今日は待ちに待った海高祭の当日。劇に出演する2‐Dの男子は、体育館の地下柔道場で衣装に着替え中だ。女子は地下剣道場で着替えている。
純白の毛皮で縁取られた真紅のビロードのマント、記章がついた金細工の頸飾。
イギリス王室に受け継がれる聖エドワード王冠を模した王冠、金色のリボンがくっついた赤い付け毛、白い革手袋、リンゴを模した装飾が先端についた王笏。以上だ。
ブーツとか頸飾とか小道具に分類されるものが混ざっているけど、それらも綾兄達が製作した。コスプレ衣装一式を作成する時は、帽子や靴や杖などを含む広義の意味での装身具も作るらしい。
「うちのクラスの衣装は、他のクラスに比べてゴージャスだよな」
「プロ仕様だからな。
笑いながら話すろっしーとすけっちは、ジュストコール風の長上着を身に纏って、白いクラバットを首元に飾っている。ナレーション役のろっしーは黒色、王子の従者役のすけっちは緑色を基調とした装いだ。
ちなみに舞踏会の招待客役の生徒達も、綾兄達が作った衣装を着用する。クラス費や文化祭費では衣装代を賄えないのは明らかだが、綾兄は愛しい由希に免じてタダでいいと言い切った。
由希は文化祭が終わった後で綾兄に感謝の手紙を渡すらしいから、綾兄はそれで充分だろう。協力してくれた仕立屋さん達には、綾兄のポケットマネーから報酬を支払うのかな。
「裾を踏んで転びそうだよ……」
不安そうに呟いた由希は、袖や裾に布地をたっぷり使った薄水色のローブを身に纏っていた。
「
文句を言いながらも、
シンプルなクラバットが襟元についた、ジュストコール風の山吹色の長上着。それに合わせた山吹色のズボンに、飾りベルトがついた焦げ茶色の革のブーツ。
赤橙色のマントは右肩にかけて、金色の飾り紐で留めて着用する形だ。ちなみに夾も、焦げ茶色のリボンがついたオレンジ色の付け毛をつけている。
衣装を身につけた男子が地下柔道場から出て、廊下で待機すること十数分。着替え終わった女子達が、地下剣道場から出てきた。
「きゃーっ!! 由希君が……由希君が天使過ぎるぅ!!」
甲高い歓声を上げた
目を引くデザインのネックレスやイヤリングで身を飾り、羽飾り付きの派手な扇子を持っている事から、後妻の座を得て贅沢三昧している継母の様子が窺い知れる出で立ちだ。
「皆さん、素敵です……っ!」
アクセサリーはシンプルな、細い革のチョーカーのみ。ハーフアップにした髪には、目立たない色のヘアゴム以外なにもつけていない。
母親に倣って豪遊している継姉には見えない装いだけど、2‐Dが演じるのは『シンデレラっぽいもの』なので、原作のキャラに準拠した衣装じゃなくても大丈夫だ。
「ぎゃっはははは! 馬子にも衣装だなぁ」
夾を指差して爆笑した
襟元に紺色のリボンタイをあしらったジュストコール風の水色の長上着を身に纏い、水色のズボンを穿き、太腿の真ん中ぐらいまでの丈がある紺色の革のロングブーツを履いている。
立ち襟がついた青いマントを着て、群青色のリボンがくっついた金色の付け毛をつけていた。
「お腹すいたわ……」
花島さんに見惚れて頭が留守になってしまいそうだけど、
▼△
「ワーンス・アポン・ア・ターイム、シンデレラという美しい少女がおりました。シンデレラは諸々の事情で継母や継姉に日々いびられていましたが、心根も美しい彼女は健気に謙虚に暮らしていました」
薄暗い体育館のステージ端にスポットライトが当てられ、眩い光に照らされたろっしーがマイクを通して物語の導入を話した。
「シンデレラっ、どこに行ったの、シンデレラっ」
継母役の木之下さんが苛立ちを滲ませた声を響かせながら、中世の西洋風の台所が描かれた背景画が設置されたステージへと向かう。継姉役の本田さんもドレスの裾を捌きつつ、木之下さんの後に続く。
「シンデレラさん、どちらですかーっ?」
「私はここよ……」
ステージで先に待機していた花島さんに、スポットライトが当てられた。
椅子に座った花島さんは、ティーカップに口をつけてホットウーロン茶を飲んでいる。飲む振りをしている訳じゃなく、本物のホットウーロン茶が入っている処がミソだ。
