イオ・ホワイトスピリットがその男に気付いたのは、まさに運命としか言い様がなかった。
大陸西部、ソーン・リーム中立自治区とマロリガン共和国の間に位置する、峻厳な山脈の麓に、その男はいた。
日に焼けた褐色の肌に、黒い髪。
全身に刻まれた深い傷痕。
男は岩の上に倒れていた。だが不思議と傷一つない。
イオが麓へと出向いたのは、週に一度は行う食料や雑貨の買い入れの為だった。
もし男が一日でも遅れてその場に倒れていれば、イオは男に気付かず、そのまま飢餓死するか、はたまた狼にでも食い殺されていたかもしれない。
運の良い人だ、とイオは思った。
イオは心優しいスピリットである。美しい外観は人を魅了して止まないが、心には人に対する忌避感が少なからず有った。
それは過去に受けた傷跡が作ったものだ。
だからと言って倒れている人間を放って置くほどの無情ではなかった。
向かう先のマロリガン共和国は砂漠の中の町で、携帯していた貴重な水を、イオは仕方なく男に飲ませた。
意識を戻した様子はなかったが、男は水を飲んだ。
小さく呻く。
仕方がない。買出しに行くのを中止して、この人を家に連れて行こう。
イオはそう決めて、運ぶ為の準備に取りかかった。
男の携帯品を詳しく検分して、ふとその異質に気付いた。
両腰に佩いた太刀が二刀。しかもそれはスピリットにしか分からない、独特な永遠神剣の波動を僅かに感じさせた。但し、その波動は弱々しい。身に持つマナ量が足らないのだ。
この人は、エトランジュかも知れない。
エトランジェ。
遥か昔よりこの世界、ファンタズマゴリアに伝わる異世界の勇者の伝説。
異世界より突如として現れたエトランジェは、ファンタズマゴリアの精霊たるスピリットを率いて国の憂患を取り除き天下を平らとした。
その力は強壮で、行いは清廉だったと言う。
民の全てがエトランジェを好ましく迎え、世界は一度安寧を知った。
遥か昔の話である。
真逆、と思って首を横に振りながら、イオは青年を背負った。
スピリットは人よりも力が強い。
多少の重さを感じながらも、それ程には苦痛にならない。
複雑な帰路を歩きながら、イオはある噂を思い出した。
つい最近、かの逸話が真実であった事が証明されている。
北の果ての辺境国、ラキオス王国にエトランジェが現れた、という噂が、南の果てにまで届いていた。
噂が真実である事を証明するように、ラキオス王国は隣国のバーンライト王国を疾風の速さで併呑してしまった。
この青年がエトランジェならば、とイオは考え、思考を発展させた。
このような辺境に身を現した理由一体何だと言うのか。
そして自身が見つけた理由は?
これらは偶然か、はたまた必然か。
ただの偶然に片付けるには、あまりにも都合が良すぎた。
青年が目を覚ましたら、事情を聞かなくてはならない。
心に緊張感を抱きながら、イオは住みなれた我が家に着いた。
山奥に作られた天然の洞窟である。
我が家と言うよりは、隠れ家と言った方が相応しかった。
寝ていた(もしくは気絶していた)、と気付いたのは、意識が覚醒して五秒ほどが経ってからだった。
最初に視界に入った物は岩肌の天井であり、周りの壁も大して変わりがなかった。
どこかの洞窟らしい。
恭也は起き上がり、自分の体を確認した。
怪我も傷もなく、持ち物にも変わりはない。
点検が終わってから、辺りに注意を向ける。
転がる試験管や、積み重なった本と紙束の山、山。その山の上にまた本が積み重なり、危うい均衡を作り上げていた。
どこかの研究所らしい、と辺りをつけて、手近な紙を一枚手に取る。
良く分からない文字だった。
メモ書きの様な物なのだろう、汚いし、それ以上に解読しようにも見覚えのない文字の形だった。
漢字やローマ字、象形文字にすら属さない、異文化の文字。
横にはラフスケッチで何かの器具の予想図が描かれている。だがそれが何であるのかは皆目見当がつかない状態だ。
ここが問題のファンタズマゴリアか、と恭也は心中で呟いた。
初めて触れる異文化の空気。初めて見る場所。
それだけに一倍注意を払いながら、人の気配を探る。
それは少し離れた場所に一つ、何の注意も払っていないくらい容易に感じられた。
自身が保護されていた事も考えて、悪い様にされる事はないだろう、と辺りをつける。
恭也は気配へと近付いていった。
洞窟は長い廊下と、空洞とでも呼ぶべき部屋の二種に別れているようだった。
自然が作ったらしい天井と、手を加えられた壁を見れば、大体の想像は出来た。
廊下を通り、気配のある一室に入る。
いたのは一人の女だった。
こちらに気付いた様子はなく、背後を向いたまま、熱心に資料に目を通している。
ざっくばらんな髪。白衣。汚れきった部屋。
ざっと分かるのはその程度だ。
隠居したどこぞの学者か?
