待ち合わせた時間の10分前にファミレスに入店すると、
「やっほー、建ちゃん」
「……楽羅姉、何かあった?」
楽羅姉の目は少し腫れぼったくて、昨日辺りに大泣きしたんじゃないかと推測できた。僕の質問を笑顔で交わした楽羅姉は、「私の話は後回しね」と言う。
僕はフリードリンクとフライドポテトと鶏の唐揚げを注文した後、ドリンクバーからコーラを持ってきて、楽羅姉の対面の席に腰を下ろす。
「聞いてよ、楽羅姉。
僕が悪役にされた一件を説明すると、楽羅姉は呆れ顔になった。
「ゆんちゃんの対応は悪くないよ。むしろ、問題があるのは建ちゃんの方。初対面の下級生の女の子に、モゲ太のシールを見せてっていきなり言うなんて……」
「僕はちょっと見せてってお願いしただけだよ」
「見知らぬ上級生の男子に……それも、建ちゃんみたいに派手な外見の男子に私物を見せろとか言われたら、大人しい女の子は怖がっちゃうよ」
それじゃまるで、僕が女の子の私物を見たがって恐喝したヤンキーみたいじゃないか……!
僕は両手で顔を覆って泣き真似をする。気分的には本当に泣きたい。
「……
「うーん、そうだなぁ……建ちゃんに他意はなかった事を倉伎さんに伝えてほしいって、ゆんちゃんに頼んでみれば?」
僕の不満を示すように、口が自然とひん曲がった。
「倉伎さんと同じクラスの
「ゆんちゃんに頼むのは、そんなにイヤ? 最近は仲良くなったじゃない」
「あいつはモゲ太のシールを下らないって言ったんだ」
由希を宴会に誘い出すための策を実行するのに躊躇いがあったけど、あの発言で由希は敵だと再認識したから、心置きなく実行できそうだ。
「……建ちゃん、また良からぬ事を考えているでしょ。ゆんちゃんに仕返しするために裏で手を回そうとするのは、しーちゃんのやり口と一緒だからね」
付き合いの長い従姉殿は僕の考えはお見通し……とまではいかなくても、不穏なオーラを感じ取られたようだ。釘をぐっさり刺されてしまった。
「お待たせしました。フライドポテトと鶏の唐揚げになります。ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」
ウェイトレスさんが運んできた料理をシェアしようとしたら、楽羅姉は「食欲がないの」と言う。以前も同じような事があったな。夾に関する重い話をした時だ。今回もそうなのか。
僕が料理を食べ終えて雑談のネタが尽きた頃、楽羅姉が意を決したように口を開く。
「私の話だけど……単刀直入に言うね。私、失恋したの」
……
もし僕が夾と同じ立場だったら、高校卒業前に楽羅姉を振ったりしない。幽閉から逃れる助力を乞うため、楽羅姉の恋心につけ込む必要があるから。
我ながら下種な考えだと思うけど、猫憑きが逃げようとしたら
僕は自己保身が強いからこんな事を考えてしまうけど、愚直なまでに誠実な夾は楽羅姉の想いを踏みにじってでも逃げようと思わないのだろう。
宿命に抗って本田さんと共に生きる、苦難に満ちた光ある道ではなく。本田さんを想い焦がれながら1人で朽ちる、絶望の闇に閉ざされた檻を選んだのか。
……とりあえず、夾に関する考察は後回しにしよう。傷心の楽羅姉を慰める言葉をかけないと。
「恋の傷は新しい恋で癒すのが1番だよ」
そっぽを向いた楽羅姉は、肺の中の空気を全て吐き出すかのように深々と溜息を吐いた。
「……女の子を憂さ晴らしの道具としか思っていなかった建ちゃんの事だから、乙女心を解ってない言葉をかけてくるだろうなと予想していたけど。よりにもよって、生傷を抉るような事を言うなんてサイアクだよ」
半眼になった楽羅姉の反論は、僕の心を抉った。中学時代の僕の素行は清く正しく美しいとは言えなかったけど、ぐれ兄の同類みたいな言い方はやめて。
「ごめんなさいすみません僕の言い方が悪かったです」
テーブルに両手をついて頭を下げてから、僕は「でもさ」と言葉を続ける。
「楽羅姉が前を向くためには、別の恋を見つけようとした方がいいと思うよ」
「……建ちゃんも、つじつま合わせの恋だと思っていたの?」
“も”って事は、楽羅姉に面と向かって指摘した猛者がいたのか。的確すぎるほど真実を衝いた物言いからして、リン姉だろうな。
それはさておき、どう答えるべきか。失恋の痛手を負っている楽羅姉に、追い討ちをかけるような事は言いたくないのだが。いや、うん、さっき言っちゃったけどね。
僕の迷いを見抜いたように、楽羅姉は「本当の事を言って」と促してくる。
失恋直後の人は慰めの言葉をかけてほしいものじゃないのかと疑問に思いながら、僕は長年言葉に出さなかった本音を告げる。
「僕と一緒に逃げた楽羅姉が夾の事を好きだって急に言い出した時は、やり直しをしようとしているのかなって思ったよ」
当時の僕は、夾に露骨な好意を向け始めた楽羅姉を空々しい思いで眺めていた。そんな事をしたって、夾の本当の姿を暴いて逃げた事実は消えないのに、と。
要するに僕は、夾に謝罪して関係の修復を図る事を早々に諦めたんだ。
