神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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71「おまえと一緒にいたい……っ」

Side:(きょう)

 

 

慊人(あきと)から話があるらしいから、物の怪憑きは来週本家に全員集合しろってさ」

 

 俺と由希(ゆき)と春を屋上に呼んだ建視(けんし)は、開口一番そう言った。

 集まりなら俺は関係ねぇじゃんと思っていたら、建視は俺を見据えて「猫憑き()もだよ」と付け加えた。

 

「何の話だろう……」

 

 考えるように口元を手で押さえた由希の呟きに、建視は肩を竦めて「さぁ」と答える。

 

「でも……最近の慊人のことを考えると、悪い話じゃない……かも。……最近変わったからね……」

 

 慊人は師匠と話をして、猫憑きの離れは壊すと約束してくれたらしい。盃の付喪神憑きの蔵も取り壊すという話題も出たようだ。

 俺は盃の付喪神憑きの蔵(そんなモン)があったのかと驚くと同時に、反吐が出る思いがした。草摩(そうま)の闇深さを、改めて思い知ったから。

 

――おまえなんか産まれたせいで……っ。尭子(たかこ)が猫憑きなんか産みやがったせいで!! 許さないぞ、俺は絶対許さないぞ、畜生……っ。おまえら、俺の顔に泥塗ってそんなに楽しいか!!

 

 俺の父さんは、猫憑きの息子が「外」で生きる事を絶対に許さないと言っていたから、慊人に抗議したはずだ。他にも反対する奴は大勢いると思う。

 説得するのは簡単じゃないことはわかる。納得させるためには、おそろしいほどの時間がかかることも。もしかしたら永遠に、わかりあえないかもしれない。

 それでも、ひどく困難なことにぶつかっても、立ち止まらずに生きていくと決めた。変わり始めた慊人も、俺と同じ思いでいるんじゃないか。

 

「あの騒ぎの後から……慊人は色々闘っているみたい。慊人が急に変わったから『中』の人間も戸惑っているみたいで、ちょっと……いい気味」

 

 春が意地悪っぽく最後の言葉を付け足すと、由希は苦笑して「……まぁね」と応じる。

 草摩の上層部に思うところがありそうな発言をしていた建視は、ざまあみろと言って大笑いするかと思いきや、納得がいかないと言いたげな渋面を作っていた。

 

「建視、どうかした……?」

「結果的に見ると、ぐれ兄がまんまと漁夫の利を得たなと思って」

 

 紫呉(しぐれ)がどんな利益を得たのか俺にはさっぱりだが、由希は思い当たったらしく「あ゛~……」と唸り声ともつかない声を上げる。

 

「だから最近、紫呉は留守がちなのか」

「ぐれ兄は本家に入り浸って、紅野(くれの)兄の代わりに慊人の補佐をしているよ」

「先生って両刀だったんだ……」

 

 春の発言を聞いた由希は複雑そうな面持ちになり、建視は「その可能性は否定できないな」と言った。

 

「作家と補佐の掛け持ちをしているって意味か?」

 

 俺が疑問を口に出すと、建視はわざとらしい微笑みを浮かべて俺を見てきやがる。

 

「夾はそのままでいろよ」

「なんの事だかわからねぇが、バカにされている事はわかるぞ……っ」

「あ、そーだ。バカのバカ声聞いたら思い出した」

 

 唐突に話題を変えた由希は、俺を指差した。

 

「……おまえ、最近益々俺に容赦ねぇよな……?」

「イジめるのは愛情表現っていうし……」

ごめん……っ、ホントごめん……っ

 

 笑いながら謝る由希は、欠片も悪いとは思ってねぇだろう。

 由希も(とおる)を特別視しているから、俺の事を許せないって思うのは理解できる……が、こうやってチクチク責められるのは地味に堪える。

 

「いーから、さっさと用件言えや!!」

本田(ほんだ)さん、明日退院するって。魚谷(うおたに)さんが言ってた」

 

 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 

「早く言えー!!!」

 

 俺は大声で叫びながら全速力で屋上を後にした。3-Dの教室の中に駆け込み、席に座って雑誌を見ていた魚谷と花島(はなじま)に確認をとる。

 

