死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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Prologue
閉ざされた地獄にて


 無機質な施設の内壁を、緊急事態を示す赤色灯が舐めあげる。

 

 施設を管理するシステムが、異常事態を察知して施設全体をロックダウンしたためだ。通常の照明がダウンし、補助電源に切り替わってもう半日。つい先程まで聞こえていた保安職員の抵抗を示す銃声も、換気ダクトを通じて聞こえてきた悲鳴を機に一切が途絶えていた。

 

 つい四八時間前までは職員が行き交っていた通路は血に染まり、すぐ目の前、研究室のロックされたドアにもたれかかるようにして、同僚の女が息絶えていた。

 

 アリッサ・ヘムズワースの人目を惹くほっそりとした横顔に、深い悲しみと憐憫の色が浮かんだ。それを見る者がいれば、彫像のように美しい横顔に目を釘付けにされただろうが、もう長らくこの施設内で人とは出会っていない。事態が悪化して以来シャワーを浴びる余裕もなく、血のついた指でかき上げた色素の薄いブロンドの髪先が、かすれた赤褐色に汚れていた。

 

 もたれかかっているのはレイラの亡骸だった。若いが優秀な研究員で、アンブレラにヘッドハンティングをうけてここへ来た。遺伝子学の若き天才の一人。一人で暮らす病弱な母親の養育費と治療費を稼ぐのだと息巻いていたのを思い出す。

 

 この研究施設が閉鎖され、漏洩と感染の拡大が抑制不能となってなお、最後まで母親の心配をしていた。最後に見たのは、死んだ保安職員の銃を手にし、外部に連絡を取りに行くと言った彼女の背中だった。

 

 結局、外部との唯一の通信を可能とする管理室へたどり着いたのは、サンプル保管室への迂回路を取った自分だけ。レイラの恐怖に引きつった瞳の白い濁りを見、弾の切れた拳銃を握りしめ、喉を深々と鋭利な刃物でえぐり落とされた彼女の首の傷跡を確かめる。

 

 喉から吹き出た血はすでに固まっており、ほとんど一瞬、たったの一動作で切断されたことを伺わせた。首はうなじの皮膚以外を残さず、鮮やかに切断されている。保管されていたαタイプが脱走し、施設を闊歩している証。脱落しかけの頭部を、あるべき位置へ戻してやる。

 

 保安職員が全滅するわけだわと内心にため息を吐き、最後の瞬間まで母思いだったのだろう、心優しい娘のまぶたを下ろしてやる。首が落とされていては()()心配はない。

 

 もう、生き残っているのは自分だけだろう。

 

 アリッサは切れ長の瞳に苛立ちをにじませ、右手に握る拳銃を意識した。ベレッタ84FS、護身用と“失敗作”の緊急無力化措置のために会社に要求した中型のオートマチック。

 

 装填している分と、使いかけの弾倉が一本。保安職員の持つ9ミリ・パラベラムと同口径だが威力の劣る.380ACPを詰めたそれだけが、今彼女の命を保証するものだ。

 

 そこまで考えて、足に擦りつく毛並みの感触が思考を断ち切った。

 

「わざわざ起こしておいて考え事だなんて、良くないわね」

 

 足に絡みつく白い毛並み。ゴワゴワとしているが、しかし肌触りのいいそれ。腰丈程はある大柄なシルエットは、ウルフドッグのそれだが、体長は二メートルにせまるほど。

 

 ソレは自分の成果の結晶。他のセクションで開発される()()はいずれも不安定で制御性が著しく低い。スタンドアローンでありながら、コントロール不能な兵器などナンセンスの塊であり、他の施設と独立したこのラボではその兵器らをより高い制御水準へ持ち上げることが目的とされた。

 

 その結果生み出されたのが、このウルフドッグだ。軍用犬は兵器の買い手である軍組織にとって馴染み深い生き物であり、異形というより他ないアンブレラの他の産物に比べて、外見の醜悪さにより買い手が拒否反応を示すこともない。

 

 結局、雇い主のアンブレラが求める変異性と攻撃性に欠けるとされ、あくまでサンプル止まり、量産もされなかった個体だが、制御性能に関しては申し分ない。開発としつけを受け持ったアリッサの言うことを忠実に守る忠犬。目に見えて特異性を示すのは、そのひどく大柄な体躯だけだが、その体内には調整を受けたTの系譜がたっぷりと注ぎ込まれている。

 

「心配無いわ、アル。あなたがいるもの」

 

 飼い主の不安を嗅ぎ取ったか、向けられる忠犬の眼差しがほんの僅かな嫉妬をにじませた気がして、アリッサは鼻先を押し付ける大きなそれの首筋へと手を触れた。そうだ、自分にはベレッタ以上に頼るべき我が子がいる。

 

 開発の結果高い知能を有することになったソレ。安定性は高いものの、Tブラッドを有する個体。アンブレラから変異性の低い失敗作と目されていようと、生命の危機に陥るか、何かのトリガーで変異を迎えないとも限らない。

 

 それでもアリッサが保管室へ向かってアルを目覚めさせたのは、この状況で拳銃以上に頼れる手札はこれしかないと判断したからだ。それに、とすり寄るアルを撫でながら内心に呟く。

 

 人との意思疎通などできようもないバケモノども、タイラントシリーズやαの系列とちがい、唯一自分で最初から手掛けたB.O.W。愛着がないわけがない。最低限度、意思疎通が図れるのならなおさらだ。Tに感染して変異しただけの“ケルベロス”などという大仰な名の駄犬とはわけが違う。

 

「行きましょう、外部との連絡は取れたわ。あとは……私達に運があれば、あるいは」

 

 アリッサはしばらくアルの毛並みを撫でてやると、おもむろに立ち上がった。先程苦労して入った管理室で、外部への連絡を行ったばかりだ。一つはアンブレラ、そしてもう一つは……。

 

 外の状況は不明だが、アンブレラはこの状況下では信用に値しない。管理室のログを見る限り、この施設のロックダウンは外部のマスターコードによって発令されていた。意図的に閉じ込められた可能性すらある。

 

 今自分が信用できるのは、もう一つの連絡先。

 

「もうすこし、得られるものがあったはずだけれど」

 

 誰にでもなく呟く。アンブレラという強大で底なしの狂気を孕んだ一大企業、その中身を余すことなく見聞し、すべきことを理解したアリッサが外部へのコンタクトを取って一年と少し。

 

 政界にすら深く食い込むアンブレラの目をかいくぐり、少しでも信頼できる接触先を見つけるのに苦労した。本来ならもう少し手土産になるものを用意したかったが、こうなっては仕方がない。

 

 命に代えられるものはない。あとは、こちらのために工作員を現場に忍ばせたというコンタクト先が、自分にどこまでの存在意義を見出しているか。そしてこちらの離反をアンブレラが感づいたかどうか、だ。管理室からのコンタクトは苦肉の策、察知される危険性はあるがやむを得ない。

 

 どちらにせよ、救助がくるまでにするべきことは山ほどある。アリッサは拳銃を握りしめると、血に塗れた通路をゆっくりと進み始めた。

 

 行く先にどれほどの怪物が立ちはだかろうと、安々と死んでやるつもりはない。

 

 

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