バタフライ   作:非食用塩

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第八話 アトラスの末裔

 運が悪い時は、本当にとことん運が悪いもので。

 ネヴィルが今日までに返さなきゃいけなかった本を忘れていたと言うので消灯前ギリギリに寮を出たまではよかったものの、帰ってきたら額縁の中に『太った婦人』の姿が見当たらない。

「門番が鍵閉めて出てったら中に入れないじゃないのさ」

 げんなりするあたしを見てネヴィルがしょげ返った。

「なんで僕いつも君を面倒事に巻き込むんだろう」

「ああ、責めてない責めてない」

 仕方ないので廊下で並んで座って話をする。

 ネヴィルは薬草が好きで結構詳しい。実は最初の薬学の授業でハリーが出された三つ目の問題の答えがわかっていたそうだ。

 本当は答えたかったけれど、ハーマイオニーでさえ当ててもらえないのに自分が当ててもらえる気がしなかったと。気持ちはわかる。

 せっかくなので、あたしの好きなものの話もした。映画が好きだと言ったら、どんなものかと尋ねられたので自分の知識の範囲で説明してみる。

「写真が動くのとは違うの?」

「それに音楽と効果音と台詞がつくよ。ホラーとか冒険活劇とかSFとかね、いろんなジャンルがあって面白いんだ」

 残念ながらピンとこないという顔をされてしまった。

「これは観た方が早いな。ね、次の夏季休暇にでも一緒に映画観に行かない?」

 いっそ趣味の世界に引きずり込んでしまえばいいのでは。身を乗り出すあたしに気づいてネヴィルがびくっとした。顔を赤くして下を向いてしまう。

「おばあさまが、いいって言ったら、行くよ」

「わかった。あたしはどっちにしても行くつもりだから、ダメならダメでも気にしないでね」

 マグルだってすごいもの作るんだぞー。なんてね。

 不意に額縁がガタガタ鳴った。

『太った婦人』が帰って来たのかと思って立ち上がる。額縁が開いて中からロンとハーマイオニーが言い合いしながら出てきた。その後ろにはハリーの姿も見える。

 そういえば今夜決闘(デュエル)しに行くんだっけ?

 頑張ってねー、と声をかけて入れ替わりに寮に入ろうとしたあたしの腕をハリーが掴んだ。

「ん? どうした?」

 ネヴィルを先に行かせて立ち止まる。

「アレンも行くよね」

「え?」

 バタン、と音がして我に返った。

「入り損ねた!」

 ハリーがにっこりする。狙ってやったな。

「夜の学校を探検するなんてワクワクするでしょ」

 のほほんとしているハリーをハーマイオニーが人を殺せそうなほど怖い目で振り返った。

「暢気すぎよ、ハリー」

「そう?」

 マイペースさにかけてはハリーの右に出るものはいないと常々思っているので口は出さない。

 急かすロンに引きずられるようにしてトロフィー室に着いても誰もいなかった。わざわざ消灯時間後を指定したのは来る気がなかったからか。

「はめられたねえ」

 ハリーが一層暢気に言った。

「まだ時間じゃない」

 ロンが噛みついても撤回しない。申し込まれた時点でドラコに来る気がないのがわかっていたのだろう。

「だったら、なんであたしを連れて来たのさ」

「片割れがいない冒険なんてつまらないよ」

 ここに留まってフィルチさんに見つかるのだけはいただけない。

 気配に注意しながら入ってきたのと反対側のドアから廊下に出た。長い回廊に両脇にずらりと鎧が並んでいる。

 ここに首なし騎士(デュラハン)が混じってても変じゃない、なんて考えているずっと後ろでフィルチさんがミセス・ノリスに話しかける声が聞こえてきてドキッとした。

「急ごう」

 ハリーの声に従って足を速めようとしたロンが蹴躓いて鎧のひとつに突っ込んだ。崩れて寒気がするほど大きな音が響く。

「急いで! 早く走って!」

 ハーマイオニーが声を上げ、ロンが飛び起き、あたしとハリーはひたすら走る。振り返って追われているのか確かめる余裕もなく、息切れに耐え切れなくなって転がり込んだのは空き教室だった。

