「3人とも…生き延びるのよ!」
どれだけ手を伸ばそうと、自分のことを娘のように慈しんでくれた人には届かない。
ハンネスに手を引かれて走りながらも振り返った少女が目にしたのは、
「やめろぉーーーーっ!!!」
絶望だった。
♦
「貴様は何者だ!」
「トロスト区出身!ジャン・キルシュタインです!」
「何しにここに来た⁈」
「……憲兵団に入って、内地で暮らすためです」
今行われているのは、訓練兵団のいわゆる“通過儀礼”である。ただ、巨人を見たことすらない人間が思い切り罵倒されたところで、巨人の恐怖を経験した者との差は埋まらないだろうというのが私の正直な感想だ。
「そうか、貴様は内地に行きたいのか?」
「はい!」
ゴツッ、と鈍い音が響き、たった今教官に怒鳴られていた人が呻きながらその場に蹲っている。
なんで嘘でもいいからもっとマシな返答をしないんだろう。ああなるのは目に見えている。
ただ、教官からの通過儀礼を受けずに済む人も少なからずいる。私もその一人だ。ミカサやエレンもそうであるところを見ると、やはり巨人の恐怖を目の前で感じた人間はその必要がないと判断されているのだろう。
明確に区別できるわけではないだろうから八割がた教官の主観だと思うけど。
「貴様は何者だ!何しにここに来た⁈」
「ウォール・ローゼ南区、ジナエ町出身!マルコ・ボットです!憲兵団に入り、王にこの身を捧げるために来ました!」
優等生だなーとか思いながらやり取りを聞き流しつつ、自分の隣にいる女の子を見た。
かなり小柄な体格で金髪碧眼。教官が彼女に通過儀礼(という名の恫喝)を行わなかったところを見ると、それなりの覚悟が出来ていると判断されたのだろう。
「おい、貴様……何をやっている…?」
今までとは違う教官の声に顔を上げると、教官の視線の先で芋をかじっている少女の姿が見えた。どうやら彼女は自分のことだと気付いていないらしく、周りの人の方が焦るという奇妙な状態になっている。
更にその少女が芋をかじった所で教官が声を荒げた。
「貴様だ、貴様に言っているんだ‼何者なんだ貴様は⁈」
「ウォール・ローゼ南区、ダウパー村出身!サシャ・ブラウスです!」
「サシャ・ブラウス…貴様が右手に持っているものは何だ?」
教官の鬼のような形相にも怯むことなく、サシャと名乗ったその少女は芋を握りしめたまま堂々と答えた。
「蒸かした芋です!調理場に頃合いのものがあったので、つい…」
正直に答えるなんて変わった子だなあ、と思ったけど、変わってなきゃ教官がいる場で芋を食べたりしないことに思い至って吹きそうになった。
私が笑いを堪える気配を感じ取ったのか、さっき観察していた隣の子が目線だけ動かしてこちらを見る。
教官が背を向けているのをいいことに口の前に人差し指を立ててみせると、その子は少しだけ口角を上げて笑った。
♦
入団式も終わって夕方になっても、サシャはまだ走らされていた。かわいそうな気もするけど、あれは教官の前で芋を食べた彼女が悪い。
夕食まで少し時間があったので、一人でテーブルについていたミカサの隣に座る。
「ミーカーサー」
「メリナ。どうかした?」
「エレンが巨人のことについて聞かれてたから巻き添え食う前にこっちに来た。エレンが熱くなると面倒だし」
「…そう。アルミンもそこにいるの?」
「うん」
「なら大丈夫。エレンが熱くなりすぎてもアルミンが止めてくれる」
「そうだね」
その後の夕食はミカサとアルミンと共に食べた。エレンは他の訓練生からの質問攻めに遭っていて、とてもじゃないけど一緒に食事が出来そうになかったから今日は別々だ。
その質問攻めは今も続いていて、皆ほとんど食事を終えたにも関わらずエレンはまだ食べている。
「皆、すごいね…」
私が思わず呟くと、向かいに座っているアルミンは苦笑した。
「巨人を実際に見たことないから仕方ないよ。噂は尾ひれがついて広まるものだから、本当はどうなのかって知りたがる人もいるし」
「そんなもんかー」
人が集まりすぎて姿の見えなくなったエレンがいる方へと顔を向けると、未だ巨人のことを聞いているらしい声が聞こえた。
「じゃ、じゃあ、普通の巨人は?」
誰かが言ったその言葉に、2年前の悪夢のような光景が蘇った。身体から血の気が引いていくのが自分でもわかる。
「メリナ、大丈夫?」
「顔色が悪い。辛いのなら医務室に━━」
