神様と十二支と猫と盃と《完結》   作:モロイ牛乳

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72「僕はこれでも当主なんだから」

Side:建視(けんし)

 

 

本田(ほんだ)さん、おはよう。退院おめでとう」

「おはようございます、建視さんっ。ありがとうございます……っ」

 

 7月10日の月曜日。本田さんが1ヶ月振りに登校した。本田さんの右腕にはまだ包帯が巻かれているけど、ノートをとったりするのに支障はないようだ。

 

花島(はなじま)さん、おはよう」

「おはよう……」

 

 教室にやってきた花島さんは、挨拶をした僕の顔をじっと見てから僕の手に視線を移す。

 呪いが解けた後、兄さんから借りた父さんの遺品に素手で触れて、残留思念を読む力は失われたと判明したので、今日は手袋をつけてない。

 力が無くなった事を花島さんに隠し通すのは……無理だよな。僕は躊躇いながら口を開く。

 

「昨日、力が無くなったんだ」

 

 花島さんの黒い瞳が揺らいだ。と思ったら、花島さんは感情を隠すように両目を閉じる。

 

「……建視さんは変わったわね……。3日前に会った貴方は暗い影の落ちた思念が心を支配していたのに、今はそれが綺麗さっぱり消えている……」

 

 「あの2人も……」と呟く花島さんの視線の先にいる由希(ゆき)(きょう)は、満ち足りたような倖せオーラを全開にしている。

 昨日、呪いに縛られていた物の怪憑き全員が解放された。由希と夾も例外じゃないけど、呪いからの解放だけでハッピールンルン状態にはならない。

 

――ゆんゆんと真知(まち)は、そのうちくっつきそうなんだよな~。

 

 ナベがそう話していたから、昨日のうちに由希は倉伎(くらぎ)さんに想いを伝えて恋人同士になったんだろう。

 教室の中にも拘らず、本田さんにべったりくっついている夾は言うに及ばず。

 

 由希と夾は自由だけじゃなく、恋人も手に入れたって訳だ。同じタイミングで彼女作るなんて、すげぇ息ピッタリだな。いっそこと、おまえら結婚しちまえよ!

 

「あれ~? おふたり、ついに付き合いだしたの~?」

 

 夾と本田さんの距離感の変化に目ざとく気付いたのか、ろっしーがからかうように質問した。

 

「ああ。それがどうした?」

 

 真っ赤な顔で照れている本田さんとは対照的に、夾は余裕を感じさせる返答をした。夾のやつ、大人の階段をのぼっちまったのか……。

 

「う゛お゛おう!? シレッと言ったぁぁ!! この子、なんかシレッと言ったよォォォ!?」

「転校初日、女の子にビビって窓から飛び降りたあの子がシレッと言ったぁ!!」

「立派に……立派になってぇぇ!!!」

 

 クラスの男子達が泣きながら感動する一方で、夾のファンの女の子達が悔し泣きしている。夾のファンの子達が本田さんに何かしないように、注意して見ておこう。

 注意しなくちゃいけないのは、プリ・ユキのファンもか。後で由希や倉伎さんと話をしよう。余計なお世話かもしれないけど、由希には借りがあるからな。

 

「ホームルームを始めるぞ。席に着けー」

 

 教室にやってきた繭子(まゆこ)先生の話を聞きながら、僕は花島さんの事を考える。

 僕の力が無くなったと報告した時、気のせいでなければ花島さんは動揺していたように見えた。

 花島さんは今も力を抑え込んでいるから、内心複雑なのかもしれない。このままだと、僕と花島さんの間に溝ができてしまう恐れがある。後で花島さんと話をしよう。

 

草摩(そうま)建視、ちょっといいか?」

 

 朝のホームルーム終了後、繭子先生に呼ばれた。何だろうと思いながら、繭子先生の後について生徒指導室に入る。

 