「きいたぞ!! 退院だって!? 俺も迎えに行っていいんだな!? いいんだよな!?」

「あ゛~、うっせぇなぁ、わかったよ。けどなぁ、透にダッシュで逃げられても後悔すんなよぉ~?」

 

 魚谷は揶揄するように言った。花島の満面の笑みからは、「なにせ透君はふられたと思っているのだから……」と言わんばかりの圧力が伝わってくる。

 

「だっ、大丈夫だ、努力するっ」

 

 内心不安で一杯になった俺は魚谷に言われるがまま、透の退院祝いに贈る服を選ぶ事になった。俺が選んだ服は着たくねぇとか透に言われたら、俺は泣くかもしれねぇ。

 

 

 

 そして、今日はいよいよ透が退院する日だ。徒歩で病院に向かいながら、俺はどんどん増す緊張と闘っていた。

 出かける前に由希の奴に、「せいぜいヘマせず、いつも通りバカなおまえで行けよ」なんて言われたけど、“いつも通り”ってどんなだった?

 以前はどんな風に透と接していたのか思い出せねぇ。ようやく透に会えるっつーのに、考えすぎてよくわかんなくなってきた。

 

 大体、あいつは今も俺を受け入れてくれるのか?

 俺が幻滅だとか言ったせいで、透は振られたと思い込んでいて。挙句、俺の名前を聞くだけで怯えるようになっちまったらしい。

 

 ……俺は? 俺は今も、あいつをホントに好きか?

 

 自問自答しているうちに、いつの間にか病院に辿り着いていたようだ。病院の門前に立っていた魚谷と花島が見えた。

 魚谷が誰かを手招きして、俺を指差す。魚谷が見ている先に視線をやると、焦げ茶色の髪をなびかせて歩く透がいた。

 

 透と目が合った瞬間、グダグダ悩んでいた事が一気に消え去る。

 どこが好きとか、何が好きとか、どれくらい好きとか、そんなのは全然関係ない。

 好きだ、好きだ、ただ好きなんだ、死ぬほど。

 

「……透」

 

 俺が呼んだ途端、透は一目散に走って逃げた。体中の力が抜けた俺は、アスファルトの道路の上に両手と両膝をついてしまう。

 

「いや、もうマジにすっげぇ逃げっぷりだぁ……あはは、あはは、あははー……」

 

 乾いた笑いが口から勝手に出る俺を見て、魚谷は「笑うしかねぇよなぁ」と言い、花島は「私も腹抱えて笑いたいわ……」とか言っている。

 くっそ……しっかりしろ。こんなところで座り込んでいても、あいつの方からやってくるとは思えねぇ。

 自分にそう言い聞かせながら立ち上がって、透が走っていった方向に駆け出す。程無くして透を発見したが、まだ走ってやがる。

 

「つかよ……病み上がりが全力疾走してんじゃねーよ!!」

 

 思わず怒鳴ってしまった。

 これで立ち止まってくれると助かったんだが、透はなおも走り続けている。透は多分、引っ込みがつかなくなっているんだろう。

 俺は本気を出して走って、透の進行方向に立ちふさがる。透は息を上げながら、俺をまっすぐ見上げてきた。

 透の焦げ茶色の瞳に、俺がちゃんと映っているのが見えて喜びが込み上げる。

 

「透……」

「はああ゛ああぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 

 涙ぐんで悲鳴を上げた透は素早く後ずさって、またしても逃げた。

 

「……ヘコむぞ、マジで……」

 

 電信柱に寄りかかって弱音を吐いてしまったが、すぐに気を取り直す。死ぬほど手に入れたいって思っているんだから、逃がさねぇぞ。

 

 もう一度走って透に追いついた。透は逃げる体力が尽きたのか、花壇を囲う煉瓦の端に腰掛けている。

 俺が近寄ると、透は焦ったように「待……っ」と声を発した。また悲鳴を上げられなくて良かった。

 

「待って……ください。しばし……っ。今……今すぐ……っ」

 

 透は自分の顔を手で叩き始めた。何やってんだと思ったが、涙を止めようとしているのかと気づく。

 これ以上嫌われたくない。これ以上幻滅されたくない。自分自身を痛めつける透を見ていたら、彼女の必死な心の声が聞こえたような気がする。

 俺は透の右手を取って、叩くのを止めさせた。

 

