊人の“敵”だから、大切な存在はさらしたくないのだろう。

 

 玄関で紅野兄と別れて、僕と兄さんと慊人と世話役は棟と棟を繋ぐ渡り廊下を進む。慊人の部屋がある母屋の方から、女性が言い争う声が聞こえた。

 

「……いい加減に、自分の部屋へお戻り下さいっ」

「誰に向かって物を言っているのですか。奥様は、前御当主の御伴侶であらせられるのですよ。慊人さんが草摩家から出て行った今、奥様が草摩家の最高責任者です!」

「慊人さんは避暑に行かれたのだと、何度言えば判るのですか! 全く……慊人さんの不在を狙ってしゃしゃり出てくるなど、恥知らずもいい処だわ」

「その言葉、そっくりそのままお返しします。貴女方は、前御当主の遺品を奥様の御許可を得ずに処分してしまったでしょう。前御当主の残留思念を盃の付喪神憑きに読まれると困るような、後ろ暗い事があるのではなくて?!」

「後ろ暗い事などありません!! 草摩家の当主は代々、自分の妻にも打ち明けられない重大な秘密を幾つも抱えてきたのです。そんな事も理解できず、慊人さんの母親としての役目すら果たさなかった女など、草摩家には不要です!」

「なんて無礼な!」

「そちらこそ!」

 

 僕を出しにするのは止めてほしいんだけど。

 それはそうと、慊人の世話役と(れん)さんの世話役は、ずっと口論を続けているのだろうか。世話役は何人もいるから、リレー方式で水掛け論をしていたのかもしれない。ご苦労なこった。

 言い争いの現場に慊人が辿り着くと、広い廊下の真ん中で対峙していた和服姿の世話役達は、水を打ったように静まり返った。帰還した慊人を見た者達の反応が、両極端に別れる。

 

 安堵を浮かべたのは、古参の世話役で構成される慊人に仕える人達。

 反対に恐怖を浮かべたのは、楝さんに仕える人達。彼女らは古参に反発する新参の者達がほとんどで、楝派と呼ばれる。

 

 楝さんに仕える世話役は化け物を見るかのような目で、慊人の後ろに立つ僕を見ている。さっきまでは僕を出しにして相手を追及していたのに、いざ僕を前にするとこれだもんな。

 

 当主の不在中に騒動を起こしたら、慊人が僕に命じて残留思念を読む力を使って、事の経緯を調べさせるかもしれないと考えなかったのだろうか。

 僕が調査に乗り出しても、楝さんが自分達を守ってくれると高を括っていたのかな?

 楝さんは亡き夫の晶さん以外はどうでもいいと思っている節があるから、自分に仕える世話役のプライベートが暴かれても気にしなさそうだけど。

 

「あら……慊人さん、戻ってきたの?」

 

 艶のある声を響かせて前に進み出てきたのは、膝の下まで伸ばした長い黒髪を下ろした女性だ。

 年齢は40歳を過ぎているはずだけど、ゾッとするほど妖艶な美貌と色気は衰えを知らないので、20代後半だと言っても通用するだろう。

 女性らしい曲線美を強調するデザインのノースリーブのロングワンピースを着て、ストールを肩にかけている。

 

 彼女は草摩楝。慊人の実母で、前当主の奥方だ。

 

 前当主の晶さんの世話役の1人だった楝さんは、病弱であるが故に世間知らずだった晶さんを誑し込んで、草摩家の当主の伴侶の座を奪い取ったと噂されている。

 晶さんの世話役だった古参の人達が流している噂なので、どこまで真実なのか解らないけど。

 

 夫を亡くした悲しみで心身を少し患っている楝さんは奥の間にいる事が多いけど、今回のように偶に表に出てきて騒動を起こす。

 病ゆえの乱心という訳じゃなく、楝さんは慊人に対して明確な敵意を抱いている。でなければ、自分の娘を男として育てるなんて言い出さないだろう。

 慊人もありったけの憎しみを込めた目で、自分の母親を睨みつける。

 

