死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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 少し休むとか言ったくせにデスクに座ったら書けてしまったので今のうちに一話。
 忙しくなるのでこれでほんとに少しお休みいれます。




休息は続かず

 1998年9月27日 0400時

 

 

 眠りに落ちた意識を叩き起こしたのは、耳障りな銃声だった。

 

 甲高い3点射が数度連鎖し、一瞬で意識が覚醒状態に押し上げられる。仮眠の間も肩から提げたままだったカービンを掴み、即座にソファから身を起こして銃口を持ち上げる。

 

 ライトを付け、視線と銃口を巡らせたが、少なくともリビングには何かが押し入った様子はない。清潔なままのそこを見渡し、マグカップが置き去りになったテーブルから離れて玄関へ向かうと、補強された窓の隙間から外を覗く。

 

 耳をそばだてると、わずかにくぐもった銃声が短く尾を引いているのがわかった。

 

 やかましい破裂音は耳慣れたM4のバースト音そのものだったが、その銃声は家の中ではなく、外のどこかで鳴り響いている。

 

「ヴラッド」

 

 潜めた声が聞こえた。同じ銃声で叩き起こされたらしいジョエルが、カービンを手にしてホールから顔をのぞかせた。クラヴィスもライフルを手にしてそれに続く。二人は油断なく視線をリビング全体に走らせた。

 

「マディは」

「こっちにいる」

「誰も撃ってないんだな?」

 

 ジョエルが頷き、マディソンがその後ろから現れてこちらに歩み寄る。すでに全員、意識が戦闘状態にシフトしているのが、緊張をみなぎらせた足取りでわかった。視線は油断なく周囲を見回し、利き手は銃のグリップをしっかりと握りしめている。

 

「フレデリックかもしれん」

 

 ヴラッドは言った。それはほとんど直感の導き出した結論だった。それに、民間人のフルオート/バースト機構付き銃器が厳しい制限化に置かれる米国において、バースト付きのカービンを持っている人間はそう多くない。

 

 一度のトリガー動作で複数発を発射できる銃器はマシンガンのカテゴリで管理され、製造も所持も厳格に管理されている。おそらく、この街でそういった火器を持っているのは、警察関係者か銃器ディーラー、そして自分たちぐらいのものだ。

 

「こちら02、だれか聞こえていたら応答しろ。こちらチャーリー02、聞こえるか」

 

 ヴラッドは即座に、分隊間無線機の周波数を野外無線の使用するものに合わせて発信した。それを何度か繰り返し、応答がないと見ると、今度は周波数を小隊本部内のものへ切り替える。

 

「こちらはチャーリー小隊分遣隊“ノーマッド”。この無線を聞いたものは応答してくれ。繰り返す……」

 

 無線で何度か呼びかけ、応答を待つ。返事が帰ってくる気配はなく、その間もピッチの高い発砲音は景気よく轟いている。無線が破損したか、こちらには関係ない人間か、応答する余裕がないか。

 

 さてどれかと考える間に、きぃ、と静かな軋みとともにドアが開くと、ルガーを手にしたリアムが顔をのぞかせた。不安をありありとにじませ緊張に目を大きく見開いた彼は、こちらを見つけると、安心したのかホッとため息をこぼす。

 

「何があったの」

「わからん、いま確認作業中だ」

 

 ヴラッドは応じ、かなりのペースで銃弾を撒き散らしているらしいカービンの銃声に耳を澄ませる。おそらく、距離は二ブロックと離れているまい。が、未だ夜明け前であり、詳細位置も不明となると、途方も無い距離になりかねない。

 

 考える間に、皆と同じように銃声に叩き起こされたらしいシャーロットが、リアムのシャツを握りしめながら辺りをうかがうように部屋から出てくる。眠たげに目元をこする彼女から目を離したヴラッドは、袖をまくって時計に目を落とす。まだ日が昇るまで二時間以上残っている。

 

「どうする」

「どうするもこうするも、状況が不明だ。この状況で飛び出してもいいことはない」

 

 ジョエルの問いかけに肩をすくめて返しつつも、ヴラッドは自分がひどく焦れているのを感じた。発砲音の主は戦友である可能性が高く、銃声からすると状況はかなり逼迫していると考えられる。