「何、ノンキに茶ァしばいてんねん!! そんなナメた態度とってるってこたぁ、ドレスはもうできてんでしょーね!!」
激しいツッコミを入れる木之下さんを、本田さんが戸惑いながら「お、お母様……」と宥める。
この2人は役柄上では実の母娘なのだが、ヒステリックな姑とそれに振り回される嫁にしか見えない。
「素人にドレスなんて作れるハズないじゃない……」
花島さんが台本通りのセリフを淡々と述べた瞬間、ステージの一角にスポットライトが当てられた。適当に縫った布やモジャモジャのカツラや本物の葉っぱを寄せ集めて作った、前衛的過ぎるドレスが照らし出される。
「体を張って笑いをとりに行きたいのなら、止めないけれど……」
「とりたないわ、話の進行上しゃーないねん!!」
メタ発言をした木之下さんは、本気で怒っているような凄い形相だ。
木之下さんは由希の前で底意地悪さを晒す事にかなり抵抗があったようだが、
女優というよりキレ芸を持つ芸人にしか見えないのだが、木之下さんのやる気を削ぎそうだから余計な事は言うまい。花島さんが主役の劇を何としてでも成功させるのだ。
「そんな事よりお姉様……一緒にお茶はいかが?」
「わあ……っ。よろしいのですか?」
「なんでアンタ、そんな優雅な暮らししてんのよ……っ」
前列の観客が呆気にとられた表情をしている。従来のシンデレラのイメージをぶち壊す劇に、度肝を抜かれているようだ。
観客の反応を見た脚本係の
「今夜はお城の舞踏会。噂によれば王子のお嫁さん捜しも兼ねているとあり、自分の娘を玉の輿に乗せ、左団扇で暮らしたい継母は躍起になっておりました」
ろっしーのナレーションに合わせて、ステージに降りたスクリーンに洋風の城の影絵が映し出される。何気ない演出に見えるけど、照明係や装置係や小道具係といった裏方の生徒達の頑張りの成果だ。
「おまえの大事なねーちゃんを返してほしけりゃ、さっさとドレスを仕上げるんだね!!」
木之下さんは誘拐犯みたいなセリフを言いながら、本田さんの首に腕を回した。台本には「継母は継姉の手を引っ張って退場する」と書いてあったのに。
乱暴に連行されながら退場する本田さんは、演技ではなく素で驚いて「えぇえ゛っ」と声を上げている。
「なんて事……どこぞの王子が舞踏会を開くせいで、お姉様が……許すまじ、王子……」
花島さんは低くて暗い声で、王子に対する恨み言を呟いた。
このまま話が進むと復讐劇になってしまうので、ろっしーがわざと明るい声で「シンデレラもまだ見ぬ王子に恋焦がれているようです」と強引に修正する。
「こうなったら私もそこに乗り込んで……ああ、けれどドレスも仕上げなければ……困ったわ……」
花島さんが悩めるシンデレラを熱演している最中、舞台袖でクラスの女子が小声で「由希君、頑張って」と声援を送った。クソ真面目な由希は困惑しつつも、それに応えてやっている。
魔法使いの出番だってのに何やってんだ。僕は王笏の石突きで床をドンと叩いてから、「さっさと行けよ」と小声で促す。
由希を取り囲んでいた女子達は一斉に口を閉ざし、由希はようやくステージに向かう。やれやれ、手間がかかる魔法使いだ。
「大丈夫さ。心配いらないよ、シンデレ……」
「きあああああああぁぁぁぁぁ!!!」
由希のセリフを掻き消す大歓声が観客席から響き、フラッシュの嵐が起こった。
こうなる事を予測していたのか、マイクを持った須栗さんが「静かにして下さい。過度なフラッシュは焚かないで下さい」と注意している。芸能人の記者会見みたいだな。
「え……っと、魔法使い……です」
フラッシュで目が眩んだのか、由希は衣装の袖で目元を押さえている。せっかくの登場シーンなんだから、シャキッと決めろよ。
「言ってはなんだけど、マヌケな自己紹介ね……」
対する花島さんは由希のようにセリフをつっかえたりせず、冷静にアドリブのツッコミを入れる余裕まである。流石だ。
「気を取り直して……心優しきシンデレラ。今夜はそんな君の為に、どんな願いも叶えてあげよう」
「まぁ……素敵。舞踏会場を灰になるまで燃やして」
両手を組んでお願いする花島さんから、黒いオーラが発生したように見えた。