「おまえがまた勝手な事をしたせいで、僕は避暑を切り上げて帰らざるを得なかったんだ」

「帰らざるを得なかった、ね。私に勝てないと諦めて、草摩(ここ)から出て行ったんじゃないの?」

 

 僕は楝さんが起こす騒動の鎮圧に関わった事で知ったのだが、慊人と楝さんは勝負をしているらしい。

 慊人と物の怪憑きをつなぐ“絆”が本物だと証明できれば、慊人の勝ち。

 「外」の世界に惹かれた物の怪憑きが慊人の元へ戻らなかったら、楝さんの勝ち。

 

 楝さんが勝利したら、慊人は土下座して草摩から出て行くという条件を付けたのに、慊人が勝利した場合の条件は付けなかったようだ。

 慊人が勝ったら楝さんが草摩から出て行くという条件を付けて、実際に慊人が勝利を収めたとしても、楝さんの取り巻きが「実の母親を追い出すなんて冷血非道な」とか騒ぎ立てるだろうけど。

 

「勘違いも甚だしいな。僕達の“絆”は不変だ。避暑先でも十二支(みんな)は僕に会いに来てくれた。由希(ゆき)紫呉(しぐれ)だって。僕らは離れる事ができないんだ」

 

 冷ややかな笑みを口元に刻んだ慊人が断言すると、楝さんは鼻で笑ってから「勘違いしているのは、あなたでしょう」と言い返す。

 

十二支(みんな)は“絆”なんて陳腐な呪いで縛られているせいであなたに逆らえないから、嫌々会いに行っていたのよ。ねぇ、建視。慊人さんに呼び出された十二支(みんな)は、嬉しそうにしていた? 避暑を楽しんでいたのに慊人さんに水を差されて、嫌な思いをしたんじゃない?」

 

 うわぁ、楝さんが僕にキラーパスを仕掛けてきた。

 振り返った慊人が、凄い目付きで僕を睨んでくる。返答を誤ったらタダじゃ済まないぞ。僕は唾を飲み込んでから口を開く。

 

十二支(みんな)は慊人が急に来たから驚いていたけど、嫌な思いはしてないよ」

「慊人さんが怖い顔で睨んでいるから、そう答えるしかないわよね。はとりも建視も可哀相に」

「はとりと建視は可哀相なんかじゃない!! 僕達は“絆”でつながっている!」

「さも“絆”が素晴らしい物のように言うけど、十二支(みんな)はそれを“呪い”と呼んで疎んでいるのよ。はとりと建視は不自然な“呪い”で縛られた物の怪憑きでなければ、まともな人生を歩めたはずなの」

 

 僕と兄さんに同情しているような言葉を紡ぐ楝さんだが、彼女の蔑みを含んだ憐憫の眼差しを見ればその真意は解る。楝さんは物の怪憑きの事を、慊人を蹴落とすための道具としてしか見ていない。

 

「物の怪憑きとして生まれた歓喜も葛藤も知らない第三者が、『物の怪憑きでなければ』などと安易に言って十二支(みんな)の人生を全否定するな」

「そういう慊人さんは、十二支(みんな)の意思をちゃんと尊重してあげているのかしら。がんじがらめに縛りつけたり、癇癪を起こして当たり散らしたりしていると、十二支(みんな)に愛想を尽かされるわよ」

 

 慊人は一瞬、反論に窮した。別荘で紅葉に八つ当たりした事を思い出したのだろう。

 その反応を見て、楝さんは勝ち誇ったように唇の端を吊り上げる。

 

「あら、図星だったの? 暴君に従わなきゃいけないなんて大変ねぇ。はとりも建視も、辛くなったらいつでも私を頼っていいのよ」

「十二支の男とみれば、すぐ色目を使って……っ。十二支(みんな)は僕のものだっ!!」

 

 激昂した慊人は楝さんに殴りかかりそうだったので、僕が慊人の細い腕を掴んで取り押さえる。草摩の当主が自分の母親に暴力を振るったとか、悪評を言い触らされると火消しが大変だからな。

 

「仲間をモノ呼ばわりするなんて、本当に酷い子。そのうち、思い知る事になるわよ。誰もあんたなんか待ってなかったってコトをね」

 

