地下牢をリノベーションして教室にするなんてパンクすぎない?
理科準備室みたいな棚を眺めていると、壊れそうな音を立ててドアが開いた。生徒全員がビクッとしても見向きもせず、スネイプ教授は教卓の前に立つ。
出席の時、あたしの名前には触れなかったのにハリーの名前で嫌味を言いだしたのには驚いた。
流行りには乗らない主義とかそういう?
演説は悪くなかった。いや、ちょっとかっこよかったですと言ってもいい。それに杖を振らなくていいのは体質的にも助かる。
ふむふむと頷いていると、
「ポッター!」
と呼ばれた。
ハリーがあたしを見るので、あたしも見つめ返す。それからスネイプ教授の方を向いて、
「「どっちですか?」」
と尋ねた。
あたしもハリーもポッターだ。せめてミスとかミスターとか、でなければファーストネーム辺りで呼んでもらわないと、どっちにしても返事はできない。
スネイプ教授は不快げに眉を動かして、
「ミスター、ポッター」
と言い直した。
「はい」
「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか答えたまえ」
ニガヨモギはあっちにもあるのでわかるけれど、アスフォデルには覚えがない。予習したページにそれっぽい単語はなかった気がする。
ハリーの向こうでハーマイオニーが自信満々に手を挙げているのが見えた。えっ、これわかるの? すごくない?
ハリーはハーマイオニーを見遣ってからあたしを見た。「ごめんわかんない」と言う代わりに首を振ると、ハリーも「だよね」という顔をして、
「わかりません」
と答える。
スネイプ教授はひとをバカにしたような笑みを口許に浮かべた。
「ハッ、有名なだけではどうにもならんようだな」
それ授業に関係ないよね?
顔を見なくてもハリーが同じことを考えているのがわかる。理不尽なことを言われたのだから当然だ。
「では、ベゾアールを見つけてこいと言われたら、どこを探すか答えたまえ」
これは覚えがあるぞ。
あたしが胃の上に手を当てるとハリーがすぐに察して答えた。
「山羊の胃を開きます」
うわ。あからさまに舌打ちしたよ、この人。
スネイプ教授はさらに言った。
「では、モンクスフードとウルフスベーンの違いは何だね?」
『僧侶の頭巾』と『狼の毒』。全問二つから薬学と無関係な質問はされないと仮定して、薬草の名前だということまでは推測が立つ。狼の毒というくらいだから薬にもなる毒草と、僧侶が頭にすっぽり被るやつに似た薬草の特徴を述べよってことだよね?
違いを尋ねられるなら近縁種かな? いや、もしかして、わざわざ別の名前で言って違うものだと思わせる引っかけ問題……?
「同じです」
ハリーが答えた。
「同じ植物です、先生」
教室が静まり返る。スネイプ教授が歯噛みして言った。
「よろしい。だが、二問正解した程度でいい気になるようではな」
ハリーとあたしの首が同時に傾いだ。
「アスフォデルとニガヨモギを合わせれば『生ける屍の水薬』と呼ばれる強力な眠り薬になる。ベゾアールは山羊の胃にできる結石で、大抵の薬に対する解毒の効果を発揮する。モンクスフードとウルフスベーンは同じ植物の別名で、
説明を聞きながら羊皮紙に書きつけていく。この問題自体はかなり難しいけれど知っておいて損はなさそうだ。
「諸君。何故、今の説明を書きとらんのだね?」
誰も書いてなかったの?
