Side:
僕は今、
加害者の僕はお見舞いに行く資格など無いのではと思うけど、謝りもしないで知らん振りをするのは良くないんじゃないかと思う。
迷いと罪悪感が心に重く圧し掛かっていたけど、思い切って病室のスライドドアを開けた。
紅野は上半分が起き上がった病床に横たわって、窓の外の景色を眺めていた。こちらを振り向いた紅野は、いつものように優しく声をかけてくる。
「やぁ、慊人。お見舞いに来てくれたのかい? ありがとう」
なんで被害者の紅野が礼を言うんだ。カッとなって声を荒げてしまいそうになったけど、寸での処で言葉を飲みこむ。
適切な返事が思い浮かばなかったので、僕は何も言わずに病床の側に置いてあった丸椅子に腰掛けた。
左腕に点滴をしている紅野の顔をまともに見られない。
僕が刺したせいで紅野は腰の辺りの神経を損傷してしまい、左足を動かせなくなってしまった。
手術をしても麻痺が残ってしまう可能性は高く、長時間の歩行や座る事が辛くなってしまうらしい。
僕が一時の感情に任せて傷つけたせいで、紅野は一生付き合わなくてはいけない障害を抱える羽目になったんだ。謝って許される事じゃない。
「……はとり兄さんから聞いたよ。あの後も色々とあったんだってね」
俯いて黙りこくる僕を見かねてか、紅野から話を振ってきた。
「慊人はもういいの?」
もしも、僕がまだダメだと言ったなら紅野はどうするのだろう。まだ側に居るのだろうか。
そんな事を思いながら紅野を見遣ると、彼は以前と変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。
……側に居てくれるような気がした。紅野はそういう
どうしようもなく甘くて、優しくて。ただ優しくあって。僕は長い間、そんな彼を殺し続けてきたんだ。
僕は涙を堪えきれなくて、ベッドの端に顔を埋めた。辛くて泣きたいのは紅野の方だと解っているのに、込み上げてくる嗚咽を止められない。
「ご……めん、ごめん、ごめん……っ」
無意味な謝罪を繰り返す僕の頭を、紅野がそっと撫でてくる。
僕の身勝手な発言をただ聞いて受け入れてくれる
紅野の病室を後にした僕は、病院の中庭にあるベンチに座っていた。
取り返しのつかない事をしてしまったと深く思い知った今、
「お見舞い? 1人で来たの?」
声をかけてきたのは制服姿の
――裏切り者! おまえなんかが、ここから……僕から離れたって、戻る場所も無いクセに!! 母親も父親も誰も、おまえなんか迎え入れたりするもんか!! 今さら、あの
6日前に紅葉と会って話をした時、彼を殴って八つ当たりして暴言を吐いた事を思い出した。気まずくて顔を逸らした僕に、紅葉は淡々と話しかけてくる。
「クレノもトールも、無事で何よりだね」
「責めればいいだろ……! 怒るなり……訴えるなり、もっとすればいいだろ。なんで……馬鹿じゃないのか……っ」
絶対に許さないと恨み言をぶつけてくれた方が、気持ち的に楽だったと思う。慰謝料を払ってくれと言われたら、幾らだって払った。
でも、紅野は僕に処罰や慰謝料を求めなかった。
僕に酷い目に遭わされたのに、10年以上も束縛されたのに、紅野は文句の1つも言わなかったんだ。
「何されても何を言われても許すなら、お人好しを通り越してただの馬鹿だ。救いようのない馬鹿だ……」
心に溜まった遣る瀬無さを吐き出すと、紅葉が冷ややかな声で「良かったじゃない」と言う。
「2人が“馬鹿”なおかげで、慊人は無罪放免だ。なら、良かったじゃない。“馬鹿”は利用できていいね」
少し前までの僕なら、紅葉が言った通りの事を思ったはずだ。優しさに気付かないで踏みにじって、馬鹿だと嘲笑ったに違いない。
馬鹿なのは僕の方だ。
