死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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其が統べるは血の領土

「異常は」

「ない」

「化け物の姿」

「なし」

「エレベーターは?」

 

 随分下で停まってやがる、とマディソンが忌々しげに呟く。地底へとこちらを誘う隠し通路――中隊本部いわく非常用の進入路――の長い階段を下った先。眼前に現れたエレベーターの外部ドアをこじ開けたマディソンは、地面に寝そべった身体を起こすと、まいったなといいたげな顔をこちらへ向ける。

 

「どっかのバカが下に降りたせいだな」

「うんともすんとも言わないのは、そのどっかのバカのせいじゃない」

 

 地面に座り込み、顎でエレベーターのパネルを示したマディソンにヴラッドは返した。下階以外のボタンを持たないそれには、血の跡がべったりとこびりついている。おそらくはこの施設内で死人に襲われて負傷した研究員が、パスコードを使ってここから地下へ逃げたのだろう。

 

「原因は。どう思う、フレデリック」

「さあ。ずいぶん長いこと使われていなかったようだし、保守点検が行き届いていなかったのか。わからない。このエレベーター、電源はどこからだ」

 

 さあ、と肩をすくめてやると、フレデリックは血のついたパネルを指でなぞる。指先にライトを向けた彼が、埃をまとった指の腹をこちらへ見せた。確かに周囲は埃っぽく、普段から人の往来があった気配もない。

 

「天下のアンブレラがこんなところで金をケチるとはね」

「そのケチった金でえげつない月給もらってる俺らが文句言えるクチか?」

「数ヶ月で現役当時の年収稼げるったって、こんな任務に送られるんじゃ割に合わんだろう」

 

 クラヴィスの愚痴に応じたジョエル。それに対して気だるさを隠しもせずに押しかぶせたマディソンは、こじ開けたドアの中へとサイリウムをへし折って投げた。

 

 覗き込むと、緑の光が漆黒の縦穴の底へと進み、エレベーターの天井に落ちて止まる。下向きの視界、閉鎖的な暗黒の中では距離感覚はあやふやになるものだが、ヴラッドはおよそ二〇メートル下と結論づけた。

 

「罪人の俺らに文句を言う資格はないさ。ロープあるか?」

「そりゃまあ、たしかに。一セットだけな」

 

 マディソンが爆薬と作戦行動に必要と思われる装備を詰めたバッグをしめし、その脇に括り付けたロープを外す。俺も一つ、とクラヴィスが同じようにロープを取り出し、ヴラッドに差し出した。

 

 マディソンがロープを装備しているのは、念の為にとヴラッドが持たせたからにすぎない。クラヴィスの場合は、中距離を受け持つ選抜射手の役割柄、高所に陣取る可能性があるからだろう。本隊の支援に当たり、必要であれば陣取った高所から一気に降下して合流するためだ。

 

「二本か」

「誰が降りる」

「俺とマディ」

 

 つぶやきを拾い上げ、降下する気満々のクラヴィスに即答すると、彼はやや残念そうに肩を落とし、持ち上げかけたライフルを下ろす。それを見たリアムがなぜかおかしそうに笑った。

 

「お前のライフルは長すぎる。間取りが不明の地下、取り回しのいい火器を先遣するのは当然」

 

 それに俺はここのところ暇してたからな、とマディソンが満面の笑みとともに鼻を鳴らし、自分のカービンのチェックを初めた。ヴラッドももう丸一日以上肩から提げたままのカービンを持ち上げ、弾倉の充填とライト、ドットサイトを確認すると、スリングを縮めて身体へ密着させる。

 

「俺とマディで降りて、エレベーター上部ハッチから内部を確かめる。侵入後、周辺の検索を済ませて呼ぶまで降下するな」

 

 了解、と待機組の三人が命令受領を示す。ヴラッドはマディソンがこじ開けたドアの向こうへ寝そべって身を乗り出す。本来なら危険な方法だが、エレベーターシャフト内に張り巡らされた金属の梁にロープを固定した。そこ以外に適した固定箇所がない。

