第一話 エスケープ・ゴート
見慣れない紙質の手紙が無駄に事細かな住所で届いた。
番地とダーズリー様方とあたしたちの名前までなら普段プライマリ・スクールから届く手紙も同様なので特におかしなことはない。あたしが心底ゾッとしたのは番地の後に書かれたこの文言だ。
『階段下の物置内』
なんだこれ。
いくら伯父と伯母があたしたちをよく思ってなかったとしても「いけ好かない生意気なガキを物置に住まわせています」だなんて、わざわざ言いふらすほどイカレた人達じゃない。
面倒を見させられる状況を疎んじて、どこかの変態か臓器密売組織にでも売り飛ばすつもりとか?
いや、これはバレた時に彼らの人生が終了する。悪事は得てして表に出やすいものだし、怪しげな組織と親しくできる神経が彼らにあるとも思えない。やれたところで継子いびり程度だ。とことん小市民と言ってもいい。
もっと現実的に考えよう。
あたしやハリーに手紙をくれる人は少なからずいる。といっても、うちの事情を知らない子はいないし、わかった上でまともでない振る舞いをしているなら、なにより早急に縁を切りたい。というか切る。
問題は、相手と縁が繋がりもしていない場合だ。
「アレン」
耳慣れた声がした。片割れがきらきらと澄んだエメラルドの瞳でこっちを見て、不思議そうに首を傾げている。
「どうかした?」
「それが、……なんだかよくわからない手紙が届いてて」
その声を聞きつけたらしい。乱暴に椅子を引く音が聞こえたので、わざと少し声を大きくして言った。
「伯父さん、あたしとハリー宛に変な手紙が来てるよ。ストーカーかテロリストじゃないかな?」
素晴らしいタイミングで廊下に出てくる伯父に感心しながら、怪しい二通の手紙を差し出す。伯父は口髭を震わせて唸った。
「おまえはなんでそう突拍子もないことを言うんだ。え?」
「暴力的な行為を厭わない人に無辜の人が狙われるのは突拍子もないことなの? ほら、これ見てよ。いかにも危ないものが仕込まれてそうに見えない?」
薄く黄色味がかったこれは、おそらく羊皮紙だ。それだけ見ても物珍しさで子供が開けるのを見越しての犯行が考えられる。たまたまこれを手にしたのがあたしだからよかったものの、そこら辺にいる警戒心の薄い子なら何も言わずにビリッと開封して何らかの菌に感染、または毒物によって死亡してもおかしくはない。
「犯罪に近づかないのは賢明なことだがな、おまえの発想は一足飛びどころか三足飛びだと言っとるんだ」
「普通だよ」
「口答えをするな。大人をおちょくるのも大概にしろ」
伯父が何かと目の敵にしてくるからといっていちいち言い返すのは悪い癖だという自覚はある。でも、あたしは決しておちょくりもからかいもしていない。
廊下の壁に寄りかかったハリーはコントでも見ているかのように笑っている。甥に面白がられているのに気づかず、伯父は鼻息荒くあたしに詰め寄った。
伯父は『まとも』であることにこだわりすぎる人で、おかしなことや突発的なことにはてんで弱い。テレビで映画を観ているだけなのに「こんなことがあるものか」だの「これだから頭のおかしい連中は」だのとブツブツ言っては、従兄──伯父にとっては息子──のダドリーに「五月蝿い」と毎度毎度どつかれている。それが実話の映画化でも伯父が理解できないものは全てないもの扱いされるのが常だ。
そんな環境で育ったあたしは伯父と逆で、どんな事件も事象も人間の脳で考えつくものは全て起こり得ると考えている。これが超能力者からの手紙でも、ストーキングが極まった危ない手紙でも、はたまたテロリストが投函した危険物だとしても、何もおかしくないと考えている。
「大体な、家にいて犯罪に巻き込まれるなんぞ、真っ当に生きていればあるわけないだろうが!」
「北アイルランドの人に謝れ」
おっと、つい声が低くなってしまった。あたしは殊更にっこりして伯父に手紙を押しつける。