「今日は手袋してないけど大丈夫なのか? 建視君は、素手で触れた物の残留思念を読む力を持っているんだろ?」

「その力は昨日、無くなったんですよ。兄さんにも変化があったんですけど、聞いていませんか?」

「近いうちに大事な話があるとは言われたけど……」

 

 そう言いながら、繭子先生は頬をほんのり赤く染めた。兄さんがプロポーズをしてくれるかもしれないと期待しているようだ。

 でも兄さんは段階を重視する人だから、繭子先生が嫁入りする事になる草摩家の薄暗い内情を打ち明けるつもりじゃないかな。

 

 草摩家が呪われていたと聞いても、繭子先生は怖がって別れを切り出したりしないと思うけど。プロポーズの期待が外れたら繭子先生はガッカリするだろうな。

 繭子先生が十二支の呪いを受け入れてくれたら、その場でプロポーズするように兄さんにアドバイスするべきか。……余計な世話を焼くなと言われそうだな。

 

「じゃあ、そのうち繭子義姉(ねえ)さんって呼ぶ事になるでしょうね」

「なっ!? が、学校では先生と呼べ!」

 

 顔を真っ赤に染めた繭子先生はそう言うと、生徒指導室から急いで出て行った。

 ついに義姉さんと呼べる存在(ひと)ができるのか。何というか、感慨深いな。

 

 

 

 昼食を済ませた後、僕は花島さんと2人で中庭に出て話をする事にした。

 学校で2人きりで話というと、2月下旬のアレが頭を過ってしまうが、今回は悪い結果にならない……と思いたい。

 

「その、僕は力が無くなっちゃったけど、花島さんの理解者であり続けたいと思っているんだ。だから……」

 

 悩みがあったら遠慮なく言って、という言葉は適切じゃない。

 花島さんの現在の悩みは、力を持つ仲間だと思っていた僕が一抜けした事だろう。

 僕が花島さんのためにできる事といったら、アレしか思いつかないんだよな。

 

「花島さんと師範の仲を応援するよ。僕にできる事があったら、何でも言ってね」

 

 恋のキューピッド役をするのは精神的ダメージが計り知れないけど、花島さんと疎遠になってしまう事態よりかはマシなはず。

 ……花島さんと師範がくっつかなかった場合、花島さんを慰めてあわよくば彼女の心をゲットしようとかオモッテナイヨ?

 

「……貴方に応援されたくないわ……」

 

 花島さんは消え入りそうな声でそう言うなり、中庭から立ち去った。

 そんな……協力を拒まれるなんて。もしや、花島さんは電波で僕の下心を見抜いたのか?! なんてこった……。

 

 3-Dの教室に戻ったけど、花島さんの姿は見当たらなかった。

 どうしよう。花島さんを捜しに行くべきか。それとも、時間をおいてから花島さんと話し合った方がいいのかな。話し合うと言っても、何を話せばいいのか見当もつかないけど。

 迷った末、僕は魚谷(うおたに)さんに相談をもちかける事にした。教室の中では言いにくいので、廊下に出て説明する。

 

「まさか、花島のやつ……」

「花島さんがどうかした?」

「んー、あたしの推測にすぎねぇから迂闊に言えねぇわ」

 

 魚谷さんは「まぁ、自分でしっかり考えてみな」と言って、僕の肩をぽんと叩いた。

 

「考えるって何を?」

「花島の気持ちだよ」

 

 思わせぶりな事を言って、魚谷さんは教室に戻った。

 廊下に立ちくした僕は言われた通りに考えてみて、信じがたい可能性に気付く。

 ひょっとして、花島さんは僕の事を異性として意識してくれるようになったのか? いや、そんなまさか。

 

 花島さんは今も師範の事が好きだ。その証拠に、彼女は師範の家に通い詰めている。

 呪いが解けた途端に僕が魅力的に見えるようになって、師範への恋心が消えたとか、そんな童話みたいなご都合展開が起きる訳がない。

 ……心情的には起きてほしいけどね。

 

 

 

▼△

 

 

 

 7月12日の放課後、当主の屋敷の広間に元・物の怪憑きが集まっていた。

 今のところ広間にいるのは、杞紗(きさ)燈路(ひろ)利津(りつ)兄とリン姉と春と由希と僕の7名。

 

 楽羅(かぐら)姉と紅葉(もみじ)は廊下にいるはずだ。

 あの2人は夾を待ち伏せしている。めでたく本田さんと恋人同士になった夾に、ちょっとした嫌がらせを仕掛けるらしい。

 ちょっとした嫌がらせって何だろうと思って聞いたところ、紅葉は笑いながらこう言った。

 

――カグラがキョーに抱きついて、浮気現場をゲキシャするのーっ!

