Tell her to make me a cambric shirt,
Parsley, sage, rosemary and thyme,
Without no seam nor fine needlework,
And then she'll be a true love of mine.
ハリーが澄んだ声で『スカボローフェア』を歌うと、それまで唸り声を上げていたもふもふちゃんはすぐに気持ちよさげな寝息を立て始めた。
サイモン・アンド・ガーファンクルが歌っていたのとはメロディもテンポも違うバラッド。ハリーの一番お気に入りだ。
「仕掛け扉を開けましょう。ハリー、もう少し歌ってて」
三人がかりで扉を開けた時、ドアの向こうでピーブズの声がした。
「おやー? 誰かがこんな時間に寮の外をうろちょろしてるぞー?」
動じた様子もなく、ハリーは手振りで中に行くように示す。ロンとハーマイオニーに続いて、あたしも飛び込むと歌が途切れてハリーが降りてきた。
さて、これはなんだろう?
あたしは腕に巻きついた蔓を見て考える。意志を持って巻きついているというよりも、動くものに反応しているような。
「苦しい! 助けて!」
ロンがわあわあ叫びまくっているのを放置して尋ねた。
「ねえ、ハーマイオニー。これ何かわかる?」
「冷静すぎ!」
「悪魔の罠よ」
「わかるのかよ!」
「えーっと、なんだっけ?」
「だからなんでそんなに冷静なの?!」
「暴れなければ抜けられるわ。じっとして」
「「オッケー」」
「だからなんで君たちそんなに落ち着いてるのさ?!」
君がやかましいだけだよ、ロン。
ハーマイオニーの言う通りにじっとしていると体を締め上げていた蔓が徐々に緩んで再度落下した。空中で一回転して勢いを殺してから着地する。
あたしと同じように着地したのはハリーだけで、ロンとハーマイオニーは、受け身も取らずにドサドサ落ちてきた。
「大丈夫?」
「へ、平気よ、これくらい」
ハーマイオニーに手を貸したら何故か少し顔を赤らめられた。ロンもハリーの手を借りて立ち上がる。
「君たち身軽すぎない?」
「ダドリーとしょちゅう追いかけっこしてたから」
「木に登ったり飛び降りたり、プライマリ・スクールの三階のベランダからベランダにジャンプして渡ったり、よくやったよね」
学校のベランダは少し距離があって逃げ道には最適だったなぁ。
「アレンのことずっとやんちゃだと思ってたけど、やんちゃの域を遥かに超えてたわ」
「そう?」
必要があって身についた能力は使わなければ損だよね。
ん?
「ねえ、変な音が聞こえない?」
三人があたしの顔を見る。
「変な音って?」
「小鳥が飛び回ってるみたいな」
ロンが耳に手を当てて音を探る。
「すっごく微かな音は聞こえるけど、鳥の羽ばたきかどうかまではわからないな」
「アレンって耳がいいのかしら?」
「行ってみればわかるでしょ」
ハリーは恐れもせずに歩き出した。いつものマイペースだ。
石の道を進んで行くにつれて音が大きくなってきた。突き当たりのドアを開ける。
「ええっと」
ぽかんとしたロンが、五階分くらい吹き抜けになった部屋の天井を見上げた。
「どうして鍵に羽が生えて飛び回ってるのかしら」
ハーマイオニーも呆然と天井付近を旋回しているものを見る。
「捕まえてドアを開けろってことでしょ。ハーマイオニー、試しに出口を開けてみて」
たっと駆けて行ってドアに手をかけたハーマイオニーはドアを押したり引いたりして、さらに「Alohomora」と唱えてみて首を振った。
「どうやらそのようね」
ハリーは辺りを見回して、ある一点で目を止めた。そこには縄ででも吊り下げられたかのように箒がぷかりと浮かんでいる。
「ここに箒があるなら、捕まえるのはそう難しくなさそうだね」
流石は最年少シーカーだ。言うことが違う。
「ハリーの腕に見せどころだな」
ロンの激励にハリーは微笑んで箒を掴んだその瞬間、背筋に寒気が走った。
「伏せて!」
