63「幻滅なんかしない」
Side:
今日は5月1日。
俺は1人で本田家の墓がある寺の近くまで行ったけど、墓参りには行けなかった。去年のように
「あれぇ? あんた、確か……やっぱりそうだ、以前うちに来た子だろ。そのミカン色の髪、憶えているよ」
帰り道の途中で、ベンチに座っていたじいさんに声をかけられた。
見覚えのあるじいさんだなと思ったら、透の父方の祖父だ。親戚の家に戻った透を迎えに行った一度きりしか会った事ねぇが。
「透の……?」
「そうそう、
まさか、俺とあの人の関係を知ってんのか。
「……じゃなくて、
言い直したじいさんは、警戒して身構えた俺の様子に気づいてないようだった。
気を取り直すために俺が「こんなトコで何してんだ」と聞いたら、じいさんはギックリ腰が再発したと打ち明けてくる。おいおい、ギックリ腰って身動きとれなくなるんだろ。
大丈夫なのかと聞いたところ、携帯電話で自宅に連絡をして迎えを待っている最中だという答えが返ってきて、ひと安心した。
「あんたも今日子さんの墓参りに来てくれたのかい? ありがとうね」
今年は墓参りをしてねぇし、礼を言われるような事なんざこれっぽっちもしてねぇ。ンな事言える訳ねぇから話題を変える。
「じいさん……あいつのこと『今日子』って呼んでんのか?」
「ん? そうだねぇ」
じいさんは義理の娘を喪った寂しさを紛らわすために、透を身代りにしているんだろうか。だとしたら。
「それってちょっと……悪シュミじゃねぇの?」
赤の他人の俺が言っていい事じゃねぇなと、言葉にしてから気づいた。
俺の不躾な物言いに不快感をあらわにするかと思ったが、じいさんは地蔵みてえな穏やかな笑顔を保っている。
「そうだねぇ……でもね、つなぎとめたかったんだ。どんな形でもいいから、今日子さんが確かにいたんだって証をね、示したかった。でないと
今年の墓参りは付き合えないって言った俺に、「はい」と答えていつものように笑った透の姿が思い浮かんだ。
あの笑顔にあと何回許されるだろうなんて考えた、
「……それだけじゃ、ないけどね。自分のためでもあったんだ。自分もさびしかっただけなんだよ。みんな置いていってしまうから、せめて何かでつなぎとめたくて」
恥ずかしい。今の今まで、じいさんが自分の息子も亡くしていた事を忘れていた。
俺は以前より透の事を気にかけてやれるようになったと思っていたが、じいさんの気持ちに配慮した事はなかったじゃねぇか。
じいさんが「あんた」と呼びかけてきて、俺はビクついてしまう。これ以上何を言われるかと思ったら、怖くなってしまった。
「あんたは……知っているかい? なんで透さんが、あんなしゃべり方しているのか」
「知らねぇ……けど」
「あれはどうもね、
じいさんの話によると、
この子は勝也に少しも似ていない。違う男の子供じゃないか。こんなんじゃ慰めにもなりゃしない、と。
その親戚は子どもだからどうせ何もわかっちゃいないと決めつけて、幼い透に対して好き勝手言ったんだろう。
だけど、大人に比べて語彙力に乏しい子どもでも、自分に投げかけられた言葉が悪意に満ちているかどうかくらいは解る。
そう断言できるのは、俺がガキの頃に実体験したからだ。一族の連中に蔑まれ、実の父親から憎悪を叩きつけられてきたからな。
「……透さんは、心無い親戚に言われた事を気にしていたよ。当然だよね。勝也が死んで、目で見てとれるほど今日子さんは憔悴していって。気にしないわけがない」
父親を亡くしたばかりの透は、じいさんに相談を持ちかけたらしい。
母親が元気なくて透と話してくれないのは、父親に似てないからガッカリしているんじゃないか。どうしたらソックリになれるのか。父親ソックリになれば母親は元気になって、どこへも行かないかと。
「透さんが相談してきた後に、今日子さんが長い時間……家を空けてしまった時があってね」
じいさんが「それからだ」と言った瞬間、俺が子どもの頃に空き地で出会ったあの人――本田今日子の言葉がよみがえった。
――それからだよ、あの子が勝也みたいに……。
空き地で話をしたあの日、今日子は「勝也みたいに」と呟いて言葉を切ってしまったけど。じいさんの話を聞いた今、あの人が飲みこんだ言葉が何だったのか、ようやく理解できた。
