Side:
お昼休みです! 今日は天気がいいので、外に出て中庭でお弁当を食べる事にしました。
「昨日降った雪は、一晩で全部溶けてしまいましたね……っ」
「雪が積もったら、雪合戦とかできるんだけどな」
「かまくらを作って、その中で温かいお汁粉を食べたいわ……」
うおちゃんやはなちゃんとお話ししながらご飯を食べる時間は楽しいですが、気掛かりな事があるので心から楽しむ事ができません。
呪いを解こうとしていらっしゃる
依鈴さんのクラスメイトの方々から聞いたお話では、依鈴さんは療養のために遠い病院に再入院なさったとか……。
御迷惑でなければお見舞いに伺おうと思い、依鈴さんの入院先を
依鈴さんと潑春さんは、お付き合いなさっていたようですが別れてしまわれたので、第三者である私が不用意に訊いてはいけない気がしたのです。
「……る、
うおちゃんに声をかけられて、私はハッと我に返りました。
「え……と、すみませんっ。何やらボウッとしていました」
「透も
気遣わしげなうおちゃんの視線の先には、はなちゃんの膝の上に置かれた二段重ねの重箱があります。
はなちゃんは食欲不振に陥ってしまわれたらしく、ここ数日食事のスピードが落ちてしまわれました。ご飯が大好きなはなちゃんの食が進まないなんて……私のお母さんが他界した時以来です。
はなちゃんは最新刊の『夏色の吐息』で、主人公のミチルさんが密かに想いを寄せていたコグレさんに恋人ができて、そのショックで食事が喉を通らないと仰っていましたが。他の悩みを抱えているのかもしれません。
「リンゴ頭の事が気になっているのか?」
「あ、はい……建視さんが休学なさると聞いて、未だに驚きが冷めやらなくて……」
建視さんと親しい
建視さんに好意を寄せていらっしゃる女の子達は、見るからに沈んでいます。建視さんにお会いできなくなって、ショックが大きいのでしょう。
私も言いようのない寂しさに駆られていますが、紅葉君からお話を聞いて心配の方が大きくなりました。
――ケンはアキトの側近になったんだ。高校を卒業したら側近になるはずだったのに、前倒しするなんて……なにかあったのかも。ケンから事情を聞こうとしたけど、ケンは話してくれなくて……。
建視さんは本当の弱音を口に出さない方ですから、辛い事を抱え込んでいらっしゃるのかもしれません。建視さんに電話をかけてみようとは思っているのですが、迂闊に聞けなくて二の足を踏んでいる状況です。
……私が想像していた以上に、草摩家の闇は深くて。そこに身を投じた建視さんは、何を考えていらっしゃるのか。何を思い詰めていらっしゃるのか。
建視さんの葛藤や苦しみや痛みや哀しみに、触れる事さえできない私の言葉では励ませやしないかも。それでも……。
「…………建視さんが学校に来なくなったのは、恐らく私が原因よ……」
迷いながら口を開いたはなちゃんの告白には、後悔が色濃く滲み出ています。
……はなちゃんと建視さんの間に、何かあったのでしょうか?
