「おばさんのことを知ってた?あのおっさんが?」
昼食を取ろうと入った店で、先ほどの男との一連のやり取りを改めて説明した。母さんのことを知っていた、と言うとエレンは眉をひそめた。
それもそうだ。母さんと交流があったのはエレンの両親、アルミンの祖父、ハンネスさんくらいのもの。さっきの男のような知り合いはいないからだ。
「それよりメリナ、そのクソ野郎に何かされなかった?もしそうなら然るべき報いを…」
「何もされてないから大丈夫!」
物騒なことを言い出したミカサの言葉を遮る。エレンだけならまだしも、ミカサは時々私にまで過保護になる。
まあ家族同然に大切にされてるからこそだし、気持ちは分かる。エレン程ではないだけマシだと思うことにした。
「お待たせしました」
店員が料理を運んでくる。私はこのタイミングで話題を変えることにした。
「さっきアクセサリーが売ってる露店見つけたんだけど、この後寄ってもいい?」
「もちろん」
アルミンは賛成してくれた。他二人も異論はないらしい。
露店の前を通った時、少しだけ視界に入った中に買いたいものがあった。
♦
「あれ、アンタそんなの付けてたっけ」
「へ?…ああ、こないだの休暇で買ったの。エレンとミカサとアルミンも持ってるよ」
色違いだけど、と付け加えた私にふーん、と頷いたのはアニだ。
何の話をしているかと言うと、一昨日の休暇、昼食の後に寄った露店で買ったリングタイプのペンダントのことだ。
首にかける紐は簡単に留め外しが出来るようになっており、指輪としても使えるらしい。リングの部分には色付きのガラスが散りばめられているが主張の激しいものではなく、控えめなデザインだ。
ちなみに色は、エレンが緑、ミカサが赤、アルミンが黄色、私が青。
そう説明すると、アニは呆れたような顔で私を見た。
「仲いいよね、ほんと」
「まあ、幼馴染だし。それより早く始めよ、教官に見つかったら半殺しじゃ済まない」
「確かに。…じゃあ行くよ」
今は対人格闘訓練の時間だ。
随分前に教官の目を盗んでサボっているアニを見つけ、それ以来こうしてずっと教えてもらっている。
この訓練が始まったばかりの頃、ライナーと組んで痛い目に遭った。そもそも体格が違いすぎるから勝つつもりでいること自体が無謀なのだろうが、体格差があろうと相手に勝利する為の対人格闘術だ。
実際、アニは私よりだいぶ小柄(怒るから口に出しては言わない)だけど、私に勝ってるわけだし。
私も初めこそアニにやられっぱなしだったものの、最近では身体が慣れてきたのか、躱すだけでなく攻撃を仕掛けることも出来るようになった。
「とった!」
「やるじゃん。上達したね、メリナも」
「まあね、アニのおかげだよ。…今ならライナーに勝てると思う?」
「アイツは重量があるから厄介だよ。でも…」
「バランス崩せばこっちのもの?」
「そういうこと」
言葉を引き取って続けると、アニはにやりと笑って頷いた。
彼女の視線の先ではライナーとエレンが訓練をしている。あの二人は対人格闘術の訓練でよくペアを組んでいるのだ。
「行ってくれば?アンタがライナーと組むなら、その間はエレンと組んで待ってるから」
「わかった」
ライナーの近くまで歩いて行くと、二人は振り返った。
「ライナー、私とやらない?リベンジマッチやりたいんだけど」
「俺は構わないが…。ハンデはどうする?」
「要らない」
ハンデの拒否を告げると、ライナーは戸惑ったような表情を見せた。
前回はハンデ有りでも負けてるし、体格差も考慮すれば当然の反応だ。ちなみに前回は“足を使った攻撃をしない”というハンデがライナーに課されていた。
「…わかった、じゃあお互い手加減無しだな。エレン、悪いが少し待っててくれ」
「おう」
ライナーと向かい合って立つ。ならず者の役はライナーが務めることになった。
ライナーを抑えることが出来れば私の勝ちになる。
「行くぞ」
木製のナイフを手に持ったライナーが言う。私は黙ったまま指を自分側にちょいちょい、と曲げてみせた。
かかってこい、という合図だ。それを見たライナーが私の方に向かって走り出した。
ああ、まただ。
最近訓練の最中、周囲の動きがスローモーションになることがよくある。
ミカサに聞いたら『動体視力が上がってるのかも』と言われたが、真偽のほどは定かではない。
今もそうだった。身を屈めて走っていたライナーの体が僅かに浮くのを認識する。
教官から教わった型の通りに左手の拳を私に当てようとしている。
『フェイントには気を付けて』
教えてもらっている時、何度もアニに言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
ライナーはこれでフェイントをかけ、右手に持った木製ナイフを私の身体に当てようとしているのだろう。
『隙を見逃さない』