――悲しい想いをさせてしまったと思っている、あの子には。……でも、それでもそんな透がいてくれたから、支えてくれるから……生きていける。世界が必要としなくたって。必要として……必要としてくれる
確かその後、俺は「ほんだかつやには、もう会いたいとか思わないの?」と聞いた覚えがある。
今日子は優しい微笑みを浮かべて返答を避け、脈絡がないように思えた言葉を紡ぐ。
――……あんた達はどれくらい道に迷って、どれくらいの時間をかけて、自分の答えに辿りつくのかなぁ……。
それは途方もない言葉に聞こえた。
あの頃の俺はまだ子どもだったせいもあるけど、それ以上に猫憑きの俺は
俺のせいで誹謗中傷を受けて壊れていく母さんを見てきたから、
……昔は俺に笑いかけてくれた
底なし沼のようにどこまでも沈みそうになる思考を無理やり切り替えて、俺はじいさんに問いかける。
「……なんで、そんな身内話、俺にするんだ」
「そうだねぇ。あんたは透さんを大切に想っているみたいだったから」
ちゃんと会話をしたのは今日が初めてのじいさんに見抜かれるほど、俺は解りやすいのか。
「大切にしてあげてほしい。あの子の倖せは、
「……そんなこと……俺に言っても仕方ないだろ」
「そうか」
じいさんが一瞬だけ見せた表情は、穏やかな笑みに隠されたじいさんの本性じゃねぇかと思えて、やけに印象に残った。
喪服の黒いワンピースを着た透が、洗濯物を取り込んでいた。帰宅の挨拶をするタイミングを逃した俺は、てきぱきと動き回る透の後姿をひたすら眺める。
去年の夏に砂浜で透を見つけた時も思ったけど、透は1人でいる時にやたら寂しそうに見えるな。これが本当の透の姿なんだろう。
透はいつも朗らかに笑っているが、楽しいコトばかりに囲まれてここまできたワケじゃない。
「わ!!?」
不意にこっちを振り向いた透は、すっとんきょうな大声を上げた。俺が帰っていた事に気付かなかったらしい。声をかけなかった俺のせいだな。
「しっ、失礼しました。お帰りになっているとは思わなかったです……っ」
「ああ……まぁ、今帰ってきたトコだし……おまえも帰ってくんの早かったな」
「あ、はい。夕方から雨になると聞いたので……でも、いらぬ心配だったようですね。良かったです。やっぱり
茜色に染まった夕焼け空を見上げながら、透は嬉しそうに笑う。普段ならその笑顔を見られるだけで充分なのに、本当の透を見せてほしいと思ってしまった。
「なぁ、おまえの父親ってどんな顔していた? ……あんま憶えてないって言っていたけど、似てた?」
踏み入った質問を投げかけられ、透の動きがぴたりと止まる。シーツの向こう側にいる透は消え入りそうなほど小さな声で、「……そ、そう……ですね……顔は、あまり」と答えた。
次の瞬間、シーツを退けて顔を出した透は普段通りの明るい笑みを広げた。ふと思う。透がいつも見せる笑顔も、父親の真似だったりするのかと。
「で……っ、でも、あのっ、話し方がっ、話し方はとても似ているそうなんですっ。本当に……とてもっ。……『似てる』って、お母さん……も」
「――そっか。……じゃあ、嬉しかったろうな」
本田今日子に会った事を透に打ち明けない俺の今の有様は、“逃げている”としか言いようがない。それなのに俺は、透が普段目を背けている事柄を彼女に突きつけている。
「嘘……です。何も……似てないです。似てないから口真似しているだけです……」
再びシーツの向こう側に隠れてしまった透は、途切れ途切れに声を出す。
「……わ、私……は、本当はお父さんを……悪者のように思っていました……。おぼろげでも憶えているのに。優しかった事も与えてくれたモノも、ちゃんと確かに憶えているのに。それなのに」
去年の墓参りの時、透は父親の事をよく憶えていないと言った。
あの発言は透にとって父親に対する裏切りも同然で、罪悪感に苛まれているんじゃないか。
きっとこれは大好きな母親には言えなくて、気を許している
「お父さんは、お母さんを連れていってしまうんじゃないかって勝手に思って。だから、お母さんの気を……ひきたくて。私のところにいてほしくて」
シーツを握り締めた透は掠れ声で、「つなぎとめたくて」と言う。
