死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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 お休み回。
 ストック切れたのでまたしばらく空くと思います。

 まあストック分がまた増えるか元気になってきたら気合で戻ると思うので、ゆっくり待っていていただければ幸いです。



託されたもの

「あんたらは? 陸軍? 海兵隊じゃなさそうだけど」

 

 泣きじゃくるシャーロットをなだめ終えて少ししてから、リアムはデスクのライトを点けるとそう問いかけた。明かりを受けてよりはっきり見えるようになった彼の顔は、マイケルが見せた写真より幾分成長しているように見える。

 

「なんでそう思う、坊主」

 

 マディソンが逆に質問で返した。彼は上階で使える備品がないかを探し回るジョエルらが見つけた缶詰を開封し、スパムを卵と炒めて夕食の用意を始めていた。焼ける加工肉の、塩気をたっぷり含んだ香りが、丸一日何も入れていない胃に響く。

 

「そんなにだらしない髪、海兵隊じゃだめだって、おじさんが」

 

 それに坊主じゃないと言い返したリアムが示したマディソンの髪は、耳にかからない程度ではあるが伸ばし気味だ。それはヴラッドも同じで、いま上階で備品のチェックと警戒に忙しい二人も、毛髪はある程度好きに伸ばしている。U.B.C.Sの身だしなみ規定は緩い。

 

「俺たちは陸軍でも海兵隊でもない。アンブレラの救助隊だ」

 

 ヴラッドがそう応えると、ああ、とリアムは納得した様子で頷いた。子供でも、この街がアンブレラの大きな影響を受けていることは知っているらしい。

 

「じゃあ、ヨーヘイってやつなんだ」

「良く知ってるな」

「おじさんは好きじゃないって言ってた。金がすべてのろくでなしだって」

 

 口の悪い坊主だと、マディソンはまだこちらへの警戒を解いたわけではないリアムの眼差しを受けつつ鼻で笑う。おそらく10代なかばにまだ届かぬリアムだが、育ての親の影響か、この環境が彼をそうさせたのか、年齢不相応な警戒心と利口さを備えているように見えた。

 

 実際、疲労を顔ににじませながらも、彼は調理に勤しむマディソンの手元と、ヴラッドの動きを用心深く観察している。

 

「おじいちゃん、大丈夫?」

 

 しばらくぐすぐすと鼻を鳴らしていたシャーロットが、こするせいで目元と鼻を赤くした顔を、リアムの後ろからのぞかせて問うた。

 

「大丈夫だ。我が隊の主力と一緒にいる。ここよりよほど安全だよ」

「そう……なら、よかった」

 

 シャーロットは理解できない部分があったのか、小さく首を傾げたが、安全という言葉に素直にうなずいた。リアムより少し年下らしい彼女の髪は蜂蜜色をしていて、肩丈できれいに揃えられている。パチリとした大きな瞳はスカイブルーだ。可愛らしい少女だった。

 

「そら、食え。んで、寝ちまえ」

「今すぐ出るんじゃないの?」

 

 焼き終えたスパムと卵を皿に載せ、戸棚から引っ張り出したパンと一緒に兄妹へマディソンが差し出すと、リアムはすっと通った鼻筋の下の、薄い唇をへの字に歪めた。

 

「夜間に子供を連れて引き返すのは、おっかないんだとよ」

 

 そう言ってマディソンはこちらを指し示すと、自分たちの分の用意を始める。よほど空腹だったのだろうシャーロットが差し出された皿を引き寄せ、小さな手でパンをちぎって口に運ぶのをよそに、リアムは何故と問う眼差しをこちらへ向けた。

 

「上の二人を含めて、俺達はもう降下してから20時間以上も食わず寝ずで動いてる。その上で、君たちを抱えて戻るのはリスクだ。だから夜明けを待つ」

「20時間も?」

 

 リアムが眉根を寄せた。動作がいちいち大人びているのは、スティーヴンの影響も大きいが、彼自身の大人になりたいという欲求の影響もあるのだろう。少し言葉を交わした程度だが、物怖じしない言葉選びからは、甘く見られたくない、そんな頑なさが感じられた。

 

「そ、二〇時間。こいつは二〇時間休み無く俺たちの指揮を執ってる。だから、俺達にも少し休みをくれよ、坊主」

 

