神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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高2・3学期編
56「これが俺の選んだ道だから」


 Side:紅野(くれの)

 

 

 正月からずっと、慊人(あきと)の体調不良が続いている。1ヶ月半近く経った今も臥せったままだ。

 慊人を診察したはとり兄さんは、いつものように気持ちから来る病気(もの)だと話していたけど、今回は少し長い。

 宴会で由希(ゆき)に言われた事が、それだけショックだったのだろう。近くで聞いていた俺も、少なくない衝撃を受けた。

 

 由希は少し前まで慊人の影響を強く受けていたけど、慊人に対する怖れを乗り越えて変わる事を選び、魂の支配者(慊人)から離れる決意をした。

 ……俺も()()()、慊人から離れる決意ができていれば。今まで何度もそんな考えが頭をもたげたけど、“たられば”を考えても仕方ない。

 

 答えの出ない思考を切り上げた時、パソコンデスクの一角に置いたDVDが目に付いた。

 大晦日に人目を忍んで接触を図ってきた紅葉(もみじ)から渡されたDVDを引き抜いてみると、『ひとりでみてね』という短いメッセージと兎の絵が書いてある。

 

 紅葉曰く、これは本田(ほんだ)さんからのプレゼントらしい。DVDの中に何が入っているのか見当もつかない。観るべきなんだろうか。

 

――生きている限り、願いは生まれ続けるから……っ。

 

 本田さんの言葉が頭を過った瞬間、深夜のコンビニエンスストアで楽し気に笑ってみせたありさの姿が思い浮かんだ。ありさの眩しい笑顔を、ずっと見ていたいと願ってしまった事も。

 ……そんな事を願ってもムダだというのに。

 気を紛らわすために、本田さんが紅葉を介して贈ってきたDVDを観る事にする。

 

 パソコンの画面に映し出されたのは、学校の文化祭の劇と思しき映像だった。本田さんや由希や(きょう)建視(けんし)、それに……ありさも役者として登場している。

 友人王子を演じているから男装をしていたけど、すらりとした背格好と染めた金色の髪は俺の記憶に焼きつけられた彼女そのもので。

 ありさのざっくばらんな口調を聞くと、彼女が夏の日に汗だくになってまで走って、俺に声をかけてくれた時の事を鮮明に思い出す。

 

――後ろ姿見えて、見失ったら……やだったから、つい必死で追いかけちゃったよ。あははっ、わけわかんねぇな!

 

 俺は思わず、パソコンの画面に手を伸ばした。画面の向こうでは、ガラスの靴を握り締めたありさが叫んでいる。

 

『そんなんじゃ会いたくても会えない奴は、どーすりゃいい!! 会いたいのに、会いたいのに……っ、会いに来いコラー!!!』

 

 最後の言葉は劇のセリフじゃなくて、俺に向かって言っているのだと伝わった。本田さんが言っていた通り、ありさは俺に会えなくて悲しそうで、さびしそうにしている。

 視界が滲んで、ありさの姿がよく見えない。こんな画面越しじゃなくて、直接ありさに――。

 

――僕を見捨てないでぇ!! 紅野ォ!!

 

 幼い慊人の哀願が脳裏に蘇った瞬間、頭に冷水をかけられたような気分になった。

 

 何を馬鹿な事を考えているんだ。俺は慊人の側にいると誓ったじゃないか。そう自分に言い聞かせて戒めたけど、行き場を失った愛しさが引き裂かれて悲鳴を上げている。

 ありさが出てくる劇の映像をそれ以上観る事ができなくて、両手で顔を覆う。終演と共に送られる拍手や賑やかな歓声が、静かな部屋に響いた。

 

 

 

 DVDを観た翌日の午後。色々と考えた末、俺は紫呉(しぐれ)兄さんの家に電話をかける事にした。

 応対に出た紫呉兄さんは、電話をかけたのが俺だと解った途端に酷く冷たい声音になる。

 

『めっずらし……ってか、初めてだね』

「急に電話をかけてごめん。本田さんと話をしたいんだ」

『……は? (とおる)君? まだ学校だよ。なんでまた、透君を御指名デスカ? 接点がみつからないんだけど。そもそも1番最初に透君が電話をとる確率自体、けっこう低いと思うんだけどなぁ』

