嵐山での観光を終えた
関西式すき焼きの夕飯を食べて、クラスごとにパパッと風呂に入り、割り振られた部屋に布団を並べたらお待ちかねの時間だ。
「……みんな、女子の部屋に行きたいかーっ?」
普段使いの浴衣の上に羽織を纏った僕は、合衆国を横断するクイズのノリで掛け声を発した。大声を出すと同じ階にいる先生に怒られるから、声は小さめで。
「……おーっ」
小声で答えたのはD組の男子6名。この部屋を使っているのはグループ行動のA班・B班・C班の男子9人なので、半数以上が参加を表明している。
と、その時、空を切る音と同時に何かが飛んできた。顔面にぶつかる寸前で、僕は枕をキャッチする。ビーンボールを投げた犯人は、中華風のパジャマを着た
「
由希は知らないだろうが、キン・ケンの決まりに『
ファンじゃない子がはしゃいで僕に抱きつこうとしても、キン・ケンのメンバーが速やかに遠ざけてくれる。
「まぁまぁ。けんけんは修学旅行に賭けているんだから、大目に見てやってくれよ」
すけっちが仲裁に入ると、由希は怪訝そうに眉を寄せて疑問を発する。
「修学旅行に賭けているって、建視は何をするつもりだ?」
「気になる女の子との距離を縮めて、告白するんだよ。なぁ、けんけん」
「……僕は告白ラッシュの波に乗る事はできないよ」
僕が絶望を漂わせて答えると、由希や
長袖のTシャツを着てスウェットパンツを穿いた夾は、腹筋運動に集中していたから僕らの会話を聞いていなかったようだ。
「なんで? けんけんは
「花島さんと2人きりになれるように俺達も協力するから、告白しちゃえよ」
告白する流れになりそうだから、僕はそれを断ち切るための言葉を投下する。
「花島さんは好きな人がいるんだよ」
「ええっ!? 誰!?」
「オレらの知っている人?」
花島さんの許可を得ずに、彼女の好きな人を言い触らすのは如何なものか。僕の中の良心はそう訴えたけど、悪魔が囁いた。
夾は花島さんが自分の養母になる事を認めないだろうから、今のうちに味方につけておくべきじゃないか、と。
「花島さんの好きな人は、
その名前を出した瞬間、腹筋運動をしていた夾がぴたりと動きを止める。由希は驚愕で目を見開いた。沈黙を破って最初に言葉を発したのは、すけっちだ。
「草摩って事は、けんけん達の親戚の人?」
「そうだよ。僕達に武術を教えた人だ」
「おい……タチの悪い冗談はやめろや、建視」
夾が恫喝するような低い声を出した。
「信じられないなら、
それを聞いて、僕が冗談を言った訳じゃないと悟ったようだ。夾の顔から血の気がざあっと引く。
「待てコラ……花島が母親になるなんざ、ぜってぇ御免だぞ……?」
「え゛!? カズマさんって、きょんのお父さんなのか?」
「正確に言うなら夾の養父だよ。夾の三者面談の時に学校に来た師範を見て、花島さんは一目惚れしたらしいよ」
僕が補足説明すると、夾は頭を抱えながら「おい……建視」と呼びかけてくる。
「おまえ、花島の事が好きなんだろ? 口説くなり告白するなり何なりして、花島を早くモノにしろよ」
「あのな。相手は花島さんだぞ? そう簡単に落とせたら苦労しないって」
「建視は
「花島さんにバレないように2人の恋路の邪魔をする方法があるなら、教えてほしいよ……」
手詰まりに陥った僕と夾が揃って項垂れると、暗くなった雰囲気を変えるようにろっしーが明るく提案する。
「ここで考えていても、しょーがないからさ。とりあえず、女子の部屋に行って親睦を深めてこようよ」
「それとこれとは問題が違うよ。学年主任の先生が、異性の部屋に行くなと注意していたじゃないか」