 あんたらすごいんだな、と呆れとほんの僅かな敬意を含んだ眼差をこちらに向けたリアムは、おとなしく自身の分の食事に手を付ける。

 

 ヴラッドは、会話の間に簡易的な整備をしたM4カービンのボルトをアッパーフレームに押し戻し、上下を結合させるピンをはめた。

 

 スティーヴンの自宅は、彼自身がかなりの銃器愛好家だったのか、役に立つものが多く残されていた。兄妹が身を潜めていたデスクのリロードマシンもそうだが、潤滑剤は特にありがたい。

 

 発射ガスを途中で組み上げてボルトへ直接噴射する動作機構の都合上、M4/M16系の機関部、ことにボルトキャリアは汚れが溜まりやすい。もちろん、巷で言われるようにちょっとした汚れで即動作不良になるわけではないが、補給が望めないこの状況下では、こうして休憩できる間に整備を行えるというのはありがたい話だ。

 

 ヴラッドは拝借したウエスと洗浄剤でボルトのカーボン汚れを落とし、数百発の射撃で完全にドライになったボルト可動部にたっぷりのオイルを塗り込んだばかりだ。ここまできれいにしておけば、あと一五〇〇発は余裕で発射できる。

 

 その様子を時たま興味深げに観察していたリアムが、ヴラッドが腰から抜いた拳銃を見て片眉を持ち上げる。

 

「変な銃」

「よく言われる」

 

 HK P7の複列弾倉を引き抜き、薬室の弾を取り除きながらヴラッドは頷いた。

 

 P7は独特の動作機構を複数持つが故に、その形状は他の拳銃と比べて奇妙な部分が多い。スライドの背は低く全長も短いが、グリップの前後幅は広い。

 

 特にスクイズコッカーが曲者であり、これによって前後幅が大きくなったために、手の小さい人間には握りにくい代物となった。

 

 が、スクイズコッカーによって撃針を後退し発射を可能とする機構上、意図してしっかりと握り込まないと射撃が行えないため、安全性は高い。スライドリリース機能もこのコッカーと連動しており、運用には習熟が必要とされるが。

 

「こいつはスライドの背が低い。銃身線がその分腕のラインに近くなっているから、反動制御がしやすいんだよ。それに、ショートリコイル式と違ってバレルは固定されているから、精度もでる」

 

 リアムはまだまだ子供だが、銃を扱う手付きから射撃はしっかり仕込まれていると判断して、ヴラッドはざっくりと自分がこの銃に感じる魅力を説明してやる。それを聞き、理屈は理解できたらしい彼が頷くのを、横目に見ていたマディソンが小さく笑ったようだった。

 

「こいつはマニアだからな」

 

 俺は支給品で結構、とマディソンは自分の太ももに収まるシグを示す。汎用性が高く信頼のおける拳銃だが、ヴラッドはあまり好きになれない拳銃だ。

 

「リアム、君のルガーを見せてくれるか」

「なんで」

「気になる。いい銃だ。それはスティーヴンが?」

 

 大して使っていないおかげで、P7のコンディションは綺麗なまま。それを確かめて、リアムが自分の目の前においた拳銃を示すと、彼はソッチのを触らせてくれるならと返した。

 

「おじさんが、俺にって。最初は小さいのから始めろってこれを」

 

 弾の入っていないP7を渡すと、リアムは同じように弾倉と薬室の弾丸を抜いたスタームルガーを差し出した。

 

 MkⅡモデル、グリップをラバーの滑りにくいものに交換してある。サイトも手を加えたのか、大型でリアサイトの溝が幅広に取られていた。精密射撃に使うサイトはタイトにするものだが、余裕をもっているということは、実戦かそれに準ずる射撃競技向けなのだろう。

 

 グリップの真上、機関部のあたりにリアムの名前が彫り込まれている。

 

 握り込み、構えてみる。リアサイトの幅が広く、フロントサイトも大きくされているおかげで照準点を見つけやすい。これを組んだ人間の、銃というものに対する意識と考え方がよく分かる。

 

 いい銃だ、掛け値なしに。それを確かめ、ボルトを引いてよく整備されていることを確認すると、リアムへと返した。

 

「握りにくい、好きじゃないな、それ」

「みんな言うよ。そのルガーはいい銃だ。スティーヴンは、銃のことをよく知ってる男だな。君のための銃だ、大事にしろ」

 