ハリーとハーマイオニー以外の周りの生徒が一斉に羽ペンを走らせる音を聞いて、そっちに驚いた。
「ポッター……ミスター・ポッター。最初の問題に答えられなかったので一点減点」
理不尽。
実践はおできを治す薬の調合。これは予習していたところなので気をつければまず失敗はしないはずだ。暗記するとまではいかない手順の確認をしていると、横から腕を掴まれた。
「アレン」
教科書から顔を上げたあたしにネヴィルが言った。
「僕と組んでもらえる?」
「いいよ」
そんな不安そうな顔しなくても。
棚から材料を持ってきて調合前の作業をする間、スネイプ教授は生徒の作業をひとつひとつ見て回った。
「ミス・ポッター。蛇の牙は小さくしすぎないように」
「はい」
口調はきつくても、端的に悪い所を言ってくれるのは助かる。気の弱いネヴィルを怖がらせるのが良し悪しだけど。
「ネヴィル、鍋を火から下ろしてヤマアラシの針を入れて」
「わ、わかった」
頷いたネヴィルがヤマアラシの針を鍋に入れた。
パキ、と不穏な音がした瞬間、考える前に体が動いた。右手でネヴィルの腕を引いてその顔の前に左腕を翳す。直後に皮膚が焼けて激痛が走った。
教室に一人分の悲鳴が響いた。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
医務室に行くと、先日の白衣の女性──マダム・ポンフリーにきりきりした声でお説教された。
「一体何をどうしたら鍋が割れるんです!」
「鍋を火から下ろす前にヤマアラシの針を入れちゃいまして」
やらかしたのがネヴィルだとは言わない。
ネヴィルは失敗した薬を大量に被ったために痛みでずっとすすり泣きしていて、とてもじゃないが責める気になんてなれない。あたしは左腕に失敗した薬を被ったものの、マダムの解毒剤を塗られて数分で完治する程度の軽傷だった。
個人的に怖いと思うのは痛いことよりも失敗した薬が服や床を溶かすことだ。これが皮膚に触れてもおできが大量発生するだけで済むのは何故なんだぜ。
ベッドを仕切るカーテンの向こうからネヴィルの声がした。
「ごめんね。僕が組んでって言わなかったら、アレンまで怪我しないで済んだのに」
「気にすることないよ。誰だって失敗はするものだし、これで作業工程の確認はしつこいくらいでいいってわかったんだからよかったじゃない。それで、傷の具合は?」
「……もう少しかかりそう」
皮膚の深いところまで入ったのかもしれない。大したことないあたしでもかなり痛い思いをしたんだから、ネヴィルはもっと痛いだろう。
「薬が目に入らなくてよかったね。目は鍛えてどうにかなるものでもないから、発狂レベルで痛かったかもよ」
「怖いこと言わないで!」
想像したのかネヴィルが悲鳴じみた声を上げる。本当に、気づくのが早くてよかった。
あたしのようにほんの一部とはいかず、制服もローブも壊滅的にダメになってしまったネヴィルは医務室の入院着を借りて寮に戻ることになった。
「新しい制服を送ってって頼まなきゃ」
ネヴィルがしゅんとした。
「またおばあさまに叱られる」
「また?」
聞き返したあたしにネヴィルは頷いた。
「僕ってどんくさいから、いつも叱られてばかりいるんだ。今回も『薬の調合に失敗するなんて! おまえの父さんはもっとずっと優秀だったよ!』って言われる」
変なことを言うおばあさんだな。
「どんなにお父さんが凄い人でもネヴィルはお父さんじゃないじゃん」
「えっ」
「ネヴィルはネヴィルであって、お父さんはお父さんでしょ? お父さんみたいに凄い人になりたいのと、お父さんその人になるのは違うよ」
ネヴィルが立ち止まった。
「アレンは、おばあさまと違うこと言うんだね」
「あたしはきみのおばあさんじゃないから」
なんでそんなに親と比較されるのか謎だ。親御さんは、おばあさんを止めないのかな?