 

 さらに言えば、ハーネスもなしに降下するのは安全には程遠い行為だが、こればかりは仕方がない。レジャーでラペリングを楽しむわけではなく、ここはあくまで戦場である。ノーメックスのグローブを嵌め、ベルトに固定された金具にDリングを取り付ける。

 

 Dリングに通して下へと垂らしたロープを確認すると、ヴラッドはシャフト内へ身を乗り出す。明かりのない地下、安全装備不足の状況での降下はかなりの難易度だが、そんな経験はいままでに何度も積んでいる。

 

 シャフト内は換気口が地上へつながっているのか、下から上へとわずかに空気の流れが感じられた。ヴラッドはブレーキを司る右手を臀部に当て、姿勢制御を受け持つ左手を伸ばして頭の上でロープを掴む。揃えたブーツの裏を太い横梁に押し付け準備を終えると、シャーロットとリアムが不安げな眼差しをこちらに据えているのが見えた。

 

「すぐに戻る。やばいと思ったら撤収するさ」

「約束」

「そんなこと言ってどうせ突っ込むくせに」

 

 こちらの返事にほぼ同時に帰ってきた兄妹の声。お互いに顔を見合わせた二人に笑ってやり、ヴラッドは返事を投げる代わりにマディソンに頷いた。

 

 二人同時に横梁を蹴り、右手を緩めて宙に浮いた身体を下へ滑らせる。突然降下を初めたこちらに驚いたのか、シャーロットの声がシャフト内に小さく木霊し、リアムが覗き込むのが見えた。

 

 降下しながら次の足場を目視し、闇の中で慎重にブレーキのタイミングと強さを調整する。なめらかで素早い降下に必要なのは冷静さと度胸だ。ブレーキを強くかけ過ぎればバランスを崩し、弱すぎても着地地点を逃すことになる。

 

 ヴラッドとマディソンは一切の迷いなくロープを操り、正確に足裏で横梁を捉えて壁を蹴りながらエレベーターへ下っていく。最後の着地を終え、梁を蹴って降下したヴラッドは、右手を強く握り込んで接地前のブレーキをかけた。

 

 脚が地面に触れる寸前で勢いを殺し、そのまますとんと難なく着地する。ロープをリングから外し、グローブを払い除けてベルトに括り付けたヴラッドは、上を向いてライトでこちらの位置を確認するクラヴィスに親指を立てる。彼の隣では、いともたやすく暗所降下を終えたこちらを、手品師を見るような眼差しで兄妹が見下ろしていた。

 

「妙だ」

「どうした」

 

 カービンを手にしたマディソンのつぶやきに問いを投げ、ヴラッドは自分の銃のスリングを緩める。

 

「エレベーターってのはワイヤーで吊ってるだけの箱だろ。装備を着込んだ大男が二人も降りたら揺れるもんだ」

 

 そう言いながら、マディソンが膝を曲げて上体を揺らす。ヴラッドは子供の頃、エレベーターが揺れるのが楽しくて跳ね回った結果、父親に怒られたことをふと思い出した。

 

「揺れないな」

「だから妙なんだ」

「トラブルの予感」

「今回は全部トラブルみたいなもんだろ」

 

 それは確かにと笑って、ヴラッドはエレベーターの上部ハッチを開けた。軋みを上げて持ち上がったそれをどかし、マディソンがライトを中へと向ける。彼の眉根に深いシワが刻まれる

 

「ひどいな」

 

 覗き込むと、まず見えたのはエレベーターの壁にもたれて事切れた遺体。ライトの明かりが無残な死体の詳細を暴き、上顎から頭頂部にかけて粉砕された遺体の下顎から、紫色になった舌が力なく垂れているのが見えた。

 