 

 紫呉兄さんは呆れたように『存外……抜けているね、君』と言った後、少し間を置いてから訊いてくる。

 

『彼女に何の用?』

「紫呉兄さんにも、話すべき事があるのかもしれない……」

 

 俺が慊人の側近になった経緯は、絶対に誰にも言ってはいけないと慊人に口止めされているけど。紫呉兄さんは俺が慊人と秘密を共有している事も気に食わないだろうから、打ち明けないといけない。

 俺の決断を聞いた紫呉兄さんは蓄積した怒りをぶつけるように、『やっとかよ』と低い声で吐き捨てる。

 

『……あのさ、紅野。前から思っていた事、訊いてもいいかな。君、君さ。もしかしたら解放されているんだろう、呪いから』

 

 疑問より確信の方が大きい割合を占める問いかけに、俺は一瞬呼吸を忘れた。

 

『同情したの? だって、もう呪い()は無いんだろう? 突き離すべきだったんじゃないかい? 慊人さんの為に、その時も、今も』

 

 柔らかい話し方をしているけど、受話口から聞こえる紫呉兄さんの声には棘が潜んでいた。

 皆に真実を明かして慊人から離れる決断を下せず、哀れみの感情から慊人と情を交わしてしまった俺に対して怒り、憎悪を抱いているのだろう。

 だけど、紫呉兄さんにどれほど憎まれようと、俺はあの時の誓いを裏切る訳にはいかない。

 

「……あまり……驚かないんだね……。気づいていた? 呪いから解放されてる……って」

『やぁ、そんなカッコ良いこと言えたらいいけど。“なんとなく”だよ、残念ながら。でも、そっかぁ。これでちょっとスッキリしたよ』

 

 紫呉兄さんは『なるほどねぇ』と、含みを持たせた口調で話を続ける。

 

『そりゃあ、紅野()をずっと側に置いておきたいよね。バレたくないしねぇ。悲しくなるほど必死だねぇ』

「兄さん……兄さんの気持ちは、わかってるつもりだ。兄さんが俺を嫌っている事も。だけ……」

 

 俺の言葉を遮るように、紫呉兄さんは『嫌いだよ』と言い切った。

 

『そう、僕は君がとても嫌いだ。ハッキリ言ってあげる僕に感謝してくれよ。これで思う存分、悲観ぶることができるだろ? 良かったねぇ』

 

 おまえが手を出したくせに被害者ぶるな、と暗に言われた気がした。紫呉兄さんが怒るのは当然だから、責めは甘んじて受けよう。だけど。

 

「……だけど、兄さん。慊人は見捨てないでやってほしい。これ以上、冷たくあしらわないでやってほしい」

 

 慊人の精神状態が一向に良くならない原因として、宴会で紫呉兄さんがすぐに慊人を慰めに向かわなかった事も大きい。

 紫呉兄さんは慊人が誰を1番求めているのか思い知らせるために、わざと遅れて行ったのだろう。

 

「慊人は俺を好きだから、側に置いているんじゃない。いつだって、今でも1番側にいてほしいと願っている存在(ひと)は……」

 

 紫呉兄さんだと告げようとしたけど、兄さんは感情を排した声で『誤解しないでくれないか、紅野』と反論してくる。

 

『僕は好きだよ、慊人の事が。昔も今も。好きで好きすぎて、ドロドロに甘やかしたくなるし、グチャグチャに踏み潰してやりたくなるんだよ』

 

 ……どうして、愛する人を傷つけてやりたいと思うんだ。正直言って、紫呉兄さんの愛情は理解できない。

 

「報復がしたいなら、俺にすればいい」

『僕は報復がしたいなんて、一言も言ってないんだけど。僕の愛情表現を、君に理解してもらおうとは思ってないよ』

 

 この件に関して俺が何を言っても、紫呉兄さんは聞く耳を持たないだろう。俺は溜息を押し殺しながら、今まで誰にも言わなかった予感めいたものを打ち明ける。

 

「もう終わりは近いだろう。小さな変化やきっかけは積み重なって、動き出す。紫呉兄さんもそれを作りだしたくて、本田さん(彼女)を巻き込んだの?」

『透君が帰ってきたら、適当な用事をお願いしておくよ。僕の家の近くのバス停辺りで待っていれば、透君と会って話ができるはずだ』

 

