卒業式を来週に控え、式典と歌の練習や体育館の飾りつけが進められている。紙花作りを担当する2‐Dの生徒は全員、1人につき10個の紙花作成のノルマが課された。
紙花を作るのは正直かったるいけど、放課後に教室に残って気心の知れた者同士で雑談しながら作業するのは楽しい。
「ずらかりますよ、皆さんっ!」
2‐Dの教室の戸口で叫んだ
泥棒のコスプレをするなら、峰不○子が着用していたようなライダースーツを着ればいいのに……じゃない。しまった、やられた!
「待てコラ、盗っ人ォ!!」
「返して~っ」
教室の外に出たすけっちと副委員長の
逃げ足速いなと思った時、職員室に行っていた
「あ……あの、一体何が……」
「あの人達、由希君が作った花を全部強奪したのよ。人気が無くなった頃合いを見計らってたね、ありゃ」
本田さんは由希のファンクラブの存在を知らないのか。知ったところで、本田さんの利益になる事は1つもないから教える事はしないけど。
「まったく、あの人達もな~っ。ちょっと説教かましてやってよ、花島さ~ん」
ろっしーが軽い口調で頼むと、花島さんはどうでも良さそうな口振りで「私個人の利害と一致しないわ……」と答える。
利害が一致すればお説教してくれるのか。焼肉食べ放題を見返りに提示すれば……怒りのオーラを纏った
「それなら、けんけんがあの人達に説教をすれb」
「
「盗みに手を染めたプリ・ユキのメンバーが、
キン・ケンのメンバーである
見かねた僕が「その辺にしてあげて」と声をかけると、彼女達は笑顔で「建視君の仰せのままに!」と答える。
「……けんけんのファンに頼めば、プリ・ユキから花を奪還してくれるんじゃね?」
小声で提案してきたろっしーに対し、僕は少し考えてから「大騒動になりそうだから迂闊に頼めないよ」と答える。
キン・ケンのメンバーは僕の頼みを躍起になって遂行しようとするし、プリ・ユキのメンバーは由希が作った紙花を意地でも手放さないだろう。下手したら、ファンクラブ同士の抗争に発展しかねない。
「しょ~がねぇな、ホントにもう。ここはひとつ……穴埋めは頼んだぞ、キョンっ」
溜息を吐いた
「まぁた、てめぇはそういう……盗られたのは
「夾が作った花も盗まれているぞ」
僕は指摘しながら、夾の机を指差す。夾が作り上げた10個の紙花は、1つ残らず消えていた。
プリ・ユキのメンバーが逃走した時の騒ぎに乗じて、夾のファンが花を盗んだと思われる。
「無ぇじゃん!!!」
大声で叫んだ夾は焦りを浮かべていた。花盗人の気配を察知できなかった事がショックだったらしい。
「僕に言われても。犯人は見てないから、夾の花が誰の手に渡ったのか知らないよ」
ファンクラブは結成されてないけど、夾のファンも多いんだよな。海高のヤンキー系女子は全員、夾に惹かれていると言っても過言じゃない。ただし、魚谷さんは除く。
「盗った奴……あえて“殺す”とは言わない……地獄へ堕ちろ!!!」
青筋を浮かべた夾がゴートゥーヘルを宣告すると、すけっちが「ビミョーな優しさだよね」とコメントした。それを聞いた魚谷さんが、「優しさなのか?」と疑問を呈している。
世の中には死んだ方がマシだと思うような事があるから、優しさじゃないと思う。
それから、盗まれた花はどうするかという話になった。
生徒会の方に行った由希を呼んで、作り直させる訳にもいかず。ここにいる面子で作り直さなくてはいけない、という結論に辿り着いた。
やだ、めんどい。誰も本音は言わなかったけど、心は1つだ。本田さんは面倒臭いとか考えなさそうだけど。
「うがぁっ! なんだ、あいつらぁ、ふざけんな!! ぜってぇ見つけて取り返す!!」
魚谷さんが怒号を発すると、教室に残って作業していた生徒の大半が「おう!」と賛同した。
「でも、あの、作り直してしまったほうが……早いの……では……」
「甘いぞ、
「戦力を必要とするのなら……」
おおぅ……花島さんが動いた。これで犯人は大人しく花を返すだろう。
いや、待てよ。熱狂的なファンは崇拝対象のお手製の品を手に入れるためなら、どんな犠牲を払っても構わないと覚悟を決めるかもしれない。
修羅場になる前に、盗んだ花の代わりを作らせるとか代案を提示した方がいいかも。
教室を無人にすると新手の花泥棒に狙われるかもしれないので、本田さんと夾に留守を任せる事にした。
「さってと、まずは犯人の居場所捜しだな。花島、わかるか?」
「被服室と体育館裏から、浮かれた電波を複数感じるわ……」
花島さんが電波情報を告げると、ろっしーとすけっちは興奮気味に「おお~」と声を上げる。須栗さんは満足げに、「捜す手間が省けたわね」と言う。
他の女子達は、花島さんの力に恐れをなしているように見えた。彼女達の反応は、花島さんの心を傷つけるかもしれない。そう思った僕は、手を叩いて呼びかける事で本来の目的を思い出させる。
「じゃあ、二手に分かれよう」
「私達は建視君と一緒がいいな」
真っ先に希望を述べた赤坂さんに続いて、他のキン・ケンのメンバー5名が「私も」と同意した。
僕は花島さんと同じチームが良かったんだけどなと思っていたら、当の花島さんが「待って……」と発言する。
「私は建視さんに話があるの……彼と2人にさせてもらえないかしら……」
「ええっ? 話ってもしかして……?」
ろっしーとすけっちは色めき立ったけど、赤坂さん達が焦ったように「建視君と2人きりなんてダメよ!」と反対する。
「花島はキョンの親父さんが好きだから、リンゴ頭に告白したりしねぇよ」
魚谷さぁぁぁん!! そんな話のついでみたいに言わないで……はっ、そういえば。
話のついでにこの話題が出たらショックがデカイと言って、花島さんの想い人を僕に教えたのは魚谷さんだよね!? あの時の気遣いはどこへいったの?
