Side:
私の不注意のせいで、はとりさんが変身してしまいました……。
いつまでも落ち込んでいたら、
「
「あ、はいっ」
「兄さんは変身した姿を気にしているから、笑わないであげてね」
「えっ、私はおかしいなんて思いませんよ。驚きましたがとても可愛いですし、辰年の方が竜の落とし子に変身なさるのは意外性がありますっ」
あ、あれ!?
建視さんが苦笑いを浮かべていらっしゃいます。私は何か、まずい事を言ってしまったのでしょうか……?
「本田さん、大の男に可愛いは禁句だよ」
あ゛あ゛!
私はどうして学習しないのでしょう。男が可愛いと言われても嬉しくないと、草摩君もおっしゃっていましたのに……。
「もっ、申し訳ありません……!」
「そんな謝るほどの事じゃないよ」
私の軽率な発言を笑って許して下さるなんて、建視さんは寛大で優しい
「ちなみに、僕に憑いているのは……」
「あっ、待って下さい。せっかく出会えた十二支のお1人ですので、建視さんが何年の方なのか、じっくりゆっくりワクワク考えてみたいですっ」
「和むわー……
小声で呟いた建視さんは、どこか遠くを見ていらっしゃいます。柘榴の実のような赤い瞳が、心なしか虚ろになっていらっしゃるような……。
はとりさんはあまり表情を変えない方ですが、建視さんは表情豊かで親しみやすい方です。
私のお母さんが“赤い蝶”と呼ばれていたので、赤髪赤目を持っていらっしゃる建視さんには、勝手ながら親近感を抱いてしまいます。
「僕に憑いている物の怪を推理するのは難しいと思うから、ヒントをあげる。ヒントその1、僕は十二支の一員じゃない」
「え……っ!? 猫さんの他に、宴会に行けなかった動物さんがいらっしゃったのですか?」
「動物の物の怪憑きは全員で13名だから、宴会に行けなかったのは猫だけだと思うよ。という訳でヒントその2、僕に憑いているのは動物じゃない」
動物ではない……?
そういえば私が草摩君たちの秘密を知った時、
――そして草摩には、あと11人憑かれている者がいる。牛・虎・兎・竜・蛇・馬・羊・猿、鳥に猪……一般的に知られている十二支の昔話に出てこない奴が1人いるけど、大体は十二支と同じさ。
十二支の昔話に出てこない方は、建視さんだったのですね。謎が解けてスッキリした時、建視さんが躊躇いがちに話しかけてきます。
「……あのさ。本田さんに聞きたい事があるんだけど」
「はいっ、何でしょう?」
「人間が生物じゃないものに変身するって聞いたら、引く?」
「生物じゃないもの……もしかして、それが3つめのヒントですかっ?」
「そうだよ」
緊張した面持ちで私の反応を窺っていらっしゃった建視さんは、安堵したように表情を緩めました。ひょっとしたら建視さんも、変身した姿を気にしていらっしゃるのかもしれません。
「付喪神って知ってる?」
「えと、知らないです。初めて聞きました」
「長い年月を経て使われた道具には魂が宿って付喪神になって、ひとりでに動き出すって言い伝えられているんだよ。例を挙げるなら、唐笠お化けや提灯お化けみたいなものかな」
お、お化けと言われますと、恐怖を感じてしまいますが……勝手な思い込みはいけません! 建視さんは、怖いお話をしている訳ではないのですから。
ダイジョウブデス。ドントコイデスヨ!
「僕に憑いているのは、付喪神なんだ。草摩家に伝わる十二支の昔話によれば、神様が宴会芸のノリでさか……ある食器に命を吹き込んだと言われている」
お箸の付喪神さんでしょうか。それともお皿の付喪神さんでしょうか。宴会では沢山の食器が使われていたと思いますので、特定するのは難しそうです。
「食器に命を吹き込むなんて、神様はすごいですね……っ。きっと神様は楽しい宴会の思い出として、大切な食器さんをずっと側に置いておきたいと思ったのでしょうね」
私が想像した事を口に出しますと、建視さんは首を左右に振って「いや、それはないよ」と否定なさいます。
「草摩に伝わる十二支の昔話では、神様と12匹の獣は宴会が終わるとそれぞれの住まいに帰った。でも、付喪神は宴会の会場に取り残されたんだ。ただ単に放置された訳じゃなくて、1日遅れで宴会の会場にやってきた猫に、『宴会は終わったよ』って告げる役目を担っていたけど」
建視さんは話しながら、自嘲めいた笑みを浮かべていらっしゃいます。
宴会の会場に取り残された付喪神さんは誰にも必要とされていない存在で、それは建視さん自身も同様だと物語っていらっしゃるようで……。
「……置いていかれるのは……とても寂しくて……とても怖くて……とても悲しいです……」
私のお父さんが亡くなった後、お母さんが家を出て長い時間帰ってこなかった時がありました。
お母さんはお父さんに呼ばれて行ってしまうと思ったら、当時の私は足元から世界が崩れていくような恐怖を覚えて――。
今でも思い出すだけで、胸がぎゅうっと締めつけられて目の前が真っ暗になります。
私の頬にそっと触れるものを感じて、暗い処に沈んでいた意識が浮上しました。
「本田さん、大丈夫……?」
建視さんが私の頬に手を当てて、私の顔を覗き込んでいらっしゃ……ひええぇ! おおお、お顔がっ! ち、近いです!
