神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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58「試しているんじゃないですよ」

 Side:慊人(あきと)

 

 

「慊人さん。紫呉(しぐれ)さんが面会を求めていますが、如何なさいますか?」

 

 閉じた襖の向こうから、僕に仕える世話役が問いかけてきた。今は紫呉の名前を聞くだけで、こめかみがズキズキ痛む。

 宴会で由希(バカ)が僕にひどい事を言ったのに、紫呉は僕の側にすぐ来てくれなかった。その心痛が多大なストレスになって、僕の体をも苛んでいるんだ。

 

――慊人さんが1番大切ですから。

 

 そんな事を言っておきながら、紫呉は僕を1番に選ばない。紫呉(あいつ)はいつだってそうだ。

 宴会が終わって何時間も経ってから紫呉は白々しく様子を伺いに来て、すぐに駆けつけなかった事を詫びる言葉を吐きながらも、申し訳なさそうな態度を取っていなかった。

 冷淡な紫呉に怒りをぶつけたけど、紫呉は堪えた様子が一切ないから気分はちっとも晴れない。

 

 追い討ちをかけるように、紅野(くれの)が僕に黙って外出した。慊人()の側にずっといるって、紅野は誓ったのに。嘘つき。やっぱり“絆”が無いとだめなんだ。

 

 悪い方向に考えが進んで僕の体調が日に日に悪化していた時、依鈴(いすず)が僕の大切な箱を盗もうとした。

 薄汚い泥棒の顔も姿も二度と見たくないから、猫憑きの離れに閉じ込めてやろうと思ったけど。あの場所は夾が入る予定だから、盃の付喪神憑きの蔵に押し込めてやった。

 

 先代の盃の付喪神憑きは草摩(そうま)家から逃れるために力を行使したが、その目論見は頓挫して、家中を騒がせた罰として蔵の中の座敷牢に生涯幽閉された。

 公にされていない事件なので、盃の付喪神憑きの蔵の存在を知る者はごく僅かだ。薄汚い泥棒は、十二支の仲間の誰にも知られず朽ちていけばいい。

 

 箱は別の場所に仕舞った。今度の隠し場所は誰にも言わない。

 父様が入っている箱の存在は、僕に仕える世話役でも限られた者しか知らない。物の怪憑きの中で知っている者は、紫呉しかいないはずだった。

 

 建視(けんし)が残留思念を読む力を僕に無断で使って、箱の存在を知った可能性はゼロじゃないけど、それを依鈴に教えて盗ませるように仕向ける理由が思いつかない。

 僕から箱を奪って利益を得る奴という線で考えると、該当するのは(れん)と紫呉だ。

 楝は父様が入った箱の存在を知れば、何が何でも手に入れようとするはずだ。自分の体を見返りに与えてでも。

 

 ……紫呉はまた僕を裏切るつもりか。

 

 どうして? どうして?! どうして、僕を裏切ろうとするんだ。僕は愛される為に生まれてきたのに。みんな、僕を待っていたはずなのに。

 

――おまえの未来に、さびしさも恐れもない。あるのは“不変”……それだけだ。

 

 父様はそう言っていたけど、今の僕はさびしさと恐れに蝕まれている。求めている愛情が得られなくて。“不変”が揺らいでしまいそうな予感がして。

 

「……慊人さん? お加減が優れないようでしたら、日を改めてお越しいただくように紫呉さんにお伝えしますが」

 

 世話役の気遣わしげな声を聞いて、深くて暗い処に沈んでいた意識が戻る。

 少し迷ったけど、紫呉の面会の許可を出した。僕がこれだけ弱っている姿を見れば、紫呉は優しくしてくれるんじゃないかと一縷の望みをかけて。

 

「ゴキゲン、いかがですか?」

 

 僕の部屋にやってきた紫呉は、見るだけで不愉快になる軽薄な笑みを浮かべていた。僕を心配する素振りすら見せない事が、腹立たしくて悔しくて悲しい。

 

「コレはちょっとしたプレゼントです。慊人さんはこういうの、知らないんじゃないかと思って。簡単に作れる花です。と言っても、僕が全部作った花じゃないですけど」

 

 そう話しながら、紫呉は着物の袖の袂から桃色の花を取り出した。生花じゃなくて、薄い紙を何枚も折り重ねて作ったと思われる造花だ。

 

 花を差し出す紫呉を見て、幼少期の記憶がよみがえった。

 父様が他界して間もない頃、胸に穴が開いたような喪失感と絶望と不安に蝕まれていた僕は、紫呉にある問いを投げかけた。

 

――紫呉は、僕のこと好き?

