side:
皆の目的は、本田さんのお見舞いだ。本田さんの病室は一度に3人までしか入れないから、休憩室で順番待ちをしているのだ。
今は
それはそうと、魚谷さんは
僕は今日の休み時間中に、紅野兄が入院している事を魚谷さんに話した。紅野兄を刺した犯人は
本田さんが取り成してくれたおかげで、魚谷さんと花島さんと恵君の慊人に対する怒りは解けたのに、それが再燃する危険は冒せない。
そんな事を考えながら、待つこと30分。本田さんとの面会を終えた由希が、「建視、ちょっといいか?」と呼んできた。
「建視と個人的に話したい事があるって本田さんが言っていたから、1人で病室に行きなよ」
慊人もしくは紅野兄に関する話だろうかと思いながら、僕は「わかった」と答えた。
「それから、本田さんの前で
夾の幻滅発言は、本田さんの心に深い爪痕を残したらしい。魚谷さんと花島さんが知ったら、夾に対する怒りを更に募らせるだろうな。
猫憑きの従弟の話題はNGと胸に刻んでから、僕は1人で本田さんの病室に入る。
「こんにちは、本田さん」
「建視さん、こんにち……ああっ!」
病床に横たわっていた本田さんは、僕を見るなり驚いたような声を上げる。
「建視さんが制服を着ていらっしゃるという事は、もしかして……」
「3日前に復学したんだ」
「わぁ……っ! よかったですっ、嬉しいです……っ。建視さんと学校でお会いするために、1日も早く怪我を治しますねっ」
元気な本田さんを見て、ほっとする。本田さんの目は少し赤かったから。
僕は学校帰りにデパートに寄って買ってきた、お煎餅の詰め合わせを本田さんに渡した。クッキーやマドレーヌは他の人が贈るだろうと予想して、しょっぱい系にしたのだ。
「建視さん、ありがとうございます……っ。大事に食べますねっ」
「何か食べたいものとか、欲しいものとかあったら遠慮せずに言ってね」
「はい……っ、お気遣いありがとうございますっ」
満開の笑顔でお礼を述べた本田さんは、表情を引き締めた。本題に入るのだろう。
「あ……の、建視さんにどうしてもお願いしたい事があるのです。それが、その……非常に厚かましいお願いですので……」
「引き受けたよ。僕に頼みたい事って何?」
僕が内容を聞かずに承諾した事に驚いたのか、本田さんはまばたきを繰り返した。「お嫌でしたら断って下さいね」と念を押してから、本田さんは話し出す。
「……私のお母さんが事故に遭った時の記憶を知りたいので、お母さんの遺品から……残留思念を読んで頂きたいのです」
「どうして知りたいと思ったのか、聞いてもいい?」
無言でうなずいた本田さんは、ポツリポツリと話し始めた。
……夾と本田さんのお母さんの間に、そんな因縁があったなんて。
一昨年の5月に夾が失踪した理由はずっと不明だったけど、ようやく解った。
本田さんに対する罪悪感は半端なかっただろうに、夾はよく本田さんと同居生活を送れたな。
「慊人から許可を得られたら、本田さんのお母さんの残留思念を読む事はできるよ。でも……いいの?」
真実は時として残酷だ。暴かない方がいい事もある。
そういう意味を込めて問いかけたら、本田さんは迷いなく「はい」と答える。
「お母さんは、夾君を恨んでなどいないと思います。もし本当に許さないと言ったのだとしても、それは憎しみから生まれた言葉などではありません。絶対……絶対です」
僕をまっすぐ見据えてそう言い切った本田さんの表情に、不安や恐れは見当たらない。お母さんの事を心の底から信じているのだろう。
「ですが、私の言葉だけでは……き、夾君に信じて頂け……ないので……っ、建視さんのお力をお借りしたく……っ」
次々と溢れる大粒の涙に声を遮られた本田さんは、自分の頬をべしべし叩き始めた。
「ダメだよ、本田さんっ。頭を強く打ったのに、頭部に衝撃を与えるような事しないで」
本田さんは頬を叩くのは止めてくれたけど、涙は止まらない。泣きやませる方法が思いつかなかったので、僕は本田さんの頼みを引き受けた。
お礼を述べた本田さんは笑顔を浮かべていたけど、悲しみは隠し切れていなくて。見ていてあまりに痛々しい。
本田
それが死者に対する冒涜でも、本田さんを裏切る行為だとしても、本田さんが以前のように笑ってくれるなら、罪悪感を背負うぐらい大した事ない。
△▼
Side:
「邪魔するぜー」
「お邪魔します……」
私とありさは学校帰りに
2階にある
「十二支の置き物が飾ってある棚の、左上の引き出しの中にあるって言ってたな」
「前から気になっていたんだけど、どうして十二支の中に盃があるのかしら……」
透君が紙粘土で作ったと思われる小さな赤い盃は、内側にニコちゃんマークが描かれている。
「猫だって十二支じゃねぇだろ」
「十二支の昔話の中に猫は登場するから、まだ理解できるのよね……」