 ぐったりと壁に寄りかかって息を整える努力をした。疲労の度合いがひどい。午後に飛行訓練をしたのが原因なのか、自分でもよくわからない。

「アレン、動ける?」

「無理かな」

 流石に夜まで部屋に帰れないなんて思いもしなかったので間食になりそうなものは持ってないし、食べたからといってすぐに回復はしないのだ。

「落ち着いたら自力で帰れる……先に戻っていいよ」

 眠い。体が床に埋もれそうなくらい重い。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 上下に揺さぶられる感覚で目が覚めた。

 視界が赤い。びっくりして頭を上げたあたしにロンが喚いた。

「じっとしてろ!」

 どうやらまた意識を失っていたみたいだ。今は全力疾走するロンに背負われて逃亡中らしい。

「ダメだ、鍵がかかってる」

 立ち止まったロンの向こうでハリーの声がする。見れば前方は廊下の突き当たりで、鍵のかかったドアが道を塞いでいるようだ。

「ちょっとどいて」

 ハーマイオニーがハリーを横に押しやって、杖で鍵を叩いた。

「Alohomora!」

 カチッと音がした。ドアを開け、中に入って息を潜める。

 廊下でフィルチさんとピーブズが話す声がした。ピーブズにおちょくられたのか、フィルチさんが悪態をつきながら遠ざかっていく。

「よかった、見つからなくて」

 そう言って振り返ったハリーの表情が固まった。あたしを背負ったままロンが振り返るのにつられて背後を見る。

 え? ええ?!

 叫んだのが自分なのか他の誰かもわからない。走るロンの背中に力の入らない手でしがみつく以外、できることはひとつもない。

 随分経って、ロンが立ち止まるなり膝から崩れ落ちた。

「大丈夫?」

「……なんとか」

 ロンよりだいぶ小さいといっても、同い年の人間を抱えて走り回るのは相当しんどかったはずだ。

「まあ、あなたたち。どこに行ってたの?」

 ハリーがにこやかに答える。

「ちょっと散歩に」

 合言葉を言うと、ハリーはあたしを大きめの植木鉢みたいに抱っこした。

「アレンが軽くてよかったよ」

「確かにね。それにしても、なんであんな怪物を学校の中に入れてるんだろう?」

 身が軽くなったロンがよろよろと立ち上がる。ハーマイオニーが羽織ったガウンを弱々しく肩まで引き上げた。

「あれは何かを守ってるのよ」

「何かって?」

「そこまではわからないわよ。だけど、あの犬は仕掛け扉の上に立ってたわ」

「よく見てるね。あたし、周りを見る余裕なんて全然なかったよ」

 あの状況でそんなことまでと心底感心する。ハーマイオニーが顔を赤くした。

「たまたまよ、たまたま! それより、アレンは少し食べて飲まないとまた具合が悪くなるわよ」

 すっかり忘れてた。

「じゃあ、僕がお茶を淹れてくるよ。ハーマイオニーもお茶を飲んだ方がいいね。声が嗄れちゃってる」

 あたしを暖炉近くのソファに下ろして、ハーマイオニーに笑いかけたハリーは給湯室に入っていった。

 

