「いいえ、ブッカーさん。あれはジャムではない…でも、化け物である事に違いはないわ」
暁美ほむらの視線の先にはもう一人の自分がいた。
「やっと会えたわね、別世界の私」
まるで空中にできた大きな丸窓のようなものの中にその姿があった。それと目が合ったほむらの背に嫌な冷や汗が流れる。周囲の特殊戦スタッフ達も困惑したようにその存在をただ見ていた。すると、アイがイヤホンへと音声を飛ばしてきた。
「あれはまずい…あれが来たらこの空間はきっと滅茶苦茶になりますよ。あの存在はまだ、こことはちょっと違う位置の空間にいますが…このままだといつかこちらの空間に来ます。おそらく、魔力で時空の壁に穴を作ってこじ開けながら進んでいるような状況でしょう。私が例のイカサマを使って何とかしますので、どうにかして時間を稼いでください。なお、STCとSSCにも協力を要請済。また、この音声は司令センター内の各特殊戦部隊員にも伝達しています。各員、最大限の警戒を」
時間稼ぎ?どうしろというのだ。ほむらは内心焦っていた。気をそらせて相手がこちらの空間へと侵入する為の作業を遅らせろというのだろうか。
「わざわざ別世界まで…あなたは何をしに来たのかしら」
ほむらは言う。そして、相手が返事を返してきた。地下の時と同じく、相変わらず演技じみたような口調だ。
「そうね…例えるなら、悪魔らしく契約の対価を受け取りに来た、といったところかしら」
「対価ですって?」
ほむらは驚く。対価だと?あいつは何を取りに来たというのか。そんなことを考えていると、ケラケラ笑いながらもう一人の自分が言う。
「そう。あなたが人間でいるって事は、もちろんまどかも人間…もしくは魔法少女なのでしょう?」
「まさか、この世界のまどかが目当てだと?」
「ええ」
なるほど、目当ては私が守ると誓った存在…鹿目まどか。相手も状態はともかく同じ自分なのだ、それは当然か。だが、このまま相手の思い通りにさせるつもりはない。しかし、自分だってこの世界の彼女がどこにいるのか知らないのだからどうしようもないのだが。
「でも、残念ね。ここにはいないわ。私もまだまどかに会えていないし、彼女の居場所も知らない。だから、諦めて帰って頂戴」
「そう。そこは見たところ…外国かしら。そこがどこの国の軍の基地か知らないけど、海さえ越えて、日本に行けばどうにでもなるでしょう。今の私なら簡単な事よ」
そう答える自称悪魔。冗談じゃない、ほむらは盾の中から武器を取り出そうとする。だが、何もない。
「嘘…武器が何もない!?」
「残念だったわね。その驚いた表情と反応、実に愉快だわ。その力は私が管理しているようなものよ…私の思い通りに変えることができる。でも、助かった。あなたがあの矢を二発も撃ってくれたおかげで、そこの場所の特定と道筋を作り出すのに役立ったわ。あれは私の魔力で作った矢なのだから」
相手は腹を抱えて笑いながら言う。あの魔力の出どころはやはりこの自称悪魔だったのか。ほむらは内心で頭を抱える。だが、それを表情には出さない。
「…で、この世界のまどかをどうするつもりなのかしら?」
「私が管理している空間に連れ帰る、そこで永遠に保護するのよ。人間の精神を持つまどかとして」
「それは正気で言っているの?」
「正気か、どうかしらね。そんなものはとっくに消えているでしょうね。なにせ、私は神と世界に喧嘩を売ったほどだから…もう何も怖くないわ。インキュベーターすらもね」
自称悪魔は微笑むとさらに言う。
「そして、私はその神という概念からまどかの精神を奪い取った…でも、やはり彼女の精神は変質していた。だから、どうやっても何かの拍子で元に戻ろうとしてしまうの。このまま繋ぎ留めておく事は出来ないわ。だから、変質していない素のままのまどかを確保し、保護するのよ」
「…あなたが何を言っているのかさっぱり分からない」