恭也の推測は的を射ていた。
後に分かる事だがこの女性、歴史始まって以来の天才ヨーティア・リカリオンである。
性格に偏屈があり、また自身の立場の危うさから、若くして隠遁生活を送っていた。
「ん? ああ、起きたか。調子はどうだ?」
「可もなく不可もなくと言った所です。保護して頂いたようで、ありがとうございます」
正面を向いたヨーティアは、童顔で広い額が特徴的だった。
瞳がパッチリと大きく、肌の肌理が細かい。細いが濃い眉は意志が強そうに見える。
白衣の間から覗くシャツの胸元には僅かに膨らみがあり、それが女性を示していたが、そう出なければ少年とも取れた。
恭也の答えに対し、ヨーティアは困ったような顔をした。
何故そんな表情になるのか。恭也が疑問に思うと、答えは直ぐに出た。
「んー、言葉が通じないか。困ったね」
「言葉が通じない?」
「あー、こりゃほんとにイオの言う通りエトランジェかな?」
「イオ、エトランジェ……?」
途端、ヨーティアの目が光った。非凡な観察眼が、恭也の発言の意味を的確に捉えた。
「聾唖《ろうあ》って訳じゃないみたいだね。固有名詞に対しては的確に反芻する事が出来るし、発声器官も発達している。となると文法的な使い方が分かっていないか。もしくは音だけしか捉えていない。それとも意味まで理解しているのか……」
「と言うよりは、俺の言葉だけが伝わっていないのか」
「何かを言ってるみたいだけど……私の言う事が解るかい?」
「ああ」
「解るみたいだね。じゃあ早速だけど私の質問に、“はい”か“いいえ”で応えて貰うよ。そうすれば少なくとも、私たちは意思疎通が出来るわけだからな?」
なるほど、多くの言葉を必要とせず、確かな情報を得るにはこの方法が一番だ。
恭也は感心しながらも、自分の名前。
自身がエトランジェ(異邦人)である事を自覚している事、また自身に武力がある事を応えていった。
時を一日遡る。
出雲大社である。
八百万の神々が集う場所であり、出雲とは八岐大蛇がかつて居たと云われる場所でもある。
その八岐大蛇が滅んだとき、尾から剣が現れ、それを草薙と云う。
またの名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ぶ。
三種の神器の一つであり、こちらの方が高名かもしれない。
ファンタズマゴリアで出てきた永遠神剣の名の一つに、草薙と云う名が列記されている。
草薙は意志を持つ永遠神剣であり、自らの所有者を求め彷徨っている。
そして同時、何時所有者が居ても良いように、自らが組織を作った。
名を『出雲』と云う。
草薙は公式では現在、熱田神宮で保管されている。
しかしその姿を見た物はいない。
また天皇が即位する宮中儀式に使われるのは、伊勢神宮から献上される須賀利御太刀であるので、これもまた叢雲ではない。
するとその姿は何処に在るのか。
その真実を、恭也は秘境の地で見る事になった。
地下の一室である。
空気は清涼でやや冷たく、肌に心地良い緊張感を持たせる。
部屋には恭也と倉橋時深がいた。
此処まで連れて来た薫は部屋に入る事は許されず、別の部屋で待機していた。
「はじめまして、不破恭也さん」
「……はじめまして」
「倉橋時深と申します。この剣の意思に従って貴方をお呼び出ししたのも、私によるものです」
「剣の意思に……」
「日本は古来全ての物に神が宿ると考えた国です。神剣もまたその一つ。ましてや日本最古の草薙に意思が宿るのに、おかしな事がありましょうか?」
美しい少女だった。
赤袴を穿いた時深は、妖艶に笑った。
外見からは想像も出来ない淫靡さだった。
幼いのに成熟している。相対する矛盾を併せ呑んだ美が、恭也の前にある。
「そしてこれは、私の意思でもあります。恭也さん、是非とも貴方には私達の陣営に入って頂きたいのです」
時深は深々と頭を下げた。
が、その言葉だけで納得できるものではない。
情報が余りにも断片的過ぎる。
「待ってください。話が飛躍し過ぎている。陣営だとか、何故俺が選ばれ、どういう組織に、どういう理由で入るべきなのか全てを説明して貰いたい。第一貴女方は話が一方的過ぎる」
「そうですね。申し訳ありません。何百年と待っていたのです。此処に着て焦燥に走るのは下策というものでした」
倉橋時深は語る。
永遠神剣と言う存在と、世界の理法を。
宇宙はマナで構成されており、そのマナを集めるためにロウエターナルが世界を蹂躪し、平和を奪い人々を戮しているのだと。
ロウエターナルから世界を護ろうとする側をカオスエターナルと言い、その内の一人が倉橋時深自身であると。
またこの国に存在する草薙は、エターナルが所持する永遠神剣の一つであるが、現在所持者が居らず、自らの意思で第三勢力を作っている。
そして更に。
恭也の持つ小太刀の一つは、マナ構成が薄いこの地球において非常に珍しい、永遠神剣であると。
「貴方の持つ永遠神剣の名を『不動』と言います」
「不動……」
恭也は反芻した。
永全不動八門……その呼び名は、恭也が幾度となく心で繰り返した言葉だ。
なるほど。それなら確かに自分が呼ばれるのも、道理に適う。
「貴女の神剣はしかし、四位であり、下位に当たります。またその力はこの世界では開花していない。だから貴方にはまず他の世界へと赴き、ロウエターナルを駆逐していって欲しいのです」
報酬は支払います、倉橋時深はそう言った。
貴方たち一家に今後降りかかる全ての災厄を退けるという確約である。
「そんな事をどうやって信じれば……」
「私の目は未来を見通します。故に時深。言い変えれば時深のみは視となります」
倉橋の言葉に誠意を感じ取った恭也は、提案を了承した。
いきなり世界だ宇宙だととてつもない規模での話が行われたが、やる事は変わらない。
武を以って正義を護る。
不破家を代々と受け継がれていた小太刀には、そんな秘密が篭められていた。
その事を知ったからこそ、恭也は了承したのであり、そうでなければ彼はこの壮大な計画に乗る事もなく、自らの一生を別の形で終えていたに違いない。
世界を渡る時、確実に味方となりえる者へ会えるように手引きすると、時深は言った。