 翌朝、ごはんをたんまり食べている横でハリーが切り出した。

「この前、ハグリッドに呼ばれたの覚えてる?」

「お茶に誘われたんだっけ」

「そう」

 ハリーはハグリッドの小屋で見た新聞の切り抜きの話をした。

「僕たちがダイアゴン横丁に行った日に盗難未遂事件があったらしくてね。狙われたのは僕たちも行ったふたつめの金庫だよ」

「へえ。何も盗まれなかったのは不幸中の幸いってやつだね。やっぱり中には入れなかったのかな?」

 盗難が未遂に終わったのはいいことのはずなのに、ハリーは浮かない顔で首を振る。

「二つ目の金庫の中には最初からお金も宝石もなかったんだ。ただ、五センチくらいの包みがひとつが転がってて、ハグリッドがそれを持ち出してたんだよ」

「えっ、あの広い金庫にそれだけ?」

 一つ目の金庫と同じ広さだとすればすっからかんといっても過言じゃない。ハリーは頷いてさらに言った。

「それに僕らはギリギリで泥棒とエンカウントせずに済んでる」

「うわ、狙いすましたようなタイミングだね」

 事を見越してダンブルドアが手を打ったのだとすれば、泥棒側の動きを掴んでいたということか。考えながら、もぐもぐとシェパーズパイを咀嚼する。

 ふと、あることを思い出した。

「あの日さ、クィレル教授に会ったの覚えてる?」

「うん」

「別れ際に呼び止められたんだ。その時に先生がね、あたしに『気をつけて』って言ったんだ」

 クィレル教授は学校で防衛術を教えるくらいの人だ。もしかしたら悪い予感でもしていたのかもしれない。そう考えたあたしの考えを読んでハリーが言った。

「それはどうかな」

 眼鏡越しのエメラルドがあたしを見る。

「クィレル教授こそ犯人の可能性があるんじゃないの? そうじゃなきゃ、どうしてアレンに忠告めいたことをする必要があったの?」

 他の先生よりもあたしを気にかけてくれているのは本当だと思う。

 でも今はそれを横に置いて考えよう。映画や小説では、意味ありげな人は事件に関わっているものだ。犯人じゃないとしても、なんらかの関係があったっておかしくはない。

 翌週、ハリーの下に六羽のオオコノハズクが細長いものを届けた。それと手紙も。

 ハリーは「ええー」という顔をして教員席の方を見てから、手紙を開封して便箋を指先で叩いた。

「気づかれるなって言うならここに届けないようにしてほしいよ」

 その言葉で察した。届いたのはハリーがシーカーとして使うための箒だ。この長さだと他のものに擬態させるわけにもいかないのかもしれないけど、明らかに目立つ状況で送るのもおかしい。

 あるいはマクゴナガル教授のテンションが振り切れているとか。

「今夜から練習に来いって」

 疲れた声で言うハリーを労わるように肩を叩いた。

 ハリーが練習に行っている間、あたしはハーマイオニーと勉強しまくった。ハーマイオニーは記憶力が特に凄い。あたしが思い出せない単語もぽんぽん出てくるし、魔法の応用もきちんとこなしている。

 習った呪文や杖の振り方を何度も何度も繰り返しやった。発音はしっかり、杖の振り方を間違えないように。それ以外にも魔力が体を巡る経路を図で見て、お互いに確認したりもした。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 宿題に追われるうちに日はすぎてハロウィン当日になった。

 今日は両親が死んだ日で、ハリーが英雄になった日で、あたしが死にかけた日だ。

 こっちに来れば命の恩人のことでわかることがあるかもしれないと思ったけれど、あたしに関することは面白いくらい情報がない。図書館にある当時の新聞を見ても、ハリーが双子だという記事さえ見つからなかった。

 今日の呪文学の授業は浮遊呪文の実践だ。

 これまではひたすら呪文を完璧に唱えることと杖の振り方を練習していたから、実際に何かを浮かせると聞いて生徒のテンションはだだ上がりだ。

 復習として見せてもらったフリットウィック教授の「ビューン、ヒョイ」という説明が可愛くて、ちょっと笑ってしまった。それに気づいた先生が、にこにこして杖のモーションを繰り返してみんなも笑わせたので和やかな空気が生まれる。

 全員がきちんとできたのを確認すると、一人に一枚、白くて大きな羽が配られた。これ、鳥の羽にしては大きくない?

 隣で呪文を唱えたハーマイオニーは一発でこれをこなした。あまりに素晴らしいので拍手したらフリットウィック教授も一緒に拍手して褒め、ハーマイオニーに五点加点した。

「いいですか。魔法とは自分の望みを叶える力なのです。杖の振り方や呪文はもちろん大事ですが、皆さんの羽根がどのように浮くのか、できるだけ詳細に思い浮かべてみましょう」

 フリットウィック教授は最初の授業でも「行使する者が強く願ったことを叶えるのが魔法です」と言っていた。「杖は自分の腕だと思いなさい」という発言に魔術師生まれの生徒まで驚いていたのは記憶に新しい。