――……それ、他の十二支(みんな)にも訊いて歩いているんですか?

 

 はとり達にはこれから訊きに行く予定だったけど、紫呉が呆れた顔をしていたので言いたくなかった。

 僕は「質問しているのはこっち」と言い返してから、同じ問いを繰り返す。

 苦笑した紫呉は腰掛けていた縁側から立ち上がって、裸足のまま庭へと歩いていく。

 庭に植えられていた椿の木から花を摘み取った紫呉は、僕の方に引き返してきて赤く咲き誇る椿の花を差し出してくる。

 

――誰よりも君を想う。それこそが揺るぎない事実。好きですよ、慊人。

 

 とても真剣な表情で愛情が籠った言葉をくれた紫呉は、僕の頬に口づけを落とす。それから紫呉は僕の手を取って、自分の左胸に当てさせた。

 

――永遠は……ここに居る。いつも君を想っている。……会いたかったよ。

 

 僕は愛されるために生まれてきた存在だと確認できて、とても安心した。それと同時に、紫呉の情熱的な告白を受けて胸が高鳴ったのも事実で。

 僕にとって忘れられない思い出になったんだ。紫呉だって当然、忘れていないはず。

 

「……ねぇ、ちゃんと憶えてる……?」

「……何を?」

 

 唇に酷薄な笑みを刷いた紫呉は、質問に質問で返した。

 記憶力のいい紫呉が、自分の告白を忘れるなんてあり得ないのに。腹の底から煮え滾るような怒りが湧き上がったけど、ふと生じた疑問にヒヤリとする。

 ……紫呉は僕に愛を囁いた事を、どうでもいい事と判じて忘れてしまったのかもしれない。

 

「――もういい。出て行け」

「解りました。それじゃ、また会いに来ますからね」

 

 僕は機嫌を損ねた事を態度で示したのに、紫呉は謝る事も気遣う事もせず、引き潮のようにあっさり立ち去っていく。

 

「……っ!」

 

 畳の上に置かれた紙の花を掴んでゴミ箱に捨ててやろうとしたけど、できなかった。

 心の籠っていない紛い物でも、紫呉がくれたものに違いないから。

 

 よろけながら立ち上がった僕は、部屋の奥に置かれた厨子棚に近寄る。胸に巻いているサラシに挟んでいた鍵を取り出し、厨子棚の扉を守る錠前を開けた。

 両開きの扉の奥には父様が入った箱と、建視が修学旅行のお土産として贈ってきた小物入れが並んで収まっている。

 

 紫呉がくれた紙の花を父様が入った箱の横に置いてから、椿の蒔絵が施された小物入れを手に取って蓋を開けた。

 中に入っていた干からびて縮れた紅葉の落ち葉と、ビリビリに破いたメッセージカードの紙片を見て、苦い気持ちが込みあげる。

 

 由希(ゆき)にひどい事を言われても、これを捨てられない。由希は僕に贈り物をした事すら忘れている可能性が高いのに、これを手放せない。

 紛い物の花やゴミ同然の物を後生大事にして“絆”を再確認するしかない僕は、なんて惨めで愚かなんだろう。

 蓋を閉じた小物入れを元の場所に戻して、厨子棚に鍵をかけて打ちひしがれていたら、またしても世話役が襖越しに呼びかけてくる。

 

「慊人さん。建視さんが面会を求めていますが、如何なさいますか?」

 

 妙だな。建視が僕に会いに来る時は、必ず数日前に連絡を入れるのに。勝手に力を使って依鈴の現状を知って、僕に直談判しに来たのか?

 建視の相手をしてやる気分じゃないけど、僕が突っぱねたら建視は楝の処に行くかもしれない。仕方なく面会の許可を出してやった。

 

「ごめん、慊人。急に押しかけて」

 

 しばらくして僕の部屋にやってきた建視は、海原(かいばら)高校の制服を着ていた。本田透(ブス)を連想させる制服は着てくるなと言ったのに。

 僕に対する嫌がらせかと思ったけど、部屋の戸口に佇む建視は酷く気落ちした雰囲気を纏っていた。着替える事を失念するほど、切羽詰まっているらしい。

 

「いいよ、今日は特別に許してあげる。僕に大切な話があるから来たんだろう?」

 