ハリーの側にいたロンに飛びついて押し倒す。物凄い勢いで飛んできた鳥もどきたちが、素早く上空へ舞い上がったハリーを追いかけていく。
「こっわ」
青い顔でロンが言った。
「もうちょっとで全身穴だらけになるところだったよ。ありがとう、アレン」
「どういたしまして」
起き上がって一緒に出口の方へ移動する。ハーマイオニーが上に向かって叫んだ。
「ハリー! 捕まえるのは古くて錆びてる鍵よ!」
箒に触れたら串刺しに来るというえげつない仕掛けが魔法の分類からしてフリットウィック先生の分野だと思い当たり、あんな可愛らしい先生の中に潜むものが僅かに窺えた気がして身震いする。
ハリーは助言を元に目的の鍵を見つけると捕まえるために、鳥もどきの中にガンガン突っ込んでいく。つつき回されるのはどうでもいいらしい。
ほどなくして捕まえた鍵を手に急降下して「ロン、パス!」と投げつけ、ロンはそれを迷いなくキャッチした。速攻で開錠してドアを開け放つ。
ハーマイオニーは杖を構えて鳥もどきを警戒しつつ、あたしとロンを先にドアの向こうに押しやって自分も入った。ハリーは何度か旋回して鳥もどきを確実に引き離してから、箒ごとこっちに突入した。
「閉めて!」
ハーマイオニーが力いっぱいドアを閉めると、ドアに連続した硬い音がしばらく続いた。僅差で無事にクリアしたとわかって全員が大きく息をつく。
「次はなにかしら」
「さあ?」
またしばらく石の道が続く。早足で歩くあたしをハーマイオニーが引き留めた。
「待って、アレン。食べるもの持ってる?」
「今それどころじゃないよ」
「いいえ、重要よ。あなたもう何時間も食べてない上に水分も取ってないわ。このまま先に進めばまた倒れるわよ」
ハーマイオニーはあたしの両肩を掴んで言った。
「そんなに焦ってどうしたの?」
焦らないわけがない。一角獣の時に邪魔されたあいつは、きっと何が何でも先生の身体を乗っ取るつもりだ。
あたしの推測が正しければ、もうあいつと体を共有するまでに至っている。時間が経てば経つほど先生を助けられる可能性が低くなる。そんな気がする。
「アレン、いいことを教えてあげる。相手がなんであれ、人の意思に敵うものはないのよ」
首を傾げると、ハーマイオニーは辛抱強く説明した。
「死人よりも生者の方が強いの。死人はね、生者につけこむことはできても生者の意思には到底敵わないのよ」
そういえば「何もできないからゴーストなの」とマートルが言ってたっけ。それはつまり――。
「考えるのは後にして。……もう! やっぱり何も持ってないじゃないの! これ食べなさい、ほら」
ハーマイオニーが呆れ顔でポケットから出した包みを解いて口に押しつけてくる。チョコレートと爽やかなミントの香りがした。
問答無用とばかりに笑顔で口に押しこまれるそれを3枚ほど大人しく食べると、ようやく納得した様子で解放された。
「栄養補給は済んだね?」
「うん」
次の部屋に入る。薄暗い室内に何かが蹲っていると気づいて飛びずさる。ハリーが後ろからあたしを抱き留めた。
「なにここ、お墓?」
カタコンベという単語が頭をよぎる。不気味な光景を前にして言葉にならない声が漏れた。
「墓地じゃない。チェス盤の上だ」
ロンが前に進むとボッボッと音がして両脇に火が灯った。
「ウィザードチェスだね」
駒にルールを教わったハリーが微笑んでロンを見る。
「君の得意分野だ。任せてもいいかな」
ロンの明るい青の目が輝いた。
「オーケー。じゃあ、みんな駒と入れ替わって。ハリーはビショップ、ハーマイオニーはルーク。アレン、君はキングだ」
それぞれ指示された駒に声をかけて交代してもらうと、心臓に悪いゲームが始まった。
あたしはチェスのルールがさっぱりわからない。リバーシくらいなら簡単だし、意地でも勝とうとしなければ普通に楽しめるのでハリーやダドリーともよく遊んだ。でもチェスは戦略第一の頭脳戦だ。勝ち負けに拘りのないあたしに向いてないゲームの筆頭といえる。
ロンは着々と駒を進めたし、進めていたはずだ。
