スランプになって1ヶ月以上、間が空いてしまいました。お待たせしてしまって申し訳ありません。
55「あやまれっ」
学校が冬休みに入るなり、残留思念を読む任務をこなした。
……任務の内容を覚えてないから、またしても兄さんに手間をかけてしまったのだろう。兄さんは年の瀬が近づくにつれて増える、急患の対応に追われて忙しくしているのに。
凄惨な残留思念を読み取るのに慣れたら人間として終わると思っているけど、やっぱり慣れなきゃいけないのかな。先の事を考えると気分が重くなるから、棚上げにしておこう。
そして12月31日になった。
僕が
「けーくんがお出迎えしてくれるなんて、めっずらし~い。明日は雪が降るんじゃない?」
「由希が来なかったら、引っ張ってでも連れて来ようと思っていたんだよ。前回の惨劇を繰り返したくないからね」
肩を竦めて僕が答えると、由希は怪訝そうに「前回の惨劇って何?」と疑問を口にした。
「由希が宴会をサボったせいで、色々あったんだよ。後でじっくり話してやるから、由希はさっさと慊人の所へ行った行った」
僕が左手を振ってしっしっと追い払う仕草をすると、由希はムッとした面持ちになりながらも宴会が開かれる広間へと向かう。
思っていたより、あっさり慊人の所に行ったな。もっと嫌々行くだろうと思っていたのに。すんなり事が進むのは楽でいいけど、順調すぎて不安になる。
「ところで、
「
渡り廊下を並んで歩いていたぐれ兄は、予想外の答えを返した。
「なんで師範の家に?」
「一つ屋根の下で若い男女を2人きりにさせたら、夾君がケダモノになって過ちが起きちゃうかもしれないでしょ」
堅物で潔癖な夾が、本田さんに手を出すとは思えないけど。
最近あの2人は、お互いを恋愛対象として意識しているっぽいからな。夾と本田さんが2人きりになった場合、何事もなく年末年始を迎えるとは言い切れないか。
人間関係を引っ掻き回すのが好きなぐれ兄にしては、適切な判断をしたな。と思っていたら、
「由希君は自分から進んで本家に帰るって言い出したんだけど、けーくんが何かしたの?」
「僕は別に何も……」
答えている途中で、疑問が浮上した。
頑なに本家に帰ろうとしなかった由希の考えを僕が変えたなんて、ぐれ兄は露ほども思ってないだろうに、どうして僕が何かしたのかと聞くんだ。もしかして……。
「僕の転校を許可する条件として、由希が宴会に出席するように仕向ける事を慊人に提案したのはぐれ兄か?」
「やだなぁ。僕はそんな事しないよ?」
全く……悪巧みは程々にしなよ、ぐれ兄。
「ぐれ兄は麻酔無しで、腹を開けられちまえばいいんだ。もしくは
「怖い事呟かないでよ!?」
「おっと。本音と建前が逆になっちゃった」
本当に怖いのはぐれ兄だ。転校を勧めておきながら、僕を陥れようとしやがったからな。
ぐれ兄はクラゲに例えられるけど、オーストラリア先住民に“見えない怪物”と恐れられ、コブラの100倍以上の毒を持つというイルカンジクラゲじゃないか。
気持ちを切り替えて、次のミッションに移ろう。僕は宴会が開かれる広間に向かって、春にビデオカメラを渡しながら頼み事をする。
「兄さんと
「とり兄は撮影許可を出したの……?」
目立つ事を好まない兄さんは、着飾って舞いを披露する事が嫌で仕方ないらしい。撮影を許可してもらうため、僕は説得に説得を重ねた。
「兄さんの舞いの映像を誰にも見せない事を条件に、なんとか承諾を得られた」
「それならいいよ」
「ありがとな。……ところで、リン姉はまだ来てないのか?」
もうすぐ宴会が始まる時間なのだが、
「……リンは師範の家にいる」
「そっか、なら良かった」