「俺……自分のことばっかりだったな。自分の懺悔ばっかして、言いたい事だけ言って、おまえの気持ちなんて無視した……」

 

 透の前で膝をついて同じ目線で話をしようとしたけど、透をまっすぐ見る事ができなくて視線を落としたままにしてしまう。この期に及んで、とんだ腰抜けだ。

 

「謝れないまま二度と会えなくなる事も、この世では起こりうるんだって“知ってた”ハズなのに。似たような事を繰り返すなら、それは“知らなかった”のと変わらないよな……」

 

 透が何か言おうとする気配があったけど、それを遮って「ごめん、泣かせて」と謝った。透の右手をそっと握りながら、「たくさん傷つけて、ごめん」と謝罪を重ねる。

 

「……これが最後だ。二度はいらない。今度こそ最後のチャンスをくれないか」

 

 この言葉は透の目を見て言わなきゃダメだと思ったから、顔を上げる。

 

「おまえと一緒にいたい……っ。これから生きてくなら、おまえと一緒がいい。おまえじゃなきゃ嫌だ。好き……だから……っ」

 

 目を見開いた透は驚いた顔のまま固まった。風が吹いて、街路樹の枝を揺らす音が響く。

 数秒経ってから、透はぎこちなく「そ……それ……は……」と声を発する。

 

「となりにいてもいいって……ことですか……? ……手、手をつないで一緒にいてもいいって」

 

 後半の言葉を聞いて俺は思わず笑ってしまう。いや、だってさ。

 

「もう、つないでる」

 

 指摘した途端、透は眉をへにょりと下げて涙を流し始めた。

 これまで何度も透の“泣き”を見てきたけど、泣き顔が愛おしいと思ったのは初めてだ。

 

 俺は右手で透の頭を軽く撫でてから、顔を近づけて唇を重ねた。驚いて目を丸くした透が、頬を真っ赤に染めたのが見える。

 周囲に人がいない事を確認してから、俺は「抱きしめて……いいか?」と伺いを立てた。

 

「すぐ“人間(ひと)”じゃなくなるけど、一緒にいるって事は……この妙な体が原因で、おまえを苦しめる時も……」

「夾君、ご存知なかったですか? 私、夾君が大好きなんです」

 

 唐突に告白してきた透の焦げ茶色の瞳は、ひたむきな熱を帯びていて。

 

「大好きです、夾君。それはとっても無敵です」

 

 少し照れたように「えへへ」と笑った透は、見ている俺まで倖せな気分になってきた。

 

「……そっか。じゃあ、俺も無敵か。なんも恐がることないか。おまえがいるならっ」

 

 自然と顔が綻んだ俺を見て、透が目に涙を浮かべる。

 俺は透の手を取って立ち上がらせてから、透の背中と首の後ろに腕を回して抱きしめた。俺の胸に顔を埋めてきた透が、愛しくてたまらなくて――。

 

――君のおかげで、もう一度神様と出会うことができた。ありがとう。さようなら。

 

 ……なんだ、今の声は。胸の奥から響いてきたように思えたから、猫の物の怪の声か?

 気付いたら俺の中には“俺”しかいなかった。

 

「夾……君」

 

 俺にすがりついていた透が驚愕を浮かべた。

 異性()を抱きしめても変身しなかったし、猫の物の怪の存在を感じない。

 

 何がどうしてこうなったのかさっぱりわからねぇが、呪いが解けたんだと思う。でも、色んな感情や記憶がごっちゃになって素直に喜べねぇ。

 猫憑きとして受けてきた仕打ちに対する恨みや怒りとか、俺のせいで死んだ母さんに対する哀惜とか、あの忌まわしい離れで生涯を終えた歴代猫憑きに対する後ろめたさとか。

 

 抱擁を解いた俺は混乱しながらも、常に左手首に嵌めていた数珠を掴んで引き千切る。

 お守りを外しても、俺は化け物にならなかった。ああ、俺はようやく人間(ひと)になれたんだ。

 

「夾君……っ!」

 

 透の泣き声につられるように、俺の目からも涙が溢れる。

 俺と透はどちらからともなく抱き合って、一緒に泣いた。グチャグチャな感情を昇華するように、ひたすら泣いた。

 

「はっ……そうです。夾君、ちょっとよろしいですか?」

 