 一方的に告げた紫呉兄さんは、俺の問いかけに答えず電話を切る。ツーツーと無機質な機械音が、耳の奥に残った。

 

 

 

 まとまらない考えを切り替えて、外出の支度をする。慊人の世話役に引き止められたけど、仕事のモチベーションを取り戻すために「外」の空気を吸ってくると言って、草摩(そうま)の本家から出た。

 

 タクシーに乗って紫呉兄さんの家がある小山まで向かい、紫呉兄さんが指定したバス停のベンチに腰掛けて待っていたら、ツツジ色のダッフルコートを着た本田さんが歩いてくる。

 急にしゃがみ込んだ本田さんは、道端で群れていた雀に気を取られたようだ。俺が彼女の所へ向かうと、雀の群れが一斉に飛び立つ。

 

 かつて俺が(とり)の物の怪に憑かれていた時は、雀に変身した。

 外出するたびに雀の群れに集られて困った事もあったけど、呪いが解けた今は雀が寄ってくる事も、雀に俺の意思が伝わる事もない。

 俺が本田さんに手を差し伸べて立ち上がるように促すと、彼女は不思議そうに「紅野さん……」と呟きながら俺を見上げる。

 

「…………鳥が、紅野さんから離れていってしまいました……。紅野さんは酉の物の怪憑きでいらっしゃいますから……物の怪憑きの方は……その動物が……あ、あれ……?」

 

 困惑する本田さんを抱き寄せて、今まで隠してきた真実を告げる。

 

「……俺はもう違うんだ。変身もしない。俺の呪いは、もう解けてる。今の君より若かった頃に。だから、もう十二支(みんな)の仲間じゃない」

 

 泣きたくなるほど美しい夕焼け空を見上げながら、「もう飛べない……」と呟いた。

 

――ねぇ、紅野。鳥になれるって、どんな気分? あの空を自由にとべるって、どんな気分? たのしい? ワクワクする? いいなぁ、紅野。僕も鳥になれたらよかった。

 

 幼い慊人にそう言われた時、俺の胸の奥に潜んでいた酉の物の怪は歓喜していた。だけど、あの時の喜びには俺自身の感情も含まれていたと思う。

 俺の両親は酉憑きの息子を受け入れてくれたけど、俺が物の怪憑きとして生まれた事を嘆いていたから。慊人が純粋な憧れを向けてくれて、嬉しかったんだ。

 

「どうして……っ、どうやって呪いが……っ」

 

 本田さんは俺の腕を掴んで問い詰めてきた。

 

「……わからない。自分でも突然の事だった。 なんの前触れも無く、呪い(それ)は解けた」

 

 あれは俺が高校1年生の時だ。慊人に頼まれて庭に咲いている花を摘みに行こうとしたら、急に視界が開けた気がした。

 自分の中には“自分”しかいなくて。あの青い空をもう飛ぶ事はできないんだって思ったら、哀しくて……嬉しかった。

 

人間(ひと)にようやくなれた気がして……嬉しかったよ……」

「けれ……ど、他の十二支(みな)さんは、紅野さんを今も酉だと思っていらっしゃる……。紅野さんも慊人さんの側に、今も……。紅野さんは……まだ()()()、解放されずにいらっしゃるのですか……っ」

 

 本田さんの切羽詰まったような問いかけに答える代わりに、彼女がくれたありさの連絡先のメモと劇のDVDを一緒に渡す。

 

「ごめん。君からのプレゼント、無駄にしてしまう。ごめん。それを伝えに来たんだ」

 

 紅葉と建視の協力を得ていたとはいえ、普通の女子高生が草摩家に侵入するなんて、並大抵の覚悟ではできなかったはず。

 だけど、本田さんの親友を思いやる心意気には応えられない。

 

「ありさとは会わないよ。俺はこれからも慊人の側に居るから。たった2回……たった2回だ、ありさと会って話をしたのは。ちっぽけで……些細な出会いだ」

 

 ありさと出会って話をして一緒に蕎麦を食べた時間は、俺が今まで生きてきた中で1番楽しい時間だったけど。ありさにとっては、そうじゃない。

 彼女には、俺なんかよりずっと素晴らしい男性(ひと)との出会いが待っている。

 