「わかった。じゃあさ、あたしはハリーとダドリーと伯母さんを連れて向こうの通りに避難するから、伯父さんが開封して。中身がなんであれ、被害者は少ない方がいいよね? ねっ?」
「なっ」
伯父は顔を赤くして声を荒げた。
「俺が死ねばいいとでも言うつもりか貴様!」
「ええー? 『真っ当に生きていれば犯罪に巻き込まれることはない』って伯父さんが言ったんじゃん。伯父さんは真っ当に生きてるから、この手紙を開けても何も起きないんじゃないの? そういうことだよね?」
興奮して真っ赤だった伯父の顔が今度は紙のように白くなった。
個人の生き方で
だけど、世界はそんなに優しくない。
「貴様ら宛の手紙をなんで俺が開封せねばならんのだ?」
「じゃあ、ここで開ける」
「やめんか!」
再度怒鳴った伯父が手紙をひったくったので、一応言っておいた。
「それ住所が変なんだよね。どうしてあたしたちが物置で寝起きしてるのが差出人にバレてるの?」
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
伯父がおかしくなった。
あの手紙には炭疽菌よりも恐ろしいものが入っていたに違いない。そんな風に勘ぐりたくなるほど、伯父は過度のストレスで躁状態に陥っている。朝も青い顔で思案に耽っているかと思えばいきなり大声で笑いだすので、食卓にいた伯父以外の全員がその度にビクッとした。
例の手紙を開封した伯父はすぐさま不気味なくらい丁寧な口調で、あたしたち二人にダドリーの二つ目の部屋に移れと言った。あたしもハリーも宛先の不気味さが理解できていたので、異論は唱えず多くない荷物を持って二階に上がった。この件が落ち着いた頃にまた階段下の物置に戻れと言われるかもしれないので、今のうちにのびのびしておこうという魂胆もある。
この家には寝室が四つあり、うちひとつが伯父と伯母の部屋、ひとつがダドリーの部屋、ひとつは来客用、ひとつはダドリーの物置になっている。ガラクタなんだかそうじゃないんだかさっぱりわからないものが部屋の半分を埋め尽くしていても、ベッドもカーペットもローテーブルも本棚もあるので住むのに全く支障はない。
「親父がおかしい」
「「いつものことじゃん」」
「いつにも増しておかしいって言ってんだよ。おまえらが原因だろ」
そう言って鼻を鳴らしたダドリーを見遣った。
「訂正しよう。あの手紙はあたしたちの仕込みじゃないし、不気味な宛先はきみの両親があたしとハリーを物置で寝起きさせてたせいだ。いっそ最初から外にプレハブでも立てて閉じこめておけば別宅程度の宛名で済んだかもしれないのに」
例の手紙を触る気も起きないので、処分は全て伯父か伯母に任せている。詳細はわからないが、最初があれだと、ここに移ったことは既に知られている可能性が高い。
「なんでおまえらがそんな面白そうな所に住まわせてもらえると思うんだよ?」
プレハブが面白いとは。顔は伯父さんそっくりなのに、頭の固くないダドリーは面白いことを考えるなぁ。
「ダドリーは学校の物置になってるプレハブに入ったことがないんだっけ? あれは夏なら中にいるだけで死にそうなくらい暑いし、冬は寝ている間に凍死するくらい寒いんだよ。ちょっと風変わりだからって住みたがるのはよした方がいい」
大真面目な顔をしてハリーが諭した。
「住みたいとは言ってねーよ。俺を変人扱いすんな」
ダドリーがハリーの胸を指で差す。
「ったく。おまえら、部屋を明け渡してやった俺にちっとは感謝しろよなー」
あたしとハリーは目配せし合ってお互いの考えを探ると、揃ってダドリーに笑いかけた。
「「感謝してまーす」」
「おう、大事に使えよ。──そうだ。あの辺はゴミだから次の休みに捨て、」
言いかけたダドリーが頭を抱えた。
「いつ捨てられるんだこれ」
それな。
「騒動が収まったら、かな?」
「収まるの?」
「今朝も親父があれを二十通くらい束にしてたぜ。初日よりも増えてるってさ」
「なにそれ怖い」
笑いきれていない顔でハリーが言った。
