ブッカー少佐の一言で零が受けた衝撃は、幼い時に受けた経験と似ていた。里親から実の子供ではないと言われた時のそれである。その時には実の親は別人だという事を子供ながら薄々感じ取っていたものの、面と向かって事実を突きつけられるとやはり衝撃は大きかった。今感じた衝撃はそれに似たものだった。あの時は自分の世界が崩れ去るような絶望感を覚えたが、今は違う。自分自身ではなく周囲を否定する術を得ている。しかし、それでも衝撃は大きい。雪風が疑似人格を作って自分にコンタクトしてきた。この事実は自分の中の常識を揺さぶるには十分すぎる程だった。これが現実なのか疑ってしまうほどに。
「本当なのか?…フォス大尉」
「深井大尉、雪風は会議の継続を望んでいます」
画面の向こうのフォス大尉はそう答えた。表情一つ変えずに。肯定も否定もない。しかし、これは肯定であると零は考える。本物のフォス大尉であれば、ブッカー少佐の発言を即座に否定しているはずだ。よって、これは雪風が意思を伝える為に作り出した疑似人格で間違いない。そして、先程の問いに対して否定も肯定もしなかった事が自身のショックを和らげることに繋がった面はあると零は思う。これで「そうだ、私が雪風だ」などと堂々宣言されていたら、それこそ自分の常識が崩壊し、雪風に対する印象が全く別のものに変容しただろう。しかし、それは回避されたのであった。そして、どこかホッとしながら零は言った。
「ジャック、これはエージェントみたいなものだよ…雪風の。よって、これがすなわち雪風そのものとは言えない」
「そうかもな。人は誰かと話している時、無暗に地を出さないようにする。それだって、自分の代理人を無意識の内に心の内に作り上げて、都合よく喋らせているようなものだ。それと同じ意味ではエージェントだな」
しかし、ブッカー少佐の返事を零は心の内で否定する。雪風は「お前は雪風か?」という意味の問いに答えなかった。それはつまり、雪風はそれを肯定する材料を持ち合わせていないのかもしれない。雪風には「自分」という明確な概念を持ち合わせていない可能性も思い浮かぶ。そう考えると、あの疑似人格は「雪風が作り上げた役者」なのだとも思える。台本を作り上げ、それを役者が演技をして読み上げる…そうすれば性格を持った架空の人格を作り出す事ができる。つまり、あれは人間の思考をシミュレートし、それを基として「台本」に当たるものを作り出す。そして、疑似人格に演じさせたのだ。台本はこちらの反応を受けて随時追加されていく。そうすれば会話にも対応できるはずだ。
しかし、自分の考えとブッカー少佐の考え、どちらかが正しいとしても状況に変化はない。我々が話す事ができるのは雪風そのものではなく、雪風が作り上げたこのフォス大尉なのだ。
「ジャック、こんな話は不毛だ。雪風は雪風だよ、特殊戦一番機である雪風だ。FFR-41という体を纏い、幾多の実戦経験を持つ。それこそが雪風の自己だろう」
「普通の状況ならば、な。私達はそれを取り戻さねばならない。だからこそ、雪風の望む会議を続けようじゃないか。フム…そうだ、さっき言った奇跡も見せてやるよ」
そして、ブッカー少佐はスクリーンに向かって言う。
「フォス大尉。こちらの姿が見えるか?」
「ええ、見えます。少佐」
「私は君のすぐそばに立っている、それで合っているか?」
「合っています、少佐」
「では…雪風へ、こちらブッカー少佐。私を本来いる位置に戻せ。特殊戦司令センター内、エディス・フォス大尉の隣だ。会議はそこで続ける、その場にいるクーリィ准将や他の面々を加えてだ。さあ、命令を実行しろ」
それを見ていた零は心の中で思う。ああ、これが魔法の呪文とやらか…と。そして、スクリーン内の映像が一度暗転する。そして、再び映像が映る。それは司令センター内を広角で映したものだった。そして、フォス大尉の隣にはブッカー少佐が立っていた。入れ替わったかのようにこの部屋から消えている。宣言通りの奇跡が起きたのだ。ただし、画面は静止画だ。全てが止まっている。
「ブッカーさんが消えた…ワープした?」
「いや、不確定性が無くなったんだ。ジャックは司令センターにいる、本人が雪風にそう確認しただろう」
「なるほど、本来いた場所に位置が定まった、と…アイも同じ手を使ったのかしら」
「しかし、ジャックの持ち物はそのままか。サバイバルガンや使っていたヘッドセットは机の上に置き去りだ。よって、ジャックがここにいたのは間違いない」
「では、大尉殿が本来いるべき位置はどこなのかしらね?」
「それは決まっているだろう。雪風のコクピットだ」
「じゃあ、上に戻らないといけないわね…近くにエレベーターとかは無いのかしら」
ほむらがふと呟いた途端、室内に異変が起きた。
「おい、ほむら。何をした」
「えっと…上に戻らないといけないな、とぼんやり考えたら急にこれが現れて…特に何もしていないわ」
そこにはエレベーターがあった。スクリーンの前に突然現れたのである。
「なんてこった。これに乗ったらどうなるか…」
零の問いにアイが答える。
「何事もなく地上に出るでしょうね。無自覚とはいえ、そう願ってしまったのだから」
「フムン、それならば乗ろう。会議の続きは雪風の機内でやった方がいいかもしれない」
「そうね。後席は空いている?」
「ああ」
「じゃあ、そこで会議の続きを見学させてもらうわ」
零はブッカー少佐の残したサバイバルガンを抱えると、ほむらと共にエレベーターに乗り込む。一階のボタンを押し、扉の閉ボタンを押す。すると、扉は閉まった。内部はごく一般的なエレベーターと変わらぬ造り。頭上でモーター音が鳴るものの、エレベーターが動く時に生じる揺れは無い。
「このまま扉の前に雪風がいれば楽なのだが」
「そうね、大尉殿。この状況だとあまり歩きたくはないもの」
そして、地上に着いたらしく、扉が開く。そこは地下格納庫の地上出入口前であった。しかし、どうも靄が出ている。エプロンの視界は良好とは言い難い。零は雪風に向かって歩き出す。しかし、ほむらが零に声をかける。
「深井大尉、あの機体がどうかしたの?」
「何?」
ほむらの声でハッとする。目の前の機体は確かに別物だった。見たことも無い機体だ。前進翼、2枚の尾翼、独特な形状のキャノピー…しかし、機体にはFFR-41MRや B-503と記載されている。更にキャノピーの前にはやたら達筆な大きな字で「雪風」と書いてある。そして、キャノピー下の搭乗員名には「機長:深井零中尉」と書かれている。
「おい、ほむら。見てみろ」
「雪風と書いてあるけども…大尉殿、何か心当たりは?」
「いや、全く無い。こんな形状の機は見た事も聞いた事もない。しかし…あの機首に書かれた字はやたら達筆だ、誰が書いたんだ」
これはいったい?そう疑問に思っていると、キャノピーの方から無線の音声が漏れ聞こえる。零は興味本位で謎の機体の整備用インターホンにヘッドセットを接続、どうしても気になったのでこの無線を聞いてみる事にする。これはジャックの声か?