「だ、だっ、大丈夫ですっっ」
「そう……? 無理してない?」
「無理などしていませんです!」
建視さんの涼やかに整ったお顔を間近で拝見して、私の心臓は普段より活発に動いていますけど。草摩君もそうですが、建視さんも綺麗すぎて動揺します……。
「本田さん、ありがとう。付喪神を思いやってくれて」
「あ、えっと、それは……」
思いやったと言うより、私の過去と付喪神さんを勝手に重ねてしまったのです。
「昔話の付喪神と僕は別物だと解っているけど、気にかけてくれる人がいると救われる思いがするよ」
救われるとおっしゃいましたが、建視さんの笑顔には憂いがあるように見えます。
草摩の方達は物の怪憑きであるが故の悩みも抱えていらっしゃるので、その苦しみや悲しみは深く、私の理解が及ばないほどです。
ですが、解らないからと言って関わるのを止める事はしたくありません。
昔を思い出して沈んだ私を気にかけて下さった建視さんの優しさに、いつか応えたいです。
▼△
Side:建視
公園を見つけたので、そこで落ち着く事にした。元日で雪がちらつく寒さだから、公園に訪れている人は僕達しかいない。好都合だ。
すのこ状の屋根がついた簡易休憩所に向かい、竜の落とし子形態の兄さんを木製のベンチに置いて目覚めを待つ。
程無くして、小規模な爆発音と煙が上がって兄さんが人間の姿に戻った。
「……寒い」
意識を取り戻した兄さんは開口一番、そう呟いた。トレンチコートをかぶせて露出を防いでいるけど、今の兄さんは素っ裸だから寒くて当然だ。
「見たのか?」
「いえ、私は見ていません!」
「兄さん、主語が足りないよ」
顔を真っ赤にして全力で否定する本田さんは、兄さんの裸を見たのかという意味に受け取ったと思う。
「俺の十二支……」
「あ……はい……」
深々と溜息を吐いた兄さんは、片手で顔を覆ってしまった。
これは立ち直るまで少し時間がかかりそうだ。しばらく1人にしてあげよう。僕は本田さんを誘って飲み物を買いに行く。
「本田さんは何が飲みたい?」
僕は問いかけながら、財布から出した500円玉を自動販売機の硬貨投入口に入れた。
本田さんが飲みたいと言ったホットミルクティーのボタンを押した時、数名の女性の話し声が近づいてくる。
えっ? この声って、もしかして
公園にやってきた3人の女性は、兄さんがいる休憩所に向かおうとしている。あの中に佳菜さんが本当にいて、兄さんと顔を合わせたらまずくないか?
兄さんから聞いた話だと、隠蔽術は催眠術のようなものらしい。特定の記憶を脳内から完全に消去する訳じゃないから、隠蔽術は重ねがけをしないと何かの拍子で思い出す事があると聞いたぞ。
重ねがけを施されていない佳菜さんが兄さんと対面すると、心を病んでいた頃の辛い記憶が蘇ってしまうかもしれない。内心で大いに焦る僕を、本田さんが気遣わしげに見上げてくる。
「建視さん、どうかなさいましたか?」
「いや、その……女性の声が聞こえたから、着替え途中の兄さんと鉢合わせたらまずいよなって……」
「それは……っ! 大丈夫です、建視さん。はとりさんは、着替え終わっていますっ」
3人の女性達はお喋りに夢中になっていたから、休憩所にいる兄さんに気付かなかったようだ。
よかった、と答えてから僕はホットミルクティーの缶を本田さんに差し出す。
本田さんは代金を払おうとしたので、「兄さんをここまで運んでくれたお礼だから、お金はいらないよ」と告げた。
「お礼だなんて……はとりさんは、私のせいで変身なさってしまったのに……あのっ、建視さん、どうもありがとうございます……っ!」
ホットミルクティーの缶を受け取った本田さんは、ぺこりと頭を下げた。
缶飲料を奢った程度で丁重に感謝されると、何やら居た堪れなくなるのだが。兄さんを運んでくれたお礼だけでなく、お詫びも兼ねているから尚更。
僕が深く考えずに取り残された付喪神の話をしたせいで、本田さんのトラウマを刺激してしまったようだから。
本田さんは両親を亡くしているらしいから、置いていかれる事を恐れているのだろう。でなければ、あんな感情が抜け落ちた虚ろな表情は見せない。
僕は自分が飲む温かい甘酒と、兄さんの分の温かい緑茶を買って、本田さんと一緒に休憩所へと引き返した。
ベンチに座った兄さんは微かな笑みを浮かべて、遠ざかる女性達の背を見送っている。
「……おめでとう」