 慊人の心を抉る言葉を投げつけた楝さんは、取り巻きを引き連れて退散した。嵐が去ったと思っていたら、俯いた慊人の青白い頬に涙が伝う。

 

「ひどいのは……あいつの方だ……っ。ひどいコトばっかり……言う……っ」

 

 慊人だって、本田(ほんだ)さんや紅葉(もみじ)に暴言を吐いたじゃないか。

 サービスエリアに寄った時に兄さんから聞いて知ったけど、慊人は本田さんの頬を引っ掻いて怪我を負わせたらしい。

 女の子の顔に傷をつけるなんて酷いと思うけど、胸の奥にいる盃の付喪神が「慊人が可哀相」と訴えるから、言い返せない。

 呪いを抜きにしても、実の母親に言葉で殴られて泣きじゃくる従姉(慊人)に、追い討ちをかけるような事は言えなかっただろうけど。

 

「慊人、部屋に戻って休もう」

 

 僕が声をかけても、すすり泣く慊人はその場から動こうとしない。

 泣きやむまで時間がかかりそうだなと思っていたら、兄さんが慊人の膝の下に腕を入れて抱き上げた。

 別荘で支配者然として振る舞っていた時の慊人は、決して逆らえない威圧感を放つとても大きな存在だと思い知らされたのに。

 兄さんの首に縋りついて嗚咽を漏らす慊人を見ていると、巣から落ちた雛鳥みたいに脆くて傷つきやすい女性(ひと)なのだと気付かされた。

 

 

 

▼△

 

 

 

 夏休み最後の8月31日は、嬉しい事に任務が入らなかった。花火大会を決行するぞー!!

 意気込んで(めぐみ)君に電話をかけたら、花島(はなじま)姉弟がまさかの不参加を表明した。

 

(さき)は夏休みの宿題を、まだ終わらせていないんだよ……』

「残っている宿題はなに? 問題が解らなくて後回しになっているなら、僕が教えるよ」

『全部……』

 

 恵君の淡々とした声から、絶望の響きをわずかに聞き取った。嫌な予感がする。

 

「数学の問題集が全部って事?」

『それもあるけど……現国と古典と漢文と英語と物理の問題集に……生物と日本史と情報のレポートと……読書感想文と現社の作文……』

 

 ……出された宿題全部じゃないか。

 

 宿題を手伝いに行くと告げて恵君との通話を終了させた後、ぐれ兄の家に電話をかける。

 

「今日の夕方頃、ぐれ兄の家の庭で花火大会を開催する事にしたから」

『また、もみっちが急に思いついたの?』

 

 今回の発案者は僕だと伝えたら、ぐれ兄は『おやまぁ。けーくんは事前連絡する子だと思っていたのに』と遠回しに責めてきた。

 

「僕が当日連絡する羽目になったのは、任務の前日通達をする草摩の上層部のせいだよ。文句なら、ぐれ兄の両親に言って」

『えぇ~。僕のパパとママは怖いから、文句なんて言えなぁ~い』

「ぐれ兄は親に優しくしてもらいたがっているって、ぐれ兄のママに伝えておくよ」

『ジョーダンだって。夏休みを締め括る花火大会かぁ。いいじゃn』

 

 ぐれ兄の言葉を遮るように、ぐれ兄の担当さんが『先生!! 〆切は今日なんですから、仕事を最優先にして下さい!!』と叫ぶ声が聞こえた。

 

「ホテルのスイートルームを押さえておくから、ぐれ兄はそこで缶詰する?」

『家主を追い出して遊ぼうとするなんて、けーくんの鬼っ!』

 

 〆切当日まで仕事を残しておいたぐれ兄の怠慢だろと思ったけど、花火大会の場所を提供してもらうから指摘しないでおいた。僕ってば鬼は鬼でも、友達のために悪評を被った青鬼みたいに優しいからね。

 

 

 

 10時過ぎに草摩の送迎車に乗って、花島家にお邪魔した。

 出迎えてくれた花島さんのお母様は笑顔だったけど、僕が花島さんの宿題を手伝いに来たと知るや否や、顔色を変える。

 