「みんな、次の手を見ても絶対に動揺するなよ。下手に動かないで。ハリー、次の手でキングにチェックメイトをかけて。いいね?」
何かに気づいたハーマイオニーが青ざめる。
「待って、ロン。まさかあなた」
「これも戦略だよ、ハーマイオニー。ひとつの犠牲もなくして進める道は少ない。そういうことさ」
ロンはどこまでも冷静だった。必死で言い募ろうとするハーマイオニーに、ハリーがおっとりした声で告げた。
「任せた以上、指揮官の命令には従うものだよ」
ロンがハリーを見て不敵に笑う。二人の少年の間には全幅の信頼があるようだ。
「よし、行け」
ナイトが進んで白のクイーンの前に躍り出た。クイーンの振り上げた剣で馬が貫かれ、トドメとばかりに薙いだそれでロンが勢いよく吹っ飛ばされる。
思わず踏み出しそうになる足を堪えてハーマイオニーを見る。ハーマイオニーは唇を噛みしめて、指示された通り盤の上でまっすぐ立っていた。
それを確認してから、ハリーがキングの前に進んだ。
「チェックメイト」
キングが王冠を足下に投げだして、ようやくゲームが終わった。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
ロンは気絶していた。あれだけの強烈なアタックを食らって骨が折れなかったのは奇跡かもしれない。
ハーマイオニーが触診で擦過傷以外に怪我らしい怪我がないのを確認して、ほっと息をついた。
「次はなんだろうね」
相変わらずのんびりした口調でハリーが言った。
「これがハリーに進ませるつもりで作られたものなら、授業を受けてない先生のトラップはないと思うわ。これまでにクリアしたのはスプラウト教授の悪魔の罠、飛び回る鍵はフリットウィック教授と、フーチ教授もかしらね? さっきのウィザードチェスはマクゴナガル教授でしょ……」
「じゃあ、残りはクィレル教授とスネイプ教授だね」
慎重にドアを開ける。ひどい悪臭に思わず鼻を塞いだ。
気絶したトロールを見たハリーがうっすらと笑みを浮かべる。
ハロウィンに現れたトロールは、クィレル教授が連れてきたので間違いないようだ。
「倒しておいてくれてありがとうってところかな。結果的に魔力の温存になったよ」
先にトロールを跨いだハリーが手を貸してくれる。ひょいと飛び越えたあたしは振り返ってハーマイオニーに手を差し出した。
「気をつけてね」
ハーマイオニーは顔を赤くしてあたしの手を取る。
「もう、なんなの……。さっきといい、紳士みたいな振る舞いして」
「ダメだった?」
「ダメじゃないけど」
ドアを開けてまた石の道を歩く。突き当たりのドアを開けて中に入った途端、背後に殺意を感じるレベルの熱を感じた。
「うわぁ燃え盛ってるねえ」
紫の火がドアを覆って轟々と鳴っている。出口も黒い炎で塞がれていた。もたもたしていると室内の酸素がなくなるんじゃないのこれ。
「ここでは何をすればいいのかな」
部屋を見回して、奥のテーブルに瓶が並んでいるのを見つけた。
いくつか並んだ瓶のひとつを手に取って栓を抜いてみたら、くらっとくるくらい強いアルコールの匂いがした。
「これお酒だ」
瓶を戻して二人を見遣る。テーブルに置かれていた巻紙に顔をくっつけるようにして、ハーマイオニーが内容を読んでいた。
「わかりそう?」
顔を上げたハーマイオニーの目がギラリと光る。
「これはパズルよ。私がやっていいわね、ハリー?」
「よろしく」
既に解く気満々だった。
ハーマイオニーは瓶を確認して巻紙を読み直し、うーんと唸ったかと思ったらすぐに「わかった!」と声を上げた。めっちゃ早い。
「先に進むのは、いちばん小さい瓶よ」
瓶を取る。中身は二口に少し足りない。
「一人──ギリギリ二人分かな。戻る瓶は?」
ハーマイオニーが右端の瓶を指した。
「よし。じゃあ、アレンは僕と来て。ハーマイオニー、君は戻ってマダム・ポンフリーに怪我人がいることを知らせて」
「わかったわ」
瓶の栓を抜く。
「アレン。さっき言ったこと、忘れないでね」
