神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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今回は久しぶりに建視sideの話です。


60「鍵を寄越して」

 平日の昼下がり。学生は学校で勉学に励み、勤め人は職場で仕事に励む時間帯。にも拘わらず、僕は当主の屋敷の一室に敷かれた布団の上に寝転がっていた。

 これでも一応、仕事中だったりする。体調を崩した慊人(あきと)が1人で寝るのは嫌だとごねて、僕に添い寝を命じたのだ。

 

 慊人と同じ布団で寝た事がぐれ兄にバレたら、想像するだに恐ろしい仕返しをされる。

 僕はまだ命が惜しいので、遠回しに拒否をした。僕には荷が重いから、紅野(くれの)兄の方がいいんじゃないかと言って。そしたら慊人は――。

 

建視(けんし)は僕の側近になったんだから、添い寝ぐらいできるようになれ」

 

 と、無茶苦茶な事を言ってきた。側近の仕事に添い寝が入っているなんて、初耳だよ……。

 

 仕事だからしょうがなかったと言ってもぐれ兄は聞く耳持たなさそうだから、弁解の余地を残すために慊人と距離を置いて寝ようとしたんだけど。

 そんな僕の悪あがきを嘲笑うように、慊人は僕にぴったりと身を寄せてくる。

 

「慊人……ぐれ兄にバレたら、僕はタダじゃ済まないんだけど」

「嫉妬に駆られた紫呉(しぐれ)の差し金で、建視が痛い目に遭うと言うのか? 見ものだな」

 

 密着した状態で僕を見上げた慊人は、心底愉快そうに唇の両端を吊り上げた。

 

「他人事のように言っているけど、ぐれ兄は慊人も報復対象に含めると思うよ」

「……僕は悪くない」

 

 慊人は一転して顔をしかめた。

 ぐれ兄に追及された場合、「建視が僕と一緒に寝たいと言ったから、仕方なく寝てやったんだ」とか言い訳するんじゃ……ホントやめてお願い。

 

 慊人の体の柔らかさやいい匂いを感じ取れてしまう上に、僕の胸の奥にいる盃の付喪神がかつてないほど大喜びしているせいで、僕の心境は崖っぷち状態。

 劣情に流されて慊人に襲いかかるような真似は断じてしないけど、思春期男子の頭と下半身は別物だ。

 慊人に抱きつかれて僕が欲情したとか言い触らされたら、本気でヤバイ。いやらしい気分にならないように色気皆無な事を考えよう。

 

 えーと。僕が慊人の側近になって何日経った? 今日で9日目だっけ。

 側近になったら残留思念を読む任務を次から次へと言いつけられると予想していたけど、側近の仕事を覚える方が優先だと慊人が言ってくれたおかげで、任務漬けの日々にはまだなっていない。

 

 以前は、任務がメインの生活を回避するために草摩(そうま)家で確固たる地位を築くという目標があったけど、今はどうでもよくなった。

 花島(はなじま)さんや本田(ほんだ)さんに対する罪悪感に苛まれ続けるくらいなら、任務で正気を完全に手放しちゃった方が楽なんじゃないかと思う。

 兄さんの精神的負荷を考えると、安易に発狂できないけど。

 こんな事を考えている時点で結構狂っているよなと思いながら、停滞して沈んでいくような時間をやり過ごした。

 

 

 

 慊人の添い寝役という大役を終えた僕は、当主の屋敷の縁側に座って休憩している。

 寝転んでいただけだから体力的には消耗してないけど、すごく気疲れした。添い寝中にぐれ兄が慊人に会いに来たらと思うと、気が気じゃなかったんだよな。

 

「……やぁ」

 

 ぐれ兄の事を考えていたせいか、(いぬ)憑きの従兄の声が聞こえた。

 できれば会いたくなかったんだけど、それはぐれ兄も同じだろう。にも拘らず僕と接触を図ってきたって事は、何か仕掛けようと目論んでいるな。

 僕は気を引き締めてから、廊下を歩いてきたぐれ兄の方を振り向く。

 

「久しぶりだね、ぐれ兄。何か用?」

「あはは。そんなつっけんどんにしなくてもいいじゃないか。僕と君の仲なんだし」

 

 笑い声を上げるぐれ兄の黒灰色の目は、少しも笑っていない。あの目は以前に何度か見た事あるけど、目に宿る冷たさや暗さが段違いだ。

 僕は気圧されながらも、なんとか平静を保って言葉を返す。

 

「あと7分で休憩時間が終わるから、用があるなら早く言ってほしいんだけど」

「少しぐらい遅れたって平気だろ? 慊人さんと大分()()()なったみたいじゃないか」

 

