Side:
「潑春さん!? お待ちになって下さい、土足で屋敷に上がるなんて……っ」
リンが大怪我をした本当の原因。
リンが十二支の呪いを解こうとしていたコト。
リンが慊人や
俺は何も知らなかった――なんて言い訳にもならない。
側にいたくせにリンの気持ちを察してやることができなかった。愛しいリンを1人で苦しませてしまった。それは紛れもない事実で。
情けなくて、悲しくて、悔しくて、リンに申し訳なくて。
グチャグチャな感情を煮えたぎるような怒りで塗り潰しながら、慊人の部屋へ向かう。
襖を乱暴に開けると、慊人が部屋で呑気に本を読んでいた。顔を上げた慊人は、不快そうに眉をひそめる。
「――何事?」
俺が慊人を追及するのを邪魔するように、走ってきた世話役のババァが口を挟んできやがる。
「潑春さん……!! 十二支である貴方とはいえ、勝手に入ってこられては困ります……!!」
「……うるせぇな。ひっこんでろ、ババァ」
ババァは「なんて失礼な」と文句を言っていたが。慊人が鷹揚に「いいよ」と言うなり、ババァは口を閉ざす。
俺が土足で慊人の部屋に足を踏み入れると、ズボンのポケットに入れていた携帯から着信音が鳴り響いた。
今は誰かと話している余裕はねぇから、ポケットに手を突っ込んで携帯の電源を切る。
「さぁ……話してごらん」
俺と向かい合うように立った慊人は、全てを受け止めるように両腕を広げる。そんなのはただのポーズで、俺が慊人の気に入らないコトを言えば怒り狂うんだろうが。
「なんでリンを突き落とした……? なんで突き落としたりした……?」
「……なぁに? 僕が?
慊人はすっとぼけておきながら、「誰から聞いたの、そんな話」と探りを入れてきやがる。俺は適当に「天の啓示」と答えた。
「……は? 相変わらず君って……ふふ、バカみたいだね……っ」
「笑ってんじゃねぇよ。なんでそんなことをした……殺す気かよ」
嘲笑を引っ込めた慊人は、俺に背を向けながら「ふぅん」と呟く。
「そもそもどうして潑春が、依鈴の事でそんなに怒るのかな。潑春は昔から依鈴には優しかったよね。可哀相だから? 放っておけなかったから? 同情かな?」
慊人は俺の神経を逆撫でる問いかけを重ねた。
全部無視してやりたいが、俺の胸の奥にいる
「好きだからだ……っ。そんなコトもうとっくに知っているクセに、ワザとらしく聞いてくんなよ……っ」
ダメだ、慊人のペースに嵌っている。怒りに飲まれるな、落ち着け。本当に聞かなきゃいけないコトを忘れるな。
「……リンは……どこだ? おまえ、知ってんじゃないのか……今、リンがどこにいるか……」
俺の言葉を遮るように、慊人は「くっだらない」と言い捨てる。
……ブチ切れすぎたせいか、一周回って冷静になってきた。
「おまえ、リンに冷たかったな。俺が優しかったなら、おまえは昔から……っ。リンに対して……女に対して冷たかっただろ。人一倍、嫌っていただろ」
燈路は自分のせいで杞紗が傷つけられたって言っていたけど、杞紗をボコボコにした犯人は慊人だ。謝るべきはコイツだろ。
慊人に口止めされたせいで燈路はリンが突き落とされた現場を目撃した事を言えなくて、苦しんでいた。コイツはどんだけの人を苦しめりゃ気が済むんだ。
「ひどい事を平気で言って、平気でして。おまえ、
「気がついているのに、
射抜くように俺を睨み上げながら、慊人は「気づいていたのに……?」と問いかけてくる。
それは俺の痛いトコロを的確に衝いた。
――……ダ、ダメだよ……あ、慊人が怒るよ……。
俺がリンに告白した時、愛しい彼女は頬を赤く染めながらそう答えた。
リンはちゃんと警告を発していたのに、俺はリンが他の男のトコに行かれたらたまらないからって、「リンは他の男のほうがいい?」なんて狡い聞き方をして聞き流したんだ。
言葉に詰まった俺は、リンはどこにいると再度尋ねた。慊人は知らないの一点張り。締め上げて居場所を吐かせようかと思った時。
「依鈴は病院に運んだよ。……はとり兄さんが、車で。意識は混濁していたけれど、大丈夫。命に別状はないそうだ」
リンの現状を報告した
「慊人、あんな事をしては駄目だ。たとえ君が何者であっても、やっていい事と悪い事はあるんだ。
「リン……どこにいたの?」
俺の質問に、紅野は少し間を置いてから答える。
「……先代の盃の付喪神憑きが幽閉されていた土蔵だよ。そこに閉じ込められていたそうだ……ずっと」
先代の盃の付喪神憑きが力を乱用したコトは噂に聞いていたけど、 幽閉されていたなんて初耳だ。
まさかとは思うが、盃の付喪神憑きが再び力を乱用するかもしれないから、先代を閉じ込めていた場所を今も残しているのか?