 透が俺の腕の中から抜け出そうとしている。

 よくねぇと答えて思いっきり抱きしめてやりたかったが、これから何度でも抱きしめられるからいいかと思って腕の力を緩めた。

 

 道路に膝をついた透は、散らばった数珠を拾いはじめた。

 あの数珠は高名な術者だった坊さんが、人間(ひと)の骨を削り、血を塗り固めて作ったものだと言われている。

 そんな禍々しいモンを集めなくていいと思ったが、拾うなとは言えなかった。

 数珠を捨て置いたら、何年か後に拾っておくべきだったと後悔するかもしれないという予感がある。

 

 先代の猫憑き(師匠のじいさん)は息を引き取るまであの数珠を嵌めたままだったのに、俺は自由になった途端、数珠をそこらに捨てたと聞いたら師匠がどう思うか。

 だけど、あれは俺が化け物だった証でもあったから自分で拾うのは躊躇われて。

 透が代わりに拾うのは、今の俺と未来の俺を守ってくれているんじゃないかと思った。

 

 いや、違うな。俺すらも飛び越えて、数珠を嵌めて生きた全ての人間(ひと)の想いさえも拾いあげようとしているのかもしれない。

 俺の推測だからホントのところはわからないけど、ひとつだけわかるのは。

 

 「愛する」ってのは目の前にあるモノだけを愛するんじゃなくて、過去も未来も抱きしめることかもしれない。

 

 他人の命を犠牲にして作った数珠を、大切そうにハンカチに包んで胸に抱いた透を見ていると、そう思うんだ。

 

 

 

△▼

 

 

 

 Side:建視

 

 

 今日はいよいよ本田さんが退院する日だ。

 本当は皆で集まってお祝いをしたかったけど、夾が本田さんを迎えに行くらしいからね。再会を邪魔するのは遠慮してやった。

 気を利かせたのは僕だけじゃなく、紅葉(もみじ)も同様だ。まぁ、紅葉は本田さんに特別な想いを寄せているから、不承不承といった感じだけど。

 僕と兄さんが住む家に遊びに来た紅葉は、手土産として持参したホールケーキや2リットルサイズのアイスを次々と食べている。どう見てもヤケ食いだ。

 

「本田さんの快気祝いパーティーの会場は、どこがいいと思う?」

「ひーはんひへはへはひーほほおうほ」

「飲みこんでからしゃべれよ」

 

 もぐもぐごっくんした紅葉は、ふぅと息を吐いて話し出す。

 

「しーちゃんの家でやればいいじゃない」

「ぐれ兄の家でパーティーをすると、本田さんが後片付けをしようとするだろ。本田さんは後片付けも喜んでやる人だから、休んでいてとも言いづらいし。だったら、飲食店を貸し切ってやった方が良くないか?」

「イイねっ。あっ、そだっ。他のみんなにも意見を聞いたほうがいいかもっ」

 

 確かに。ホームパーティーの方がいいと言う人もいるかもしれない。快気祝いパーティーに誘う面々に、希望を訊くメールを一斉送信する。

 そういえば魚谷さんはつい最近、携帯電話を持つようになったんだよな。遠方に引っ越した紅野兄と、気軽に連絡を取り合うためだろう。

 

 6日前の7月3日に退院した紅野兄は持てるだけの荷物以外全て処分し、7月5日に草摩の本家から出て行ったらしい。

 紅野兄は周囲に多く語らず出て行ったから、僕は見送りもできなかった。

 

 多分だけど紅野兄は慊人の負い目にならないように、そっと姿を消したかったんだと思う。

 失血死しそうだった紅野兄に発破をかけるためとはいえ、僕が「自責の念に駆られた慊人が再起不能になりそう」とか言っちゃったせいかと思ったけど。

 兄さんは「気にしすぎだ」と言ったので、紅野兄に対して変な罪悪感は持たない事にした。

 

「そういえば、サキは今日もカズマの家にいるのかな?」

「……多分な」

 

 花島さんは半月ほど前から、師範の家に足繁く通うようになった。

 本田さんと仲良しのリン姉と会うためだと花島さんは言っていたけど、どう考えてもお目当ては師範だよね?! 通い妻という言葉が浮かんで、僕は心に深いダメージを負った。

 