 清らかな水で満たされたゴブレットに落ちた羽根が浮かぶ様子を思い描いて、杖を振りながら呪文を唱えた。

「Wingardium Leviosa」

 ハーマイオニーが歓声を上げた。羽が十センチほどの高さでふわふわと揺れていた。

「先生! アレンも成功しました!」

 ハーマイオニーがぴょんぴょん飛び跳ねるのを見て、フリットウィック教授が駆けつける。

「ミス・ポッター、もう一度できますか?」

「やってみます」

 深呼吸して杖を振る。呪文を唱えると、さっきよりもう少し高く羽が浮いた。

「おお、ミス・ポッターもやりましたね!」

 フリットウィック先生が椅子の上に登ってあたしの頭をよしよしとなでてくれた上に三点もくれた。なんて大盤振る舞い。

 ハーマイオニーは一緒に頑張った甲斐があったと言って喜んでくれたし、夜のパーティーはかぼちゃづくしだとフレッドとジョージから聞いてスキップするくらい気分が上がっていた。

 だから、午後の授業を終えて用を足しに入ったトイレで覚えのないゴーストに気を取られたのも仕方ないと言い訳したい。

 

「あらぁ。あなたもゴーストの仲間入りをするの?」

 マートルが楽しげに言う。

「しないよ! っていうか、なんで校内にトロールがいるのさ!?」

「誰かが招待したんでしょうねえ」

「迷惑だよ!!」

 マートルの泣き言を聞いていたらトイレにトロールが侵入してきましただなんて、冗談にしたって笑えない。

 何もかもが鈍い相手だから逃げきれているといっても、このままじゃいずれ体力が尽きる。

「ねえ、マートル! きみどうにかできないの?!」

「できるわけないでしょう。私はゴーストなのよ。何もできないからゴーストなの」

「ポルターガイストくらい起こせよぅ!!」

 叫んで床に伏せる。あたしの頭があった高さをトロールの棍棒が薙いだ。

「ポルターガイスト? それはピーブスに頼むのね」

 間を置かずに起き上がってトロールの次の動きを探る。と、誰かがトイレに飛び込んできた。

「アレン!」

 ハリーだ。ロンとハーマイオニーもいる。

「こっちに来ちゃダメ!」

 三人に気づいて向きを変えようとするトロールに砕けたドアの残骸を投げつける。トロールがこっちに気を取られた隙に言った。

「戻って! 誰か先生を呼んできて!」

 トロールが近づいてくる。狭い場所に四人もいたら思うように動けない。

「早く!」

「わかった」

 すぐに頷いてハリーが出ていく。ロンとハーマイオニーは、あたしとトロールを交互に見ているばかりで出てくれない。

「二人も出て」

「でも」

「でもじゃない! あたしはすばしっこいからどうにかなるけど、きみたちはそれほどでもないでしょ!」

 ひどい言い方をすれば邪魔のひとことで済むのだけど、心配して来てくれたのがわかっているので、それだけは言わないと決める。

 ロンが屈んで何か投げた。

 いい音がしてトロールの動きが止まる。

「君だけにいい格好はさせないよ」

 ロンが極度の緊張と生命の危機からか上気した顔で笑った。

「ここで君を置いて自分だけ逃げたら、グリフィンドールの名折れじゃないか!」

「その割には膝ガックガクだね」

「うるせー」

 ハーマイオニーは出口とトロールとを見比べると、キッと目を怒らせた。

「そうよ、私はグリフィンドール生なのよ! トロールにだって負けやしないわ!」

 わーかっこいー、なんて言ってふざける余裕はなかった。トロールがロンに棍棒を振り下ろそうとしている。

 あたしはまた残骸を拾った。でも、投げるには間に合わない。

「ロン、避けて!」「Protego!」

 あたしが叫ぶのと、ロンが飛びずさるのと、ハーマイオニーが呪文を唱えたのは同時だった。

 カシーン、と乾いた甲高い音がして、空中で棍棒が止まる。ハニカムが重なり連なる多面構造の透明な壁がロンとトロールの間できらきらと灯りを反射した。

「あんまり長くは防げないわ」

 ハーマイオニーの声はひどく冷静だった。

「ロン、『ビューン、ヒョイ』よ。やれる?」

「やれるか? だって?」

 そこには恐れを上回る覇気が見て取れた。

「絶対にやるんだよ」

 ハーマイオニーの問いにニヤリと笑って返したロンが、フリットウィック教授にも劣らぬ美しい所作で杖を振り、正しく呪文を唱えた。

「Wingardium Leviosa!」

 呪文は的確にその効果を現した。

 棍棒がトロールの手をすっぽ抜け、宙に浮いて落下する。棍棒が頭に直撃したトロールは、その重さと硬さで昏倒した。軽い地響きを立てて倒れたそいつをそろりと窺えば完全に白目をむいていて、しばらく起きそうにない。

