42「クラギさんだっ」
今日は9月1日。夏休み気分が抜け切っていない生徒も多数いるけど、僕の気分はすっかり2学期モード。修学旅行までのカウントダウンはもう始まっている……!
「
教室に向かう途中で、キン・ケンの3年代表の
キン・ケンの2年代表で僕と同じクラスの
「あの……これ、夏のお土産なの。受け取ってもらえるかしら……?」
梅垣先輩が差し出してきたのは、モゲ太とアリのイラストがプリントされた包装紙で包まれた菓子折りだ。
「これって、横浜の創作和菓子屋とのコラボ商品じゃないか。モゲ太のパッケージの焼き菓子が評判になって、入手困難になっていたのに……どうもありがとう。後でお返しを贈るよ」
「お返しだなんて。建視の喜ぶ顔が見られただけで充分よ」
「そうそう、建視君はそんな事気にしないで!」
梅垣先輩と赤坂さんはそう言ってから、恍惚とした表情になってトリップしている。大丈夫かな。僕が2人の名前を呼んだら、彼女達は我に返った。
「ああっ、ごめんなさいね。つい詩の一節が頭に浮かんでしまって……っ」
「奇遇ですね、先輩。私も……」
「そんな事より
東雲さんが先輩2人をぶった切る発言をしたせいか、梅垣先輩と赤坂さんは女子がしちゃいけない顔になっている。
「夏休みは海辺の別荘に行ったよ」
「海辺の別荘ですか!? さすが草摩先輩、リッチですね~!!」
「うわぁ……人気者だよねぇ~……すごいなぁ。あっ、や~ん。そのお菓子、おいしそ~!!」
艶やかな黒髪を背に流した女子生徒が、会話に入ってきた。可愛らしさと色っぽさが同居した小悪魔めいた容姿の持ち主だからか、わざとらしいほど甘ったるい話し方でも不自然さを感じない。
「……あの
「……赤坂さんの知り合い?」
「……やめて下さい、知り合いなんかじゃないですよ。2‐Aの噂によれば、その容姿で男を誑かす魔性の女……!!」
小声で話し合う赤坂さんと梅垣先輩を余所に、魔性の女と呼ばれた彼女は両手を合わせておねだりするように僕を見上げてくる。
「ね? お願い。あとでお菓子ちょうだいね、けんけん♡」
「んな……っ! 何なの、貴女! 突然現れた揚句、建視を、けっ、けっ、けっ!!」
「その呼び方をしていいのは、建視君の男友達だけよ!! それとも何、私達へのあてつけのつもり!?」
「え……やだ、こわ~い。わかっちゃった?」
やだ、こわい、この子。虫も殺さぬ顔してガンガン喧嘩売ってる。
ぶりっ子っぽいから
関わり合うと面倒そうだ。僕が「じゃあね」と言って退散すると、魔性の彼女もついてくる。
「貴女には話があるから、ここに残りなさい!!」
「ごめんなさい、急いでますんでぇ~」
彼女は激怒する梅垣先輩たちから離れるなり、「あはははっ」と腹を抱えて笑い出す。
「面白かったぁ! サイッコーだよね〜っ」
人を弄んで愉しむ性質……間違いなく、ぐれ兄属性だ。
「ねぇ、けんけんも面白いって思うよね~?」
「いや、別に」
「あ~ん、素っ気なぁ~いっ。もっと楽しくおしゃべりしようよォ」
「と言われても、話す事がないからな」
「え~、話す事なんて幾らでも……あ! そっか、自己紹介が遅れちゃった~っ。
ゆんゆんって
「生徒会、頑張ってね。それじゃ」
「んも~ぅ、けんけんってば冷た~いっ」
魔性の女って響きには惹かれるけど、ぐれ兄と同属性ってだけで萎える。楽羅姉とは違った意味の残念美少女だな。
▼△
9月6日の月曜日。僕と
「ふえ~……おじーちゃん、ギックリ腰になっちゃったの?」
ウサギのぬいぐるみを抱っこした紅葉が、本田さんを気遣わしげに見上げる。紅葉も夏休み中に背が伸びたから、本田さんとの身長差はかなり縮まったけど。
「腰は男の命デス……」
ゲーム機を操作していた春が、下ネタをぶっ込んできた。