「とにかく、失敗が怖いなら確認は何度もしっかりやること。それで三つ失敗するところが一つに減るだけでも進歩だよ。ね、ほら泣かない泣かない」
またぐずぐず泣き始めるネヴィルを宥めて歩くよう促した。
寮の入口がある玄関ホールに出た所で、すらりと背の高い覚えのある姿を見つけた。
「おーい、セドリック!」
「やあ、アレン」
振り返ったセドリックが微笑む。それがあまりに完璧すぎて、そこらに咲いている花があれば恥じて萎れるかと思った。
「何日ぶりかな。──どうしたの、これ」
あたしを目に留めた瞬間、笑みが消えて予想外に強い力で左の手首を掴まれた。そのまま頭より高く腕を引き上げられる。
「えへ、薬の調合で下手打っちゃった」
「大丈夫なの?」
愛嬌ひとつで誤魔化そうとしたら、眉を顰めたセドリックの声が低くなった。
「さっきマダムに治してもらったから全然大丈夫! あたしよりネヴィルの方がよっぽど大変なことになってたよ」
袖が溶けていることを除けば全くなんともない。おできどころかすり傷ひとつない腕を指した。すると、セドリックは初めてそこにいるのに気づいたという顔をしてネヴィルを見た。
「君は?」
「……グリフィンドール一年の、ネヴィル・ロングボトムです、ディゴリー先輩」
気圧されたようにネヴィルが半歩後ずさった。
「知り合い?」
あたしが尋ねると、ネヴィルはとんでもないという顔で首を振った。
「その人、ハッフルパフのシーカーだよ」
シーカー? 前にも聞いた覚えがあるような……?
「ごめん、それ何? 監督生みたいなもの?」
一拍置いてセドリックが盛大に噴いた。
「ちょっ……違う……監督生……違う……」
よっぽどおかしかったのか、息も絶え絶えだ。
「うーん?」
シーカーってなんなの。
ひとしきり笑って落ち着いたセドリックが説明してくれたところによると、こっちにはクィディッチと呼ばれる球技があるらしい。その中でも特に点を多く取ることのできる花形ポジションがシーカーなんだそうだ。
「バンドのフロントマンみたいだね」
「ふろんとまん?」
あっ、通じなかった。
「目立つ役回りなんだねって」
物凄くざっくりした説明にセドリックが笑みを浮かべた。
「そうだね。とても目立つし、責任も重大だよ。チームの勝敗を握ってるから」
「それはすごいな。試合はいつ?」
「十一月から」
寒い時期に始まるんだな。覚えておこう。
忘れないように数回復唱する。と、セドリックが両手であたしの顔を自分の方に向かせて、妙に深刻そうな目を向けてきた。
「君は僕を応援してくれるの?」
「え? するよ?」
言われなくてもそのつもりだ。スポーツに興味がないといっても応援しない理由はない。
「ルールとか全然わかんないけどね」
点を多く取った方が勝ち程度しかわからなくても問題ないと思う。たぶん。
セドリックが目許を緩めた。
「ありがとう。いつもより頑張れそうだよ」
それは何よりだと笑ったあたしの右手が後ろに引かれた。
「ね、ねえ、アレン。そろそろ寮に戻らないと……」
ネヴィルはまだ入院着だったんだ。
「ごめん。じゃあまたね、セドリック」
「うん、またね」
手を振って別れる。グリフィンドール塔の階段を並んで登っていたネヴィルが言った。
「僕、あの人好きじゃない」
暗い顔をしているのを見ると、問い返すのはどうにも憚れた。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
木曜日に飛行訓練が始まると聞いて、あたしとハーマイオニーは「うげ」と呻いた。
魔術師の一般的な移動手段が箒なのは聞いていたし、そのうち授業でやると思ってはいた。飛行訓練の何が嫌といえば、勉強みたいに予習すればどうにかなるものではないことだったりする。
「安定感のないもので空を飛ばなきゃいけない理由がわからないわ」
魔法は物理法則を無視したものが多すぎるというハーマイオニーの嘆きに同意しかできない。
スリザリンのテーブルでドラコが寮生と話しているのが聞こえる。どうやら、もう箒に乗ったことがあるらしい。内容に興味があったので近くに行って声をかけた。
「ドラコはもう箒に乗ったことがあるんだ? すごいね」
勢いよく振り返ったのはドラコだけじゃなかった。その周囲にいた子たちまでこっちを見ている。
あれ? あたし変なこと言ったかな?
「ふん。グリフィンドールが気安く僕に話しかけるな。どうせおまえは今度の授業で箒から落ちるだろうがね」
ドラコは態度こそ偉そうでも嫌味を言う印象がないのでまごつく。特に機嫌が悪いようにも見えないので、どう返したものか迷った。
それに嫌味にしては少々引っかかる物言いだ。グリフィンドール生に話しかけられると何か問題があるのかな?