クソ真面目な由希が再び制止してきた。どうやって由希の目を掻い潜ろうかと思っていたら、戦闘モードに入った夾が由希と相対するように立つ。
「世の中には規則を守る事より優先すべき事があンだよ、クソ由希」
「御大層な事を言っているけど、花島さんと師範が結ばれる事が嫌なだけだろ。バカ夾」
「おぞましい事を言うんじゃねぇ!」
夾と由希がガチバトルを始めたおかげで出来た隙を衝いて、僕達は部屋から抜け出す事に成功した。
「夾の犠牲を無駄にはしない……っ」
「いざ、
僕を含めた7名は、階下にある女子の部屋に向かおうとしたのだが。
由希と夾のバトルの騒音を聞きつけてやってきた生活指導の先生が、「どこへ行くつもりだ?」と脅すように言ったから引き返さざるを得なかった。ちぇっ。
▼△
修学旅行2日目。僕達は奈良公園に来ている。広い園内には1000頭以上の鹿が生息しているとガイドブックに書いてあったけど、本当に鹿だらけだ。
「そういや、王子達は朝メシに来んの遅れていたけど、どうしたん?」
使い捨てカメラで鹿を撮っていた魚谷さんが、ふと思い出したように疑問を口にした。遅刻した当人の由希は話しづらそうにしていたので、僕が代わりに説明する。
「由希は低血圧で朝弱いから寝坊したんだよ」
「そうなのか? あたしらが物書きの家に泊まった時は、王子は朝っぱらからきょんと喧嘩していたぞ」
な、なんだと!?
あたしらって事は、花島さんもぐれ兄の家に泊まったに違いない。お泊り会をしたなんて話は初耳だから、僕が花島さん達と出会う前に決行されたのだろう。
もっと早く出会っていれば……! 心の中で血涙を流しながら、僕は魚谷さんの疑問に答える。
「夾が由希の悪口を言ったんじゃないか? 由希は寝起き悪いくせに、自分の悪口を言われると即座に覚醒するからな」
由希が無言で睨んでくるけど、僕は真実を話しているだけだもんね。
「へぇ。じゃあ、今朝もきょんが王子の悪口を言ったんか?」
「いや、夾はさっさと朝ご飯を食べに行ったよ」
「おめぇも朝飯を優先しただろ」
夾が呆れ顔でツッコんできたので、僕は「修学旅行で寝坊して先生に叱られるのも、青春の1ページだと思ったんだよ」と言い返す。
今にして思えば、中学の修学旅行の時も由希を放置すればよかった。
由希のクラスメイトに由希を起こしてくれと頼まれて、夢の世界に旅立っている子憑きの従弟の耳元で「女男」って言ったら、
「そんなら、誰が王子を起こしたんだ?」
「すけっちから聞いた話だと、A組のナベこと
半覚醒の由希に向かってナベが、「お嬢さん育ちなんだろーなぁ」と言った途端、由希は瞬時に目覚めたのだとか。由希の地雷を踏んだナベは、耳を引っ張られる程度で済んだらしい。解せぬ。
は~んと納得の声を上げた魚谷さんは、
僕は鹿を見つめる花島さんを撮影する。あ、今回は暗黒オーラが入らなかった。
花島さんを撮ると高い確率で、彼女の背後に黒々としたオーラが写るんだよな。夾は「心霊写真みてぇだな」と言っていたけど、あれは花島さんの魅力が溢れたものだから心霊写真なんかと一緒にしないでほしい。
「そのアト、副会長どしたん?」
「翔はなんかギャーギャー言っていたけど……でもいい。知らない」
「え……よっ、よろしいのですか……?」
ひと足先に買った奈良土産を持った本田さんが問いかけると、腕組みをした由希はムスッとした顔で答える。
「いいんだよ。あいつには気を遣うだけムダなんだ」
“あいつ”ねぇ。随分と気安い呼び方だな。ナベは綾兄と同属性だから、由希と馬が合わないんじゃないかと思っていたけど、そうでもないようだ。