「さ、咲ちゃん!? お母さんが1週間前に『宿題は終わったの?』って聞いた時、『問題ないわ』って答えたじゃない!?」

「あれは『新学期が始まった日に、友達の宿題を写して終わらせるから問題ないわ』という意味よ……」

 

 一気に丸写しする方が大変だと思うけど、ツッコミを入れる時間さえ惜しいので宿題に取りかかる。

 僕が終わらせて持参した問題集はそのまま写しても問題ないので、恵君と花島さんのお母様とお祖母様に分担してもらう。

 作文やレポートは丸写しにするとバレる可能性が高いので、僕が新たに作成したものを花島さんに渡す。

 

「宿題は自分でやらないと、咲のためにならないと思うんだけどねぇ」

 

 古文の問題集を写していたお祖母様が、困惑顔で呟いた。

 

「休み明けのテスト対策はします。宿題は終わらせて提出しないと評価をもらえないので、今年は見逃してあげて下さい」

「咲は来年も同じ事をしそうだから心配だよ」

 

 お祖母様が溜息交じりに言うと、花島さんは微笑みながら「大丈夫よ……来年は……ちゃんとやるわ……」と答えた。

 「来年は」と「ちゃんとやるわ」の間に、「建視さんが」という言葉が隠れていたような気がしないでもない。

 僕を頼ってくれるのは嬉しいけど、花島さんが大学に進学したら他の男に頼るようになるんじゃと不安になる。

 

 お昼に作業を一旦中断して、花島さんのお母様が作ってくれたゴーヤチャンプルーをご馳走になり、夕方の5時頃には宿題を全てやっつけた。

 後顧の憂いがなくなったので、僕と花島さんと恵君は晴れやかな気分でぐれ兄の家に向かう。

 

「うらぁ!!」

「だぁ!!」

 

 ぐれ兄の家の庭で、(きょう)と春がバトルしていた。雰囲気からして春はブラックになっていないから、単に体を動かしたくなったのだろう。

 あいつらはサイヤ人みたいな戦闘狂だなと思いつつ、「お邪魔しまーす」と言って家に上がって、賑やかな声が聞こえる居間へと足を向ける。

 

「あっ。ケンとサキとメグだーっ!」

 

 真っ先に声を上げたのは、水ようかんを食べていた紅葉。

 

「花島さん、恵君、久しぶりだね。建視はそうでもないけど」

 

 由希は社交用の笑顔を、花島さんと恵君に向けた。

 

「どうも」

 

 短い挨拶をした燈路(ひろ)は、テレビに映し出されるモゲ太のアニメに視線を戻した。

 

「おっ、お久しぶりです、建視さん。そちらのお2人方は初めまして……草摩利津(りつ)と申します」

 

 両膝の前で手をついて浅礼を行った利津兄は、山吹色の地に紅の牡丹が咲く女物の浴衣を着ていた。

 赤味の強い茶髪を綺麗に結い上げて、赤い花のかんざしを飾っている利津兄はどこからどう見ても大和撫子だけど、気弱な大和男児だから。繰り返すけど男だからね!

 それにしても驚いたな。本田さんの友達も参加する花火大会に、消極的な利津兄が顔を出すとは思わなかった。

 

「久しぶり、利津兄。草摩温泉での研修はどうだった?」

ごめんなさいぃぃぃ!! まともに接客もできない私なんかが親のコネで研修に行ったせいで、草摩温泉の従業員さんや訪れて下さったお客様を混乱させてしまってぇぇ!!」

 

 研修の一件には触れちゃいけなかったみたいだ。僕は暴れる利津兄の脇をプッシュして、大人しくさせる。

 

「建視さん、はなちゃん、恵さん、いらっしゃいです……っ!」

 

 エプロンをつけた本田さんが、麦茶の入ったグラスと水ようかんを載せたお盆を持って居間にやってきた。慊人に引っ掻かれた傷はまだ治ってないようで、左頬に大きめの絆創膏を貼っている。

 