「落ちると決まってないけど、気をつけるよ」
ドラコはぷいっとそっぽを向いてスリザリン生とだけ話し始めた。やっぱり変だ。
この学校に他寮の子と話しちゃいけないなんて暗黙の了解があるようにも思えない。そうでなければあたしはセドリックと話せていないはずだし、パールヴァティはパドマと話せなくなる。
グリフィンドールのテーブルに戻ると、ロンが東洋の仏像めいた怖い顔で両腕を掴んできた。
「ひどいこと言われなかった?」
「誰に」
「マルフォイに決まってるだろ」
また随分と断定的な。
「言われてないよ」
必ずしもあれをひどいことだとは思わない。遠回しに「落ちるようなヘマはするな」と言われたとも取れる。
「あいつには近づかない方がいいよ。それでなくてもアレンは」
言いかけてロンが口を閉ざした。
「どうかした?」
「ううん、なんでもない」
ロンは首を振って、にこりと笑った。
「ママがクッキーを送ってきたんだ。一緒に食べない?」
「食べる」
飛行訓練の当日、朝食の席でちょっとした小競り合いがあった。
ネヴィルに届いた『思い出し玉』とかいうどう役に立つのか全く不明な
「朝のはドラコが悪いよね」
「だからって喧嘩は良くないわ。そうでしょ、アレン」
優等生気質のハーマイオニーはロンの軽率な行動が目につくのか、ちょくちょくお説教モードに入る。
「どうかなあ。殴り合いで理解が深まらないとは言い切れないよ」
あたしたちとダドリーの関係が改善したのは、お互いこれ以上やったらまずいと気づいたからだし。
「あなたね、自分が女の子だって自覚ある? 男の子と殴り合いして敵うわけないでしょ」
きつい声でハーマイオニーが言った。
「魔法だってひとより使えないのに」
「ハーマイオニー、その言い方はムカつくからやめて」
体質のことを言われたのはわかる。でも、まだ魔法を学び始めたばかりで自分の魔力との付き合いもわからないうちから、他人にできないと断言される謂れはない。
「あたし、ハーマイオニーはすごいと思うし尊敬もしてるけど、言葉の選び方が上手くない。そういう言い方されたらイライラするよ」
ハーマイオニーは目を泳がせた。開きかけた口を閉じると目を伏せて言った。
「ひどいこと言って、ごめんなさい」
「わかってくれたならいいよ」
ポケットからビスケットを出してみせる。
「食べる?」
言いながらもう口に入れようとするあたしに目を白黒させたハーマイオニーがビスケットを咀嚼して、ふふっと笑う。
「もう。あなた怒ってたんじゃないの?」
「今は怒ってないよ」
「切り替えが早すぎだわ」
「それが取り柄なんで」
二人でビスケットを齧りながら校庭に向かった。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
授業で箒に乗るのは思っていたより難しくなかった。
乗る乗らないより大きな事件が起きたために、あたしは今ソファの上で蹲って頭を抱えている。
ハリーには箒に関して天性の才能があったようで、ドラコが投げた『思い出し玉』を空中で曲芸みたいにキャッチしてみせた。
それはいいのだ。問題は、それをマクゴナガル先生に見られたことだった。
授業中なのにどこかへ連れていかれるのを、あたしはただ見ているしかなかった。言い訳のきかない状況で出張っても役には立たない。
こんなつまらないことでハリーが退学になったらどうしよう。
「ごめん。僕があれを落としたせいだよね」
「違う。ハリーの運が悪かっただけ」
ネヴィルの落下する速度を考えればフーチ先生に何かできる余裕があったとも思えないし、ましてや箒に振り回されてパニック状態だったネヴィルを責めても意味がない。
「気にしないで」
ここにいても落ち着けない。かといって部屋に戻ればルームメイトが気にするかもしれない。
そう考えるだけで気が重くなって、あたしはネヴィルの肩を励ますように叩いて寮を出た。
どこか誰にも見つからない場所を探そう。
人の声がする場所を避けて歩くうちに教室のある廊下に出た。空き教室なら誰も来ないかもしれない。