「サキとカズマは付き合っているわけじゃないんだから、ケンも遊びに行けばいいのにーっ」

「気楽に言うなよ……僕が師範の家に行くと、花島さんが嫌そうなオーラを醸し出すんだよ」

 

 僕を見てわずかに眉を寄せる花島さんを思い出すだけで、心が抉られる。すると、紅葉は考えるように「うーん」と唸った。

 

「でもハルは、サキはケンとどう接していいか迷っているように見えたって言っていたよ。もしかしたら……」

「やめろ、その手の希望を抱かせるな。勘違いだと発覚したら立ち直れなくなる」

「むーっ。ケンのオクビョウモノーっ」

「何とでも言え」

 

 雑談を挟みつつ、本田さんの快気祝いパーティーの話し合いを進めていたら、何か変な感じがした。何の根拠もないけど、何かが起こりそうな予感がする。

 

「ケン、どうしたの?」

 

 紅葉の問いかけに、何でもないと答えようとした時。胸の奥に住みついている盃の付喪神が、いきなり僕に話しかけてきた。

 

――君のおかげで、束の間とはいえ神様の側にいる事ができた。お礼に、誰もが忘れた最初の記憶を見せてあげよう。

 

 トラウマ級の記憶だったら嫌だから見せなくていいと思ったのに、盃の付喪神は勝手に僕の脳内に記憶を流し込んでくる。

 

 

 

 

――ああ、今年も向こうの山の紅葉が綺麗だ。

 

 長い銀髪を持つその人は、小さな庵の窓から見える景色を眺めながらそう呟く。

 千の力と千の命と千の記憶を持つその人は、これまで数え切れないほど紅葉を見てきたけど、移り変わる季節を美しいと思う感情は摺り切れていなかった。

 

 けれど、まともな感情があるが故にその人は深い孤独を抱えていた。

 山を降りて人里に行けば多くの人間達と会う事ができるけど、その人は自分が他の人間とは違う事を知っていて、人間と関わって傷つくのを恐れていた。

 

 特に変化のない日々が続いていたある日、1匹の猫が山頂に建つ庵を訪れた。

 突然の来訪者にひどく困惑するその人に向かって、猫は恭しく頭を下げてから話し出す。

 

――以前より貴方のお姿を拝見しておりました。貴方は大変不思議な御方。貴方に惹かれてやみません。私はただの野良猫だけど、どうかお側に置いて下さい。どうか、“神様”。

 

 猫はささやかな贈り物だと言って、向こうの山の紅葉の枝を神様に贈る。

 初めての贈り物に大層喜んだ神様は、紅葉の枝が長持ちするように(まじな)いをかけて部屋に飾った。

 庵での同居を許された猫は言葉通り、神様の側から片時も離れなかった。神様は誰かが側にいる事がとても嬉しくて、ふと思いつく。

 

――そうだ、人間(ひと)と違う者達となら、私は仲良くなれるのかもしれない。私と同じ想いを知る者となら、楽しい宴会を開けるかもしれない。

 

 神様は招待状を山ほど書き、風に頼んで遠方まで招待状を送った。しばらくして神様のもとに、招待状を受け取った12匹の者達が続々と訪れる。

 それから13匹と神様は、月の輝く晩の度に山頂の草原で宴会を開いた。皆で歌い踊りながら笑いあう事がとても楽しくて、神様は初めて声を上げて笑った。

 

 けれど、ある日、猫が倒れてしまう。それは天が定めた寿命というもので、千の力を持つ神様でも猫の延命は叶わなかった。

 皆は悲しくて泣いたけど、心のどこかでは気付いていた。

 いつか、皆は死んでしまう。どんなに楽しくても、宴会は終わってしまう。眩いほどに仲間を大切に想っていても、いつかはお別れが来てしまう。

 

 それを嘆いた神様は部屋に飾っていた紅葉の葉の中で、最も赤く色づいた1枚に(まじな)いをかけて朱塗りの盃に変えた。

 神様はひとつ(まじな)いごとを唱え、盃に満たされた酒の上をなぞるように円をくるりと描く。

 (まじな)いをかけた酒を猫にひと舐めさせてから、神様は皆に向かって告げる。

 