 あたりに散らばる肉と頭蓋の破片にこびりつく髪の長さから、もとは女性だったと思われる。ヴラッドは姿勢を落とし、銃口をゆっくりと巡らせてエレベーター庫内を隅々まで照らす。女の遺体と拳銃以外に見えるものはないが、ドアが開いたままになっているのが見えた。

 

 どうする、とマディソンがこちらに目を向けた。ヴラッドは人差し指を唇に当て、頷いたマディソンが膝を立てて銃口をハッチに向けると、カービンの先をエレベーター内へ突っ込んで開かれたままのドアへと向ける。

 

 音はなく、動作もない。角度が悪くドアの向こうの通路は数メートル分しか視界に収まらないが、奥に死者の存在もバケモノの気配も感じ取ることは出来なかった。

 

「で、降りるか?」

「これだけじゃ何もわからん。降りる以外できることがあるか?」

「無いわな。俺が先に降りる。この棺桶から上がるのは一苦労だ、分隊長サマはそこで待ってろよ」

 

 言うが早いか、マディソンがハッチから飛び降りる。装備を身に着けた男が勢いよく着地したというのに、エレベーターはピクリとも揺れない。マディソンがライトを巡らせ、血で濡れた床を踏みしめてドアの奥へ銃を向ける。彼はそのままエレベーターの外に出て、少しすると戻ってきた。

 

「すくなくとも、少し先までは安全だ。降りてきてくれ」

「クラヴィス、今から内部の検索に入る。少し待て」

 

 イヤホンから帰ってきた了解の声。頭上へ向けて親指を立て、エレベーターの中へ身を投げる。

 

 床と内壁に散った女の血液は大部分が乾いていて、随分と前に殺されたことを伺わせた。マディソンが女の頭部の少し上、立っていれば頭部の高さ付近を示す。そこを中心にくすんだ赤褐色が散り、壁が大きく歪んでいた。

 

「ネイルフロッグにせよ、お前らが遭遇したジットフェイスにせよ、爪で引き裂く手合だろう。これは叩き潰されてる」

 

 たしかにマディソンの言う通り、壁に爪の跡は一切残されていないし、壁に背を預けてへたり込んだ女の死体の傷口も引き裂いたというより押しつぶしたという方が正しい。へこんだ壁面にこびりついた頭皮の破片とぐちゃぐちゃになった毛髪が、なんとも言えない気色悪さを醸し出している。

 

 その血と脳と頭蓋のかけらのこびりつくへこみを示し、マディソンが握りこぶしをそこに向ける。その意味を問うこちらの眼差しに顎をしゃくってみせたマディソンは、拳の痕があると囁いた。

 

 見てみれば、へこみはたしかに人間の握りこぶしを叩きつけたような痕にへこんでいる。しかしその拳の大きさは、自分のそれと比較してふた周りかそれ以上に大きい。まるで巨人の拳、そこまで考えてぞっとする。

 

 おそらくエレベーターが停止しているのは、この内壁を歪めるほどの力で握りこぶしを叩きつけられ、衝撃で安全装置が働いたためだろう。あるいは、歪んだことで稼働に必要なクリアランスを失ったのかもしれないが、結果は同じだ。恐ろしいパワーと言わざるを得ない。

 

「ネイルフロッグでもジットフェイスでもない別種、か」

「しかもどでかい。足跡を見てみろよ、ビッグフット顔負けだ」

「それならカエルのおばけ共も未確認生物(U.M.A)のたぐいか?」

「捕まえて売れば引退後は安泰だな」

 

 その前に自分の命の心配をしろよと釘を差しつつ、マディソンの示した床を見る。エレベーターの床に拡がった血液を踏みつけたと思われる足跡は、開いたままのドアの奥へと消えていた。その大きさは成人男性の倍近いが、目を引くのは大きさだけではなくその痕だ。

 