「あなたには分からないでしょうね。あんな事態を経験していないのでしょうから…ああ、もちろんあなたも連れて帰るわ。彼女には友達が必要でしょう。それに…最近は美樹さやかもすっかり腑抜けてしまってつまらなかったし。やはり、あなたは面白そうだもの…きっと、愉快な日常が続くに違いないわ」
自称悪魔はケラケラ笑う。それを聞いたほむらの背に冷や汗が流れる。どうやら、彼女はこの世界のまどかどころか自分まで攫うつもりらしい。しかし、抵抗するにも武器はない。どうする?アイは間に合うか?しかし、思いもよらぬところから言葉が飛んできた。
「君がどういう存在で、何をしたいのかは分からない。だが…日本に行きたいという君の望みは叶いそうにない」
ブッカー少佐が口を開いたのだ。
「何を言っているのかしら…部外者には関係ないわ」
自称悪魔から笑みが消える。そして、ブッカー少佐を睨みつける。
「部外者ではない、彼女は我が特殊戦管理下の人間だ。そして、ここは地球ではない。ここは…フェアリイ星だ。だから、この惑星上に日本は無いんだ」
「あなたは何を言っているの。つまらない冗談は嫌いよ」
「では、証拠をお見せしよう」
ブッカー少佐はヘッドセットを付けて言った。
「STCへ、こちらブッカー少佐。特殊戦施設内の気象観測システムにある恒星観測カメラに接続、映像をメインスクリーンに出せ」
<STC、了解。実行する>
そして、メインスクリーンに映像が出る。そこに映るのは連星の恒星。それを見た自称悪魔は一瞬言葉を失う。だが、反論してきた。
「太陽が二つ…?いえ、こんなものはCGの映像か何かでしょう」
「いいや。リアルタイムの映像で本物、この星の恒星は見ての通り連星だ。STC、基地監視カメラと作戦中のB-13からの映像を表示しろ」
<了解>
次々映像が表示される。それは地球には存在しない地形や植物が映ったものばかりであった。ほむらも続けて言う。
「これでも信じたくないというのなら…そうね、試しに時間を止めてみればいいわ。面白い事が起きるでしょうから」
自称悪魔はムッとしながらも時間を止めようとする。だが、できない。
「どうなっているの…時間を操作できない?それに、この映像は…何?」
「だから、ここは別の星だと言ったでしょう。もっとも、状況はそんな程度で済まないけれど」
あの自称悪魔は見るからに困惑している様子だ。それを見て、ほむらは冷静さを取り戻す。この星の異常さを知れば、相手は諦めて帰るかもしれない。そして、無線が飛び込む。
「なんて事だ、深井大尉。司令センターに暁美ほむらが二人いますよ」
「分かっている。戦闘に集中しろ、桂城少尉。こちらB-1、司令センターへ。ミッションはこのまま続行か?変なものが増えたら前提条件が変わってしまうぞ」
「こちらブッカー少佐。B-1へ、このまま継続しろ。帰りがけの駄賃は失うかもしれないが、最優先は通路の先を確認する事だ」
「了解。ほむらへ、早く何とかしておくんだ。そいつがそのままでは例の案がうまくいかないかもしれないぞ」
ほむらは机に置かれたヘッドセットを拾って零に返事を返す。
「深井大尉へ、了解。善処するわ。…という事で今忙しいの。このまま帰ってほしいのだけど」
「いいえ、帰らない」
帰る気は無いらしい。
「ここはあなたが想像できないようなとんでもない星よ。それでも?」
「まどかを救う事、それこそ私の使命よ。私と同じ存在なら分かるでしょう?可能性があるならそこがどこであろうと諦めない」
「前にも言ったけれど…物事には限度があるわ」
「限度?甘いわ、とにかく甘い。そんな事を考えていてはあの子を救う事はできないわ。生半可な手段では必ずろくでもない結末に至るのよ。私はもう何度もそれを経験してきた」
「だからって、別世界に連れて行くなんて行為はやり過ぎよ。今の世界の家族とまどかを引き離すつもり?きっと、悲しむに違いないわ」
「そんなものは問題にもならないわね。私の世界にまどかの関係者はみんな揃っている、記憶を弄れば問題ない。それでダメな場合でも対処は簡単よ、まどかが悲しむようならこの世界から人を更に連れてくればいい。そうすればみんな幸せでしょう?」
