神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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46「皆さんの力を貸して下さい」

 空を覆う雲は時間が経つにつれて段々暗くなっていき、放課後になる頃には雨が降り始めた。

 学校に来る由希(ゆき)の親とエンカウントするのを避けるため、教室で漫画を読みながら時間を潰していると、スラックスのポケットに入れていた携帯が鳴る。取り出して見ると綾兄からメールが届いていた。

 

『雨のせいで髪が纏まらなくて、出発が遅れてしまった! 海原(かいばら)高校に到着するのは少し遅れると、繭君に伝えてくれたまえ』

 

 え、なにこれ。綾兄が学校に来るの? 何のために……って、もしかして。

 由希の三者面談に綾兄が出席するのかとメールで聞いたら、『その通りさ』という返信が届いた。どうやらぐれ兄が、由希の面談の日程を綾兄に教えたらしい。

 綾兄が面談を引っ掻き回したら、由希は激怒するぞ。いや、そうとも言えないか。

 由希は親との対面を控えて気鬱になっていたから、綾兄が引っ掻き回してくれた方が救いはあるかもしれない。

 

 (ねずみ)憑きの従弟の面談がどう転ぶかは判らないけど、とりあえず綾兄に頼まれた事を遂行しよう。教室から出た僕は、進路相談室へと向かった。

 閉まっている戸に耳を近づけたけど、中から話し声は聞こえない。面談はまだ始まってないのか。

 

「失礼しまーす」

 

 僕がノックをしてから戸を開けると、長机に着いていた繭子(まゆこ)先生は不思議そうな表情を浮かべる。

 

「なんだ? 何か問題でも起きたのか?」

「ええ、まぁ。綾兄から伝言を託りました。由希の三者面談に出席するけど、少し遅れると」

「綾クン……ホントに来るとは思わなんだ」

 

 驚きで目を見開いた繭子先生の言葉を聞いて、僕もビックリだ。

 

「由希の面談の日程を綾兄に教えたのはぐれ兄だと聞きましたが、繭子先生も教えていたんですか?」

「いや、あたしは変更した日時までは教えてない。あ゛ー、もう……あの男は……」

 

 ぐれ兄に対する文句を飲み込んだ繭子先生は、気持ちを切り替えるように息を吐いてから「伝えてくれてありがとな」と礼を述べた。

 

 進路指導室を出て教室に戻る途中で、会いたくなかった人物と鉢合わせしちゃったよ。

 上等なワンピーススーツを着こなす華奢な体は、大きな息子が2人もいるとは思えないほど完璧なプロポーションを維持している。

 見る者を惹きつける端麗な顔立ちは由希や綾兄にそっくりなのに、冷ややかな眼差しは似ていない。中学時代の由希は母親によく似ていたけど。

 

「こんにちは、黎子(れいこ)おばさん」

「……何の用?」

 

 綾兄と由希の母親である黎子おばさんは、整った顔に警戒を浮かべる。

 僕が彼女の衣類などから残留思念を読むのでは、と疑っているらしい。慊人(あきと)草摩(そうま)の上層部が命令を下さないと、僕は力を行使できないのにね。

 

「いえ、別に用という程の事はありません。親戚と顔を合わせたので、挨拶しただけですよ」

 

 綾兄が学校に来る事は言わない。(へび)憑きの長男を心底苦手に思っている、黎子おばさんへの嫌がらせじゃないよ。

 草摩の上層部が長期休暇中に任務の前日通達をしやがる事は恨んでいるけど、仕返ししようなんてオモッテナイカラネ。

 

 冗談はさておき。黎子おばさんが綾兄との接触を避けるべく面談前に学校から立ち去ると、面談がまた日延べになるかもしれない。そうなると、繭子先生の負担が大きくなってしまう。

 10月は修学旅行に中間テストと、大きな行事が2つもあるからな。僕らの担任を私的な事情で、これ以上振り回さないでほしい。

 

 黎子おばさんは挨拶を返さず、僕から距離を取って横を通り過ぎる。母親の後に続く由希は陰鬱な雰囲気を纏っていて、ドナドナされる子牛のように見えた。

 ガンバレ、由希。もうすぐ綾兄が駆けつけてくれるぞ。

 

 

 

 下校した僕が家に到着した頃、綾兄からメールが届いた。由希の面談の報告かと思ったけど、それとは全く別の報告が綴られている。

 