「置いていかれるのは嫌だったから。自分が安心したくて、そのためだったらどんな事でもする私は、簡単に……お父さんを悪者扱いする私は」
懺悔をする透は涙声になっていた。
「…………自分のためなら、どんな約束も手放そうとする私は…………最悪です」
透が手放そうとしている約束が何なのか解らねぇが、母親絡みだろうとは予想がつく。
彼女にとって本田今日子は、どれほど時間が経っても1番大切な存在だから。
幼い透は母親に置いていかれたくなくて、記憶に残る父親の面影を追いかけながら母親をつなぎとめる方法を必死で考えたんだろう。
父親の話し方を真似ても、透は勝也にはなれないのに。的外れでも滑稽だったとしても、頑なにやり続けたその様はなんて愚か。
さびしさを押し隠すその様は、容赦なく自分を責めるその姿は、なんて愚かで愛しいんだろう。
胸の奥から熱いものが込みあげるのを感じながら、俺は透に近寄ってシーツと一緒に透の両肩をそっと掴んだ。
「……おまえの母親はそんなコトわかっていたよ、きっと」
透に告げた言葉は根拠のない慰めじゃない。
空き地で会った今日子が言っていたんだ。「置いてかれるのと、置いていくの、どっちが辛いコトなんだろうね」って。
「それでも支えに……なっていたよ」
「……そう……でしょうか……」
「そうだ、信じろ」
透の母親本人が言っていたと、いつか伝えるから。
「……突然へこたれた事言ったりして……ごめんなさ……」
そもそも俺が突然、本田勝也の話題を振ったせいで透がへこたれちまったから、謝罪を遮って「いい」と言う。
「いいんだ、いくらでも言え。幻滅なんかしない」
俺はそう遠くないうちに透に幻滅されるだろうが、今だけは俺の胸に飛び込んできた透の温もりを腕の中で独り占めしていたい。
その後で透は
「父親の写真……やっぱ持っていたのか。おまえらしいよ」
俺がそう言うと、透ははにかむように微笑んだ。写真の中で意地悪そうに笑う本田勝也とは、似ても似つかねぇな。
じいさんが一瞬だけ見せた表情は本田勝也に似ていると思うが、透はああいう笑い方はしない。透の笑顔は誰かの真似なんかじゃなくて、地だな。
△▼
Side:
「なんか人数集まっちゃったけど……夕飯どうしようか」
紫呉の家の居間で俺は考え込んだ。春と
「バーベキューやろーよ、バーベキューっ」
声変わりが始まってガラガラ声になった紅葉は、4月中旬くらいからグングン背が伸び、顔立ちも凛々しくなった。
さすがに女子用の制服は卒業して、男子用の制服を着用している。……ウサギリュックは卒業してないけど。
「てかさ……燈路達も来るなら来るで、一言連絡入れなきゃダメだよ? 事前連絡は大事だって、
放課後に皆でアイスケーキを食べる話がまとまった後、春と紅葉は紫呉の家に遊びにおいでと誘うメールを建視に送ったらしい。建視はまだ返信を寄越していないみたいだけど。
建視は5月中旬になった今も休学している。このまま欠席が続くと、留年してしまうんじゃないか。
燈路も付喪神憑きの従兄の事を気にしているのか、建視の名前を聞くと難しい顔になった。
「何度も言われたのは春兄だけだろ。オレは普段から事前連絡を心がけているよ。今日は杞紗が学校帰りに
若干投げやりになった燈路の視線の先には、熱い抱擁をかわす本田さんと杞紗がいた。あそこまでの相思相愛ぶりを見せつけられると、燈路は諦めるしかなくなるのかもしれない。
俺が本田さんに声をかけると、本田さんと杞紗は2人だけの世界からこちらへと帰ってきてくれた。
それから本田さんと杞紗も交えて、夕飯は何にしようかと相談する。紅葉が粘り強くバーベキューを主張した時、春が居間の机を軽く叩いて呟く。
「…………うん、よく燃えそう」
「「何する気!!?」」
俺と燈路の驚愕の声がハモった。バーベキューは危険だから、無難なカレーにしよう。
「お姉ちゃん……どうしたの……?」
周囲をきょろきょろと見渡す本田さんを気にかけて、杞紗が声をかけた。
「はい、えと……夾君は……」
「お姉ちゃん達が帰ってくる前に、夾お兄ちゃんは2階へ上がっていたから……お部屋にいると思うよ……?」
すると、本田さんは急に頭を左右に大きく振り始めた。……夾の事でなにか悩んでいるのかな?