ここ数日、伯父が仕事を休んでいるのにも驚きだが、朝の六時から目覚ましを響かせて届く手紙を全て紙吹雪みたいに小さくちぎってみたり、郵便受けを板で万遍なく打ちつけてみたり、届く手紙を片っ端から焼いてみたり、トチ狂った行動は枚挙に暇がない。
「だろ。おまえらが受け取ってないのも、とっくにバレてるよな」
差出人はどうやってうちの様子を探ってるんだろう? ベタなところで盗聴器とか? 調べてみようにも、今の伯父が見たら明後日な誤解をしかねない現状が歯がゆい。
伯母の手伝いに階段を降りたあたしは、伯父が外に直結している出入り口の隙間全てを板で打ちつけて住人が出られないようにしているのに気づいて頭が痛くなった。
これは悪夢だ。そう遠くない未来、部屋のドアを斧でぶっ壊した伯父がジャック・ニコルソンみたいな顔で「バーノンだよ!」と叫び出すかもしれない。
二階に戻ると、ハリーとダドリーがローテーブルで頭を寄せ合って何やら話し込んでいたので、棚から本を一冊取ってベッドに座った。
「アレン」
ハリーがあたしの肩を叩いた。
「お茶飲まない?」
部屋にある時計を確認する。あっ、もうお茶の時間か。
「飲む」
ローテーブルに並べられたポットとカップ、シンプルでトラディショナルなきゅうりとハムのティーサンド。バッテンバーグケーキは伯母がストレス発散に作ったものだ。
「一体、なんだってあんなに手紙が届くんだ?」
ハリーがサーブしたお茶を受け取ってダドリーが言った。
「さあ?」
初めて手紙が届いた日、伯父と伯母はひどく狼狽えて、あたしたち三人を居間から追い出した。差出人に心当たりがあるとしか思えない態度だ。
「嫌がらせにしては手が込んでるよね」
たかが手紙と言い切れないのはそこだ。返事がないからって、そんなに何通も一遍に送りつけたりするものか? 督促状でさえ、何通も何通も同じ宛先に同じ差出人から同日に複数届くなんて聞いたことがないのに。
「不気味すぎる」
「これっておまえの好きな理不尽系ホラーみたいじゃないか。楽しまないのか?」
「リアルにそんなもの求めてない!」
いくら『クリープショー』や『トワイライトゾーン』の再放送を嬉々として観ているからといって、あんな世界に迷い込みたい訳じゃない!
怖いことに郵便受けが使えなくなるとなるや、手紙はドアの隙間だのトイレの小窓だのから無理矢理押し込まれるようになった。いつも来る郵便屋さんはノックなり呼び鈴を鳴らすなりして住人に受け取りを頼めばいいだけなので、そんなことをする理由はない。
つまり、例の手紙の差出人は直接この家に来て、偏執狂じみた真似をしているということになる。
伯父の行動もかなりおかしいが、手紙の主も頭がおかしいと考えた方が無難──無難とは。
この時点で狂気はもう危険水域に達しつつあったのかもしれない。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
日曜日。
疲労困憊した顔の伯父が、朝食の席でうきうきして言った。
「今日は最高の日だ! 郵便は休み! やっほーぅ!」
ハリーとダドリーがこっちを見るので、ゆるく首を振って応える。
直接届くものに郵便は関係ないといっても、伯父の憔悴ぶりを見たらそれを口に出すのは憚られた。いくらあたしが口の減らないガキだとしても空気を読むくらいはするのだ。
テンションの高い声で一人喋り倒しながら新聞をマーマレードまみれにしている伯父の様子にため息が出る。と、何か落ちてくる音が聞こえた。
「ハリー、ダドリー」
咄嗟に両隣の席にいたハリーとダドリーの手を引いてテーブルの下に潜り込む。できるだけ身を低くして、目と耳を塞いで口を開ける。爆弾への対策はこれしか知らない。だけど何もしないよりは遥かにマシだ。
落ちてきたのは爆弾であって爆弾じゃなかった。何十、何百通もの手紙、手紙、手紙、手紙。部屋を埋め尽くすほどの手紙の洪水。煙突から大量の手紙がなだれ込んだのだ。
ハッとしてテーブルの下から這い出した。
手紙の差出人は屋根の上にいる!