草摩家の闇深さに怖気が走るけど、恐怖より怒りが上回った。
問題の土蔵はおそらく、猫憑きの離れと同じように立ち入り禁止になっているんだろう。閉じ込められたリンが大声で助けを求めたとしても、それを聞きつける人はいない。
リンは救援を望めない場所で、ずっと1人で……っ!
紅野は大丈夫と言っていたが、そんなワケない。リンは毒舌家のせいか気丈だと思われがちだけど、彼女の心はとても繊細で傷だらけだ。
俺と一緒に寝ている時でさえ、リンは頻繁にうなされていた。両親に虐待されていた頃の最悪な思い出を、夢の中で追体験していたんだと思う。
悪夢から目覚めたリンは、必ずと言っていいほど泣いていた。
――リン、どうしたの? また怖い夢をみたの?
――……うん。でも大丈夫。春がいるから大丈夫。
俺が気遣う言葉をかけると、リンはそう答えて微笑んでいた。
安堵を滲ませたリンの笑顔は、思わず見惚れてしまうほど綺麗で。愛しさが込み上げてきて。守りたいと思ったのに。
慊人に酷い目に遭わされたリンは、心に深い傷を負って……下手したら心が壊れてしまって、もう二度と笑わなくなってしまうかもしれない。
絶望して目の前が真っ暗になった俺の耳に、慊人の喚き声が届く。
「紅野、どうして……勝手に依鈴を運び出すなんて……僕を裏切るの……!?」
「慊人、違う、そうじゃない。きいて」
「ひどい……!!」
あまりにも自分勝手な慊人の言葉を聞いて、わずかに残っていた理性が吹っ飛んだ。俺は慊人と紅野の間に割って入って、慊人が着ている白い着物の衿を掴み上げる。
「ふざけんな、てめぇ……!! ウソばっか吐きやがって……閉じ込めただと!? ひでぇのはどっちだ!! また殺す気だったのかよ!!」
「…………っ、だったら何……っ。おまえが
慊人の言う通りだと胸の奥で訴える声は、丑の物の怪のものか。それとも俺自身のものか。どっちだろうが構わねぇ。
頭ン中が憎悪で占められた俺は慊人の首を左手で掴んで襖に叩きつけ、握り締めた右拳を振り上げる。
「潑春!!」
紅野が俺の名を叫んで制止した時、なぜか不意に小さい頃のリンの姿が思い浮かんだ。
――白くてやわらかい髪が好きだよ。
はじまりの気持ちが何だったかなんてもう朧気だけど、惹かれていたんだと思う。ずっと。
だからこそ、リンを踏みにじった大人達が許せなかった。大人は信用できないから自分の力で、リンを傷つける全てから愛しい彼女を守ると決意したんだ。
――気づいていたのに……?
……ああ、そうだよ。ホントはわかっていた。
リンにも俺を望んでほしいと思った時から、頭の隅でずっと警報が鳴っていた。
俺の想いはリンの首を絞めるんじゃないかって。慊人の執着や怒りが、どこに向かうか知っていた。
自分とリンの関係が慊人に露見した時にどうなるか気づいていたくせに、それでも俺はリンを手に入れたかった。
愛しい女を俺だけのものにしたいって独占欲は、守りたいって気持ちを上回っていた。
……ホントはリンの大怪我の理由だって、薄々気づいていたんじゃないか?
リンに踏み込んで聞くコトができなかったのは、単に自分の欲を最優先させた結果を思い知るのが怖かったんじゃないのか?