アルミンとミカサの言葉に首を横に振ることで否定する。体調不良じゃないから医務室に行っても無駄だ。気心の知れた人と一緒にいる方がよっぽど効果がある。
「大丈夫だから心配しないで。それより、エレンが熱くなり出してるけど」
私が指し示した方では、エレンと、憲兵団に行きたいと言っていたジャン・キルシュタインという人が剣呑な雰囲気になりつつあった。
「お前は確か……憲兵団に入って楽したいんだったっけ?」
「俺は正直者でね……心底怯えながらも勇敢気取ってやがる奴より、よっぽど爽やかだと思うがな」
「…そりゃ俺のことか」
喧嘩になるのかな、と思って見ているも、そんな不安もなさそうだった。もしそうなら隣のミカサが何かしらの反応を示しているはずだ。
「なあ、悪かったよ。あんたの考えを否定したいわけじゃないんだ。これで手打ちにしよう」
「ああ、俺も悪かったよ」
エレンが食堂から出て行くのを見てミカサが立ち上がる。私も入浴の準備のために宿舎に戻ろうと立ち上がった時、一人の女の子がこちらに近づいてきた。
今日、通過儀礼を受けていた訓練生の一人だ。確か名前は…ミーナ・カロライナ、だったと思う。
「あなたもシガンシナ区出身なんだよね?」
「…うん、そうだよ」
「あ、いきなり話しかけてごめん。私、ミーナっていうの。宿舎に戻りながら話さない?」
「私はメリナ。いいよ、戻ろうか」
食堂から出る。まだ日は暮れ切っておらず、あちこちに松明が置かれていることもあって辺りは明るい。
「さっきエレンから話を聞いてたんだけど、アルミンとメリナってエレンと幼馴染なんだね」
「ミカサもだよ。ここへは4人で入ったの」
「ミカサ…ああ、長い黒髪の子?」
「そう。幼い時からずっと一緒」
「兵団に入ること、親に反対されなかった?」
「…親、いないから。4人で一緒に入ろうって決めたの」
「そっか。ごめん、思い出させちゃって」
なんだか随分ぐいぐいくる子だと思ったけど、そうでもないらしい。今も申し訳なさそうな顔をして隣を歩くミーナに、雰囲気を変えようと声をかけた。
「気にしないで。ミーナのベッドはどこ?」
「一番上の隅。あそこだよ」
「あ、私のベッドの隣だ。寝る前話せるね」
「本当だ!」
ミーナは私の言葉に目を輝かせる。
「メリナ、お風呂行こう」
ミカサが声をかけてくる。早すぎるんじゃないかと思ったが、早めに行かないと混んでしまうと言うので行くことにした。
「ミーナはどうする?」
「私はアニと行くからいいや」
「アニ?」
「私の隣のベッドの子。じゃあまた後でね」
「うん」
宿舎から出て浴場に向かう。その道中、ミカサは不思議そうに私を見ていた。
「私の顔に何かついてる?」
「…特に何も」
「じゃあどうしたの、さっきから凄い見てるけど」
「もう友達が出来たのかと思って」
なるほど、そういうことか。
まあ、シガンシナ区にいた時はエレンやミカサ、アルミンと一緒にいることがほとんどで、しかも近所にいた他の子どもと言えば喧嘩を吹っかけてくる悪ガキだけだった。
そう考えると他の人と親しげに話すのは珍しいかもしれない。
私だってエレンやミカサが他の訓練生と仲良く話していたら驚くと思う。ミカサは感情を表に出すタイプじゃないし、エレンは気を許した相手じゃないと不愛想だから取っ付きにくいと思われがちだからだ。
アルミンは人当たりがいいから色々な人と仲良くなれても不思議じゃないけど。
「ミーナはいい子だよ。寝るところが私達の隣なんだって」
「そうなんだ。…そういえばさっき、アニという人を見かけた」
浴場に足を踏み入れながらミカサが言った。やはり少し早いのか、誰か人がいる気配はない。
訓練兵団は大変だけれど、毎日の衣食住に困らないのが良い所だと思う。
「アニって、ミーナがさっき言ってた人?」
「そう。でも、直接話した訳じゃないからどんな人かはわからない」
「へえ。見た目は?」
「金髪をお団子にしていた。下を向いて本を読んでいたから顔はよく見えなかった」
「ふーん。本を持ってきてるなんてすごいね」
出来るだけ手早く髪と身体を洗い終えると、再び宿舎へと戻った。
やはりというかミカサが言ったとおり、私達が浴場から出る頃には人が増え始めた。こういう風に先を見通す能力が優れているのは羨ましい限りだ。
自分のベッドでミーナとアニが戻ってくるのを待つ。浴場から人が戻り始めているので彼女達ももうすぐだろう。
「ミカサ、ベッドどっち側がいい?」
「どっちでもいい。メリナが好きな方を選んで」