リン姉は29日に仮退院したばかりだ。この寒い中を長時間出歩くと、また体調を崩すかもしれない。安堵の息を吐いたら、春がじっと僕を見てきた。
「なんか……
「リン姉は入退院を繰り返していただろ。心配くらいするさ」
できるだけ自然に答えたつもりだけど、春は勘が鋭いからな。探りを入れられる前に「それじゃ、撮影は頼んだぞ」と言って、その場から離れた。
「ジュンビできたよーっ」
次の間で着替えていた紅葉が、元気よく大広間にやってきた。
菜の花色と橙色を基調とした衣装は、古代中国の皇帝が着ていた礼服に似たデザインだ。紅葉の頭部を飾る山吹色の冠は、玄奘三蔵が被っていた僧侶頭巾っぽい。
紅葉に続いて大広間に姿を現した兄さんは、薄茶色と濃紫色を基調とした衣装を着ていた。薄絹が垂れ下がる山吹色の冠を被った兄さんの表情は、不機嫌全開だ。
ピリピリを通り越してビリビリした雰囲気を纏う兄さんに、ぐれ兄でさえ近寄ろうとしない。
「おぉ、とりさんっ! よく似合っているよっ!」
綾兄は例外だけど。
「はとり兄さん、素敵です……っ!」
2人が称賛の言葉をかけるのを見て、大丈夫だと思ったのか。ぐれ兄はニヤニヤ笑いながら、兄さんに声をかけている。
「はーさん、カッコイイっ。惚れちゃいs」
「その口、縫ってやろうか」
兄さんが地の底から響くような脅し文句を投げつけると、ぐれ兄は着物の袖で目元を押さえて泣き真似をする。
「なんで、僕だけ当たりが強いのっ?」
「胸に手を当ててよく考えてみろ」
ぐれ兄は反省しない人だから、それを言っても意味ないよ。
円を描くように敷かれた座布団に、リン姉と由希と
半分巻き上げられた御簾で区切られた上座にいる慊人が、珍しく弾んだ声で宴会の開始を告げる。
「さぁ、宴会を始めよう」
隣に由希が座っているから、慊人は目に見えて上機嫌だな。由希は嬉しそうには見えないけど、入学式の時のような極度の緊張や動揺は見受けられない。
……慊人は、由希の変化に気付くだろうか。今回の宴は平穏無事にやり過ごしたいから、気付かないでほしい。
ぐれ兄が余計な事を言わなけりゃ大丈……うわぁ。慊人を眺めるぐれ兄の目が、ちっとも笑ってないんだけど。慊人に何かするつもりなら、2人きりの時にしてくれよ。
不穏な予感がしたけど、考え事をしている場合じゃなくなった。衣装を纏った兄さんと紅葉が立ち上がり、広間の空いた場所へ向かう。
僕は持参した笛袋から龍笛を取り出し、胡坐をかいたまま背筋を伸ばして龍笛を構えた。春がビデオカメラを構えたのを確認してから、僕は歌口に息を吹き込んで音を響かせる。
神楽舞で使う神楽鈴を持った兄さんと紅葉は、鈴を鳴らしながらゆったりと舞い始めた。
紅葉は前回も舞いを担当したし、今回の宴会に備えて舞いの稽古をしただけあって巧い。流れるような動きと、優雅な所作に目を奪われる。バタバタ走り回る普段の紅葉とは、まるっきり別人だ。
対する兄さんは舞いの稽古をする時間が取れなかったせいか、若干動きがぎこちない処があったけど、振りや間を失敗する事なく舞い切った。
「ハリィ、ケン、おつかれーっ」
舞いを終えた紅葉は満面の笑みを広げて、兄さんと僕を労った。
「紅葉、お疲れさん。今回の舞いも綺麗だったぞ。兄さんも……お疲れ様」
「……ああ」
兄さんは舞いが終わったのに、まだ眉間にしわを寄せている。次回も舞いの担当だから、1年後を思って今から憂鬱になっているようだ。対の舞手は綾兄だしな。
綾兄の舞いは良く言えば個性的、悪く言えば演出過剰だ。舞っている最中にウインクを飛ばしたり、突然「カンパニール!!」と叫んだり、袖の中に仕込んでいた紙テープを投げたりする。
ふざけた真似をすると慊人の怒りを買うけど、綾兄は慊人の叱責を受けない。慊人は理解不能な言動を取る綾兄を苦手に思っているから、なるべく関わりたくないのだろう。