「こ、怖かったぁぁ」

 安心したら腰が抜けて床にへたり込んでしまった。ロンもハーマイオニーも興奮と緊張が解けたのか、青い顔で冷や汗をかいている。

 バタン、と音がして複数の足音が聞こえた。顔を上げたのに、いきなり視界が真っ暗になって驚く。

「無事、ですか? ど、ど、どこか、痛むところは?」

 一人で地震にでも遭ったようにガタガタ震えながら、クィレル教授があたしを抱きしめていた。真っ暗になったのはローブに顔が埋もれているせいだ。

「大丈夫です。怪我はしてません。怖くて腰が抜けただけです」

 先生は泣きそうに声を震わせて「よかった」と繰り返し言ったかと思うと、あたしを抱え上げた。いわゆるお姫様抱っこというやつだったので再度驚く。

 えっ、何? なんで?

 混乱して酸素の足りない魚と化したあたしをスルーして、クィレル教授はマクゴナガル教授に言った。

「ね、念のため、い、い、医務室に連れて行きます」

 マクゴナガル教授も驚いたようで四角い眼鏡の奥の目が丸くなる。しかし流石は副校長というべきか、すぐ我に返って頷いた。

「わかりました。事情は後で聞きます」

 早足で廊下を歩く先生に尋ねる。

「先生の方が死にそうな顔してますよ?」

 灯りが暗いからじゃないとわかるほど顔色が悪い。腰が抜けただけのあたしよりよっぽどマダムに心配されそうな様子なのに先生は何も言わないし、抵抗したところで下ろしてくれそうもない。

 自力ではどうにもできないので諦めて力を抜いた。自棄になって先生の肩に頭を預ける。

 この前、あたしのことを心配だと言ってくれたけれど、ここまで気にかけてくれる理由がよくわからない。今回は寮監のマクゴナガル教授も他の先生方もいたので気にすることはないはずなのに。

 それとも他に理由があるの?

 今はどう尋ねても答えが返ってきそうにないので、何もきかないことにした。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 抱っこで運ばれてきたあたしを見たマダムは、またこいつかという顔をした。はい、あたしです。

 あたしをベッドに下ろしたクィレル教授はトロールの後始末があるからと言って、お礼を言う暇もなく医務室を出て行ってしまった。

 今度は何があったのかと問うマダムに一部始終を話すと、眉間にがっつり皺が寄った。

 トロールから直接攻撃を受けてはいなかったとはいえ、怪我をしていなかったという考えは改めよう。気づかないうちに細かい擦過傷がいっぱいできていて、あっちこっちがひりひりする。

 傷に容赦なく薬をすり込まれて涙目になっていると誰かの足音が聞こえた。後で話を聞くと言っていたマクゴナガル教授かもしれない。

 誰かが医務室の前で立ち止まったのと、ドアが勢いよく開いて衝突音が響いたのは同時だった。マダムがじろりとドアの方を見る。

「セブルス、ドアは静かに開けなさい」

 おっかない顔に黒づくめに手の甲を隠す長い袖。間違いなくスネイプ教授だ。

「……すみません」

 この人、ドアの開け閉めが乱暴すぎるよ。いつかドアを壊すんじゃない?

 スネイプ教授がここに来たのは、マクゴナガル教授に代わって事情聴取するためだった。

「何故、トイレにいたのかね」

「マートルと話してました」

「パーティーに行かなかった理由は?」

「泣いてる子を放置して行けないでしょう」

「……やつはいつもああだ」

「あれ日常風景なんですか?」

「知らなかったのか」

「今日初めて遭遇したもので」

 きかれて困ることでもないのでサクサク答える。

 話すごとにスネイプ教授は片手で額を押さえるようになり、とうとう深くため息をついた。

「運が悪かったな」

「そうでしょうか」

 首を傾げたら睨まれた。そんな獲物を獲り損なった猛禽類みたいな顔しなくても。

「巻き込まれたのがあたしでよかったと思いませんか? ネヴィルやドラコだったら死んでましたよ」

 あたしはここに来るまでに魔法を覚えなかっただけで、足の速さや荒事に対する耐性がかなりついている。坊ちゃん嬢ちゃん育ちで追いかけられたり暴力を振るわれたりすることに慣れていない子がトロールとエンカウントしていたら、間違いなく頭を潰されていただろう。