 仲良くを強調して言ったぐれ兄から発せられる圧が増した。

 

「慊人は上司だから仲良くとは言えないよ」

「そうなんだ? 建視は慊人さんと同衾したって聞いたから、仕事抜きで仲良くなったと認識したけどなぁ」

 

 いやらしい鎌かけしてくるな。

 添い寝しただけだって正直に答えてもアウトだし、黙っていたら慊人と体の関係を持ったと認めたも同然になってしまう。

 

「妄想力豊かな人から話を聞いたんだね。用事を思い出したから失礼するよ。じゃあね」

 

 僕が適当な言い訳をして立ち去ろうとしたら、ぐれ兄は今思い出したとばかりに「あ、そーだ」と言う。

 

(とおる)君から伝言を預かっているよ。『建視さんのお時間の都合が合うようでしたら、皆さんと一緒にお花見に行きませんか?』だって。君がいきなり休学しちゃったから、透君は心配しているんだよ? 息抜きを兼ねて、透君や(さき)ちゃんに会いに行ったらどう?」

 

 善意の提案に見せかけて嫌がらせを仕掛けるのは、ぐれ兄の十八番だ。それ以前に、後ろめたくて花島さんに会えないって理由もあるけど。

 

「春休みが始まる頃には任務が入ると思うから、お花見には行けないよ。本田さんには『ごめんね』って伝えておいて」

「僕はメロメロに可愛い透君のお願いなら聞くけど、はーさんの弟とは思えないほど冷淡な君の頼みは聞きたくないなぁ。断りを入れるなら自分でしなよ」

 

 突き離すように言ったぐれ兄は、僕に背を向けて立ち去ろうとした。

 ぐれ兄の姿が完全に見えなくなるまで油断はできないと思っていたら、案の定ぐれ兄は立ち止まって再び振り返る。

 

「ところで、リンが今どこにいるか知っているかい?」

「……遠くの病院に入院したって聞いたけど」

 

 草摩家の主治医である兄さんでさえ、リン姉の入院先は把握していない。流石におかしいと思う。

 もしかしたらリン姉は呪いを解こうとしている事が慊人にバレて、内密に追放処分を下されたのかもしれない。

 

 慊人に尋ねる事はできなかった。僕がリン姉を気にかける素振りを見せたら、(うま)憑きの従姉の立場が更に悪くなってしまう恐れがあるから。

 僕を観察していたぐれ兄は、つまらなさそうに「ふぅん」と呟く。

 

「透君はリンの事をすっごく心配して、リンが通っていた高校にまで行ったみたいなんだよね。もしリンの入院先を知ったら、透君にも教えてあげて」

 

 僕の返事を聞かずに、ぐれ兄は今度こそ立ち去った。

 

 本田さんがリン姉の事を案じているという情報は、喉に刺さった魚の骨のように忘れたくても忘れられない気がかりを残した。

 親しい人のためなら驚異の行動力を発揮する本田さんは、リン姉に会うために無茶な事をするかもしれない。

 

 本田さんが動く前に、リン姉の入院先を突き止めた方がいいかな。待てよ、僕がやらなくても由希(ゆき)紅葉(もみじ)が調べるんじゃないか?

 あー、紅葉が絡んでくると厄介だな。紅葉は僕を皆の輪の中に戻すため、敢えて僕を巻き込んできそうな予感がする。

 

 リン姉の入院先を調べるか否かで頭を悩ませているうちに、休憩時間は終わった。仕事に集中するため、考え事は心の奥底に押し込んだ。

 

 

 

 夜の8時過ぎ。本日のお勤めを終えた僕はまっすぐ家に帰らず、あまり人が通らない道を走っていた。

 ぐれ兄が僕達の家に寄って本田さんの伝言を兄さんに話していたら、夕食時に兄さんがその話題を持ち出してくる可能性が高い。

 本田さんの名前が出たら動揺してしまいそうなので、気持ちを落ち着かせるためにジョギングする事にしたのだ。

 

 暗い夜道をひたすら走っていたら、道の向こうに人影を見つけた。和服を着た女性だ。お手伝いさんかな。

 彼女は懐中電灯も持たずに、林の中に入っていく。何しに行くんだろう。もしかして逢引とか?