 

 今すぐにでも捜索に向かいたいが、子供を連れて夜間の街路捜索となると酷い結末になるのは目に見えている。その冷静な判断だけが、いますぐにでも飛び出そうとウズウズしている自分の足をその場に押し留めていた。

 

「とりあえず装備の用意をしてくれ。リアム、昨日寝る前に話していた、ガンロッカーの中の弾薬、幾つかもらいたいんだが」

「おじさんのだろ? いいよ、番号は知ってるから」

 

 ついてきて、と彼が顎で地下室へ向かう階段を示す。まだ寝ぼけ眼ながらに状況は理解しているのか、兄のシャツの裾をきつく握りしめたシャーロットが地下室へ向かう彼の後を追い、ヴラッドもそれに続いた。

 

 二人が隠れていた地下室に降りると、リアムは明かりをつけて金属製ガンロッカーのナンバーロックを迷うこと無く解除した。頑丈な扉が開き、中身が顕になる。

 

 民生品の弾薬パッケージと弾倉が規則正しく並べられた棚と、銃を収めるガンラック。鉄とオイルの馴染み深い匂いが広がり、ヴラッドはそこに収まる火器を確かめた。

 

 ルガーMini14、ウィンチェスターM70、モスバーグの散弾銃にスプリングフィールド。いかにもなチョイスだなと小さく笑いつつ、よく手入れされたライフルを弄くりたい欲望をこらえて、弾薬箱に手を触れた。

 

 紙パッケージの弾薬箱が無数に積み重なり、金属製アモボックスの中にはバラのカートリッジがたっぷり詰め込まれていた。リロードツールで自作した弾薬は、別のケースに収めてデータラベルが貼り付けられている。

 

 必要なものは、手持ちの火器に使える弾薬だ。9ミリ・パラベラムと5.56ミリ系統、そして.308。幸いにして、9ミリと.308は新品の箱とバラ弾を含めてたっぷりの予備があった。

 

 残念ながら5.56ミリの備蓄は見当たらないが、.223は十分な数が収められていた。その他にも、ライトに使う電池や簡易クリーニングキット、ナイフ、弾薬用のポーチなど、使えるものは山程ある。

 

 物資をチェックするヴラッドの横で、リアムがMini14に手を伸ばし、よくオイルの塗布されたそれを撫でた。おそらくはスティーヴンのものなのだろうライフルを触れる彼の手付きは、思い出をなぞるようで、どこか寂しげだ。

 

 そのとなりで銃を眺めるシャーロットを一瞬見つめ、リアムに目を向けなおすと、ヴラッドは指先で並んだ箱を示す。

 

「弾薬を借りる」

「いいよ。必要なんだろ、それ」

「俺たちの命を守るためにはな」

 

 ヴラッドは頷き、.223と.308の弾薬箱を手にすると、階段へと引き返し上階へ戻る。すでに装備確認を終えた部下の前に弾薬箱を下ろすと、ジョエルが.223の箱を示した。

 

「こいつは使えないぞ、弾薬が違う」

「いや、使える。寸法はほとんど同じなんだ。薬室が5.56なら何も問題はない」

 

 ヴラッドは簡単な説明をして、アモボックスを開けて中身を掴む。.223と5.56ミリ弾の寸法はほぼ同一で、どちらの設計の銃でも互いの弾薬を装填できる。

 

 .223の薬室に5.56ミリを装填した場合、薬室の疲労などの具合によっては不正加圧となり銃が破損する可能性があったが、5.56用の薬室であれば、どちらの弾薬も不具合なく使用できることを、ヴラッドは知っていた。

 

 装填しながらそれを説明してやると、なるほどなとジョエルは納得したようだった。拳銃に私物を用いる程度には銃にこだわりがあることは、ヴラッドの部下ならみな知っている。

 

 弾頭はハンティング用のソフトターゲット向けの弾薬ではなく、完全覆甲弾(FMJ)のようだった。死人を殺す分には関係ないが、個人的にはこちらのほうがありがたい。すくなくともネイルフロッグのような頑丈な外皮……もとい粘膜を持つ相手が跋扈する状況では、貫通力は大事な要素だ。