 足裏の形状は、靴底のパターンらしき模様を描いている。食いつきのいい軍用ブーツに近い形状と判断し、ヴラッドはしゃがみこんでかすれた血の痕を観察する。歩幅は自身のそれよりも広く、足裏の大きさと総合的に判断すると、身長はゆうに2メートル半はあるだろう。

 

未確認生物(U.M.A)がブーツを履くと思うか」

「さあな。この研究所が未確認生物(U.M.A)の研究をやってたんなら、きっときれいなおべべをくれてやったんだろうさ」

「あの噂か」

「地上は謎の疫病、地下によくわからん研究施設。信じてみたくもなるってもんだ」

 

 立ち上がり、カービンを持ち上げたヴラッドは赤色灯の灯る通路の奥へと銃口を向けて数メートル前進する。ライトの先に動くものはないが、元は人間だったと思われる無残な死体がいくつか確認できる。いずれも、エレベーターの女性と同じように潰されて殺害されていた。

 

 アンブレラが生物兵器を開発しているという噂は半年ほど前にU.B.C.S内でまことしやかに囁かれていた。中米での作戦に向かった小隊のある分隊長が、酒の席で研究所をみたと語り、その翌日に転属という形で忽然と姿を消したため、口封じされたのではないかという説もある。

 

 もちろん、ヴラッドはその真偽をそれ以前から知っている。そのために送り込まれているし、決定的な証拠と情報を回収することが任務だから当然だが、普段はその話に触れないマディソンが口にするのは珍しい話題だ。それだけこちらに向けられる信用が厚いというのもあるのだろうが。

 

「どうする。俺たちだけで進むか」

「二人でどうにかなると思うか?」

「わからんな。だが上の連中を連れて進むにしちゃ状況が不鮮明すぎる」

 

 それに退路がアレじゃな、と背後を指差すマディソンに頷いてやる。退路が不動のエレベーターではどうしようもない。

 

「クラヴィス」

『どうした、安全確保できたか』

「いや、逆だ。正体不明の敵(アンノウン)が潜んでいる可能性がある。退路の確認をしてくれ」

『捜索は諦めるのか?』

「まさか、最悪二人でやる」

 

 冗談だろとうめいたクラヴィスの声に取り合わず、ヴラッドはマディソンに頷いてみせ前進を開始した。非常用赤色灯以外の照明がダウンした通路に音はなく、通路の突き当りはドアになっている。

 

 左手でノブをそっとひねって静かに引く。きしみなくスムースに開いたドアの向こうも、赤色灯の支配する地獄であることに変わりはない。互いに銃口とリンクした視線を交差させてドアの左右を潰し、タイミングをあわせて外へ飛び出す。

 

 研究施設の通路というのは、どこも代わり映えのしないものだ。清潔にして簡素な白色の廊下。しかし、そこはいま、赤色灯と飛び散った血しぶきに彩られている。

 

『ヴラッド、悪い知らせだ。コンテナに通じるドアがロックされてる。パネルも見当たらない』

 

 無線越しのクラヴィスの声は苛立たしげだった。それを聞いたヴラッドは瞬間的に湧き上がった中隊本部への怒りにその場で小さく罵り、壁を蹴飛ばしたい衝動をこらえる。

 

「爆破は」

『ロック位置と数がわからん。手持ちの残り二個で賭けてみようってのはナンセンスだな』

「クソ」

『大した進入路だ。そりゃ出入り口とは言われちゃいないからな、クソボケども(basterd)。そっちに降りる。不親切な雇い主だ、クソッタレ』

 

 怒りは向こうも同じらしく、念入りに罵りながらクラヴィスが通信を切る。ヴラッドが反対側を確認したマディソンを振り返ると、彼は心底うんざりした様子でカービンを下げて片眉を持ち上げ、肩をすくめてみせた。

 

「こんなことなら大目玉くらおうが帰りゃ良かったな。命が惜しいわけじゃないが」

 