ハーマイオニーが瓶の中身を飲んで身震いする。そして、大丈夫と言う代わりか、あたしに微笑みかけてから部屋を出て行った。
「さっき言ったことって?」
ハリーが中身を控えめに飲んで瓶を寄越した。薬は溶けかけのソルベみたいに冷たい。
「死んだひとは生きてる人に勝てないんだって」
「そりゃそうだね。ゾンビでもなければ死んだ人には体がないし」
「誰かに憑依してたら?」
「本体の意識のあるなしがポイントかなぁ」
熱く感じない火をくぐって長い長い階段を下りていく。
「アレン」
「なに」
ハリーが、ちらとこっちを見た。
「助けてあげてね」
返す言葉に迷った。この世に絶対なんてない。だからといって何もしないでいるには情が移りすぎていた。
あたしに何ができるのか、まだ少しもわからないけれど。
「善処する」
最下層に行くにしたがって、ハリーは痛むのか、しきりに傷のある辺りをさすった。
「大丈夫?」
「我慢できないほどじゃないけど痛い」
この先にいるのはどっちなのか。
「それでも今の彼ほどつらくはないんじゃない?」
階段はそのまま円形のホールに繋がっていて、そこにあの『鏡』があった。そして。
「貴様しもべのくせに俺様に逆らうのか!」
「嫌です。私はもう嫌です」
腹話術をしているみたいにクィレル教授が二つの声を発していた。顔色が紙みたいに白く、痛みがあるのかひどく苦しそうに見える。
「あー、お取込み中にすみません?」
ハリーが暢気に声をかけるとクィレル教授が顔を上げた。
「ポッター」
ハリーを見て、あたしを見る。濃い青の目からこぼれた涙が白磁の頬を伝って石の床にいくつも落ちた。
「ここまで来てしまったのですね」
狼狽と恐怖と悲しみがないまぜになった声だ。
「どうせ僕は来なきゃならなかったし、アレンも来ないわけにはいかなかったんです」
ハリーが笑みを寄越したので、あたしもしっかりと頷いて返す。
「先生を助けにきました」
「私を?」
怪訝な顔をされた。
「ダンブルドアでさえ見捨てたのに?」
予想していたことだ。そうでなければ、この一年、放置したままにしている訳がない。
「だからです」
ここにきてようやくあたしは本当の意味で先生が優しくしてくれた理由を理解した。
この人はきっと、世間から目を向けられず、気にかけられることもないあたしに自分を重ねていたのだ。
「ダンブルドアが先生を見なくてもいいじゃないですか。あたしが先生のいいところを知ってるし、そいつとさよならしてあたしたちと一緒に地上に戻れば、知らない先生のいいところ、これからもっとたくさん見つけられますよ」
先生はひどく戸惑った様子で目を泳がせた。
「そうそう。そんな寄生虫より役に立たない死に損ないに、若くて健康な体をくれてやるなんてもったいない」
ハリーがにっこりした。
「言ってくれるではないか」
甲高い声がした。夜の森と、さっき聞いたのと同じ声だ。クィレル教授が目に見えて怯えるのをよそに、あたしは右の頬に右手を、ハリーは左の頬に左手を当てて首を傾げた。
「魔王ならもっと威厳があるかと」
「そんなの元からないんじゃない」
先生のいる辺りから、ぞっとするような殺気を感じる。あたしは半分閉じていた目蓋を少し上げてニヤリと笑った。
「き、君たち、彼を怒らせては」
「黙れ、役立たずが」
脳天を突き抜ける甲高い声がクィレル教授を罵った。
「小娘如きに絆されおって」
「私は貴方の配下である前に一人の教師です。生徒を気にかけるのは当然でしょう」
「石を手に入れられないばかりか、一角獣すらまともに殺せない貴様が何を言う」
先生が震えて頭を抱える。
「私はこんなことのために貴方と手を組んだつもりはありません」
「そうか。……ふん、もうよいわ。貴様より使えそうな者がここにおるのでな」
「ダメです!」
制止の言葉を叫んだ直後、先生が感電でもしたみたいに体を引きつらせて床に倒れた。その拍子にターバンが解けて、その下にあった長いブルネットが散らばる。
どうしよう。どうやってあいつを追い出せばいい?