ずっと慈しまれていた事を知ろうともせず、自分は愛されていないと嘆き。ずっと側にあった温かな気持ちを理解しようともせず、ぞんざいに扱ってきた。
「……アキト? どうして泣くの?」
さっきは罪悪感と後悔に駆られて涙が溢れたけど、これは違う。これは……。
「くやしい……自分がくやしい……っ」
己の愚かさが恨めしくて、自分の髪の毛を掴んで呻いた。
「じゃあ……これからは大切にすればいい。誰かにとってそれは馬鹿でも、自分にとっては馬鹿じゃないなら、自分は大事に……大切にすればいいんだ」
優しげな口調で話した紅葉は、「……それだけのことだよ」と言って僕にハンカチを差し出してきた。
どうして僕を慰めるような事を言うんだ。
僕はこれまで何度も紅葉を傷つけたし、紅葉が大切に想っている透も傷つけた。許せないと思うのが当たり前なのに、どうして。
理解できなくて見上げた先の紅葉は、柔らかな笑顔を浮かべている。
「……“バカな旅人”だなぁ」
どういう意味の発言なのか解らなくて僕が瞬きをすると、僕の隣に腰掛けた紅葉が「お話だよ」と言う。
「聞きたい? 聞いたら、きっとトールに会いたくなってくるよ」
紅葉は『笑える話全集』という本に収められた、『世界で1番バカな旅人』という題名の物語を話してくれた。
主人公の旅人は騙されやすい性格をしていて、人に出会う度に持ち物を騙し取られてしまう。
でも旅人はバカだから、騙りを働いた人々の「これで助かります」という嘘に気付かず、嬉しそうに泣きながら「お倖せに」と言うのだ。
着るものがなくなった旅人は人目を避けるために森の中に入り、そこに住む魔物達にも騙されて自分の体の部位を奪われていく。
頭だけになってしまった旅人は、助けを求めてきた魔物に自分の両目を与えてしまう。
魔物は旅人の目玉を食べながら「ありがとう、お礼に贈り物をあげます」と嘘を吐いて、バカと書いた紙切れを1枚置いていった。
「でも、旅人はもう無い目からポロポロ涙をこぼしながら言うの。『初めての贈り物だ。嬉しい、ありがとう』って。そして旅人は、そのままポックリ死んでしまいましたとさ」
紅葉の中学時代のクラスメイトは、この物語を聞いてくだらないと言って大笑いしたらしい。
僕はこういうおキレイな物語は嫌いだから、紅野や透の話をした直後でなければ、不愉快な話をするなと言って怒ったかもしれない。
「ボクは『世界で1番バカな旅人』の話を初めて聞いた時、目を閉じて旅人のことを考えてみた。だまされて頭だけになって、ありがとうと泣いた旅人のことを考えてみた。そして思ったんだ。ああ、なんて愛しいんだろう……って」
僕も目を閉じて、旅人に思いを馳せてみる。
思い浮かんだのは病床に横たわって微笑む紅野と、傷だらけになりながらも僕に握手を求めてきた透の姿。
2人とも、もっと自分を大切にすればいいのに。なんで他人の――しかも、危害を加えた僕なんかのために笑えるんだ。バカじゃないか。
だけど、その愚かさは決して軽蔑するようなものじゃない。紅野と透の事を考えると、まるで陽だまりの中にいるような温もりに包まれる。
温かさが心地よいけど、慣れないから少し戸惑ってしまう。この繊細で複雑な感情が、愛しさなのだろうか。
「大切に……できるかな。どうやって大切にすればいいか、よくわからないんだ」
「わからなかったら相手に聞けばいいんだよ。相手の気持ちを急に全部わかるようになるワケないんだから。話し合って、時にはケンカして。痛みを知って、喜びを分かち合って、お互いを理解していけばいいと思うよ」
それを聞いた時、別荘で紅葉に八つ当たりしてしまった事を思い出した。
――アキト……どうしたの。何をそんなに怒っているの。何か……あったの?