オレンジ色の猫の置き物も透君のお手製でしょうね。色合いのせいか、これを見ると草摩夾を連想する。
重要なヒントが目の前にあるような気がするのに、答えに辿り着けない。そんな感じがするわ。
考え込む私を余所に、ありさは引き出しを開ける。蓋の部分に黄色い十字が描かれた、キップ○イロール-Hiの缶が目当ての品。
この缶は今日子お母様が
透君の病室がある階の休憩室に着くと、制服姿の建視さんが椅子に座っていた。
普段なら透君のお見舞客が大勢訪れるのだけど、今日は彼1人。透君は大事な用があるから今日の午後は面会できないと、建視さんが関係者に連絡したらしい。
「本田さんのお母さんの遺品はあった?」
「無かったら、盗んだ犯人を捜し出してヤキ入れに行ってるっつーの」
それもそうだねと苦笑した建視さんからは、緊張の電波は感じない。その代わり、戸惑いの電波が響いてくる。
これから建視さんは、今日子お母様の遺品から残留思念を読む。その場に私とありさが同席するなんて、建視さんは予想していなかったものね。
透君も当初は、私とありさに黙って事を済ませようとしていた節があったわ。
今日子お母様の遺品を取ってくるには、私達に事情を説明する必要があると気付いて話してくれたけど。
どうしてもっと早く教えてくれなかったのと恨めしく思ってしまったけど、話を聞いて透君が私達に言いにくいと思ったのも当然だと理解したわ。
草摩夾が今日子お母様の事故現場から逃げ出したと聞いた時は、1週間ほど寝込むような毒電波を草摩夾に叩きこんでやろうかと思ったもの。
――透から話を聞いた時はキョンをブチのめしたくなったけど、冷静になって考えてみたら事故を目撃したあいつはパニくっていただろうから、一方的に責める事はできねぇなって。
ありさの言う事には一理あるけど、私は心の折り合いをつける事はまだできなかった。
今日子お母様が「許さないから」と仰った真意を確かめないと、草摩夾に対する負の感情は消えない。
だから私は、建視さんに頼んだ。今日子お母様の残留思念を読んでいる最中の、建視さんの電波を受信させてほしいと。
今日子お母様が草摩夾に恨みを抱いていたと知ったら、建視さんはそれを隠蔽しそうだと思ったからという理由もある。
建視さんは事を丸く収めるべく、あえて自分が貧乏くじを引く傾向があるもの。
透君の笑顔が曇らないようにするため、自分が罪を背負えばいいとか考えていたんじゃないかしら。
私達の話を聞いたありさが、「あたしも今日子さんの最期の記憶を知りたい」と言い出したのは予想外だったわ。
建視さんの電波を受信し終えた後、口頭で伝えればいいのかと思ったけど。ありさは「電波で生中継ってできねぇか?」と、無茶振りしてきた。
できない事はないけど、実行するのは躊躇われた。今回の試みは初めての事だから、何が起こるか予測がつかない。
ありさに害が及ぶかもしれないと私が警告すると、ありさは笑いながら「電波のせいで多少頭痛がしてもヘーキだ。こちとら痛みにゃ慣れてんだよ」と言った。
そして更に予想外は続いた。私とありさの参加を透君に伝えたら、透君も知りたいと言い出したのよ。
透君が今日子お母様の最期の記憶に触れたら、辛い思いをするのではないか。そう考えて、思い止まるように言ったら。
――どんな形でもいいので、お母さんの声をもう一度聞きたいんです。
と、透君は言ったのよね。そう言われたら、ダメとは言えない。
私の力で、透君とありさにも今日子お母様の最期の記憶を伝える事になったと報告したら、建視さんは驚いていたわ。
私とありさと建視さんは透君の病室へと向かう。
病床で上体を起こしていた透君は、深緑色の手帳を見ていた。あの手帳には、今日子お母様の写真が入っていたはず。
……透君は今日子お母様の声を聞きたがっていたけど、最期の記憶に触れるのは流石に躊躇いがあるんじゃないかしら。
「あっ。うおちゃん、はなちゃん、建視さんっ、こんにちは……っ」
透君は私達に気付くと顔を上げて、普段通りの朗らかな笑顔を広げた。
「よっす」
「こんにちは……」
「やぁ、本田さん」
私とありさと建視さんは挨拶をしてから、壁際のベンチソファに腰掛ける。
「よしっ、早速おっぱじめるか」
「えっ、もう?」
「引き延ばしたって意味ねぇだろ」
ありさと建視さんが話している間に、私は通学バッグの中からハンカチに包んだ缶を取り出した。
透君は私から受け取った缶の中を確認してから、「これが……そうです」と言って建視さんの方に差し出す。
缶の中には白いスポンジが隙間なく嵌めこまれていて、その中央に3ミリ程度の極小の赤い石があしらわれたピアスが納まっていた。
建視さんは受け取った缶をベッドの上に置いてから、右手の手袋を外す。
「それじゃ始めるよ。花島さん、いつでもいいからね」
許可が出たので力を使って、建視さんの心の
(おーい、花島さん。聴こえる?)
