とある世界のとある大陸。
そこには貧しい、しかし平和な小国がありました。
貧しいと言えども。小さいと言えども国は国。その王族となれば使用人の数も相当な数です。
ところでこの王族には、一風変わった風習がありました。それは傍使え以外の使用人も、必ず面通しを行うというもの。
今日からこの王城で働くことになる『見習いメイド』トリアは、今からユズ姫の元へ赴き、面通しを行うことになっていました。
■■■
「いい?トリア。意識をしっかりと保つのよ」
「はい…?」
ユズ姫の自室の前にある大きな扉。そのすぐ傍でトリアは先輩メイドから警告を受けていました。
その言葉には寸鉄にも似た力強さがあり、しかしその真意がサッパリ分からない彼女にとっては困惑の種にしかなりません。
結果、生返事が彼女の口から放たれました。
その返事を聞いた先輩メイドは額を押さえ、どうしたものかな…とつぶやきます。
「トリア。あなた、姫様の目が見えていらっしゃらないのは知っているわよね?」
「ええ、はい」
「じゃあ姫様がどうやって相手の顔を知るか、分かる?」
え?と驚いたような顔を浮かべるトリア。まさか何も考えていなかったのかと、そして誰も教えてくれなかったのかと先輩メイドは驚愕します。
そして一瞬遅れて、ここの連中なら面白がって伝えないなんてこともあるかも、とかぶりを振ります。
しょうがない。先輩メイドは溜め息を吐きました。
「肌のケアはバッチリ?」
「はい」
「髪は?」
「しっかりと」
「化粧は?」
「初日だけはするなとメイド長が」
「よろしい」
最低限の条件は揃っている。ならばあとはぶつけて砕けさせるだけだ。
やけっぱちになった先輩メイドは様になる綺麗な所作で扉を四度ノック。新人の顔通しですと短く要件を告げ、返事を待ちました。
「いいわよ、入って」
すぐに聞こえた返事は優しく、聞き心地のよい声でした。
この世の者とは思えぬほどの美人と評判の『白金の姫』ユズ姫。トリアはその姿をようやく見られると内心興奮しています。
先輩メイドが断りを入れて扉を開きました。
そこに居たのは評判に違わず。頭のてっぺんから足先まで真っ白の、絵画から抜け出して来たかのような少女。
トリアは思わず、ほうとため息を吐きました。
「どうぞ近くへ」
ユズ姫からの言葉でハッとしたトリアは、少し緊張しながら歩み寄ります。
きらきらと光る御髪。透き通るような肌。ひょっとしてこの人は妖精か何かなのではないだろうか?そういった疑問が頭を擡げます。
「もっと近くへ」
ユズ姫とトリアの距離はおよそ三歩分。王族と新入りメイドとしてはあり得ないほど近いのに、彼女はもっと近くへ来いと手招きします。
「もう少し」
既に手が届きそうな距離。トリアはまだ進むべきなのかと先輩メイドに視線を送ります。そして返ってきたのは首肯。
「はい、そこで止まって」
もう一歩進み、言われるがままトリアは足を止めました。互いの距離は既に躰二つ分ほどしかありません。
ユズ姫の美貌は不思議なことに、どれだけ近づいても欠点らしい欠点は見つからず。それがトリアから現実感を奪います。
そんな彼女が呆けていると、ピタリと冷たいものが頬に当たりました。
ひゃ、と声を上げそうになったのを飲み込みます。なんていったって、その冷たいものはユズ姫の手だったのですから。
「少し撫でるわね」
否やの言葉など出るはずもありません。先ほどよりも近くなった互いの距離に、トリアは混乱しました。
その間もユズ姫の両手が顔を這っていきます。頬、鼻、おでこ、唇…。
こんな風に撫でられたのは初めてです。親にだってありません。次第にトリアの混乱は加速していきます。
うなじ、つむじ、耳の後ろに顎の下…。もはや彼女の頭はパンク寸前。どうにかして意識を逸らそうと視線を巡らせると、当然と言うべきか、ユズ姫の顔を見ることになりました。
薄く、それでいて長い、日の光を反射する睫毛。そしてその奥に、わずかに見える、深い深い青の瞳。
それは
それからしばらく、彼女の記憶はすっぱりと途切れています。
ハッと気を取り戻すといつの間にか廊下に出ていて、先輩メイドに肩を揺すられていました。
「あれ…?私は何を…?」
やっと戻ってきた。そうため息を吐きながら、先輩メイドは彼女の肩から手を離します。
「貴女、さっきまで上の空だったのよ。姫様に顔を撫でられてね」
「え!そんなまさか!」
「そのまさか。それで貴女が103人目よ」
何のですか?と口を開く寸前の事でした。トリアは先輩メイドの目が遠くを見つめていることに気が付きます。
彼女は何かを察しました。そして、浮かび上がる疑問をそのまま先輩メイドへと投げかけたのです。
「先輩は何人目だったんですか…?」
「記念すべき10人目」
先輩メイドは顔も見せられないと言わんばかりに俯き、そう言います。
髪の間から覗くその耳は、湯気が出そうなほど真っ赤でした。
■■■
「うふふ」
一方そのころ。
妖精かと見まごうほどの風采を持つユズ姫は、勉強部屋の椅子に座ってクスクスと笑っていました。
「何ですかな気味の悪い」
それを咎めたのは教師役の魔法大臣マジィ・パネエ。現在教鞭を握っている彼は歯に衣着せぬ物言いです。
そのあまりな物の言い方にムッと眉を顰めるユズ姫。しかしそれは一瞬のことで、彼女の表情はすぐに崩れます。
それは、新しい味方を得た確信からくる勝利の笑みでした。
「姫様、ちゃんと話を聞いておりますかな?ゴールド・シルバー・ブロンズの中で最も雷の力を通しやすいのは?」
「シルバーよ」
「……正解」
突然出された問題に難なく答えるユズ姫。正解を言われては叱ることも出来ず、パネエ爺はぐぬぬと臍を噛みます。
それとは逆に、笑みを浮かべるユズ姫。
「何か言いたい事でも?」
「いーえ、なにも」
人の上に立つ人物として、自らの
何も知らぬは爺ばかり。
続きは未定です