 

 浮気の証拠写真を本田さんに見せるぞと言って夾を脅すのかと思ったが、流石にそこまではしないようだ。

 他の女性の前で隙を見せたらこうなるぞ、という注意喚起を兼ねた嫌がらせらしい。

 夾が本田さん以外の女性の前で、隙を見せるとは思えないけど。いや、そうでもないか。修学旅行中に、夾狙いの女の子に呼び出されてのこのこ応じていたからな。

 

「全員集まったのかな?」

 

 由希の質問に、春が「んー……」と考えてから答える。

 

「綾兄は……どっか行った」

「あ゛~、兄さんは自由人すぎるよ……」

「由希、紫呉(しぐれ)はどうした」

 

 広間にやってきた兄さんが問いかけると、由希はきょとんとした顔になった。

 

「え、来てない? 紫呉は朝から家にいなかったけど……」

「……そうか」

「建視が先生に嫌がらせをしたから、会いたくないんじゃないの……」

 

 春が人聞きの悪い事を言ったから、僕は「嫌がらせじゃなくて仕返しだよ」と訂正した。

 引っ越した紅野(くれの)兄にお別れを言えなかった事を本田さんが悲しんでいた時、花島さんがふと思い出したように言ったんだよね。

 

――そういえば透君は草摩紫呉に頼まれて封筒を買いに行く途中で、クレノさんに会ったのよね……。

 

 わぁ、すっごい偶然☆ なんて思う訳ないだろ。2人が鉢合わせするように、ぐれ兄が謀ったに違いない。

 僕が不登校になる切っ掛けを作りやがった犯人が解った。くらわしてやらねばならん! 然るべき報いを!

 

 ぐれ兄はぶん殴られても全然堪えなさそうだから、心にダメージを与える方法を考えた。そして思い出した。

 いつだったか春が、「先生の事をハニーって呼ぼうとしたら、『めっちゃイヤ』って言われちゃった……」と話していた事を。

 

 ぐれ兄の事をハニーと呼ぶなんて考えるだけでキモいけど、肉を切らせて骨を断つという言葉があるように、仕返しを達成するためには自らを犠牲にしなければならない時もあるのだ。

 そして僕は当主の屋敷に赴いてぐれ兄と会って、「やぁ、僕の愛しのハニー。さびしくて会いに来ちゃった」と言ってやった。

 気持ち悪すぎて吐くかと思ったよ。顔色が悪くなったぐれ兄も、吐き気をもよおしていたようだけど。

 

 その翌日もハニーアタックを仕掛けたところ、兄さんから「紫呉が本気で嫌がっているから、もうやめてやれ」と言われた。

 兄さんに根回しして攻撃を止めさせるなんて、ぐれ兄は相変わらず自分は動かないで周囲を操る影の支配者タイプだ。

 それぐらい狡猾じゃないと、草摩家に改革をもたらそうとしている慊人(あきと)の補佐はやれないけどね。

 

「建視さんが紫呉兄さんをハニーと呼んでいたのは、仕返しだったんですね。私はてっきり、建視さんはそっちのケがあるのかと」

 

 利津兄が笑顔でとんでもない事を言ったから、僕は反射的に「そんなケは無いから!!!」と言い返した。

 僕が突然大声を出したせいで驚いたのか、杞紗がビクついている。ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ。睨まないでよ、燈路。

 

ひぃぃぃぃっ! ごーめーんーなーさーいーっ! 建視さんがホモは撤回します、勝手な誤解をしてごめんなさいぃぃっ!!