息を切らした先生が顔を上げた。
「……ハリー・ポッター以外の生徒には、手を出さないと約束したでしょう!」
「貴様がとっとと俺様にその体を寄越せばよかったのだ。そうすれば万事丸く収まったものを」
高笑いがホールに響いた。クィレル教授が再び床に伏して苦しみもがいた。
「先生?!」
「待って」
駆け寄ろうとするあたしをハリーが止めた。
「あいつ、本格的にクィレル教授を乗っ取る気だ」
ハリーを見て先生を見る。声が重なって、ザリザリしたノイズが混じった。
「やめろ……やめてくれ……」「貴様はそこで眠っていろ!」
顔を上げた時、先生は先生じゃなくなっていた。
あの美しく硬質な青の瞳に光がない。
「これでも往時にはまだ足りんな。嬲り殺しにして貴様らの魔力もいただくとしよう」
ヴォルデモートが、ばさりと髪を後ろにやった。
「死に損ないのくせに欲深だなあ」
「他人の体がなきゃ何もできないくせに」
先生を取り戻したければ、こいつと戦うしかないのか。
「ゴーストにすらなれない半端者だもの」
「そっか。じゃあ、あたしたちがご案内しよう」
「どこまで?」
「言うまでもないよ」
こんな時の決め台詞はこれしかないよね。
あたしたちは二人同時に杖を構えた。
「「Hasta la vista, baby」」
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
と、かっこつけてはみたものの。
エクソシスムなんてやったことないし、ましてや特定宗教に帰依すらしていない。これはどう手を打ったものか。
箒もなしに空中を滑るように飛んできたヴォルデモートを横飛びで避ける。ハリーは右へ、あたしは左へ。的が二つある分、あっちが多少不利かな?
正面から魔法を使って、どのくらいの効果があるか考える。こいつは腐っても魔術師としての経験値だけは高いのだ。
ハリーが慣れた手つきで杖を振る。
「Orchideous Maxima」
杖先から大量の花が溢れかえる。なんで花? と思ったのはヴォルデモートも同じだったのか、鼻で笑おうとしたようだ。その余裕はハリーが次の呪文を唱えた瞬間に消し飛んだ。
「……Oppugno」
色とりどりの花がぴょんぴょんと立ち上がり、ヴォルデモートの方を向いた。花びらが閉じて開く。
「めしか?」「腹が減った」「肉!」「肉寄越せ!」
花たちが一斉に喋り始める。花に歯の生えた口ができていた。あの鋸歯で噛まれたら痛い程度では済まない。花の形こそ違えど、これはまるで『リトルショップ・オブ・ホラーズ』だ。
「肉!」「肉!」「肉!」「肉!」
「うわあああああ!!」
口々に連呼しながら襲いかかる花たちを見たヴォルデモートが悲鳴を上げた。これはどう言い繕っても気持ち悪い。
ぞっとしているあたしとは対照的にハリーはひどくご機嫌だ。
「
楽しそうに杖を振る。今度はキバタンに似た鳥が杖の先から10羽ほど飛び出して口を開けた。
「キキャキャキャキャ!」「餌か?」「餌だな?」「新鮮な肉!」」
訂正しよう。こいつらキバタンじゃない! キバタンに乱食い歯なんて生えてない!
「死なない程度に齧るんだよ」
にこにこして言うことかなー?
ハリーはヴォルデモートが逃げ回るのを見つめている。どうする気だろう?