階段から離れた教室の適当なドアに手をかけた時、
「ミ、ミス・ポッター?」
と、聞き覚えのある声がした。
「はい」
クィレル教授が怪訝そうな表情をして顔を上げたあたしを見る。
「こ、こ、こんな所で、な、何を?」
「人のいない所を探してました」
自分でも驚くほど弱々しい声が出た。それを聞いたクィレル教授が眉根を寄せる。
「何かあったのですか?」
答えに窮して口を噤んだ。言ってどうなるものでもない。
ハリーは向こう見ずなことをしたんだし、あたしは元々ハリーのおまけでこっちに戻ったのだ。だから、あっちに帰るのだって大したことはない。
嘘は言えず、誤魔化しきれもせず、黙って目を逸らした。
叱られるかもしれないと思ったあたしの頭の上にやんわりと重みがかかった。そろりと目を上げると、クィレル教授があたしの頭に手を乗せて微笑んでいた。
「よければ、お茶でも飲んでいきませんか?」
頭をなでる手と声が優しくて、しゃくり上げそうになるのを歯を食いしばって耐える。頷いてしまったのは、いつにも増して気が弱っていたからということにしておきたい。
空き教室から離れていないところにクィレル教授の部屋はあった。
大人が三人くらい余裕で座れそうなソファに座るよう示されて素直に従う。
ふかふかのクッションを抱えてぼうっとしていると、クィレル教授が紅茶とお菓子を持って戻ってきた。
「ミルクは?」
「ストレートがいいです」
美しい水色を湛えた紅茶のカップが置かれる。
ただお茶を飲んでお菓子を食べた。喋らないと気まずいかと思ったのに、クィレル教授は気を悪くした様子もなく、空いたカップにお茶を足してくれる。
学校なのを忘れそうなくらい静かな部屋にひと一人の気配があるだけで不思議と気持ちが落ち着いた。あたしがひとりきりで不安を囲ったことがないのを知るはずもないのに、クィレル教授はあたしに最も効果のある対処をしてくれている。
あのまま空き教室に隠れて思考に溺れていたら、不安のあまり泣いてしまったかもしれない。
つらつら考えて、ハリーが学校を辞めることになったらあたしも辞めようと決めた。ここに残って勉強したとしても、そもそもが魔術師として生きるのに向いていないのだ。体質のことを考えればマグルとして生きる方がまだましだろう。
魔法を使わない生活が長くてよかった。
でも。
向かいに座る先生を見つめる。
物思いに耽っているのか、白磁の目蓋が青い目を半分隠していた。読書家らしく少しかさついた長い指が、今は細いカップの持ち手を支えている。所作一つさえ美しく繊細なので、その手の温かさを知っていても触ったら壊れてしまいそうに思えてしまう。
「な、なんですか?」
視線に気づいた先生がこっちを見て目を瞬かせた。
「綺麗ですね」
「綺麗? 何がですか?」
「先生が」
「君は何を言っているのですか」
自覚がないのか、頭痛でも起こしたように顔を押さえている。
「思ったことを言っただけですよ?」
友達は少なくない方だし、伯父の仕事の関係もあって子供なりにいろんな人を見てきたつもりだけれど、その中にクィレル教授のような人はひとりもいなかったし、この先知り合えるとも思えない。
「初めてお会いした時からずっとそう思ってます。先生は綺麗で優しいって」
教師にとってたくさんいる生徒のひとりでしかないとしても、あたしはクィレル教授がいると知ったから安心してホグワーツに来れたのだし、今もこうして心細く孤独に思い悩まずに済んでいる。
こんな風に静かに寄り添ってくれる大人がいるなんて、今まで思いもしなかった。
「あっちには先生みたいな人いないだろうなあ」
口にして気づいた。学校を辞めるのは大した問題じゃないんだと。
プリベット通りに戻ってしまえば、住む世界が違う人と会うこともなくなる。先生と話す機会なんて二度とないに違いない。ここにはそんな繋がりしかないのが寂しくて落ち込んでいたのだ。
だけど、これはどうしたものかな。
「それはどういう意味ですか」
「言ったままの意味ですが」