 

 スイッチが入ってしまった利津兄の脇腹をプッシュして、大人しくさせた。これにて一件落着……じゃない。

 僕がぐれ兄をハニーと呼んでいた事は噂になって一族中に広まっているから、利津兄と同様の誤解をしている人はいるかもしれない。

 ぐれ兄への仕返しは果たした。だが、そのための犠牲は……あまりに大きかった……!!

 

「慊人にさ……言われた通り集合したけど、慊人は俺らの呪いが解けた事をもう知ってるじゃん? それってなんか、場の空気が凍りそう……」

 

 春の懸念はもっともだな。

 慊人がどういった話をするつもりなのか解らないけど、今までの事を謝ろうと考えているなら止めた方がいい。すでに不快感を露にしているリン姉は、謝って済む問題かと逆上しかねない。

 

「……大丈夫だよ。少なくとも俺達は凍って……ないと思うし」

 

 そう答えた由希は、「……ちょっと不安だった」と本音を零す。

 

「呪いが解けたら俺達……ぎこちなくなっちゃうのかな……って」

「大丈夫……俺はいつも由希を愛してる……」

 

 春が危うい発言をしたせいで、広間の隅にいるリン姉が嫉妬の炎を燃やしている。

 

「え、あ、うん、ありがとう、リン見てる。すっごい見てる!!」

 

 春がリン姉の頭を撫でて宥めている時、綾兄と楽羅姉と紅葉が広間にやってきた。

 浮気の証拠写真は撮れたのかと紅葉に聞く前に、夾が広間に足を踏み入れる。

 

「なんだ……? 慊人、まだ出てこないのか……」

「そういうキョン吉は、どこをほっつき歩いていたのかな!?」

 

 綾兄は自分の勝手な行動を棚に上げて、夾を指差して問い詰めた。

 

「え!? いや……本家って、来るのまだ2回目だから……いや、3回か? めずらしくてさ……」

 

 宴会に出席できなかった夾は、本家に近寄る事自体が稀だ。夾の発言を聞いた元・十二支の多くが、気遣うような表情を浮かべたけど。

 

「そうかい、そうかいっ。ド庶民のキョン吉にはすぎたるデカさと豪華さを兼ね備えた屋敷だが、臆することなくズズイと徘徊しまくってくれて構わないよ!!」

 

 綾兄は夾を気遣って茶化している訳じゃなく、素で失礼な発言をした。ここまでくると逆にすごいよ。そんな綾兄に、憧れの眼差しを向ける利津兄もどうかと思うけど。

 

「皆さん、よろしいでしょうか。慊人さんの準備が整いましたので……」

 

 慊人の世話役が声をかけてきた。程無くして広間に姿を現した慊人を見て、僕を含む物の怪憑き全員が息を呑んだ。

 

 

 

▼△

 

 

 

 Side:慊人

 

 

 皆に大事な話をする日。僕は生まれて初めて、女らしい装いをした。

 夜の闇のような黒地に、満開の赤い椿が描かれた振袖。それと椿の造花をあしらった髪飾り。僕の身を飾るこれらは、紫呉からのプレゼントだ。

 

――お別れを記念して。

 

 紫呉にそう言われた時、僕と別れるのがそんなに嬉しいのかと思って怒りと悲しみがごっちゃになった。

 

――そうだと思った、紫呉は1番あっさり僕を捨てると思ってた!! 嫌い……嫌いだ、大っ嫌い!!