 こんな場所でしか逢えないなんて、相手は誰なんだ。興味をひかれた僕は、距離を置いて追跡する。

 

 草摩家の敷地内にある人工林は雑草や雑木が定期的に刈られているけど、この林は人が立ち入らない場所なのか放置されている感があった。

 奥へ進むと、漆喰塗りの白壁を持つ土蔵が見えた。3段の踏み石の先にある入口は二重構造になっているのか、開け放たれた状態の重厚な観音開きの扉と、木製の格子戸が設置してあった。

 

 こんな所に土蔵があるなんて知らなかった。いや、そんな事より。

 和服姿の女性は持っていたお盆を踏み石の上に置いて、鍵を使って格子戸を開けている。

 暗い上に遠目だからハッキリとは見えないけど、お盆の上にはお椀やお皿や茶器が載っているように見えた。

 

 蔵の中に祀られた大蛇に、食事を運ぶ仕事を言い付かった女中が出てくる時代小説があったよな。

 大蛇へのお供えというのは口実で、蔵の中に閉じ込められた女性に与えるための食事だったけど――。

 

 まさか。いや、でも、あり得ないとは言い切れない。薄々感じていたじゃないか。

 慊人がリン姉に追放処分を下したんじゃないかと推測したけど、それは希望的観測に過ぎないと。

 激怒した慊人がどういう制裁を下すか予想がついていたくせに、それから目を逸らしていたんだ。

 

 あの食事は午憑きの従姉ために用意されたもので、リン姉は土蔵(ここ)に――。

 

 呼吸がうまくできないほどの悪寒に襲われた。土蔵の方から物音が聞こえたので、僕は反射的に木陰に身を潜める。

 土蔵から出てきた和服姿の女性は、お盆を持っていた。さっきのが夕食だとしたら、あれは昼食の器なのだろうか。考えている間に、格子戸を閉めてガチャリと施錠する音が響く。

 

 今すぐあの女性から鍵を奪い取って、リン姉を助け出さないと。

 でも、勝手にリン姉を連れ出したら慊人が怒る。罰として、建視を閉じ込めてやるとか言われたら――。

 

 ……見なかった事にするという選択肢が浮かんでしまった。

 僕は正真正銘のクズだ。花島さんの前から逃げ出した時点で、自分の最低さ加減は自覚したつもりだったけど、まだ堕ちるのか。

 

 自己嫌悪に浸ってないで、ちゃんと現実を見ろ。リン姉が消息を絶って1週間以上経っているんだぞ。

 リン姉はただでさえ食が細い。あんな場所に閉じ込められている状態で、三食しっかり食べているとは思えない。下手したら、重度の栄養不良に陥っている恐れがある。

 

 このまま放っておいたら、リン姉は命を落としてしまう。リン姉を見殺しにするのか?

 

――自分の母親を間接的に殺したんだから、1人増えたところで問題ないだろ。

 

 そこまで堕ちたら、人間(ひと)じゃなくなる。正真正銘の化け物に成り果ててまで、自分を守りたいか?

 

――(おまえ)は生まれた時から物の怪憑き(化け物)だろ。

 

 リン姉を見捨てて自分の身を守ったとしても、任務漬けになれば僕の心は少しずつ壊れていくのに。

 

――壊れてしまったら慊人の役に立てない。

 

 遅かれ早かれ狂ってしまうのなら、やりたい事をやればいいじゃないか。

 リン姉を助けて、本田さんも助ける。そうすればきっと、花島さんが喜んでくれる。

 

――慊人が泣くぞ、慊人を裏切るな。

 

 僕は慊人に全てを捧げる事になるから、裏切りじゃないよ。

 

――…………。

 

 僕の覚悟を感じ取ったのかどうか知らないけど、胸の奥で抗議の声を上げていた盃の付喪神が静かになった。

 ふと気付くと和服姿の女性はいなくなっていた。どのくらい時間が経ったんだろう。いや、そんな事はどうでもいい。

 僕は土蔵に近寄った。格子戸の隙間から中の様子を窺おうとするも、暗くてよく見えない。

 

「……り、リン姉……っ! リン姉っ!!」

 

 呼びかけたけど返事はなかった。衰弱して助けを求める声も出せないのか。

 木製の格子戸を蹴破ろうとした時、ふと思った。僕が強行突破してリン姉を助けたら、猫憑きの離れが堅牢なものに作り変えられるんじゃないか?