「このまま会わずに終わればただの些細な想い出になって、いつか消えてなくなる。それだけの出会いだ。だから君ももう、気にせず」

 

 焦げ茶色の瞳に涙を浮かべた本田さんが、俺の頬に触れてきた。その時、俺の目尻から涙が流れて、自分が泣いている事に気付く。

 己の感情を押し殺すのに慣れたせいか、自分の感情が解らなくなる時が多々ある。慊人の側に居る時はそれでも困らないけど、ありさと会話した時に失敗してしまった。

 

――だったらもっと、倖せそうに笑えよ……っ。

 

 今の生活は何不自由なく満ち足りて倖せだと俺が話した時、ありさはそう言って怒った。

 いや、違う。ありさが怒ったのは、俺がコンビニで買い物をするのはムダな事だと言ってしまったからだ。

 

――あたしはムダなんかじゃないって……思ったけどな! コンビニで会って、こうしてソバ食って……あたしはあたしが思っていたより、ずっと、ずっと……ずぅっと、アンタに会いたかったからっ。だから、嬉しかったけどな!!

 

 俺も嬉しかった。自分で思っていたよりも、ずっと。

 

「会いたい……会いたいけど、たった2回だったけど。……初めて“人間”になった自分が、()()で好きだと思った女性(ひと)だったけど……っ」

 

 俺はもう物の怪憑きじゃないから、いくらでも本当は抱きしめられる。

 けど、他の十二支(みんな)は今も呪いで苦しんでいるのに、俺だけ易々と解放されるなんて許されない。

 

「俺だけ自由で、どこにだって行ける。誰だって愛せる。だけど、()()()()()慊人の側にいてあげなくちゃダメなんだ……っ」

 

――嫌ぁ!! いかないで!! いかないで!! どこにもいかないで!! 離れないで!! 側にいて!! 離れないで!! 僕の側にずっといて!!

 

 俺の呪いが解けた事を知った慊人は、ボロボロに泣き崩れながら俺にすがってきた。

 物の怪憑きではなくなった俺にとって、慊人の言葉は強制力を持たなくなっていたけど突き離す事なんてできなかった。

 

「……慊人にとって十二支達(俺たち)との絆は、“総て”なんだ。神様は十二支がいないと成り立たない。だから、誓った。呪いが解けた……あの日に。側にいるって」

 

 他の十二支(みんな)を騙して、酉の物の怪に憑かれたままのフリをして、それで慊人(あのこ)が泣かずにすむなら。そう思ったんだ。

 

――同情したの? だって、もう呪い()は無いんだろう?

 

 紫呉兄さんに指摘されたように、俺は誰よりも弱くて誰よりも脆くて、誰よりも臆病な慊人に同情したのだろう。

 確かに呪いは解けたけど、十二支(みんな)と無条件でつながっていた絆ももう失くしてしまったけど。

 

「それでも誓ったんだ、側にいるって。慊人が俺を必要としなくなるその日まで、ずっと……っ。壊れそうなほど泣いてすがった、この女の子の為に生きていこうって……」

 

 慊人が女の子だと知って、本田さんは驚くと同時に動揺したようだった。

 

「嘘……じゃなくて……ですか……?」

「本当だよ。草摩には秘密事が多いけれど、その中でも最たる……」

 

 慊人が女だと知っている物の怪憑きは、紫呉兄さん、はとり兄さん、綾女(あやめ)兄さん。それと建視も。

 この4人と俺だけだと伝えたら、本田さんは納得いかないように「け……けれど」と反論してくる。

 

「慊人さん……っ、男の方のように振るまって……いらっしゃって……っ。他の十二支(みな)さんも、女性として接していらっしゃるようには、少しも……っ」

「慊人は生まれたその日から、“男”として育てられてきた。()()()がそう決めた」

 

 本田さんは不思議そうに、「……あの人……?」と訊いてくる。

 

「……君は1度、本家で見つかりそうになったね。()()()は心身を少し……患っていて奥の間にいる事が多いけれど、慊人にとっては今も大きな存在の1人……。草摩……(れん)、慊人の実母(ははおや)……」

 

 楝さんは草摩の当主の跡継ぎが女だと問題があると主張して、慊人を男として育てると決めたと言われている。紫呉兄さんは違う見解をしていたけど。

 

――自分が(あきら)さんの“1番”じゃなくなったのが、面白くないだけだろ。……あと妬みだね。たくさんの異性(人間)に囲まれて愛されるって約束された我が子に、女として嫉妬してるんだよ。……僕達が慊人に初めて会いに行った日の楝さん(あの人)の顔、覚えてる?