「その副会長だけれど……私……その人に会った事があるような……そんな気がずっとしているの……」
本田さんと一緒に芝生に膝をついて鹿を眺めていた花島さんが、おもむろに立ち上がりながら気になる発言をした。
「「え?」」
僕と本田さんの声がハモった。
本田さんは純粋に疑問に思ったようだけど、僕はよからぬ予感を抱いた。花島さんが小さい頃に恋に落ちた相手がナベでした、とかだったら冗談じゃないぞ。
「以前……壇上で挨拶する姿を見た時から、昔……どこかでこの人を……って……」
壇上で挨拶って事は、生徒会の任命式の時か。僕が見当をつけている間も、花島さんは言葉を続ける。
「そう……透君と一緒に……」
「え゛ぇ!? わっ、私と一緒に……ですか!?」
「そうなの!?」
びっくりした様子の由希の問いかけに、花島さんは「どうだったかしら……」と答える。魚谷さんが「あやふやな記憶で混乱を呼ぶなよなぁ、花島ぁ」と、冷静にツッコミを入れた。
「…………すみません……全然わかりません……です。実を言いますと、お顔もよく存じていないわけでありまして……」
記憶を探ったけど思い出せなかったのか、本田さんは項垂れた。由希が慌てたように、「いっ、いや別にいいんだよ、そんな……」と言っている。
「そうよ、透君……きっと気のせいに決まってるわ……」
言い出しっぺの花島さんは、本田さんの両肩に手を置いて慰めた。
本当に花島さんの気のせいなのかな? あとでナベに聞いてみるか。と思ったけど、観光中にA組と行動が一緒になる事ってあんまり無いんだよな。
奈良観光を終えて旅館の自販機でお茶を買っていた時、友人とダベっているナベが廊下を通りかかったので、僕は「よう」と声をかけた。
「おィーっす! なんか、けんけんに会うの久しぶりだな~っ。けんけんの噂はよく聞くんだけど。ファンの女の子をパシリに使っているとか、撮影会を開催したとか、魔王と恐れられる女の子に貢いでいるとか」
おうおう、随分なご挨拶だな。
「花島さんは魔王じゃない。失礼な事を言うな。ファンの女の子に買い物を頼んだ事と、撮影会は事実だけど」
僕はそれよりもと言ってから、「2人で話がしたい」と持ちかけた。
「いや~ん、けんけんったら翔に気があるのォ?」
「ただのモノマネだから! マジに受け取らんといて!」
「受け取るかアホゥ」
ナベの友人と別れて廊下の奥まった所に向かってから、本題を切り出す。
「ナベは昔、本田さんや花島さんと会った事あるのか?」
真面目な顔つきになったナベを見て、花島さんの記憶違いじゃなかったようだと確信を得た。
「……本田さんが言ったのか? オレに会った事あるって」
「いや。花島さんが、ナベに会った事あるような気がするって言ったんだよ。本田さんも一緒にいたみたいだけど、彼女は憶えてないってさ」
何か考えるように眉を寄せたナベは、「そっか」と答えてから立ち去ろうとした。
「おい、待てよ。会った事あるなら、どこで会ったのか教えてくれよ。場所が判れば、本田さんも思い出すかもしれないし」
「ん゛ー……これってオレ1人の問題じゃないから、答えらんないっス」
「なにか事情があるのか?」
「そゆコト」
それなら無理に聞き出さない方がいいだろう。僕が「解った」と言って部屋に戻ろうとしたら、さっきとは違った意味合いで真面目な顔をしたナベに呼び止められた。
「今夜、エロビデオの質の良し悪しについて語り合わないか? ゆんゆんも一緒に」