「そう……だよ。私はあの日……逃げ出した自分が、心から怯えた自分が汚く思えて、嫌だった。やり直したかったの。夾君を好きになれば、夾君との距離を縮められれば、夾君が私を好きになってくれれば……」
俯いた楽羅姉は消え入りそうな声で、「『逃げた自分』も『汚い自分』も、無かったことになるんじゃないかって思って」と呟く。
「夾君のホントの姿を受け入れられる、キレイな自分を夢見た。……その考えこそが汚いって気付かずに」
気付いたのは、本当の姿になった夾を追いかける本田さんを見た時だろうな。僕はそんな事を思いながら、楽羅姉の後ろ暗い思いに彩られた告白を聞く。
「建ちゃん、私ね。物の怪憑きに生まれたこと……悲しかったよ、やっぱり。子どもの頃、私のせいで両親がケンカする度、そのあとママが1人で泣いている姿を見る度、悲しかった。自分がたまらなく嫌だった。不安だった……」
急に話が飛んだなと訝しむ僕を余所に、楽羅姉は陰鬱な声で話し続ける。
「だから、夾君や建ちゃんと遊んでいて、安心……した。猫憑きや盃の付喪神憑きに比べれば、私は全然『不幸』なんかじゃないって思えたから」
亥憑きの従姉の告白は、僕に衝撃を――全然与えなかった。
「楽羅姉が僕を哀れみながら見下していた事は、昔から薄々感じていたよ」
僕が打ち明けると、項垂れていた楽羅姉は肩を震わせる。
「ごめん……建ちゃん、ごめん……」
「楽羅姉が謝る必要はないよ。僕も夾を見下しているから、同じ穴の狢だ。……楽羅姉と夾に初めて会った日、僕がなんて言ったか憶えている?」
「……憶えているよ。『ネコとあそぶなんて、どうかしているよ』って言われた」
草摩の「外」で楽しそうに遊ぶ幼い楽羅姉と夾を見つけた時、僕が最初に感じたのは嫉妬だった。
盃の付喪神憑きより忌み嫌われている猫憑きが、なんで十二支憑きと仲良くしているんだと悔しさに駆られて。物の怪憑きの中で1番惨めなのは
全て被害妄想なんだけど、当時の僕は自己分析する精神的余裕はなかったので、苛立ちに任せて叫んでいた。
――ネコとあそぶなんて、どうかしているよ!
――なっ……なんで、そんなヒドイこと言うの!?
――オトナはみんなそういってる! ネコとあそぶなって!
――私がきょーちゃんとあそぶって決めたの! きょーちゃん、あっち行こっ。
仲良さげな楽羅姉と夾を見ていると不快で仕方なかったが、2人に関わるのをやめたら僕が負けを認めて逃げたみたいで嫌だったから、僕は楽羅姉と夾に付きまとうようになったんだよな。
「夾と2人で遊ぶために楽羅姉は僕を撒こうとしたけど、僕は意地になって追いかけたっけ。終いには楽羅姉が折れて、『いっしょにあそぼう』と言ってくれたけどね。楽羅姉は遊ぶ友達がいない僕を哀れんで、僕を仲間に入れてくれたんだろ?」
楽羅姉は下を向いたまま、無言でうなずいた。裁きを待つ罪人のような様子に、僕は思わず溜息を吐きそうになったが堪える。
「草摩の『中』の大人達がこぞって僕を忌避している事は一族中に知れ渡っていたから、僕に同世代の友達はいなかった。でも、楽羅姉はそんな僕を仲間に入れてくれた。僕にとっては一緒に遊んでくれる事が重要だったから、楽羅姉が内心で僕をどう思っていようが別に構わなかったよ」
すると、俯いていた楽羅姉の頬から涙が滴る。
僕は慌ててスラックスのポケットから取り出したハンカチを差し出したけど、楽羅姉は自分のハンカチで顔を拭いた。
ドリンクバーから席に戻る途中の小学生男子が、行き場をなくしたハンカチを持つ僕に憐れみの視線を投げかけてくる。そんな目で見ないで。
顔を上げた亥憑きの従姉の気持ちが幾らか落ち着いた頃合いを見計らって、僕は話題を変える。
「でもさ。楽羅姉は自分を正当化したいがためだけに、夾を追いかけていた訳じゃないだろ」
「……慰めてくれているの?」
「ううん、本音。僕としては、自分を正当化するためだけの恋だったらまだ理解の範疇内だったけどね。年を重ねるごとに楽羅姉の夾に対する想いが本気になっていくから、正直理解できなかった」
自己正当化から始まった気持ちを忘却して、純粋に恋をしているのだと思い込もうとしているんじゃないかとか。振り向いてくれない相手を追いかける自分に酔っているような、恋に恋する女の子になっているのかとか。
楽羅姉の心情を分析しようとしたけど、明確な答えは出なかった。
「建ちゃんの事だから、私の内心をあれこれ推察しようとしたんだろうけど。誰かを想うのは本当に理屈じゃないの。アタマで色々考えたって、“好きだ”と思ったらもうダメなのよ」
それを聞いて思い浮かんだのは、花島さんの姿。
慊人に知られる事を恐れて、草摩の檻から逃れられないと諦めている僕の彼女への想いは、本当の意味での“好き”じゃないのだろう。
僕の沈んだ雰囲気を察したのか、楽羅姉が気遣うように言い添える。
「
楽羅姉の忠告を、僕はただの慰めと受け止めてしまったが――もっと真剣に考えておけばよかったと、後日思い知る事になる。