 奴ら意図的に情報を絞りやがったろ、とマディソン。おそらくなと、ヴラッドはもはや頷く気力もなく返した。当然、どんなリスクがあろうと進入路からの撤退が出来ない作戦などに従事するわけもない。そうと知っていて情報を絞ったのは考えるまでもないだろう。

 

 腹の奥からこみ上げる熱の塊、猛烈な苛立ちをため息の一つで抑え込み、死体が転がるエレベーターから姿を表したクラヴィスに目を向ける。少しすると、その後ろからフレデリックとジョエルが兄妹を抱えて現れた。

 

「エレベーターのパネル見たか? このフロアにゃ呼び出しボタンすら無いぜ。入るのはいいけど出しはしないとさ。蟻地獄みたいだな」

「すまない」

「お前のせいじゃない。ああ、たしかに撤収するべきだったかもしれない。だがあの段階じゃ、安全確保と任務遂行の最大公約数、ギリギリの折衷案だった」

「捜索を後回しにして、電源の復旧と脱出を最優先にする。構わないか」

「大賛成だ。必要な情報をよこさない奴らのために、無理に危険を犯す理由はないわな。小隊本部の応援を貰わん限り御免こうむる」

 

 クラヴィスが頷き、ライフルを両手で保持してストックを肩に押し付ける。赤色灯の中、エレベーターの死体を目にしたのだろう兄妹が顔を緊張に固めているのが見えた。

 

 俺の責任、内心にそうつぶやき、カービンを持ち上げる。照明の赤に沈んだ通路は暗く、施設内構造も一切不明。ヴラッドは少し考えてから、反時計回りに捜索を行うことに決めた。古巣の頃の決まりで、間取り不明の閉所は反時計回りに潰すことになっている。

 

「クラヴィス、反時計回りにやる。後尾につけ。フレデリック、ジョエル。もしものときは兄妹を優先しろ。手はず通りに」

「了解。でも僕らを残してくたばるのは勘弁してくれ」

「そうなったら中隊本部を殴り倒してくれ、俺のせいじゃない」

 

 鉛玉で殴ってやるよとジョエルが剣呑な笑みを浮かべる。頼もしいねと返したマディソンがこちらに頷くと、ヴラッドは兄妹を守る二人を挟んで後尾についたクラヴィスを確かめ、前進を始めた。

 

 結局、この地下施設も地上と同じ地獄であることに変わりはなかった。散らばる死体、血と糞便のねっとりと重く粘る臭気。地上施設と違い、この地下研究施設は最新鋭の設備を盛り込んだスマートな内装をしていたが、血で彩られてしまえば、その近未来的な内装に対する関心など湧きようもない。

 

 施設の壁の至るところに大きな液晶パネルが貼り付けられ、森林や渓谷、ビル街などの景観を映し出していた。地下の閉鎖空間で長時間を過ごす職員らの精神衛生を慮っての設備だろうが、幾つかは粉砕され、あるいはひび割れるか酸化して黒ずんだ血で汚れている。

 

 廊下を見渡せば、各所に監視カメラがあったが、その向こうからこちらを見ている人間が居るかは怪しいところだろう。

 

 外来病棟の床がそうであるように、リノリウムの床には設備の方向を示す案内用ラインが引かれていた。食堂、第一オフィス、第二オフィス、仮眠室、カフェテリア、守衛室、Nエリア通路、S02エリア通路。

 

「見ろよ、ヴラッド」

 

 ライトを向けて一つずつラインを確かめたヴラッドは、マディソンの声に顔を上げた。マディソンは銃口で足元に転がる死体を小突き、ライトの中で緑がかった鱗をさらすそれを脚で押しのけた。

 

 うつ伏せに倒れていたそれは、身体のど真ん中を一撃で叩き潰されて即死したようだ。ひどく潰されていて無残な有様だが、その姿は明らかに人間ではない。ガソリンスタンドで交戦したジットフェイスに似ているが、背中を覆う肉腫は見当たらない。