「由希はヤンマガの表紙を直視できないくらいピュアだから、エロビデオを観た事ないと思う」
「ヤンマガの表紙を見る事ができないって……ゆんゆんは箱入りお嬢さんだな」
「箱入りって処は合っているよ」
▼△
あっという間に修学旅行は終わりを迎えた。
学年主任の先生は「家に帰るまでが修学旅行だぞ」と言っていたけど、東京駅に着いたら解散なので寂しい。などと感傷に浸っている余裕はない。解散したらやらないといけない事がある。
「由希、話があるんだがちょっといいか」
「何だよ、話って」
怪訝そうな面持ちの由希を連れて、人通りの少ない端っこに向かった。東京駅は人が多いから、ぼさっと突っ立っていると異性にぶつかってしまう。
「
本当なら京都・奈良に滞在中に聞くべき案件だけど、由希の心情とそれを気にする本田さんに配慮して、修学旅行が終わるまで待ってやったのだ。
僕の気遣いなんて知る由もないであろう由希は、嫌そうに眉をしかめて「買ってない」と答える。
「そうだろうと思って、鹿革製のブックカバーを入手しておいた。これを由希からのお土産として慊人に渡すから、このメッセージカードに一言書いてくれ」
ちなみにブックカバーとメッセージカードは、僕の頼みを受けたキン・ケンのメンバーが奈良町の店で選んで買ってきてくれた。もちろん、代金は彼女達に支払い済みだ。
「なんで、そこまでして……」
「お土産は人間関係をスムーズにする潤滑油なんだぞ」
本音を言うと僕が慊人にお土産を渡す際、「由希は僕への土産を買っていたか?」と聞かれそうだと思ったからだ。
何の対策も打たずに買っていなかったと答えたら、慊人は「なんで買わせるように仕向けなかったんだ」と叱責してくるだろう。
考え込んでいた由希は何かを思いついたように「そうだ」と言ってから、背負っていたサッチェルバッグを開けた。ビニール袋の中から赤く色づいた紅葉の葉っぱを取り出して、「はい、これ」と言いながら僕に差し出してくる。
「……この葉っぱをどうしろと?」
「俺からの土産だと言って、慊人に渡して」
今なんて言ったこのネズ公。
「慊人をおちょくりたいなら自分でやれよ」
「おちょくってなんかいないよ。紅葉が降ってくるみたいで綺麗だなと思ったから、春達や生徒会の後輩達にあげようと思って幾つか集めたんだ」
そういう乙女チックな言動をとるから、由希はナベにお嬢さん呼ばわりされるんだよ。とか言ったら由希が確実に怒るから、どうにか堪えた。
僕の場合は家に帰るまでが修学旅行じゃなくて、家に帰って慊人にお土産を無事渡し終えるまでが修学旅行だからな。
「ナルホド、心の籠ったお土産ってやつか。さすが由希! 僕達にできない事を平然とやってのけるッ。そこにシビれる! あこがれるゥ!」
「……馬鹿にしているのか?」
結局怒った。難しい奴だな。
「そんなまさか。でも、僕が慊人に葉っぱを渡すとからかっていると思われそうだから、由希が慊人に直接渡してくれよ」
「……いいよ」
「無理だよな、知ってた。折衷案として……」
ブックカバーとメッセージカードと紅葉の葉っぱを、3点セットで渡す案を提示しようとしたのだが。予想外の返事を聞いた気がして、軽く混乱した。
「……僕の聞き間違いじゃなければ、由希はさっき『いいよ』って言った?」
「うん。今すぐ慊人に会うのは無理だけど、来年の正月は本家に帰ろうと思う」
「正月に挨拶をするだけ? 宴会には出ないのか?」
「出るよ」
僕は心の中で万歳三唱した。
由希が自発的に宴会に出てくれれば、僕が立てた計画を実行する必要はなくなる。由希の両親に借りを作らずに済むぞ!
