バタフライ   作:非食用塩

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第五話 星の雨音

 

 汽笛が鳴る。

 ホームを離れ、見送りの声が遠くなってからようやくハリーがペーパーバックを閉じた。

「ああ、騒がしかった」

 ため息と一緒に吐き出した言葉に笑う。騒がしいのが苦手なのは、こんな時でも変わらないらしい。

「さっきは何を見て笑ってたの?」

 赤毛一家の一連のやり取りを話した。あの人たちが総勢何人いたのか数えておけばよかったな。

 こんこん、とノックの音が響く。見れば、さっき鼻を拭われていた赤毛の男の子が心底困った顔で廊下に立っていた。

「ここ空いてる?」

 ドアを少し開けて尋ねてきた。座席は彼がもう四人くらい座ってもあまりそうだ。

「他はどこもいっぱいみたいでさ」

 愛嬌のある笑み。いい子なんだろうな。

「どうする、アレン」

 どうぞ以外に返事のしようがなくないか。

 ハリーが息をついて、そう考えたあたしの頬を両手でむにゅっと挟んだ。

「顔が強張ってる。嫌なら嫌でいいんだよ、断るから」

 別にそんなつもりはないのだけど。

「あ、あの、僕、お邪魔かな?」

 男の子が出ていこうとしたので慌ててハリーの手をどけて言った。

「どうぞ、座って!」

「……いいの?」

 男の子にハリーが笑いかける。

「いいよ。ね、アレン」

「うん」

 ハリーの隣に腰かけた背の高い男の子は、ロナルド・ウィーズリーと名乗った。

「みんなはロンって呼んでる」

「あたしはアルトリア・ポッター。アレンって呼んで」

 手を差し出すと、ロンが手を握り返してハリーをまじまじと見た。

「ええっと、君ってもしかしてハリー・ポッター?」

 ロンの視線がハリーの額に向いている。魔術師(ウィザード)の間でこの稲妻型の額の傷は英雄の証と認識されていることを改めて理解した。ハリーがそれを好まないことも。

「初対面の人に馴れ馴れしい呼ばれ方をされる覚えはないよ」

 ふわふわした笑顔にそぐわぬ口調で返されて、ロンがヒッと身をすくめた。

「ご、ごめん。ええっと、きみの名前をきいてもいい?」

「ハロルド・ポッター。アレンや従兄はハリーって呼んでる」

 ロンが、あたしの方を向いた。

「アレンもファミリーネームがポッターだけど、きょうだい……ではないよね?」

 あたしの齢が上なら学年が上にならなければおかしいし、下ならまだ特急に乗れない。

「あたしとハリーは似てないけど双子なの」

 黒くぴんぴんした外はね髪にキラキラしたエメラルドグリーンの瞳のハリーと、ぐねぐねと好き勝手に巻いて縺れる濁った赤茶色の髪に暗い緑の目をしたあたしは性別以上になにもかもが似ていない。同じなのは身長くらいだ。

 ロンが「へえ!」と声を上げた。

「うちの兄に見た目が瓜二つの双子がいてさ、たまに母さんでもどっちがどっちかわからなくなるんだよ。君たちなら誰も間違えなくていいね!」

 朗らかに言うのをあたしもハリーも驚いて見つめた。なにこの子、素直すぎて眩しいんですけど。

 ハリーが肩の力を抜いて笑った。

「さっきはきつい言い方してごめん。きみも僕のことハリーって呼んでくれる?」

「もちろんだよ!」

 ハリーが愛称で呼ぶことを許すのは、ちゃんと相手を受け入れたということだ。魔術師の世界でも友人を作る気でいるのがわかって安心する。

 ロンは少しだけヴォルデモートについて質問してきた。一歳の時のことなので覚えていないとわかっても、やっぱり気になるらしい。

 ロンは少し考え込んでから、

「これはうちだけの話じゃないと思うんだけど」

と前置きして話し始めた。

「世間では『ハリー・ポッター』の名前は話題に上るのに、アレンは名前どころか、ハリーが双子の生まれだって話してる人すら聞いたことがないんだよ。これっておかしくない?」