少し上体が浮いたことで胴に隙ができた。私はそこを狙って足を蹴り上げる。
『バランスを崩す』
私の攻撃を避けようとライナーは仰け反った。防御が疎かになった足元、脛を思い切り蹴飛ばす。
痛みに悶える相手の懐に素早く飛び込み、背負い投げをかける。大きな音を立てて地面に転がったライナーは何が起きたか理解できていないようだ。
「すげえな、今何したんだ?」
「…アニに教わったことを実際にやっただけなんだけど…。こんな上手くいくと思わなかった」
「びっくりしたぜ。お前、前回はハンデ有りでも負けてたのに…」
エレンは私が勝ったことが意外だったのだろう、目を丸くして尋ねてきた。
その隣でライナーがやっと体を起こす。それを見てエレンは愉快そうに笑った。
「見事にやられたな、ライナー」
「完全に油断してた。反撃するどころじゃなかったぞ」
あまり納得がいっていない様子だ。私は後方にいるアニを指し示した。
「師匠の指導の賜物、ってところかな」
「アニか…。最近はサボっているところを見ないと思っていたが、メリナに教えていたとはな」
「すごい強いよ。ライナーも一緒にどう?」
「い、いや、俺は遠慮しておく」
「あら、そう」
ライナーとの会話を切り上げてアニの所へ戻る。
アニは、少し口角を上げる彼女特有の笑みを浮かべている。
「どうしたの?嬉しそうだけど」
「教えたことがちゃんと出来てたからね。まさかアイツがあんなにあっさり負けるなんて思ってもみなかったし」
アニは、対人格闘をサボっているところをライナーに注意されたことがあり、それをあまり快く思っていないらしい。彼女曰く『鬱陶しい』そうだ。
まあ分からなくもないけど。
「そういえば」
「何?」
アニは怪訝そうな表情で私を見た。
「アンタ、何でそんなに対人格闘に力入れてるの?碌な点数にならないことは分かってるんでしょ。馬鹿正直にやってるとも思えないし」
「そりゃ、点数にならないことは分かってるよ。ジャンが言ってたのを聞いたしね」
目を細めたアニに、これは正直に言うまで聞いてくるパターンだと観念する。
「…敵は本当に巨人だけなのか、今の人類にはそれすらも定かじゃない。仮に人と戦うことになったら?もしそうなって、手元に武器が全くなかったら?……対人の攻撃能力を培っておいて損はない」
アニは驚いた様に目を見開いたまま私の言葉を聞いていた。
まあ巨人が人類の敵だ、って声高に言われている中でこんな意見を持つ人はそうそういない。
私の場合、シガンシナ区から避難する時に持ってきた父さんの日記に書かれていた言葉の受け売りだ。でも実際、私はこの意見には納得してる。
ので、私の考えってことは嘘じゃない。
「変わってるね」
「…誰が?」
「アンタ以外に誰がいるの、今の流れで」
アニは珍しく声をあげて笑った。
♦
その日の夕食の時、私は対人格闘術の訓練でライナーに勝てたことをミカサとアルミンに伝えた。
前回の散々な負け方を知られているから、成長具合を言っておこうと思ったのだ。
「へえ、じゃあメリナはアニに教えてもらって対人格闘術が上達したんだ?」
「うん。アニの教え方って分かりやすいんだよ」
「でもアニって怖くねえか?あんまり表情とか変わんねえし」
エレンが声をひそめながら尋ねてくる。アニに聞こえないようにしているのだろう。
アニは少し離れたテーブルで、ミーナと一緒に夕食をとっている。
「別に普通だよ。ミカサと似てるかな」
「私に?」
ミカサは不思議そうな顔になるが、これは本当だ。感情表現が豊かでないという点では特に。
「アニはメリナかミーナといることが多いよね。居心地が良いんじゃないかな」
「そうかなあ」
アルミンの言葉に思わず首を傾げる。
長い間過ごしてきて、訓練で一緒になったりして言葉を交わす機会が多いだけだと思う。要はアニも私も、お互いの態度に慣れただけだ。
そんなことを考えていると、エレンが私の方に顔を向けてきた。
「メリナは?」
「何が?」
「お前も調査兵団志望なんだろ?その理由だよ」
いつの間にか話題は変わっていたらしい。
確かに私は調査兵団に入りたい。訓練兵団に入団する前日だって、四人で調査兵団に入ることを約束したのだ。
「……」
答えようと口を開くが、咄嗟に言葉が出てこない。
何故調査兵団に入りたいと思ったのか。
エレンの質問はごくシンプルで、私が今ここにいる理由、つまり自分の原点を答えれば良いのだ。
「…父さんの影響かな」
「やっぱそうか。お前の親父さん、すごかったもんな」
エレンは納得したように言う。それに頷きながら、私は別のことを考えていた。
父さんは私が9歳の時に死んだ。そして、私が調査兵になりたい、という自分の思いを自覚したのが9歳の時だ。
それが引っかかった。
調査兵団に入りたいと思ったのが