紅葉と兄さんが次の間で着替えている間、僕は撮影係を引き受けてくれた春に礼を言って、映像を確認する。よしよし、しっかり録れているな。
「建兄……とり兄が撮影をよく許可してくれたね」
「最初は駄目の一点張りだったけど、『兄さんの舞いを録画できないと、死んでも死にきれない』って言ったら許可を出してくれたよ」
「うわぁ……それって脅しじゃないか。はとり兄さんも気の毒に。こんな重度のブラコンな弟を持って」
僕が照れたように鼻の頭を擦りながら「よせよ、褒めるなって」と応じると、燈路は冷ややかな声で「一言も褒めてないんだけど」と言い返した。
「ブラコンもしくはシスコンと呼ばれる快感を、燈路もそのうち理解できるようになるさ。燈路はもうすぐ、お兄ちゃんになるからな」
「弟妹が生まれても、そんな快感は永遠に理解しないよっ!」
「燈路ちゃんって、優しいお兄ちゃんになりそうだよね……」
「抱かれたいね!!!」
「はい!!」
次の間から、綾兄と利津兄のぶっ飛んだ発言が聞こえた。兄さんが精神的ダメージを食らっているような気がする。
程無くして広間に戻ってきた綾兄に、「ケンシロウっ! とりさんの舞いの映像をDVDに焼いて、ボクに献上したまえっ」と言われた。
「この映像は誰にも見せるなって、兄さんに言われているんだ。どうしても欲しいなら、兄さんに掛け合ってよ」
「では早速、とりさんに頼みに行くとするかっ」
「今は止めてあげて。兄さんは精神的にも肉体的にも疲れて……」
いるから、と言いかけた僕の声は陶器の割れる音に掻き消された。
音が聞こえた上座を見ると、立ち上がった慊人が割れた水差しを掴んでいた。慊人の隣に座る由希の額から、血が一筋流れている。
左目に大怪我を負った直後の兄さんの姿が、一瞬頭に浮かんでぞっとした。
……慊人が水差しで由希を殴った、のか? なんでそんな事に……いや、原因究明は後回しだ。
頭に血が上った慊人を止めなきゃ。でも下手に仲裁に入ると、慊人が余計激昂するかも。
僕が迷っている間に、几帳の陰に控えていた紅野兄が出てきて慊人の腕を掴み、「慊人……っ」と呼んで制止した。
「あやまれ……っ、あやまれよ、あやまれっ」
慊人が強い口調で謝罪を要求している相手は由希なのに、僕の中に潜む盃の付喪神まで萎縮している。
杞紗はかつて自分が受けた仕打ちを思い出したのか、恐怖で涙目になっていた。
「ごめん」
手で額を押さえた由希が謝ると、慊人はそれ以上何も言わずに広間から立ち去った。慊人の後を、紅野兄が追いかけていく。
激昂した慊人があっさり引き下がるなんて、意外だ。由希が自分の意に沿わない言動を取って、ショックを受けた気持ちの方が大きかったのかもしれない。
「由希っ。何という事だ!! 血が流れまくっているではないか!!」
上座に駆け寄った綾兄が、案じる言葉をかけた。春からハンカチを受け取った由希が、「……大丈夫。ちょっと切っただけ」と答える。
「さっさと由希を連れてこい」
「了解だ、とりさん!!」
高らかに返事をした綾兄は、由希を軽々とお姫様抱っこした。綾兄は成人男性にしては華奢な方だけど、力持ちだからな。
「死んではいけない、由希!! 死ぬ時は一緒だとセーヌのほとりで誓い合った日に見た夕陽は、今もボクの胸で輝きまくっているよ!!」
「誓ってないし、見てないし! 過去を捏造するなっ、そしておろせっ」
頭をぶん殴られた直後なのに元気だな。物の怪憑きの仲間を、不安にさせないための演技かもしれないけど。綾兄は演技じゃなくて素だろう。
由希の容体が気になったので、僕も皆と一緒に付いていく。……紅葉の姿が見当たらないな。トイレに行っているのか?