――私達の絆を今ここで永遠のものとしよう。たとえ私や皆が死んで朽ちても、永遠の絆でつながっていよう。何度死んで何度生まれ変わろうと、同じようにまた何度でも宴会を開こう。みんなで仲良く、いつまでも私達は不変であろう。

 

 皆は大きくうなずくと、鼠が最初にひと舐めし、次に牛、次に虎、次に兎と、庵に到着した順番に契りの盃をわけあった。

 最後に猪が舐め終わる頃、息も絶え絶えな猫が泣きながら言葉を発する。

 

――神様、どうしてそれを私に舐めさせたのです。神様、私は永遠などいりません。不変などいりません。

 

 思いがけない拒絶の言葉を受けて、神様だけでなく、契りの盃をわけあった者達も悲しい気持ちになった。ある者は裏切り者と猫を詰り、ある者は発言を撤回するように猫を諭した。

 

――神様、こわくとも終わることを受け止めましょう。さびしくとも、さりゆく命を受け入れましょう。神様、一時でも私はお側にいられて倖せでした。

 

 猫は自分の意見が誰にも受け入れられなくても、神様に語りかける事を止めない。

 

――もし、もう一度互いに死んで生まれ変わって出会うことができたなら、今度は月夜だけでなく、日の光の下で笑う貴方に会いたい。今度は私達だけでなく、人間の輪の中で笑う貴方に私は会いたい。

 

 最後に尻尾を振った猫は、力尽きて死んだ。

 猫に裏切られた気持ちで一杯だった12匹は、誰も猫に構おうとしなかった。

 

 ただ1人、神様は猫の死を悼んで泣いた。流れ落ちた涙が(まじな)いごとに使った盃に落ちると、その盃に命が宿って付喪神となった。

 神様は猫との辛い別れを忘却するように、盃の付喪神の誕生をひたすら喜んだ。12匹の者達も新たな仲間を歓迎した。

 

 それからしばらくすると、皆は次々に死んでいった。12匹の中では最も長く生きた龍が死ぬと、神様と盃の付喪神だけになってしまう。

 

 そうして遂に、神様も死にゆく日を迎える。盃の付喪神は置いていかれるのは嫌だと訴え、神様と共に逝く事にした。

 

――また宴会を開こう。もう一度、何度でも、いつまでも変わることなく。あの約束の向こうで、みんなが待ってる。

 

 神様が最期の言葉を紡ぐと同時に、遠い昔の記憶が薄れていく。

 

 

 

――倖せだったあの日々。別れ難かったあの時。そこに倖せは存在していたはずなのに、時間(とき)は流れて、存在(ひと)は変わって、苦しめるだけになってしまってごめんね。擦り切れた約束を背負い続けてくれて、ありがとう。

 

 さようならという大勢の言葉が聞こえたと思った瞬間、僕は我に返った。いつの間にか泣いていたらしく、自分の頬が濡れている。

 

 胸の奥にずっといた盃の付喪神は、いなくなっていた。

 それだけで――いや、僕にとっては大きな変化だけど、世界が一変して見える。

 ……呪いが解けたのか。僕はようやく、人間(ひと)になれたんだ。

 僕の行動を制限していた枷が外れて嬉しいのに、他の感情も溢れ出して素直に喜べない。

 

 盃の付喪神は僕が物心つく前から存在していたから、半身を突然喪ったような気分だ。

 でも僕の動向を常に監視して、慊人への忠誠を押しつけてきたアイツは正直鬱陶しかったから、消えて清々したという思いもあって。

 

 残留思念を読む力はどうなったんだろう。あの力は盃の付喪神によるものだと言われているから、失ったと考えるのが妥当だと思うけど。

 任務を押し付けられる元凶でもある力が無くなったのは喜ぶべき事なのに、あんまり嬉しくない。

 

 力を失ったら、花島さんとの仲間意識は消えてしまうんじゃないか。

 本田今日子(きょうこ)さんの残留思念を4人で共有した事で、花島さんと喜びを分かち合えたと思ったのに。僕が異質な力から解放されたと知ったら、花島さんはどう思うだろう。

 

 懸念事項は他にもある。兄さんと僕をつないでいた“絆”が消えてしまった事も、恐くて堪らない。

 

「……ケン、呪いが解けたの?」

 

 紅葉は静かな口調で問いかけてきた。

 