「何が、おめでとうなのですか?」
本田さんが質問すると、兄さんは笑みを消して「何でもない」と答えた。
これは……何かあったな。僕は確信を抱きながら、無言で緑茶の缶を差し出す。
緑茶の缶を受け取った兄さんは僕を見つめてから、本田さんに視線を移して口を開く。
「……本田君は、雪が溶けたら何になると思う?」
以前、佳菜さんが同様の質問をした。それを今、投げかけてきたという事は。兄さんはやっぱり佳菜さんとすれ違ったようだ。
佳菜さんが兄さんに気付かなかった事は、安堵するべきか悲しむべきか。それはそうと、さっき兄さんが呟いた「おめでとう」が気になる。
仕事で成果を出したとか栄転したとか、祝いの言葉を告げる状況は多々あるけど。佳菜さんは結婚するんじゃないか、という予感がある。
「えっと、そうですね……あっ、春になりますね……! 今はどんなに寒くても、春はまたやってくる。かならず。不思議ですね……」
花の蕾がほころぶように笑った本田さんを見つめながら、本当に不思議だと感慨を覚えた。
佳菜さんと過ごした日々の記憶は心の奥でずっと凍ったままだと思っていたのに、いつの間にか自然と表に出てくるようになった。
戻らない過去を思い起こす事で悲しみや痛みは伴うけど、佳菜さんの優しさに救われたから今の自分があるのだと改めて思う。
ホットドリンクを飲みながら雑談を交わした後、公園の出入口で本田さんと別れた。僕が無難な話題を振ろうとした矢先に、兄さんが口火を切る。
「さっき、佳菜とすれ違った」
「……佳菜さんの声が聞こえたから、そうじゃないかと思っていたよ」
「近々、結婚するらしい」
予想が当たってしまった。いや、佳菜さんもずっと独身でいろとか思ってないよ。
兄さんに隠蔽術を施されて忘れたとはいえ、佳菜さんは酷く辛い思いをしたのだから、笑顔の絶えない日々を送ってほしい。
そう願う一方、佳菜さんは僕の義姉になると思っていた時期があったから、兄さん以外の男と結婚すると聞くと複雑な気持ちになってしまう。
兄さんは佳菜さんを祝福する言葉を呟いていたけど、寝耳に水の報せを聞いてショックを受けているかもしれない。
「佳菜さんが倖せを掴んだようで安心したよ。兄さんも、その……倖せになる事を前向きに考えた方がいいと思うよ」
「俺は……いや、建視が倖せになる事が俺の倖せだ」
兄さんが何を言いかけたのか、僕は解ってしまった。
慊人や父さんの命令を受けた兄さんが隠蔽術を施した結果、大切な人との関係が断ち切られて心に傷を負った者達がいるから、兄さんは倖せになる資格などないと思っているのだろう。
……それなら、僕だって倖せになる資格はないよ。
父さんが妻に隠蔽術を施して僕に関する記憶を剥奪したけど、母さんの病状は回復せず。衰弱しきった母さんは、儚い人になってしまった。
――皆が噂しているよ。盃の付喪神憑きは忌まわしい存在だって。母親を殺したも同然だから、無理ないよね。建視は夾と大差ない化け物だ。そんなのが弟だなんて、はとりは可哀相……。
幼い頃に
それでも佳菜さんが受け入れてくれたおかげで僕は前向きになれたけど、彼女とのつながりは断ち切られてしまった。
愛する女性の記憶を隠蔽した兄さんは、悲しみのあまり心の半分以上を凍らせて、今も罪の意識に囚われている。
2人の破局を間近で見た僕は、呪われた物の怪憑きは希望を抱いてはいけないのだと思い知った。
世間一般の倖せは夜空に輝く星と同様に手が届かないものだから、兄さんと共に
海原高校の文化祭に行って、僕の内面に変化が生じた。
僕と似たような苦しみを味わった
明るい未来を求めるようになったのは、僕の心に幾らか余裕ができたからだろうか。
「僕が倖せになるのは難しいと思うけど……努力をしてみるから、兄さんもそうして」
驚いたように深い青の瞳を見開いた兄さんは、ふっと頬を緩める。喜びと憂いが一緒くたになったような、複雑な笑顔だった。
「――そうか」
「兄さん、ここは『俺も倖せになる努力をする』って返すトコロじゃない?」
「そうか」
「いや、だから『そうか』じゃなくて……」
何が何でも兄さんに『倖せになる努力をする』と言わせたかった訳じゃないけど、僕は食い下がった。
僕の考えを察した兄さんは、充足感を噛みしめるような笑みを浮かべる。
兄弟で倖せについて話し合える時間は、小さいけれど確かな倖せを感じられた。