 あたしの首に巻いた布が古傷を隠すものだと知って、ロンは痛ましげな目を向けてきた。

「おかしいよ。僕らを迎えに来たハグリッドも、僕にばかり話しかけてアレンはそっちのけだったし」

 その辺りについてあたしは仕方ないと思っていたけれど、ハリーはイライラしていたようだ。その話を聞いたロンもあからさまに顔をしかめた。

「失礼だな、ほんと。いや、知らなかった僕がどうこう言えた義理じゃないね、ごめん」

「ロンの場合は誰も教えなかったんだからしょうがないよ。知らないものはどうしようもない」

 センセーショナルな話題にほど民衆は食いつくものなので、これもまた仕方のないことではある。単に事故で死にかけたわたしなんて、ロンドン郊外で車に轢かれて死んだジョン・スミス氏(適当)並みに世間で話題にならなくて当然なのだ。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 ロンの家族は母方のはとこ以外は全員魔術師らしい。その環境で、よく文化の違うマグルの中に飛び込んでいって会計士の職に就けたものだと感心した。

「じゃあ、君はもうたくさん魔法を知ってるんだね」

 ハリーに言われたロンは両手を振って否定した。

「それがそうでもないんだ。杖を持たせてもらったのも入学の案内が来てからだし」

「えっ、そうなの?!」

 魔術師生まれなのに魔法を学ばず十一年も生きてきたなんて。

 あちこちに魔法が渦巻いていたダイアゴン横丁を見ても、こっちで魔法がひとつも使えないのは、マグル的にいえば電気製品をひとつも使いこなせないのと同義だ。

 あっちじゃ三歳児だってリモコンでテレビを点けられるのに、こっちの子供は魔法で──例えばランプを点けることさえできないのか。

「それで今までどうやって生きてきたの?」

「魔法が必要なことは成人した年嵩の兄や母さんがやってくれてた。君たちはマグルと暮らしてて大変じゃなかった?」

 声高に不便だと言うほどのことはなかったと思う。

 今ならあれは魔法だったとわかる現象を引き起こして物置に閉じ込められたりすることはあってもいつだってふたり一緒だったし、伯父や伯母が知らないだけで開けようと思えば割と簡単に開けられるから特に危機感はなかった。あまり長期になると、ダドリーが気にかけてくれたし。

「うちは兄弟が多い上にみんな優秀だから、僕が頑張っても当然と思われるんだよね。ま、自慢できるような特技もないんだけどさ。それになんでもおさがりなんだ。このローブも元はビルので、杖はチャーリーの。ペットはパーシーのなんだよ」

「それはちょっとどうなの」

 ハリーが信じられないという顔をした。

「君が着てるのは、おさがりのおさがりのそのまたおさがりってことじゃない。それはいくらなんでもひどいよ。僕でさえダドリーから直接なのに」

 ダドリーはなんでもかんでも次々に買い与えられるので、よれる前にハリーに回ってくる。わたしは性別が違うので、伯母が渋々古着屋に連れて行って、最初に金額を決めて自分で選べと店に放り込まれていた。

 ハリーの反応にロンが明るい青の目を丸くする。

「そんなこと言う子は初めてだよ。大抵、僕の家が貧しいってからかってくるのに」

「からかうような話じゃないでしょ。成人してるお兄さんたちはどうしてるの? 家に仕送りはしないの?」

「う、うーん? 僕にはそこまで話してもらえないから」

「そう」

 わたしは服よりも気になることがあった。

「杖っておさがりにしていいものなの?」

「……さあ?」

 ロンが出して見せた杖は木の部分がボロボロに欠けていて、端から一角獣のたてがみらしきキラキラした繊維が覗いている。それだけじゃない。この杖はロンを持ち主だと認めていなかった。ロンの親御さんは杖が持ち主以外に使われても真っ当な威力は発揮しないとオリバンダーさんに聞かなかったんだろうか?