(聴こえているわよ)
(えっ。花島さんの声が頭の中に直接響いた。なにこれ素敵。ゾクゾクする)
私達が我儘を言ったせいで建視さんは内面に直接干渉される事になったから、嫌悪を示すのではないかと思っていたけど。
響いてきた
(真面目にやって頂戴)
(わかってるよ。依頼を受けて残留思念を読むのは久しぶりだから、緊張をほぐしたかったんだ)
依頼という言葉から、わずかに嫌悪の電波を感じた。
(待って、建視さんは透君の頼みが嫌だったの?)
(え? 嫌だったら引き受けないよ。僕が嫌だと思ったのは、草摩家の仕事の依頼のほう。その、草摩家の仕事には触れないでね。あまり気持ちのいいものじゃないから)
忠告してくる建視さんの
誰にでも触れてほしくない事はあるから、暴こうとはしないけど。建視さんの小さく泣くような
いけない。私と建視さんが無言で見つめあっているから、透君とありさが困惑しているわ。気持ちを切り替えないと。
「建視さん、始めて頂戴……」
私が合図を出すと、建視さんは右手の人差し指でピアスの赤い石に触れた。次の瞬間、今日子お母様の
――駄目、駄目だ、どうしよう。まずいよ、だって、なんにも聞こえない。痛みもない。あったかくて、さむい。
懐かしいなどど感傷に浸る余裕はない。今日子お母様の
――なんで、こんな暗いんだ。なんで、こんなに静かなんだよ。ねぇ、なんで。ねぇ、嘘だろ? こんな、駄目だ。
今日子お母様の戸惑いと恐怖がひしひしと伝わってきて、私の心は酷く掻き乱された。
私を介して同時にそれを受け取った透君とありさが、涙を流している。視界がぼやけているから、私も泣いていたみたいね。
――透、あたし、死ぬみたい。どうしよう、嫌だ、死にたくないよ、だって嫌だよ。透を1人置いて、こんなのってない。こんなお別れの仕方ってない。
今日子お母様の嘆きを聴いて、胸が張り裂けそうになる。
2年前の5月1日。今日子お母様が事故死したという報せを受けて、私は足元から世界が崩れていくような絶望を味わった。
最後に今日子お母様とお会いした時は、いつものように笑っておしゃべりしたのに。ゴールデンウィークは、皆でハイキングに行こうかと話し合ったのに。
「また今度」と言い合って別れたのに、もう二度と会えなくなってしまうなんて夢にも思わなかった。
――あたしがいなくなったら、あの子どうなるの? あの子、まだ高校生になったばかりで。まだ子どもで。まだ、まだ。
真っ暗闇の中に見覚えのある光景が浮かぶ。あれは今日子お母様と透君が住んでいた、アパートの一室だわ。
畳の上に敷かれた布団の中で眠る透君のあどけない寝顔。それが、今日子お母様が最後に見た透君の姿。娘の成長を見守れないと、今日子お母様が悔やんでいらっしゃる。
……ダメ。これ以上は悲しすぎて耐えられない。でも、透君は止めてほしいと言ってない。
残留思念を受信させてほしいと私が言い出した以上、最後まで役目を果たさないと。
――勝也、あたしわかった。置いていくのも置いてかれるのも、どっちもつらいね。
青みがかった黒髪を短く整えた男性の後ろ姿が、暗闇の中に浮かんだ。アパートの仏壇に飾られていた遺影でしか見た事がないけど、あの方は勝也お父様ね。
――……ゴメン。ゴメンね。ゴメンね、透。あたし、ちゃんと愛せてた? 透、あたしはね、もっともっと愛したかった。
「おか……さ……」
透君の嗚咽混じりの声が聞こえる。私もできる事なら、大声を上げて泣き喚いてしまいたい。
身を引き裂くような悲哀と後悔、娘に対する申し訳なさと溢れんばかりの愛しさが私の頭の中に響いてくる。
――誰か、誰かあの子を守って。自分の事で泣くのは、あまり上手じゃない子だけど。それでも泣いてたら、あの子の側にいてあげて。
今日子お母様の懇願を聴いて、私は心の中で謝った。
いざとなったら透君を絶対守ると今日子お母様の墓前で誓ったのに、透君がテント暮らしをしていた事に気付けなかったから。
――お願い、誰か。ねぇ、誰か。あたしの宝物、守って。誰か。誰か。
真っ暗だった今日子お母様の視界が明るくなって、周囲の様子が見えるようになった。
娘を守ってくれる人を捜さなければという一心で、最後の力を振り絞って視力を取り戻したのかもしれない。
事故現場にいた人々の中に、オレンジ色の髪と瞳を持つ草摩夾が立っていた。
悲痛そうに歪んだ草摩夾の顔を見た瞬間、今日子お母様はランドセルを背負った幼い草摩夾の姿を連想なさった。
――お願い。あたしの事忘れてても、あの子に会ったらどうか思い出して。次にあの子が迷った時は、今度こそ見つけ出して。どうか、一度きりだっていい。
今日子お母様の意識が過去へと飛ぶ。夕方になっても幼い透君が帰ってこなかった日の出来事。
偶然アパートの近くを通りかかった草摩夾は、今日子お母様から事情を聞いて自分が透君を見つけてくると言った。
――絶対助ける、守ってみせる! 男の約束!!