 

 感情に任せて紫呉の顔を引っ掻いたら、「誰が“捨てる”なんて言いましたっけ」と反論された。

 

――お父上が望まれた自分とようやく「お別れ」して、新しい君に変わるんでしょう? だから、記念にプレゼント。

 

 僕は思わず息を呑む。1番遠くにいるような気がした紫呉が、僕の変化を祝ってくれるなんて思ってもみなかったから。

 

――おめでとう。新しい貴女を歓迎しますよ。これから貴女がどう生きていくのか楽しみです。

 

 (れん)が突きつけた勝負の条件に従って、土下座して草摩から出て行くという選択肢もあった。草摩の「外」で新しくやり直す方が、気持ち的に楽だと思う。

 だけど、僕は……。

 

「慊人さん、お支度は整いましたか?」

 

 世話役の有明(ありあけ)さんが声をかけてきた。

 古参の世話役達は考えが大きく変わった僕と距離を置いているので、僕の側で働き始めて1年未満の有明さん(彼女)が幅広い雑用をこなしてくれている。

 

 楝の世話役の中には「御当主が方針を変えられたなら、古い人達は解雇したらいかがです?」などと言ってくる人もいるけど、今まで僕を支えてくれた彼女達を切り捨てる事はしたくない。

 古参の世話役達とはよく話し合って、和解に繋げたいと思う。口で言うほど簡単な事じゃないと解っているけど。

 

 自室から出た僕は有明さんの後ろをついて歩く。

 皆はどんな心境で僕を待ち構えているのだろう。全員の“絆”が無くなったから、僕に対する畏敬の念は消えたに違いない。

 僕を恨んでいるのか、疎んでいるのか、憎んでいるのか。そう思ったら、緊張と恐怖に押し潰されそうになった。

 

「皆さん、よろしいでしょうか。慊人さんの準備が整いましたので……」

 

 有明さんが広間に集まった皆に声をかけた。僕は深呼吸をしてから広間に入る。

 僕が女の格好をしているせいか、みんな目を丸くしていた。

 はとりと綾女(あやめ)と建視もだ。彼らは僕の本当の性別を知っているけど、振袖を着てくるとは思わなかったらしい。

 

「はとり……紫呉は?」

 

 僕が問いかけると、はとりは申し訳なさそうに「……わからない」と答えた。

 紫呉がいそうな場所には心当たりがある。有明さんに頼んで、紫呉を連れて来てもらおうか。

 でも、あの場所は僕と紫呉にとって思い出の場所だ。代わりの人をあの場所に行かせたら、今度こそ紫呉は遠くへ行ってしまいそうな予感がする。

 

「…………あ、慊人さん……まさか、私と同じ趣味に……っ、走……っ」

 

 ショックを受けたような顔をした利津の発言で、僕の物思いは彼方へと吹き飛ばされた。

 普通の人間(ひと)になっても、利津は利津のままか……。

 

「違う……これは……」

 

 紫呉からのプレゼントだとは言いづらく、言葉を飲みこんで皆の近くに正座する。“特別”な存在のために用意された上座には、もう二度と座らない。

 

「……君達が……ようやくありのままの姿に戻れたように、僕も……ありのままの姿に戻る。君達は自由だ。……遅くなったけど、今まで、今……まで……」

 

 依鈴(いすず)が物凄い目付きで僕を睨んでくる。怒鳴られて罵倒されて殴られても、僕は文句を言えない。僕はそれだけの事をしたから。

 

 はとりにも、由希にも、建視にも、夾にも、杞紗にも、燈路にも、紅葉にも、潑春(はつはる)にも。ここにはいないけど、紅野にも。

 苦しめて、ひどいことばかりしたのに、「ごめん」の一言で片づけてしまっていいのか。言葉(かたち)にしたら、「それで終わりにしてくれ」と言っているみたいだ。

 僕は出てこなかった謝罪の言葉の代わりに、自分の決意を述べる。

 

「僕は……まだ草摩(ここ)で生きていこうと思う。やるべきことがあると思う」

 

 夾の父親は、夾が「外」で“普通”に生きるなんて絶対に認めないと頑なに言い張っている。

 残留思念を読む依頼を勝手に引き受けた者は、建視が力を失ったせいで相手方に謝る羽目になったから、建視を働かせて大損した分を取り返させろと訴えていた。

 