 あたしの林檎の杖は初めて手にした時から親愛の情を向けてくれている。杖が持ち主を選ぶというのは例え話じゃないのだ。

 十二時半をすぎる頃になって、通路で台車を押すような音がした。驚くあたしにロンが言った。

「車内販売だよ」

 ドアの向こうに愛想のいいおばさんが顔を出した。

「何かいりませんか?」

 お昼ごはんを買うのをすっかり忘れていたので、カートの商品を見せてもらう。

 妙に派手なパッケージに『百味ビーンズ』とか『風船ガム』とか書いてある。これは買わない方がいいやつ、と判断して大鍋ケーキとかぼちゃパイを取った。

「すみません。蛙チョコって何か入ってるんですか?」

 売り子のおばさんは、いいえ、と首を振る。

「それはプレーンなチョコレートよ。蛙そっくりに飛び跳ねるの」

 躍り食いかよ。

 あたしが材料に不安のなさそうなものだけ選んで買う横で、ハリーはどれも少しずつ手に取っている。得体の知れないものでも好奇心が勝るのは凄いよ。全く見習いたくない。

 普通の飲み物は紅茶とコーヒーから選べたので迷わず紅茶にした。全部で二シックル十五クヌート。食事代にしては安くついたんじゃないだろうか。

 席に戻るとロンが包みを開けて何故か目頭を押さえていた。

「どうしたの?」

「母さんがサンドイッチを持たせてくれたんだけど、僕はコンビーフが苦手だって、いつまで経っても覚えてくれないんだよ」

 母親は忙しいから忘れられるんだと言う。

 そんなものかな?

 ダーズリー家で五人分の食事の用意もよくやっていた身としては、伯父と伯母とダドリーとハリーの、卵やベーコンの焼き加減を覚えて変えるくらいなら余裕でできる。食事の準備以外に、掃除も洗濯も庭仕事も勉強もこなした上で。

 支払いを済ませて戻ったハリーが悪戯っぽく微笑むなり、買ってきたお菓子をロンの膝にぶちまけた。

「それっぽっちじゃ足りないよ」

 にっこり笑う。

「どれも食べてみたくてたくさん買っちゃったからさ、消費するの手伝ってよ。ねっ?」

 首がもげそうな勢いで頷いているロンの手からサンドイッチをかすめ取ったあたしは、ニヤニヤしながら席に座った。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 ひとしきり顎を動かして栄養を摂取した後は、お待ちかねのチョコレートだ。なんでも中に有名な魔術師のカードが入っているらしい。

「僕はもう五百枚くらい集めたんだけど、まだアグリッパとプトレマイオスがないんだ」

 魔術師だから、まさかアウグストゥスの腹心ではないよね。たぶん古代ギリシャの天文学者か、ローマ神話の王様か。

 あたしが引いたのはアレイスター・クロウリーとキルケ。あのクロウリーみたいにマグルに知られた魔術師もいるのか。

 意外に思いながらつらつら眺めていると、正面からハリーが自分の引いたカードを見せてきた。

「これ、ダンブルドア」

 覚えのありすぎる名前だった。

 二十世紀初頭に黒魔術師(ダークウィザード)グリンデルバルドを破った偉大なる魔術師。ホグワーツの校長。ドラゴンの血の研究者。錬金術の共同研究。世の中ではそんな風に言われてるのか。

 ハリーも似た感想を抱いたようだ。ダドリーの助言の意味が実感を伴ってくる。

 ロンは既に持っているモルガナを引いたらしい。二人で他の箱を開けるのを眺め、じたばたするチョコレートを噛み割った。

 数時間ぶりにノックの音がした。

「あ、あのね、僕のヒキガエル、見なかった?」

 ドアを開けた半泣きの男の子に尋ねられて、全員が見なかったと答える。本格的に男の子がしゃくり上げ始めてしまったので、手に残ったチョコレートのかけらを口に放り込んで言う。

「あたしも探すよ。特徴があったら教えて」

 男の子はびっくりしたのか、何度か息を飲んだ。

「でも、その、迷惑じゃ」

「そう思ってたら言ってないよ。ほら、早く探しに行こ」

 男の子を廊下に押し出してドアを閉める。男の子はぽかんとした。そうして、やっと微笑んだ。

「優しいんだね」

「そうかな」

 褒められたくてやってる訳じゃない。あたしも人に助けられることが何度もあるから、できる時に返すようにしているだけだ。

「僕、ネヴィル・ロングボトム。きみは?」

「アルトリア・ポッター。アレンって呼んで」

 ヒキガエルのトレバーには脱走癖があるそうで、いつもふと気づくといなくなっているらしい。自由気ままに外へ出てもちゃんと帰ってくるヘドウィグとは大違いだな。

 あたしは通路を、ネヴィルはコンパートメントを探した。

「それは困ったわね」

 コンパートメントの中から声がした。

「私も一緒に探すわ。人手は多いほうがいいでしょ」

 ふっさふさの栗色の髪を背中まで伸ばした可愛い女の子がコンパートメントから出てくる。怪訝そうな顔をした女の子があたしを見て首を傾げた。

「あなたも一緒にヒキガエルを探してるの?」

「そうだよ」

 途端に女の子が表情を緩めた。

「あなた、いい人ね」

 いい人?