 

 まだ見ぬ神様(慊人)が夢の中に現れた日の朝、俺は泣きながら目を覚ました。

 同じ夢を見た兄さん達と一緒に、まだ自分の妊娠を知らない楝さんの元へ行って「待ってた」と言いながら泣き続けた。

 あの時の楝さんは慊人が宿った下腹部に向かって手を伸ばす俺達を、気味悪がるような目で見ていたと記憶している。紫呉兄さんは、楝さんの嫉妬の片鱗を見て取ったようだけど。

 

「楝さんは、慊人と十二支をつなぐ“絆”は間違っていると言う。そんな“(もの)”は不自然で、()()ではないと。だから、“絆”にすがる慊人と衝突が絶えない」

 

 楝さんは、自分と晶さんの“絆”こそ本物だと主張している。晶さんと自分の間には誰も割って入れないから、慊人はいらないと言い放った事もあった。

 

「呪いが解けて改めて……振り返ってみてみれば確かに、“(それ)”は不自然だったようにも思う。楝さんの……言う通り」

 

 酉に憑かれていた頃は、物の怪が心の端でいつも俺を見張っていた。慊人を裏切るな、と常に追い立ててきた。

 けれど、呪いが解けた瞬間、俺を常に監視していた存在(もの)がいなくなって。俺はどこまでも自由で、さびしくなった。

 

「だけど、もうひとつ見えたモノもあるんだ」

 

――おねがい……っ。おねがい、おねがいだから、いかないで……っ。

 

「泣いている女の子(慊人)を突き離すなんて、できない……。離れられない女の子がいるのに、ありさと会うなんてできない……」

 

 そこまで話した時、無言で話を聞いていた本田さんの頬に涙が伝っている事に気付いた。

 

「……ごめん。たくさん話して……混乱させて。……だけど、慊人は他人(ひと)をたやすく傷つけるけど……慊人自身もボロボロに傷ついている事を知ってほしかった。慊人を……置いていけない理由を、少しでも知ってほしかった……」

 

 俺は「ごめん」と謝りながら、本田さんの涙で濡れた頬に触れる。

 君を傷つけてごめん。君の願いに応えられなくてごめん。責めるなら、不甲斐ない俺を責めてほしい。

 

「これが俺の選んだ道だから。()()()()()()()()道だから。……ごめん。ありがとう。……色々」

 

 伝えたい事を全て伝え終えたので、本田さんから離れて立ち去った。

 後ろの方でDVDのケースが道路に落ちる音と、本田さんのすすり泣く声が聞こえたけど、俺は慊人の側に居る事を選んだから引き返す事はできない。

 罪悪感で軋む心も、ありさへの愛惜の情も、張り裂けそうな胸の痛みも、哀しい闇(慊人)に寄り添っている内に薄らぐだろう。

 

 

 

▼△

 

 

 

 Side:依鈴(いすず)

 

 

 ぐれ兄の家に行く途中で、予想もしない組み合わせの2人を見つけた。

 1人は透、もう1人は紅野だ。慊人のお気に入りの紅野が仕事以外の用事で外出するなんて珍しいけど、今はそんなコトどうでもいい。

 

 紅野に何か言われた透は、道路に座り込んで泣いていた。

 

 透がボウッとしているからって何を言ってもいいと思って、言うだけ言って放り出したんだ。怒りに駆られたアタシは紅野を追いかけたけど、酉憑きの従兄はタクシーに乗って立ち去ってしまった。

 

 座り込んだままの透は気になるけど、アタシは優しい慰めの言葉はかけてやれない。「1人で紅野のトコロに行くなって言ったのに、どうして紅野なんかと話したんだ」となじってしまいそう。

 アタシにできるコトは、紅野をとっ捕まえてなんで透を泣かせたのか問い質すコトぐらいだ。事と次第によっては、紅野を殴り飛ばしてやる。

 