 自由を脅かされているのは夾や建視だけでなく、他の皆も同様だ。

 十二支の秘密を知る「中」の住人は、口止め料として様々な優遇措置が与えられている。

 それが無くなる事を恐れた者達が、呪いが解けても彼らは十二支だった事に変わりないのだから、予定通り草摩の「中」で生活してもらうべきだと主張しているのだ。

 

 自分の意見を強く押しつけてくる人達を、“神様”でも“特別”な存在でもない僕が説き伏せるのは並大抵の事ではないだろう。でも、それでもやらなくてはいけない。

 

「だって、僕はこれでも当主なんだから……」

 

 仲間だった彼らの本当の自由を守る事が、償いになるのかどうかは解らない。だけど、これが僕の選んだ道だからやり遂げたいと思う。

 

 

 

 皆に話し終えた後、椿が植わっている庭に面した縁側に向かう。紫呉は昔と同じように、縁側に腰掛けて本を読んでいた。

 昔の僕は父様に1番愛されていた訳じゃなかったと知って酷く落胆して、誰かに好きだと言ってほしくて紫呉にあの問いを投げかけたけど。

 “好き”という言葉だけが欲しかった訳じゃない。1人でも平気そうな紫呉の姿を見たら、なんだか腹立たしくなって振り向かせてみたかったんだ。

 

――手に入ったと思ったら、他の奴らのもとへもヒラヒラと舞い飛んでいかれて……裏切り者。

 

 裏切ったのは紫呉も同じなのに。紫呉は狡い。まるで自分には、悪いところはないかのように振る舞う。

 

――僕は狡くてお子様だから、自分が傷つくなんて嫌だし損なんて御免だ。一度手に入れたなら絶対手放したくないし、誰にも触らせない。

 

 普段はすました顔をしているくせに、酷く自分勝手で嫉妬深くて独占欲の塊で。

 

――拒絶するなら今のうちにどうぞ。お陰様で僕も多少、譲歩をおぼえたつもりだから。逃げだす猶予をあげるよ。でも、もし、もう一度僕のもとへ来たのなら……わかるよね。

 

 そんな紫呉をこわいと思うのに、彼の躰すべてを飲み込みたいとも思う。

 細胞から骨の中まで深く深く侵入して飲み込んで滲み込ませて、僕の匂いで満たし尽くして息もつけなくさせてみたい。

 

 この欲深い気持ちは、女の内から溢れでるの? とくとくと鳴っている胸を意識しながら、僕は紫呉の隣に正座する。

 

 紫呉が贈ってくれた振袖を着たんだから僕を見てほしいけど、彼の視線は本に固定されている。腹立たしいけど、本を奪うような事はしない。

 

「……皆、驚いてた。複雑そうだった」

 

 皆に謝れなかった事も報告したけど、紫呉は相槌も打たなかった。

 

「もう1人……楝とも話をしなくちゃいけない」

「つまり、そういう人生に僕も付き合えと?」

 

 そう言って、紫呉は本をぱたんと閉じた。それでも紫呉は僕を見ないから、段々不安になってくる。

 

「……怒ってるの?」

「少しね。だって君がもう一度来るのを、ずっとずっと待っていたんだ」

 

 ようやく振り向いた紫呉は、皮肉や冷たさが見当たらない微笑みを浮かべた。

 右目の下の引っ掻かき傷が消えていなくて、済まなく思うと同時に薄暗い喜びもおぼえる。

 

「……似合っているよ。綺麗だ」

 

 紫呉の賛辞は、心から発せられたものだと解る熱を帯びていた。

 彼の手が僕の髪に触れ、ひどく優しい手つきで撫でてくる。僕の胸の内から愛しさが次々と込み上げて、鳥肌が立つ。

 

「……好き」

 

 初めて自分の想いを伝えた。

 熱に浮かされたように僕は、「好き……」と告白を繰り返す。何十回言ったところで、底なしに溢れてくるこの想いは言い表せない。

 僕と紫呉は、どちらからともなく唇を重ねる。ただひたすら互いを求め合うキスは、言葉にできないほど倖せだった。




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