――春がいるから大丈夫。
俺がいたってちっとも大丈夫じゃないよ。俺は恋に浮かれてどうかしていた。
都合の悪い事を俺が見て見ぬ振りしたその影で、リンが傷ついていたなら。リンをズタボロにした大人達と俺は、なんにも変わんない。
こんなヤツがどんなにリンのコトを好きだと思ったって、そんなのくだらないよ。
慊人をボコボコにしてやるつもりだったけど、激しい怒りを塗り潰す勢いで自己嫌悪と罪悪感が押し寄せる。行き場をなくした右拳は、慊人の顔の横の襖にめり込んだ。
「……は、潑は……」
「しゃべんな、殺したくなる。おまえも、俺も」
部屋から出て行こうとしたら、慊人が呼び止めてくる。
「……は、潑春……? 待……っ、行かないで。行かないで、潑春! 潑春!!」
だからどうした。昔のコトなんか知るもんか。俺自身の自我はそう言っているが。
両親ですら腫物に触るように接する
ああ、クソ。投げやりな気分で引き返そうとしたら、紅野が廊下に立って通せんぼをしている。
慊人に忠実な紅野が、慊人の意思に反する行動をとっているコトに今気づいて驚いた。
「行くんだ、戻らずに。数日すれば面会もできるだろうから、依鈴に会いに行くといい。依鈴もきっと会いたがっている。最初に口にした言葉は、君の名前だったから」
それを聞いたら、リンが俺を呼ぶ声が心の中にじんわりと響いた。
――……春、春。
俺が――丑の物の怪とは別の
リンに会いたい、今すぐ。俺は紅野と別れて、当主の屋敷を後にした。
リンは面会謝絶になっているから当分会えないと、とり兄に言われた。そういえば紅野が「数日すれば」って話していた気がする。
会いに行く気満々だった俺は気を削がれ、自分の部屋に戻った。
……落ち着いて考えると、どのツラ下げてリンに会いに行くんだって思えてくる。俺が自分の欲望を優先させたせいで、リンは酷い目に遭ったのに。
リンのことを考えていたら、いつの間にか深夜になっていた。静寂を破るように、ブラインドが下がった窓を外からドンドン叩く音がした。
立ち上がるのも億劫で無視していると、窓の外から
「春、表に出ろ。リン姉のことで大事な話がある」
リンに関する大事な話って何だろう。もしかして、慊人がリンを草摩から追放するとか言い出したのか?
……上等だ。その時は俺も一緒に出ていってやる。そんな事を考えながら玄関から外に出ると、私服姿の建視が庭に立っていた。
とり兄から聞いた話によると、紅野と建視がリンを助け出してくれたらしい。
正直言って驚いた。紅野と建視にとって、慊人の決定は全てに優先するものだと思っていたから。
けど、彼らはリンを助けてくれた。リンを連れ出したら、慊人に責められるコトは解っていただろうに。
それに……。
――行くんだ、戻らずに。
慊人に呼ばれた時、紅野にああ言ってもらってなかったら、俺はリンを手離して終わったかもしれない。
そんなの、考えただけでも死にたくなる。
紅野とは滅多に会えないからお礼を言うのは後になっちゃうけど、建視には今すぐ感謝を伝えておこう。
「建視、ありがと……」
「え? ……ああ、リン姉の事か」
建視は憂いを含んだ笑みを浮かべた。
……リンが閉じ込められていた土蔵は、先代の盃の付喪神憑きが幽閉されていた場所だってコトを建視は知っているのだろうか。
興味本位で聞いちゃいけないコトだと思うから、聞かない……というか聞けないけど。
「大事な話って……なに?」
「落ち着いて聞いてくれよ。リン姉が病院から抜け出した」
絶対安静の状態のリンが外に出るなんて……っ! 早く見つけないと。走り出そうとした俺の腕を、建視が掴んだ。
邪魔するなら容赦しねぇという意味を込めて建視を睨み付けると、付喪神憑きの従兄は「だから落ち着けって!」と言ってくる。
「携帯は持っているのか?」
「そんなコトどうでもいいだろ」
「どうでもよくない。僕達も手分けしてリン姉を捜して途中で春に連絡入れるから、携帯は持っていけ」