「ずっとこの瞬間を待っていたけど、訪れてほしくなかったような……変な気分だ」

「だろうね。ボクも自由になれたのが嬉しかったけど、さびしかったよ」

 

 共感を示してくれた紅葉のおかげで、いくらか気持ちが落ち着いてきた。

 紅葉は誰にも相談できなかったのに、よく気持ちを立て直して慊人との対話に臨めたな。

 

「…………兄さんに言った方がいいのかな?」

「言わなくてもハリィなら気付きそうだから、言った方がいいと思うけど」

 

 兄さんは僕の呪いが解けたと聞いたら、表面上は喜んでくれると思う。

 でも、内心は複雑だろう。だって兄さんは、繭子(まゆこ)先生を異性として意識しているっぽいから。

 いつになったら自分の呪いは解けるのか。ひょっとしたら自分だけ一生解けないかもしれない、という悩みを抱えてしまうんじゃないか。

 

 僕が考え込んでいると、紅葉の携帯電話から軽快なメロディが流れた。携帯を見た紅葉は「Oha!(わぉ!)」と驚きの声を上げる。

 

「ついさっき、キサとハルとリンの呪いが解けたって!」

「え? そんな一度に?」

 

 もしかしてと思い、兄さんの携帯に電話をかけてみる。コール音が2回鳴ったところで、兄さんは電話に出た。

 

「もしもし、兄さん? 今、電話して大丈夫?」

『大丈夫だ』

 

 えーと、どうやって切り出そう。

 

「紅葉から聞いたんだけど……ついさっき、杞紗(きさ)と春とリン姉の呪いが解けたらしいよ」

『……そうか』

 

 兄さんの声音から判断するに驚いている感じはないから、兄さんもさっき解放されたのかもしれない。というか、解放されていてほしい。

 

「僕も……解けたんだ」

 

 思い切って打ち明けると、兄さんは無言になった。

 ……まさか、兄さんは解けてないという最悪のパターン?

 

「に、兄さん……?」

『……俺も解けた』

 

 それは何よりの吉報だけど、兄さんの声が暗いから喜べないよ。

 

『建視は……今も俺の事を兄だと思ってくれるか?』

 

 なんでそんな事を聞くのかと思った瞬間、兄さんが抱える不安に気付いた。同様の不安は僕の中にもある。

 僕と兄さんは血のつながった兄弟であり、“絆”でつながった仲間でもあった。両親との関係が希薄だったせいで、今まで後者の方に重点を置いていたんだよな。

 

 けれど今、“絆”は消え失せて、兄さんと僕はただの兄弟になった。

 両親から受け入れられた兄さんと、両親から忌み嫌われた僕に。

 今までは“絆”があったからそこら辺は深く考えずに済んだけど、これからはそういかないかもしれない。だけど、これだけは言える。

 

「当然だろ。僕にとって草摩はとりは、この世でたった1人の兄だ。物の怪憑き同士の“絆”が無くなっても、それは変わらないよ」

 

 僕は迷いなく言い切った。だって兄さんは、僕が赤ん坊の頃から面倒を見てくれていたんだ。

 お手伝いさんの協力があったとはいえ、当時小学生だった兄さんが赤ん坊の世話をするなんて物凄く大変だったと思う。

 育児ノイローゼになる母親だっているんだから、幼い兄さんが疲れ果てて嫌気が差したとしても不思議じゃない。

 だけど、兄さんは僕を見放す事はしなかった。それは物の怪憑きの仲間だからじゃなく、僕を弟として慈しんでくれていたからだ。

 

『……俺にとって建視は、この世でたった1人の弟だ』

 

 少し掠れた兄さんの言葉を聞いた瞬間、空っぽになった胸の奥から温かい気持ちが湧き上がってきた。温かさにつられてか、目頭が熱くなってまたしても涙が溢れる。

 確かに呪いは僕達を苦しめるだけのものになっていたけど、苦しんだからこそ喜びもひとしおに感じられるんだ。そう伝えたくても、盃の付喪神はもういない。

 その事実が悲しくて寂しいけど、盃の付喪神がくれた“自由”を――自分の人生(みち)を大切に歩いていきたいと思った。




透が退院した日に呪いが解けた順番は、夾→綾女→利津→杞紗→楽羅→依鈴→潑春→はとり→紫呉→建視→由希となっています。
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