 そう決意して草摩の本家に戻って、慊人の屋敷に向かった。正式な用も無いのに慊人の屋敷に近づいて見つかると面倒なコトになるから、庭をこっそり歩いていたら。

 

「いけない子ね、依鈴ちゃん……こんな処まで忍び込みに来たの……?」

 

 背後から急に声をかけられた。アタシが驚いて振り返ると、慊人によく似た面立ちの楝さんが微笑みながら立っている。

 

「ずっと……何かを捜しているでしょう、依鈴ちゃん。知っているのよ。私が力になれないかしら……?」

 

 他の奴が――例えばぐれ兄が同じ台詞を言ったら、話がうますぎて信用できなかっただろうけど。楝さんなら信じられる。だって楝さんは、アタシが小さかった頃も気にかけてくれたから。

 

――倖せなお家ね、依鈴ちゃん。お父さんもお母さんも、依鈴ちゃんを愛してる。

 

 おそらく楝さんは、アタシの両親は娘のために無理をしているのだと遠回しに教えてくれたんだと思う。

 だけど幼いアタシはそこまで考えが至らず、自分の家族は本当に倖せなのかと疑問を抱いてしまったんだ。

 世の中には触れちゃいけない事があるとは知らなかったアタシは、「どうしてパパとママはいつも楽しそうなの? ホントに楽しい?」と馬鹿正直に聞いてしまい、家庭崩壊を招いてしまった。

 

 今回も楝さんは、助言をしてくれるだろうか。紅野に会わせてほしいと頼もうとした時、アタシがずっと捜しているのは別の物だと思い出す。

 病がちで奥の間にいる楝さんに会える機会なんて、そうそうない。紅野を殴るのは次の機会におあずけだ。ごめん、透。

 

「……十二支の……呪いを解く方法、楝さん、知ってる……?」

 

 楝さんが知っている可能性は低いと思ったけど、彼女は何かを隠すように薄く笑った。

 

「……っ、知……っ」

「私の願いを叶えてくれたら、教えてあげる。……私の欲しい物を取ってきてほしいの。元来、それは私の物なんだけどね。慊人に奪われてしまったの……っ」

 

 楝さんの表情には、隠し切れない怒りと憎悪が見て取れた。楝さんと慊人は不仲だという噂が流れているけど、本当だったんだ。

 気を取り直すように微笑んだ楝さんは、アタシと目線を合わせるように膝を折って話を続ける。

 

「それは慊人の部屋にあるんだけど、私は慊人の部屋には近づけない……私に対する監視はとても厳しいの。でも依鈴ちゃんなら、もしかして……」

「……()()って何……?」

「宝物……」

 

 楝さんは自分の宝物が慊人の部屋のどこら辺にあるか、大体見当がついているらしい。隠し場所と、目的の物の形状を教えてくれた。

 

――依鈴さんがお1人で無理をなさらないと、仰って下さるなら……。

 

 呪いを解こうとするアタシとコンビを組むと言ってくれた、透の言葉が不意に浮かんだ。

 慊人の部屋に侵入するのは危険が伴うけど、成功の見返りは大きい。大丈夫、アタシはきっとやり遂げてみせる。

 草摩とは本来関係のない透が、呪いを解こうと息巻く必要はないんだ。

 

「それじゃ、箱を取ってきたら……」

「呪いを解く方法を教えるわ。約束よ」

 

 楝さんの「気を付けてね」という言葉を背に受けて、屋敷の中に向かう。

 好都合なコトに、慊人の世話役の姿は見当たらない。足音を殺して廊下を歩き、慊人の部屋に入って、床の間に隣接した低い棚の戸を開ける。

 あった。朱色の組紐が付いた、椿の螺鈿細工が施された黒漆塗りの箱。これを楝さんに渡せば、呪いを解く方法を教えてもらえる。春をようやく解放できる。

 

 箱を手に取った時、アタシの背後から青白い手が伸びてきた。

 

 人の気配に気付けないほど油断するなんて、と後悔しても遅い。恐る恐る振り返ると、凪いだ無表情の奥に激怒を潜ませた慊人がいた。

 

 ……春、ごめんね。呪いを解く方法を教えてもらえるチャンスだったのに。アタシはここで終わりみたい。

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