自称悪魔のとんでもない回答にほむらは言葉を失う。彼女には最早常識という概念が無いのかもしれない。そして、フォス大尉はポツリと呟く。
「一方的な感情ね。まさに独善的な」
それを聞いた自称悪魔は睨みつけながら言った。
「部外者に何が分かると言うの」
そして、ほむらは言う。
「彼女はメンタルの専門家よ、よく分かるでしょうね。いくら相手の認識や記憶を弄ろうとも、一方的な感情は必ずどこかで相手とかみ合わずにすれ違うわ。そうね…人間と偵察機のコンピュータとの間ですらそんなすれ違いが起こるのよ、人と人との関係ならなおさらね」
「人と偵察機…?訳が分からないわね。あなたは何を言っているの?」
ほむらは帽子を被り直す。そして、自称悪魔の目を見据えて言う。
「最近、ここでそんな話を聞いたのよ…まあ、あなたには分からないでしょうけど。自分が相手を一番理解し尽しているというある種の独占欲、相手との認識の違いによるすれ違い…あなたも相手の持つ価値観を再確認した方がいいわ。そうでなければうまくいかずに絶望するだけよ。今飛んでいるどっかの誰かみたいに…さあ、もういいでしょう。これからこっちはインキュベーターと魔女のいない地球を選び抜かないといけないの」
「魔女とインキュベーターのいない地球ですって?…そんな事できるわけがないわ」
「ここは別の世界よ。あなたの知る常識が通じるとでも?さっきみたいに可能性を掴み取るだけよ」
<SSC:The coordinates of the attack target are called Ω...>
「ふざけないで!私とまどかがどれほど苦労したと思っているの!?あなたは何の犠牲も無しに理想的な世界を手に入れる…そんな事、とても許せない…」
「だから、どうしたの。私…いえ、私達には関係ないわ。あなたの世界の苦労なんて知った事じゃない」
<AI:Standby. Start attacking coordinate Ω.>
<STC:Ready...>
「そう…やっぱりあなたは私とは違うわ。価値観が違う。話をしても無駄ね…まあ、いいわ。あと少しでそちらにたどり着くもの」
「フム…このままこちらに来たとして、あなたにあれと戦う覚悟はあるのかしら」
ほむらは画面を指さす。レイフがリアルタイムで送ってきている映像だ。そこに映っていたのはジャムである。
「あれは…あれはいったい何…?」
「ジャムよ。この世界の敵。誰にも理解できないであろう存在よ。次元の壁を破ってこちらに来るというのなら、あなたはあれに付き纏われる事になる」
<AI:Attack. The attack on coordinate Ω was successful...>
<B-1:roger>
突如、自称悪魔の表情が歪む。
「何よ、これは…出口が無数に散らばっていく…?いったい何が?」
「さあ?もしかすると妖精の仕業かしらね。ここは妖精の空だもの」
空間に浮かぶ靄が小さくなっていく。そして、自称悪魔との距離が離れていくような気がした。これはアイや機械知性体がうまくやったのかもしれない。そして、ノイズ交じりの無線も飛び込んできた。
「空間受動レーダー異常なし、最大出力。エンジン系統、酸素系統、油圧系統、電子機器、各計器正常。電子戦システム正常…機長、準備完了」
「こちらB-1、通路への突入開始。全速力で通路に突っ込む」
「こちら司令部、了解。グッドラック。こちらの問題も片が付きそうだ」
「B-1了解。そちらも幸運を…残り20秒で突入。ほむら、うまくやれよ」
もう時間がないらしい。一か八か願ってみるしかないか。
「人間のまどかを手に入れる最大のチャンスが…そんな、あと少しなのに…」
自称悪魔の声と靄はそこで完全に消えた。これで巨大な問題は消えた。
さあ、うまくいくかは分からないが、可能性を掴み取らねば。
雪風が、うまく邪を祓いますように。
戦闘終了。
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