いや、待て。ちゃんと確認しておかないと、糠喜びになりかねない。
「直前になって、『気が変わったから行くのやーめっぴ』とか言わない?」
「やーめっぴって何……余程の事がない限り、気は変わらないよ」
「そんじゃ、宴会に出席する旨をメッセージカードに書いてくれ」
「いいけど……」
由希は歯切れの悪い返事をしながらも、僕からメッセージカードとボールペンを受け取った。
子憑きの従弟と別れた僕は、東京駅に迎えに来ていた送迎車に乗って草摩の本家に帰還する。お帰りなさいと声をかけてくるお手伝いさんに続いて、白衣を着た兄さんが出迎えてくれた。
「お帰り」
「ただいまーっ」
「届いた荷物は、建視の部屋に置いてある」
「ありがと、兄さん」
自室に戻って制服から私服に着替えてから、『われもの注意』と記された荷札シールが貼られた段ボール箱を開ける。
緩衝材を敷き詰めた中には、綺麗に包装された小ぶりの箱が入っていた。箱の中身は漆器だけど、配送中に乱暴に扱われて万一の事があるといけないから割れ物扱いにしたようだ。
僕は修学旅行のお土産を持って、当主の屋敷に向かう。慊人の世話役の案内で、十二支の
「慊人、ただいま」
座卓に肘をついて読書をしていた慊人は、ページを繰る手を止めて僕を見上げる。
「お帰り、建視。旅行先で悪さはしなかったろうね……?」
慊人の言う“悪さ”とは、異性とイチャイチャする事を指す。修学旅行中に期待していた恋愛イベントは起きなかったので、僕は遠い目になりながら「してないよ」と正直に答える。
「最近の建視は自分の立場を忘れているようだから、ちゃんと言った方がいいかな。建視は母親を殺したも同然なんだから、僕以外の誰かを好きになる資格なんて無いんだよ」
心臓に大きな氷柱を打ち込まれたような気分になった。予想外の精神攻撃を受けて動揺する僕を、慊人は冷淡な目付きでじっと観察している。
「……解っているよ」
花島さんへの恋心は実らないまま、枯れていくのだろう。諦観の籠った僕の答えは、慊人にとって満足のいくものだったらしい。慊人は機嫌良さそうに微笑んで、話題を変える。
「由希はどうだった?」
「あいつは根っからの優等生だから、修学旅行中に女の子に手ぇ出そうなんて思ってもいないよ。そうそう、由希といえば。慊人へのお土産を渡してほしいと、由希に頼まれたんだ」
僕は持参した紙袋の中から取り出したブックカバーが入った箱と、メッセージカードが入った小さな封筒と、紅葉の葉っぱを座卓の上に置いた。
慊人は不快そうに、紅葉の葉っぱを見下ろす。
「机の上にゴミを置くな」
「これはゴミじゃなくて、由希のお土産だよ」
紅葉の葉っぱは由希が慊人に直接手渡すという話になっていたけど、ずぼらな由希は紅葉の葉っぱを失くしそうだと気付いたので、僕が渡す事にしたのだ。
葉っぱを視界から外した慊人は包装紙を丁寧に外して箱を開け、その中に収まっていた青色の鹿革製のブックカバーを手に取った。しばらくそれを眺めてから、慊人は呆れたような視線を僕に投げかける。
「これは建視が買ったものだろ」
「……えーと」
「建視が僕に寄こすプレゼントの傾向は、大体把握している」
なんてこった。由希の代わりに買った意味なかったよ。頭を抱える僕を余所に、慊人はブックカバーを置いて紅葉をつまみ上げる。
「これは由希が拾ったものだな。あいつはこういう、つまんないモノが好きだから」
「よく知ってるね」
「当然だ。由希は3歳の時から僕の側にいるんだぞ。……僕の処にしか居場所がないって、ようやく気付いたのか」
つまんでいた紅葉を指で弾き飛ばした慊人は、メッセージカードを愛おしげに撫でた。メッセージカードには由希の几帳面な文字で、『宴会に出るから正月は本家に帰るよ』と書いてある。
由希の様子を見る限り、慊人の処に帰る気はなさそうだったけど。口は災いの門というから、余計な事は言わない。
「これは僕からのお土産だよ」
さすがに慊人へのお土産は、自分で店に赴いて買ったよ。幸いな事に、京漆器の店は人でごった返すほど混雑していなかった。
慊人の手に渡った丸い小物入れは、つやつやとした黒漆塗りと金に輝く椿の花の蒔絵の対比が見事な品だ。小物入れをじっと見つめた慊人は、探るような視線を僕に向ける。
「……なんで、椿にしたんだ」
「慊人は椿が好きだろ? 昔から部屋によく飾っているし」
椿が嫌いになったのかと思ったけど、慊人はそれ以上なにも言わなかった。慊人は畳の上に落ちていた紅葉の葉っぱを拾って、僕があげた小物入れの中に入れている。
僕が一生懸命選んだお土産が残念な使われ方をしている事に思う処はなくもないが、慊人が僕と由希のお土産を受け取ってくれたので良しとしよう。