どうにかたどり着いた居間の窓を勢いよく開け放つ。
「アレン?!」「戻れ小娘!」
後ろで聞こえる声を無視して庭に走り出る。屋根を見上げた瞬間、背筋が凍った。
「なにあれ」
梟が所狭しと並んでいる。玄関側に出てみれば、はみ出した個体が電線や樹木、果ては郵便ポストや隣とを隔てる低い柵にまでみっしりと羽を休めていた。手紙の差出人が梟とは言わないまでも、偏執狂が手紙の届け役に寄越していたのが梟であることだけは状況的に疑いようがない。
その証拠とばかりに立ち尽くすあたしの前へ舞い降りた梟が手紙を置いていく。
とてもじゃないが、拾ってみようという気にはなれなかった。
「アレン、どうしたの?」
遅れて傍に来たハリーに、
「あれ」
と、指差した。その先にいるとんでもない数の梟を見て、ハリーの肩がビクッと跳ねる。
「ヒッチコックじゃあるまいし……」
「鳥に襲わせない代わりに手紙で攻撃するっていうのは斬新かもね」
ジョークを飛ばすには声が震えすぎていて全然笑えない。ハリーが困惑した表情であたしの手を引いた。
「伯父さんが、戻って出発の準備をしろって」
「へ?」
間抜けな声が出た。出発? どこに?
「家にいるから手紙が届くと思ってるんじゃないの。……無駄だろうけど」
冷ややかな声でハリーが言った。気持ちはわかるよ、うん。
こちらの行動が相手に筒抜けなんだから今すぐにでも警察に任せた方がいい案件だろうに、伯父は外聞を気にしているのか相談に行く様子はない。それどころか手紙から逃れることを優先している。
「差出人がしびれを切らして姿を見せてくれないことには終わりそうにないね」
どちらからともなく早足で家に向かって歩き始める。
「伯父さんの発狂ぶりからして中傷の手紙かな」
「今さらぁ?」
「周回遅れでも無駄な正義感を発揮しちゃう人っているじゃん」
「あー、ジョンソンがそうだね」
「今はダドリーのことで何も困ってやしないのに『解決すべきだ!』とか言っちゃうやつ」
「今までスルーしてたけど、よく考えるとめちゃくちゃウザいな」
「でしょー?」
無駄口を叩きながらも急いで戻って、着替えと筆記用具、それに飲みものが買えるだけの小銭をリュックに詰める。
「食料を持ってくる暇はなさそうだね」
こんなことになるなら用意しておくんだったな。舌打ちするあたしの腕をハリーがつついた。
「マーズバーが二本とパンがひと固まり。水もあるから余程でなければ飢え死にはしないよ」
ほら、とハリーが
「いつの間に」
昨夜のうちに事を済ませておいたらしい。状況判断にリソースを割きがちなあたしは、ハリーの抜け目のなさに舌を巻いた。
準備を済ませて玄関に行くと、伯父がドアに打ちつけた板を引っぺがしているところだった。ダドリーの困惑した表情が痛ましい。伯母は引きつった顔でがりがりと爪を噛んでいる。状況はより悪くなったと確信した。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
地獄のドライブは丸一日続いた。
気が触れたとしか思えないハンドルさばきを披露する伯父に、あたしはヒヤヒヤしっ放しで、ダドリーが空腹を訴えているのが不思議に思えるほど、鋼の胃袋と言われたあたしの胃がまるで不満を訴えなかった。よっぽど怖かったらしい。
夜が更ける頃合いになって伯父はようやく休む気になってくれた。それがどこかの町外れにある陰気臭いホテルだって、寝床がないより遥かにマシだ。それに眠れなくても横になっておかないと疲労が抜けないのは経験で知っている。