先生があたしの座るソファの背もたれに手をついている。あたしの両肩のすぐ横に長い腕があるので、座ったまま腕と腕の間に閉じ込められた状態だ。状況的に追い詰められているのはあたしのはずなのに、先生の方が追い詰められているように思えて首が傾ぐ。
「君は
向かい合う瞳の奥に炎が見える。
「学期が終わらなければ、どんなに帰りたくとも帰れませんよ。それとも、ホームシックにでもなりましたか?」
ぞっとするほど妖艶な表情にそぐわぬ寄宿学校の教師然とした発言もさることながら、どうしてか親に置いて行かれる子供が泣いて縋っているように思えてきて混乱した。
「あの、そういうんじゃなくて」
押し止めようとする声が聞こえていないのか、クィレル教授はさらに詰め寄ってどこか焦点の合ってない目で喋り続けている。
「君も私では頼りない、役立たずだと誹り、期待外れだと突き放すのですか?」
ゆらゆらと炎が揺れた。真っ暗な中にぽつんと灯った蝋燭のように悲痛な光。
少し悩んで、ハリーの情緒が安定してなかった頃によくやったように先生の頬に触れた。陶器のようでも触っただけで壊れたりはしないんだな、なんて場違いな考えが過る。
「しませんよ」
正直なことを言えば実は今の先生は少し怖い。だけど突き飛ばそうとか逃げ出そうとか、不思議と選択肢にはなかった。
昔のハリーに似ていたからかもしれない。
「あたしは先生がここにいてくれてよかったです」
ハリーにもよく同じことを言ったな。
でも、本心だ。あの時のハリーも今の先生も、あたしを一人ぼっちにしないでいてくれた。
手を伸ばして、先生の後頭部をやんわりなでる。
「ちょっと深呼吸しましょうか」
こっちの指示に従って息を吸ったり吐いたりするうちに落ち着いてきたのか、クィレル教授は鼻先にあたしがいるのを見留めるなり大袈裟なほど素早く身を引いた。
勢いでテーブルに足が当たってカップが鳴る。
「……す、すみません」
目許と頬を赤くした先生が手の甲で顔の下半分を隠した。やっぱりさっきまでのは正気じゃなかったらしい。
「元気づける側の私が動じているようではいけませんね」
「いえ、頼っていいと言ってくれる人がいるとわかっただけでも充分心強いです。ありがとうございます」
クィレル教授は息をついて椅子に座り直すと、僅かな躊躇いの後にあたしの右手を取った。
「君は子供なのだから、もっと大人を頼っていいのですよ」
ゆるく指の甲をなでられるのがくすぐったくて、ふふ、と笑い声が漏れる。さっきまでのことが嘘のように穏やかな目をしてクィレル教授が言った。
「大人も神様ではないので、助けてほしいと言ってもらわないとわかりません。私はただ、君のことが心配なのです」
今度は嬉しさで笑う。もしかして、初めて会った時からずっとそんな風に考えてくれていたのかな。
「じゃあ、困った時は相談に乗ってください。そんなにはっきり心配だって言ってくれる先生、他にいないし」
自分によくしてくれる人に面倒をかけたくない気持ちはもちろんあるけれど、あたしがひとりで問題を抱え込むほどこの人を傷つけてしまう気がした。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
「退学が嫌なら、シーカーをやれって言われて」
ハリーがうんざりした顔で切りわけたポークソテーを口に運んだ。
話によれば、マクゴナガル先生に連れられて行った先でグリフィンドールのクィディッチチームでキャプテンをやっているウッドという先輩に引き合わされたらしい。
天性の才能と小柄な体、それに曲芸じみたことをやる度胸と身軽さはシーカーにぴったりなんだとか。
「そういえば、セドリックもシーカーなんだって」
あたしが言うとハリーがびっくりして、
「いつそんな話したの?」
と尋ねてきたので、先日顔を合わせた時の話をする。
「セドリックとはライバルになったわけだね」
「うん」
ハリーがクィディッチのチームに入ったことは試合当日まで秘密だそうだ。サプライズかな?