 

 表皮は爬虫類のものを思わせる鱗に覆われていて、手の先には大きく鋭い爪。特徴的な肉腫が無いことを除けば、ジットフェイスの同種のように見える。さながら爬虫類男といったところか。

 

 ライトを巡らせると、奥にも点々と爬虫類男の死体が転がっていた。数は4つ、いずれもひどく損壊していて、上下に分割されたもの、四肢が引きちぎれたものも居る。子供には刺激が強すぎる光景に振り返ると、フレデリックとジョエルは兄妹の目を手で隠していた。

 

「こいつらが仲間割れすると思うか」

「むしろガソリンスタンドじゃ群れを作って襲ってきた。見た目は少し違うが、コイツも似たようなもんじゃなかろうか」

「だよな。それに……どいつも叩き潰されるか引きちぎられてる」

 

 足元に転がる骸、その胴体は大質量の一撃で肉を叩き潰されていた。ミートハンマーで強く叩いた肉のように、すり潰された筋繊維が鱗の下から覗いている。ライフル弾の連射でようやく始末できるバケモノ、それを一発で叩き潰すとなるとどれほどの力か。

 

「ビッグフットの足かなにかか」

 

 殺された爬虫類男の血を踏みしめた足跡を示してジョエルが片眉をあげる。足跡は地面に幾つも散らばり、ブーツのつま先は向かう先にも、そしてヴラッドらが来た方向にも向いていた。このあたりをうろついていたのは間違いない。

 

「マディと同じことを言うなよ、俺らは未確認生物(U.M.A)研究所に迷い込んだんじゃない」

「残念、未確認生物(U.M.A)なら夢があっていいと――」

 

 言いかけたジョエルの声を押しつぶしたのは、遥か背後、赤色灯と闇の奥に沈む進入路の方角から響いた破壊音だった。

 

 耳障りなガラスの悲鳴、何かが崩れ落ち、粉砕されるような音。爆薬で壁に通用口を開け、あるいは障害物を粉砕したときのそれに近しいが、爆発音とは違う。

 

 ヴラッドは、それが何かが壁をぶち破った音だと瞬間的に理解した。かつて中米での非合法な越境任務に当たった際、大物ドラッグディーラーの邸宅にトラックで突っ込んだ時のそれに似ている。大質量の直撃を受け、頑丈な壁が突き崩される音だ。

 

「おいおい、何だ。お化け屋敷(ホーンテッドハウス)に来た覚えはないぜ」

お客さん(カンパニー)だ。クラヴィス、前衛を代われ。マディ、名誉の殿(ケツ守り)だぞ」

「ガキのケツを守る名誉って? ありがたい話だ」

 

 粉砕音に反応して毒づいたクラヴィスの肩を掴み、ヴラッドとマディソンが後尾につくと、すれ違いざまにシャーロットの小さな手が、こちらの腕を掴んだ。

 

「ジョエルにしっかりくっついているんだ」

 

 破壊音、閉鎖空間に満ちた死臭。それに続き、進入路の方向から定間隔で重い音――大男の足音を思わせるそれが聞こえ始める。シャーロットは恐怖にすくんだ目を向け、こちらの手を握ってすがりつこうとしたが、ヴラッドの声にそれを思いとどまったようだ。

 

 ジョエルが彼女を抱えあげる。リアムはフレデリックに抱きかかえられたまま、腰のルガーに手を添えている。

 

「おっさん!」

 

 前衛を受け持ったクラヴィスがライフルを構えて小走りに前進すると、ヴラッドとマディソンは後方にカービンを向けて後ろ向きに追従する。当然、前に向かって進む人間に追いつけるわけもなく、距離が離れるとリアムの叫び声が聞こえた。

 

 が、それにとりあうだけの余裕はなかった。

 