「リンゴ頭を振ったのか?」
「いいえ……そういう話じゃないわ……私が建視さんの事情を考慮せずに頼み事をしたせいで、彼の心を酷く掻き乱してしまったみたいなの……」
「いったい、どういう頼み事をしたんだ?」
うおちゃんの問いかけにはなちゃんはすぐに答えず、私をじっと見つめてきます。
「私に関係ある事……なのでしょうか?」
「ええ、そうよ……私は建視さんに、『透君が危険に飛び込もうとしたら、助けてあげてちょうだい』とお願いしたの……」
……頭の中が真っ白になりました。
はなちゃんは、どこまでご存知なのでしょうか? いえ、それより重要な事があります。
私を助けてほしいとはなちゃんがお願いなさった事で、建視さんは心を酷く掻き乱されてしまったようです。それが突然の休学の原因なのだとしたら。
建視さんには私を助けられない事情がおありで、それゆえに葛藤なさって、卒業後の予定を前倒しして慊人さんの側近になった……という事なのでしょうか。
……建視さんの休学に私が関わっているとは、思いもしませんでした。私は危険に飛び込みませんと伝えれば、建視さんは再び学校に来てくださるのでしょうか。
ですが……本当に申し訳ない事ですが、危険に飛び込まないと誓う事はできません。
前へ歩もうとしていらっしゃるはずの十二支の皆さんの想いを、呪いが縛りつけてしまうのならば。総てから解放された皆さんが心から泣き、心から笑える日がくるのならば。
私は危険を冒してでも、呪いを解こうと決めたのです。
――
別荘で
私が危険に飛び込もうとしていると聞いた建視さんは、私が呪いを解こうとしている事に気付いたのかもしれません。
慊人さんに近しい建視さんは、私を助けるとは言えなくて追い詰められてしまったのだとしたら……。
「わ、わた……私が出しゃばったせいで、建視さんの“倖せ”が壊されてしまったのでは……っ」
「透君のせいではないわ……さっきも言った通り、建視さんが学校に来なくなった原因は私よ……」
はなちゃんはそう仰いますが、建視さんを追い込んだ原因は私ではないかという気がしてなりません。私は、間違った決断を下してしまったのでしょうか……?
「事情はよくわかんねぇけど、学校より仕事を優先させる事を選んだのはリンゴ頭だろ。透や花島が、責任を感じるような事じゃねぇよ」
うおちゃんは話題を変えるように、「つーか」と言葉を続けます。
「透は危ない橋を渡ろうとしてンのか?」
私は返答に窮してしまいます。
十二支の呪いを話す訳には参りません。紫呉さんに言われた秘密厳守を、破ってしまう事になってしまいます。
それに
「あ……の、それが……絶対に話しませんと誓いを立てましたので、詳しい事情は……話せないのです。申し訳ありません……っ」
「てことは、草摩家絡みの問題に関わろうとしてンのか」
ど、どうしましょう……うおちゃんが勘付いてしまわれました。
違いますと言ったら、嘘になってしまいます。だからと言って「はい、そうです」と答えたら、事情を話さなくてはいけなくなる訳でありまして……。
私がぐるぐる考え込んでいましたらば、はなちゃんが安心させるような笑みを私に向けてきます。
「私もありさも、透君や草摩由希達から無理やり訊き出すことはしないわ……でも、これだけは憶えておいて……私達はどんな時でも何があっても、透君の味方よ……」
「花島の言う通りだ。いざって時ゃ、ぜってーあたしらが透の力になる。
はなちゃんとうおちゃんは、いつも私の側にいて支えになって下さるのです。私にはもったいないほど素晴らしいお友達だと再認識して、涙で視界が霞みます。
「ありがとう……ございます……っ。お2人とも、大好きです……っ」
お2人に励ましていただいたおかげで、後ろ向きになっていた気持ちが前向きになりました。
……本来は尊いものである“絆”を解こうとする事は、正しくない事かもしれません。
“守る”とか“解放する”とか、口で言うのは簡単です。赤の他人である私が
それでも、諦めません。私にできるのはちっぽけな事だけですが、何か……何かできる事があるはずだと思いたいです。
▼△
Side:はとり
「おはよう、建視」
「おはよう、兄さん」
食堂に向かう途中で、建視と鉢合わせた。