でも、私は父さんが生きている間に調査兵団に入りたいと感じたことは無かった。仲間を喪って悲しむ父さんの姿を目にしてきたからだろう。
だったらなぜ、父さんが死んでから急に『調査兵団に入りたい』などと思うようになったのだろうか。
いつの間にかエレン達三人の話題は他愛無いものに移っている。私はその会話を聞き流しながら、会話によって中断されていた夕食を再開した。
エレンによって私の中から掘り出された疑問に、私は胸に靄がかかったような感覚を味わった。
♦
その夜、私は唐突に目が覚めた。
時刻は恐らく真夜中を疾うに過ぎた頃だろう。隣のミカサを起こしてしまわないよう、静かに上半身だけを起こす。
「…?」
違和感に気付き、隣のベッドに目を凝らす。暗闇に慣れてきた目には、アニのベッドが空であることが分かった。
夜中に目が覚めることは今までも何度かあったが、誰かが寝床を空にしていることは初めてだ。厠にでも行っているのだろうか。
私は物音を立てないようにしてベッドに据え付けられた梯子を下りた。抜き足差し足で宿舎の入り口まで辿り着くと、少しだけ開いている扉から外へと滑り出た。
♦
「こんな所にいたの?」
少し後ろから声をかけると、アニはびくっと体を跳ねさせて振り返った。警戒していた表情が、私だと分かったからかいつもの顔に戻る。
「…何しに来たわけ」
「夜中にベッドを抜け出した不良友人の行方を探しに」
「ふはっ、アンタやっぱり変わってるよ」
「そんなことないって」
ここは宿舎とその隣にある厠の間だ。もちろん屋外で、夜中の今は結構冷える。
自らこんなところにいるアニの方がよっぽど変わってる気がする。壁にもたれて立つアニに倣って私も同じ姿勢を取った。
「アニは憲兵団志望だっけ」
「そうだよ」
「…なんで憲兵団に入ろうと思ったの?」
「………お父さんのため…かな」
アニから彼女の家族について聞くのは初めてだった。
「お父さんの?」
「父親って言っても血は繋がってないけどね。赤ん坊だった私を拾って育ててくれたんだ。格闘術も幼い頃に教わった」
「だからあんなに強かったんだね」
アニは私の言葉に頷くと、決意に満ちた瞳になった。
「あの人は、私のことを本当の娘みたいに思ってくれてた。ずっと気づかなかったけどね。……でも、ここに来る前、『帰ってきてくれ』と懇願された。だから私は、何としてでも父の元へ帰る」
彼女の瞳からは悲壮なまでに固い決意が感じ取れ、私は黙った。何だか、何を言っても意味をなさない気がしたのだ。
アニは沈黙を破るように、「メリナはどうなの?」と聞いてきた。
「…私、調査兵団に入りたいの。幼い頃からそう思ってた」
「調査兵団?」
「うん、私の父さんがそこの兵士だったの。血は繋がってないんだけどね」
ラファエル・シュナイダーは実の父親ではないことを、私はエレンにもミカサにもアルミンにも言っていない。
アニは驚いた様に私の顔を見た。きっと同じことを考えているのだろう。
私達は、境遇が似ている。
「今日エレンに聞かれたんだよね。『なんで調査兵団に入りたいんだ』って」
「うん」
「でも私、分からなかったの。父さんの影響を受けたのは間違いないの。ただ、最大の理由は別にある気がして」
これ以上言うことが無くて口を噤むと、アニは体ごと私の方を向いた。
「入ってから思い出しても遅くは無いんじゃない?入団に理由が必要って訳じゃないんだし」
「でも、皆何かしらちゃんとした理由を持ってるのに…」
「エレンの『巨人を駆逐する』ってのは、“ちゃんとした理由”に入る気はしないけどね」
アニの大真面目な返答に、私は小さく吹き出してしまった。
確かに理由を入団前に見つける義務は無いし、アニの言うとおり、入ったら思い出すかもしれない。そう考えると少し気が楽になった。
「ありがとう、アニ」
「別に大したことじゃないから。…そろそろ宿舎に戻る?明日寝坊したら最悪だよ」
「確かに。うっかり教官に見つかりでもしたら悲劇だね」
宿舎の入り口まで戻った時、中に入る前にアニは私を振り返った。
「アンタは成績優秀だし、憲兵団も狙えると思うけど」
「あはは、ありがと」
早く入ろう、と促すと、アニは宿舎の扉をそっと開けて静かに入っていった。
アニが何を言いたいか分からない訳がない。多分、私がアニの立場でも同じことを考えるだろう。
でも、私には変えられない意志があり、アニにも曲げられない思いがある。恐らく、それは何が起ころうと揺るがないものだ。
私は一度だけ溜め息をついて頭を振ると、宿舎の中に体を滑り込ませ、音を立てないように扉を閉めた。
前話(第5話)が4600字くらいだったのに、今回は5684字になりました。
なんということでしょう。
文字数が多すぎる、または少なすぎるなどの意見(改善要望)があれば、次話からの参考にしますので、感想欄にてお願いします。