 

 夾が離れに幽閉される前に猫憑きの従弟を逃がしてやれたらいいけど、上手くいかなかった場合の事を考えると、猫憑きの離れの攻略難易度が上がってしまう事態は避けたい。

 食事を運ぶ世話役を脅して土蔵の鍵を入手した方が、無難で確実だな。

 

「リン姉、ごめん。明日になったら必ず助けに来るから、それまで待っていて」

 

 なかなか帰ってこない僕を案じたのか、兄さんが僕の携帯に電話をかけてきた。「今、帰るよ」と答えた僕の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。

 

 

 

 その翌日。僕は挙動不審にならないように気をつけながら、側近としての仕事をこなした。

 昼食をとりおえた慊人が1人で読書をしたいから下がれと言ったので、僕は腹ごなしに散歩に行くと見せかけて土蔵へと向かう。

 救出作戦の決行は人目につきにくい夜にしようと考えていたけど、手遅れになってしまったらという焦りと不安にせっつかれた。

 

 春に声をかけるべきか迷ったけど、危険な賭けだから止めた。

 リン姉の現状を知った途端、破壊神のようなブラックが降臨して当主の屋敷にカチコミをかけて大暴れしそうな予感がするんだよな。

 春が本当に当主の屋敷で暴れたら、自宅謹慎の罰を食らうかもしれない。自由にリン姉に会う事ができないとなったら、頻繁にブラックが降臨していた頃の春に逆戻りだ。

 

 昼間なのに仄暗い林の中を進んで、土蔵の前に辿り着いた。世話役が昼食を運んでくるのを待っていたら、落ち葉を踏みしめて近づいてくる足音が聞こえる。

 姿を現したのは着物姿の女性ではなく、赤茶の短髪を持つ長身の男性だ。

 

「……紅野兄……なんで、こんな所に」

 

 慊人に命じられて僕の後をつけていたのだろうか。だとしたら、まずい。僕の行動に疑惑を持たれているなら、リン姉を助け出すのが難しくなる。

 

「建視と同じ用事だと思うよ」

 

 紅野兄は予想外の返答をした。

 ……まさかとは思うけど、紅野兄もリン姉を助けに来たのか? 誰よりも慊人に忠実な紅野兄が?

 

 いったいどういう事だと僕が戸惑っているうちに、またしても人がやってきた。今度は土鍋などを載せたお盆を持った、着物姿の女性だ。

 彼女は確か草摩の「外」の人だったけど、4ヶ月ほど前に慊人の世話役になったばかりの新人だと記憶している。好都合だ。

 年配の世話役だと慊人への忠誠心と僕への敵意が強くて、脅しが効かない可能性があった。でも、新人の彼女なら容易に脅せ……じゃなくて、交渉の余地はある。

 

「……く、紅野……さ……建視……さんも……?」

 

 新人の世話役は動揺のあまりか、お盆に載せた湯呑みを倒してしまった。

 

「いっ、いけませんよ……ここ、立ち入り禁止です……」

「……じゃあ、君は立ち入り禁止(こんなところ)に何故、食事を運んでいる?」

 

 淡々と問いかけた紅野兄は、「君が前もここへ食事を運ぶのを見た」と言う。

 

「ここは……()()な者だけが入る蔵だ。他の者は入れないはずだし、普通は……入ろうとも思わない。……中にいるのは、誰?」

 

 特別な者だけが入る蔵という件が気になったけど、狼狽した世話役がお盆を取り落した音で思考を遮られた。

 

「い……っ、言えません、怒られます」

「怒られる? 誰に?」

「言えません……っ、ち……っ、父が、父がお世話にな、なっていて。なのに私が不興を買ったりし、したら……っ、みは……見放され……っ」

 

 すでに弱みを握られていたのか。それなら脅す方向を変える必要がある。

 

「鍵を寄越して。さもないと僕の力を使って、貴女の家族のプライバシーを総て暴くよ」

「ひぃっ! や、やめてください……お願いします……な、何でも……何でもしますからぁっ!」

 

 脅しすぎたのか、新人の世話役は涙ぐんで怯えている。紅野兄が咎めるように「建視」と呼んできた。

 

「僕に脅されて仕方なく……って、慊人に言えばいいよ。だから鍵を渡して」

「俺からも頼む。こんな事は……良くないんだから……っ」

 

 体が小刻みに震えている新人の世話役は、覚悟を決めたように言葉を発する。

 

「し……食事を……もう何日もとられて……ないんです。このままじゃ死んでしまう……っ。たすけてあげて……っ」

 

 新人の世話役は泣き声で訴えながら、帯と着物の間から紐で繋いだ2つの鍵を取り出した。

 なんで鍵が2つあるんだと訝しむ僕を余所に、紅野兄は受け取った鍵で古そうな錠前を解錠して格子戸を開ける。

 

 古道具などが詰め込まれた土蔵の中は薄暗かった。板張りの床は砂埃で汚れていたから、靴を履いたまま入る。

 照明は無さそうなので、入口から差し込む光を頼りに進む。進行方向を塞ぐように置かれた階段箪笥の奥を見た瞬間、僕は思わず息を呑む。

 

 奥の空間を仕切る太い角材を組んだ格子は、時代劇で観た牢屋敷を連想させて。格子の向こうの一段高くなったところに、4畳程度の畳敷きの空間があって。

 敷きっぱなしの布団の上に、白い浴衣を着た女性が横たわっている。こちらに背を向けているから顔は見えないが、背格好からしてリン姉で間違いない。

 

「……っ」

 

 僕は込み上げた吐き気を堪える。

 先代の盃の付喪神憑きは力を乱用して草摩家を引っ掻き回した後、罰として幽閉されたと慊人が話していた。

 先代の盃の付喪神憑きは、この座敷牢で最期を迎えたんじゃないか?