 

「プランは」

「あるわけない。備えてるだけだ。あれだけぶっ放せば、死人が集まってくる可能性もある」

 

 フル装弾より一発少ない二九発にした弾倉の背を手のひらに数回叩きつけ、弾倉内のカートリッジの位置を整えながら、ヴラッドはマディソンに返した。

 

 地下から上がってきたリアムは、Mini14を手にしていた。子供の彼の身体にはいささか大きすぎるそれを手にした彼は、弾倉の用意に勤しむこちらをひょいと覗き込んでから、妹の手を引いて二階へ向かった。

 

「それに、もし助けに行くにしても弾薬が必要だ」

「ここで補充できるとは思わなんだ。ありがたい限り」

 

 スプリングフィールドにフル装弾した弾倉を差し込んだクラヴィスが、上機嫌な笑みを浮かべてマディソンに返す。

 

 手持ちの弾倉すべてを満タンにすると、リアムが古びた肩掛けのバッグとランタンを手にして降りてきた。肩にはアウトドア向けの頑丈そうなバックパックを引っ掛けている。両方とも、スティーヴンのものだろう。

 

「予備の弾、これに詰められるだけ詰めたら?」

「気が利くな、坊主」

 

 坊主じゃない、とからかう声音で笑ったマディソンをリアムが睨めつける。それを受けたマディソンは肩をすくめ、俺がお前ぐらいの頃はそう呼ばれたもんだよと笑った。悪びれない返しにすねたように目を眇めたリアムがバッグを投げてよこす。

 

「ありがとう、リアム。ジョエル、地下にある使える弾薬を……」

その時、ヴラッドの肩に括り付けたハンドマイクがザッとノイズを走らせた。

『……っは…ぁ、聞こえるか。さっき呼びかけてたやつ、まだいるか?』

 

 途端に、周囲の視線が自分に集まる。ヴラッドはハンドマイクを手にして口元へもってくると、送信ボタンを押し込んだ。

 

「こちらチャーリー小隊分遣隊“ノーマッド”、はっきり聞こえてる」

『ヴラッドか? よかった……僕以外みんな死んだかと』

「それはこっちのセリフだ。お前はとっくに死んだと思ってたぞ」

 

 ジョエルがこちらの指示通り地下へと向かうのを横目に、ヴラッドは荒い呼吸音混じりのフレデリックの声に応じた。送信距離の短い分隊内無線機同士の通信だが、音質ははっきりしている。銃声の響き方で判断した結果の通り、そう離れていないのだろう。

 

「そっちの現在位置は」

 

 呼吸を整えているのか、沈黙したフレデリックに質問を投げつつ、ヴラッドは地図を取り出してそれを広げた。配布されたラクーンの地図には格子状に線が引かれ、グリッドで現在位置を報告できるようになっている。

 

『わからない……あー、すこし待ってくれ。大まかな座標なら』

 

 数秒の沈黙の後に答えたフレデリックが座標を口にすると、ヴラッドはその位置を探す。すぐに見つかった。いま自分たちが身を隠しているスティーヴンの家からせいぜい二ブロックから一ブロック半ほどだ。

 

 平時であれば、ほとんど近所と言っていい程度の距離である。

 

『それ以上の詳細は分からない。店のバックヤードに隠れてる。くそ、あの野郎……痛てぇ』

「怪我しているのか? どこを噛まれた」

『ちがう、噛まれたんじゃない。あのバケモン、僕の腕を切りやがった』

 

 フレデリックの声には強い怒りと苛立ちが滲んでいた。バケモノ、という言葉に片眉を持ち上げ、視線をマディソンとクラヴィスへ投げる。二人は沈黙を保ったまま、その無言をもって先を促した。

 

「でっかい爪の生えたやつか?」

『そうだ……畜生め、あいつら。何匹もいやがった。とんでもねえ速さで、クソほどタフだ。悪い夢でも見てるのか』

 

 フレデリックの声は、最後の方はほとんど独り言のそれに近い声音だった。おそらくネイルフロッグ、それも複数と交戦したのだろう。身を隠している彼の周囲にあとどれだけ残っているのかはわからないが、丸一日単独で行動していたことを考えると期待はできないだろう。