「え!? そ、そ、そうなのですか!?」
「本田さん……あんまり春の軽口は気に留めないでいいよ……」
真に受けて青ざめた本田さんを見かねて、由希が忠告した。
紅葉がウサギのぬいぐるみを本田さんに優しく押し付ける様子を見ながら、僕は「それより」と懸念を言葉に出す。
「本田さんのおじいさんの代わりに、ぐれ兄が三者面談に出るって……大丈夫なのか?」
ぐれ兄は夏休み中に
「不安しかないけど、
「綾兄に頼んでみるのはどうだ?」
僕の提案を聞くなり、由希が正気かと言うように僕を睨んでくる。
「建視は本田さんの三者面談を、めちゃくちゃにするつもりか!?」
綾兄は繭子先生に変なちょっかいを出さないから、ぐれ兄より安全パイなんだよ。繭子先生から口止めされているので、その辺の事情は話せないけど。
言わなくても察しろとばかりに、僕は由希を睨み返しながら「失敬な」と言い返す。
「本田さんの三者面談をめちゃくちゃにしてやろうなんて、夢にも思っていないよ。保護者代理は僕の兄さんに頼むのが1番だけど、兄さんは急な仕事が入る場合があるんだ。そうなったら、本田さんの三者面談が日延べになってしまうだろ」
「あ、あの……っ。私の三者面談に出て下さる紫呉さんのお優しさを無下にしたくはありませんので、
なんという事だ。純真無垢な本田さんは、ぐれ兄にすっかり騙されている。
「本田さん、ぐれ兄は優しさとは無縁だよ。優しそうに見える言動を取ったとしても、それは99パーセントの打算と1パーセントの気まぐれで構成されているからね」
「え……えと、でも……人によって
本田さんのお母さんの言葉を否定したくないけど、僕が疑心暗鬼に陥ってぐれ兄の優しさを見誤っていたという可能性は、1ミリたりとも存在しないよ。
僕が言い返したいのを我慢している事を察したのか、春が話題を変える。
「そういや、
「あ、夾君は多分……屋上……かもです……何やら元気がないご様子で……」
夾は本田さんを避けているように見えたから、何かあったのかもしれない。
「男のブルー・デー……?」
「はーるーっ」
女性特有の隠語に絡めた下ネタを発した春を、由希が咎めた。男同士だったらいいけど、この場には本田さんがいるから自重しような。
「だからって、トールまで元気無くすことないのよ! ねっ、ジュース飲もっ。ジュース買おっ」
紅葉が明るい声で誘いをかけると、心配そうにしていた本田さんに笑顔が戻った。
「はい……っ」
「ケンとハルとユキもいこーっ」
僕は紅葉や本田さんと一緒に、自販機がある校舎内に戻った。
紅葉と本田さんはウサギのぬいぐるみの手を片方ずつ持って、親子のような構図で歩いている。
身長が伸びてもまだ女子用制服が似合う紅葉だから、許される行為だよな。これを僕がやったら変態だと思われかねない。
「紅葉君と建視さんは、何を飲まれますか?」
「アイスココアー」
「僕はいちごオレにしよっかな。本田さんは何にする?」
「えと……私はレモンティーが飲みたいですっ」
由希と春の意見が出ないのは、彼らが少し距離を置いてついてきているからだ。どうやら2人で話をしたかったらしい。
「あっ、クラギさんだっ。やっほー」
紅葉は、廊下の向こうから歩いてきた女子生徒に声をかけた。
灰色がかかった黒髪をハーフアップにした彼女の苗字がクラギなら、紅葉や春と同じクラスの
噂では、倉伎さんは新生徒会の会計に決まったんだっけ。
膝丈のスカートと学校指定の紺色の靴下を着用する倉伎さんは、良く言えば模範的な優等生、悪く言えば地味な子といった印象だ。
地味なのは服装だけで、倉伎さんの顔立ちはかなり整っている。笑顔満開な紅葉に挨拶されてもニコリともしないから、人形めいた感じがするけど。無表情な女の子って可愛いと思うよ!