 自分がここに閉じ込められるところを想像したら、金縛りにあったように動けなくなってしまった。

 

「……建視」

 

 いつの間にか僕の後ろにいた紅野兄に声をかけられて、我に返る。土蔵の中はひんやりしているにも関わらず、背中や脇が冷や汗でびっしょり濡れていた。

 リン姉をここから早く連れ出さなきゃいけないのは解っているけど、座敷牢に入りたくない。覚悟は決めたつもりだけど、本能的な拒否感が強い。

 代わりに連れ出してくれと視線で頼んだら、紅野兄は申し訳なさそうな顔になって首を左右に振る。

 

「俺は依鈴を連れ出す事はできないんだ……」

 

 依鈴に近寄るなと、慊人に命令されているのだろうか。だとしたら、紅野兄はリン姉を助けるための行動を起こせないはずだけど。

 リン姉の身を案じて、物の怪の血に逆らっているのかもしれない。

 

「はとり兄さんに連絡して、ここに来てもら……」

「兄さんをここに呼ばないで」

 

 兄さんも先代の盃の付喪神憑きの末路は知っているはずだ。こんな場所を兄さんに見せたくない。

 僕は自分の両頬を思いきり叩いて喝を入れる。その間に紅野兄が座敷牢の格子戸の錠前を開けてくれたので、僕は思い切って中に入った。

 言い知れない悪寒がして足が震える。靴を履いたままだけど、構わず畳の上にあがってリン姉に近寄った。

 なにかが畳に散らばっていると思ったら、切り落とされた長い髪の毛だ。

 よく見れば、リン姉の長くて綺麗な髪は乱雑に切られている。切られてない部分もあるから余計悲惨に見えた。もしかしなくても慊人の仕業だろう。

 

「リン姉……リン姉……っ!」

 

 近くで呼びかけても、肩を揺さぶってもリン姉は反応を示さない。目は開いているから起きていると思うけど、虚ろな瞳は何も映していないように見えた。

 リン姉が自力で歩くのは無理だろうから、僕がリン姉をお姫様抱っこした。軽すぎてゾッとする。早く病院に連れて行かないと。

 

「……る……」

 

 座敷牢から出た時、リン姉が何か言葉を発した。

 

「…………は……る……」

 

 春を連れてくれば良かったと後悔しながら、僕はリン姉に話しかける。

 

「春には後で連絡するよ。リン姉が呼んでいるって言えば、春はすぐに駆けつけるから、気を……」

 

 気をしっかり持ってと言いかけて口をつぐんだ。

 陽の光が届かないような所に何日も閉じ込められて、髪を無理やり切られて、まともな精神状態でいられる訳がない。

 

 忌まわしい土蔵を後にした僕は、リン姉の体に負担がかからない程度の速さで走る。途中ですれ違った燈路(ひろ)杞紗(きさ)が呼びかけてきたけど、今は説明する余裕がない。

 僕と兄さんが住む家に辿り着き、診察室を兼ねた客間に面した庭に行って兄さんを呼ぶと、白衣を着た兄さんが縁側に出てきた。

 僕が抱きかかえたリン姉を見るなり、兄さんは顔色を変える。

 

「依鈴は……どこにいたんだ?」

「……立ち入り禁止の土蔵の中」

 

 どういう場所なのか察したのか、兄さんが悲痛そうに顔を歪めた。

 呼ばなくて正解だったと思いながら、僕はリン姉を診てほしいと頼んだ。専門的な治療が必要だと判断した兄さんは、自分の車にリン姉を乗せるように指示を出す。

 

 僕は兄さんの車の後部座席にリン姉を乗せて、その隣に座ってから、春の携帯に電話をかける。

 2コールも鳴らさないうちにブチッと切られた。あんにゃろ、電源も切りやがったな。

 春の自宅にかけたら春の母親が出て、「潑春(はつはる)は出かけたわよ」と言われた。行き先は聞かなかったらしい。

 ……どこに行ったんだ、春のやつ。

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