温いシャワーで汗を流してベッドに倒れ込んだ。ダドリーも疲れていたようで、いつもならまだゲームをしている時間なのに、隣のベッドでいびきをかいている。
ベッドサイドのテーブルにあった聖書を流し読みしているうちに、時計の針が日付を跨ぎかけていた。一人、窓辺で物思いに耽るハリーに声をかける。
「そろそろ寝よ?」
「うん」
灯りを消して黴臭いシーツにくるまる。初めての外泊で物置よりひどい寝床を経験するとは思わなかった。
「ねえ、アレン」
「なに」
目を開けたあたしに、ハリーがにっこりした。
「僕ね、ちょっと楽しいかも」
意外な言葉に驚く。
「マジか」
「マジだよ。こんなに遠くまで出かけるのは初めてだし、見たことない景色もたくさん見てさ。なによりアレンが一緒だからね!」
自分で言って照れたのか、ハリーはころんと寝返りを打って背中を向けた。
「きっと、アレンがいなかったらこんな風に笑ってられなかったよ。僕、双子に生まれてよかった」
「あたしもだよ、ハリー」
ストーンウォールに進学して、新しい友達を作って、卒業したらどんな仕事に就こうか。
そんな話をしながら、いつの間にか眠りに落ちていた。
翌朝、おなかを壊しそうなコーンフレークには手をつけず、新鮮な牛乳と冷たいトマトの缶詰を乗せたたっぷりのパンを三人してがっついて食べた。
伯父と伯母は食欲がないようだけど、こっちはそんなことを言っていられないのでもりもり食べる。あたしは昨日からの空腹が明け方にきてしまって、ずっとおなかが鳴りっぱなしだったのだ。
これはハリーだけでなくダドリーにまで笑われたのをきっかけに、ちょっとばかり乱暴なじゃれ合いに発展した。流石に三人とも空腹でへにゃへにゃだったので長引いて叱られたりはしなかった。
あたしたちのおなかがすっかりくちくなる頃、ホテルの管理者がやって来た。
「ハロルド・ポッターさん、それにアルトリア・ポッターさんという人はおられますかね。フロントにこれと同じものが二百ほど届いておりますよ」
あたしとハリーは素知らぬ顔で水を飲み、ダドリーはちらちらと両親を窺い、伯父と伯母はあからさまに青ざめた。しばし考える素振りを見せた伯父が意を決した様子で管理者について行く。
「伯父さんって責任感が強い方なのかな?」
ハリーがぼそりと言った。
「そりゃ社長やってるくらいだもの」
「そうだったね。すっかり忘れてた」
この常軌を逸した差出人の行動を考えると、手紙を受取人に押しつけてしまうのが一番の解決策だ。それを伯父は頑なに渡さず、自分で全て解決しようとしている。その理由がなんであれ、血の繋がらない甥と姪を変質者に売り飛ばすような人ではないとわかってよかった。
戻ってきた伯父の号令で車に乗り込んだ数時間後。伯母がなにやら提案していたけれど、伯父には聞こえていないようだった。奇矯な行動は時間を追うごとに増して、とうとうダドリーが父親の正気を疑う発言までしだした。
あたしは車に盗聴器でも仕掛けてあるかもしれないと足下や天井、座席の隙間を調べてみた。どんなに探ってみても、それらしきものは影も形もない。
赤い太陽が西へ傾く時間になって伯父が海岸の近くに車を停めて、自分以外を車に閉じ込めたままどこかに行ってしまった。
「どこに行ったんだろ」
ダドリーの声に疲労を感じる。ぽつぽつと降り出した雨に気づいたハリーが窓から暗い鉛色の空を見上げた。
「伯母さん、大丈夫?」
座ったまま意識を失ったように見える伯母に声をかけたら、何故かひどく驚かれた。
「なによ」
そっけなく返されるのには慣れているので気にせず重ねて尋ねた。
「昨夜、ちゃんと寝た?」