『ボクはこの度、トブナベ君ことブラックに頼まれて、学園防衛隊の司令に就任したよ! ブラックに聞いたのだが、ケンシロウは学園警備隊の隊長をしているそうじゃないか! 学園警備隊の司令として、とりさんかぐれさんを推挙したまえ! 学園防衛隊と学園警備隊は、良きライバルとして切磋琢磨するのだ!』

 

 綾兄とナベ(混ぜるな危険)が出会ってしまったか……。

 由希が頭を抱える姿が目に浮かぶ。面談の成り行きによっては、綾兄やナベに構っている心の余裕なんて無いかもしれないけど。

 

 

 

 その日の夜。綾兄からメールを受け取った兄さんの話によると、綾兄が面談に乱入した事で黎子おばさんは怒って途中退席したらしい。それは予想できていた事なので、聞いても驚かなかったが。

 

「面談の最中に由希が綾女(あやめ)の事を、『兄さんは頼りになる人だ』と言ったらしい」

「…………え?」

 

 思わず耳を疑った。由希がそんな事を言うなんてあり得ない。綾兄が兄さんに嘘を吐くとは思えないけど、俄かには信じられなかった。

 理解不能という思いが僕の顔にハッキリ出ていたのか、食堂のテーブルに着いていた兄さんは苦笑しながら説明する。

 

「綾女と由希の関係は、徐々に改善しているのだろう。綾女は由希に歩み寄る努力をしているし、由希は成長と共に少しずつ心に余裕が生まれているようだからな」

 

 兄さんは希望的観測を述べている訳じゃないと思うけど、それでも腑に落ちない。巳憑きと子憑きの兄弟間に生じた溝は、そう簡単に埋まるほど浅いものじゃなかったはずだ。

 眉を寄せて考え込む僕を見て、兄さんが怪訝そうに問いかけてくる。

 

「何か納得いかない事があるのか?」

「納得いかないというか……理解が追いつかないんだよ。僕が綾兄の話題を出すと、由希は相変わらず拒否反応を示すから」

 

 僕が本田さんの保護者代理として綾兄を推した時、由希は自分の兄が本田さんの面談をめちゃくちゃにすると決めつけて、却下した事は記憶に新しい。それなのに頼りになる人だと言うなんて、矛盾しているにも程がある。

 

「心境の変化があったからといって、由希の綾女に対する態度が180度変わったりはしないだろう」

「それは……そうかもしれないけどさ」

建視(けんし)、おまえは……」

 

 言葉を切った兄さんは僕の反応を窺うようにちらりと視線を送ってから、「綾女と由希が仲良くなる事が、気に入らないか?」と聞いてきた。

 

「……兄さん、僕はそこまで根性悪じゃないよ」

「建視が他人の不幸を望むような人間ではない事は解っているが、建視は今も由希に対して素直になれないからな。昔のような負の感情を引き摺っているのではないかと案じたんだ」

 

 兄さんの懸念は当たっている。由希がモゲ太のシールを「下らない」と言ったから、子憑きの従弟に対する敵意が再燃していた。

 ……いや、違うな。モゲ太のシールを貶された事は腹立たしいけど、憎悪に至るまで根に持っていない。

 子憑きの従弟を宴会に出席させる策を円滑に進めるため、由希は敵だと再認識しようとしているんだ。

 

 

 僕は5歳頃から毎日のように慊人の屋敷に通って、物品に宿る残留思念を読む力の検証を行うように強要されていた。残留思念を読むと精神的に疲れるから僕は力を使いたくなかったが、当主命令だから逆らえなかった。

 当時8歳かそこらだった慊人は自分の手元に置いていた由希に夢中だったので、僕の力にあまり興味を示していなかったけど。草摩の上層部が僕の力を政治的に利用するために、検証を行おうと目論んだのだろう。

 

 草摩家の主治医だった僕の父さんは、気管支を患う由希の処には頻繁に診察に訪れていたのに、力の検証で精神的に疲弊していた僕には、労いの言葉1つ掛けてくれなかった。

 父親の愛情を奪われたと思い込んだ僕は、由希を憎んだ。

 

 子憑きの従弟に対する悪感情は緩和されないまま月日は流れて、僕が小学2年生になった時、事件は起きた。

 女の子に抱きつかれた由希が友達の前で変身してしまい、兄さんが目撃者の子供に隠蔽術を施す事になったのだ。

 由希は友達の記憶を消さないでほしいと、兄さんに泣きついたらしい。それを慊人から聞いた僕は、兄さんに手間を取らせる由希に憤りを覚えた。

 

――にいさんは何もわるくないよ。“ともだち”の前でネズミにへんしんするドジをふんだ、あいつがわるいんだ。

 

 記憶隠蔽の処置を終えた兄さんに向かって、僕はそう言い切った。

 

――悪いとか悪くないとか……そういう問題ではない。

――にいさんは、ゆきをかばうの?