 よくわからないので曖昧に誤魔化してヒキガエル探しに没頭する。車両をふたつ移動したところで覚えのある声がした。

「こんな所で何してるんだ?」

 仕立屋でチョコレートをくれた子だ。

「ヒキガエルを探してる。きみ、見かけなかった?」

「残念ながらそれらしきものは見てないな。君のペットか?」

「ううん。あたし、ペットは連れてきてないんだ」

 ヘドウィグを「二人で使え」と言っていたけれど、そう言ったハグリッドはハリーへのプレゼントのつもりでいるに違いない。ヘドウィグもマスターはハリーであたしのことは遊び相手くらいに思っているようなので、あたしのペットはいないで正しい。

「あー、僕はドラコ・マルフォイ。君は?」

「アルトリア・ポッター。アレンって呼んで」

 よろしくと差し出した手を握ったドラコが驚いた様子で二度見してきた。

「ポッター? ハリー・ポッターの関係者か?」

「双子の片割れでーす」

「じゃあ、仕立屋で一緒になった彼がハリー・ポッターか。……似てないな」

「二卵性だからね」

 そこから双子には一卵性と二卵性があるんだお話すことになって、途中でゲコゲコ鳴きながら壁際を通り抜けようとするヒキガエルを捕獲した。

「ハリーなら、あっちのコンパートメントにいるよ。あたしはこの子をネヴィルに渡してくる」

 ドラコは頷いて、じっとあたしの顔を見た。

「どうかした?」

「今日は元気そうだと思って」

 初対面で低血糖を起こしたのを気にしてくれていたのかな。

「ちゃんと食べたからさ。ありがとう、心配してくれたんだよね?」

「ん、まあ、うん」

 ドラコは青白い顔を赤くしてそっぽを向いた。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 先頭車両まで行っていたネヴィルにトレバーを渡してコンパートメントに向かっていると、いきなり横のドアが開いた。

「待って」

 さっきの可愛い女の子だ。

「あなたはあっちじゃ着替えられないでしょう。制服を預かってきてるから、ここで済ませていくといいわ」

「ありがとう。助かるよ」

 中に入ってドアとカーテンを閉めて、首の布がほどけないように気をつけながら服を脱いだ。シャツを着てズボンを穿く。黒のリボンタイを結んでサイハイソックスと頑丈なブーツを穿いたら、ローブを羽織っておしまい。

 すると女の子がぎょっとして、あたしを頭のてっぺんから足の先まで見た。

「あなた女の子よね?」

「うん」

 下着になったのを見ておいて何を言うかな。

「どうしてその──ズボンなの?」

「スカートで大立ち回りしたくないから」

「え?!」

 女の子が声を上げた。そんなに驚かなくても。

 ハリーが今後ヴォルデモートとやり合う時、あたしだけ何もしないで逃げるなんてありえないし、最初から戦うつもりでいた方が、いざという時に焦らずに済む。ズボンを選んだ理由としては真っ当じゃないかな。