(とおる)君……その怪我はどうしたの……?」

「あっ、これは旅先で転んでしまったのですよっ」

「…………早く治るといいわね……」

 

 そう言いながら、花島さんは僕をまっすぐ見据えてきた。

 僕の力不足で本田さんを守る事ができず、誠に申し訳ありません!! 脳内で土下座しながら、「本田さん、台所で何か作っている?」と質問する。

 

「はいっ。楽羅(かぐら)さんと杞紗(きさ)さんにもお手伝い頂いて、手巻き寿司の準備をしているトコロなのです……っ」

 

 えっ!? 午前中にぐれ兄と電話で話した時、大人数が集まりそうだから夕飯は出前を取った方がいいって僕が提案したんだけど。

 楽羅姉が自分の手料理を夾に食べさせたかったから、手巻きに変更したのか? 本田さん、バイトが終わったばかりなのに……。

 そうこうしている内に、魚谷(うおたに)さんがやってきた。魚谷さんもバイト上がりの参加だ。

 

「よーっす。リンゴ頭、ちょっとこっち来いや」

 

 何だろうと思って立ち上がって近寄ると。魚谷さんは僕をまじまじと見つめてから、僕の額にチョップを打ち込んできた。

 結構痛い。何故に僕がこんな目に……もしや魚谷さんも、僕が本田さんを守れなかったと直感で悟ったのか!?

 

「くっそぉぉっ、おまえも休み中にまたでかくなったろ!! いいよな!! 男はニョキニョキ伸びてな!!」

「伸びる伸びないに、男女の差はあまり無いわ……ありさも充分長身よ……?」

「180台までいくのが夢なんだ!!」

 

 身長が高い方が有利なスポーツをやっているなら解るけど、魚谷さんがバスケやバレーに打ち込んでいるという話は聞いた事がない。

 

「魚谷さんはモデルにでもなりたいの?」

「いんや。タッパある方が迫力あるじゃん」

「……女子に迫力って必要かな」

 

 僕の呟きを聞き取った魚谷さんは、ふんっと鼻を鳴らす。

 

「女らしさを目指しても意味ねぇんだよ。男の1人も振り向かせらんねえからなっ」

「うおちゃん……?」

 

 魚谷さんの分の麦茶と水ようかんを持ってきた本田さんが、気遣わしげな面持ちになった。

 

「透君……察してあげて……ありさは結局、コンビニの君と再会できずにいるのよ……」

 

 コンビニの君っていうと、本田さんに似ていると噂の人物か。

 花島さんが興味を持っていたから僕も気になったけど、魚谷さんの話では最初に来店したきりコンビニに来ないらしいので、特に探りを入れずに放置していた。

 

「よく……見て……透君。あれが恋をする女の背中……」

「ああ……そう言われますと、何やら痛々しく……」

 

 本田さんは魚谷さんの背中を見て傷心を感じ取ったようだが、僕の位置からは喧嘩上等とばかりに青筋を立てた魚谷さんの憤怒の表情が見えた。

 花島さんは電波で親友の怒気を感じ取ったのか、「そうね……痛そうね……」と含みのある発言をしている。

 サバサバした性格の魚谷さんをこんなに怒らせるなんて、コンビニの君は何をしたんだ……。

 

 

 何はともあれ、花火大会に参加する面子は揃った。楽羅姉を通してリン姉を誘ったけど、やっぱり来なかったか。

 暑さに弱い綾兄も不参加だ。一応声はかけたけど、綾兄は電話越しに『熱帯夜め……覚えていろっ。ボクを倒しても、第2第3のボクが現れるだろう……っ』と言っていた。

 綾兄が参加しない事を知った由希は安堵していたけど、第2第3の綾兄が現れると聞いたら盛大に顔を引きつらせたと思う。

 

 兄さんは楝さんの暴走以降、機嫌が一向に直らない慊人を連日宥めているから、遊ぶ時間が確保できなかった。

 慊人のご機嫌取りはぐれ兄に任せればいいのにと思うけど、当のぐれ兄は慊人が落ち込んでいる時に限って本家に行こうとしない。へそ曲がりにも程がある。

 