「トール、どしたの? 気持ち悪くなっちゃうよ」
「い、いえ、あの、夾……夾君がいらっしゃらっ、ないので……」
「あーっ、ホントだ。キョーってばいなーいっ。ボク呼んでくるねーっ」
紅葉が呼びに行くと夾にどつかれると思うけど、紅葉は成長したから以前のように「キョーがいじめる~っ」と言って泣いたりしない……はずだ。
頭を勢いよく振ったせいで本田さんは目を回してしまったので、杞紗と一緒に居間で休んでいてもらう。その間に俺と春と燈路は台所に入って、カレー作りの準備を始める。
「ね、夾って……さ。
おーい、夾。
「……“好き”はダメなの?」
シンク下の収納スペースから寸動鍋を取り出しながら、春は直球で問いかけた。
「え……っ。だ……っ、だって……猫は…………」
台所に沈黙がおりた。
「……燈路ってみんなが避けて通る橋を、わざわざ選んで通るよね……」
春の指摘を受けた燈路はうっと呻いて、「自覚は……している」と言う。
「べっ、別に反対とかそういう訳じゃなくてさ……こう……モヤモヤというか心配というか……今さらだけどさ」
燈路の最後の言葉を聞いて、文化祭前に建視と交わした会話を思い出す。
――ご高説わざわざどうも。もっと早い段階で言ってくれたら心に響いたかもしれないけど、今さら言われてもね。
少し前まで俺は夾を嫌い抜いていたから、俺が夾の倖せを語るなんて白々しいと建視は思ったのだろう。
――猫憑きが幽閉される事は、草摩家の総意による決定事項だ。由希が
でも、違った。建視にとって幽閉は他人事じゃなかったんだ。俺は師範の家で療養する事になったリンのお見舞いに行った時に、それを知った。
――ところで
師範が静かな声で質問すると、暗い眼差しになった春は「……先代の盃の付喪神憑きが幽閉されていた土蔵」と答えた。
先代の盃の付喪神憑きに関する噂は聞いた事があるけど、幽閉されていたなんて俺は初耳だった。
――……やはり、まだあったのか。草摩家の中には、建視が先代の盃の付喪神憑きのように力を乱用するのではないかと恐れて、建視を幽閉するべきだと主張する者達がいるからね……。
師範は苦々しい表情で話していた。
建視を幽閉しろと言う人がいる事も初めて知ったから俺はショックを受けたけど、春は驚いていなかったから知っていたようだ。
――他人の気持ち自体を
ゴールデンウィーク中に会った時に兄さんはそう話していたけど、俺も似たようなものだ。
俺は長いこと自分の殻に閉じ籠っていて、敵意を向けてくる建視に良い感情を抱いていなかったから、建視が危うい立場にいる事を知ろうともしなかった。
建視が高校を休学してまで慊人の側近になったのは、本当に建視の意志なのだろうか。自分で決めた事なのだとしたら、建視はいったい何を考えているんだろう。
幽閉されないようにするため、慊人の側近になって草摩家の中での発言力を強めようとしたのか? だとしたら、リンを助けて慊人の不興を買うような事はしないよな。
建視の考えが
――最初からできないと決めつけて何もしないのは、現実逃避だよ。
俺だって少し前までは、夾にも倖せになる権利があるなんて考えた事すらなかったのに、偉そうに言ってしまった。そんな俺の言葉は、建視にとって気障りでしかなかっただろう。
今になって謝っても意味がないから、せめて自分の発言には責任を持たなくてはいけない。
「そう、“今さら”だ……どう言い繕っても。だからこそ、もっとシンプルに考えよう。倖せになるために、何をすべきか」
同じ言葉を建視に告げた時、付喪神憑きの従兄は何かに葛藤するような顔をしていた。
今はどうか解らないけど、慊人の側近になる前の建視は倖せになりたいと心の底では願っていたと思う。
建視が望んでいた“倖せ”は、草摩の「中」で慊人の言いなりになって過ごす未来ではないはずだ。
直接聞かないと本人の気持ちは解らないから、建視と1回ちゃんと話したほうがいいだろうな。俺が本家に行っても建視は面会拒否しそうだけど。
うーん、そうだな。花島さんに頼んで建視宛てのメッセージを書いてもらって、それを餌にすれば建視を誘き寄せる事ができるかもしれない。