 小声で「うん」と答えた建視は、うろうろと視線をさまよわせた。言いたい事があるけど、切り出すべきか否か迷っているようだ。

 

「どうしたの? 建視が何を言っても僕は怒らないから、遠慮なく話してごらん」

「あき……と」

「何?」

「慊人がせっかく、転校の許可を出してくれたけど……僕は……海原高校を辞めようと思う」

 

 ……冗談を言っている訳じゃなさそうだな。

 建視の赤い瞳は凄惨な残留思念を読んだ直後のように虚ろで、希望が根こそぎ刈り取られた絶望が浮かんでいる。

 

 それを見て、僕の胸に喜びが湧き上がった。

 

 建視は何か精神的な打撃を受けて、僕を頼ったのだろう。本田(ほんだ)(とおる)に慰めてもらうでもなく、はとりに泣きつくでもなく、この僕に全てを委ねる事を選んだのか。

 

 ふふ……こんなに良い気分になったのは、本当に久しぶりだ。

 

 でも、浮かれてばかりはいられない。物の怪憑きは何度も僕を裏切ってきたから、建視も裏切るかもしれない。

 心の傷が癒えて立ち直らないように毎日甚振って、傷ついた建視を徹底的に甘やかして僕に溺れさせて、僕から絶対に離れられないようにしてやろう。

 

 

 

▼△

 

 

 

 Side:紫呉

 

 

 比較的高級な飲食店が入ったテナントビルの一角で、僕は溜息を吐いた。

 さそり座の今日の運勢は12星座の中で最下位かもしれない。だって飲み会の待ち合わせ先で、自分の両親と鉢合わせするなんて不運、なかなか無いでしょ。

 

「じゃ、連れも来たんで」

「待ちなさい、紫呉……っ。慊人さんに御挨拶を……」

 

 血縁上は僕の母親にあたる女が呼び止めてきた。慊人の側には目障りな奴らがいるだろうから、挨拶なんかしたくない。

 

「イヤですよ、長くなりそうですし。行こう、みっちゃん」

 

 僕の担当編集者のみっちゃんを伴ってその場から離れたら、みっちゃんが躊躇いがちに「あのぅ」と声をかけてきた。

 

「先生のお知り合いなんでしたら、あの方達と飲みに……行かれたら……」

「冗談でしょ。自分の親と飲んで何が楽しいの?」

「え゛えぇええおぉ親おおや」

 

 驚愕で目を真ん丸にしたみっちゃんは、僕の両親がいる方向と僕を交互に見遣った。いつもながらナイスリアクションだね。

 

「うん、ゴメン。いるんだ、残念ながら。これでも」

「もっ、もう1度しっかりこの目で見てみたいですっ。親の顔を見てみたいですっっ」

 

 さらりと失礼な事を言うみっちゃんに、「やめときなよ」と忠告しておく。今夜は本家の選ばれた方々による会食が行われるらしいから、部外者は追っ払われちゃうよ。

 

「ほんけ……かいしょく……。なんか草摩って凄いお家なんですね……やっぱり……」

 

 気圧されたように呟くみっちゃんの脳裏には、お友達からのお付き合いを始めた利津(りつ)の姿が浮かんでいるだろう。根っからの庶民のみっちゃんが尻込みするといけないから、発破をかけてあげないと。

 

「そうだね。りっちゃんとは身分違いも甚だしいね」

「…………!!!」

 

 みっちゃんは、野生のお猿さんみたいに歯を剥き出して威嚇してきた。よしよし、その意気だよ。

 

「ああ、ホラ。御当主様の御成りだ」

 

 ネイビースーツを着てコバルトグリーンのネクタイをきっちり締めた慊人が、本家の選ばれた連中の処へと歩いて行く。

 慊人の後ろに付き従う男は普段なら1人だけど、今夜は2人いる。嫌と言うほど見慣れた1人は、ブラウンスーツを着た紅野。新顔のもう1人は、ダークスーツを着た建視だ。

 

「……あれ? 御当主様の後ろにいる赤い髪の男の子って、建視君ですよね?」

「そうだよ。りっちゃんから聞いたの?」

「あ、はい……建視君は学生なのに、選ばれた方々と一緒に会食するなんて凄いなぁ」

 

 感心したような声を出すみっちゃんは、建視の近況を知らないらしい。利津の処まで情報がまだ回っていないのかな?