「私たちは魔法を習いに行くのであって、総合格闘技を習いに行くんじゃないのよ。ええっと」

「アレン。本名はアルトリア」

 お互い名乗らないままだったので、改めて自己紹介しあった。

「ハロルド・ポッターに双子の片割れがいるなんて、本には載ってなかったわ」

 ハーマイオニーは本の方を疑っているようで、

「著者の取材が甘いんじゃないかしら」

と真面目くさって言う。

「どっちかというと英雄じゃない子供には用がないんでしょ」

「それこそおかしいわよ。わかれば家系図まで載せるのが歴史書の役目ですからね」

 確かに。神様にさえ家系図があることを考えれば、英雄とされるハリーの家族が誰なのか載っていないのは片手落ちかもしれない。

 ハーマイオニーと別れてハリーとロンがいるコンパートメントに戻ると、制服に着替えたロンがぷりぷりしていた。

「どうしたの」

 顔を上げたロンはこっちを見て驚いた後、ぴゅうと口笛を吹いた。

「クールな制服だね。特注?」

「うん」

 首に手をやって巻きつけた布が解けてないか確認した。

「こっちの方が動きやすいからさ」

 ハリーがリボンタイを整えてくれる。

「大立ち回り前提で制服を作った生徒はアレンだけだろうね」

「他の子はそこまでする理由もないし」

「まあね」

 荷物は置いて行っていいらしい。ローブの内ポケットに杖を入れて通路に出た。

 ポケットだと杖が中でグラグラするなぁ。はずみでぽきんと折れてしまいそうだ。近いうちにベルトに装着できるホルダーを作ってもらおうか。

 列車の外に、暗いこぢんまりしたプラットホームがあった。『ホグズミード』と駅名を記した看板が立っている。

「きょろきょろしてるとはぐれるよ」

「ごめん」

 ホームを出た先でハグリッドの声が聞こえた。一年生は別の道を行くらしい。ハリーと手を繋ぎ直して暗い道を慎重に歩く。

「どうしてこんな悪路を歩かされるのかな」

「さっきから何人か転んでるよね」

 木々が鬱蒼と茂っているせいで星明かりも届かない。灯りは先頭を行くハグリッドしか持っていないので、夜目の利かない生徒には辛い道行きだった。

「もうすぐホグワーツが見えるぞ」

 急に視界が開けた。そこは湖のほとりで、向こう岸の高い所に城がある。

「古城で魔法の修業かぁ」

 ハリーが英雄じゃなくて普通の魔術師だったら、周りの子みたいに二人してきゃあきゃあ騒いだかもしれない。

 あたしは古いものが好きだし、ハリーはかっこいいものが好きだ。いかにもな舞台で興奮しないはずがないのだけれど、先のことを思うと素直に喜べないのが本心だった。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 組み分けの儀式とは何ぞや。

 それに答えてくれる人は小部屋を出て行ってしまったので、どうにかなるかと息をつく。少し離れた所で、ハーマイオニーが早口で何かをしきりに唱えているのが見えた。

 不意に部屋の温度が下がる。少し離れた所から連続で悲鳴が聞こえてきた。見れば、壁から二十人ほどの半透明なひとたちが宙を滑って移動している。

「ここお化けまでいるんだ」

 あたしの声に、お化けのひとりが気づいた。全身が真珠色と灰色の合間みたいな色の時代がかったドレスを着た綺麗な女性だ。

「お化けではなくてゴーストよ」

「は、はあ」

 違いが分からなくてまごつく。予想された反応なのか、ゴーストを名乗るそのひとはアンニュイな表情をして言った。

「新入生?」

「はい。組み分けの準備が終わるのを待っているところです、レディ」

 きっとすごく年上だろう。丁寧に返したらレディはほんの少し驚いた顔をした。そして、うっすらと微笑まれる。

「そう。頑張りなさいね」

 すいっと壁に吸い込まれるようにして消えるのを見送ると、別の声がした。

「珍しいですね」

 またゴーストだ。このひとの時代がかった衣装も面白い。

「彼女はとても寡黙な人なんですよ、ミス、」

「アレンと呼んでください、ミスター」

 ゴーストは嬉しそうに笑みを浮かべて頷いた。

「では、わたくしのことはポーピントン卿と。君のような生徒が我が寮に来るのを楽しみにしていますよ」

 ポーピントン卿は優雅に一礼して去っていった。

 そうして全てのゴーストが出ていくやいなや、周りにいた子たちがわっと話しかけてくる。

「なんで普通に話してるの?!」

「怖くないの?」

「肝っ玉座りすぎ!」

 やいやい騒がれて答えるタイミングが掴めずにいたら前方から厳格そうな声がした。さっき寮の説明をしてくれたマクゴナガル教授だ。

 指示に従って小部屋を出て大広間に入る。空中にたくさんの蝋燭が浮かび、両脇の長いテーブルに皿やゴブレットが並んでいる。

 上座にも長いテーブルがあった。そこが教員席だとわかったのは、カードで見たままのダンブルドアと『漏れ鍋』で会ったクィレル教授がいたからだ。

 テーブルの前を通る時にばっちり目が合ったので、嬉しくなって小さく手を振る。クィレル教授はひどく戸惑った顔をしたけれど、ちゃんと手を振り返してくれた。やっぱりいい人だ。