いくらメンタルを削りにこられたところでヴォルデモートがいつまでも逃げ回っているはずもなく、鳥をかい潜り、無詠唱で花を燃やして数を減らし始めた。
「ううん、あの程度じゃ揺らがないか」
杖を自分の腕のように前に出して、ハリーが次の呪文を唱えた。
「Descendo」
白く細い光が走る。ごとん、とヴォルデモートの足下が数十センチ凹んだ。勢いのまま転んだヴォルデモートに、花と鳥が大喜びで襲いかかった。
「Incendio! Incendio! Incendio!」
無詠唱で使う余裕もないのか、死に物狂いで呪文を唱える声が聞こえてくる。
「Expulso!!」
爆発音がした。煙と鳥の羽と花の残骸の中から、目を血走らせたヴォルデモートが姿を現した。
「くそっ、馬鹿にしおって……」
「どうしたものかなあ」
めらめらと殺気を放つヴォルデモートをハリーはじっと見つめた。
その緊迫した状況を破ったのはヴォルデモートだった。その指先が動くのとほぼ同時にハリーがあたしを突き飛ばす。とっさに受け身を取って起き上がったあたしの首が折れそうな力で締め上げられた。
「アレンを離せ! おまえが殺したいのは僕じゃないのか!」
目だけで状況を確認する。ハリーが魔法の縄でぐるぐる巻きにされて動けなくなっていた。
「黙れ」
その一言でハリーの声が出なくなった。首にかかった手にさらに力が籠る。気管と血管を両方押さえられているせいで頭に圧がかかって目の前がちかちかしてきた。あたしが声も出せずにいるのを見下ろしたヴォルデモートが嗜虐的な笑みを浮かべる。
「遊びは終わりだ」
首の骨を折られるのかと思いきや、ずるずるとあたしを引きずって歩いていく。そして、あの『鏡』の前に放り出した。
ごっと肺に空気が入って咳き込んだ。勝ち誇った顔でヴォルデモートが言う。
「その鏡に何らかの仕掛けがあるのはわかっている。助けてほしければ『石』を手に入れろ」
「別にあたしは助けてもらわなくてもいいよ?」
死んでも大した影響ないし。
「おまえの代わりに片割れを殺してもいいんだぞ」
先生の顔と声でなんてこと言うんだこいつ。
反撃しようにも、さっきのドタバタで杖を落としたらしく、今は気休め程度の反撃もできそうにない。
「わかったよ。……まったく、言うことなすこと全部悪役のテンプレのくせに」
「無駄口を叩くな」
へーへー、とテキトーな返事をして鏡を見る。そも平面からどうやって立体を取り出せというのか。
鏡の中では前に見た時と同じようにみんなが楽しく過ごしている。平和でのどかな光景だ。隅々まで見たところで、五センチくらいの石らしきものはどこにもない。
あたしは『石』なんてほしくないけれど、状況を良くするためのヒントが見つからないかと目を凝らした。
と、不意に奥の方でクィディッチをしていたハリーが空中で小さな物をキャッチした。大きく旋回して、あたしの横に着地する。
目の焦点をずらせば、ハリーが床に転がってジタバタしているのが見える。焦点を戻すと金と赤のユニフォームに身を包んだハリーが握っていた手を開いた。
その手の上に赤く透き通った石がある。歪なくせに天然の結晶と違って母岩もなく、ヒビもインクルージョンもない。人工結晶かな?
……あれ? 賢者の石って魔術的な人工結晶なんじゃ?
ハリーが「ご名答」とでも言うように笑い、鏡に映ったあたしにその石を渡した。鏡の中のあたしはそれを見て微笑み、ズボンの左のポケットにすとんと落とす。
ずしりとズボンに重みがかかった。
ええっと、もしかしてこれって……。
今すぐにでも確認したい。でも、もしあれだったら奪われる。
「どうした?! まだ見つからんのか!!」
「大人のあんたにわかんないものが、子供のあたしにわかるわけないでしょ」
バカなの? と鼻で笑ってやる。
「何が見えるか言ってみろ」
「友達と家族と先生たちが仲良くクィディッチしたり、談笑したり、お茶飲んだりしてる」
「う、嘘を──嘘じゃない……だと……」
言いかけて唖然とされる。そんなの嘘つくところでもないし。
んん? でもなんで嘘ついてないのがわかったんだ?
もしかすると、もしかして。
「あんた、人の考えてることがわかるの?」
ヴォルデモートが、あたしを見てぎょっとした。
一人二役ってめちゃくちゃ美味しいと思うの