最近の建視は慊人の側近として公の場に出る機会が増え、スーツを着る事が多くなったが。今日は紺色のセーターに黒のジーンズを合わせた、私服姿だ。
「仕事は休みか?」
「紅野兄から仕事を教えてもらわなきゃいけないから、慊人の屋敷に行くよ」
建視は慊人の側近になると言い出した日から、慊人の屋敷に毎日のように通っている。仕事を覚える必要はあるのだろうが、紅葉達が建視の様子を見に来るから建視は家にいたくないのかもしれない。
俺の探るような視線を感じたのか、建視はそれ以上なにも言わず食堂に入った。建視が俺に心を閉ざしたのは初めてなので、どう接すればいいのか迷っている。
これが保護者から独立したいという願望が芽生える第2反抗期なら、まだ対処のしようはあったかもしれないが。建視は何か悩みを抱えていて、それを追及されたくないから俺を避けているようなのだ。
自分から転校を願った海原高校を辞めると言い出すなんて、学校で何かあったのだろうか。
弟が学校に行きたくなくなった原因は解らないが、勢いに任せて中退してしまったら後悔するかもしれない。そう考えた俺は、建視を説得して休学という事にした。
建視は学校を辞めたいという考えを慊人に真っ先に打ち明けたので、慊人も説得する必要が生じたが、それは別にいい。
俺に相談もせず、建視が高校を中退しようとした事が問題だ。
――建視君の悩みを無理やり聞き出そうとするのは、逆効果だよ。建視君が事情を打ち明けてくれるようになるまで、辛抱強く待つしかないね。
繭のアドバイスを思い返してから、俺も食堂に入った。
建視と向かい合ってテーブルに着いて、塩鮭をメインに据えた朝食をとる。何気ない会話に追及が挟まれる事を恐れているのか、建視の口数が減ったので気まずいほど静かだ。
早朝に電話で知らされた吉報を伝えれば、建視は以前のように会話してくれるようになるだろうか。そんな願いを込めて告げる。
「
「……
盃の付喪神憑きという例外がいるため、他の付喪神憑きが生まれるのではないかという懸念は消えない。異端の物の怪憑きとして一族の者に忌避される建視は、燈路の妹が自分と同じ苦しみを味わう事を恐れているのだろう。
「燈路の妹は物の怪憑きではない」
「それなら良かった」
建視は安心したように顔を緩めて呟いた。それを見て、建視は完全に心を閉ざした訳ではないと確信を得る。
「五月さんは5日後に退院して家に戻るそうだ。都合が良い時に、燈路の妹に会いに行くといい」
「都合がつくならね」
言葉短かに答えた建視は、感情を押し隠した無表情になった。この様子だと、自分から進んで会いに行くつもりはなさそうだな。
紅葉達も燈路の妹に会いに行こうと建視に誘いをかけるだろうが、それも断ってしまうかもしれない。
俺の物言いたげな視線を避けるように、建視は食事に集中している。今回も建視の心を開かせる事ができなかったか。俺は心の中で溜息を吐いた。
3月3日の午後、紫呉が俺の家にやってきた。診察室を兼ねる客間に入った紫呉は、高座椅子に腰掛けるなり不満をぶちまける。
「建視が邪魔で仕方ないんだけど」
どうやら紫呉は、建視を恋敵認定してしまったらしい。建視は慊人に恋情を抱いてなどいないのだが、嫉妬深い紫呉にそれを言っても無駄だ。
本気になった紫呉が、建視にどのような攻撃を仕掛けるのか予想もつかない。なるべく紫呉を刺激しないように、言葉を選ぶ必要がある。
「……建視は紫呉と慊人が2人で会うのを、邪魔した訳ではないだろう」
「慊人が二言目には『建視が』って言うから、邪魔したも同然だよ」
恐らく慊人は自分の元から去った紫呉に当てつけるため、自ら進んで慊人の側近になった建視の名前を頻繁に出しているのだと思われる。
俺の弟を出しにして痴話喧嘩をしないでほしいが、ただでさえ複雑な三角関係に首を突っ込んだのは建視だ。頭が痛い。
「紫呉が意地の張り合いを止めて慊人に優しくしてやれば、建視の名前を出さなくなるんじゃないか?」
「えー……僕の“優しさ”なんて所詮、急ごしらえの後づけ品だし。君のような“本物”には敵わないんだよなぁ……」
顎に手を当てて考え込んだ紫呉は、珍しく己を顧みているように見えた。