 

「わかった。そこを動くな、今から捜索に向かう。無線は常時開けておけ」

『野外無線は音が出るからオフにした。小型の方はいつでも大丈夫だ。急いでくれ、もう最後のマガジンだ』

「可能な限り急ぐさ。俺たちがたどりつくまで、外には出るなよ。交信終わり」

 

 ヴラッドはそれだけを言い残して通信の終了を告げると、自分のM4のグリップを握り、チャージングハンドルに指をかけた。軽く引くとダストカバーが勢いよく開き、エキストラクターがしっかりと保持したカートリッジが薬室から引き出された。

 

 暗闇の中で、ヴラッドは指をもぐらせ薬莢に触れる。しっかり装填済みであることに満足してハンドルから手を離すと、カバーを閉じてやる。

 

「リアム、君はここで待て。シャーロットもだ」

 

 義父の遺品であるMini14に弾倉を押し込み、薬室に弾を送り込む金属音。それに押しかぶせたヴラッドの声は、有無を言わせぬ響きがあった。拳銃を確かめるヴラッドにリアムが怪訝な眼差しを向ける。

 

「なんでさ」

「足手まといになる。歩く死人以上に厄介なバケモノ複数を相手にしないとならない」

「人手が必要だろ、それなら」

「それは一人前の兵隊の言葉だ。君は子供だ、ここで待て」

 

 はっきりと言い切ったヴラッドの声に気圧されたリアムが、納得できないと言わんばかりの眼差しを据えた。ヴラッドはそれを受け流し、拳銃をホルスターに押し戻すと、サムブレイクロックのボタンをしっかりと留める。

 

「妹を大事に思うならここで待て。スティーヴンなら同じことを命じたはずだ」

 

 義父の名を出され、ぴくりと彼が身じろぎしたのが分かった。マディソンとクラヴィスは、何も言わずに様子を見ているようだった。

 

「そうだろうさ……でもおじさんはそれで死んだんだ。お隣なんか助けに行くから」

 

 数秒の沈黙の後、リアムが絞り出すように言った。ランタンのぼんやりとした明かりに照らされたリアムがライフルを抱きしめ、会話にまざる不穏な響きに困惑と僅かな恐怖をにじませた妹の背中を撫でた。

 

「それでも連れていけない。忘れるな、君は子供で、兵隊じゃない。俺たちを死なせたくないなら、おとなしく待っていろ」

 

 納得しかねる様子のリアムだが、ヴラッドはそれにとりあう気はなかった。外は未だ暗く、どれだけの死者とネイルフロッグが身を潜めているか分かったものではない。そんな状況で子供を連れ出すのは、彼らの安全以上に自分の命をも危険に晒す行為だ。

 

 当然だなとばかりに肩をすくめるマディソンに、ヴラッドは目を向けた。

 

「マディ、お前もだ。ジョエルとここを守れ。二時間で戻らない場合、あるいはこちらとの交信が途絶えて二〇分経過した場合、全滅と見なして夜明け過ぎに移動を開始しろ」

「おい、冗談だろ」

「本気だ、クラヴィスと二人で行く。ここの防衛は任せる」

 

 与えられた指示にマディソンが僅かに目を剥き、それから真意を測りかねた様子で反駁したが、ヴラッドはもう一度、はっきりと命令を伝達した。

 

「戦力分散なんて正気じゃない。何匹いるかわからんのってのに」

「だからこそだ。全員で行って全滅した場合、誰があの二人を守る」

 

 親指でソファに腰掛け身を寄せ合う兄妹を示すと、リアムが守られる必要なんか無いと、わずかに喉をつまらせたような声音で答えた。今にも泣き出しそうな彼に目を向けることもせず、ヴラッドは指揮を受け持つ人間としての思考に徹する。それが今求められることだ。

 

 不明瞭な状況での戦力分散は概ねの場合愚策とされるが、一挙投入もまた状況によっては愚策となり得る。人員わずか四名の分遣隊において、どちらをとってもリスクは削りきれない。

 

 そのうえで、ヴラッドは分散による全滅リスクの低減を選んだ。

 