振り返った伯母の目にできた隈は疲労だけのものには見えない。伯母はふんと顔を逸らして、
「あんたには関係ないでしょう」
と突っぱねる。いつも通りの態度なので少し安心した。
伯母はハリーを嫌っている以上に、あたしを嫌っている。あたしはそれほど嫌っているわけではないので寂しくないと言えば嘘になるけれど、何度言葉にしてもこっちの好意は伝わらなかった。
今は憎まれ口を叩く余裕があると受け取っておく。
「伯父さんが帰って来たよ」
ハリーの声に全員が窓の外を見た。
戻った伯父は気持ち悪いくらい上機嫌で、長くて細い包みを抱えている。その形とサイズでライフルが思い浮かんだ。今回の事件はそれくらい用意していても足りないかもしれない。
ヒッチコックよろしく梟に襲われないよう祈るばかりだが、その前に発狂した伯父が手に持ったそれを乱射しないかを心配すべきかもしれない。
「みんな降りろ!」
号令に従って外に出ると、雨のせいか鳥肌が立つほど寒い。
伯父が半音上がってキリキリした声で喋りながら、暗い海の彼方を指差している。もしかしなくても、あの岩場に行くらしい。
「今夜は嵐だぞぉ!」
躁病患者のようなテンションで伯父が喚いた。
「親切な方が船を貸して下さったのだ! 食料もあるぞ! 総員船に乗れぃ!」
手紙の差出人は身内でした、なんてオチが待っていそうな状況に顔が引きつる。ハリーも同じことを考えたのか乾いた笑いを漏らした。
船に乗り込んで真っ先にブルーシートを探した。残念ながらそれに該当するものはない。襲い来る塩水を避けられないなら、できる限り子供達で身を寄せて寒さで体力を奪われないようにじっとしているしかない。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
あれから何時間も経ったような気がした。
ダドリーが「着いたみたいだぞ」と言う声で我に返る。少し眠っていたのか、ハリーが眼鏡を押し上げて目をこすって先に岩場に上がったダドリーの呼ぶ声に「今行くよ」と返している。
「大丈夫か?」
船から顔を出したあたしにダドリーが手を貸してくれる。割と大雑把な性格をしているくせに、こんな時はちゃんと紳士の振る舞いをするから侮れない。
「うん。ありがとね」
あたしもレディを気取って素直に手を借りた。ちゃんと岸に上がったのを確認したダドリーが鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「海に落ちられでもしたら気分が悪いだろうが」
「それでもありがとうだよ」
小さい頃は結構怪我をさせられたし、こっちも容赦なくひどくやり返していたけれど、ある事件を機に、今のような軽口と小突き合い程度の関係に落ち着いた。
セカンダリ・スクールに進学すれば、お互いもっと大人の振る舞いを身につけていく。いつかはあのことも笑い話にできるだろうか。
転ばないように慎重に歩いてたどり着いたボロ小屋は、お世辞にもいい場所とは言えなかった。作りこそ頑丈でも海風で吹き込んだ塩気のせいで中はひどい匂いがするし、暖炉は放置されて長いのか、僅かな薪も湿気っていた。
伯父の用意した食料はポテトチップスが一人一袋とバナナが五本。腹に溜まりはしなくてもカロリーだけは摂れそうだ。
中を見て回る。階段を上った奥の部屋に大人二人なら問題なく横になれそうなベッドがひとつあった。伯父と伯母はここで休むとして、ダドリーは一階のソファを使うことになるだろう。
「くそ、火が点かん!」
伯父は尖った声で言ったかと思えば、
「今ならあの手紙が役立つのにな!」