あの時の僕は、
当の紅葉は夜中に訪れた僕を見て、会話が成立しない状態だと察したはずだ。それでも紅葉は、僕との対話を試みてきた。
僕は紅葉のような勇気はない。弱くて臆病で、それを隠すために虚勢を張って他者をたくさん傷つけた。
だけど、透はこんな僕と友達になりたいと言ってくれた。今もそう思ってくれているかどうか、わからないけど。
会いたい。会って話をしてみたい。
僕が躊躇いながら透の病室に入ると、頭部に包帯を巻いた透は驚いたように焦げ茶色の目を丸くする。
「慊人さん、こんにちはっ。来て下さって、ありがとうございます……っ」
心底嬉しそうに顔をほころばせた透を見た瞬間、喜びや気恥ずかしさや罪悪感が一気に湧き上がってきた。
「こ……っ、これでも僕は、多少の譲歩を覚えたから……」
「進歩ですよ?」
透はやんわりと訂正してから、右手を差し出した。
……どうして、進歩だなんて言えるんだろう。
透は検査の結果、後遺症は残らないと診断されたと聞くけど、僕がナイフで斬りつけた腕の傷は一生残ってしまう。
恨んで当然なのに、全てを水に流して前に進もうと言うなんて理解できない。
1歩を踏み出せず入口に佇む僕に向かって、透は手を差し伸べ続ける。
腕に傷を負ったのにその体勢を維持するのは辛いだろうと思い、僕は透に近寄って彼女の手をそっと握った。
念願が叶ったかのように目を細める透を前にして、むずがゆい気持ちになる。
僕が壁際に設置されたベンチソファに腰掛けると、透は病床の上に正座した。
枕元に置かれたクリーム色のウサギのぬいぐるみを見て、紅葉に言われた事を思い出しながら僕は口を開く。
「妬ましかったんだ、結局、おまえのこと。僕よりずっとキレイだから」
「私……“キレイ”じゃないです……」
謙遜も度が過ぎると嫌味に聞こえる。ムッとした僕が軽く睨みつけたら、透の眉毛は悲しみを表すようにハの字に下がった。
「どうか“キレイ”だとかそんなモノに小分けして分類して、距離を置かないでください……。私をキレイだと仰って下さるなら、慊人さんだってキレイです……。さびしいと、こわいと泣いた慊人さんは、痛々しいほど無垢で純粋です……」
無垢とか純粋とか僕からかけ離れた単語が出てきて、どう反応すればいいのか解らない。
「私は、そんな慊人さんが望む世界を壊そうとしている
それを聞いて、透は全てを水に流した訳じゃないと悟った。
僕の心の痛みを受け止めてくれた透は、“絆”を壊してしまう事への罪悪感を抱いている。
透は
「でも、それでも、慊人さんとお友達であり続けたいと願います……」
互いに傷つけあったのに友達になろうと言うなんて、綺麗事も良いところだけど。
“バカな旅人”のように自分が傷つくのを厭わず、他者と関わろうとする透の言葉は、口先だけじゃないと信じられる。
「……しつこいな……」
嬉しいけど素直に受け入れる事ができなくて、ひねくれた返事をしてしまう。
僕が拒絶してない事を察したのか、透は弾けるように笑った。見ている僕の顔がつられて緩んでしまいそうな、開けっぴろげな笑顔だった。
友達を得ることができた僕は、少しは変われただろうか。
紅野が望んだように、変われる事ができるかな。
▼△
Side:
僕が復学してから3日後。
紅葉は午後の授業をサボって、本田さんのお見舞いに行ったようだ。僕は放課後になったら、お見舞いに行こうと考えていたんだけど。
3‐Dの教室脇の廊下が修羅場と化しそうだったから、成り行きを見守る事にした。
「……あの、よ。見舞いに……行きてぇんだけど……通してくれねぇ?」
冷や汗ダラダラな
「『見舞い』ですって……? あんなに病院へ行くのを嫌がっていたのに考えを変えたのかしら。ねぇ、ありさ……優しいと思わない……?」
「やっぱ違うよなぁ。さすがって言うか……心が洗われるよな、花島ぁ」
……正直言って怖い。嫉妬の鬼と化したぐれ兄より怖いよ。彼女達の威圧を正面から浴びる夾が、気の毒に思えてしまうほどだ。
「……なあ、言いたい事あるなら……」
この状況で口答えするなんて、夾、おまえは勇者か。
「透の付き添い拒否っておきながら、どのツラ下げて見舞いだ、この色ボケがぁ!!! 仕舞いにゃ吊るして揺らして飛ばすぞ、あ゛あ゛!!? 花島、槍ィ!! 槍持ってこい!!!」
「ダメよ、ありさ……物的証拠が残るわ……」
殺意が滲み出る発言をした花島さんとは反対に、魚谷さんは怒鳴った事で腹立ちをいくらか抑え込んだようだ。
「……まったく。透をあんなボロ雑巾みたいにしやがって! 大事に至らなくて良かったけど、そーいう問題でもねぇだろ!」
「…………ああ、わかってる」
夾が悔いた声で答えると、魚谷さんがくわっと目を見開いて「『わかってる』ぅ!?」と夾の発言を反復する。