「それ、犯罪です……もう少しソフトで、純粋な願い事にして下さい」
「焼肉食べたい……」
「そーじゃなくてね」
花島さんと由希がコメディタッチなやり取りをしている間、黒子衣装に身を包んだ黒子係の生徒が素早く動いて、ドレスを着せたトルソー2体をステージの暗がりに置く。
黒子係の作業が終わった処で、本田さんの首に腕を回した木之下さんが「シンデレラっ」と呼びながらステージ上に向かう。
この場面で、本田さんを無理やり連行する必要はないだろうに。出番待ちしている魚谷さんがおっかない顔で、「木之下のヤツ、後でシメてやる」と呟いているぞ。
「お、お母様……す、少し苦しいやも……」
「さぁさぁさぁ、ドレスはできたでしょう……ねぇっ? ド、ドレスだわ……っ。ちゃんと私と娘の2人分ある……っ!?」
スポットライトが当てられた2体のトルソーに着せられた2着のドレスは、服飾のプロが作ったとしか思えない手の込んだ代物だ。実際、
「まぁ……いつの間に……貴方の力なの……? 魔法使い……?」
「しぃーっ。俺の姿は、お
由希はそう言い訳したけど、木之下さんの視線は由希をガッツリ捉えているから説得力に乏しい。
「あのドレスは俺からの贈り物だよ、シンデレラ」
「あら……なんだか悪いわね……」
「ちょっと、シンデレラ。怪しいわね、このドレス。ホントにアンタが作ったモンなの?」
もっともな疑問を木之下さんが口に出すと、花島さんが小首を傾げて「どういう意味かしら……?」と聞き返す。
「まさか誰かから買ったとか、盗んできたとかじゃないでしょうねってコトよ」
「これは困りました、シンデレラ。魔法使いからの贈り物と正直に言うべきか、言わざるべきか。さぁ、どうする? シンデレラ」
ろっしーが危機感を煽るようなナレーションを入れると、花島さんは頬に手を当てて「困ったわ……」と呟く。
「シンデレラさん……っ、すごいです! 素晴らしいです……っ! こんな素敵なドレスをお1人で作られるなんて……お上手ですっ!」
本田さんは台本のセリフを話しているのに、心から称賛しているようにしか聞こえない。彼女の天然さを計算に入れて、セリフを考えた須栗さんは凄いな。
「あら、嬉しい……私の手作りのドレスを、そんなに気に入ってもらえて……」
「おーっと! シンデレラ、まんまと自分の手柄にしたーっ!」
ろっしーはリングアナウンサーのように、力強くナレーションを入れた。
「まぁ、いいわ。コレに着替えて出掛けるわよ!」
「え、あ、あの、シンデレラさんは……っ」
「留守番よっ」
木之下さんはまたしても本田さんの首に腕を回して、引き摺りながらステージから退場した。魚谷さんが不機嫌になっているのを察したのか、木之下さんは素早く着替えに逃げている。
「グッドジョブ……魔法使い……」
「あえて言及はしないけど……今度は君の番だよ、シンデレラ。さぁ……願いを」
由希が王子様モードを発動したせいか、またしても観客席から黄色い歓声が上がった。花島さんのセリフの妨げになるから、やめてほしい。
「焼肉……」
「カボチャの馬車に乗って、舞踏会にチャッチャと行こうねっ。用意するヨー」
花島さんの切なる願いを無視して、由希は拍手をして合図を出した。
由希と花島さんが退場すると、裏方の生徒が総動員で舞台転換の作業を急ピッチで行う。舞台転換の物音を誤魔化すため、ステージ端に立つろっしーがナレーションを入れる。
「半ば魔法使いに仕切られる形で、シンデレラも舞踏会に行けるようになりました。さて、そんな舞踏会は今、盛り上がり中」
華やかで優雅なクラシック音楽が流れ、天井に備え付けられたボーダーライトがステージ全体を照らす。
急ピッチで整えられたステージには深紅のビロードの垂れ幕が飾られ、豪奢な大広間を描いた背景画が設置され、真っ白なクロスがかかった小振りのテーブルが置いてあった。
ステージで待機していた招待客役の生徒達は、ワインと見せかけたぶどうジュースを飲んだり談笑したりして、盛況な舞踏会を演出している。
僕はステージの様子を眺めながら、心の中で般若心経を唱えていた。だって今、衝立の陰で花島さんがお色直し中なんだよ。