「ぐれ兄は、慊人の処に行った方がいいんじゃない?」
僕の推測が間違っていなければ、ショックを受けた慊人は意気消沈しているはずだ。宥め役は紅野兄の専売特許じゃないんだから、ぐれ兄が慰めれば慊人の気分は浮上するかもしれない。
「別に、いっつも僕がフォローに行くコトもないでしょ~。そんな気分じゃないし」
それとも、と言いながらぐれ兄が僕の方を向く。ヘラヘラ笑うぐれ兄の黒灰色の瞳には、底冷えするような光が宿っている。
「僕の代わりに、建君が慊人を慰めに行く?」
「行かないよ」
行ったら最後、ぐれ兄は完全に僕を敵認定しそうだ。
僕を牽制するくらいなら、自分がさっさと慰めに行けばいいのに。ぐれ兄には戌の物の怪だけじゃなく、天邪鬼も憑いているんじゃなかろうか。
ぐれ兄と話している間に、慊人の屋敷の中にある医務室に到着した。
草摩の主治医として働いていた頃の父さんは家の診察室じゃなく、この屋敷の医務室に常駐していた。兄さんが主治医を引き継いだ後も、慊人の屋敷で働く人達が怪我や体調不良を訴えた時に、医務室を使っているらしい。
「あっ。やっぱり、みんなココにいたっ」
紅葉が合流して数分経った頃、兄さんの手当てを受けた由希が医務室から出てきた。傷はそれほど深くなかったのか、大きめの絆創膏を額に貼っている。
「由希……大丈夫?」
無表情だけど心配の色が感じ取れる春の問いかけに、由希は笑って「大丈夫だよ」と答える。
「傷自体は深くないって。念のために、病院で検査を受ける事になりそうだけど」
「よしっ! それでは、ボクが病院に付き添おうっ。大船に乗ったつもりでいたまえっ。由希が快適に病院に向かえるように、ハイヤーを手配しなければっ!」
「兄さんの気持ちは嬉しいけど、病院には歩いて行けるから」
軽傷で済んだから由希は広間に引き返すらしい。慊人が広間に戻っていたら再び修羅場になっただろうけど、上座に慊人の姿はなかった。安堵の息を吐いたのは僕だけじゃない。
勝手に解散する事はできないので(春はこれ幸いと宴会から抜け出したが)、四つ足膳の上に並んだ料理をつまみながら雑談に興じる。
トイレに行きたくなった僕が広間から出たら、由希がついてきた。
「……建視に話があるんだけど」
「なんだ?」
「さっき、はとりに謝ったんだ。子供の頃のこと」
子供の頃の事と言えば、1つしか思い浮かばない。由希の友達の記憶を、兄さんが隠蔽した件だ。
今更かよと思う気持ちはあるけど、由希が兄さんに謝るとは思っていなかったので驚きの方が大きい。
「はとりだって辛い思いをしたと建視に言われたのに、俺ははとりの心の痛みより自分の悲しみを優先したんだ。友達が離れていった事を、ずっとはとりのせいにしていた」
自分の悲しみを優先したと由希が懺悔するのを聞いた瞬間、
親しい人から自分に関する記憶が無くなってしまうのは、胸が張り裂けそうなほど辛い。あの時の僕は、兄さんの心の痛みを気遣う余裕がなくなった。
当時小学2年生だった由希は、やり場のない悲しみを吐露する相手がいなかったから、誰かを責めないと心の均衡を保てなかったのだろう。
由希の気持ちに寄り添って考えを巡らせれば、もっと早く気付けたはずだ。
子憑きの従弟に対する僕の悪感情は、自分で思っていたより根深かったらしい。……劇の練習をしていた時に、それを再認識したっけな。
由希の事は今でも嫌いだけど、絶対に謝りたくないという程じゃない。気まずさを誤魔化すように僕は盛大に溜息を吐きながら、自分の髪の毛をぐしゃぐしゃに搔き回す。
「……僕も謝らないといけない。僕は兄さんの気持ちを代弁するのにかこつけて、由希に八つ当たりした。あの時の由希は傷ついていたのに……追い討ちをかけてごめん」
由希は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。
むっとした僕が「なんだよ、その顔は」と問いかけると、由希は「いや、その……」と言葉を探す。
「建視が真面目に謝るなんて、思ってもみなかったから」
失礼な事を言う奴だな。悪気が無いから尚更タチ悪い。まぁ、いいや。気になっていた事を質問しよう。
「さっき、慊人に何を言ったんだ?」
「誰かのせいにするのは、もう嫌だと言ったんだよ。自分には悪いトコロや改めていかなきゃいけないトコロがたくさんあるんだって事を、ちゃんと自覚していかなくちゃいつまでたってもバカなままだ。誰かの……何かのせいにしていたら、いつまでたっても変われない」
……由希の変化を感じ取ったら、慊人は荒れるだろうなと予想していたけど。不変を望む慊人に面と向かって変わる事を宣言するなんて、予想外もいい処だよ。
そんなこんなで波乱含みの年明けになった。