 素直な感想を口にし、入れ替わりで返却された拳銃に弾を込め腰に戻す。ルガーを受け取り、掘られた名前を指でなぞったリアムの手に、小さなしずくが落ちたのが見えた。妹を守る間ずっと張り詰めていた緊張が緩み、ようやく育ての親が死んだ事実が飲み込めたのだろう。

 

 小さく嗚咽を漏らす彼の背中に、話を聞いていたシャーロットが額をくっつけて抱きついた。肩を震わせ、唇をかみしめて泣き声を殺す彼を見、同じように再び濡れた瞳を伏せた妹から目をそらすと、ヴラッドはマディソンが差し出した自分の分の食事に手を付けた。

 

 塩気の効いたスパムは、ずっと走り回っていた身体によく染みたが、味はぼやけて曖昧に思えた。それが体の疲れのせいか、精神的な疲労のせいかも、もはやよくわからない。

 

 

 

 食事を終え、兄妹をリアムの寝室へと連れて行くと、見知らぬとは言え武装した大人に囲まれている安心感からか二人はすぐ眠りに落ちた。ヴラッドはそれを確かめ、部屋の外に座り込んで、仮眠を取るために目を閉じる。

 

 そして、小さな物音で目覚めた。

 

 どのくらいの間眠っていたのかはわからないが、手足の先に詰まった疲労はましになっている。鈍い脳みその動きも多少は改善されていた。

 

 音のした方向、リアムとシャーロットの眠る部屋へ目を向けると、薄く開いたドアから、周囲を伺うようにシャーロットが顔をのぞかせた。

 

 視線が合うと、驚いたのか向こうが引っ込む。そしてしばらくして、再び様子をうかがうように顔をのぞかせた少女は、申し訳無さそうに目を伏せた。

 

「おこしちゃった?」

「大丈夫、仮眠だ。どうした」

「トイレ」

 

 端的な返しになるほどと笑って、それから立ち上がる。硬い床に座ったまま寝たせいか節々が痛んだが、食事と睡眠のおかげでコンディションはかなりマシだ。少なくとも、体の具合は悪くない。

 

「行っておいで」

 

 こくりと、少女が小さく頷いてそっとドアを締める。薄い青のワンピースの裾が揺れ、シャーロットは暗がりに目をすがめた。ヴラッドがフラッシュライトをつけてやると、小さく愛らしい笑みを浮かべてありがとうと小鳥のような声音でささやく。

 

 が、彼女は少し進んで、どこか遠くで響いた銃声にビクリと身体を震わせ、こちらへと急いで戻ってくる。そのまま、立ち上がったこちらのベストの端をつかみ、くいくいと引っ張られては仕方がない。

 

「わかった、ついていけばいいんだな」

「……ごめんなさい」

「気にしないでいい。怖いものは怖い」

 

 思えば、自分も子供の頃はなんにでも驚き、夜は毛布をかぶって寝ていたなと、懐かしい記憶に思わず口元がほころんだ。そのたびにそれを父親にからかわれてムキになったのも、いまだに覚えている。

 

 その意味をどうとったのか、不思議なものを見る眼差しをむけたシャーロットが、首を傾げた。

 

「おじさん……お名前は?」

「ヴラッド・ホーキンス。ヴラッドで構わない」

「ヴラッドおじさんも、怖いと思う?」

 

 主語はないが、それが自分たちを取り巻くこの状況を指しているのだろうことは容易に察せた。ヴラッドはゆっくりと頷き、ああと声に出して肯定してやる。

 

「怖いね。兵隊になって長いが、怖いものは怖い。戦いは何時だって怖いんだよ」

「お父さんも、怖いって言ってた」

「当然だ。命が危ない状況は怖い。それを怖いと素直に感じるのは、悪いことじゃない。怖いと思う気持ちは大事なものだ」

 

 そうなんだ、と喜びの浮かぶ目を細めたシャーロットを見下ろし、小さな手でベストを引っ張る彼女についていく。身長差は大きく、ベストを引っ張るためにつま先立ちの彼女の手を握ると、背を屈めてやった。

 

 小さな手は暖かく柔らかかった。銃を撃ち、ナイフを振るい、地べたをかき分ける自分たちの手とは違う子供のそれがこちらを握り返して、ざらつく皮膚を指先で確かめるように撫でる。