 

「建視は高校を辞めるって言い出したらしいから、学生じゃなくなるかもよ」

「えぇっ!? ……何かあったんですか?」

「さぁねぇ。建視は大好きなお兄さんにも、学校を辞めようと思った本当の理由を話そうとしないんだって」

 

 ドライでしたたかな建視が学校を辞めたいと思い詰めるなんて、何があったんだろね。(さき)ちゃんに振られて、再起不能になるほどの心の傷を負ったのかな?

 でも、建視は咲ちゃんと両想いになるのを諦めている節があったから、振られた程度じゃそこまで落ち込まないと思うけど。

 

 まぁ、建視が乱れた原因はどうでもいい。

 僕にとって肝要なのは、建視がはとりではなく慊人の処に逃げ込んだコト。

 建視は僕が慊人にどんな想いを寄せているか薄々知っているはずだから、今回の行動は完全に僕と敵対したと受け取るよ。

 透君が建視を案じて何か行動を起こすかもしれないから、しばらく様子見をするけど。

 

「さーてと! どこに飲みに行こっかなー」

「えっ、ちょ、先生!? もォ~っ、変なトコはやめてくださいよ~!?」

 

 みっちゃんを連れて立ち去ろうとした時、背後から視線を感じた。振り向くと、物言いたげな顔をした慊人が僕をじっと見ている。

 そんな顔で見つめてくるなら、早く僕の処に来ればいいのに。僕は苛立ちを込めた薄笑いを物わかりの悪い慊人に投げかけて、その場から離れた。

 

 

 

 みっちゃんとの飲み会を終えた後、そのまま家に帰る気にならなかったから、草摩の本家に寄った。会食はまだ終わっていないようなので、慊人の部屋で帰りを待つ。

 

 暇だな。時間を潰すための文庫本を持ってこなかったから、思索にでもふけりますか。

 最近気になる事といったら、体調を崩して遠い病院で療養中って事になっているリンの行方かな。

 以前、紅野に関する情報を提供してくれた慊人の世話役は辞めちゃったから、リンが今どこにいるか自分で推測するしかない。

 

 呪いを解こうとしている事がバレて、慊人の怒りを買って密かに追放されたか。あるいは猫憑きの離れに閉じ込められたか。盃の付喪神憑きの蔵って線もあるか。

 うーん、追放は無いな。本当にそんな事をすれば、事態を知ったはーくんが草摩から出ていっちゃうのは明白だ。

 閉じ込められているのだとしたら、(きょう)の行く末を考えるとあの土蔵の中にいる可能性が高い。

 

 僕の予想が当たっていたら、遠くないうちに潑春(はーくん)もしくは透君がリンを助けるために行動を起こすだろうね。その時の騒ぎが目に浮かぶよ。

 慊人が不変だと信じている神様と十二支の絆を思いっきり掻き乱して、ぶち壊してくれるといいなぁ。

 

 廊下の方から人の話し声が聞こえる。どうやら慊人が帰ってきたらしい。

 出迎えに行くと紅野や建視と鉢合わせしそうだから、ここで待っていよう。不本意だけど、待つのは慣れている。

 

 窓の障子を開けて夜空に浮かぶ青白い三日月を眺めていたら、1人分の足音が近づいてきた。

 部屋の入口に辿り着いた慊人は、声をかけずに僕を見つめてくる。僕が何かするのをじっと待つトコロは、昔と変わらない。変わらなさすぎて苛立たしいほどだ。

 

「……お帰りなさい」

 

 僕が振り返って出迎えの挨拶をしたら、慊人は驚いたような表情を浮かべた。

 なんで驚くかねぇ。慊人がこんな近くにいるのに、気付かない訳ないだろ。という本音は飲みこんで、軽い先制ジャブ代わりの話題を振る。

 

「皆さんとのお食事は楽しかったですか? 建視が側近になったお披露目も兼ねていたんでしょう? 建視は元気にやっていますか?」

「建視は少し前まで落ち込んでいたけど、()()()()()()()()ら元気になったよ」

 

 慊人は僕の嫉妬心を煽ろうとしているのか、慰めてあげたという部分を強調して言った。可愛さ余って憎さ百倍って言葉は、慊人のためにあるんじゃないかな。

 

「それは、それは……優しくしてあげたんですね」

「建視が羨ましいか?」

「いえ、別に? 草摩家の当主に追放された僕は、本来であれば慊人さんと会う事すら許されません。それなのにこうして慊人さんが会ってくださるだけで、充分優しくしてもらっていると思っていますよ」