問答している時間が惜しかったので、自室に引き返して携帯を取ってくる。
建視は俺のズボンのポケットに手を突っ込んで、携帯を取り出す。何するんだと聞いたら、建視は「電源を入れたんだよ」と答えて携帯を返してきた。
家の前で建視と別れた俺は、草摩の「中」の正面玄関から「外」に出て、全速力で走る。リンが入院している病院の付近を捜したけど、一向に見つからない。
どこにいるんだろう。俺は方向音痴だとよく言われるから、見当違いの場所を捜しているのかも。
『春、今どこだ?』
連絡をいれてきた建視は
ムダにうろうろしている間に夜が明けて、会社員や学生が行き交う時間になった。
弱って馬に変身したリンはその脚を生かして、どこか遠くへ行っちゃったんじゃないかな。そんなコトを思い始めた頃、通学途中の小学生の会話が耳に届く。
「あのおねーちゃん、どうして道でねていたんだろーね」
「……ちょっといい? 道で寝ていたお姉ちゃんって、どこにいた?」
俺に声をかけられた小学生の女の子は驚いていたけど、素直に教えてくれた。
その場所に向かうと、淡緑色の入院着を身に纏ったリンが道路に倒れていた。急いで近寄ってリンの様子を窺う。
目立った怪我はなく、ちゃんと呼吸している。以前より痩せて、顔色悪くて、長かった黒髪は短く切られていたけど。
……リンの髪を切ったのは慊人だろう。何の証拠もないただの直感だけど、間違ってないと思う。
ブラックになりそうなほど激しい怒りが湧き上がってくるのを感じたけど、リンの頭を撫でたら愛しさと罪悪感が胸の中に広がって凶暴な感情は薄れていく。
リンが目を開けた。俺を見ようとしているけど、焦点が合っていない。まだ意識が混濁しているようだ。
「ごめんね……」
掠れ声で謝ったリンは大粒の涙を流し始めた。
「ダメだった、みつけだせなかった、春の倖せ、捜し、だせなかった……ごめんね……」
リンが謝る必要なんてないのに。俺の方こそごめんって言おうとした時、昨日燈路に言われた言葉が思い浮かんだ。
――『もういいよ』って言ってあげて。あんなんじゃ、リンがダメになっちゃうよ。1人でずっと苦しいだけだよ……っ。
そうだね。お互いに「ごめん」って言っていたら、終わりが見えない。俺はリンを助けるコトはできなかったけど、せめて。
「……って事は……リンの旅はこれで終わりだね」
「……うん」
まだ終わってないって言われたらどうしようと思っていたから、ほっとする。
「じゃあ、おかえり」
おかえりと言われると思っていなかったのか、リンは長い睫毛で縁取られた目を見開いた。
「旅が終わったなら俺の処に帰ってきてもらわないと、寂しくて困る」
「そっか……じゃあ……そろそろ、帰ろうかな……」
そう呟いたリンは嬉しそうに、ふにゃりと笑った。リンの無防備な笑顔を見るのは、本当に久しぶりだ。
「いい夢……」
「夢じゃないし」
俺はそう言って、リンの両膝の裏と背中に手を添えて担ぎ上げた。痛々しいほど軽い。
意識がハッキリしてきたリンは1人で歩けると言い張ったけど、俺は「やだ」ときっぱり言う。
「俺はガキだけど。リンが1人で傷ついても気づかないで、俺なんかくだらないなって思ったけど」
道路に倒れていた中学生のリンを見つけても自力じゃ運べず、師範を呼びに行った時よりかはガキじゃない。
「リンを自分で担いで歩けるくらいにはなった。だからリンを諦めない。リンも1人で歩けるトコロは歩けばいいし、ダメな時は担がれればいいんだ」
他の奴にリンを担がせる気はなかったので、「むしろ担ぐし」と主張しておく。
「重荷なんかじゃない。重荷なんかじゃないんだよ」
「は…………は……る……」
泣きながら俺を呼ぶリンに、「うん」と答える。
「春…………ただい……ま」
涙で目を潤ませたリンは、どこか不安そうに俺を見てくる。重荷じゃないと言ったのに、俺がリンを見放すと思っているのか。
臆病で寂しがり屋な彼女に贈る言葉は1つだ。
「おかえり」