 

「ここで待っててくれる?」

「もちろん、約束する」

 

 トイレへたどり着き、明かりをつけたシャーロットが閉じかけのドアからこちらを見つめて問いかけた。頷いたヴラッドは、洗面台に腰を乗せて首をゆっくりと巡らせる。凝り固まった首筋が鈍く痛んだ。

 

「交代の時間だから起こしに行こうと思ったが、なんだ、子守か」

 

 ライフルを肩に提げたクラヴィスが現れ、ライトをこちらへ向けて歩み寄る。彼は先にこちらを休憩させるために、あれからずっと接近する死人の警戒と、小隊本部への定時連絡を行っていた。その後ろにいるジョエルは、流石に疲労がピークに達したらしく顔をしかめて目頭を揉んでいる。

 

「子供の頃、夜中のトイレは怖かったろ」

「身に覚えがありすぎてつらいな。……しかし、無事で何よりだ」

 

 顎でトイレの方を示したクラヴィスの声は、疲労と超過活動でわずかにかすれていたが、それでも柔らかく満足げだった。

 

「来た甲斐があったろ。あとは、二人を守りながら死人を押しのけて帰るだけだ」

「お前さんのおかげで、多少はいい気分だ。帰るのは骨が折れるがね。もう弾は半分切ってるぜ?」

 

 クラヴィスが自分のS.O.Eベストを示して言った。弾倉は廃棄せずポーチに戻しているが、彼のライフル弾薬はもう半分以下のはずだ。それ以外の人間にしても、一人あたり6割程度。

 

 足が遅く、危機的状況ではどう動くか分からない子供をつれて移動するとなると、相当数の死人との交戦を想定しなければならない。移動経路も、今までの所要時間のさらに倍を見込むべきだろう。

 

「弾薬は、もしかしたら補充が効くかもしれない」

「あてがあるのか」

 

 ジョエルが問いかけた。彼は気付け剤代わりのタバコに火をつけ、ゆっくりと穂先を明滅させている。弱々しい明かりが照らす彼の顔はやつれていた。無理もないだろう。

 

「寝かしつける前にリアムから聞いたが、地下のガンロッカーにライフル用の弾薬があるらしい。持ってる銃を聞いた限りだと、.308と.223は補充できる」

「ならまあ、多少期待しておく。クラヴィス、マディを起こして交代だ」

 

 おう、とジョエルに応じたクラヴィスが手をひらひらさせながら立ち去る。それを見送り、現在時刻を確かめたヴラッドは、時計の時針が一時を示しているのを見た。

 

「ノーマッドから小隊本部、応答願う。ノーマッドから小隊本部」

 

 無線の周波数が正しいことを確かめ送信する。少し待つと、電子ノイズのあとに声が続いた。

 

『こちら小隊本部、ノーマッド、感明よし(RC)。無事か』

「こちらノーマッド。なんとか。すでに報告が行っていると思いますが、民間人二名を保護、現在潜伏中。夜間行動は危険と判断し、明朝行動再開予定。帰着時刻は現在未定、無線は発見できず」

 

 無線から帰ってきたハリーの声は、彼が地下を抜けて無事にたどり着いたことを示していた。ようやく小隊指揮官を取り戻し、組織的な活動を再開する目処がたったのは、不幸中の幸いだ。

 

『了解した。こちらは現在一九名。地下を移動中に、報告を受けた“ネイルフロッグ”と交戦し戦死(KIA)一名。負傷者は変わらず三。また近隣の捜索活動を行った結果、民間人六名を新たに収容』

「くそ、了解。残念です。負傷者の具合は」

『現状、市民と隊員あわせて5名が負傷、別階層に隔離して様子を見ているが、発症する様子はないが容態は悪化しつつあり。また、市民から感染症に関する情報が隊員に伝わった。士気は高くない』

「まいったな」

『負傷者は隔離環境に置いて、衛生兵と別に歩哨を二名つけた。こっちはひどい有様だ。そうなる前に処置してやるべきと解く人間もいれば、それは人道に反するって意見もある』

 

 ハリーの声には疲れが滲んでいた。当然だろう。噛まれた以上負傷者の発症は避け得ないが、だからといってまだ生きている部下を射殺すればそれはそれで士気に大きく響く。とはいえ、危機管理の観点からそうなる前に始末するべきという考えにも利はある。