 仮にヴラッドとクラヴィスが戦死しても、マディソンとジョエルならその状況で最善の選択をし、兵士としての実力を遺憾なく発揮するとヴラッドは信じていた。それに、二人が残っていれば小隊本部に連絡を入れて増援を送ってもらう、という選択肢も取り得る。

 

 状況の劣悪さから考えれば、わざわざ全員で出ていくほうがリスクは大きい、そう考えたがゆえの判断だった。すくなくとも、無事帰還できる可能性は低くなるが、ミス一つですべての可能性がゼロになるのは避けられる。

 

「わざわざお前が行くことはあるまい」

「ジョエルは衛生担当、小隊全体にとって欠かせない人材だ。お前は俺の代わりに睡眠時間を削ってる。コンディションがいいのは俺だし、俺の首の代えはあるからな」

「冗談。お前の代役は皆こぞって譲り合いになるぜ」

「死ぬ気はない。そもそも、射撃成績は俺のほうが上だぞ。動く的に当てるのが俺より得意なら推薦してやってもいいが」

 

 それに――俺には無線がどうしても必要だ。喉元まででかけた言葉をヴラッドは飲み込んだ。小隊の方針としても野外無線機は欠かせない装備品だが、それ以上に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「三〇〇メートル必中の男は言うことが違うね。分かった、任せるよ」

 

 譲る気のないヴラッドの態度に、説得する時間が惜しいと考えたか、マディソンがため息とともに頷いた。

 

 それを見、玄関へ向かおうとすると、ソファから立ち上がったシャーロットが細く頼りない足で駆け寄ってくる。とてとてと子供らしい足取りが目の前で停まり、小さな手がこちらの戦闘服の裾を掴んだ。

 

「ヴラッドおじさん、外に行くの」

「仲間を助けに行かないといけない。すぐに戻る」

 

 ヴラッドが努めて穏やかな声音を作って応えると、シャーロットはこちらを見上げ、鮮やかな青い瞳をうるませていやいやと首を振る。

 

「外は危ないから、お父さんがだめだって言ってた。おじさんも行っちゃだめ」

「それでも仲間を助けないといけない。助けられる戦友を見捨てるのは、とても悪いことだ」

 

 ヴラッドが応えるとそれでも納得できないのか、シャーロットは裾を強く、何度も引っ張る。駄々っ子そのものの態度で目尻に涙を溜め、よく手入れされた蜂蜜色の髪をぶぶんと振り回す彼女を見かねたか、リアムが立ち上がってその手を引いたが、彼女にとりあう気は無いようだった。

 

「お父さんも、お父さんも……見捨てちゃいけないんだって……それで、おとうさんは」

 

 自分が介錯した二人の父親は、その良心に従って家を出た。その結果を知っているがゆえに、今縋るべき唯一の人間が危険の中に飛び出していくのを、何をしてでも止めたいのだろう

 

 その気持は理解できたし、彼女の頑なな態度を叱る気もない。子供とはそういうものだし、幼いながらに最も身近な大人の悲劇的な最期を見てしまえば、止めねばならないと考えるのも無理はない。

 

 最後はほとんど涙声になってしまったシャーロットの声がぷつりと途切れ、代わりに喉を震わせて肩を震わせ静かに泣きじゃくる彼女を見下ろしていたヴラッドは、しゃがみこんでその頭を撫でた。

 

「大丈夫だ、俺は死人の山をかき分けてここまで来たんだ。いまさらヘマしたりしない。こう見えてもこっちのクラヴィスだってすごい腕利きだ」

 

 こう見えてってのは命の恩人に対してどうよ、とクラヴィスが笑った。普段より幾分明るい声音は、シャーロットをなだめるこちらへの手助けのつもりだろう。

 

「それに、仲間が持ってる無線がないとこの街から出られない。君たちを生きて外に出すのが俺達の仕事、だから、ここで待っているわけにはいかない」

 

 わかったかと、焦れる自分の気持を落ち着かせながら優しい声を作って問いかける。ぐすぐすと鼻を鳴らすシャーロットはしばらく俯いたままだったが、ややあって小さくコクリと頷いた。

 