覗こうとしたら確実に
「ただ1人、王子だけは浮かない顔をしていました」
ろっしーのナレーション通り、ステージの中央に向かった夾はむすっとしている。演技をしている訳じゃなく、衣装が鬱陶しくて素で不機嫌らしい。
猫憑きの従弟は床に胡坐をかいて座り込むという、王子らしからぬ振る舞いをした。須栗さんは、それでいいとばかりに頷いている。
夾はヤンキーキャラとして人気があるから、王子様らしい演技をするより普段通りにガラの悪い態度を取った方が、ファンの女の子の受けがいいらしい。
「ノリの悪い王子を見かねて、国王と友人王子が駆けつけます」
さて、出番だ。僕と魚谷さんが一緒にステージに出ると、由希が登場した時ほどではないが歓声と拍手が巻き起こる。
僕が持っていた王笏を観客席に向かって掲げると、歓声と拍手はぴたりと止んだ。練習した訳でもないのに凄いな。
「我が息子よ。おまえのために開いた舞踏会の最中に、やさぐれた顔をするんじゃない」
「誰がてめぇの息子だ、ふざけんな」
「父親に対して何という口の利き方だ。昔のおまえは可愛かったのだがなぁ。おまえが4歳の頃、しゃっくりを100回すると死ぬという迷信を信じて、しゃっくりしながら涙目になっていたじゃじゃないか」
しゃっくりのエピソードは実話だ。須栗さんに「国王と王子の親子関係を強調したいから、建視君と夾君の幼少期のエピソードを教えて」と頼まれたのだ。
「てめぇが俺に迷信を教えたんじゃねぇか!」
「しゃっくり100回死亡説を僕に教えたのは腹黒な作家だから、諸悪の根源は腹黒な作家だ」
「腹黒な作家って
「身内ネタはいいから、誰かひっかけてこいよ。よりどりみどりじゃん」
呆れた面持ちの魚谷さんが話を元に戻した。
「うるせぇな……興味ねぇよ。おまえ1人で行ってこいよ」
「おっまえ、そんなだから童貞なんだよ」
ちょ、魚谷さん!? そこは「おまえ、そんなだから恋人できないんだよ」って言うはずじゃ。
「だからっ、なんでてめぇはそう恥じらいってモンが無ぇんだよ!!! 今すぐどっかのコンビニで“品”ってモンを買ってこい!!」
「あ゛ぁ!? 心配してやりゃなんだ、その態度。おまえこそ“愛想”買ってこいや!!」
夾と魚谷さんは台本にない喧嘩を始めてしまった。劇を中断する訳にはいかないので、僕は大きめの声で台本のセリフを言う。
「我が息子はシャイだから、自分から女性を誘う事ができないようだ。令嬢達よ、王子にダンスの誘いをかけてくれ」
僕の言葉を合図に、華やかなドレスで着飾った女の子達が夾の処へ向かう。
「あのー、王子様っ。私と踊って下さいませんか?」
「知るか、そんなもん。他のやつと踊ってろ」
「ええ〜っ。踊って下さ〜い」
「断る」
「じゃあ、王子様、私と踊って下さいっ」
「だぁから、断るって言ってんだろ」
「いいえ、私と踊って下さい」
「むしろ私と!」
セリフがない令嬢役の女の子まで、ここぞとばかりに夾に誘いをかけている。晴れの舞台で夾に話しかける機会を、逃したくなかったのだろうか。
夾は戸惑いと苛立ちが入り混じった表情で、「何なんだ、おまえら、うぜぇな」と悪態を吐いている。
「あの、踊って下さ……」
襟元に小花が散りばめられた、清楚な淡いピンク色のオフショルダードレスを着た本田さんが夾に誘いをかけようとしたけど。
「踊らねぇっつってんだろ!!」
誘いをかけてくる女の子達に背を向けていた夾は、強い口調で突っぱねてしまった。あーあ。声で本田さんだと気付けないほど、夾は苛立っていたのだろうか。
「あ……はい。失礼しました……」
本田さんは微笑みながらも、消沈した雰囲気を漂わせて引き下がった。
ようやく気付いて大いに焦った夾が本田さんを呼びとめようとしたけど、それを遮るようにろっしーが無情に告げる。
「もちろん、継姉の誘いも冷たく断るのでした」
「…………」
「断るのですっ」
ろっしーが念を押すように言うと、夾はがっくりと肩を落として俯く。
「俺……なんでこんなコトしてんだろ……」
台本通りのセリフだけど、夾は素で落ち込んでいた。夾の間の悪さには同情するけど、これから