 

 この状況下で指揮を執り、判断を下すのがどれほどの苦痛か、想像できないほどヴラッドも阿呆ではない。すくなくとも、自分ならそんな状況は御免こうむる。

 

「ガルシアは、どっちですか」

『即射殺だ。チャベスはじめ、何人かが彼に同調する動きもある』

 

 でしょうねと、ため息交じりのハリーの返答に頷いた。昼間に彼の黒い噂を聞かされるまでもなく、ガルシアがどう考えるかはわかりきっていた。一年も同じ小隊として活動すれば、合理以外の判断を持たないあの男がどう動くかは想像できる。

 

『いまのところ、ガルシアはこちらに従ってはいるが、状況が悪化した場合どうなるかはわからん』

「他小隊は」

『手持ちの無線で小隊間周波数と各分隊内周波数に呼びかけた。応答したのはデルタ小隊のミハイルと、ブラボーの数名。デルタは無線の不調か交信中に途絶したが、ブラボーの残存人員とは現在も交信中』

「了解。こちらは0630移動開始予定、民間人の移送を優先します。ところで」

 

 ヴラッドは現状方針と最新情報の伝達を終えて話題を切り替えた。

 

『なんだ』

「マイケルはいますか。いま、兄妹の一人が起きているので、声を聴かせてやりたいと思いまして」

 

 無線の向こうから、小さな笑い声が聞こえた。

 

『いや、もう寝てしまっているだろう。起こすか?』

「いえ、無理に起こす必要はありません。二人は必ず無事にそちらに届けます」

『期待している。交信終わり』

 

 無線を終えて時計を見る。行動開始は六時間半後、その間に済ますべきことが幾つかある。それを頭の中に順序立てる間にトイレを流す音がして、やや間をおいて、ドアがほんの僅かに開いた。

 

 隙間から洗面台の様子を確かめるシャーロットの姿は、向かう先の危険を確かめる小動物のようだった。しっかりと約束通り待っていたこちらへ笑みを向ける。

 

「ありがとう」

「構わないさ。俺も昔親父にお願いした」

「そうはみえないけど」

 

 シャーロットはこちらを見上げ、本当かしらと言いたげに首を傾げる。ヴラッドはそれを見、この少女からすれば自分はそういったものとは無縁の存在に思えるのだろうなと目を細める。

 

 一九〇に迫る身長、がっしりと筋肉を備えた体躯。東欧系の血を引く彫りの深い眼窩に埋め込まれた瞳の深い青は、少なくとも夜のトイレを怖がる少年時代があったようには見えないだろう。

 

「本当だ、嘘はつかない。昔は俺も怖かった。親父以外にそれを頼める相手もいなくて、いつも夜中に親父を叩き起こしてた」

「お母さんには、頼まなかったの?」

 

 問いかけながら、シャーロットがこちらへ手を伸ばした。その手を握り、ゆっくりと子供の歩幅に合わせて歩き出す。

 

「居なかった。俺が生まれてすぐに死んだらしい。写真でしか顔は知らない」

「……ごめんなさい」

 

 こちらの返事にパタリと足を止めたシャーロットが足を止めて小さく謝ると、ヴラッドは小さく笑って答えた。

 

「謝ることじゃない。別にそれを不幸だとは思わなかったし……答えた俺が悪いな」

「お母さんがいなくて、寂しくなかった?」

「親父と、爺さんが良くしてくれた。まあ親父も忙しくてあまり家には居なかったんだが」

 

 わたしは寂しい、と。消え入りそうな声がこぼれる。自分にとり、母親は最初から存在しなかった。自分を産み落とし、産後の肥立ちが悪くてすぐに亡くなったと聞いている。他人の母親が羨ましく思えることはあっても、寂しいと思うことだけはなかった。

 

 最初から居ないものの不足を感じることはない。

 

 しかし、シャーロットからすれば、幼い頃のことであっても母親の記憶は残っているはずだ。寂しく思うのも無理はない。まだ幼い子供であれば自然なことだ。

 

「ヴラッドのお父さんはどんな人?」

「貧乏白人、南部の荒くれ者(レッドネック)、喧嘩っ早くて、機械音痴で、頑固なおっさんだった」

 