 闇の奥、ライトを向けた先で肩を揺らす大きなシルエット。一歩ごとにしっかりと地面を踏みしめ、重くずしりとした歩みを進めるそれにわずかに目を剥く。ブーツ越しに感じられる振動の源に視線が釘付けになった。

 

 毛髪のない頭頂部はゆうに三メートルはある天井に届きそうなほどで、こちらへ向かって進む足取りには明確な目標意識が感じられる。距離が縮まり、大男の身にまとったトレンチコート風の衣服とブーツがライトではっきりと照らし出された。

 

 返り血に染まった衣装を身に着け、肉片をこびりつかせた拳を握りしめたそれは、足元に転がる死体を見向きもせずに踏み潰し、血の気のない顔に無表情を浮かべたまま、悠然たる足取りでこちらへ接近する。

 

「何がビッグフットだ、いいコート着た野郎とはな」

 

 距離が縮まるごとに、地を揺らす歩調が早くなっているように感じられた。それが恐怖による錯覚なのか、実際に大男が加速しているのかヴラッドには判別できなかったが、その必要もない。

 

「コート野郎を止めるぞ、撃て(Fire)! 撃て(Fire)! 撃て(Fire)!」

 

 すくみかけた身体を叱咤し、ヴラッドは怒鳴った。自分の声が上ずらず、堂々とした射撃命令を発したことだけが自分を落ち着かせてくれる。

 

 二人の発砲は全くの同時で、単発では効果が見込めないとする暗黙の判断も同じだ。セレクターを親指が弾き、バーストに切り替えたカービンが容赦なく火を吹く。手の中で暴れるそれを抑え込み、後退しながら火力を胸部へ集中させる。

 

 またたく間に数十発のライフル弾が“コート野郎”の胸部に集まった。だが相手は揺らぐ気配も、悲鳴の一つも上げずにこちらへ迫る。遠く、背後で未だにこちらを呼び続けるリアムの声が霞んで聞こえた。

 

「ロボットじゃあるまいな」

「ほざく暇あったら指動かせ! 下がるぞ、距離を維持しろ」

 

 あわせて弾倉二本を受け、ピクリともしないその威容。もう数メートル先に迫ったそれは、幅広とは言え通路の中にあっては不動の城塞のようにすら見える。じっとりと汗ばむ手で弾倉を抜き、新しいものに入れ替えながら背を向けて走る。

 

 自分の背後、歩調を乱さず歩み寄る足音が心臓を鷲掴みにし、へたり込みそうになる脚を腹の奥から絞り出した罵り声で激励する。マディソンが全速力で横を駆け抜け、ヴラッドもその隣に並ぶと、彼は頭だとほとんど無意識に叫んだ。

 

 同時にカービンが最大火力を発揮し、バーストが必殺の銃弾をコート野郎の頭へ次々と送り込む。音速の倍を超える初速、合金覆甲された弾頭の連続着弾はどんな生き物だってたまらない痛撃。そのはずだ。

 

 ――だってのにこの野郎、悲鳴の一つも上げやしない。

 

 ――糞カエル野郎もクソ爬虫類男もコイツで殺せたじゃないか。

 

 自分の戦意を削ぐように、頭の中で声がする。囁くのは自分自身だが、戦っている俺じゃない。黙れと意識を介さない呟きを唇が漏らし、頭に弾丸の雨を浴びた大男が、血に濡れた太い指をこちらへ伸ばす。

 

『ヴラッド、いまなんだかでっかいのとすれ違った! そっちに突っ込んでったぞ! 状況はどうなってる!』

 

 イヤホン越しにがなるクラヴィスの声も、もはやなんと言っているのかわからなかった。大男が杭のように太い指を握りしめ、腕を引いて突き出す。その軸はこちらに向いていない。

 

 狙いはマディソン、頭の中にエレベーターで頭を叩き潰された女の骸が浮かび上がり、反射的に腕を伸ばす。弾倉を入れ替えようとしたマディソンは、目の前に迫った拳を目にして、女の名前をつぶやいたようだった。