「じゃあ私が壁側ね」
「わかった」
ミカサと位置を交代すると、隣にミーナ達が戻ってきた。
「ミーナ、おかえり」
「ただいま。あ、この子がアニだよ」
「…あ」
アニと呼ばれたその子が顔を上げたとき、私は思わず声をあげてしまった。
昼間の入団式の時、私の隣にいた子だったからだ。アニもそのことに気づいたらしく、目を瞬かせている。
「知り合い?」
ミカサは私とアニの顔を交互に見ながら尋ねてくる。
「昼間、入団式で隣だったの」
「そう。あの芋女…サシャを見て笑いそうになってた」
「そこまで言わなくていいから!」
思わず声をあげた私を見てアニは愉快そうに、だけど静かに笑う。アニの目線が私の首元に来た時、不意に彼女は眉をひそめた。
「あれ、アンタ、首にかけてたやつは?」
「え?」
「首に何かかけてなかった?昼間、鎖だけ見えたんだけど」
首を触る。アニの言うとおり、母さんの形見であるロケットペンダントがない。
「さっき浴場に行った時だと思う。風呂に入る前に外してたから」
ミカサの言葉に頷く。確かに外したのを覚えている。身体を洗う時に首から下げていると邪魔だと思ったから。
「行ってきなよ。大事な物なんでしょ?」
「うん、ありがとう。ちょっと行ってくる」
アニにお礼を言って、私は小走りで浴場に向かった。
♦
浴場の扉を開けると、勢いよく開けすぎてしまったせいか中にいた人が驚いた様に振り返った。
頬に散ったそばかすが特徴的だ。今は女性用の浴場にいるから女だと分かったけど、昼間に食堂とかで見たら絶対に男と間違える自信がある。
「お前も風呂に遅れた組か?」
初対面の人間にいきなり話しかけられて驚いたが、無視するのもどうかと思ったので正直に答える。
「違う。忘れ物したから取りに来ただけ。そっちは?」
「風呂に来る前に芋女を運んでて手間取っちまったんだ。今はクリスタを待ってるのさ。…忘れ物って言ったか?」
怪訝そうな顔で見つめてくる相手に私は頷いた。
「ロケットペンダントって言って、メダルみたいになってるところが開くの。中に家族の肖像画が入ってて…」
「これか?」
相手が手に持っているのはまさしく私が探していたものだった。
「そう、それ。母さんの形見だから探してたの」
「へえ、親の形見か。ほらよ」
手渡され、その場で首にかけてシャツの下に仕舞う。お礼を言うために顔を上げたものの、相手の名前を知らない。
「見つけてくれてありがとう、えーと…」
「ユミルだ。大したことないから気にすんなよ。お前は何て言うんだ?」
「私はメリナ。メリナ・シュナイダー」
「メリナ、ね…。これからもよろしく頼むぜ、明日の適性訓練でお前が開拓地行きにならなければの話だけどな」
男らしい口調に加えて毒舌でもあるらしい。私はユミルに向かってニヤリと笑ってみせた。
「ご心配なく。絶対残ってやるから」
ユミルはふん、と鼻を鳴らした後、早く出て行けと言わんばかりに手をヒラヒラと振る。
これ以上この場に留まる理由も無いので、私は素直に宿舎へと戻った。
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「…まあ、見つかったなら良かったんじゃない」
アニの言葉にそうだね、と返す。
宿舎へ戻ってきたが、就寝時間まで少し時間があるのでミカサ、ミーナ、アニと話しているのだ。
「明日の適性訓練って何やるのかな?」
ミーナはやや不安げに尋ねてきた。ユミルとの会話の一部始終を話した時に出た、“適性訓練”という言葉が気になっているのだろう。
「腰と足裏のベルトを使ってバランス能力を見る。立体機動の基礎になるから、不適合なら開拓地に送られる」
「バランスなら何とかなるかな…。でもミカサ、それ誰から聞いたの?」
「夕食の後、エレンがアルミンと話していたのを聞いた。それだけ」
私はミカサがミーナと普通に話せていることに関して少し驚いていた。
さっき私に友達が出来たのかとか聞いてきた割に、ミカサ自身も友達を増やしつつあるらしい。まあ友達が増えても、エレンに固執するところは変わらなさそうだけど。
その後、明日から本格的に始まる訓練について4人で話していたが、就寝時間になったので私はミカサの隣のベッドに潜り込んだ。
さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った暗闇の中、私はいつの間にか眠りについた。