 さあ、もう眠ったほうがいいなとヴラッドが手を引いてやると、シャーロットはまだ眠くないのと首を振る。外で死者の呻きが長く尾を引くたびにそちらへ目を向けはするものの、大人の自分が一緒である安心感があるのか、寝床へ引き返す気はまだなさそうだ。

 

「レッドネック、知らない言葉」

「良くない言葉だから、教えたことは秘密だ。マイケルにもリアムにもな。もちろん、使わないこと。約束できるかな」

「約束。誰にも言わないし、使わない」

「それでいい。まだ眠くないのなら、ホットミルクでもどうだ」

 

 小さな笑みをたたえて頷いたシャーロットの手を引き、キッチンへ向かう。幸いいまだに電力供給は続いているし、多少の生活音程度では死者は寄り付きそうにない。一日を通して、市内各地で鳴り響く銃声が散発的な戦闘と生存者の存在を告げている。

 

 冷蔵庫を開け、ミルクのパックを出す。容器はどうするかと見回すと、シャーロットが背伸びをし、届きそうにもないシンク上の棚を開けようとしていた。そこの戸を開け、彼女がそれと指差した、猫のプリントされたマグカップを取り出す。

 

「おじさんは、そっち」

 

 彼女が指差したのは使い込まれたアルミマグだった。それを手に取り、表面皮膜が剥げ落ちたマグの表面を指で撫でる。来客用にしてはかなり頻繁に使われているらしい。

 

「これは、スティーヴンのか。いいのか?」

「お父さんは、怒らないと思う。それに、ほかにないから」

 

 言われて確かめれば、棚の中にあるマグはあと一つだけ。残りはおそらくリアムのものだろう。ヴラッドはマグを二つ置き、コンロの上に置き去りにされた手鍋にミルクを注いだ。

 

 火にかけ、子供がやけどしない程度の温度に温めたそれをマグに注いでやると、マグを二つ持ってリビングのテーブルへ。ソファに並んで腰掛けたシャーロットにマグを渡すと、彼女はそれを両手で包んで背を丸めた。

 

「お父さんもよく、眠れないときにホットミルクを作ってくれた」

「いいお父さんだったんだな」

 

 小さな頭が縦に揺れた。ヴラッドは自分の分のホットミルクに口をつけた。何年、ひょっとすると十何年かそれ以上ぶりの柔らかい味だ。

 

「ヴラッドおじさんは、兵隊さん?」

「兵隊だった、だな。今はアンブレラに雇われてる」

「兄さんが言ってた、ヨーヘーっていうお仕事?」

「そう。国に属するんじゃなくて、会社とか金持ちとか、誰かしらと個人的な契約でつながっている兵隊のこと」

 

 ふうん、とシャーロットが分かったような分かっていないような、曖昧な頷きを返した。ヴラッドは自分に向けられたスカイブルーの瞳を見、警戒心のない、子供らしい真っ直ぐな眼差しを受け止める。

 

「その前は、どこかにいたの?」

「陸軍に。スティーヴンは海兵隊だったな、そう言えば」

「そう、だからヴラッドおじさんとお父さんはちょっとだけ違う」

「ちょっとだけ、ってのは?」

 

 それは秘密と、唇の上にミルクをつけたシャーロットが微笑んだ。花のような笑顔だった。手にしみるミルクの温かみと同じく、もう随分と接してこなかったものだ。殺すか殺されるか、それ以外に何も持たない自分の人生では、おそらくこれから触れることは無いだろう屈託の無さ。

 

「お父さん、死んじゃったんだよね」

 

 ふと、その笑顔に陰が落ち、シャーロットが視線を手にしたマグの中で揺れるミルクへ向ける。白い水面を見つめたままの彼女に、ヴラッドは頷いた。

 

「ああ。死んだ」

「ヴラッドおじさんが撃ったの?」

「……そうだ。俺が撃った」

 

 沈黙が降り、ヴラッドは自分の分を飲み干して、彼が生前愛用していたのだろうマグをテーブルに置く。泣くでも無く、撃ったことを責めるでもなく、ただ黙り込んだ少女は、しばらくしてからゆっくりと、言葉を選ぶように言った。

 