 

 間一髪、その襟首を掴んで、きしむ関節を無視し強引に引っ張り投げ飛ばす。無理な姿勢で大の大人を投げた身体がバランスを崩し、コート野郎の木の幹を思わせる太い腕が、こちらの身体を掠めた。

 

 たかが掠めただけ。しかし一撃でエレベーターもろともに人間を活動停止に追い込む拳だ。身体がコマのように回転し、足が地面を離れる。強い浮遊感、平衡感覚を失った身体がすっ飛び、壁に叩きつけられて視界がブラックアウトした。

 

 意識を失っていたらしいと気づき、叩きつけられた頭の痛みに呻く。しびれた左手で頭に触れると、ぬるりとした感触があった。ぼやけた視界の中でマズルフラッシュが瞬き、マディソンの声が反響する。

 

 なんと言っているのかはっきりとしないその声を聞きながら、ヴラッドは自分のカービンを探した。右手はカービンをきつく握りしめたままで、霞がかった視界にそれが現れる。

 

 マディソンは必死に自分を引きずっているようだった。こちらへ歩み寄るコート野郎のぼやけた黒い影を見、片手でカービンを持ち上げてひたすらに引鉄を搾る。シェイクされた脳みそがライフルの反動のたびに痛みを訴え、弾を吐き出し尽くしたカービンの動作が止まる。

 

 これは死ぬなと、自分の中の冷静な部分が囁いた。腰の拳銃をおぼつかない指先で探り当て引き抜く。握りしめたP7がカービンに比べてささやかな火を吹き、諦観をたっぷり含んだ思考が眼前に歩み寄る死の恐怖を受け入れつつあった。

 

「逃げろ、マディ」

 

 口にしたはずの言葉は自分でも聞き取れず、甲高く途切れる気配のない耳鳴りが全てを覆い尽くす。意識を失った数秒の間にマディソンが必死で距離を稼いだようだったが、それも長続きはするまい。

 

「このままここで討ち死にはマズい」

 

 マディソンがこちらを引きずって走る、ヴラッドはランヤードで腰につながった拳銃が動作を止めると、ポーチから最後の手榴弾を取り出した。

 

「お前が死ぬ以上にマズい状況があるなら教えてくれ」

 

 ようやく明瞭になったマディソンの声。それにかすれた笑いを返し、手榴弾のピンを固定するテープに指をかける。神経がいかれたのか、指先の感覚は殆どない。苦労してそれを引っ剥がし、ピンに指をかけたこちらを見下ろして、マディソンが止めろと制止した。

 

 行けよとかすれた声を絞り出すのと、こちらの頭上を影が飛び抜けるのは同時だった。マディソンが反射的に腰の拳銃を引き抜き、こちらを飛び越えた影へ向ける。ヴラッドが新手と判断した瞬間、その影は赤色灯の中でも際立つ白い毛並みを踊らせ、コート野郎の頭へ飛び込む。

 

 目の前で大男の灰色の頭部から血が吹き出す。そのまま奥に飛び抜けた影、まだ輪郭の曖昧な視界の中で踊るそれのシルエットは大型な犬のそれに見えたが、常人ならざる体躯のコート野郎と比較しても小さくはない。

 

『そこの二人、今すぐに青いラインに従って走りなさい。命が惜しいのならね』

 

 接続音とともに機械的なノイズ混じりの声が命じた。施設内のスピーカー、冷たく、しかしどこか甘い女の声。知らない声だなと混乱から抜け出せない脳みそが考える間に、犬の影が向きを変えたコート野郎の拳を避けてこちらへと駆け寄ってくる。

 

 コイツは敵じゃない。そうぼんやりと意識のどこかでそう感じながら、再び視界がゆらぎ始める。何かが自分を担ぎ上げ、凄まじい速さで走り出す振動を感じながら、ヴラッドの意識はぷつりと切れた。

 

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