 こちらを見上げた彼女の眼差しを見れば、到底納得していないことはひと目で分かった。その隣で妹に寄り添うリアムの目も、たった二人で捜索に向かう無茶を非難する色を帯びている。

 

 だがそれを見ても、ヴラッドは判断を変える気はなかった。彼はシャーロットの頭を撫で、クラヴィスを連れて玄関へと向かう。背後でリアムがヘマすんなよと不安げな声を発し、ヴラッドはそれにひらと手をふると、ドアをくぐって外へと出た。

 

 二人の背中が消えると、待機を命じられたマディソンはジョエルへその命令を伝達するために地下へと向かった。残されたリアムは、弾を詰めたライフルを手にして外界の音へと耳をそばだて、ソファへ身を沈める。

 

 しばらくして、少し離れたところで銃声がとどろき始めると、シャーロットはバリケードで塞いだ窓へと歩み寄って外を見た。リアムがそれを咎めたが、彼女は取り合わなかった。家の外に死人は見えず、すくなくともこの場所は安全だと思えたからだ。

 

 銃声が聞こえ始めるとすぐにジョエルとマディソンが戻ってきて、銃を片手に家の中を巡回し始めた。すくなくともしっかりと武装した兵士が家の中にいる間は安心だと、そう思える。

 

 それに、とシャーロットは夜明け前の真っ暗な街路に目を走らせる。バリケードの隙間から見える範囲はそう大きくないが、見渡す範囲に死者は居ない。お父さんは、兵隊さんが来ればもう大丈夫だと言っていた。

 

 その兵隊さんが今この家を守っている。そこまで考えて、シャーロットは再び不安が大きく膨らんでいくのを感じた。ヴラッドおじさんとクラヴィスおじさんは、今、たった二人で危ないところへ向かっている。

 

 銃声は散発的だが、二人が確かな危険を前にしていることを示していた。銃声がしている間は安心だよと、父が言っていたのを思い出す。心配するのは銃声が聞こえなくなってからだ、と。

 

 だからこそ、それが途切れるのが怖かった。ひたすらに撃ちまくっている方が危険な状況であることは彼女にも分かったが、銃声が少しでもしなくなると、身体が落ち着かなくなる。

 

 出ていく前、泣きじゃくる自分をなだめようとしたヴラッドの目を思い出す。彫りの深い眼窩に埋め込まれた鮮やかな青い目。タレ目気味の優しい眼差しは父の目によく似ていたが、父が出ていく前に見せた、僅かな不安と戸惑いの色は見られなかった。

 

 恐怖を抑え込む勇気、そして絶対的な自信を持った眼差し。シャーロットは自分がまだ子供であることをよく分かっていたが、それでも人の目を見れば多少のことはわかる。ヴラッドおじさんは、無理だと思ったら行かない人だ。

 

 その信頼が自分のどこから生まれているのかは、彼女にもわからなかった。まだ出会って少ししか経っていないし、そんなに多くのことを話したわけでもない。それでも、ヴラッドは目に見えて無理と思えることはしないタイプだと、そういう確信があった。

 

 それに、家に残った二人の兵士も、ヴラッドについていったクラヴィスという男も、怯えた様子はなく、危険を前にしても淡々としているように見えた。大好きだった父親は、助けを求める隣近所の声に耐えかねて出ていくとき、強い怯えと不安をにじませていたというのに。

 

 もちろん、それを無様などとは思ったりしない。シャーロットにとって外は未だに理由のない悪夢の世界そのものだったからだ。そんなところに、人を助けに向かった父を彼女は心から尊敬していた。その結果がどうであれ。

 

 ソファに座って口を閉ざしたままの兄にしても、待てと言ったヴラッドに食って掛かったが、本心ではホッとしているのだろうと幼いながらに彼女は思う。

 

 ――だって、外はこんなに怖いのに、出ていこうと思えるのはすごいことじゃない? 僅かな隙間から、死者すら見えぬ外界を見つめているだけでも心がゾワゾワする。闇の中からだしぬけに不気味な怪物が出てくる気がして落ち着かない。

 

 そんなところに向かうというのに、粛々と、ただそれが必要だからと受け入れる態度。その態度が示す絶大な自信こそが、幼いシャーロットが縋るべき唯一無二の希望だった。

 

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