「……何故だろう。僕はそれを“悲しい”とは思わないけれど。何故だろう。例えば
強がりではなく本音でそう言ってしまえる紫呉は、人間として大きな欠陥を抱えている。他者の心の痛みどころか、己の心の痛みさえも実感できない。
その欠陥のせいで紫呉は慊人に愛されている確信が得られなくて、わざと嫌味を言ったり嫉妬心を煽るような事をしたりして、相手が受け入れてくれるかどうか確かめる試し行為を繰り返すのかもしれない。
世話役が過保護に育てたせいで精神的に未熟な慊人は、紫呉の歪んだ想いに気付けず、2人の関係は拗れに拗れたのか。
第三者である俺が今更なにを言ったところで事態が好転するとは思えないが、放ってもおけないので忠告しておく。
「急ごしらえの後づけ品でもいいから、もう少し優しくしてやったらどうだ。俺から見てもおまえは時々、慊人を心底嫌っているみたいだ」
「……慊人が求めているのは、君のように寛大で、紅野クンのように無心な“優しさ”だ。僕はそんなものは与えられない。僕は
自嘲めいた笑いを浮かべる紫呉はそう言うが、慊人が幼い頃は紫呉が父親代わりになってやっていた。
あの紫呉が単なる同情心や親切心で、父親役を引き受ける訳もなく。幼い慊人に男女の機微を少しずつ教えて恋心を育み、いずれ自分を男として見てくれるように仕向けていた。
紫呉は「僕って光源氏みたいだよね」と恥ずかしげもなく言っていたが、その段階では問題視するほど大きな歪みではなかったと思う。
けれど、慊人が紅野を側に置くようになって歯車が狂った。
紫呉が請け負っていた父親役は紅野に移行し、慊人は益々紅野を寵愛するようになり、その頃から紫呉は激しい嫉妬と憎悪を抱くようになった。
浮気した慊人が悪いと紫呉は言うが、神様にも
――だけど、はとり。
今年の正月明けに紫呉から言われた言葉が脳裏を過った。
紅野の呪いは解けているのではないかと思った事はあるが、確証はないから考えないようにしていた。
――怖いから? 哀しいから? “絆”を疎む気持ちがありながら、愛着心も拭えないから? 狡いね。
両親に愛されなかった建視は、家族の絆を信じていない。建視が俺の言う事を素直に聞いていたのは、俺が同じ物の怪憑きであった事が大きいだろう。
俺と紫呉の間に下りた沈黙を破るように、家政婦が襖を開けて声をかけてきた。
「先生。
「ここへ通してくれ」
「楽羅が来るなんて珍しいね。建視に会いに来たのかな?」
俺は「さてな」と答えながら、煙草を取り出して火を点けた。程無くして、私服姿の楽羅が客間に姿を現わす。
「はーちゃん、お邪魔してまーす。しーちゃんも来てたんだ」
「おっひさ〜。ところで楽羅、なに持っているの?」
「依鈴の卒業証書だよ」
紫呉の隣の高座椅子に座った楽羅は、手に持った丸筒と卒業アルバムをテーブルの上に置く。
入院中の依鈴は卒業式に出られなかったため、依鈴が通っていた高校に行って楽羅が代わりに受け取ってきたらしい。
「優しいねえ、楽羅は」
「しーちゃんに褒められてもなぁ~」
呆れ混じりに言った楽羅は、表情を引き締めてから「ねぇ……?」と疑問を投げかける。
「依鈴って本当に入院してるの?」
「……そう聞いている」
俺は知っている事を正直に答えたが、腑に落ちない点はあった。依鈴が入院している病院の名前と場所は、草摩家の主治医である俺にも知らされていない。
「でも、誰に聞いても入院先がどこなのか知らないって言うし、連絡も」
「楽羅。詮索はしない方がいいって、お母さんに言われなかった?」
紫呉が言い聞かせるように問いかけると、楽羅の表情が翳る。
「……言われた、けど……なんだか
考え過ぎだ、とは言えなかった。
もしかすると依鈴は慊人の怒りを買って、療養と偽って遠方の病院に押し込まれたのかもしれない。
紫呉なら何か知っているのではないかと思い、対面に座る
「慊人の側近になった建視なら、リンの入院先を知っているかもよ?」
「……しーちゃんって、人を試すような言い方をするよね。そういうのって嫌われるよ」
「あっはは。はーくんにも同じような事言われたよ」
「1回り近く年下の従弟に窘められる恥を知れ……」
それ以降は依鈴の話題は出なかったが、不安と疑念は心の奥底で燻り続けた。