「お父さんは、病気にかかって起き上がった人は、頭を撃たないとだめだって。死んだ人は眠っていないといけないんだって」

「そうだな。一度死んで起き上がった人間は、頭を撃つ以外に止める方法がないらしい。俺も良くはわからないが、それは人に伝染る病気なんだそうだ」

 

 お父さんはしっかり眠れたんだよね、と。問いかけなのか、独白なのか。小さな声音がかすかに震えているのが、ヴラッドにも分かった。小さく鼻を啜る音を聞き、そちらを見やる。マグカップを握りしめ、ミルクに落ちた涙が水面を揺らす。

 

 クシャクシャに顔を歪めて、嗚咽を噛み殺しているのだろう少女の頭を、少しの逡巡の後、ヴラッドは撫でた。柔らかい髪を指でかき分け、ゆっくりと梳いてやる。

 

 どれくらいそうしていただろうか。ようやく嗚咽が止み、落ち着いたらしいシャーロットがミルクを飲み干す。泣き疲れたのか、ホットミルクのおかげか、半ば落ちかけの瞼を開けようとまつげを震わせるシャーロットの手を引く。

 

 どうにか立ち上がったものの、眠気のせいで足取りがおぼつかないらしい。仕方なく彼女を抱えあげると、その体は驚くほど軽い。負傷者を抱え上げる以外で人を抱えたことなど無いヴラッドにとり、子供の軽さは不安さえ覚えるほどだ。

 

「ほら、寝るんだ。部屋まで連れて行ってやる」

「ん……ん……」

 

 小さな手が戦闘服の襟首を縋るように掴み、グイグイと引っ張った。寝ぼけて夢でも見ているらしい彼女を、ぐっすりと眠るリアムの隣へ下ろしてやる。シャーロットはこちらの襟を掴んだまま、小さく何事かをつぶやいたようだった。その指をそっと引き剥がし、上から毛布をかけてやる。

 

「お父さん、か」

 

 眠りこけたシャーロットがつぶやいた言葉。それを反芻し、まいったなとこめかみに指をやってそこをもみほぐすと、視界の隅にカービンをぶら下げてニヤニヤと笑うマディソンが見えた。

 

「なんだ、居たのか」

「邪魔すまいと息を殺してた。懐かれたもんだな、驚きの速さ」

「まさか。父親に一発くれた男だぞ。普通に考えりゃ嫌われてる」

 

 それはないなと、マディソンが至極真面目な顔で返す。それを見、何故そう思うと問いかけると、マディソンは肩をすくめ、一服付き合えよと手招きした。

 

「リアムもシャーロットも、まだ子供だが、利口な子だ。見りゃわかる。だから、向こうだって理解してるさ。スティーヴンが生ける屍になったことも、一発で終わりにしてやる以外にできることなんざないってことも」

 

 キッチンの水をほんの僅かに流しつつ、咥えた煙草に火を点ける。煙の匂いが広がり、肺に吸い込んだそれをゆっくり吐き出しながら、ヴラッドはそういうものかねと曖昧に返した。

 

「そうとも。でなきゃ親父のくれた銃は触らせないし、ホットミルクも作ってもらわん。あの子らはそれが分かってる。別に負い目に感じることじゃない。頼まれたんだ、なおさらだろう」

 

 分かったら辛気臭い顔はやめて、もう一寝入りしとけよと、マディソンが背中を叩く。ヴラッドは咥えた煙草の穂先をぴこぴこと上下に揺らし、今は俺とお前がローテだぞと鼻を鳴らした。

 

「お前はウチの司令塔だ。もう少しばかり寝といてもらわないと後で困る。安心しろ、俺がしっかり見張っておいてやる」

「いいのか」

「やせ我慢するなら止めはせんが、また二〇時間走りっぱなしになる可能性だってある。頭脳担当は脳みその回転が資本だ、遠慮するな」

 

 それだけ言うと、半分ほど吸った煙草をシンクに流し、マディソンはひらと手を降って巡回へ戻った。明かりを消した屋内、裏庭へ向かうホールへ消えたその背を見送り、自分の煙草を吸いきってから、好意に甘えることにする。

 

 銃を抱え、ソファに腰掛けて首を垂らす。目を閉じれば、あとは死者の呻きが意識を眠りへと押し流す。眠い、などと感じるまもなく意識が落ちた。

 




 子供を守るのは漢の仕事。
 他の作品に浮気したら許してください……エタらせはしないので。
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