草摩夾はそう宣言したけど、迷子になった透君をアパートまで連れてきたのは違う子だった。
透君を助けた子が置いていった青い帽子を見た草摩夾は顔色を変え、「あいつはヤな奴だ!!」と怒りを露にしている。
(この様子からして、迷子の本田さんを助けた子は由希だったんじゃないか?)
建視さんの心の
自分で透君を助けられなくて拗ねた草摩夾は、今日子お母様を突き飛ばして立ち去った。
今日子お母様は草摩夾の所業に腹を立てず、笑いながら「“約束”、ツケね!」と言って見送った。そこで回想が途切れる。
――ツケ、払ってくれなきゃ……
「許さないから……」
最後の力を使い果たした今日子お母様は、それだけを言葉にするので精一杯だったのね。
中途半端になってしまった言葉をそのまま受け止めた草摩夾は、事故現場から逃げるように走り去っていく。
――どうか、どうか、お願い。どうか、どうか、あたしの代わりに、あの子を守って。
遠ざかる草摩夾の背中に向かって今日子お母様はひたすら願っていたけど、視界が徐々に闇に包まれる。
――……ああ、沈んでく。閉じていく。ゴメンね、お別れみたいだ。……どうか透が倖せになりますように。どうかたくさんの人に愛されますように。
今日子お母様の
――迷っても間違っても、最後には生きた事に誇りを持てるように。『がんばったね』って言ってもらえるような一生を送って。うれしい事やかなしい事をくりかえして、そうやって歳を重ねていくんだよ……
娘の倖せを祈る切なる祈りを最後に、今日子お母様の
私は堪えきれずにしゃくり上げる。ありさは大声を上げて泣き、透君はベッドに突っ伏して号泣して、建視さんは無言で涙を流していた。
優しくて温かくて大らかでまっすぐな今日子お母様に、もう二度と会えない。
今日子お母様は充分頑張っていましたと伝えたくても、伝えられない。
残酷な現実を再び突きつけられた気分よ。
私と透君とありさは何十分も泣き続けた。泣きすぎて頭が痛くなってきた頃、ありさがティッシュで鼻をかんでにっかりと笑う。
「今日子さんは、やっぱり今日子さんだな」
「ええ、本当に……」
「建視さん、はなちゃん……お母さんの最期の記憶を伝えて下さって、本当に……本当にありがとうございました……っ」
ベッドの上で正座をし直した透君は、頭を深々と下げる。数秒後に頭を上げた透君は目が赤く腫れていたけど、喜びに満ちた笑顔を浮かべていた。
「あたしからも礼を言うよ。リンゴ頭、花島、ありがとな」
「建視さんのおかげで、今日子お母様の想いを誤解せずに済んだわ……どうもありがとう……」
ありさと私が感謝を述べると、建視さんは照れたように頬を掻いた。
「お役に立てて何よりだよ。僕は自分の力を好きになれなかったけど、喜んでもらえて初めてこの力があって良かったって思えた」
「私も……誰かを傷つけるだけだったこの力のおかげで、今日子お母様の真意に辿り着けるなんて……」
私が何気なく建視さんを見遣ったら、彼の視線とかち合った。
どうやら建視さんも同じような事を考えていたみたい。私と建視さんは、どちらからともなく笑い合う。
物心ついた頃から疎んで忌まわしく思っていた力が、大切な人達を笑顔にするなんて思ってもみなくて。
ましてや、似たような力を持つ者同士で喜びを分かち合えるなんて夢想だにしなかった。
これは紛れもない奇跡だわ。今日子お母様が最期の瞬間まで、透君を一心に愛し続けたからこそ起きた奇跡。
私は心の中で、今日子お母様への感謝を唱えた。