「アレンはハッフルパフを応援するの?」
「『を』っていうか、『も』だね」
ハリーがシーカーになるならどっちも応援する。どっちが勝っても嬉しいので問題ない。でも、他の子はそうもいかないようだ。
「なーんで他の寮の選手を応援するのさ?!」
横から聞き咎めたシェーマスに詰め寄られて苦笑した。
「友達だから」
他に理由はない。
「ディゴリーはハッフルパフだろ? 応援するなら自寮にしろよ!」
「どこを応援するかはあたしの自由じゃん」
きい、と頭をかきむしるシェーマスをハリーが宥めた。
「アレンは自由人だから、そんなこと言っても通じないよ」
「クィディッチで自由に振る舞うなあああ!!」
察した。クィディッチは、あっちでいうところのサッカーだ。熱狂的なファンがいるのも含めてそっくり。
発狂しているシェーマスに聞こえないようにハリーが小声で「練習は来週からだって」と言った。
食事を終えてお茶を飲んでいると、ドラコが大柄な少年を二人連れてやってきた。
「やあ、ポッター。最後の食事はどうだい? 帰りの汽車に乗る時は教えてくれよ。見送りに行くからさ」
「子分を連れてなきゃ何も言えないくせに」
言われた本人より先にいきり立ったのはロンだ。ハリーは意味がわからないという顔をしているし、あたしはまた随分遠回しに心配してるなあと笑っているのに、ロンは一人で血の気が多い。
ドラコの連れはボディーガードなのか、ロンに威嚇するように指を鳴らした。
「ねえ、ハリー。この子たちと追いかけっこしたとして、あたしもハリーも捕まらないよね?」
「どう見ても脂肪だもんねえ。これならまだダドリーの方が足も速いし、力もあるんじゃないかな」
ダドリーがいじめてきていた頃、あたしたちはとにかく早く走る努力をした。スピードと持久力を得るために家の手伝いを言い渡されるより早く起きて走り込みだってした。そうして追われては逃げ回るうちに、気がついたらダドリーの仲間の誰も追いつけないくらい足が速くなっていたというね。
そうなると悪ふざけする余裕も出てくる。「ほーら捕まえてごらんなさぁい」と煽っては、ダドリー含むいじめっ子たちと校内で追いかけっこするのが二人の間で流行った。名づけて『浜辺の恋人ごっこ』である。
閑話休題。
ロンの態度にドラコが鼻白んだ。
「お望みなら僕一人でも相手になってやるさ。今夜、
魔術師らしく魔法で勝負しようと。だが、ちょっと待ってほしい。
「それはどっちのポッターに言ってるの?」
ここにポッターは二人いる。
ドラコが口許を歪めた。
「英雄の方だ」
「だってさ」
ハリーがつまらなそうな顔で息をつくのに気づかず、ロンが横から口を出した。
「いいだろう。僕が介添え人をする」
当事者ほったらかしで勝手に話が進んでいる。ドラコにデュエルを挑まれたのはハリーで、ロンじゃないのに。
「じゃあ、真夜中。トロフィー室で」
ドラコはそう言うと、一言も喋らなかった無口な少年二人を連れて去っていった。
「ロン」
ハリーが氷点下並みの冷ややかな目でロンを見る。たじろいだロンが「な、なに」と返した。
「君はいつから僕のマネージャーになったのかな?」
勝手に話を進められたのが嫌だったらしい。ロンが謝るまでハリーはチクチク嫌味を言い続けた。
「デュエルなんだから白手袋投げるくらいすればいいのに。白手袋で顔をはたいてもいいけど」
ロンが変な顔をした。
「白手袋って?」
「デュエルを申し込む時の決まりだよ。こっちじゃやらないの?」
「聞いたことないな」
どうやら魔術師は浪漫というものがわかっていないようだ。
お題サイトさんの語彙力すごいなっていつも思う