「なぁんだ、そうだったの」
赤坂さん達は目に見えて安堵し、ろっしーとすけっちは同情を浮かべて「けんけん、ファイト」と励ましてきた。僕は泣かない。だって男の子だもん!
奪還隊と別れた僕と花島さんは、話を立ち聞きされないように屋上へと向かう。
花島さんと2人きりになれる機会は中々無いから浮かれてしまうけど、花島さんは心なしかピリピリした雰囲気を纏っているから気を引き締める。
「それで、話ってなに?」
「……4日前の夕方に、叫ぶように泣く透君の電波を受信して……電波の発信源に向かったら、透君が道路に座り込んで泣いていたの……」
感情豊かな本田さんが涙目になるのはそれほど珍しい事じゃないけど、道路に座り込んで泣くなんて尋常じゃない。
「……誰かが本田さんを手酷く傷つけたのか?」
「透君は……
予想外の人物の名前を聞いて、怒りが霧散して疑問が生じる。
外を出歩いていた
まさかとは思うけど、2人が鉢合わせするようにぐれ兄が裏から手を回したんじゃないか? 考え込む僕を他所に、花島さんは話を続ける。
「透君はクレノさんに、ありさに会ってほしいと頼んだけど……クレノさんは、側にいてあげなくてはいけない
僕にとっては予想通りの結末だけど、希望を捨てない本田さんにとっては受け入れがたい返答だったかもしれない。
「クレノさんは自分以外の誰かの気持ちを大切にしていて、透君は何も言えなかったみたいで……透君は酷く悔いていたわ……迷惑ばかりたくさんかけたのに何もできなくて、何の役にも立てなかったと言って泣いていたのよ……」
本田さんは普段通りに振る舞っていたから、彼女が酷く傷ついた事に気付けなかった。
何の役にも立たなかったのは、僕の方だ。魚谷さんの好きな人は紅野兄だと知っていたのに、2人の仲を取り持つ事ができなかった。
一連の経緯を僕に伝えた花島さんは、何もしなかった僕を責めているのだろう。夏休みの件もあるし。謝ろうとした僕を遮るように、花島さんは話題を変える。
「ここからが本題よ……」
今までの話が前置きだって!? どれほど深刻な話が語られるんだと、思わず身構えてしまう。
「泣いていた透君を私の家に招いて、ありさも呼んでねまき祭りを開催して……透君は気持ちを持ち直したようだけど……」
ねまき祭りって、パジャマパーティーの事だろうか。思考が逸れそうになったけど、花島さんの話の途中だから集中する。
「ここ数日……透君は貴方や草摩由希や草摩夾を見ては、何か言いたそうにしているわ……透君のおかげでありさは自分の想いにひと区切りつけるきっかけをもらえたから、クレノさんの事を聞こうとしているとは思えなくて……貴方は何か、心当たりはないかしら……?」
――建視……さん。あ……っ……き……………あ、あの、えっと、明後日はモゲ太さんのアニメが放送される日ですね!