 

 僕が羨ましがる素振りを全く見せなかった事がご不満なのか、慊人は不機嫌丸出しで睨んできた。

 

「……何の用でわざわざ寄った」

「店で声をかけそびれた事をお詫びに」

「一緒にいた女……誰」

 

 僕に近寄ってきた慊人は、窓の障子を閉めながら問い詰めてきた。本家に寄って正解だったね。悋気を起こした慊人を見られるなんて。

 

「仕事の相手ですよ」

「もう寝た?」

 

 冷笑を浮かべた慊人が投げつけてきた問いに衝撃を受けて、僕は思わず絶句してしまう。みっちゃんはイジりがいのある子だけど、恋愛対象外だよ。

 

「…………いや~、それはキツイ……」

「へぇ、そうなんだ。女なら誰とでも寝るかと思った」

 

 スーツの上着を脱いだ慊人は、着替えるために隣室に行く。僕は遠ざかる慊人の背中に向かって、「無茶苦茶言いますねぇ、慊人さんは」と話しかけた。

 

「でも、()()()とは寝たじゃないか」

()()()って、どの女です」

 

 心当たりが多くて自分じゃ解らない。慊人が僕の女関係を、どれだけ把握しているのか知りたくて聞いてみた。

 

「楝だよ!! あんな女と……っ、あんな女とよくも……!!」

 

 隣室から出てきた慊人が、目尻を険しく吊り上げて怒鳴った。

 楝さんとの浮気の叱責は、これで何十回目になるのかな。僕は呆れを隠さずに、「古い話を……」と呟く。

 

「貴女からの罰も受けたハズですけど。『本家から出ていけ』って。だから僕は今、あの家に住んでいるんでしょうに」

「よく言う……っ。なんの抵抗も無しで、あっさり出ていったくせに……っ。はなから出ていきたかったんだろ!! 離れたかったんだろ、ここから……っ。僕から………っ!!」

 

 僕に出ていってほしくなかったら、引きとめる素振りくらい見せてくれたら良かったのに。そういう駆け引きの経験が乏しい慊人は、そんな芸当はできなかったと解っているけど。

 

「だからあんな……あんな女と!! 紫呉……紫呉はあの女のほうが、あの女のことが」

 

 好きなんだろとか慊人が口走るのを遮って、僕は「“誰よりも”」と告げる。

 

「“君を想う、それこそが揺るぎない事実”……」

 

 僕が誰よりも好きなのは慊人だ。それだけは誤解してほしくない。

 

「……忘れて……たんじゃ」

()()()なんて言っていません。……それで、ずっとカリカリしていたんですか?」

「どうして……どうして、そんな試すような事するの!!」

 

 拳を握り締めた慊人は、なじるように言葉をぶつけてきた。

 

「試しているんじゃないですよ。……わからない? 僕があの女と寝たのだって、君が紅野と寝たからなんだよ」

 

 自分の声が自然と低くなる。

 

「……なに……それ……っ」

 

 思いもしなかった事を言われたみたいな顔をした慊人を見た瞬間、僕の腹の底に溜まっているどす黒い怒りが鎌首をもたげるのを感じた。

 

「なんだよ、それっ。僕のせいかよ! 僕は悪くない!! 僕のせいにするな!!」

 

 焦燥を浮かべて言い返した慊人は、追い詰められたように頭を抱える。

 

「僕は特別なんだ……っ。僕の十二支(もの)をどう扱おうが、僕の勝手だ!! 僕の自由だ!!」

 

 我儘な子供みたいな事を言い散らす慊人は、本当に可愛い。可愛くて可愛くて、グチャグチャに踏み潰してやりたくなる。

 

「……わからないのなら、この話はもうやめましょう。今までのように、同じ問答を繰り返すだけです」

 

 不毛な言い争いをするのは疲れるだけだ。話を切り上げて帰ろうとしたら、慊人が僕に駆け寄ってきた。

 僕が何ですかと言う前に、彼女の柔らかい唇で言葉を塞がれる。

 

「――君は“女”を否定するクセに、そうやってすぐ“女”を利用するんだね……」

 

 泣きそうな顔になって哀れみを誘う狡い慊人の首元から、コバルトグリーンのネクタイを抜き取った。

 

 ……ねぇ、慊人。僕はここに居るよ。ずっと居るよ。君が気づいていないだけで。

 僕はあの日のまま、ずっと待ってる。

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