「わかってる奴が透に向かって、『幻滅だ』とかほざくのか!?」
「な……っ、え……!? なんで知……っ」
はっと息を呑んだ夾は、近くにいた由希を見る。
顎に手を宛がって考え込む素振りをした由希は、「ああ……しゃべったの俺だった……かな?」と言った。すっげえ白々しい。
今日の昼休み。由希は花島さんと魚谷さんと紅葉と春と僕を屋上に呼び出し、本田さんの告白に対して夾が「幻滅だ」という暴言で答えた事を、サラッと暴露したのだ。
それを聞いた花島さんと魚谷さんがブチ切れたのは想定内だったけど、紅葉が黒いオーラを漂わせて「キョーにはオシオキが必要だね」と言うなんて誰が予想できただろう。
「ごめん……っ。まさか、こんなに怒りを買うとは全っ然思わなくて……ホントごめん……っ」
申し訳なさそうに苦笑する由希は、今までになく輝いて見えた。
由希って腹黒属性だったっけ? 純粋無垢だった紅葉が黒くなっちまった事といい……。
「ぐれ兄菌のせいだな」
僕が思わず呟いたら、僕の隣にいた春が「建視の影響じゃない……?」と言い返した。
「僕はぐれ兄に影響されて腹黒になっちゃったから、元凶はぐれ兄だよ」
「……確かに元凶は先生だね」
淡々と受け答えた春の表情に、怒りは見当たらない。
慊人が暴走した経緯を教えてほしいと由希に言われたので、僕は昨日の昼休みに説明したのだ。
例の箱の話題に春が食いついたので、何かあるのかと思って聞いてみたら、とんでもない事実が発覚した。
リン姉は楝さんに唆されて例の箱を盗もうとして、その現場を慊人に見つかって怒りを買った結果、あの蔵に閉じ込められたらしい。
それじゃ、ぐれ兄が例の箱の存在を楝さんに教えたせいで、リン姉はあんな目に……と、僕は思わず言ってしまった。
正確に言うなら、わざと口を滑らせた。
だって、今回の騒動は本田さんのおかげで丸く収まったけど、一歩間違ったら死人が出ていたかもしれないんだよ? 黒幕のぐれ兄は、少しは痛い目を見ればいいんだ。
そんな僕の思いとは裏腹に、春はぐれ兄の暗躍を知って怒ったけどブラックにはならなかった。
慊人がリン姉を酷い目に遭わせた原因の一端に、春自身も絡んでいるから、ぐれ兄を一方的に責める事はできないんだってさ。
「建視、復讐は何も生まないよ……」
「僕は何も言ってないんだけど。まさか花島さんに頼んで、僕の心を読んでもらったのかっ?!」
「納得いかないって思い切り顔に出ていたから、何を考えていたのか見ればわかるよ……」
春が呆れを含んだ視線を僕に向けた時、魚谷さんが夾を指差してきっぱりと告げる。
「おいっ。おまえ、透への見舞い、禁止だからな!!」
「は!? 待……っ、待てよ、そんなん」
夾の反論を遮って、花島さんが静かな口調で「会ってどうするの……?」と問いかける。
「工夫もひねりもなく謝るだけなら迷惑だわ……そんな
花島さんは夾を見据えていたけど、彼女の言葉は僕にも突き刺さった。
「透君が望むのはそんなことなのかしら……? 本当に悪いと思っているのなら、やるべきことはもっと他にあるんじゃないかしら……?」
猫憑きの従弟にとってのやるべきことは、ずっと避け続けていた実父との対話だろう。
夾の実父の
それでも、夾が逃げずに前を向いて草摩の「外」で生きていく道を選ぶのなら、
「……そうだよな。もっと……色ンなこと、しっかりしなきゃな……」
そう呟く夾は弱々しく見えたけど、後ろ向きな感じではなかった。
溜息を吐いた魚谷さんは「おっせーんだよ!!」と言ってから、夾のオレンジ頭をぺんっと叩く。
「そろそろ、男あげろよなっ」
あれだけ夾に対して激怒していた花島さんと魚谷さんだったが、結局は夾を激励している。半分以上は本田さんのためだろうけど。
花島さんと魚谷さんが立ち去った後、春が出し抜けに「……てかさ」と言う。
「本田さんの事故、全部夾のせいになってない……?」
事故当日の花島さんと魚谷さんは、慊人に対して怒りを燃やしていたと記憶している。
本田さんが自分のおじいさんを通じて、慊人を擁護するメッセージを彼女達に伝えてくれたのだろうか。
「……いいよ。俺が悪いのは……変わらないし。ああやって怒ってくれると、逆に楽だ……」
夾が逆に楽とか言ったのが気に食わなかったのか、由希は無言でその場から離れていった。
「本当にお見舞いを自粛するのか?」
僕の問いかけに、夾は迷わず「ああ」と答えた。
「夾って……バカだよね」
慈しむような笑みを浮かべた春の言うバカは、愚直という意味合いだろう。
以前の夾だったら、言葉の裏を読まずに「バカって言うな!」と噛みついただろうが。
「……知ってんよ」
そう答えた夾は、拗ねたように頬を赤らめていた。