「あの天井、本当の空に見える魔法がかけられてるって『ホグワーツの歴史』に載ってたわ」

 ハーマイオニーの声がしたので天井を見上げる。遠い夜空まで吹き抜けているみたい。その幻想的で美しい光景に影が差しがちな心も少し弾んだ。

 ハリーがきゅっと手に力を籠める。正面の床に四本足のスツールと古いとんがり帽子が置かれた。

「手品でもやるのかな?」

「まさか」

 ハリーが笑った。

 そして、ここに来るまでにも結構驚いたつもりでいたのに、そんなのはまだ序の口だと思い知らされた。歌う帽子なんて初めて見たよ。帽子の声帯はどこにあるのかな。

「どれも当てはまらないなあ」

「わかる」

 勇気も忠実さも賢さも狡猾さも、ありますと大声で言えるほど偏った持ち方はしてないし、そもそも人間はそんなにわかりやすい生き物じゃない。

 巻紙を開いたマクゴナガル教授が生徒の名前を呼んだ。Aから順に生徒が帽子を被ると寮の名前を帽子が決めていく。結構時間がかかりそうだ。

 Gでハーマイオニーが呼ばれた。

「グリフィンドール!」

 帽子が叫んだ。

 Lで呼ばれたネヴィルもグリフィンドールだ。Mでドラコが呼ばれるとちょっとえらそうな態度で進み出て、帽子が頭に乗ったかどうかというタイミングでスリザリンと叫ばれていた。

 Pで呼ばれた子の中に、一卵性の双子を見かけた。パールヴァティはグリフィンドールで、パドマはレイブンクローに選ばれた。

「あたしたちも別の寮になったりするのかな?」

「もし別の寮にしたら、あの帽子を消し炭にするよ」

「お、おう」

 いよいよ名前を呼ばれる。

「ポッター・アルトリア」

 ここにいるほぼ全員の目が自分に向いているのがわかって心臓がびょんと飛び跳ねた。ぎくしゃくした動きで椅子に腰かけると、マクゴナガル教授が上から帽子を被せてくれる。

「おや、君は」

 帽子がまるで顔見知りのような声で言った。声を発したというより脳内に直接話しかけてきたというべきか。

「そうかそうか、ようやく来たのか」

「ようやく? あなたとは初めましてだよ、帽子さん」

 誰かと間違えているんじゃないの?

 帽子は面白いものでも見たように笑った。

「それはそうだとも。私たちはもう随分長いこと、きみを待っていたのだ」

「なにそれ」

 むっとして返せば、帽子は楽しげに脳内で笑い声を響かせた。

「己の正直に生きなければ、その稀有な資質は活かされぬ」

「帽子さん、もうちょっとわかるように話してよ」

「ああ、すまない。嬉しくてつい」

 帽子はようやくこちらに意識を向けた。

「さて、組み分けだ。きみはきっとどの寮でもやっていけるだろう。勇気があり、勤勉で誠実で、謙虚で頭がいい。いざとなれば計算高くもなれる」

 可能性はいくらでもあると言いたいのか。あたし程度でこう言われるなら大半の子がそうだろう。

「果たしてそうかな? 人間というのは成長するにしたがって変わる部分もあるが、変わらないところもある。きみの資質は生まれ持ったもの、変わらないものだよ」

 言葉の意味を考えてみたところでそれがなんなのか全然思い当たらない。所詮あたしはただの十一歳だ。

「よくわからない」

「今すぐにはわかるまい」

「経験を積めってことだね?」

「そういうことだ。うむ、きみはここがよかろう。──グリフィンドール!」

 頭の上で帽子が寮の名前を叫び、目の前が明るくなった。ぽんぽんと肩を叩かれる。

「大丈夫ですか?」

 さっきより幾分やわらかい声でマクゴナガル教授が言った。

「はい。グリフィンドールの席はあっちですよね?」

 ハーマイオニーが手を振っている方を指すとマクゴナガル教授は、

「そうですよ。さあ、お行きなさい」

と頷いて、あたしの背中を優しく押した。

 




組分け開始したのが何時くらいなのか未だによくわからない
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