昨日、図書室で本田さんに声をかけられた時、彼女は何とも歯切れの悪い言い方をしていた。
本田さんが本当は何を言おうとしていたのか見当もつかなかったが、花島さんの話を聞いて1つの可能性が浮かんだ。
紅野兄が部外者の本田さんに慊人の秘密を打ち明けるなんて、あり得ないけど。もし、話していたのだとしたら。
「心当たりは……ある。多分だけど、本田さんは草摩家の当主について聞きたい事があるんじゃないかな」
「…………草摩家の当主に関する情報を得て、透君は何をするつもり……? 透君は危ない橋を渡ろうとしているんじゃないかしら……」
考え込むように瞼を伏せた花島さんに、それは杞憂だと言う事はできない。夾の行く末を案じているだろう本田さんは、呪いを解くために行動を起こす可能性が高いから。
「私……心配になるの……透君は
――わ、私は呪いも解けなくて、はとりを守ってあげる事もできなくて……ごめんね。私のせいで、本当にごめんね……。
脳裏に浮かんだのは、罪悪感に蝕まれた
夾を助ける事ができなかった本田さんが、佳菜さんのように心を病んでしまったら。本田さんから陽だまりのような笑い顔が消えてしまったら。
……想像しただけで、胸が軋むように痛んだ。
「本田さんが草摩の本家に関わって危険な橋を渡ろうとしたら、僕が止めるよ」
「あら……どうして止めるの……?」
そう言いながら花島さんは、不思議そうに小首を傾げた。いやいや、僕の方が納得いかないんだけど。
「どうしてって、花島さんも本田さんに危険な目に遭ってほしくないだろう?」
「それはもちろん……」
「だったら」
「でも……透君が危険を冒してまでやろうとした事をやり遂げられずに、後悔を抱えて生きるようになってしまうのも嫌よ……」
いやな予感がして1歩後ずさった僕を、花島さんはまっすぐ見据えて「だから……」と言葉を続ける。
「透君が危険に飛び込もうとしたら、助けてあげてちょうだい……」
花島さんにお願いされると普段なら天にも昇る心地になるのに、この瞬間は奈落の底へ突き落されたような気分になった。
だって夾が幽閉の憂き目から逃れたら、次の生贄に選ばれるのは僕だから。
これは単なる推測じゃない。一昨年の5月に夾が失踪した時、慊人に言われたんだ。
――困ったなぁ。十二支憑きより悲惨な境遇の
言葉を切った慊人は、唇を歪めて嗜虐的な笑みを形作る。
――だからね、建視。夾が帰ってこなかったら、建視を幽閉するよ。先代の盃の付喪神憑きのように、建視も暴走するんじゃないかと危惧する人達は多いんだ。……大丈夫。閉じ込めても僕が会いに行ってあげるから。僕が側にいてあげるから、寂しくないよ。
当時の僕は目の前が真っ暗になった。
夾が幽閉されるのは可哀相だけど決定事項だから変えようがないと受け入れていたくせに、いざ自分の未来が完全に閉ざされる可能性を示されると何が何でも回避しなけりゃと思って。
僕は師範の私物から残留思念を読む許可を慊人に願い出て、師範と夾がどこへ行ったのか密かに調べて、2人の居場所を慊人に報告したんだ。
山籠もりしていた夾は連れ戻されると予想したけど、そうはならなかった。師範が夾を引き渡すのを、拒んだのかもしれない。猫憑きの更なる逃走を阻止するために、草摩家の監視は付いたと思うけど。
夾の居場所を調べたんじゃないかと
保身に走って罪悪感に駆られた僕は、道場から足が遠のいて鍛錬をサボって腕が思いきり鈍った訳だが、そんな事はどうでもいい。
花島さんが僕の返事を待っている。何か言わなくちゃ。
できる限り本田さんを助けると言って、この場をやり過ごすのは……駄目だ。助けると言っておきながら本田さんの敵に回ったら、花島さんに裏切り者だと思われてしまう。
どうしよう。適切な言い訳が思い浮かばない。そもそも、言い訳を考えている時点でアウトかもしれない。
顔面に脂汗を浮かべた僕は、視線を逸らしてしまった。
それで、僕の意気地なしで薄情な考えが伝わったのだろう。花島さんは落胆と困惑が入り混じった声を出す。
「貴方にも事情はあるものね……無理を言ってごめんなさい……」
君が謝る必要はない。僕が不甲斐ないせいで、ごめん。
謝罪の言葉は喉まで出かかったけど、かつてないほど激しい自己嫌悪に襲われて声を出す事ができない。
花島さんの前にいるのが耐えられなくなって、僕はその場から走って逃げた。
こんなザマで、花島さんの事が好きだなんて笑える。大笑いして足を滑らせて、頭をぶつけて死んじまえばいい。
――建視は母親を殺したも同然なんだから、僕以外の誰かを好きになる資格なんて無いんだよ。
なんだ、慊人が言っていた通りじゃないか。
――建視はその命が尽きるまで、僕だけに全てを捧げて生きるんだ。
どうせ、慊人が言っていた通りにしかならないんだ。慊人の側に行こう。
――建視が倖せになる事が俺の倖せだ。
ごめん、兄さん。努力するって言ったけど、倖せになるのは無理だ。
好きな女の子の切実な頼みを、引き受ける事ができない。危険な橋を渡ろうとする友達の女の子を、助ける事ができない。
こんな姑息で卑怯で臆病で自己保身ばかりで最低な裏切り者は、明るい「外」の世界より闇深い草摩の「