それはそうと、
倉伎さんは紅葉と本田さんが持っているウサギのぬいぐるみをちらりと見遣ったが、何も言わず軽くお辞儀をする。
内気な子だなと推察しながら倉伎さんを見ていたら、彼女が左手に持っていた教科書に視線が釘付けになった。
厳密に言うと、裏表紙に貼られたシールにだけど。長い耳の先端が紫色で、ボディがピンク色のキャラクターはモゲ太に違いない。
「倉伎さんだっけ? ちょっといいかな?」
「……っ!? な、にか用ですか?」
わぁ、思いっきり警戒されてる。
僕は友好をアピールするために笑顔を広げながら、ハリネズミのように警戒心剥き出しな倉伎さんにお願いしてみる。
「君が持っている教科書に貼ったシールを、ちょっと見せてくれる?」
「……っ!!」
瞬間的に顔が真っ赤になった倉伎さんは、シールを貼った裏表紙を隠すように教科書を素早く抱き締めた。
えええ、ちょっと見るだけなのに。シールがレア物だったとしても、「これ、もーらい」とか言って盗ったりしないから。
「ケン、女の子をいじめちゃダメなのよーっ」
「いじめてないよ。人聞きの悪い事を言うな」
僕が紅葉に言い返した時、追いついた由希が咎めるような口調で問いかけてくる。
「建視、倉伎さんに何をしているんだ?」
「彼女の教科書に貼ってあるシールを、見せてもらおうと思って」
「倉伎さんは拒否しているじゃないか。無理強いするなよ」
「無理強いなんかしてないよ。人聞きの悪い事を言うな」
僕の抗議を聞き流した由希は、未だに教科書を腕でブロックしている倉伎さんに話しかける。
「俺の従兄がごめんね。それから……その、今度の生徒会ではよろしく」
由希のヤロォ。僕を悪役に仕立てて、自分の評価を上げようとしてやがるな。
「……はい」
小声で返事をした倉伎さんはお辞儀をしてから、足早に立ち去った。遠ざかる彼女の背を見送った由希は、ジト目で僕を見る。
「下級生の女子に無理強いするなんて、何を考えているんだ」
「だから、無理強いしてないって。僕はモゲ太のシールを見せてって頼んだだけだよ」
「はぁ……たかがシール見たさに、見知らぬ上級生がいきなり声をかけてくるなんて、普通は思いもしないだろ」
「たかがシールだと? 由希、おまえは何も解っちゃいないな」
現在も人気沸騰中の『モゲ太とアリ』は、アニメ化や映画化やゲーム化といったメディアミックスによって、大量のグッズが販売されている。多様なグッズの中でも、とりわけ数が多い事で知られる品はシールだろう。
純粋な文房具としてのシール。イベントや劇場限定で販売されるシール。雑誌や食品や玩具のおまけのシール。ファンによる手作りのシール。貼ってはがせるタイプのシールで遊べるシールブック。何十種類もパターンがある上に、レア物を設定して購入者を色んな意味で泣かせるシールコレクション。他にも色々。
モゲ太のシールは星の数ほど世に出ているため、コアなファンでも全てを網羅する事は難しい。一期一会にも等しいシールとの巡り合わせをふいにしないため、思い切って倉伎さんに声をかけたんだ。
「
熱いファン心理を語り終えた僕が承太郎風に確認を取ったら、うんざりした顔で聞いていた由希が再び溜息を吐く。
「思っていた以上に、下らない理由だったな」
「おまえは全モゲ太ファンを敵に回したぞ」
「あ、あの。お話し合いは、ジュースを買ってからにしませんか?」
本田さんが仲裁に入ったので、僕は由希に対する文句を飲み込んだ。内心では不満の嵐だけど。
だって倉伎さんが熱烈なモゲ太ファンだった場合、他にもグッズを持っているかもしれないんだよ!?
倉伎さんとモゲ太トークをしたいけど、由希のせいで僕は後輩の女の子に無理強いする怖い奴として、倉伎さんに認識されてしまった可能性が高い。
名誉挽回を図りたいけど、どうするかな。内気な女の子へのアプローチは難しいぞ。
引っ込み思案な
悩んだ末、対人能力に優れた楽羅姉にメールを送る事にした。夾に関してはアレだが、女の子との接し方を相談するのに、僕の知り合いの中で
『詳しい話を聞かないとアドバイスできないから、ファミレスで集合ね。私も話したい事があるし』
放課後になった頃、楽羅姉から届いた返信を見て僕は首を傾げる。
楽羅姉が話したい事ってなんだろ。リン姉に関する事かな。それとも夾か?