 夕飯がもうじき完成するようだけど、10人以上が居間で一緒に食事する事はできない。さて、どうしようかと皆で考えていたら。

 

「そーだっ! テーブルを庭に出して、ビュッフェにしようよ!」

 

 ひらめいたとばかりに茶色の目を輝かせた紅葉の提案で、台所のテーブルを庭に出す。テーブルに載りきらなかった各自の取り皿やグラスや飲み物は、縁側に置く事にした。

 手巻きを作るために皆が1つのテーブルに殺到するため、混み合ってぶつからないように待たなきゃいけない不便さがあったけど。暮れなずむ夏の空の下で、皆でワイワイ騒ぎながら飲み食いするのは開放的で楽しい。

 

「夾君っ。手巻き寿司作ったよ。食べてね」

「……ああ」

 

 気のせいか、楽羅姉の押しが普段より弱く見える。どうしたんだろ、楽羅姉。体調でも悪いのかな。

 

「先生、〆切が……食べている場合じゃ……」

 

 悲愴な面持ちの担当さんは、手巻きを食べるぐれ兄に背後霊の如く付きまとっている。

 

「まぁまぁ、みっちゃん。腹が減っては戦ができぬって言うでしょ?」

「紫呉兄さん、私がたこ焼きを買ってきますから! たこ焼きパワーで書き上げてやってください!!」

 

 利津兄が意味不明な事を言い出した。たこ焼きパワーって何ぞや。

 

「今日はたこ焼きって気分じゃないなぁ。カラスミが食べたい」

「カラスミですね。かしこまりました、ただちに」

 

 パシリにされている利津兄に、ぐれ兄の担当さんが「あっ、待って下さい」と声をかける。

 

「先生のご要望の品は、担当である私が買ってきます」

「で、ですが……(みつる)さんは紫呉兄さんの執筆を見守るという、大事なお仕事があるのでは……」

 

 利津兄と担当さんは知り合いだったのか。と思っていたら、ぐれ兄がにこやかに「2人で買いに行けば?」と促した。

 恋のキューピッド役を果たしているように見えるけど、ぐれ兄の性質は悪戯好きな愛の神じゃなく、嘘と計略に長けたヘルメスに近い。原稿を催促する担当さんを、自分から引き離す事が目的だろう。

 

 結局、利津兄と担当さんはぐれ兄に言い包められて、2人でカラスミを買いに行った。

 ぐれ兄が原稿を落としても自業自得だけど、あの担当さんは責任をとって自害するとか言い出しかねない。周囲の人が止めてくれる事を祈ろう。

 

 

 食事を終えたら食器やテーブルを手分けして片付けて、水を入れたバケツやチャッカマンを用意して、花火大会のスタートだ。

 

「トップバッターは打ち上げ花火ねーっ」

 

 紅葉がそう言って花火に火をつけようとしたら、由希が「打ち上げ花火って、普通最後にするものじゃない?」と疑問を呈した。

 

「おい、春! 花火を人に向けんなって、何度言ったら解るんだ!!」

「大丈夫……夾ならきっと避けられる……俺、信じてる……」

 

 ロケット花火で危険な遊びをしようとしている春を止めずに、楽羅姉は「がんばって、夾君!」と声援を送っている。前門の(うし)、後門の(いのしし)って感じだな。

 

「杞紗、一緒にススキ花火をやろっ」

「うん……お姉ちゃんも一緒にやろう……?」

「はいっ」

 

 燈路、杞紗と2人で花火ができないからって本田さんを睨むのは止めとけ。

 

「なんか火ィ見てっと暴れたくなるなぁ」

「ありささん……自重しないと……」

「僕の家を壊さないで、お願い……」

 

 壊すなら、ぐれ兄の蔵書が仕舞われている書斎がお勧めだ。

 

「花島さん、一緒に線香花火をやらない?」

「私は透君やきーちゃんとススキ花火をするわ……」

 

 結局、花島さんと2人で線香花火をする事は叶わなかったけど、夏休みを楽しい思い出で締めくくれてよかった。




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