と妙に上機嫌になったりして情緒が安定しないので運転の時とは違う意味でハラハラする。これは下手に刺激しない方がいいと判断して、子供三人は黙々とポテトチップスの消費に励んだ。
予報通り深夜近くなって嵐が来た。伯母が奥から古い毛布を数枚見つけるとダドリーの寝床を拵えてやった。あたしとハリーは毛布一枚渡されただけでも上等だ。二人とも食べる割に縦にも横にも伸びてないので充分使える。
ダドリーがいびきを響かせ始めるのを待っていたようにハリーが起き上がった。
「眠れない?」
外の荒れ模様はひどく、窓もドアもひっきりなしにガタガタ鳴っているのでおかしな話でもない。
「眠れなくても横になった方がいいよ」
あたしが言うのを聞いたハリーがむっとした。
「ひっどいなあ。もうすぐ僕とアレンの誕生日なのに」
「あ」
「忘れてたね?」
「ごめん」
あたしたちは伯父と伯母からまともに誕生日を祝われたことなど、一度もない。
毎年、日付の変わる時間まで二人で起きていて、こっそり歌をうたって終わり。そんなささやかなお祝いでも祝って祝われるのは嬉しいものだ。
「今年は変な手紙のせいでてんやわんやだったし、完全に日付の感覚なんてなくなってたよ」
「あー、もう。いったいなんなんだろうね」
ハリーはリュックを引き寄せると、中から持ってきたマーズバーを二本取り出した。
「例年通りケーキはないけど、甘いものがあるだけ贅沢だね」
「うん」
すっかり熟睡しているダドリーの腕時計を見た。あと五分ほどで日付が変わる。
どこかで、ぎしりと軋む音がした気がする。驚いて辺りを見回してみても特に異常はない。
「この小屋、潰れたりしないよね?」
「基礎がダメになってなければ大丈夫じゃないかな」
あと四分。
「家の方はどうなってると思う?」
「どうって?」
「手紙で埋め尽くされてたりとか」
「そんなことになったら、伯父さんが今度こそおかしくなるね」
あと三分。
「ねえ、波にしては変に響いてない? 足音に聞こえる」
「こんな所に誰かが来るとは思えないな。ていうか、この天気に足音が聞こえるってどんな巨人なのさ」
あと二分。
「ねえ。やっぱりこれ、誰かが近づいて来てる音だよ」
ハリーにマーズバーを渡して立ち上がる。
「どうする気?」
「油断をついて、……どうしよう」
あと一分。
「せめてソファの影に隠れて、ハリー」
「だったらアレンも」
「一緒にいると、何かあった時に気を逸らしづら」
「いいから!」
ソファの陰に引きずり込まれた瞬間、爆弾でも落ちたような音と共に小屋が撓んで大きく揺れた。唖然とするあたしにハリーが言う。
「誰かがドアを叩いてる」
それにしては随分な音だ。
二度目のノックでダドリーが飛び起きた。ぐるっと部屋を見回してソファを下りかけ、背もたれの後ろにいるあたしとハリーを見つけて息をつく。
「何の音だ?」
「ノック」
「はぁ?!」
ダドリーが素っ頓狂な声を上げた。
そこに「きえええええい!!」と、甲高い叫び声を上げながら登場したのはライフルを構えた伯父だ。
「こんな夜更けに安眠妨害とはいい度胸だ! 不届き者め! 撃ち殺してくれるわ!!」
とても『まとも』じゃない伯父の形相に腰が引けた。
こんなところでライフルを乱射されて死のうものなら、四、五年は発見されない自信がある。だけど逃げ場なんてどこにも見当たらない。
三度目の轟音とほぼ同時にドアが吹っ飛んだ。
ドアを破壊したのは、縮尺を間違えたとしか思えない巨漢の大男だった。
「ぶ、物量で迫られても……」
伯父さんはどっちかというと気の毒な人の印象なんだけど、まともに拘るって設定に忠実に書いたらヤバい人になった。