 あの場にいたのがあたしで本当によかった。

 へらへらするあたしを見て、スネイプ教授が不満げに鼻を鳴らす。

「そんなところが似ることはないだろうに」

 誰に?

 聞き返そうとしたら、べしっと頭をはたかれた。

「痛いです」

「痛くしたのだから当然ですな」

 あたしが何をしたっていうんだよ。

 スネイプ教授が用は済んだとばかりに医務室を出て行く。その歩き方が少し変──片足を引きずってるように見えた。

 

 それからしばらくトロール退治の話題で盛り上がる周囲を適当に流す日が続いた。退治したのはロンとハーマイオニーなので、言えることといえば「二人ともかっこよかった」しかないのもある。

 十一月に入ると急に寒くなった。ベストとジャケットを着込んでも寒いと言ったら、

「裾が短いからでしょう」

と、ハーマイオニーに呆れられた。

「長いと足にまとわりついて動きにくくなるじゃん」

「そんなに走り回る必要がどこにあるのよ」

「またトロールに遭遇しないとも言い切れないよね?」

 一度入ってきたものが二度入ってこないと誰が証明してくれるのかと返したら、ハーマイオニーは言葉が見つからなかったらしく、羊皮紙に向き直ってレポートの続きを書き始めた。

 じきにクィディッチの初試合が始まると聞いたので競技場に足を向けてみた。今日はハッフルパフのチームが練習している。観客席がとても賑やかだ。大半は女子生徒。歓声を聞くにみんなセドリック目当てらしい。

 黄色い声がうるさいので、観客席から離れたピッチの端っこに座って上を見る。

「よくあんな飛び方するなあ」

 あたしはハリーと違って箒は得意でも不得意でもない。一方、クィディッチの選手は結構ハードに飛び回っていて、目で追うのもかなり苦労する。

 地上にいても冷えて寒いのに、あんな速さで風除けもなしに箒で飛び回ってたらもっと寒いに違いない。見ているだけでも寒さが増してマントの前をきっちり合わせた。

 びゅんびゅん風を受けて翻るユニフォームが上空の風の強さを物語っている。みんな元気だなぁ。

 いい加減体が冷えてきたので玄関ホールに向かおうとしたあたしの目の前に、セドリックがまるで鳥のように降り立った。ハッフルパフの蜜蜂みたいなカラーのユニフォームを着ている。

 これが舞い降りるってやつかと納得するほど鮮やかな着地だった。

「観に来てくれたんだね」

「うん」

 ハリーの練習も観に行きたいのにウッドがダメって言うし、なんてことはセドリックに関係ないことなので頷くだけに留める。

「クィディッチってすごいね。見てるだけで目が回るかと思った」

「ルールわかる?」

「全然」

 ハリーとダドリーはよく一緒にサッカーを観ていたけれど興味はなかった。クィディッチだってハリーやセドリックがやっていなければ様子を観に来ることもなかったと思う。

「前にシーカーは点数が多く取れるって言ってたよね? どんなことするの?」

「スニッチ──ってボールなんだけどね、それを取ると一五〇点入るんだよ」

 練習で使ってたボールは二種類あったように見えた。普通のと、やたら元気に飛び回るのとどっちだろう?

「どのボール?」

 セドリックは「うーん」と首を傾げた。

「そうだな。今度の試合で僕が取ったら見せてあげる。だから試合、観にきて」

「わかった」

 頷いて返したあたしの頬にグローブをはめたセドリックの指が触れた。

「絶対勝つからね」

「おう、頑張れ」

 手を振って箒に飛び乗ったセドリックは、元から空の生きものだったような軽やかさで競技場の方へ飛んでいった。

 




賢者の石は終わってるけど、その先はいつになるかわからない
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