 

 信じられない思いで僕が言い返すと、兄さんは憂わしげに眉をひそめる。

 

――俺は由希の友達の記憶を隠蔽したから、由希を庇える立場にいない。俺が気にかけているのは建視だ。誰が悪いとか常に考えていたら、他者の心の痛みに気付けない人間になってしまうぞ。

 

 兄さんが何を言おうとしていたのか、当時の僕はさっぱり解らなかった。

 人前で変身した由希が悪いと端から決めつけていたし、僕と楽羅(かぐら)姉によって本当の姿を暴かれた(きょう)の心の痛みを見て見ぬ振りしていたからだ。

 

 自分が唯一心を許している兄さんとの認識の隔たりに直面し、小学生の僕は不安に駆られた。こんな状態が続いたら、兄さんと会話をしても一方通行になってしまう。

 

 そしたら僕はいつか、兄さんに見放されてしまうのではないか。

 

 兄さんに嫌われないようにするため、由希は悪いやつではないと思おうとしたけど、考えをすぐに改める事はできなかった。

 同じように子憑きを憎んでいた春が由希に好意を寄せるようになった時は、先を越された悔しさも相俟って、春は裏切り者だと思ってしまった。

 

 迷走していた僕は、綾兄の意見が聞きたくなった。実弟と距離を置いている綾兄なら、由希を庇うような事は言わないだろうと思ったからだ。

 そして僕は宴会で、綾兄に疑問をストレートにぶつけた。

 

――あやにいは、どうしてゆきと話さないの?

――ケンシロウは変わった事を聞くねっ。用もないのに、由希と話す訳ないだろうっ。

――用がないと話さないの? だってゆきは、あやにいの弟だろ。

――あぁ……そういえば、そうだったねっ。

――あーや、弟の存在を忘れていたでしょ。すぐそこにいるのに。

 

 近くにいたぐれ兄が、呆れ混じりの笑いを浮かべる。

 兄さんがいれば「笑い事ではない」と窘めただろうが、兄さんは離れた所で紅葉(もみじ)にじゃれつかれていた。

 

――由希の顔を見るのは宴会の時だけだから、印象が薄すぎて弟だと思えないのだよっ。

――うわ、ひっど。

 

 酷いと言いながら、ぐれ兄は愉快そうに口の端を吊り上げた。

 ぐれ兄は冷酷だと非難する事はできない。憎しみに駆られていた頃の僕だったら、実兄に忘れられるなんて由希は惨めだと嘲笑しただろう。

 由希に対するわだかまりは消えていなかったけど、当時の僕は笑えなかった。兄さんに見捨てられる可能性に気付いたから、他人事だと気楽に構えられなかったのだ。

 

 両親に道具のように売られて、兄に見放された由希の境遇は、僕が辿ったかもしれないもう1つの人生のように感じられてぞっとして。僕はその時初めて、由希が可哀相だと思った。

 

 憐れみを感じたからと言って、僕は由希を助けようとはしなかったけど。

 由希に余計なちょっかいを出したら、慊人の怒りを買ってしまうかもしれない。端的に言えば、保身に走ったのだ。

 

 僕が昔のあれこれを想起して物思いに耽っていたら、兄さんが気遣わしげに声をかけてくる。

 

「建視、大丈夫か?」

「ああ……うん。ちょっと昔の事を思い出して、ぼーっとしていただけ」

 

 表情を取り繕った僕は食事を再開する。過去を振り返って気付いた事があるけど、見て見ぬ振りをした。

 由希に対する後ろめたさとかあったら、子憑きの従弟を宴会に出席させる策を遂行できなくなるかもしれない。

 

 

 

▼△

 

 

 