「おい、誰か…今、雪風の周りにいるか?どうも様子が変だ。トロル基地にいるという表示が出ている」
「ジャックか?」
「なんだ、監視カメラに映った人影は零だったのか。ちょうど雪風の側にいたのか…憲兵隊はどうした?雪風の周りを囲んでいたはずだが」
無線に繋がった。この機が勝手に繋いだらしい。
「フムン。ジャック、今どこにいる?」
「何を言っているんだ。今はバンシーのCICだよ、この撤退騒ぎで忙しくて周りはみんな殺気立っている。それよりも妙だ、雪風がおかしな表示を出している。確かにバンシーの格納庫内にいるはずなのに」
無線の先のブッカー少佐が話す内容が掴めない。未知の機体、未知の状況。そして、無茶苦茶を起こす魔法少女の存在。これは奇妙な事がまた起きたに違いない、先程のエレベーターのように。
おそらく、こいつは別の可能性の雪風をどこかの並行世界から引っ張ってきたのだろう…そこにいる魔法少女の影響によって。アイツ、今度は何を願った?それとも無意識に何かを起こしたか。だとすると、厄介な事になる気がする。このままでは何か大きなトラブルを呼び込みかねない。
「そうか、そっちでデータリンクの状態を見る事ができるか?多分面白いものが映ると思う」
「出来るが…なんだこれは!?おい、データリンク先にB-1雪風、B-13レイフ…?どういう事だ!?」
「さあ?もしかすると、これもジャムや何かの仕業かもしれないな。早く整備を呼んだ方がいい」
「可能性はあるな。交渉してみよう」
「ちょっと席を外すから通信を切るよ。グッドラック、ジャック」
「おい、待て…」
このままこの機の側にいるとどこか別の空に飛ばされそうな気がする。だが、この雪風に相応しいのは自分ではない。この機にはきっと別世界の俺が乗って戦うのだから。そして、零は謎の機体からヘッドセットを抜いた。すると、靄が晴れていく。それと共に謎の雪風も消えていく。そして、零は振り返ってほむらに言う。
「ほむら、今度は何を願った?アイツはどこかの並行世界の雪風に違いない、そいつを引き寄せたんだろう」
「そうは言うけれど…心当たりがないわ」
「フムン。無意識にこんな事象を起こしたとなると嫌な予感がする」
そして、零の一言に対してアイが言う。
「先程からSSCや雪風がほむらさんの身に何かが起こると警戒しています。不確定要素が増え続けている、と」
「なんだって?つまり、今起きた現象はその増えているという不確定要素の影響だと?」
「そうですね。彼女の周りは可能性が重なり合って不安定な状況になりつつあります」
「つまり、一刻も早くこの事態を収束させねば厄介事が増えかねないという事だな」
「ええ」
「では、終息に向けて動くしかあるまい」
零は端末を取り出す。そして、それに対してこう言った。
「こちら深井大尉。B-1雪風へ、合流したい。至急だ」
すると、見知った雪風が眼前に現れた。まるで今までそこにあったかのように。最早いちいち驚いてはいられない。零とほむらはラダーを登って機内に入る。前席に零が座り、後席にほむらが座る。メインディスプレイは起動状態であり、特殊戦司令センター内の映像が映っている。映像は相変わらず動く様子がない。静止画のままだ。
「司令センターは止まったままね」
後席のほむらは言う。
「おそらくだが。この状態が雪風の見ている現実なのかもしれない」
「つまり、世界はおかしいままだと?」
「ああ。だが、雪風はきっと条件が揃う事を待っているのかもしれない。会議に必要な人間が揃うまで待っているとか、そういったものだ」
「あり得るわね。そう考えると、この空間は時間なんて無関係なのね…時間に干渉できなかった理由が分かるわ」
「時間に干渉?」
「ただの魔法よ。使えなかっただけ」
すると、ディスプレイの映像が動き出した。
零は動く、この事態を収束させるために。
一方、特殊戦のコンピュータ達はほむらの周囲に起こるであろう異変を警戒していた。
当の魔法少女は困惑したまま。