 生徒会の任命式が執り行われる、10月2日の土曜日。

 全校生徒が体育館に集まった頃合いを見計らって、新旧の生徒会メンバーが壇上に並んだ。由希が壇上に姿を現した瞬間、女子生徒の半数以上が一斉に黄色い声を上げる。

 

「「「きぁぁぁぁぁぁぁ! 由希ーっ!!」」」

 

 大声援を受けた由希は、体をビクッと震わせた。その姿は臆病な小動物のようだが、由希に夢中な女の子達にはステキな王子様に見えるのだろう。

 いつまで経っても歓声が止まないので、進行役の先生がマイクを通して「静かにしなさい!」と注意を飛ばした。

 まずは竹井(たけい)前生徒会長が、退任の挨拶を述べるようだ。演台に立った竹井前会長はカンペを見ず、全校生徒を見渡しながら話し始める。

 

「うぅっ……ぜ、前生徒会長の竹井(まこと)です……っ。生徒会長という大任を終えて……ひぐっ……今は安堵しています……っ」

 

 初っ端から竹井前会長は男泣きしていた。程々の涙だったら感動を誘えただろうが、嗚咽や鼻水を啜る音が混じる本気の泣きなので引いてしまう。

 

「ぐずっ……新しい生徒会長になった草摩由希君は! 才貌両全を体現した不世出の逸材で……っ! きっと……いや、必ずや!! 今まで以上に生徒会と学園防衛隊の活動を、大いに盛り立ててくれる事と確信しております!! 頑張って下さい、由希君……っ!!」

 

 滂沱の涙を流す竹井会長は、由希の方を向いて激励の言葉をかける。遠目で見ても、由希の顔は引きつっていた。

 

「全校生徒の皆さん!! 新執行部へのこれまで以上のご協力、どうかよろしくお願いします!! 私たち3年生は……そ、そつ……うっぐ……卒業するまでぇ! 新しい生徒会を見守りィ! 陰ながら支えていきたいと思いますぅ!! これまで本当に……本当にありがとうございましたぁっ!!」

 

 竹井前会長以外の啜り泣きも聞こえるが、プリ・ユキの3年生だろうか。

 退任の挨拶が終わると、最初のドン引きな雰囲気が嘘のように大きな拍手が鳴り響く。この後に挨拶するって、色んな意味でプレッシャーだぞ。

 

「がんばって、由希くーん!」

「由希ーっ! ファイトーっ!」

「待っていました、草摩先輩ーっ!」

「はいはい、静かに。皆が騒ぐと草摩君が挨拶できませんよ」

 

 進行役の先生がいくら注意してもプリ・ユキの熱狂は鎮まらなかったのに、由希が演台に立った途端、ピタッと沈黙した。軍隊並みの団結力だな。

 

「あ、新しく生徒会長に任命されました、草摩由希……です。前執行部の皆さん、今まで本当に……お疲れ様でした」

 

 マイクを通して体育館に響いた由希の声は、緊張か動揺による震えを隠し切れていない。旧生徒会メンバーの列に戻った竹井前会長は、由希に労わられて再び泣いている。

 

「生徒会の活動は皆が協力しあわないと、成り立たないと……思います。俺は……会長として至らない処もたくさんあると思いますが、努力は怠りません。海高の全員が楽しい学校生活を送れるようにするため、皆さんの力を貸して下さい……」

「「「もちろん(です)(だとも)!!」」」

 

 大勢の生徒による合いの手が入るとは思っていなかったのか、由希はまたしてもビクついている。今のは僕でもビビるほど息ピッタリだったけど。予行練習したのかと思うレベルだ。

 

「あ、あの、えと……よろしくお願いします」

 

 由希の就任挨拶はなんとも締まらない終わり方だったが、割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 拍手喝采は1分以上経っても収まらなかったので、困惑した由希が「もういいよ、ありがとう」と言った瞬間、水を打ったように静かになる。ここまでくると怖いよ。

 

 更に恐ろしい事に、由希はあれを目の当たりにしても自分のカルト的人気を自覚しなかった。

 現実から目を背けている訳じゃなく、曇りのない眼で「皆がたくさん拍手してくれたのは、新生徒会の発足を祝ってくれたからだ」と言ったのだ。

 超が付くほど由希がニブいのは、慊人による“教育”の弊害なのか? それとも生まれつきなのか? 真実は闇の中だ。




由希の母親の名前は独自設定です。

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